『液状と透明 ④』
あの不気味な道化師、ブギーポップとの接触に心を残しつつも、静の後を追って階段を降りたユージンを待っていたのは、
黒いジャージを着た大男と、高そうなワイシャツの上から白衣を着込んだ優男の二人だった。
「黒鋼、ファイ。彼女はどうした?」
にこやかに手を振る白衣──ファイを軽く無視して問いかけると、黒ジャージの黒鋼が無言で手にした布切れを掲げて見せた。
それは紺色をした、学校指定のセーラー服の上着。ユージンはそれを無表情に見つめ、しばしの沈黙。
ややあって、ユージンは極めて不可解そうに、だが無神経なまでの冷静さと生真面目さで念押し。
「……つまり、お前はこう言いたいのか、黒鋼。貴様はその戦闘能力を遺憾なく発揮して彼女の上着を剥ぎ取ることに成功し、
ゆえに静・ジョースターは今現在、上半身は下着だけである、と。……だが僕はそんなことを要請した覚えがないな。
誰が彼女に涼しい思いをさせてやれと頼んだ? それとも──貴様の趣味か?」
ユージンの発言が狙ってるのか天然なのかは判然としがたいが、黒鋼は見に染み付いた習いによって即応──すなわちツッコミ。
「違ぇーよ! まんまと逃げられたっつってんだよ!」
「うっわー、黒さまってばエッチー。そーゆー趣味だったんだ」
返す刀でファイにもツッコむ。
「趣味じゃねえ! 黒さまって言うな!」
くそ、と毒づく黒鋼は、怒り半分と呆れ半分の半眼でユージンを睨む。
「──あいつ、『消え』やがったぞ。ありゃなんの術だ?」
「魔術とかじゃないねぇ。だって魔力とかぜんぜん感じなかったからー」
「彼女がそうした特殊能力の持ち主だったとは僕も意外だったがね……実際のところ、どうだった? お前たちの手には余るか?」
「冗談だろ」
ユージンの挑発じみた言葉を受け流し、黒鋼は軽く笑った。
「肝心要の本人が気配を隠せてねえ。前の『世界』で鬼児(オニ)と戦ったことがあるが、それよりはヌルいな」
「『前の世界』──。お前たちはここの世界の住人ではなく、異世界を渡る旅人だという例のアレか」
その微かに茶化したような響きに、ファイが首をかしげてユージンの顔を覗き込む。
「あれー? もしかして優くんオレたちの言ってること信じてない?」
「それが重要なことか? お前たちの与太話を信じようと信じまいと、僕のやるべきことは変わらない」
ひゅー超クールじゃーん、とかいうファイの歓声など聞こえぬように、暗い廊下の奥を見据える。
「いつか必ずこの世界を滅亡に導くであろう『羽を追うもの』──それを探し出して排除する。それが僕のすべき事柄だ。
──とにかく、彼女を追跡するぞ。今度は三人がかりでいく。透明になろうがなんだろうが逃がさぬよう、次は拘束する道具を用意するぞ。
僕が潜伏に利用している時計塔の機関室に連れ込んで、本格的な拷問に掛ける」
怜悧な面差しでかなり剣呑なことを言うが、黒鋼の声がそれに割り込んできた。
「しかし、優よ。オレぁ前々から気になってたんだが──」
「なんだ?」
「なにがお前をそうさせているんだ?」
「……意味が分からないな」
「だから、よ──『羽を追うもの』ってのは、どこの誰が言い出したことなんだ、ってことだ。
お前が言い出したことじゃねーよな。お前の言は『羽』を知る者のそれじゃねえ。
お前自身は『羽』のことなんざ良く知らねーが、誰かが『そう』言ったから『そう』してる──違うか?」
ユージンの瞳がわずかに揺れる。なにか太陽でも見ているような、遠く、眩しいものを見ているような目つきになる。
そして、無感情そのものだった横顔にうっすらと感情らしきものが浮かび上がる。
それはまるで、二度と立ち返れぬ美しい過去に思いを馳せているような、どこか切なげな表情だった。
「──『パンドラ』だよ」
だがそれもあっという間に消え去り、先ほどとまったく同じの、何事にも動じなさそうなふてぶてしい顔に戻ってしまう。
「パンが……なんだと?」
「あ、オレそれ知ってるー。この世界の神話に出てくる女の人の話だよねえ」
ファイが得意満面に指を立て、胸を張りつつ解説。
「この世界のお勉強してる小狼くんに教えてもらったんだー。
パンドラってゆー名前の女の人が、うっかり匣に閉じ込められてた世界中の災厄を解放しちゃったんだよね」
「うっかりで済む問題か、それ?」
「で、パンドラさんは慌てて匣に蓋をしたんだけど、ほとんど全部の災厄はもう世界中に飛び散った後だったのさ。
でもでも、壷から飛び出さなかった『希望』だけは、今も匣に残っているんだって」
講釈に耳を傾けながら、眉間に皺を寄せる黒鋼。
「……ダメじゃねえか。それだと『希望』はこの世に無いって話になるだろ。
つーか、なんで『希望』が世界中の災厄と同じ場所に封印されてるんだよ」
問われたファイも「?」って感じで指を顎に当てる。
「……ある説によれば、『希望』が匣に封じられていたというのは、後世になって発生した誤解釈だと言われている。
それによると、『ある災厄』がその災厄の性質ゆえに敢えて匣に残り、
そのため人間にとって最悪の災厄がこの世に蔓延することが免れ、ゆえに人間には『希望』が残された。
そこのところが歪んで伝わり、匣には元々『希望』が残されていたという解釈がいつしか主流になってしまった、というのが真相らしい」
「その災厄はなんだってんだ?」
「む、こうしている場合じゃないな。一刻も早く静・ジョースターを追わなければ」
さっと踵を返し、ユージンは夕暮れの廊下を歩き出す。
「無視かよ!」
軽やかにシカトされた黒鋼が声を荒げ、
「まーまー、いじけないの黒さま」
「いじけるか!」
さらに怒鳴らんとする黒鋼だったが、背を向けたままのユージンがぼそぼそとしゃべりだしたことで口をつぐむ。
「『最悪』の『災厄』──それは『予見』だ。
もしも自分がこの世に解き放たれたら、人間から『希望』が根こそぎ奪われることを、その『災厄』は知っていたんだ。
だから『予見』の名を持つ災厄は匣に残った。
だから人は生きてゆける。どんなに辛いことがあっても、たとえ明日に死ぬとしても、それを知ることは無く、
『明日はきっと良い日だ』だと信じることによって、な」
「ふーん、なんかよく分かんないけどいい話だねー」
「……へっ、オレの国の姫を思い出すぜ」
「それから『パンドラ』という女性だが……彼女は数多の神々によってあらゆる魅力を与えられた存在だった。
その名の意味するところは──『全てを与えられし者』」
そして今度こそ、ユージンは振り返ることなく廊下を突き進んでゆく。
後に続きつつその背中を眺め、黒鋼はぼやく。
「結局オレの質問には答えてないんじゃねーか?」
黒いジャージを着た大男と、高そうなワイシャツの上から白衣を着込んだ優男の二人だった。
「黒鋼、ファイ。彼女はどうした?」
にこやかに手を振る白衣──ファイを軽く無視して問いかけると、黒ジャージの黒鋼が無言で手にした布切れを掲げて見せた。
それは紺色をした、学校指定のセーラー服の上着。ユージンはそれを無表情に見つめ、しばしの沈黙。
ややあって、ユージンは極めて不可解そうに、だが無神経なまでの冷静さと生真面目さで念押し。
「……つまり、お前はこう言いたいのか、黒鋼。貴様はその戦闘能力を遺憾なく発揮して彼女の上着を剥ぎ取ることに成功し、
ゆえに静・ジョースターは今現在、上半身は下着だけである、と。……だが僕はそんなことを要請した覚えがないな。
誰が彼女に涼しい思いをさせてやれと頼んだ? それとも──貴様の趣味か?」
ユージンの発言が狙ってるのか天然なのかは判然としがたいが、黒鋼は見に染み付いた習いによって即応──すなわちツッコミ。
「違ぇーよ! まんまと逃げられたっつってんだよ!」
「うっわー、黒さまってばエッチー。そーゆー趣味だったんだ」
返す刀でファイにもツッコむ。
「趣味じゃねえ! 黒さまって言うな!」
くそ、と毒づく黒鋼は、怒り半分と呆れ半分の半眼でユージンを睨む。
「──あいつ、『消え』やがったぞ。ありゃなんの術だ?」
「魔術とかじゃないねぇ。だって魔力とかぜんぜん感じなかったからー」
「彼女がそうした特殊能力の持ち主だったとは僕も意外だったがね……実際のところ、どうだった? お前たちの手には余るか?」
「冗談だろ」
ユージンの挑発じみた言葉を受け流し、黒鋼は軽く笑った。
「肝心要の本人が気配を隠せてねえ。前の『世界』で鬼児(オニ)と戦ったことがあるが、それよりはヌルいな」
「『前の世界』──。お前たちはここの世界の住人ではなく、異世界を渡る旅人だという例のアレか」
その微かに茶化したような響きに、ファイが首をかしげてユージンの顔を覗き込む。
「あれー? もしかして優くんオレたちの言ってること信じてない?」
「それが重要なことか? お前たちの与太話を信じようと信じまいと、僕のやるべきことは変わらない」
ひゅー超クールじゃーん、とかいうファイの歓声など聞こえぬように、暗い廊下の奥を見据える。
「いつか必ずこの世界を滅亡に導くであろう『羽を追うもの』──それを探し出して排除する。それが僕のすべき事柄だ。
──とにかく、彼女を追跡するぞ。今度は三人がかりでいく。透明になろうがなんだろうが逃がさぬよう、次は拘束する道具を用意するぞ。
僕が潜伏に利用している時計塔の機関室に連れ込んで、本格的な拷問に掛ける」
怜悧な面差しでかなり剣呑なことを言うが、黒鋼の声がそれに割り込んできた。
「しかし、優よ。オレぁ前々から気になってたんだが──」
「なんだ?」
「なにがお前をそうさせているんだ?」
「……意味が分からないな」
「だから、よ──『羽を追うもの』ってのは、どこの誰が言い出したことなんだ、ってことだ。
お前が言い出したことじゃねーよな。お前の言は『羽』を知る者のそれじゃねえ。
お前自身は『羽』のことなんざ良く知らねーが、誰かが『そう』言ったから『そう』してる──違うか?」
ユージンの瞳がわずかに揺れる。なにか太陽でも見ているような、遠く、眩しいものを見ているような目つきになる。
そして、無感情そのものだった横顔にうっすらと感情らしきものが浮かび上がる。
それはまるで、二度と立ち返れぬ美しい過去に思いを馳せているような、どこか切なげな表情だった。
「──『パンドラ』だよ」
だがそれもあっという間に消え去り、先ほどとまったく同じの、何事にも動じなさそうなふてぶてしい顔に戻ってしまう。
「パンが……なんだと?」
「あ、オレそれ知ってるー。この世界の神話に出てくる女の人の話だよねえ」
ファイが得意満面に指を立て、胸を張りつつ解説。
「この世界のお勉強してる小狼くんに教えてもらったんだー。
パンドラってゆー名前の女の人が、うっかり匣に閉じ込められてた世界中の災厄を解放しちゃったんだよね」
「うっかりで済む問題か、それ?」
「で、パンドラさんは慌てて匣に蓋をしたんだけど、ほとんど全部の災厄はもう世界中に飛び散った後だったのさ。
でもでも、壷から飛び出さなかった『希望』だけは、今も匣に残っているんだって」
講釈に耳を傾けながら、眉間に皺を寄せる黒鋼。
「……ダメじゃねえか。それだと『希望』はこの世に無いって話になるだろ。
つーか、なんで『希望』が世界中の災厄と同じ場所に封印されてるんだよ」
問われたファイも「?」って感じで指を顎に当てる。
「……ある説によれば、『希望』が匣に封じられていたというのは、後世になって発生した誤解釈だと言われている。
それによると、『ある災厄』がその災厄の性質ゆえに敢えて匣に残り、
そのため人間にとって最悪の災厄がこの世に蔓延することが免れ、ゆえに人間には『希望』が残された。
そこのところが歪んで伝わり、匣には元々『希望』が残されていたという解釈がいつしか主流になってしまった、というのが真相らしい」
「その災厄はなんだってんだ?」
「む、こうしている場合じゃないな。一刻も早く静・ジョースターを追わなければ」
さっと踵を返し、ユージンは夕暮れの廊下を歩き出す。
「無視かよ!」
軽やかにシカトされた黒鋼が声を荒げ、
「まーまー、いじけないの黒さま」
「いじけるか!」
さらに怒鳴らんとする黒鋼だったが、背を向けたままのユージンがぼそぼそとしゃべりだしたことで口をつぐむ。
「『最悪』の『災厄』──それは『予見』だ。
もしも自分がこの世に解き放たれたら、人間から『希望』が根こそぎ奪われることを、その『災厄』は知っていたんだ。
だから『予見』の名を持つ災厄は匣に残った。
だから人は生きてゆける。どんなに辛いことがあっても、たとえ明日に死ぬとしても、それを知ることは無く、
『明日はきっと良い日だ』だと信じることによって、な」
「ふーん、なんかよく分かんないけどいい話だねー」
「……へっ、オレの国の姫を思い出すぜ」
「それから『パンドラ』という女性だが……彼女は数多の神々によってあらゆる魅力を与えられた存在だった。
その名の意味するところは──『全てを与えられし者』」
そして今度こそ、ユージンは振り返ることなく廊下を突き進んでゆく。
後に続きつつその背中を眺め、黒鋼はぼやく。
「結局オレの質問には答えてないんじゃねーか?」
不意に、ユージンがぴたりと歩みを止める。
後ろを歩く黒鋼を足を止めるが、その後ろのファイが黒鋼の背中にぶつかり、玉突き事故でユージンも黒鋼の体当たりを食らう。
「どしたのー、優くーん」
「……囲まれている」
「なに──!」
「数は五、六……いや、十以上だ」
「うっそお? そんな感じあんましないけど?」
「集中しろ。この希薄な気配は──覚えているか? 僕がお前たちと初めて会ったときのことを」
「あん時ぁ、確か変なやつらの襲撃を受けてたな」
「そう──僕の分析によれば、あれは生命活動が停止しているにも関わらず活発に動く……いわばゾンビィだった。
今、そいつらに包囲されている」
「……えーっと、それってまずくない?」
「ふん、僕にとってはなんら脅威では有得ないな」
さらっと不敵な返答をするユージンだったが、
「違う違う」
ファイは大きく手を振ってそれを否定した。
「オレが言ってるのはー、静ちゃんが危なくない、ってこと」
ぴくん、とユージンに緊張が走るのを、ファイと黒鋼は見る。
窓の外は日も暮れきっており、光度計と連動している廊下の蛍光灯が、ちかちかと明滅を繰り返す。
それがやがて完全な点灯状態に移行したその時──先頭に立つユージンは廊下の突き当たりに立つ人物を発見する。
「貴様……」
ユージンの声音に険悪な響きが混じる。
腰まで伸びたソバージュ、砂時計のような洗練されたプロポーション、漆黒の瞳。
胸元が大きく開いた黒のワンピースを身にまとうその女性は、腕に大荷物を抱えていた。
その大荷物は人間だった。詳しく言うなら上半身は肌着のみで下は紺のプリーツスカート、
髪はややショートでややもすると小学生や中学生にも見える小柄な体躯。
もっと言うなら静・ジョースターその人だった。
その手足はだらんと力なく垂れ下がっており、気を失っているか──さもなくば死んでいるかのどちらかだった。
「久しぶり、と言うべきかしら、ユージン?」
静をお姫様だっこするそいつは、街中で旧知と再会したときのような、まるで気安い口調で言う。
「シンフォニ……生きていたのか」
「その名は捨てたわ。今の私は星火(シンフォ)。世界を動かす御方の道しるべとなる、天蓋の漁火。それが今の私よ」
「……知り合いか、優」
「彼女は僕と同じ合成人間だ。僕の『元同僚』と言うべきか……。
だが、かなり以前に、統和機構の方針変更に伴い彼女のようなタイプの合成人間は抹殺されたはずだ」
そいつ──星火を見据えながら黒鋼に答えるユージンに、彼女はうんうんとうなずき返す。
「そう──ある一体の合成人間の脱走事故、通称『マンティコア・ショック』によって、そいつと同じタイプの合成人間は
『危険度高し』と判断されて片っ端から狩られていった。貴方も抹殺任務に携わっていたのじゃないかしら、ユージン?」
「さあね。僕はその頃、ちょうど別の任務に就いていたからな」
「別の任務ってMPLS狩り? 『進化しすぎた人間』を殺してたってワケ?
まあ、どうでもいいわね。とにかく、その馬鹿のとばっちりを受けて私も殺されそうになったけれど、
ある御方に拾ってもらって命を永らえたのよ。お蔭様でマンティコアタイプの合成人間でありながらも生存している、
かなりのレアケースをこの身で実感中の身の上よ。あ、そうそう、知ってる? あの『百面相(パールズ)』パールも生きているそうよ。
かの『最強』フォルテッシモからも逃げ延びて、今は反統和機構の組織に身を寄せているみたい」
話の感じだけは近況報告がてらに旧交を温めあってるような雰囲気だったが、その両腕に抱えた少女の存在が異質を放っていた。
「で、さて……貴方がここにいいるということは、統和機構もあの『羽』を狙っていると言うことなのかしら?」
「この件に統和機構は絡んでいないはずだ……と言うより、今の僕は統和機構とは没交渉だ。知らないね。
そんなことより、貴様が抱きかかえているその少女を引き渡してもらおうか」
ふふ、と小さな囁きが漏れる。それは星火が溜息と共にこぼした微苦笑だった。
「なにがおかしい」
「いえ、ちょっと不思議だったから。とても興味があるわ。良かったら教えてくれないかしら?
なぜ、貴方が統和機構を裏切ったのか、その訳を。そしてなぜ、貴方が『羽』に関わろうとしているのか」
黒真珠のごとき艶めいた瞳でユージンをみつめ、甘く、ゆっくりと言葉を口に載せる。
「なぜ、ここにいるの?」
黒鋼は油断無く周囲を警戒し、ファイは目以外で笑いつつ星火を視界に捉え続け──、
「貴様には関係ないね」
ユージンは殺気のこもった一歩を踏み出した。
「まずその少女をこちらに渡せ。それから僕の問いに答えろ。貴様が『羽を追うもの』か?」
なおもおかしそうに星火は笑う。
「質問に質問で返すなと誰かに教わらなかった?」
後ろを歩く黒鋼を足を止めるが、その後ろのファイが黒鋼の背中にぶつかり、玉突き事故でユージンも黒鋼の体当たりを食らう。
「どしたのー、優くーん」
「……囲まれている」
「なに──!」
「数は五、六……いや、十以上だ」
「うっそお? そんな感じあんましないけど?」
「集中しろ。この希薄な気配は──覚えているか? 僕がお前たちと初めて会ったときのことを」
「あん時ぁ、確か変なやつらの襲撃を受けてたな」
「そう──僕の分析によれば、あれは生命活動が停止しているにも関わらず活発に動く……いわばゾンビィだった。
今、そいつらに包囲されている」
「……えーっと、それってまずくない?」
「ふん、僕にとってはなんら脅威では有得ないな」
さらっと不敵な返答をするユージンだったが、
「違う違う」
ファイは大きく手を振ってそれを否定した。
「オレが言ってるのはー、静ちゃんが危なくない、ってこと」
ぴくん、とユージンに緊張が走るのを、ファイと黒鋼は見る。
窓の外は日も暮れきっており、光度計と連動している廊下の蛍光灯が、ちかちかと明滅を繰り返す。
それがやがて完全な点灯状態に移行したその時──先頭に立つユージンは廊下の突き当たりに立つ人物を発見する。
「貴様……」
ユージンの声音に険悪な響きが混じる。
腰まで伸びたソバージュ、砂時計のような洗練されたプロポーション、漆黒の瞳。
胸元が大きく開いた黒のワンピースを身にまとうその女性は、腕に大荷物を抱えていた。
その大荷物は人間だった。詳しく言うなら上半身は肌着のみで下は紺のプリーツスカート、
髪はややショートでややもすると小学生や中学生にも見える小柄な体躯。
もっと言うなら静・ジョースターその人だった。
その手足はだらんと力なく垂れ下がっており、気を失っているか──さもなくば死んでいるかのどちらかだった。
「久しぶり、と言うべきかしら、ユージン?」
静をお姫様だっこするそいつは、街中で旧知と再会したときのような、まるで気安い口調で言う。
「シンフォニ……生きていたのか」
「その名は捨てたわ。今の私は星火(シンフォ)。世界を動かす御方の道しるべとなる、天蓋の漁火。それが今の私よ」
「……知り合いか、優」
「彼女は僕と同じ合成人間だ。僕の『元同僚』と言うべきか……。
だが、かなり以前に、統和機構の方針変更に伴い彼女のようなタイプの合成人間は抹殺されたはずだ」
そいつ──星火を見据えながら黒鋼に答えるユージンに、彼女はうんうんとうなずき返す。
「そう──ある一体の合成人間の脱走事故、通称『マンティコア・ショック』によって、そいつと同じタイプの合成人間は
『危険度高し』と判断されて片っ端から狩られていった。貴方も抹殺任務に携わっていたのじゃないかしら、ユージン?」
「さあね。僕はその頃、ちょうど別の任務に就いていたからな」
「別の任務ってMPLS狩り? 『進化しすぎた人間』を殺してたってワケ?
まあ、どうでもいいわね。とにかく、その馬鹿のとばっちりを受けて私も殺されそうになったけれど、
ある御方に拾ってもらって命を永らえたのよ。お蔭様でマンティコアタイプの合成人間でありながらも生存している、
かなりのレアケースをこの身で実感中の身の上よ。あ、そうそう、知ってる? あの『百面相(パールズ)』パールも生きているそうよ。
かの『最強』フォルテッシモからも逃げ延びて、今は反統和機構の組織に身を寄せているみたい」
話の感じだけは近況報告がてらに旧交を温めあってるような雰囲気だったが、その両腕に抱えた少女の存在が異質を放っていた。
「で、さて……貴方がここにいいるということは、統和機構もあの『羽』を狙っていると言うことなのかしら?」
「この件に統和機構は絡んでいないはずだ……と言うより、今の僕は統和機構とは没交渉だ。知らないね。
そんなことより、貴様が抱きかかえているその少女を引き渡してもらおうか」
ふふ、と小さな囁きが漏れる。それは星火が溜息と共にこぼした微苦笑だった。
「なにがおかしい」
「いえ、ちょっと不思議だったから。とても興味があるわ。良かったら教えてくれないかしら?
なぜ、貴方が統和機構を裏切ったのか、その訳を。そしてなぜ、貴方が『羽』に関わろうとしているのか」
黒真珠のごとき艶めいた瞳でユージンをみつめ、甘く、ゆっくりと言葉を口に載せる。
「なぜ、ここにいるの?」
黒鋼は油断無く周囲を警戒し、ファイは目以外で笑いつつ星火を視界に捉え続け──、
「貴様には関係ないね」
ユージンは殺気のこもった一歩を踏み出した。
「まずその少女をこちらに渡せ。それから僕の問いに答えろ。貴様が『羽を追うもの』か?」
なおもおかしそうに星火は笑う。
「質問に質問で返すなと誰かに教わらなかった?」