SS暫定まとめwiki~みんなでSSを作ろうぜ~バキスレ 猿の手 52-1


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平和。充足。安定。
人の暮らしのより良い形を表すには、まずこれらの言葉が浮かぶだろうか。
武藤カズキはそんな言葉を以ってしても足りない程の幸福感に包まれていた。
絶え間無き変化と闘いに身を投じた高校二年生の数ヶ月間も、最早遠く何年も前の事。
自分の取り囲む現在の環境を考えれば、それは夢だったのではないかとも思う。
しかし、夢ではない。
夢ではない証拠がいつも傍にいるのだから。

キッチンの方に眼を遣れば、妻が食事の準備を進めている。
旧姓から自分と同じ姓に変わり、ひとつ屋根の下に生活を共にする年上の妻。
出会い、命を救われ、共に闘い、愛して、愛されて。
今は武藤家の人間となり、カズキの生涯の伴侶となった斗貴子である。

ふと斗貴子と眼が合う。
特に言葉は無く、お互いに微笑み合うだけだ。
だがそれがいい。
それだけでいい。
斗貴子は微笑んだまま、少し休めた調理の手をまた動かし始める。
キッチンから漂う香りはいつの間にか、食材が加熱された単純な香ばしさから、丁寧に味付けされた
複雑かつ玄妙な匂いに変化していた。
もうすぐ家族揃って食卓を囲む、あの至福の時間だ。
そろそろお腹を空かせた妹も帰ってくるだろう。

まひろが社会人となり、「一人暮らしをしたい」と言い出した時、カズキは随分と反対したものだった。
「少し過保護すぎやしないか?」という斗貴子のやんわりとした説得さえも珍しく撥ね退け、
まひろに自分達と同居するよう強く勧めた。
まひろもそれに押されて渋々、というよりも幾分二人に遠慮する態度で共同生活を始めたのである。
高校生だった頃から二人の事に関してはやたらと余計なところにまで気を回すまひろとしては、
所謂“ストロベリーな二人の生活”を邪魔するのは申し訳無いと考えていたのだろう。
とはいえ、そんなまひろも年月を重ねていくに従って、気遣いばかりしていた態度は良い意味で
遠慮の無いおおらかなものへと変わっていった。
家中に明るい笑顔を振りまき、元気な声を響かせ、斗貴子に擦り寄り、カズキにその日あった事を
楽しげに話す。
まるで、高校生の頃のまひろに戻ったかのような変化の仕方だ。
“大好きなお兄ちゃん、大好きなお義姉ちゃん”と一緒の暮らしの方が、とかく孤独や寂寥の念に
囚われがちな都会の一人暮らしよりも遥かに良いものだとわかったからだろうか。
それとも実際はカズキに言われるまでもなく、三人一緒の生活を望んでいたのか。
はたまた元々の楽天的で子供っぽい性格が前に出てきたのか。
それはよくわからない。
よくわからないが、カズキはそうしたまひろの変化に眼を細めていた。
やはりあの時、無理を言ってでも共に住まわせて良かったと。
そして、斗貴子も同様に思っているのであろうと。

さほど大きくもない2LDKのマンション。
夫婦とその妹の仲の良い小さな家族。
冒険や変化とは縁の無い慎ましやかな日常。
彼はこの“三人家族”の幸せな生活に満足していた。



そんなある晩、三人の元に一つの小包が届いた。
発送元には父親の名がある。確か今は出張でイギリスにいる筈だ。
一年のほとんどが海外出張ばかりの両親を持つカズキは、すぐにピンときた。
「また父さんが外国の珍しい物を送ってきたんじゃないかな」
昔からカズキの父は日本に置いてきた二人の子供を思いやってか、行く先々の国で何か興味を
引く物があると土産代わりに送ってきたものだった。
今回もそれに違いないと当たりをつけたのだ。
「よし、開けてみよう!」
「何だろうね? お菓子かな? ほら、お兄ちゃん! 早く早く!」
二人共、既にもう二十代半ばを過ぎているというのに、まるで子供のようなはしゃぎようだ。
まるで身体の大きな子供を二人養っているみたいだなと微笑ましく思いながら、斗貴子はキッチンに
向かった。
いつもなら食器洗いを手伝うまひろだが、小包の中身が気になって仕方が無いのか、包み紙を破る
カズキの手元をニコニコしながら見つめたままだ。
斗貴子は皿を擦りながら声を掛ける。
「もしお菓子だったらまひろちゃんはやめておいたほうがいいんじゃないか? 最近、体重が
気になってるようだしな」
言う端から笑い声になってしまい、斗貴子はどうにも困った。
「んもぉ~、お義姉ちゃんの意地悪~!」
まひろのほのぼのとした抗議の声が斗貴子のいるキッチンまで響いてくる。

やがてごく短い静寂の後、二人の驚く声が斗貴子の耳に飛び込んできた。
それは予期していたものとは違う、嫌悪を含んだものだったが。
「うわっ!」
「やだ……! 何これ……?」
二人の声を不審に思った斗貴子は洗い物をやめ、エプロンで手を拭きながらリビングに戻った。
「どうした? 中身は何だったん――」
カズキの持つ古そうな木箱の中身を見て、斗貴子もまた声を失ってしまった。
それは、黒い毛に覆われている干乾びた小さな手だった。
手首の辺りから切断され、綿を敷き詰めた箱の中にちんまりと納まっている。
確かに喜びの声を上げるような気持ちのいいものではない。
斗貴子は近寄り、しげしげとその手を観察した。
「これは……何の手だろう。ひどくミイラ化しているようだが……」
さすがに元は泣く子も黙る女戦士だった斗貴子である。
特に動じる様子も無く、目の前の不気味な物体を冷静に分析している。
しかし、横にいる義妹はそういう訳にもいかない。
「うえ~、気持ち悪いよ~。お父さん、何でこんなの送ってきたのかなぁ」
その天然っぷりを原動力に常識外れの奇行をやらかしていた女子高生時代なら、目の前の珍妙な品に
眼を輝かすところなのだろうが、さすがにそういった面は“大人”になったのだろうか。
ほとんど泣き声になりながら涙で瞳を潤ませて、手のミイラやそれを観察している斗貴子から
遠ざかっていく。
カズキはカズキで正体不明の贈り物に好奇心をくすぐられたのか、妻に倣うように熱心に
手のミイラを観察している。
そして観察を続けていくうちに、ある物を発見した。
「ちょっと待って、手紙みたいなのがあるよ。ほら、コレ」
カズキは綿と箱の内壁の間に差し込まれている紙片を取り出し、斗貴子に渡した。
斗貴子はカズキから紙片を受け取ると、いつの間にかソファの裏に隠れてしまったまひろにも
聞こえるように声に出してその内容を読み上げる。
「ええと、何々……――

『この猿の手のミイラには魔力が宿っており、あなたの願いを何でも三つだけ叶えてくれます。
どんな願いをかけるかはあなたの自由です。ただし、慎重にお使い下さい』

――だそうだ。フーム……」
“魔力”
“三つの願い”
そんな単語が出てきたせいか、斗貴子には猿の手が非科学的でオカルトじみた、ひどくつまらない物に
思えてくる。
「猿の手か……。おそらくどこかの民族に伝わるまじないの品か何かだろう。
まひろちゃん、そんなに怖がる事はないぞ?」
「でも……私、何だか怖いし、気持ち悪いよ。ねえ、それどこかに仕舞って? お願い。ね……?」
どうやらまひろは真剣に怖がっている様子だ。
ソファの裏から顔半分だけを覗かせて、決してこちらに近づこうとしない。
そんなまひろが気にかかりつつも、カズキはまた新たな発見をしてしまった。
それは“発見”と言う程大げさなものではないのかもしれないが、異質さは充分に感じられる。
「……でもおかしいな。この手紙、父さんの字じゃないよ。それに、ほら――」
先程、破いた包み紙に張られている宛名を指す。
「――こっちも父さんの字じゃない。変だよ」
不思議がるカズキだったが、斗貴子はさも当たり前とばかりに一番に考えられる可能性を彼に返す。
「お義父様が忙しくて、誰かに代筆してもらったんじゃないか?」
「そうかなぁ……」
ちょっとした考察と討論を続ける夫婦に向かって、おずおずとした声が掛けられた。
「ね、ねえ……お兄ちゃん、お義姉ちゃん……そろそろ、ホントに……」
もう顔を覗かせる事もしなくなってしまったまひろ。
ソファの裏で両膝を抱えて、高校一年生の頃から更に成長した長身を縮ませている姿が容易に
想像できる。
「ああ、すまない。もう仕舞うよ、まひろちゃん」
「ごめんな、まひろ。珍しい物だから、つい……」
斗貴子は箱の蓋を閉めて腰を上げ、カズキはバツの悪い様子で頭を掻く。
斗貴子が木箱を持って夫婦の寝室の方へ姿を消すと、まひろはようやくソファの裏からヒョコリと
顔を出した。
背もたれ部分に両手を掛けて顔だけを覗かせているその姿は、まるで子猫のようだ。
カズキは妹のそんな姿に改めて愛らしさを覚えてしまう。

一方、夫婦の寝室では――
押入れの戸を開けた斗貴子はしばし考えた。
上段には予備の布団が、下段には季節毎の衣類が入った衣装ケースや不用物が入ったダンボールがあり、
木箱を収めるスペースが見当たらない。
「困ったな……」
斗貴子は一人ごちると、やむなく押入れの下段を手前から整理し始めた。

そんな彼女の耳に来客を告げるチャイムの音が届いた。
音の種類からして玄関ではなく、マンションのエントランスのチャイムだ。
「あ、お兄ちゃんは座ってなよ。私が出るから」
おやと身体を戻しかけた斗貴子であったが、リビングから聞こえてくるまひろの先程とは
打って変わった快活な声に、安心して作業を再開する。
まひろがインターホンに向かって朗らかに話す声が遠く聞こえてくる。
内容まではさすがに聞き取れなかったが。
しばらくして、また兄妹の会話が戻ってきた。
「誰?」
「隣のおじさん。また鍵を忘れて締め出されちゃったんだって。オートロックも結構不便だよね」
「あのおじさんかぁ。いつも酔っ払ってるし、無理も無いよ」

斗貴子は「またか……」と内心、苦々しく思う。
元来、彼女は酒に飲まれるような輩には絶対に好意が持てない。
斗貴子自身が祭事くらいでしか口にしないし、カズキも普段から酒をあまり飲まない亭主という
事実もその思考に一役買っているのかもしれない。
もののついでではないが、そうなると家の鍵を忘れるという隣人の軽率さ、粗忽さにも苛立つ思いが
込み上げてくる。
これくらいのマンションであればエントランスのオートロックなど当然の事なのだろうし、
鍵の携帯という常日頃の行いをどうして怠るのだろうか、などと。
思考が動作に表れるのか、押入れの中を片付ける挙動が少し乱暴になっている事に、斗貴子は
はたと気づいた。
(いかん、いかん。少し神経質すぎるな。あの二人を見習わなければ……)
性格上、やや頑固で融通の利かない面がある彼女にしてみれば、家庭生活や近所付き合いなどで
骨が折れる場面も少なくないのだろう。
そういう時はあの兄妹の天真爛漫さが少し羨ましくもなる。

押入れの中に顔を突っ込んであれやこれやと苦心しているうちに、どうにか手元の木箱を収納するのに
充分なスペースを確保する事が出来た。
そこに箱を収めて任務完了、と満足気な斗貴子の脳裏に、己の読み上げた手紙の内容がふと蘇る。
(願いを何でも、か……)
眼下にある木箱を、中身を透かすようにジッと見つめる。
見つめているうちに斗貴子は思わず眼を閉じ、小声で呟いた。

「どうか、いつまでもカズキと二人一緒に、幸せでいられますように……」

そう呟いてから、斗貴子はつまらない事をしてしまったと一人煩悶した。
(な、何をしてるんだ、私は……! 馬鹿馬鹿しい……)
こんなオカルトまがいの怪しいシロモノに願いを掛けるという愚かさに気づいたのだろう。
しかし、焦り身悶えてしまう訳は他にもあった。
これまでの人生の半分以上が女性らしさとは縁遠かった自分。
様々な不愉快極まる言葉がそろそろ当てはまる年齢になりつつある自分。
そんな自分が何とも乙女チックに願い事をしてしまったという事実が、斗貴子には許せない。
彼女のように願うのは、愛情を向ける対象がいる者なれば当たり前ではあるのだが。
未だその“当たり前”を受け入れられないでいるのか、それとも受け入れられない理由が
新たに芽生えているのか。
斗貴子は含羞と自嘲の念に頬を染めながら、そそくさと箱を押入れの奥深くへと仕舞ってしまった。

箱の蓋を閉められ、暗闇の奥へ閉じ込められた“猿の手”は大人しく沈黙を守る。
決して持ち主に何かを主張したりはしない。
それはそうだろう。
彼の役目は“話す”事ではなく、願いを“聞き”、そして“叶える”事なのだから。
出来るだけ、速やかに。



[続]