『液状と透明 ⑨』
ふと目を覚ますと、そこはベッドの上だった。
「……あれ?」
目の前には閉ざされた淡いピンクのカーテン、かすかに漂う薬品の匂い、
「あーっと……保健室? なの、かな」
目覚めたての重い記憶を揺さぶり、この状況の前後関係を再構築しようと努める。
確か、自分はあの謎の男子生徒から追っかけられて、そしてその仲間らしい二人の教師にも──そして──、
「──あ!」
がばっと起き上がる。
なにか妙に涼しいので胸元を見ると、なぜかセーラー服の上着だけが消えてなくなっていて、
花柄レースで縁取られたシュミーズの白さだけが目に入っていた。
「うぇ……なんで……?」
「お目覚めかしら、静・ジョースターさん」
カーテンの向こう側から、そんな声が聞こえてきた。とても落ち着いた、色っぽい感じの女性の声。
誰だか分からないが、とりあえず素直に返事をする。
「あ、はい。お目覚めです。……保健の先生ですか?」
「いいえ。彼女は煙草を買いに出かけたわ」
つまりこの人は留守番かなにかだろうか。
「私は壱原侑子よ。よろしくね」
「あ、はい」
「ところで……大変だったでしょう。大の男三人に追い掛け回されて」
「え」
言葉の意味を受け取りそこね、一瞬のフリーズ。──再起動。
「え、あの、ご存知なんですか!?」
「そうね。でももう安心よ。貴女はその奇妙な運命の巡り合わせから外れかけている。
事態は、もはや貴女を必要としない局面にまで発展しているのだから」
と、カーテンの向こうの侑子が言う。
「貴女は、ここで事態が収束するのを待っていればいいわ。それが一番安全」
彼女の言っていることは所々分からないが、つまり「ここは安全な場所だからもう心配はいらない」という意味なのだろう。
だが──。
「あの……侑子さん」
「なにかしら?」
「わたし、どうしてあの人たちに──」
「貴女が知る必要はないことよ」
ぴしゃりと遮られた。それこそ、有無を言わせぬ勢いで。
「それを知ると、もう引き返せなくなる。彼らが関わっているのは、そういう危険なことなの。
この事態が終わりを迎えたら、もう貴女に関わることもなくなるでしょう。犬に噛まれたとでも思って忘れなさい。
あの都市伝説くんも、そう願って無理矢理に貴女をこの事態から引きずり出したのよ」
「でも」
分けも分からず、静は言い返していた。
「でもわたし、知りたいんです。あの人たちは、なにを知ろうとしていたのか」
そのたった一つの欲求を裏付けるように、後から言葉が湧き出てくる。
「わたし、ある男の子と知り合いになりました。その人は変身ヒーローで、この街を守っているんです。
この学校には『恐ろしい怪物』が潜んでいるって言っていました。今、この街にはなにが起こっているんですか?」
「それこそ貴女には関係のないことよ。
『怪物』を狩るのは王子様の仕事。『どうして私は攫われるんだろう?』と考えるお姫様なんていないわ」
聞き分けのない子供を言い含めるような、優しくも容赦のない声。だが……怯まない。
「わたし、お姫様なんかじゃありません。わたしはこの街で生まれました。
でも、本当の親の顔を知りません。この街を知りません。知りたいんです。この街のことを。
『わたしはいったい誰なのか』を」
しばらくの穏やかな沈黙。
ややあって、カーテン越しに「ふう」という諦めたような、だがどこか微笑ましく感じているような溜め息。
「『時よ止まれ』、ね──」
「……え?」
「『この世界を知る』、たったそれだけのために魂を売った男に、悪魔がその気高さを讃えたセリフよ。
ある意味、貴女にとって因縁のあるフレーズでもあるわ」
「はあ」
「そして、その男は……最終的にその悪魔をも出し抜いた。魂を差し出す契約を反故にしたのよ。
『知る』こということの本質は、それだけ苛烈なことよ。
世界に己の心をどこまでも溶かしてゆき、しかしてなお煮詰まることすら許さず、瑞々しくあらねばならない──」
「……ジャム作りみたいな話ですね」
なんとなくの静の雑感だが、侑子はさもありなんという風に同意。
「そうね。まさしくその通りだわ。──もしも貴女にその心があるのなら、私に願いなさい。
私の口から全てを教えることはできないけれど、貴女の『知りたい』という気持ちを、その行動を助けることはできる」
静の視線がしばしカーテンの布地の上を彷徨い──『それ』を口にする。
「屋上で出会ったあの人の名前を、そして彼が今どこにいるのかを」
「それを教えるには『対価』が必要よ。でも……貴女は既に差し出しているわね」
「対価」と聞いてちょっと怖気づいた静だったが、あっさりとひっくり返ったので目を丸くする。
「へ? なにか出しました?」
「彼の『秘密』の対価はやはり『秘密』──『貴女という存在』にまつわるトピックス、確かに受け取ったわ」
そして厳かに、高らかに宣言される侑子の声。
「その『願い』──叶えましょう」
「……あれ?」
目の前には閉ざされた淡いピンクのカーテン、かすかに漂う薬品の匂い、
「あーっと……保健室? なの、かな」
目覚めたての重い記憶を揺さぶり、この状況の前後関係を再構築しようと努める。
確か、自分はあの謎の男子生徒から追っかけられて、そしてその仲間らしい二人の教師にも──そして──、
「──あ!」
がばっと起き上がる。
なにか妙に涼しいので胸元を見ると、なぜかセーラー服の上着だけが消えてなくなっていて、
花柄レースで縁取られたシュミーズの白さだけが目に入っていた。
「うぇ……なんで……?」
「お目覚めかしら、静・ジョースターさん」
カーテンの向こう側から、そんな声が聞こえてきた。とても落ち着いた、色っぽい感じの女性の声。
誰だか分からないが、とりあえず素直に返事をする。
「あ、はい。お目覚めです。……保健の先生ですか?」
「いいえ。彼女は煙草を買いに出かけたわ」
つまりこの人は留守番かなにかだろうか。
「私は壱原侑子よ。よろしくね」
「あ、はい」
「ところで……大変だったでしょう。大の男三人に追い掛け回されて」
「え」
言葉の意味を受け取りそこね、一瞬のフリーズ。──再起動。
「え、あの、ご存知なんですか!?」
「そうね。でももう安心よ。貴女はその奇妙な運命の巡り合わせから外れかけている。
事態は、もはや貴女を必要としない局面にまで発展しているのだから」
と、カーテンの向こうの侑子が言う。
「貴女は、ここで事態が収束するのを待っていればいいわ。それが一番安全」
彼女の言っていることは所々分からないが、つまり「ここは安全な場所だからもう心配はいらない」という意味なのだろう。
だが──。
「あの……侑子さん」
「なにかしら?」
「わたし、どうしてあの人たちに──」
「貴女が知る必要はないことよ」
ぴしゃりと遮られた。それこそ、有無を言わせぬ勢いで。
「それを知ると、もう引き返せなくなる。彼らが関わっているのは、そういう危険なことなの。
この事態が終わりを迎えたら、もう貴女に関わることもなくなるでしょう。犬に噛まれたとでも思って忘れなさい。
あの都市伝説くんも、そう願って無理矢理に貴女をこの事態から引きずり出したのよ」
「でも」
分けも分からず、静は言い返していた。
「でもわたし、知りたいんです。あの人たちは、なにを知ろうとしていたのか」
そのたった一つの欲求を裏付けるように、後から言葉が湧き出てくる。
「わたし、ある男の子と知り合いになりました。その人は変身ヒーローで、この街を守っているんです。
この学校には『恐ろしい怪物』が潜んでいるって言っていました。今、この街にはなにが起こっているんですか?」
「それこそ貴女には関係のないことよ。
『怪物』を狩るのは王子様の仕事。『どうして私は攫われるんだろう?』と考えるお姫様なんていないわ」
聞き分けのない子供を言い含めるような、優しくも容赦のない声。だが……怯まない。
「わたし、お姫様なんかじゃありません。わたしはこの街で生まれました。
でも、本当の親の顔を知りません。この街を知りません。知りたいんです。この街のことを。
『わたしはいったい誰なのか』を」
しばらくの穏やかな沈黙。
ややあって、カーテン越しに「ふう」という諦めたような、だがどこか微笑ましく感じているような溜め息。
「『時よ止まれ』、ね──」
「……え?」
「『この世界を知る』、たったそれだけのために魂を売った男に、悪魔がその気高さを讃えたセリフよ。
ある意味、貴女にとって因縁のあるフレーズでもあるわ」
「はあ」
「そして、その男は……最終的にその悪魔をも出し抜いた。魂を差し出す契約を反故にしたのよ。
『知る』こということの本質は、それだけ苛烈なことよ。
世界に己の心をどこまでも溶かしてゆき、しかしてなお煮詰まることすら許さず、瑞々しくあらねばならない──」
「……ジャム作りみたいな話ですね」
なんとなくの静の雑感だが、侑子はさもありなんという風に同意。
「そうね。まさしくその通りだわ。──もしも貴女にその心があるのなら、私に願いなさい。
私の口から全てを教えることはできないけれど、貴女の『知りたい』という気持ちを、その行動を助けることはできる」
静の視線がしばしカーテンの布地の上を彷徨い──『それ』を口にする。
「屋上で出会ったあの人の名前を、そして彼が今どこにいるのかを」
「それを教えるには『対価』が必要よ。でも……貴女は既に差し出しているわね」
「対価」と聞いてちょっと怖気づいた静だったが、あっさりとひっくり返ったので目を丸くする。
「へ? なにか出しました?」
「彼の『秘密』の対価はやはり『秘密』──『貴女という存在』にまつわるトピックス、確かに受け取ったわ」
そして厳かに、高らかに宣言される侑子の声。
「その『願い』──叶えましょう」
静・ジョースターが出て行き、空になった手前側のベッドのカーテンが窓から吹き込む風によってたなびいていた。
ベッドの人の気配はあれど、他は誰も見当たらない室内で、ゴミが散乱してるデスクの上から声がする。
当然だがそこに人はいない。ビールの空き缶、吸殻が山盛りの灰皿、あとはファイルがいくつかと小さなぬいぐるみくらいである。
「秋月貴也くん、起きているかしら?」
そんな侑子の声に応えるのは、
「うーん……初佳さん晩御飯作るの手伝ってよビールばっか飲んでないでさあ……」
という、真ん中のベッドからむにゃむにゃ混じりの罪のない寝言。
「あら」と侑子は声だけで笑い、そして溜め息。先ほどのものとは違い、深刻そうな色を滲ませて。
「やはり……彼女は行ってしまったわ。結局、私の干渉など微々たるものでしかないのね。ねえ、都市伝説くん」
「『全て世は事も成し』……というやつさ。無力だな、お互いに。なあ魔女さん」
というやけに無感動でぶっきらぼうな声が真ん中のベッドから返ってきた。
「そうね、それでも……各々が出来ることをするしかないわ。
──モコナ。サクラを起こしてもらえるかしら。『こっち』より『あっち』のほうが先にカタが付きそうよ。間も無く小狼が目を覚ますわ」
ベッドの人の気配はあれど、他は誰も見当たらない室内で、ゴミが散乱してるデスクの上から声がする。
当然だがそこに人はいない。ビールの空き缶、吸殻が山盛りの灰皿、あとはファイルがいくつかと小さなぬいぐるみくらいである。
「秋月貴也くん、起きているかしら?」
そんな侑子の声に応えるのは、
「うーん……初佳さん晩御飯作るの手伝ってよビールばっか飲んでないでさあ……」
という、真ん中のベッドからむにゃむにゃ混じりの罪のない寝言。
「あら」と侑子は声だけで笑い、そして溜め息。先ほどのものとは違い、深刻そうな色を滲ませて。
「やはり……彼女は行ってしまったわ。結局、私の干渉など微々たるものでしかないのね。ねえ、都市伝説くん」
「『全て世は事も成し』……というやつさ。無力だな、お互いに。なあ魔女さん」
というやけに無感動でぶっきらぼうな声が真ん中のベッドから返ってきた。
「そうね、それでも……各々が出来ることをするしかないわ。
──モコナ。サクラを起こしてもらえるかしら。『こっち』より『あっち』のほうが先にカタが付きそうよ。間も無く小狼が目を覚ますわ」
「馬鹿な! どうしてここに来た!? 僕は君を──!」
姿は見えないが、『確かにここにる』重みを胸の上に感じ、ユージンは叫ぶ。
そう言っている間にも、形相を変えた星火が一足飛びでこちらへ迫る。
「くそ──」
無我夢中で胸の中の『それ』を抱き締め、横に転がる。
星火の狙いは外れ、代わりにユージンの後ろにあった若木が圧し折れる。
「ちょ、ちょっと、どこ触ってるの!? そこダメ、絶対ダメ!」
「仕方ないだろう、見えないんだから」
この緊迫した状況になんという間抜けな会話だ、と呆れ返ったのも束の間で、
「シャアッ!!」
いわゆるマンティコアタイプ──全ての合成人間のルーツである『天から来た者』の一世代コピーである合成人間の、
怪物じみた身体能力を全開にした星火の鋭い爪が二人を襲う。
脚でそれを受け止め、跳ね飛ばす──その反動でさらに転がり、距離をとる。
勢いを付けて立ち上がるころには、なんとか上手い体勢で『見えない』静を抱きかかえることに成功していた。
「……今度は文句ないな?」
「うん……まあ」
触った感じからして、彼女の脚と背中に手が回っており、また彼女もユージンの首に腕を絡ませているようだった。
「その子をこちらに寄越しなさい。いえ──分かったわ。譲歩しましょう。
貴方の用が済むまでは預けてあげる。だからその後は──ね?」
びりびりと殺気を漲らせていてはなんの説得力もないのだが、とにかく星火は猫撫で声を装ってユージンに持ちかける。
「勝手なことを言わないでください」
ユージンが何かを言う前に、静がそう言い放った。
「わたし、あなたに用なんてありません。というか──誰ですか? 邪魔だからどっかへ行って下さい」
つい数秒前の交錯で戦闘能力の差は歴然だろうに、よくもそう言える──内心で舌を巻くユージンだったが、
「──だ、そうだ。僕の方でも状況はすでに変化している。どうあっても貴様には渡せない」
「死ぬわよ? 彼か貴女のどちらかが──なあんて、タルいことは言わないわ。両方ともよ。
静・ジョースターさん、知らないようなら言ってあげるけど、私の目は特別なの。『消えた』貴女を見る事だってできるのよ」
その言葉には虚勢もなにもないだろう、彼女にはそうするだけの能力がある。
だが──、
「本当ですか?」
またも強気に言い放つ。
「だって、あなた、わたしが近づくの見えなかったんですよね。
だから──わたしが天色くんを突き飛ばすのを止められなかった」
「いい加減にしなさい──それでハッタリをかましているつもり?
さっきは不覚を取ったけれど、今は見えているわ。貴女の『消える』能力より、私の知覚能力のほうがわずかに上回っているのよ」
やがてユージンは気づく。静の発言は決して強気から出たものではないことを。
密着した身体からは、その心臓が早鐘を鳴らしていること、そして手足が小刻みに震えてることが感覚されていた。
「天色くん。降ろして」
「なに? おい、それは──」
「出来るって言うなら、見えるって言うなら、やってもらうわ」
「やめろ、あいつの言葉は嘘じゃない。あいつは赤外線を感知できるんだ」
「でも……わたしは天色くんをさっき助けることができたよ。
わたしの『アクトン・ベイビー』なら、きっとその赤外線すらも通り抜けてみせる」
「しかしだな」
そんな、傍目には声音を変えた独り言みたいな馬鹿馬鹿しい言い争いを眺める星火は──内心、ほくそえんでいた。
そう、確かに静・ジョースターの『アクトン・ベイビー』という能力は赤外線すらも透過しつつあった。
だが──完璧ではない。
モノクロの世界の中でも、わずかにちらちらと蠢く陽炎のようなざわめき──それが、『見えない』静・ジョースターの姿だった。
それが大きく動いた瞬間こそが、彼女がユージンの保護から離れた瞬間であり、最初にして最後のチャンスだ。
ユージンによって全否定された『レディ・ゴディバ』という『能力』だが、冷静になって捉えなおしてみれば、それは『使える』能力だった。
戦局を左右する一瞬を自分の意思で拡大できるなら──ユージンは自分の行動を読んでカウンターを合わせてくるだろうが、
それよりも早く静に一撃を食らわせることが出来る。
(なににムキになってるか知らないけれど……そのどうしようもない『甘さ』が命取りよ、静・ジョースターさん)
「いいから離して」
「おい!」
そして、その時は来た。
赤外線探査能力が最大限に発揮された、白と黒の世界。
その中で大きく動く朧な影。
そこのみに意識を集中させ、『レディ・ゴディバ』を発現する。
全てがスローモーションに動く色のない世界。
星火の腕はその『影』を捉え──その、あまりの手応えの軽さに愕然とした。
(これは人体ではない……もっと軽い……布のような……着衣か!)
深海を進むような感覚。認識能力が拡大しても、身体までがそれに追いつくわけではない。
では彼女はまだ──?
ユージンのほうへと意識を移した星火は、そこになにもないことを知る。
(消えた!?)
ミリセコンドの単位で混乱する星火。
幾らなんでも『レディ・ゴディバ』を上回るスピードで動けるわけではない。
すると──残された可能性は──。
星火の赤外線探知能力と、静の『アクトン・ベイビー』のせめぎ合いの結果は、わずかに静の方に傾いていた。
だが、囮とするための衣服を手放すまでは星火にも探知できるレベルに留めおき、その後、ユージンもろともに──。
そこまで考えたところで、星火を自分に接近する『見えない』気配を察知する。
ギリギリの判断で自ら後ろののけぞる彼女の顎を、神速の蹴りが捉え──振り抜かれた。
「ぐぅっ……!」
辛うじて致命傷は免れ、だがその衝撃で後ろに吹き飛ばされる。
校庭の土に背中を擦りつけ、それでも即座に飛び起きる。
そこに殺到する『見えない』足音──音だけは一人分、だが重さは二倍。
「しがみついていろ、静さん!」
その言葉の意味するところは、すなわちユージンは彼女を安定して支えることを放棄しているということで、つまり──、
自由になったユージンの左腕が星火の肩口に突き刺さり、その掌から分泌される『リキッド』が星火の体組織と急激に反応し、
──爆発した。
「ぐ、ぐうう……」
吹き飛んだ己の腕には目もくれず、星火は全力で後退する。
あの必殺とも言える『リキッド』を、腕一本の被害で済ませたのは『レディ・ゴディバ』による超反応の賜物だろう。
そして、今度は『見える』姿を察知する。
「優、どこだ!? 生きてんのか!?」
「あの女の人が怪我してるっぽいからー、まだ大丈夫みたいだよねえ」
『異世界人』──黒鋼とファイ。
(さすがに……こりゃ無理だわ)
荒げる呼吸を整え、出来る限り静かに声を絞り出す。
「お互いに……手詰まりということかしら?」
「……だろうな」
と、『見えない』声。
さっきの攻撃は、ユージンにとっても残る全力を尽くした最後のチャンスだったのだろう。
「そこの異世界人さんたちがここに来れたということは……」
無事な右腕で黒鋼とファイを指差す。
「『ダーク・フューネラル』がどうにかなっちゃってことで……そっちも心配だから私、帰ってもいいかしら?」
返事はない……と言うか、
「おい、大きな声で言えばいいだろう。……なに? 腰が抜けて声が出ない? 腕?
あのくらい、合成人間にとっては致命傷でもなんでもない。向こうだってピンピンしてるだろう」
とかなんとか、どこか情けなさそうなユージンの声がどこからか聞こえ、咳払い、
「……貴様が退くことに異論はない──というようなことを彼女は言っている」
さっきまで血みどろの死闘を演じてたことが馬鹿馬鹿しくなるような返答だった。
くすり、と笑ってもいいような場面だが、星火は笑わず、しかし口調だけは軽いノリで、
「私に一杯食わせるなんて、可愛い顔してなかなかやるじゃない? 貴女がしてくれたこと……決して忘れないわ」
その言葉を最後に、星火の姿は月に舞い、そして闇に潜っていった。
姿は見えないが、『確かにここにる』重みを胸の上に感じ、ユージンは叫ぶ。
そう言っている間にも、形相を変えた星火が一足飛びでこちらへ迫る。
「くそ──」
無我夢中で胸の中の『それ』を抱き締め、横に転がる。
星火の狙いは外れ、代わりにユージンの後ろにあった若木が圧し折れる。
「ちょ、ちょっと、どこ触ってるの!? そこダメ、絶対ダメ!」
「仕方ないだろう、見えないんだから」
この緊迫した状況になんという間抜けな会話だ、と呆れ返ったのも束の間で、
「シャアッ!!」
いわゆるマンティコアタイプ──全ての合成人間のルーツである『天から来た者』の一世代コピーである合成人間の、
怪物じみた身体能力を全開にした星火の鋭い爪が二人を襲う。
脚でそれを受け止め、跳ね飛ばす──その反動でさらに転がり、距離をとる。
勢いを付けて立ち上がるころには、なんとか上手い体勢で『見えない』静を抱きかかえることに成功していた。
「……今度は文句ないな?」
「うん……まあ」
触った感じからして、彼女の脚と背中に手が回っており、また彼女もユージンの首に腕を絡ませているようだった。
「その子をこちらに寄越しなさい。いえ──分かったわ。譲歩しましょう。
貴方の用が済むまでは預けてあげる。だからその後は──ね?」
びりびりと殺気を漲らせていてはなんの説得力もないのだが、とにかく星火は猫撫で声を装ってユージンに持ちかける。
「勝手なことを言わないでください」
ユージンが何かを言う前に、静がそう言い放った。
「わたし、あなたに用なんてありません。というか──誰ですか? 邪魔だからどっかへ行って下さい」
つい数秒前の交錯で戦闘能力の差は歴然だろうに、よくもそう言える──内心で舌を巻くユージンだったが、
「──だ、そうだ。僕の方でも状況はすでに変化している。どうあっても貴様には渡せない」
「死ぬわよ? 彼か貴女のどちらかが──なあんて、タルいことは言わないわ。両方ともよ。
静・ジョースターさん、知らないようなら言ってあげるけど、私の目は特別なの。『消えた』貴女を見る事だってできるのよ」
その言葉には虚勢もなにもないだろう、彼女にはそうするだけの能力がある。
だが──、
「本当ですか?」
またも強気に言い放つ。
「だって、あなた、わたしが近づくの見えなかったんですよね。
だから──わたしが天色くんを突き飛ばすのを止められなかった」
「いい加減にしなさい──それでハッタリをかましているつもり?
さっきは不覚を取ったけれど、今は見えているわ。貴女の『消える』能力より、私の知覚能力のほうがわずかに上回っているのよ」
やがてユージンは気づく。静の発言は決して強気から出たものではないことを。
密着した身体からは、その心臓が早鐘を鳴らしていること、そして手足が小刻みに震えてることが感覚されていた。
「天色くん。降ろして」
「なに? おい、それは──」
「出来るって言うなら、見えるって言うなら、やってもらうわ」
「やめろ、あいつの言葉は嘘じゃない。あいつは赤外線を感知できるんだ」
「でも……わたしは天色くんをさっき助けることができたよ。
わたしの『アクトン・ベイビー』なら、きっとその赤外線すらも通り抜けてみせる」
「しかしだな」
そんな、傍目には声音を変えた独り言みたいな馬鹿馬鹿しい言い争いを眺める星火は──内心、ほくそえんでいた。
そう、確かに静・ジョースターの『アクトン・ベイビー』という能力は赤外線すらも透過しつつあった。
だが──完璧ではない。
モノクロの世界の中でも、わずかにちらちらと蠢く陽炎のようなざわめき──それが、『見えない』静・ジョースターの姿だった。
それが大きく動いた瞬間こそが、彼女がユージンの保護から離れた瞬間であり、最初にして最後のチャンスだ。
ユージンによって全否定された『レディ・ゴディバ』という『能力』だが、冷静になって捉えなおしてみれば、それは『使える』能力だった。
戦局を左右する一瞬を自分の意思で拡大できるなら──ユージンは自分の行動を読んでカウンターを合わせてくるだろうが、
それよりも早く静に一撃を食らわせることが出来る。
(なににムキになってるか知らないけれど……そのどうしようもない『甘さ』が命取りよ、静・ジョースターさん)
「いいから離して」
「おい!」
そして、その時は来た。
赤外線探査能力が最大限に発揮された、白と黒の世界。
その中で大きく動く朧な影。
そこのみに意識を集中させ、『レディ・ゴディバ』を発現する。
全てがスローモーションに動く色のない世界。
星火の腕はその『影』を捉え──その、あまりの手応えの軽さに愕然とした。
(これは人体ではない……もっと軽い……布のような……着衣か!)
深海を進むような感覚。認識能力が拡大しても、身体までがそれに追いつくわけではない。
では彼女はまだ──?
ユージンのほうへと意識を移した星火は、そこになにもないことを知る。
(消えた!?)
ミリセコンドの単位で混乱する星火。
幾らなんでも『レディ・ゴディバ』を上回るスピードで動けるわけではない。
すると──残された可能性は──。
星火の赤外線探知能力と、静の『アクトン・ベイビー』のせめぎ合いの結果は、わずかに静の方に傾いていた。
だが、囮とするための衣服を手放すまでは星火にも探知できるレベルに留めおき、その後、ユージンもろともに──。
そこまで考えたところで、星火を自分に接近する『見えない』気配を察知する。
ギリギリの判断で自ら後ろののけぞる彼女の顎を、神速の蹴りが捉え──振り抜かれた。
「ぐぅっ……!」
辛うじて致命傷は免れ、だがその衝撃で後ろに吹き飛ばされる。
校庭の土に背中を擦りつけ、それでも即座に飛び起きる。
そこに殺到する『見えない』足音──音だけは一人分、だが重さは二倍。
「しがみついていろ、静さん!」
その言葉の意味するところは、すなわちユージンは彼女を安定して支えることを放棄しているということで、つまり──、
自由になったユージンの左腕が星火の肩口に突き刺さり、その掌から分泌される『リキッド』が星火の体組織と急激に反応し、
──爆発した。
「ぐ、ぐうう……」
吹き飛んだ己の腕には目もくれず、星火は全力で後退する。
あの必殺とも言える『リキッド』を、腕一本の被害で済ませたのは『レディ・ゴディバ』による超反応の賜物だろう。
そして、今度は『見える』姿を察知する。
「優、どこだ!? 生きてんのか!?」
「あの女の人が怪我してるっぽいからー、まだ大丈夫みたいだよねえ」
『異世界人』──黒鋼とファイ。
(さすがに……こりゃ無理だわ)
荒げる呼吸を整え、出来る限り静かに声を絞り出す。
「お互いに……手詰まりということかしら?」
「……だろうな」
と、『見えない』声。
さっきの攻撃は、ユージンにとっても残る全力を尽くした最後のチャンスだったのだろう。
「そこの異世界人さんたちがここに来れたということは……」
無事な右腕で黒鋼とファイを指差す。
「『ダーク・フューネラル』がどうにかなっちゃってことで……そっちも心配だから私、帰ってもいいかしら?」
返事はない……と言うか、
「おい、大きな声で言えばいいだろう。……なに? 腰が抜けて声が出ない? 腕?
あのくらい、合成人間にとっては致命傷でもなんでもない。向こうだってピンピンしてるだろう」
とかなんとか、どこか情けなさそうなユージンの声がどこからか聞こえ、咳払い、
「……貴様が退くことに異論はない──というようなことを彼女は言っている」
さっきまで血みどろの死闘を演じてたことが馬鹿馬鹿しくなるような返答だった。
くすり、と笑ってもいいような場面だが、星火は笑わず、しかし口調だけは軽いノリで、
「私に一杯食わせるなんて、可愛い顔してなかなかやるじゃない? 貴女がしてくれたこと……決して忘れないわ」
その言葉を最後に、星火の姿は月に舞い、そして闇に潜っていった。
きょろきょろと辺りに首を巡らしながら、黒鋼とファイが駆け寄ってくる。
「優くん、だーいじょーぶー?」
「ああ、問題ない。──ところで、そろそろ透明化を解いてくれると嬉しいんだが。正直、自分の姿が見えないというのは心持が悪い」
「あの……天色くんだけでいい? その、見えるようにするのは」
「……? なぜ君は姿を現さない?」
「いや、だって……元々上着を着てなかったし、さっきスカートまで投げちゃったから……」
それは知っていた。降ろせ降ろせと口で言う割りには首に回した腕を解かず、
しかもなんかもぞもぞ動く感触で、ユージンは静の意図を見抜き、それに沿うように動いて星火に一撃を与えたのだから。
「だが分からないな……。結局、なにが問題なんだ?」
腕の中で、『見えない』静の体温が急上昇したような気がした。
「もう! 馬鹿!」
彼女がなにを嫌がっているのかはユージンには分からず仕舞いだったが、
とにかくユージンは『見える』ようにしてもらい、また彼女も半透明でゆらゆら揺れる影としてその姿を晒していた。
「しかし……なんでこんな無茶を?」
結果的にはなんとかなったが、振り返ってみるに『なんとかならない』可能性のほうが大だったのだから、この疑問は当然と言えた。
「……これが、わたしの『能力』、『アクトン・ベイビー』」
降りるのも降ろすのも互いに忘れた状態で、息のかかりそうな距離で静の声が聞こえる。
「身を以って体験してもらって、少しは分かってもらえたと思うの。これがわたし。嘘偽りない、本当のわたし」
「あー、と……つまり……」
心底呆れたように、ユージンは一語一語念を押すように言う。
「……『自己紹介』……だと言うのか? 僕の『君は誰だ?』という質問に対する答えだと? それだけのために?」
──腕の中のものが、急にずっしり重くなったような気がする。
「次はあなたの番だよ? あなたは誰なのかしら、天色優くん?」
彼女は、透明に笑っていた。
それにつられるように──意識せず、ユージンこと天色優も笑っていた。
「僕は……僕には──」
「優くん、だーいじょーぶー?」
「ああ、問題ない。──ところで、そろそろ透明化を解いてくれると嬉しいんだが。正直、自分の姿が見えないというのは心持が悪い」
「あの……天色くんだけでいい? その、見えるようにするのは」
「……? なぜ君は姿を現さない?」
「いや、だって……元々上着を着てなかったし、さっきスカートまで投げちゃったから……」
それは知っていた。降ろせ降ろせと口で言う割りには首に回した腕を解かず、
しかもなんかもぞもぞ動く感触で、ユージンは静の意図を見抜き、それに沿うように動いて星火に一撃を与えたのだから。
「だが分からないな……。結局、なにが問題なんだ?」
腕の中で、『見えない』静の体温が急上昇したような気がした。
「もう! 馬鹿!」
彼女がなにを嫌がっているのかはユージンには分からず仕舞いだったが、
とにかくユージンは『見える』ようにしてもらい、また彼女も半透明でゆらゆら揺れる影としてその姿を晒していた。
「しかし……なんでこんな無茶を?」
結果的にはなんとかなったが、振り返ってみるに『なんとかならない』可能性のほうが大だったのだから、この疑問は当然と言えた。
「……これが、わたしの『能力』、『アクトン・ベイビー』」
降りるのも降ろすのも互いに忘れた状態で、息のかかりそうな距離で静の声が聞こえる。
「身を以って体験してもらって、少しは分かってもらえたと思うの。これがわたし。嘘偽りない、本当のわたし」
「あー、と……つまり……」
心底呆れたように、ユージンは一語一語念を押すように言う。
「……『自己紹介』……だと言うのか? 僕の『君は誰だ?』という質問に対する答えだと? それだけのために?」
──腕の中のものが、急にずっしり重くなったような気がする。
「次はあなたの番だよ? あなたは誰なのかしら、天色優くん?」
彼女は、透明に笑っていた。
それにつられるように──意識せず、ユージンこと天色優も笑っていた。
「僕は……僕には──」
「僕には友達がいた。その友達は皆……『未来を知る能力』を持っていたんだ。
だが、ふとした拍子に『世界を滅亡させる予知』を引き込んでしまい、それに抗うために、僕らは戦った。
そして……今は散り散りになってしまった。二度と会えなくなってしまった人もいる。
『イントゥザアイズ』『アロマ』『ベイビィトーク』『ウィスパリング』そして『オートマティック』。
そんな彼らは、別れを迎える前に、遠い未来の出来事を『予知』した。
それが『羽』にまつわる予知だ。
彼ら一人ひとりの『予知』は不完全で断片的だったけれど、それを突き合わせると、
『ある奇妙な羽を追うものが世界を引っくり返してしまう』……というものだった。
僕はこの世界に対して大した思い入れはないけれど……彼らは違っていた。
この世界が『輝くもの』に満ちていたと信じて、懸命にそれを守った。
だから僕も、『そうしよう』と思った。今はもういない彼らに代わって、この世界を守ろうと思った。
──だからこの街に来た」
だが、ふとした拍子に『世界を滅亡させる予知』を引き込んでしまい、それに抗うために、僕らは戦った。
そして……今は散り散りになってしまった。二度と会えなくなってしまった人もいる。
『イントゥザアイズ』『アロマ』『ベイビィトーク』『ウィスパリング』そして『オートマティック』。
そんな彼らは、別れを迎える前に、遠い未来の出来事を『予知』した。
それが『羽』にまつわる予知だ。
彼ら一人ひとりの『予知』は不完全で断片的だったけれど、それを突き合わせると、
『ある奇妙な羽を追うものが世界を引っくり返してしまう』……というものだった。
僕はこの世界に対して大した思い入れはないけれど……彼らは違っていた。
この世界が『輝くもの』に満ちていたと信じて、懸命にそれを守った。
だから僕も、『そうしよう』と思った。今はもういない彼らに代わって、この世界を守ろうと思った。
──だからこの街に来た」
そんな内容の長い話を終え、ユージンは静を振り返った。
「これで全部だ……これが、天色優として生きる僕だよ」
学校指定のジャージに身を包む静は、ほうっと息を吐いた。
熱帯夜の時期にはまだ遠く、涼しげな夜風が屋上に吹いていた。
「聞いてくれてありがとう」
と、繊細そうな微笑を浮かべる彼の顔に、なんとはなしの落ち着かなさを感じて静は下を向く。
なにか言わなきゃ、という意味の分からない焦燥に駆られ、
「えと、天色くんは……」
「嫌だな、優でいいですよ、静さん」
そう言う優しげな声は、昼間の極限まで研いだ刃みたいな態度とは百八十度真逆で、目の当たりにする静は戸惑いを隠せない。
「キ……キャラ違うよ……?」
「こう見えて僕も色々と複雑な性格でね、友達にはこう接したいと思ってるんですよ」
極め付けに自然な所作でウィンクまでされた。
うわー、というのが静の正直な反応だった。
白皙の美少年に真正面から見つめられて平静を保てというのがどだい無理な話だろう。
この自分だけ感じている気まずさはどう振り払ったらいんだろう、と思い悩むが、
「おいコラ優!」
「なんだ、黒わんこ」
「なんで俺にはそーゆーナメた態度なんだ!」
「ふん、僕にとってお前たちはその程度だということだ」
「優くん冷たーい、オレ悲しいなー」
どうやら友達(?)らしい教師と言い争いを始めたので、そのある意味贅沢な悩みはたちどころに霧散する。
「これで全部だ……これが、天色優として生きる僕だよ」
学校指定のジャージに身を包む静は、ほうっと息を吐いた。
熱帯夜の時期にはまだ遠く、涼しげな夜風が屋上に吹いていた。
「聞いてくれてありがとう」
と、繊細そうな微笑を浮かべる彼の顔に、なんとはなしの落ち着かなさを感じて静は下を向く。
なにか言わなきゃ、という意味の分からない焦燥に駆られ、
「えと、天色くんは……」
「嫌だな、優でいいですよ、静さん」
そう言う優しげな声は、昼間の極限まで研いだ刃みたいな態度とは百八十度真逆で、目の当たりにする静は戸惑いを隠せない。
「キ……キャラ違うよ……?」
「こう見えて僕も色々と複雑な性格でね、友達にはこう接したいと思ってるんですよ」
極め付けに自然な所作でウィンクまでされた。
うわー、というのが静の正直な反応だった。
白皙の美少年に真正面から見つめられて平静を保てというのがどだい無理な話だろう。
この自分だけ感じている気まずさはどう振り払ったらいんだろう、と思い悩むが、
「おいコラ優!」
「なんだ、黒わんこ」
「なんで俺にはそーゆーナメた態度なんだ!」
「ふん、僕にとってお前たちはその程度だということだ」
「優くん冷たーい、オレ悲しいなー」
どうやら友達(?)らしい教師と言い争いを始めたので、そのある意味贅沢な悩みはたちどころに霧散する。
空を見る。
今日一日のゴタゴタを労うような、嘘みたいな満天の星。
今日一日のゴタゴタを労うような、嘘みたいな満天の星。