燦々と日の光が降り注ぐ、清々しい空気に満ち満ちた山の中。木々が少し途切れて
ちょっとした広場になっている場所で、若者が木刀を振るっていた。
速く強く、華麗で切れ味良く、荒々しくはないが鋭さに溢れたその剣筋は、若者が
正統な剣術の修行を生真面目に積んできたことを示している。
また、別の方面からも若者の素性を伺うことができる。身に纏っている道着の仕立てと
いい、綺麗に結われた髪といい、更には木刀の見事さといい。どれを取っても若者の
身分の高さと育ちのよさ、大切に育てられたのであろう箱入りな人生を如実に語っている。
もっとも、その割には若者の剣技は見事すぎるのだが。いくつかの型を十度ずつほど終え
たと思ったら、今度は太く束ねて地面に突き立てた竹の束に、木刀を横薙ぎに打ち込んだ。
竹は大きくしなる。当然、反動が来る……いや来ない。若者の木刀で押さえられている。
数拍おいて、若者は木刀を放した。そして今度は、他にも立ててある竹の束に次から次
へと打ち込んでいく。
そのどれもが大きくしなり、反動を発揮しようとするが若者の木刀に押さえられて、
というのを繰り返す。どうやらこれは、力でムリヤリ押さえ込んでいるのではないらしい。
若者の、どちらかといえば華奢な体にそんな強力があるとは思えない。では、一体?
「……ふうっ」
ひとしきり打ち込みを終えて、若者が一息ついた。額の汗を袖で拭う。
と、どこからか妙に可愛い……というか甘く高い、少女の声が聞こえてきた。
「お見事お見事、大したものです」
ぱちぱちと拍手しながら、十代半ばと見えるその少女は歩いてきた。天から降ったか
地から沸いたか、どこからかいつの間にか、そこにいた。
その出で立ちも異様というか何というか。袖が大きく裾の短い、簡素な着流し姿
なのだが、真っ赤なのだ。まるで血で染めたかのように、目に痛いほどの真紅。
それでいて肌は真っ白。天空から地上へと舞い降り、まだ誰にも踏み荒らされていない
新雪のような純白。そして流れるように長い髪がまた、血の紅色ときている。
顔立ちは人形のように整っているのだが、いやそれ故に、人間ではないかのように
思えてしまう。天女か、それとも……魔女なのか。
「先ほどから拝見させて頂きましたが、あれは力の流れを読んで制するという、
柔術の鍛錬ですね? おそらく、素手の戦いも相当な腕前とお見受け致します」
悠然とした笑みを浮かべて、少女は若者に語りかけてくる。
「……褒めてくれるのは光栄だが、そなたは?」
と若者は尋ねるが、少女は相変わらずの笑みを浮かべて流す。
「ふふ。わたしのことなど、どうでも宜しいではありませんか。ただわたしは、
殿方の『勇』を何よりも好むもの」
「? 勇、とな」
「はい。それぞれの信念を胸に抱き、あるいは怒りを剣に乗せ、あるいは忠義に命を捨て、
敵わぬ相手にも怯まず向かっていく……『勇』をもって戦う殿方を、何よりも愛しております。
なれば、まさにそのもの、わたしのことは『勇』と呼んで頂きとうございます。ということで、」
少女は、初めて表情を変えた。相変わらず笑顔ではあるが、その瞳に青白いものが灯る。
「貴方様の『勇』をお見せ下さい」
「何?」
「わたしと、立ち会って頂きたいのです」
奇妙な申し出に、若者は怪訝な顔をした。が、すぐさまその表情を引き締めて跳び退いた。
それほど、凄まじかったのだ。勇、と名乗ったこの少女から感じた殺気が。
いや、殺気だけではない。この少女の秘めたる実力は、半端ではない。若者はそう読んだ。
「そ、そなたは……どういうことだ? 女の身でありながら、なぜこんな」
「さて?」
勇は、くすくすと笑って答える。
「なぜ、と改めて聞かれても困ります。わたしにとっての殺傷本能は食欲や性欲と同じ
ですから……貴方のような殿方を見ると……どうも……喰らいたくなってしまって」
勇の紅い舌が、そっと唇を撫でる。その、どこか淫靡な匂いが漂う舌なめずりに
若者の目が引き寄せられる、と、
「はっ!」
勇のしなやかな脚が、若者を襲った。長い脚が鞭のようにしなり、鉈のような重さをもって、
若者の手首を砕こうと振り上げられる。
若者は咄嗟に木刀の柄で受け止め、打ち落と……せない。ばかりか、一方的に押された。
このままでは木刀を飛ばされてしまう。だが若者は力を込めて押し返したりはせず、
自ら積極的に木刀を上に投げた。
勇の蹴りも上方に流れる。若者の手が素早く下ろされ、下から勇の脚を救い上げた。
「……お見事」
勇の体は後方に縦に一回転して、ほぼ音もなく着地した。
若者はというと、大きく目を見開いたまま動かない。
「頭から落とすこともできたでしょうに、わざわざ空中でわたしの体を操って、
体勢を整えさせましたね? 技は本当にお見事ですのに、いやはや甘い」
ため息をつく勇。若者はまだ、硬直したままだ。勇がまた笑って、
「本能的にかわせたものの、蹴り足が見えなかった、と? けれど逆に言えば、
見えぬ攻撃を本能の反射のみでかわしたということ。これもまた大したものですよ」
「……そ、そ、そなたは、一体……」
冷や汗を流す若者の、道着の襟がぴりりと音を立てて裂けた。勇の爪先が掠ったのだ。
もし、勇の蹴りが顎を直撃していたら。あるいは、ノド笛を切り裂いていたら。
「戦いこそは至上の交流ですわ。閨での情交以上の、ね……ふふふふ」
勇は、若者に冷たい微笑みを見せると、突然くるりと背を向けた。
「貴方はまだ、喰らう時ではないようです。いずれ熟した折には、ぜひ」
「じ、熟す、とは、どういう意味だっ」
もう勇に飲まれつつある若者が、少し震えた声で尋ねた。勇は楽しそうに答える。
「そうですねぇ。差しあたって、殺気を身につけること。貴方は優しすぎます。それでは
今以上に強くはなれません。他人を躊躇いなく殺せるようにならないと」
「そ、そんなこと……いや、できるようにならねばならぬが……だが私は……」
と若者が目を伏せて呟き、はっと顔を上げた時には、もう勇の姿はなかった。
辺りには静寂が帰ってきている。川の音と鳥の声だけが聞こえている全てだ。
冷たい汗と、裂けた襟元を残して、ほんのひと時の魔女との語らいはこうして終わった。
「な、何なんだ……今のは」
天下を取るには、あんな化物とも戦っていかねばならないのだろうか。そんな化物すら、
本能的に助けようとして手を差し伸べてしまう自分が。
技量の面でも、精神の面でも、自分はまだまだ未熟すぎる。若者は痛感した。
『……そうだ、悩んでばかりはいられない。この乱れた世を正し、万民を救う為に、
私はもっともっと強くなり、戦い抜かねばならないんだ……』
若者は決意も新たに、飛ばされた木刀を拾い上げて振るい始めた。
近いうちに必ず来る、戦乱の時代に備えて。
深夜の山奥。月や星以外の明かりはないそこを、焚き火が照らしていた。
その前にどっかと腰を下ろしているのは、紅い髪と紅い着流しの美妖女、勇。
「やれやれ。本当に、犬も殺せない顔をしてましたね。あれが源家の嫡流とは……
まあ、そこがまた、面白いことを引き起こしてくれそうですけど。ふふっ」
若者のことを考えて、楽しそうに焚き火の中から焼肉を取り出して、噛りつく勇。
その傍らには、眉間を拳で砕かれた熊の死骸が転がっている。腹や胸は
抉り出されて空っぽだ。その抉られた部分は今、焼かれて美味しそうな肉汁を
滴らせている。で、上品で小さな唇の中に消えていく。
やがて熊一頭をきれいに平らげると、勇はごろりと横になった。若者との
立会いを思い出し、予想以上だった腕前を胸の中に蘇らせ……
「よく……眠れそう……」
そっと、目を閉じた。その周りには熊も猪も狼もいるのだが、どいつもこいつも
勇に手を出そうとはしない。
焚き火が怖いのではない。勇が怖いのだ。そこに寝ているのは人間ではなく、
日本最強の生物……獣たちは、そう感じ取っているのである。
その強さのあまり、人ではないと噂される一族があった。陸奥が修羅なら、
こちらは魔。先祖に魔物の血が混じっているのではないかと恐れられる、
人ならざる強さを誇る一族。その末裔にしてズバぬけた力をもって生まれた子が
この少女、勇。
『半魔』の勇と、源氏の末裔・足利尊氏の、これが出会いであった。
楠木正成、陸奥大和、足利尊氏、そして勇。
表と裏、光と陰で壮絶な戦いを繰り広げる四人が、今、歴史の舞台に上がった……
ちょっとした広場になっている場所で、若者が木刀を振るっていた。
速く強く、華麗で切れ味良く、荒々しくはないが鋭さに溢れたその剣筋は、若者が
正統な剣術の修行を生真面目に積んできたことを示している。
また、別の方面からも若者の素性を伺うことができる。身に纏っている道着の仕立てと
いい、綺麗に結われた髪といい、更には木刀の見事さといい。どれを取っても若者の
身分の高さと育ちのよさ、大切に育てられたのであろう箱入りな人生を如実に語っている。
もっとも、その割には若者の剣技は見事すぎるのだが。いくつかの型を十度ずつほど終え
たと思ったら、今度は太く束ねて地面に突き立てた竹の束に、木刀を横薙ぎに打ち込んだ。
竹は大きくしなる。当然、反動が来る……いや来ない。若者の木刀で押さえられている。
数拍おいて、若者は木刀を放した。そして今度は、他にも立ててある竹の束に次から次
へと打ち込んでいく。
そのどれもが大きくしなり、反動を発揮しようとするが若者の木刀に押さえられて、
というのを繰り返す。どうやらこれは、力でムリヤリ押さえ込んでいるのではないらしい。
若者の、どちらかといえば華奢な体にそんな強力があるとは思えない。では、一体?
「……ふうっ」
ひとしきり打ち込みを終えて、若者が一息ついた。額の汗を袖で拭う。
と、どこからか妙に可愛い……というか甘く高い、少女の声が聞こえてきた。
「お見事お見事、大したものです」
ぱちぱちと拍手しながら、十代半ばと見えるその少女は歩いてきた。天から降ったか
地から沸いたか、どこからかいつの間にか、そこにいた。
その出で立ちも異様というか何というか。袖が大きく裾の短い、簡素な着流し姿
なのだが、真っ赤なのだ。まるで血で染めたかのように、目に痛いほどの真紅。
それでいて肌は真っ白。天空から地上へと舞い降り、まだ誰にも踏み荒らされていない
新雪のような純白。そして流れるように長い髪がまた、血の紅色ときている。
顔立ちは人形のように整っているのだが、いやそれ故に、人間ではないかのように
思えてしまう。天女か、それとも……魔女なのか。
「先ほどから拝見させて頂きましたが、あれは力の流れを読んで制するという、
柔術の鍛錬ですね? おそらく、素手の戦いも相当な腕前とお見受け致します」
悠然とした笑みを浮かべて、少女は若者に語りかけてくる。
「……褒めてくれるのは光栄だが、そなたは?」
と若者は尋ねるが、少女は相変わらずの笑みを浮かべて流す。
「ふふ。わたしのことなど、どうでも宜しいではありませんか。ただわたしは、
殿方の『勇』を何よりも好むもの」
「? 勇、とな」
「はい。それぞれの信念を胸に抱き、あるいは怒りを剣に乗せ、あるいは忠義に命を捨て、
敵わぬ相手にも怯まず向かっていく……『勇』をもって戦う殿方を、何よりも愛しております。
なれば、まさにそのもの、わたしのことは『勇』と呼んで頂きとうございます。ということで、」
少女は、初めて表情を変えた。相変わらず笑顔ではあるが、その瞳に青白いものが灯る。
「貴方様の『勇』をお見せ下さい」
「何?」
「わたしと、立ち会って頂きたいのです」
奇妙な申し出に、若者は怪訝な顔をした。が、すぐさまその表情を引き締めて跳び退いた。
それほど、凄まじかったのだ。勇、と名乗ったこの少女から感じた殺気が。
いや、殺気だけではない。この少女の秘めたる実力は、半端ではない。若者はそう読んだ。
「そ、そなたは……どういうことだ? 女の身でありながら、なぜこんな」
「さて?」
勇は、くすくすと笑って答える。
「なぜ、と改めて聞かれても困ります。わたしにとっての殺傷本能は食欲や性欲と同じ
ですから……貴方のような殿方を見ると……どうも……喰らいたくなってしまって」
勇の紅い舌が、そっと唇を撫でる。その、どこか淫靡な匂いが漂う舌なめずりに
若者の目が引き寄せられる、と、
「はっ!」
勇のしなやかな脚が、若者を襲った。長い脚が鞭のようにしなり、鉈のような重さをもって、
若者の手首を砕こうと振り上げられる。
若者は咄嗟に木刀の柄で受け止め、打ち落と……せない。ばかりか、一方的に押された。
このままでは木刀を飛ばされてしまう。だが若者は力を込めて押し返したりはせず、
自ら積極的に木刀を上に投げた。
勇の蹴りも上方に流れる。若者の手が素早く下ろされ、下から勇の脚を救い上げた。
「……お見事」
勇の体は後方に縦に一回転して、ほぼ音もなく着地した。
若者はというと、大きく目を見開いたまま動かない。
「頭から落とすこともできたでしょうに、わざわざ空中でわたしの体を操って、
体勢を整えさせましたね? 技は本当にお見事ですのに、いやはや甘い」
ため息をつく勇。若者はまだ、硬直したままだ。勇がまた笑って、
「本能的にかわせたものの、蹴り足が見えなかった、と? けれど逆に言えば、
見えぬ攻撃を本能の反射のみでかわしたということ。これもまた大したものですよ」
「……そ、そ、そなたは、一体……」
冷や汗を流す若者の、道着の襟がぴりりと音を立てて裂けた。勇の爪先が掠ったのだ。
もし、勇の蹴りが顎を直撃していたら。あるいは、ノド笛を切り裂いていたら。
「戦いこそは至上の交流ですわ。閨での情交以上の、ね……ふふふふ」
勇は、若者に冷たい微笑みを見せると、突然くるりと背を向けた。
「貴方はまだ、喰らう時ではないようです。いずれ熟した折には、ぜひ」
「じ、熟す、とは、どういう意味だっ」
もう勇に飲まれつつある若者が、少し震えた声で尋ねた。勇は楽しそうに答える。
「そうですねぇ。差しあたって、殺気を身につけること。貴方は優しすぎます。それでは
今以上に強くはなれません。他人を躊躇いなく殺せるようにならないと」
「そ、そんなこと……いや、できるようにならねばならぬが……だが私は……」
と若者が目を伏せて呟き、はっと顔を上げた時には、もう勇の姿はなかった。
辺りには静寂が帰ってきている。川の音と鳥の声だけが聞こえている全てだ。
冷たい汗と、裂けた襟元を残して、ほんのひと時の魔女との語らいはこうして終わった。
「な、何なんだ……今のは」
天下を取るには、あんな化物とも戦っていかねばならないのだろうか。そんな化物すら、
本能的に助けようとして手を差し伸べてしまう自分が。
技量の面でも、精神の面でも、自分はまだまだ未熟すぎる。若者は痛感した。
『……そうだ、悩んでばかりはいられない。この乱れた世を正し、万民を救う為に、
私はもっともっと強くなり、戦い抜かねばならないんだ……』
若者は決意も新たに、飛ばされた木刀を拾い上げて振るい始めた。
近いうちに必ず来る、戦乱の時代に備えて。
深夜の山奥。月や星以外の明かりはないそこを、焚き火が照らしていた。
その前にどっかと腰を下ろしているのは、紅い髪と紅い着流しの美妖女、勇。
「やれやれ。本当に、犬も殺せない顔をしてましたね。あれが源家の嫡流とは……
まあ、そこがまた、面白いことを引き起こしてくれそうですけど。ふふっ」
若者のことを考えて、楽しそうに焚き火の中から焼肉を取り出して、噛りつく勇。
その傍らには、眉間を拳で砕かれた熊の死骸が転がっている。腹や胸は
抉り出されて空っぽだ。その抉られた部分は今、焼かれて美味しそうな肉汁を
滴らせている。で、上品で小さな唇の中に消えていく。
やがて熊一頭をきれいに平らげると、勇はごろりと横になった。若者との
立会いを思い出し、予想以上だった腕前を胸の中に蘇らせ……
「よく……眠れそう……」
そっと、目を閉じた。その周りには熊も猪も狼もいるのだが、どいつもこいつも
勇に手を出そうとはしない。
焚き火が怖いのではない。勇が怖いのだ。そこに寝ているのは人間ではなく、
日本最強の生物……獣たちは、そう感じ取っているのである。
その強さのあまり、人ではないと噂される一族があった。陸奥が修羅なら、
こちらは魔。先祖に魔物の血が混じっているのではないかと恐れられる、
人ならざる強さを誇る一族。その末裔にしてズバぬけた力をもって生まれた子が
この少女、勇。
『半魔』の勇と、源氏の末裔・足利尊氏の、これが出会いであった。
楠木正成、陸奥大和、足利尊氏、そして勇。
表と裏、光と陰で壮絶な戦いを繰り広げる四人が、今、歴史の舞台に上がった……