「セピア。今回のオレたちの任務を説明する。エグリゴリのサイボーグ技術の流出疑惑の調査として、
エグリゴリサイボーグ特殊部隊の隊長である、クラーク・ノイマン少佐に尋問を行う。
彼は最新の各種サイボーグを束ねる手練の兵士であり、自身も高機動型サイボーグだ。
ただが尋問だとナメてかかると──って聞いてるのか?」
「聞いてますよー。クラーク少佐にお話を伺うんでしょー♪」
「鼻歌を歌いながら復誦するな! あんた、エグリゴリの任務をなんだと思ってるんだ!?」
「なによう。わたしがお風呂に入ってるのにドアの前でそーゆーこと言うことのほうが、どういうつもりなのか聞きたいわっ」
「あんたが日がな一日風呂に浸かりっぱなしだからだろーが!」
「汚れは乙女の柔肌の大敵なのっ。特にわたしの『モックタートル』にとってはね。
できるだけ清潔にしておいたほうが感度もよくなるのよう」
「勘弁しろよ……」
洗面台にもたれかかりながら、レッドは頭を抱える。
鏡に映った自分の顔は、とても憂鬱そうだった。
ここ最近の日常は、キース・レッドにとってはなはだ不本意なものだった。
その原因ははっきりしている。
レッドの目の前で風呂上りの頬をほんのり桜色に染めメガネを蒸気で曇らせながらベーコンエッグにかぶりつく少女こそ、
レッドにとっての不本意の権化だった。
「なあ、セピアよ」
「んー?」
口をもごもごさせ、だらしのない声を立てるセピア。
「あんた、いったいなんのつもりだ? ここでなにをやっている?」
しばし無言。咀嚼したものを飲み込んで、セピアがしゃべれる状態になるまで、レッドは辛抱強く待たなければならなかった。
「……なにって、お風呂上りに朝ごはん食べてまふ」
「ここはオレのアパートメントだ。あんたには別の住居が用意されているはずだ」
「あ、あれダメ」
きっぱりとセピアは首を振った。そしてオレンジジュースの入ったコップに手を伸ばす。
「なんでだよ」
「日当たりが良くないの。あれだと体の調子が悪くなっちゃうから」
「あんたは観葉植物か!?」
こいつはいったいなんのつもりなんだ?
改めてレッドは自問した。
もしかしたらキース・ブラックかキース・バイオレット辺りの命令で、自分の動向を監視・牽制するお目付け役として
張り付いているのか知れないと一度は疑ったが、そんな馬鹿げた疑いを持続させることは不可能だった。
そうした疑念すら吹き飛ばす我侭勝手ぶりで、レッドを振り回し続けているからだ。
信じがたいが、どうやら自分は『御しやすい相手』として懐かれしまったらしい。
その推測が正しいとしたら、そこから先はたった一つの言葉で表現できる。
最悪、だ。
眉間に指を押し付け、爆発しそうな感情をなんとか押さえつけようとするレッドに、セピアは呑気な声で言い放つ。
「レッドはいつも難しい顔してるねえ」
「誰のせいだと思ってる?」
「しかも怒りっぽいし」
まーこわーい、とかなんとかのたまいながら、デザートのヨーグルトを手元に引き寄せた。
(くそ、ブラックの野郎……手の込んだ嫌がらせだぜ)
カリヨン・タワーの地下には膨大な面積の各種施設が存在する。
サイボーグの実験運用施設もそのうちの一つだ。
軍事方面にコネクションの多いシルバーに頼んでアポイントメントを取り付けてもらったところ、
その殺風景な、というか殺伐とした内装のエリアにて面会を許可された。
パイプラインがミミズのように走る連絡通路を通り抜けながら、レッドは念を押した。
「いいか、分かってるな、セピア」
「はい、分かってるわ。クラーク少佐を拷問してゲロさせるのね?」
「…………」
レッドは足を止め、呆れ返った表情でセピアを見た。
「あれ、違ったっけ?」
ずれたメガネを直しながら、セピアは不安そうに視線を返してくる。
「服装はちゃんとしろ」というレッドのニーズに応え、どこから調達してきたのかダーク系のスーツを身にまとっているが、
外見内面ともにローティーンの悲しさか、どう見ても「OLのコスプレ」としか映らない。
「あんたは黙ってろ。一言も口を利くな。そうすれば、ただの『見た目が幼い女』で済む」
「ちょっと、ちょっとちょっと。それ、どーゆー意味?」
「言葉どおりの意味だ」
これ以上問答する気にもならず、レッドは先へと進んだ。
「あ、待って」
ぱたぱたとローファーを鳴らしながら、セピアが追いすがってくる。
(ブラック……なにを考えている? こんなコブつきでまともに話なんかできるわけねえだろうによ)
レッドの憂鬱はまだ晴れそうになかった。
「まるで話にならないな」
クラーク・ノイマン少佐はそう言って話を打ち切ろうとした。
レッドがまだなにも言っていないにもかかわらず、である。
「こんな嘴の黄色いヒヨコを寄越されて、いったいなにをしゃべれと?
しかもその少女はなんだ? ヨハンよ、エグリゴリはいつからキンダーハイムになったのだ?」
話を振られた傍らの副官も、明らかにプライドが傷つけられているらしく、苦い表情を浮かべていた。
レッドとしても内心「まあ、オレだってそう思うわな」などと半ば納得しかけていたのだが、セピアだけは声を荒げた。
「キ、キンダーハイムですってえ?」
そしてくるりとレッドの方を向き、そっと耳打ちする。
「……キンダーハイムって、なに?」
(おいおい、正気か?)
しかし閉鎖環境で育つことが前提のキースシリーズなら、どれだけの一般常識の漏れがあっても不思議ではない。
「チルドレンハウス、幼稚園。幼児を保育する公的、或いは私的施設だ。黙ってろと言ったぞ、オレは」
「あ、ごめんなさい。……っていうか、誰がキンダーハイムよっ。わたし、もう子供じゃないもん」
「黙ってろ」
「ごめんなさい」
やっと静かになったセピアから目を背け、眼前のクラークへ向き直る。
「なあ、クラーク少佐、あんたの気持ちも分かる。ただな、オレもガキの使いで来てるんじゃねーんだ。
あんたらのボスでもある、キース・ブラックの命令なんだよ。話だけでも聞いてくんねーかな」
「ならばミスター・ブラックを連れて来い。シルバーから話を聞いたときは、貴様のような子供が来るとは聞かされなかったぞ」
その声には、武人としての明確な自負が込められていた。
自分と対等のものでなければ、決して本音を明かさない、そんな矜持が、この男の機械化された体躯には漲っていた。
「オレとはまともに口も利けねえ、か」
「その通りだ。今からでも遅くはない、せめてキース・シルバーを──」
「断る」
レッドは、自分でも驚くくらい決然とした口調でそう告げていた。
「なんだと? 貴様、自分の言っていることを理解しているのか?
キースシリーズ──ミスター・ブラックの弟だからとて、自分が偉くなったつもりなのか?」
見るものを射すくめるような視線をレッドに向け、クラークは厳粛に言葉を発した。
「勘違いするな。貴様は私の認めた戦士ではない。虎の威を借りる狐に話すことなどなにもない」
それを苛立たしげに眺めていたレッドは、
「ふーん。要するに、よ──」
コアを開放し、『グリフォン』を発動させる。
「オレが虎だってことをあんたに教えてやりゃいいのか?」
ひゅ、と空気を斬り、クラークの喉元にブレードを突きつけた。
クラークは不適に笑い、その刃をつかむ。鋼鉄の腕につかまれたそれは、軋んだ音を立てた。
「大きな口は叩かないほうがいい。それは戦士の格を下げる恥ずべき行為だ」
「ね、レッド、やめようよ。こんなことしても、意味ないよ」
「オレの意味をあんたが決めるなよ。オレはあいつに勝って、情報を吐き出させる」
「でも」
「黙ってろって。もう二度と言わねーぞ」
「うー」
下唇を噛んで上目がちに睨むセピアを捨て置き、レッドは足を踏み出した。
三階分の吹き抜け構造となっているフロアの中央で、レッドはクラークと向き合う。
「本気なのか、小僧」
「オレぁいつだって本気だぜ」
「そうか。ならばなにも言うまい。貴様が真に戦士であるなら、私にそれを示してみせろ。
ヨハン! 貴様とそこの少女が立会いとなれ。この戦いでどちらが命を落とそうとも、すべて合意の上だとな!」
その言葉に、副官は重く頷く。
「おいおい、いいのかよ。こういうのはこっそりやるもんじゃねえのか?
同じ組織の人間同士が好き勝手に殺し合ったら、体制が滅茶苦茶になるぜ」
クラークの圧倒的なプレッシャーに気圧され、二、三歩下がりながら、レッドはそう軽口を叩いてみせる。
「構うものか。それに私はミスター・ブラックの性格を良く知っている。
誰かに負けるようなキースなど、新人類のモデルたるキースシリーズに相応しくないと思うだろう」
そして、機械の腕を掲げる。肌にびりびりと来るようなプレッシャーがレッドを襲った。
「勝てないキースは……ただの人間(キース)だ」
「ああ……そうかよ!」
言いざま、レッドはクラークに飛び掛った。
刃と化した両腕を交差させ、クラークの腕を狙う。
だが、クラークはその鈍重そうな長身に似合わず、実に軽やかな動きでそれを避けた。
そこに追い討ちを掛けるように、二度、三度とレッドはブレードを振り回してクラークに追いすがる。
(相手はオレを舐めてかかってる……高機動モードに切り替えられたら厄介だ、その前に戦闘不能にさせる!)
クラークはレッドの攻撃を回避することに専念しているようで、一切攻撃を仕掛けてこない。
この猛攻に攻めあぐねているのだと踏んだレッドは、さらに攻撃の手を早める。
一歩ずつ、クラークが後ずさる。時に踏み込んでくることもあったが、それがレッドの誘いだと察しているのか、
決定的なレッドの攻撃圏内には決して足を踏み入れようとしなかった。
このままレッドのスタミナ切れを待つつもりなのだろうか、だが──。
とん、とクラークの背が壁に当たる。ずるずると移動していた戦闘領域は、クラークを壁際まで追い詰めたのだった。
逃げ道を封じた今となっては、高機動モードに突入されても即座に対応できる。
「もらった!」
わき腹の辺りに隙を見出したレッドは、そこに目掛けて右のブレードを突き出す、
「ふん、この程度か」
だがその刃はクラークの右手に容易に捕らえられ、
「脆いな」
花でも摘むかのような緩やかな仕草で、硬化されているARMSのブレードを断ち折った。
「なに──」
「失望させるな。この程度が、かのARMSなのか?」
驚愕の表情に歪むレッドの顎を、鋼鉄の拳が殴り飛ばした。
「ぐうっ!」
レッドの頭部ががくんと揺らぐ。いくらマシンアームだからとて、ただ殴られただけでは到底受け得ない衝撃だった。
(こいつ、腕になにか仕込んでやがる!)
咄嗟に背後へ跳躍し、第二撃を凌ぐ。そこへさらに突っ込んでくるクラーク。
形勢は逆転した。今度は、レッドが防戦一方になる番だった。
「どうした。私はまだ通常の速度なのだぞ」
言いながら、休むことなく拳を繰り出してくる。汗もかかず、ほとんど無表情に。
かなり無理矢理な軌道から腕を伸ばしてくるにもかかわらず、体の軸はまったくブレてなかった。
まさにサイボーグという言葉が似つかわしい、およそ人間離れした有様だった。
しかも、その避けきれない攻撃をARMSで受ける度に、その部分のナノマシンが崩れてゆく。
七度目の攻撃を貰ったころには、左のブレードも根元から折れて床に散った。
「くそ──」
それを目で追った一瞬、レッドは致命的な隙を晒してしまった。
すぐさまそのことに気づくがすでに遅く、ガラ空きの腹に強烈な一撃を見舞われた。
無様に床を転がり、何メートルも向こうに弾き飛ばされる。ごふ、と口から血を吐いた。
「レッド! レッド!」
セピアの悲鳴がすぐ近くに聞こえた。虚ろな視線をめぐらせると、セピアが半泣きになりながら駆け寄ってくるところだった。
「だ、だだ大丈夫!? でも分かったの、あの人の力の秘密は──」
「黙れ!」
レッドの怒鳴り声に、セピアはびく、と身を怯ませた。だが、恐るおそるレッドへと手を差し伸べる。
「レッド、力が欲し──」
「黙れっつってんだろうが! オレに触るな!」
「え、でも」
「いいか、オレは黙れと言った! そのクソったれのARMSでオレに触るな! オレはオレの力で勝つ!」
「無理しないでその少女の力を借りたらどうだ。貴様の弱さを補う『なにか』を、持っているのだろう?」
こつこつと歩み寄りながら、クラークが告げる。
「うるせえ、よ」
がくがくと震える足に活を入れ、なんとか立ち上がる。
「オレは勝つんだ。今度こそオレ一人の力で……」
熱に浮かされたようにぶつぶつと唱えるレッドを見て、クラークは眉をひそめる。
「……貴様は、戦士ではないな」
「なんだと──」
「そうだろう? 勝つ見込みもなく戦いに赴くのは戦士ではない」
「ふざけろ、勝てる戦いしかしないのが、あんたの言う戦士なのか?」
クラークは大きな素振りで首を横に振った。言葉の通じぬ未開の蛮人にそうするように。
「では聞くが、貴様の勝利とはなんだ?」
オレの、勝利──。
レッドの脳裏にその言葉がこだまする。
キース・レッドの求めるもの。キース・レッドにとっての勝利。
いつかの問いが再び首をもたげる。
(オレはいったいなんなんだ──?)
だが、今は戦うしかない。戦って勝たねば、失敗作という烙印が待っている。
オレは負けない、負けないために戦う。
過去現在未来すべての時点において、たった一人で生きていくために。
「おおおおぉぉっ!」
迷いを振り払うように、レッドは両足に力を込め、床を蹴った。
キース・シルバーの言葉が甦る。
『理性と闘争本能を併せ持つ人間だけが、敵に価値を見出し、それを殺すことで己の価値を高めることができるのだ』
かくして、キース・レッドは戦いの世界に再び没入する。
『戦士』クラーク・ノイマン少佐を殺すために。彼を殺して戦士という価値を奪い取るために。
第五話『力』 了
エグリゴリサイボーグ特殊部隊の隊長である、クラーク・ノイマン少佐に尋問を行う。
彼は最新の各種サイボーグを束ねる手練の兵士であり、自身も高機動型サイボーグだ。
ただが尋問だとナメてかかると──って聞いてるのか?」
「聞いてますよー。クラーク少佐にお話を伺うんでしょー♪」
「鼻歌を歌いながら復誦するな! あんた、エグリゴリの任務をなんだと思ってるんだ!?」
「なによう。わたしがお風呂に入ってるのにドアの前でそーゆーこと言うことのほうが、どういうつもりなのか聞きたいわっ」
「あんたが日がな一日風呂に浸かりっぱなしだからだろーが!」
「汚れは乙女の柔肌の大敵なのっ。特にわたしの『モックタートル』にとってはね。
できるだけ清潔にしておいたほうが感度もよくなるのよう」
「勘弁しろよ……」
洗面台にもたれかかりながら、レッドは頭を抱える。
鏡に映った自分の顔は、とても憂鬱そうだった。
ここ最近の日常は、キース・レッドにとってはなはだ不本意なものだった。
その原因ははっきりしている。
レッドの目の前で風呂上りの頬をほんのり桜色に染めメガネを蒸気で曇らせながらベーコンエッグにかぶりつく少女こそ、
レッドにとっての不本意の権化だった。
「なあ、セピアよ」
「んー?」
口をもごもごさせ、だらしのない声を立てるセピア。
「あんた、いったいなんのつもりだ? ここでなにをやっている?」
しばし無言。咀嚼したものを飲み込んで、セピアがしゃべれる状態になるまで、レッドは辛抱強く待たなければならなかった。
「……なにって、お風呂上りに朝ごはん食べてまふ」
「ここはオレのアパートメントだ。あんたには別の住居が用意されているはずだ」
「あ、あれダメ」
きっぱりとセピアは首を振った。そしてオレンジジュースの入ったコップに手を伸ばす。
「なんでだよ」
「日当たりが良くないの。あれだと体の調子が悪くなっちゃうから」
「あんたは観葉植物か!?」
こいつはいったいなんのつもりなんだ?
改めてレッドは自問した。
もしかしたらキース・ブラックかキース・バイオレット辺りの命令で、自分の動向を監視・牽制するお目付け役として
張り付いているのか知れないと一度は疑ったが、そんな馬鹿げた疑いを持続させることは不可能だった。
そうした疑念すら吹き飛ばす我侭勝手ぶりで、レッドを振り回し続けているからだ。
信じがたいが、どうやら自分は『御しやすい相手』として懐かれしまったらしい。
その推測が正しいとしたら、そこから先はたった一つの言葉で表現できる。
最悪、だ。
眉間に指を押し付け、爆発しそうな感情をなんとか押さえつけようとするレッドに、セピアは呑気な声で言い放つ。
「レッドはいつも難しい顔してるねえ」
「誰のせいだと思ってる?」
「しかも怒りっぽいし」
まーこわーい、とかなんとかのたまいながら、デザートのヨーグルトを手元に引き寄せた。
(くそ、ブラックの野郎……手の込んだ嫌がらせだぜ)
カリヨン・タワーの地下には膨大な面積の各種施設が存在する。
サイボーグの実験運用施設もそのうちの一つだ。
軍事方面にコネクションの多いシルバーに頼んでアポイントメントを取り付けてもらったところ、
その殺風景な、というか殺伐とした内装のエリアにて面会を許可された。
パイプラインがミミズのように走る連絡通路を通り抜けながら、レッドは念を押した。
「いいか、分かってるな、セピア」
「はい、分かってるわ。クラーク少佐を拷問してゲロさせるのね?」
「…………」
レッドは足を止め、呆れ返った表情でセピアを見た。
「あれ、違ったっけ?」
ずれたメガネを直しながら、セピアは不安そうに視線を返してくる。
「服装はちゃんとしろ」というレッドのニーズに応え、どこから調達してきたのかダーク系のスーツを身にまとっているが、
外見内面ともにローティーンの悲しさか、どう見ても「OLのコスプレ」としか映らない。
「あんたは黙ってろ。一言も口を利くな。そうすれば、ただの『見た目が幼い女』で済む」
「ちょっと、ちょっとちょっと。それ、どーゆー意味?」
「言葉どおりの意味だ」
これ以上問答する気にもならず、レッドは先へと進んだ。
「あ、待って」
ぱたぱたとローファーを鳴らしながら、セピアが追いすがってくる。
(ブラック……なにを考えている? こんなコブつきでまともに話なんかできるわけねえだろうによ)
レッドの憂鬱はまだ晴れそうになかった。
「まるで話にならないな」
クラーク・ノイマン少佐はそう言って話を打ち切ろうとした。
レッドがまだなにも言っていないにもかかわらず、である。
「こんな嘴の黄色いヒヨコを寄越されて、いったいなにをしゃべれと?
しかもその少女はなんだ? ヨハンよ、エグリゴリはいつからキンダーハイムになったのだ?」
話を振られた傍らの副官も、明らかにプライドが傷つけられているらしく、苦い表情を浮かべていた。
レッドとしても内心「まあ、オレだってそう思うわな」などと半ば納得しかけていたのだが、セピアだけは声を荒げた。
「キ、キンダーハイムですってえ?」
そしてくるりとレッドの方を向き、そっと耳打ちする。
「……キンダーハイムって、なに?」
(おいおい、正気か?)
しかし閉鎖環境で育つことが前提のキースシリーズなら、どれだけの一般常識の漏れがあっても不思議ではない。
「チルドレンハウス、幼稚園。幼児を保育する公的、或いは私的施設だ。黙ってろと言ったぞ、オレは」
「あ、ごめんなさい。……っていうか、誰がキンダーハイムよっ。わたし、もう子供じゃないもん」
「黙ってろ」
「ごめんなさい」
やっと静かになったセピアから目を背け、眼前のクラークへ向き直る。
「なあ、クラーク少佐、あんたの気持ちも分かる。ただな、オレもガキの使いで来てるんじゃねーんだ。
あんたらのボスでもある、キース・ブラックの命令なんだよ。話だけでも聞いてくんねーかな」
「ならばミスター・ブラックを連れて来い。シルバーから話を聞いたときは、貴様のような子供が来るとは聞かされなかったぞ」
その声には、武人としての明確な自負が込められていた。
自分と対等のものでなければ、決して本音を明かさない、そんな矜持が、この男の機械化された体躯には漲っていた。
「オレとはまともに口も利けねえ、か」
「その通りだ。今からでも遅くはない、せめてキース・シルバーを──」
「断る」
レッドは、自分でも驚くくらい決然とした口調でそう告げていた。
「なんだと? 貴様、自分の言っていることを理解しているのか?
キースシリーズ──ミスター・ブラックの弟だからとて、自分が偉くなったつもりなのか?」
見るものを射すくめるような視線をレッドに向け、クラークは厳粛に言葉を発した。
「勘違いするな。貴様は私の認めた戦士ではない。虎の威を借りる狐に話すことなどなにもない」
それを苛立たしげに眺めていたレッドは、
「ふーん。要するに、よ──」
コアを開放し、『グリフォン』を発動させる。
「オレが虎だってことをあんたに教えてやりゃいいのか?」
ひゅ、と空気を斬り、クラークの喉元にブレードを突きつけた。
クラークは不適に笑い、その刃をつかむ。鋼鉄の腕につかまれたそれは、軋んだ音を立てた。
「大きな口は叩かないほうがいい。それは戦士の格を下げる恥ずべき行為だ」
「ね、レッド、やめようよ。こんなことしても、意味ないよ」
「オレの意味をあんたが決めるなよ。オレはあいつに勝って、情報を吐き出させる」
「でも」
「黙ってろって。もう二度と言わねーぞ」
「うー」
下唇を噛んで上目がちに睨むセピアを捨て置き、レッドは足を踏み出した。
三階分の吹き抜け構造となっているフロアの中央で、レッドはクラークと向き合う。
「本気なのか、小僧」
「オレぁいつだって本気だぜ」
「そうか。ならばなにも言うまい。貴様が真に戦士であるなら、私にそれを示してみせろ。
ヨハン! 貴様とそこの少女が立会いとなれ。この戦いでどちらが命を落とそうとも、すべて合意の上だとな!」
その言葉に、副官は重く頷く。
「おいおい、いいのかよ。こういうのはこっそりやるもんじゃねえのか?
同じ組織の人間同士が好き勝手に殺し合ったら、体制が滅茶苦茶になるぜ」
クラークの圧倒的なプレッシャーに気圧され、二、三歩下がりながら、レッドはそう軽口を叩いてみせる。
「構うものか。それに私はミスター・ブラックの性格を良く知っている。
誰かに負けるようなキースなど、新人類のモデルたるキースシリーズに相応しくないと思うだろう」
そして、機械の腕を掲げる。肌にびりびりと来るようなプレッシャーがレッドを襲った。
「勝てないキースは……ただの人間(キース)だ」
「ああ……そうかよ!」
言いざま、レッドはクラークに飛び掛った。
刃と化した両腕を交差させ、クラークの腕を狙う。
だが、クラークはその鈍重そうな長身に似合わず、実に軽やかな動きでそれを避けた。
そこに追い討ちを掛けるように、二度、三度とレッドはブレードを振り回してクラークに追いすがる。
(相手はオレを舐めてかかってる……高機動モードに切り替えられたら厄介だ、その前に戦闘不能にさせる!)
クラークはレッドの攻撃を回避することに専念しているようで、一切攻撃を仕掛けてこない。
この猛攻に攻めあぐねているのだと踏んだレッドは、さらに攻撃の手を早める。
一歩ずつ、クラークが後ずさる。時に踏み込んでくることもあったが、それがレッドの誘いだと察しているのか、
決定的なレッドの攻撃圏内には決して足を踏み入れようとしなかった。
このままレッドのスタミナ切れを待つつもりなのだろうか、だが──。
とん、とクラークの背が壁に当たる。ずるずると移動していた戦闘領域は、クラークを壁際まで追い詰めたのだった。
逃げ道を封じた今となっては、高機動モードに突入されても即座に対応できる。
「もらった!」
わき腹の辺りに隙を見出したレッドは、そこに目掛けて右のブレードを突き出す、
「ふん、この程度か」
だがその刃はクラークの右手に容易に捕らえられ、
「脆いな」
花でも摘むかのような緩やかな仕草で、硬化されているARMSのブレードを断ち折った。
「なに──」
「失望させるな。この程度が、かのARMSなのか?」
驚愕の表情に歪むレッドの顎を、鋼鉄の拳が殴り飛ばした。
「ぐうっ!」
レッドの頭部ががくんと揺らぐ。いくらマシンアームだからとて、ただ殴られただけでは到底受け得ない衝撃だった。
(こいつ、腕になにか仕込んでやがる!)
咄嗟に背後へ跳躍し、第二撃を凌ぐ。そこへさらに突っ込んでくるクラーク。
形勢は逆転した。今度は、レッドが防戦一方になる番だった。
「どうした。私はまだ通常の速度なのだぞ」
言いながら、休むことなく拳を繰り出してくる。汗もかかず、ほとんど無表情に。
かなり無理矢理な軌道から腕を伸ばしてくるにもかかわらず、体の軸はまったくブレてなかった。
まさにサイボーグという言葉が似つかわしい、およそ人間離れした有様だった。
しかも、その避けきれない攻撃をARMSで受ける度に、その部分のナノマシンが崩れてゆく。
七度目の攻撃を貰ったころには、左のブレードも根元から折れて床に散った。
「くそ──」
それを目で追った一瞬、レッドは致命的な隙を晒してしまった。
すぐさまそのことに気づくがすでに遅く、ガラ空きの腹に強烈な一撃を見舞われた。
無様に床を転がり、何メートルも向こうに弾き飛ばされる。ごふ、と口から血を吐いた。
「レッド! レッド!」
セピアの悲鳴がすぐ近くに聞こえた。虚ろな視線をめぐらせると、セピアが半泣きになりながら駆け寄ってくるところだった。
「だ、だだ大丈夫!? でも分かったの、あの人の力の秘密は──」
「黙れ!」
レッドの怒鳴り声に、セピアはびく、と身を怯ませた。だが、恐るおそるレッドへと手を差し伸べる。
「レッド、力が欲し──」
「黙れっつってんだろうが! オレに触るな!」
「え、でも」
「いいか、オレは黙れと言った! そのクソったれのARMSでオレに触るな! オレはオレの力で勝つ!」
「無理しないでその少女の力を借りたらどうだ。貴様の弱さを補う『なにか』を、持っているのだろう?」
こつこつと歩み寄りながら、クラークが告げる。
「うるせえ、よ」
がくがくと震える足に活を入れ、なんとか立ち上がる。
「オレは勝つんだ。今度こそオレ一人の力で……」
熱に浮かされたようにぶつぶつと唱えるレッドを見て、クラークは眉をひそめる。
「……貴様は、戦士ではないな」
「なんだと──」
「そうだろう? 勝つ見込みもなく戦いに赴くのは戦士ではない」
「ふざけろ、勝てる戦いしかしないのが、あんたの言う戦士なのか?」
クラークは大きな素振りで首を横に振った。言葉の通じぬ未開の蛮人にそうするように。
「では聞くが、貴様の勝利とはなんだ?」
オレの、勝利──。
レッドの脳裏にその言葉がこだまする。
キース・レッドの求めるもの。キース・レッドにとっての勝利。
いつかの問いが再び首をもたげる。
(オレはいったいなんなんだ──?)
だが、今は戦うしかない。戦って勝たねば、失敗作という烙印が待っている。
オレは負けない、負けないために戦う。
過去現在未来すべての時点において、たった一人で生きていくために。
「おおおおぉぉっ!」
迷いを振り払うように、レッドは両足に力を込め、床を蹴った。
キース・シルバーの言葉が甦る。
『理性と闘争本能を併せ持つ人間だけが、敵に価値を見出し、それを殺すことで己の価値を高めることができるのだ』
かくして、キース・レッドは戦いの世界に再び没入する。
『戦士』クラーク・ノイマン少佐を殺すために。彼を殺して戦士という価値を奪い取るために。
第五話『力』 了