キース・レッドのありったけの気迫を込めた攻撃も、もはやクラーク・ノイマン少佐には通用していなかった。
刃の折れたレッドの『グリフォン』は、手に生える爪だけが最後の武装だった。
身体中を走る痛みに耐え、持てる死力を尽くして腕を振るう。
だが、そのすべてを嘲笑うように、クラークはそれをかわし、的確に攻撃を叩き込んでくる。
その一発一発は鉛のように重く、なんども意識が飛びかけた。
ぎりぎりの最後の一線でレッドを支えているのは、意地だった。
「さすがにしぶといな……ARMSの自己修復能力とは大したものだな」
感心したように嘆息するクラークに向けて、爪を立てようとするが、
「遅い」
その腕を絡めとられ、そこに内臓が引っくり返るような衝撃波を叩き込まれた。
身体が痺れるような感覚、ばらばらになってしまいそうな痛み。
クラークがゆっくりその腕を広げると、レッドはずるずると力なく床に滑り落ちた。
「もう立てまい。所詮ARMSといっても、貴様の身体の大部分は生身なのだ。私の攻撃に耐えられるわけがない。
貴様は私の攻撃手段すらつかんでいないのだろう?」
意識がぼやけ始めたレッドの頭上に、クラークがその影を落とす。
「その脆弱な生身を否定するのが、サイボーグだ。貴様は、サイボーグの本質を理解しているか?
人が生命体である以上、肉体というハードウェアの制約からは逃れられない。
病気になれば死ぬし、血を流しすぎても死ぬ。それは他の下等生物と変わらない、如何ともしがたい点だ。
だが、幸いにして人には知性があった。
知性を具現化した『科学』という名の外在的な力を取り込むことで、ハードウェアの問題を部分的に解決したのが、サイボーグだ。
『代替可能であること』を生命の本質とする観点に立てば、サイボーグこそ現在最も進化した生命体なのだ」
その言葉も、レッドにはおぼろげにしか聞こえていなかった。ひどい耳鳴りがして、視界はぐるぐる回っていた。
「だが、サイボーグも不完全な存在だ。肉体のパッチワークにも限度がある。
現行のサイボーグでは、『死』を超越することは不可能だ。
それを解決する術が、炭素と珪素のハイブリッド生命体『ARMS』であり、次世代型サイボーグ『ネクスト』なのだ。
そう遠くない将来、死から解き放たれた新人類が地球を支配するだろう。
今はその過渡期だ。あらゆるいっさいのものはその礎となり、喜んでその身を捧げるべきなのだ。
誉れある新世界への『ヴィクティム』として」
(なに言ってんだか分かんねーよ──シルバーといい、こいつといい、エグリゴリは講釈好きの集まりか……?)
レッドは胸中で毒づくが、しかし状況は最悪だった。
どっちを向いても、逃れることのできない死の運命が待っていた。
ついてないな、となんとなく思う。
ここ最近はずっと最悪続きだった。
それはちょうど、セピアと出会ってしまった辺りからだろうか。
(──あー、あいつ、オレの疫病神だったのか)
「もう聞こえていないか? すぐに楽にしてやろう」
視界はほとんど消えかかっており、その闇の中で、ぶん、と蝿の羽音がした。
(蝿──?)
その疑問より一拍おいて、ある認識がレッドの意識を満たす。
(そうか……こいつ……)
だとしたら、これほどしっくり来る結末は無いように思えた。
今さらクラークの攻撃手段を見破ったところで、もう反撃する力など残っていない。
それに、疲れた。
ずっと戦い尽くめだったのだから、休みを貰ってもいいところだ。
首を巡らせて、セピアの姿を探す。それはすぐに見つかった。
ほとんど見えなくなったこの目にも、彼女の姿だけはなぜかはっきりと分かった。
(あばよ、オレの疫病神)
「さらばだ」
クラークの拳が胸に叩き込まれる。瘧のようにがくがく揺れる身体は、死線に近づいていた。
意識から音が遠のいてゆく。絶望的にかすむ視界のなか、そこに映るセピアは、
「────!」
何事かを叫んでいた。
(……なに言ってんだか分かんねーよ)
そして、ふと気がついた。自分がなかなか死なないことを。
「……馬鹿な!」
そんな野太い声がレッドの耳に届く。そちらに目をやると、鉄面皮と思っていたクラークの顔面がくしゃくしゃに歪んでいた。
遠のきかけていた意識が明晰なレベルにまで復活する。
今や、セピアの声もはっきりと聞こえていた。
「負けないで! レッド!」
(──力。力が、欲しい)
切実に、そう思った。
勝つために。勝利を得るために。
その思いに任せて、右腕を振る。再生していた『グリフォン』のブレードが、クラークの拳を切り落とした。
「なにっ!」
驚くクラークを足で蹴飛ばし、身を起こす。満身創痍だったが、まだ戦えそうだった。
「レッド!」
メガネを外し、涙の溜まった目をごしごしこすりながら、セピアは歓喜の声を上げる。
「黙ってろ、って言ったのによ」
「あ、ごめ──」
「しかもあんた、使っただろ。『ニーベルンゲの指輪』をよ」
「あ、あの、ごめ」
あからさまにしょぼんとするセピアへ、レッドは短く告げる。
「ま、いーけどよ」
「え」
聞き間違えたと思ったのか、うなだれていた首をがばっと持ち上げ、レッドを凝視する。
「だがな、今は使わなくていい。まだそのときじゃない。あんたの力を借りるのは、後だ。分かるか?」
「分かる、と思う」
その向こうでは、クラークの放つ圧力が極限まで膨れ上がっていた。
「そうか。それなら……今だけでいい、オレを信じろ。オレは負けない」
根元から折れたブレードも、いつしか再生していた。
「なぜなら、オレは勝つからだ」
そう言い残し、レッドは三度クラークへ飛び掛った。
同じくこちらへ向かってくるクラークとの交差の瞬間、
「貴様、私の攻撃に気がついたのか?」
「さあな」
すれ違いざまにクラークの右の腹を切り裂く。
だが同時に、その刃には深い亀裂が走っていた。
「もはや躊躇も油断もせん。私の最大最速で貴様を倒す!」
脳内の加速装置のリミットを解放したクラークは、もはや視認できない速度でレッドへと突進してくる。
反射的に胴体をガードしたブレードは、無残にも一撃で砕け散った。
クラークは止まらない。〇,一秒の停滞も無く、連続的にレッドへと容赦の無い攻撃を叩き込む。
ぼろきれのように舞うレッド、だが、人智を超えたスピードで繰り出される攻撃は、彼に倒れることを許さない。
だが、それでも、レッドの瞳は光っていた。なにかを狙うように、絶え間なく開かれていた。
これだけの威力で攻撃しているのにもかかわらず、レッドは生きていた。
「やはり気がついているな! だが!」
分厚い左の掌低をモロに食らい、レッドは壁に叩きつけられた。
「だが、貴様に戦況を打開することは不可能のようだな! 先ほどとどこが違う! この私に手も足も出ないではないか!」
冷静そのものだった仮面を脱ぎ捨て、クラークは咆哮していた。
それこそが、先に自分で言った『肉体というハードウェアの限界』の証左であることに、彼は気づいているのだろうか。
セピアは口元を押さえてそれを見守っていた。目を逸らさないことが自分の責務であるかのように。なにかを待ち続けているように。
ぼそり、とレッドが呟く。
「……振動」
「なに?」
「振動だよ、あんたのマシンアームに備わっている機能は。
蝿はジェットエンジンに匹敵するする周期で羽を振動させているらしいが、あんたのその腕はきっとそれ以上だろうな」
「……ほう、やはり見抜いていたか。その通りだ。私の腕には試験型の超振動兵器が内蔵されている。
私のデータを元にこの技術はさらに進歩するだろう。『振動』とは物理世界の根源だ。それを制するものが世界を制する」
奇妙に歪んだ笑みを顔に貼り付けながら、クラークはレッドから距離を置く。
「貴様は私の力に気がついた。そしてそのARMSに同種の振動を起こさせて私の攻撃を緩和させていた。
だが……しょせんは泥縄だ。そんなもので、生命を破壊するこの振動を相殺できるわけが無い。
だからこそ、貴様はこうして再び死の淵にあるのだ。そうだろう?」
腰を落とし、最後の攻撃態勢を整える。レッドは壁に背中を張り付けたままぴくりとも動かない。
「さあ、今度こそ楽にしてやろう。もうこれ以上苦しみたくはあるまい」
「ああ、そうだな……もう、充分だ」
クラークはその言葉に頷き、
「そうだろう、安らかに死を受け入れろ」
全速力の加速を、全体重を込め、クラークの震える拳がレッドへと飛んだ。
「──そういう意味じゃねーよ、バーカ」
「なに!?」
次の瞬間には、クラークの破壊的な攻撃がレッドごと壁を破壊し、その周囲は塵に包まれた。
そして、それが晴れたとき──。
「ま、まさか……馬鹿な!」
『グリフォン』の腕が、クラークの拳を掴んでいた。それは、微動だにしていなかった。
「もう充分だって言っただろ?」
クラークは愕然とレッドを見やる。そのこめかみには玉の汗が浮かんでいた。
「完璧に……中和している……」
「なるほど、振動を制するものは世界を制す、か。いい言葉だな、後でメモっておこう。
……いや、まったくこれほどしっくりくる敵には出会ったことがねーよ。
オレの『可能性』を実現させるのに、これほど最適な相手には、よ。こういうのを縁って言うのかね」
理解しがたい、といった風情のクラークに、レッドはにやりと笑って教えてやった。
「オレの『グリフォン』も、振動を操る能力を持っている。だがオレは馬鹿なんでな、その使い方が分からなかったんだよ。
あんたのお陰だ。あんたが直接身体に教えてくれたお陰で、オレはその力を理解した」
「なんだと……自分を追い込むことで、ARMSのさらなる進化を誘発したとでも言うのか?」
ブン、という振動音が響く。だがそれはクラークの発するそれではない。
いや、今もクラークはその腕の振動兵器を最大威力で発動させているのだが、
「貴様……逆の位相の振動を……私の振動を越えて……」
低く唸るその音は次第に高く、やがて耳に捕らえられぬ高周波へと変じてゆく。
「キース・レッドッ!」
がちがち揺れる拳が砕けるその直前に腕を引き抜いたクラークは、床を蹴って中空へ跳び上がった。
「ヨハン! 加勢しろ!」
いきなり名指しされた副官は、驚いて問い返す。
「本気なのか、クラーク! こんな少年に!?」
目に見えぬ高速移動で部屋中を飛び回り、クラークは叫ぶ。
「侮るな! 奴はキースシリーズだ! よもや卑怯と言うまいな、キース・レッド!
これは戦いだ、尋常の勝負など存在しない世界だ! 貴様に現実の戦いの恐ろしさを教えてやる!」
轟音が吹き、風となったクラークがレッドへ来襲する。
それを紙一重でかわしたその背後から、六本の腕を持つ、怪物のような重サイボーグが迫る。
それぞれが自在に稼動するアームから逃れるには、道は一つしかなかった。
上へ──。
「やはり跳んだか!」
『グリフォン』の腕で床を叩いて宙へ逃れたレッドの正面にクラークが躍り出る。
「死ね!」
半壊したクラークの腕と、『グリフォン』の腕が正面から激突する。
瞬間、両者は空中で静止した。
振動も移動エネルギーも使い果たした二人に残されたのは、位置エネルギーのみ。
糸の切れた凧のように、両者は見当違いの方向へ墜落する。
「レッドーッ!」
天地が逆さになったレッドの視界に、両手を広げて待ち構えるセピアの姿が映る。
「セピア!」
レッドはその名を呼び、その名の元に降りる。身をよじって体勢を整え、万全の状態で。
着地したレッドの後方より、セピアが近づいてくる。
「レッド!」
クラークは言った。『外在的な力を取り込むことで強くなることが、サイボーグの本質である』、と。
一人では生きていけないから。一人ではこの残酷な世界に立ち向かえないから。
人はどこまで行っても結局は一人なのだと、レッドは思う。だから、孤独に耐える力を得なければならない。
だが、それでも、自分だけでは辿り着けない世界がある。
だから、このぎりぎりの状況で、クラークは副官を呼んだ。孤独の限界を、心では分かっていたから。
セピアもまた、虚弱さゆえにそのことを強く理解していたのだろう。
一人でやらなければならないこともある。そして、一人ではできないこともある。
ならば、一人でも戦える力を求めて、それでも届かぬ瞬間の為に、もう一つの力を求めなければならない。
それがクラーク・ノイマン少佐にとってはヨハンとかいう副官であり、
そして、キース・レッドにとっては──。
「セピア!」
それはさながら声楽者のように、音を重ねて、より高みの音色を生み出すように。
「力を──オレに力を!」
この瞬間の為に備えていたセピアは、即座にアドバンスドARMS『モックタートル』の能力を最大限に解放し、レッドに注ぎ込んだ。
『ニーベルングの指輪』。世界を支配する黄金で作られた指輪。
それは、それを身に着ける者に眠る輝きを呼び覚ます魔法の指輪──。
「はああぁぁっ!」
超振動を空気に乗せ超音波へと変えて攻撃する、という自分に最適化されたかたちでそれを支配した『グリフォン』は、
そこに『モックタートル』の力を上乗せした、極限まで加速されたその能力を放射した。
その決して聞こえぬ幻獣の音色に無傷で耐えうる生命など、この世には存在しなかった。
「……何故、殺さない」
機能のほとんどを失いながらもまだ生きていることに疑問を感じ、クラークは訊いた。
それに答えるレッドの言葉は極めてシンプルだった。
「あんたを殺したら、情報を聞き出せないだろう」
クラーク・ノイマン少佐はその言葉を何度か反芻し、悟ったように呟いた。
「……私の負けだ」
「──それで?」
「それでですね、クラーク少佐、実は自分でも情報を漏らした人を調べてたんですって。
で、その調べてる人が誰かに殺されちゃって、ちょうどその後にレッドとあたしが来たものだから、
『こいつらが犯人なんじゃないか』って疑ってたみたいなんです。
で、事件をもみ消すために自分たちを始末しにきた可能性もあるんじゃないかって思ってるのに、
レッドがいきなりケンカ腰だったから、『やっぱりそうなんだ』って」
「そう」
薔薇の花が咲き誇る庭園で、バイオレットはセピアの話に耳を傾けていた。
「でもなんでかその疑いも晴れたみたいで、その調査ファイルを渡してくれたんです。
それをブラックお兄さまに届けて任務完了です。
それにしても、男の子って単純ですね。殴り合って仲良しになれるんだから。
あ、でもでも、わたしレッドのこと凄く見直しました。
なんかカリカリしてるだけの余裕のない人、とか思ってたんですけど、やるときはやるんだな、って」
「ええ、そうね──」
眩しそうにセピアを眺めながら、バイオレットはティーカップに口を付けた。
「で、その事件の詳細は明らかになったのか?」
「ああ。ブラック兄さんがあなたの報告を引き継いで流出の犯人を割り出した」
「誰だ?」
「あなたは知らないだろうが、エグリゴリのサイボーグ研究の第一人者、デューイ・グラハム博士だ」
さすがに驚いたレッドは、口を付けていたコーヒーカップを下ろす。
「第一人者がそんなことしてんのか?」
「彼は貪欲に臨床データを求めていたらしい。データ採取と引き換えに、誰彼構わずに技術を提供していたようだ」
「……なんつー執念だよ」
「ブラック兄さんはその臨床データの重要性を認め、博士に罰を下さなかった。それで決着さ」
「へっ、結果さえあれば後は野となれ山となれ、ってか。いけ好かねえやりかただ」
不服そうに横を向くレッドへ、バイオレットが不思議なものを観察するような視線を向ける。
「しかし、意外だな」
「なにがだよ?」
「セピアはあなたのことを褒めちぎっていたわ。彼女はああ見えて警戒心が強い。
皮膚感覚が敏感だからな。どうやって心を開かせたんだ?」
「どうって──」
「ま、いいさ。あなたとセピアが仲良くやっているなら、わたしには言うことがない。
『居候だから料理くらいは覚える』と言って、料理書を探していたぞ」
「……居候? あいつ、居着くつもりなのか?」
「可愛い妹じゃないか」
頭を抱えるレッドを眺めながら、バイオレットはコーヒーをすすった。
が、すぐに顔をしかめて口を離す。
「この店も駄目か。ロクなエスプレッソマシンじゃないわね」
第六話『音』 了
刃の折れたレッドの『グリフォン』は、手に生える爪だけが最後の武装だった。
身体中を走る痛みに耐え、持てる死力を尽くして腕を振るう。
だが、そのすべてを嘲笑うように、クラークはそれをかわし、的確に攻撃を叩き込んでくる。
その一発一発は鉛のように重く、なんども意識が飛びかけた。
ぎりぎりの最後の一線でレッドを支えているのは、意地だった。
「さすがにしぶといな……ARMSの自己修復能力とは大したものだな」
感心したように嘆息するクラークに向けて、爪を立てようとするが、
「遅い」
その腕を絡めとられ、そこに内臓が引っくり返るような衝撃波を叩き込まれた。
身体が痺れるような感覚、ばらばらになってしまいそうな痛み。
クラークがゆっくりその腕を広げると、レッドはずるずると力なく床に滑り落ちた。
「もう立てまい。所詮ARMSといっても、貴様の身体の大部分は生身なのだ。私の攻撃に耐えられるわけがない。
貴様は私の攻撃手段すらつかんでいないのだろう?」
意識がぼやけ始めたレッドの頭上に、クラークがその影を落とす。
「その脆弱な生身を否定するのが、サイボーグだ。貴様は、サイボーグの本質を理解しているか?
人が生命体である以上、肉体というハードウェアの制約からは逃れられない。
病気になれば死ぬし、血を流しすぎても死ぬ。それは他の下等生物と変わらない、如何ともしがたい点だ。
だが、幸いにして人には知性があった。
知性を具現化した『科学』という名の外在的な力を取り込むことで、ハードウェアの問題を部分的に解決したのが、サイボーグだ。
『代替可能であること』を生命の本質とする観点に立てば、サイボーグこそ現在最も進化した生命体なのだ」
その言葉も、レッドにはおぼろげにしか聞こえていなかった。ひどい耳鳴りがして、視界はぐるぐる回っていた。
「だが、サイボーグも不完全な存在だ。肉体のパッチワークにも限度がある。
現行のサイボーグでは、『死』を超越することは不可能だ。
それを解決する術が、炭素と珪素のハイブリッド生命体『ARMS』であり、次世代型サイボーグ『ネクスト』なのだ。
そう遠くない将来、死から解き放たれた新人類が地球を支配するだろう。
今はその過渡期だ。あらゆるいっさいのものはその礎となり、喜んでその身を捧げるべきなのだ。
誉れある新世界への『ヴィクティム』として」
(なに言ってんだか分かんねーよ──シルバーといい、こいつといい、エグリゴリは講釈好きの集まりか……?)
レッドは胸中で毒づくが、しかし状況は最悪だった。
どっちを向いても、逃れることのできない死の運命が待っていた。
ついてないな、となんとなく思う。
ここ最近はずっと最悪続きだった。
それはちょうど、セピアと出会ってしまった辺りからだろうか。
(──あー、あいつ、オレの疫病神だったのか)
「もう聞こえていないか? すぐに楽にしてやろう」
視界はほとんど消えかかっており、その闇の中で、ぶん、と蝿の羽音がした。
(蝿──?)
その疑問より一拍おいて、ある認識がレッドの意識を満たす。
(そうか……こいつ……)
だとしたら、これほどしっくり来る結末は無いように思えた。
今さらクラークの攻撃手段を見破ったところで、もう反撃する力など残っていない。
それに、疲れた。
ずっと戦い尽くめだったのだから、休みを貰ってもいいところだ。
首を巡らせて、セピアの姿を探す。それはすぐに見つかった。
ほとんど見えなくなったこの目にも、彼女の姿だけはなぜかはっきりと分かった。
(あばよ、オレの疫病神)
「さらばだ」
クラークの拳が胸に叩き込まれる。瘧のようにがくがく揺れる身体は、死線に近づいていた。
意識から音が遠のいてゆく。絶望的にかすむ視界のなか、そこに映るセピアは、
「────!」
何事かを叫んでいた。
(……なに言ってんだか分かんねーよ)
そして、ふと気がついた。自分がなかなか死なないことを。
「……馬鹿な!」
そんな野太い声がレッドの耳に届く。そちらに目をやると、鉄面皮と思っていたクラークの顔面がくしゃくしゃに歪んでいた。
遠のきかけていた意識が明晰なレベルにまで復活する。
今や、セピアの声もはっきりと聞こえていた。
「負けないで! レッド!」
(──力。力が、欲しい)
切実に、そう思った。
勝つために。勝利を得るために。
その思いに任せて、右腕を振る。再生していた『グリフォン』のブレードが、クラークの拳を切り落とした。
「なにっ!」
驚くクラークを足で蹴飛ばし、身を起こす。満身創痍だったが、まだ戦えそうだった。
「レッド!」
メガネを外し、涙の溜まった目をごしごしこすりながら、セピアは歓喜の声を上げる。
「黙ってろ、って言ったのによ」
「あ、ごめ──」
「しかもあんた、使っただろ。『ニーベルンゲの指輪』をよ」
「あ、あの、ごめ」
あからさまにしょぼんとするセピアへ、レッドは短く告げる。
「ま、いーけどよ」
「え」
聞き間違えたと思ったのか、うなだれていた首をがばっと持ち上げ、レッドを凝視する。
「だがな、今は使わなくていい。まだそのときじゃない。あんたの力を借りるのは、後だ。分かるか?」
「分かる、と思う」
その向こうでは、クラークの放つ圧力が極限まで膨れ上がっていた。
「そうか。それなら……今だけでいい、オレを信じろ。オレは負けない」
根元から折れたブレードも、いつしか再生していた。
「なぜなら、オレは勝つからだ」
そう言い残し、レッドは三度クラークへ飛び掛った。
同じくこちらへ向かってくるクラークとの交差の瞬間、
「貴様、私の攻撃に気がついたのか?」
「さあな」
すれ違いざまにクラークの右の腹を切り裂く。
だが同時に、その刃には深い亀裂が走っていた。
「もはや躊躇も油断もせん。私の最大最速で貴様を倒す!」
脳内の加速装置のリミットを解放したクラークは、もはや視認できない速度でレッドへと突進してくる。
反射的に胴体をガードしたブレードは、無残にも一撃で砕け散った。
クラークは止まらない。〇,一秒の停滞も無く、連続的にレッドへと容赦の無い攻撃を叩き込む。
ぼろきれのように舞うレッド、だが、人智を超えたスピードで繰り出される攻撃は、彼に倒れることを許さない。
だが、それでも、レッドの瞳は光っていた。なにかを狙うように、絶え間なく開かれていた。
これだけの威力で攻撃しているのにもかかわらず、レッドは生きていた。
「やはり気がついているな! だが!」
分厚い左の掌低をモロに食らい、レッドは壁に叩きつけられた。
「だが、貴様に戦況を打開することは不可能のようだな! 先ほどとどこが違う! この私に手も足も出ないではないか!」
冷静そのものだった仮面を脱ぎ捨て、クラークは咆哮していた。
それこそが、先に自分で言った『肉体というハードウェアの限界』の証左であることに、彼は気づいているのだろうか。
セピアは口元を押さえてそれを見守っていた。目を逸らさないことが自分の責務であるかのように。なにかを待ち続けているように。
ぼそり、とレッドが呟く。
「……振動」
「なに?」
「振動だよ、あんたのマシンアームに備わっている機能は。
蝿はジェットエンジンに匹敵するする周期で羽を振動させているらしいが、あんたのその腕はきっとそれ以上だろうな」
「……ほう、やはり見抜いていたか。その通りだ。私の腕には試験型の超振動兵器が内蔵されている。
私のデータを元にこの技術はさらに進歩するだろう。『振動』とは物理世界の根源だ。それを制するものが世界を制する」
奇妙に歪んだ笑みを顔に貼り付けながら、クラークはレッドから距離を置く。
「貴様は私の力に気がついた。そしてそのARMSに同種の振動を起こさせて私の攻撃を緩和させていた。
だが……しょせんは泥縄だ。そんなもので、生命を破壊するこの振動を相殺できるわけが無い。
だからこそ、貴様はこうして再び死の淵にあるのだ。そうだろう?」
腰を落とし、最後の攻撃態勢を整える。レッドは壁に背中を張り付けたままぴくりとも動かない。
「さあ、今度こそ楽にしてやろう。もうこれ以上苦しみたくはあるまい」
「ああ、そうだな……もう、充分だ」
クラークはその言葉に頷き、
「そうだろう、安らかに死を受け入れろ」
全速力の加速を、全体重を込め、クラークの震える拳がレッドへと飛んだ。
「──そういう意味じゃねーよ、バーカ」
「なに!?」
次の瞬間には、クラークの破壊的な攻撃がレッドごと壁を破壊し、その周囲は塵に包まれた。
そして、それが晴れたとき──。
「ま、まさか……馬鹿な!」
『グリフォン』の腕が、クラークの拳を掴んでいた。それは、微動だにしていなかった。
「もう充分だって言っただろ?」
クラークは愕然とレッドを見やる。そのこめかみには玉の汗が浮かんでいた。
「完璧に……中和している……」
「なるほど、振動を制するものは世界を制す、か。いい言葉だな、後でメモっておこう。
……いや、まったくこれほどしっくりくる敵には出会ったことがねーよ。
オレの『可能性』を実現させるのに、これほど最適な相手には、よ。こういうのを縁って言うのかね」
理解しがたい、といった風情のクラークに、レッドはにやりと笑って教えてやった。
「オレの『グリフォン』も、振動を操る能力を持っている。だがオレは馬鹿なんでな、その使い方が分からなかったんだよ。
あんたのお陰だ。あんたが直接身体に教えてくれたお陰で、オレはその力を理解した」
「なんだと……自分を追い込むことで、ARMSのさらなる進化を誘発したとでも言うのか?」
ブン、という振動音が響く。だがそれはクラークの発するそれではない。
いや、今もクラークはその腕の振動兵器を最大威力で発動させているのだが、
「貴様……逆の位相の振動を……私の振動を越えて……」
低く唸るその音は次第に高く、やがて耳に捕らえられぬ高周波へと変じてゆく。
「キース・レッドッ!」
がちがち揺れる拳が砕けるその直前に腕を引き抜いたクラークは、床を蹴って中空へ跳び上がった。
「ヨハン! 加勢しろ!」
いきなり名指しされた副官は、驚いて問い返す。
「本気なのか、クラーク! こんな少年に!?」
目に見えぬ高速移動で部屋中を飛び回り、クラークは叫ぶ。
「侮るな! 奴はキースシリーズだ! よもや卑怯と言うまいな、キース・レッド!
これは戦いだ、尋常の勝負など存在しない世界だ! 貴様に現実の戦いの恐ろしさを教えてやる!」
轟音が吹き、風となったクラークがレッドへ来襲する。
それを紙一重でかわしたその背後から、六本の腕を持つ、怪物のような重サイボーグが迫る。
それぞれが自在に稼動するアームから逃れるには、道は一つしかなかった。
上へ──。
「やはり跳んだか!」
『グリフォン』の腕で床を叩いて宙へ逃れたレッドの正面にクラークが躍り出る。
「死ね!」
半壊したクラークの腕と、『グリフォン』の腕が正面から激突する。
瞬間、両者は空中で静止した。
振動も移動エネルギーも使い果たした二人に残されたのは、位置エネルギーのみ。
糸の切れた凧のように、両者は見当違いの方向へ墜落する。
「レッドーッ!」
天地が逆さになったレッドの視界に、両手を広げて待ち構えるセピアの姿が映る。
「セピア!」
レッドはその名を呼び、その名の元に降りる。身をよじって体勢を整え、万全の状態で。
着地したレッドの後方より、セピアが近づいてくる。
「レッド!」
クラークは言った。『外在的な力を取り込むことで強くなることが、サイボーグの本質である』、と。
一人では生きていけないから。一人ではこの残酷な世界に立ち向かえないから。
人はどこまで行っても結局は一人なのだと、レッドは思う。だから、孤独に耐える力を得なければならない。
だが、それでも、自分だけでは辿り着けない世界がある。
だから、このぎりぎりの状況で、クラークは副官を呼んだ。孤独の限界を、心では分かっていたから。
セピアもまた、虚弱さゆえにそのことを強く理解していたのだろう。
一人でやらなければならないこともある。そして、一人ではできないこともある。
ならば、一人でも戦える力を求めて、それでも届かぬ瞬間の為に、もう一つの力を求めなければならない。
それがクラーク・ノイマン少佐にとってはヨハンとかいう副官であり、
そして、キース・レッドにとっては──。
「セピア!」
それはさながら声楽者のように、音を重ねて、より高みの音色を生み出すように。
「力を──オレに力を!」
この瞬間の為に備えていたセピアは、即座にアドバンスドARMS『モックタートル』の能力を最大限に解放し、レッドに注ぎ込んだ。
『ニーベルングの指輪』。世界を支配する黄金で作られた指輪。
それは、それを身に着ける者に眠る輝きを呼び覚ます魔法の指輪──。
「はああぁぁっ!」
超振動を空気に乗せ超音波へと変えて攻撃する、という自分に最適化されたかたちでそれを支配した『グリフォン』は、
そこに『モックタートル』の力を上乗せした、極限まで加速されたその能力を放射した。
その決して聞こえぬ幻獣の音色に無傷で耐えうる生命など、この世には存在しなかった。
「……何故、殺さない」
機能のほとんどを失いながらもまだ生きていることに疑問を感じ、クラークは訊いた。
それに答えるレッドの言葉は極めてシンプルだった。
「あんたを殺したら、情報を聞き出せないだろう」
クラーク・ノイマン少佐はその言葉を何度か反芻し、悟ったように呟いた。
「……私の負けだ」
「──それで?」
「それでですね、クラーク少佐、実は自分でも情報を漏らした人を調べてたんですって。
で、その調べてる人が誰かに殺されちゃって、ちょうどその後にレッドとあたしが来たものだから、
『こいつらが犯人なんじゃないか』って疑ってたみたいなんです。
で、事件をもみ消すために自分たちを始末しにきた可能性もあるんじゃないかって思ってるのに、
レッドがいきなりケンカ腰だったから、『やっぱりそうなんだ』って」
「そう」
薔薇の花が咲き誇る庭園で、バイオレットはセピアの話に耳を傾けていた。
「でもなんでかその疑いも晴れたみたいで、その調査ファイルを渡してくれたんです。
それをブラックお兄さまに届けて任務完了です。
それにしても、男の子って単純ですね。殴り合って仲良しになれるんだから。
あ、でもでも、わたしレッドのこと凄く見直しました。
なんかカリカリしてるだけの余裕のない人、とか思ってたんですけど、やるときはやるんだな、って」
「ええ、そうね──」
眩しそうにセピアを眺めながら、バイオレットはティーカップに口を付けた。
「で、その事件の詳細は明らかになったのか?」
「ああ。ブラック兄さんがあなたの報告を引き継いで流出の犯人を割り出した」
「誰だ?」
「あなたは知らないだろうが、エグリゴリのサイボーグ研究の第一人者、デューイ・グラハム博士だ」
さすがに驚いたレッドは、口を付けていたコーヒーカップを下ろす。
「第一人者がそんなことしてんのか?」
「彼は貪欲に臨床データを求めていたらしい。データ採取と引き換えに、誰彼構わずに技術を提供していたようだ」
「……なんつー執念だよ」
「ブラック兄さんはその臨床データの重要性を認め、博士に罰を下さなかった。それで決着さ」
「へっ、結果さえあれば後は野となれ山となれ、ってか。いけ好かねえやりかただ」
不服そうに横を向くレッドへ、バイオレットが不思議なものを観察するような視線を向ける。
「しかし、意外だな」
「なにがだよ?」
「セピアはあなたのことを褒めちぎっていたわ。彼女はああ見えて警戒心が強い。
皮膚感覚が敏感だからな。どうやって心を開かせたんだ?」
「どうって──」
「ま、いいさ。あなたとセピアが仲良くやっているなら、わたしには言うことがない。
『居候だから料理くらいは覚える』と言って、料理書を探していたぞ」
「……居候? あいつ、居着くつもりなのか?」
「可愛い妹じゃないか」
頭を抱えるレッドを眺めながら、バイオレットはコーヒーをすすった。
が、すぐに顔をしかめて口を離す。
「この店も駄目か。ロクなエスプレッソマシンじゃないわね」
第六話『音』 了