『液状と透明 ②』
「さあ、答えてもらおうか。君はなぜここにいる?
ニューヨークで銀の匙をくわえる生活こそがふさわしい君が、なぜ日本の片田舎にまでやってきたのか、その訳を」
静・ジョースターの腕をひねり上げて彼女の身体の自由を奪うそいつは、そんな質問を投げかけてきた。
その醒めた声音、その鋭い視線には、容赦というものがまるで無かった。
ついさっきまでは気弱そうな態度を保っていたそいつの豹変ぶり、
みしみしと肩を軋ませる痛み、そして今にも腕を折られてしまうのではないかという恐怖で、静の目に涙が滲む。
その拘束を振りほどこうと試みてみても、静と似たような細い体格のどこにそんな力が潜んでいるのかと
疑いたくなるほどの強固な握力で、静の行動は完璧に制圧されていた。
「う、うう……」
小さな唇から漏れる苦悶の声など意に介さず、そいつはさらに言葉を重ねてくる。
「考えてもみるといい、ニューヨークとここ杜王町に隔たるその距離を。
ジュール・ヴェルヌは交通機関の発達を指して『世界は狭くなった』と評した。だが──距離は距離だ。
この世界は狭くなんてなっていない。五千六百キロメートルもの隔絶を越える『なにか』があったからこそ、君はここに立っているのだろう?
僕はそれが知りたいんだ。君はなにを求めて、ここまでやってきたのかをね」
激痛と恐怖でごた混ぜになった静の思考の奥底が、なにかを訴えていた。
だが、それはなかなか形にならず、痛みに呻く情けない声として口からこぼれるだけだった。
「早めに吐いたほうが身のためだぞ。白を切通すために腕一本を失う気か?」
「あ……」
「うん?」
「あなた……誰?」
「なんだと?」
「どうして……っ、こ、こに……いるの?」
弱々しくも確実に紡ぎだされた静の言葉に、ただでさえ希薄だったそいつの雰囲気がいっそう薄まり、
ほとんど無味無臭と言っていいほどの、なにも感じさせないゆえの異常な気迫がその場に満ちた。
次の瞬間、
「────っ!」
肩が外れるのではないかと思うほどの激痛が静を襲い、そのあまりの痛さに腰を抜かしかけ、
だが、そいつががっちり身体を押さえ込んでいるために膝をつくことも許されなかった。
「どういう了見だい? 質問をしているのは僕だ。質問を質問で返すなと親や教師に教わらなかったのか?」
がくがくと震える膝になにか熱い雫が落ちるのが感じられ、
「なんだ、泣いているのかい?」
その言葉で静は自分がぼたぼたと涙を流していることに気がついた。
背後から静を拘束するそいつの顔が、ゆっくりと静の頬に近づけられる。
そして──そいつの熱くうねる舌が涙で濡れる静の頬を這った。
痛みと恐怖と恥ずかしさと気持ち悪さで脳内が爆発寸前の静とは対照的に、
そいつは機械のような精確さと無感動さで淡々と彼女の涙を舐めとった。
「やはり……この『味』は『秘密』の味だ。なにかの強力な目的意識と、それを裏打ちする強固な意志が感じられる」
それはまるで「このワインはこれこれこんな感じの味がする」とでも言うような気安さで、
「さあ、吐いてもらう。君のその秘密を。君が僕の求めているものであるかどうかを」
今度こそ仮借なく腕を捻りあげる感触が静の脳を焼き、
「ア──」
「なんだって?」
「『アクトン・ベイビー』!」
静・ジョースターの『スタンド』能力『アクトン・ベイビー』がその特殊能力を発現させ、
「な、なんだと……? 馬鹿な、どこへ消えた!?」
──静はこの世界から視覚的に消失した。
「貴様……合成人間、いや、MPLSか!?」
一瞬の狼狽で静の動きを封じていた腕の束縛が緩み、その機を逃さずそいつの腕からすり抜け、
「そこか!」
その目に見えぬ動きで『まだそこにいる』ことを察知したそいつが再び静を捕らえようとするも、振りかぶった腕は空しく宙を切った。
「くそ……どこにいる?」
ほんの微かに震える声で、そいつは周囲を睥睨する。
その視線に捉えられるものは当然ながら皆無だった。
見えない相手に備えてか、そいつは全身を緊張させて両腕を胸の辺りで構える。
「────」
うっすらと目を閉じ、あらゆる異変を逃すまいとするいかにも戦闘的なその姿勢は、
可憐と言っていいその風貌には似つかわしくなく、物凄い違和感を醸し出していた。
とん、とん、とん。
連続的に床を踏むような音がそいつの側から徐々に離れていき、塔屋のドアへと向かう。
そいつは後を追うべきかどうが一瞬判断に迷ったが、
ぎい、ばたん。
その隙にドアは閉ざされてしまい、後には静寂と西日だけが残った。
それでもしばらくは警戒を解かないそいつだったが、
「ふう──」
という溜め息とともに、構えを解いて軽く肩をすくめた。
「……『消える』能力だと? だが、これで只者ではないことがはっきりしたね、静・ジョースターさん。
君が何者であるか、必ずこのユージンが暴いてみせる……そう、我が『パンドラ』のために、ね」
その口ぶりは、どこか面白そうな響きを伴っていた。
そいつ──ユージンはなおも独りごちる。
「『アクトン・ベイビー』と言ったな……しかし、ただ『消える』だけの能力では、
純粋な戦闘型の合成人間たる僕の『リキッド』に敵いはしない。姿は消えても、彼女の気配は掴んだ。次は逃がさない」
ぱん。
なんの前触れもないままに響いた景気のいい音と、同時に己の頬に走った衝撃の源を、ユージンは掴み損ねた。
数瞬遅れて、目に見えぬ『誰か』が自分の顔を叩いたのだと理解する。
「まだ……ここにいたのか……逃げた振りをして……?」
それに続くように、屋上を一目散に走る靴の音、ドアのノブをひねる音、錆びた蝶番が開く音、
「待て!」
それを追うように出口に向かって動き出そうとしたその刹那、
「────!!」
ユージンは凄まじいまでの殺気を感じ、反射的に後方に跳躍した。
身に染み付いた動作で戦闘態勢を整え、周囲に警戒の視線を走らせる。
「そこまでにしておきたまえ。色男くん」
と、どこか人を馬鹿にしたような声がユージンの耳に届く。
「そういう乱暴なやり方で女性を口説くものではない。さっきから黙って見ていたが、正直言って──目に余るね」
その間にも、階段を三段飛ばしで駆け下りる軽い体重の反響音が風に乗って届く。
もはやこの場での追跡は不可能だろうと即断し、声の主の居場所を探す。
その居所はすぐに割れた。
屋上敷地の、ユージンが立つ場所から対角線上の正反対の辺りのフェンスの上に、一つの影が佇立していた。
その頭から足元まで黒系の色に染まる筒状のシルエットを見て、ユージンが声を上げる。その声は驚きに満ちていた。
「貴様──ブギーポップか?」
「おや、私を知っているのかね?」
「……僕の記憶が確かなら、貴様は女だったはずだ」
「私の記憶が確かならば、私の『本体』が性転換したという事実は認められないな。
自動的な泡たる私には性別など関係ないが──それでもこの身体は男性のものだよ。
君の知っている『ブギーポップ』は、おそらく私と『泡』の記憶を共有する『同胞』なのだろうね」
「……貴様のような怪人がこの世界にはごろごろしていると言うことか? ──だとしたら、世も末だな」
「ふむ、私も同感だね。この世界はまったくもって救いようがない」
半ば皮肉で言ったつもりが非常に真面目な調子で同意されてしまい、ユージンはちょっと肩透かしを食らう。
「……貴様も静・ジョースターの仲間なのか? だから僕の邪魔をしたのか?」
「さて、どうだろうね。向こうは私のことを友達だと思ってくれるのだろうか。私にはそこを問い質す勇気などないよ。君はどう見る?」
「おい、真面目に──」
「私は必要十分に真面目だよ」
おおむねにおいて無表情であることを自覚しているユージンすら気味の悪さを覚える鉄面皮を顔に載せ、
ブギーポップは真剣そのもの、といった感じで首を傾げてみせた。
「そんなことより……君は彼女の秘密を知りたいかね? 彼女が求めているもの──彼女が挑むべき『カーメン』を」
「知っているのか!?」
ブギーポップを見上げるユージンの身体に、これ以上ないくらいの緊張が走る。
だが、その勝気をいなすように、ブギーポップはまるで関係のなさそうなことを口に上らせた。
「君は大切な思い出があるかい?」
「なんだと? なんの話だ? 僕は『羽』を──」
ユージンの抗弁を遮るように、さらに続ける。
「『それ』は、おそらく君にもあるはずだ……『生きていく』という能力の源たる『掛け替えのないもの』──。
だが、それは裏を返すと『取り返しのつかないもの』に他ならない。
この世界はいつだって残酷だ。私たちは絶えず試されている。その『生きていく』能力を、ね。
その過酷な試練(ディシプリン)の中で、心に抱く『取り返しのつかないもの』と、この世界のバランスが崩れたとき、
そこに『崩壊のビート』が刻まれ、その者は『世界の敵』と成り果てる。
そんな『全てを諦めてしまう』道に進む前に、私たちは全身全霊を以ってあらゆる可能性を試さなければならないんだ。
それが生きると言うことさ。その果てのない闘争からは、誰も逃れることはできない。彼女も、そして、君もね」
なにを言ってるのかさっぱり分からない癖に「なにかを訴えようとしてる」ということだけは分かりすぎるその長広舌に、
さしものユージンも苛立ちを隠せずに声を荒げた。
「なにが言いたい? つまり貴様は僕の敵だと言うことか?」
「いや、それは違う」
と、あっさりと即答され、なんとなく毒気が抜かれたような気分になる。
「少なくとも『今は』私は君の敵ではない。そういう意味では、どちらかと言うと私はあの少女の方をこそ警戒している。
彼女は今、非常にアンバランスな状態にある。君が明確に持っているであろう『思い出』──彼女にはそれが欠落している。
いや──欠落していると思い込んでいる」
「……どういうことだ?」
「そのままの意味さ。彼女には敵であれ味方であれ、この世界に根ざすための助けが必要だ。
だから、私は君に忠告しにきたんだよ。『赤ん坊に気をつけろ(アクトン・ベイビー)』と、ね」
やはり意味不明な内容に、ついユージンは眉をしかめる。
「およそ全ての質問者は等しく回答者として試されている──それが、私が君に言える唯一つのことだ」
「それは……あの、静・ジョースターが僕の敵性存在であると言うことか? 彼女も僕の握る情報を求めて僕を攻撃してくると?」
「さて、その解釈は君に任せるよ」
そう言うやブギーポップばさっとマントを翻す。その背後に隠されていた夕日がユージンの網膜を射抜き、
「く……」
眩んだ視界が回復する頃には、黒ずくめの怪人の姿は陰も形もなく消え去っていた。
ニューヨークで銀の匙をくわえる生活こそがふさわしい君が、なぜ日本の片田舎にまでやってきたのか、その訳を」
静・ジョースターの腕をひねり上げて彼女の身体の自由を奪うそいつは、そんな質問を投げかけてきた。
その醒めた声音、その鋭い視線には、容赦というものがまるで無かった。
ついさっきまでは気弱そうな態度を保っていたそいつの豹変ぶり、
みしみしと肩を軋ませる痛み、そして今にも腕を折られてしまうのではないかという恐怖で、静の目に涙が滲む。
その拘束を振りほどこうと試みてみても、静と似たような細い体格のどこにそんな力が潜んでいるのかと
疑いたくなるほどの強固な握力で、静の行動は完璧に制圧されていた。
「う、うう……」
小さな唇から漏れる苦悶の声など意に介さず、そいつはさらに言葉を重ねてくる。
「考えてもみるといい、ニューヨークとここ杜王町に隔たるその距離を。
ジュール・ヴェルヌは交通機関の発達を指して『世界は狭くなった』と評した。だが──距離は距離だ。
この世界は狭くなんてなっていない。五千六百キロメートルもの隔絶を越える『なにか』があったからこそ、君はここに立っているのだろう?
僕はそれが知りたいんだ。君はなにを求めて、ここまでやってきたのかをね」
激痛と恐怖でごた混ぜになった静の思考の奥底が、なにかを訴えていた。
だが、それはなかなか形にならず、痛みに呻く情けない声として口からこぼれるだけだった。
「早めに吐いたほうが身のためだぞ。白を切通すために腕一本を失う気か?」
「あ……」
「うん?」
「あなた……誰?」
「なんだと?」
「どうして……っ、こ、こに……いるの?」
弱々しくも確実に紡ぎだされた静の言葉に、ただでさえ希薄だったそいつの雰囲気がいっそう薄まり、
ほとんど無味無臭と言っていいほどの、なにも感じさせないゆえの異常な気迫がその場に満ちた。
次の瞬間、
「────っ!」
肩が外れるのではないかと思うほどの激痛が静を襲い、そのあまりの痛さに腰を抜かしかけ、
だが、そいつががっちり身体を押さえ込んでいるために膝をつくことも許されなかった。
「どういう了見だい? 質問をしているのは僕だ。質問を質問で返すなと親や教師に教わらなかったのか?」
がくがくと震える膝になにか熱い雫が落ちるのが感じられ、
「なんだ、泣いているのかい?」
その言葉で静は自分がぼたぼたと涙を流していることに気がついた。
背後から静を拘束するそいつの顔が、ゆっくりと静の頬に近づけられる。
そして──そいつの熱くうねる舌が涙で濡れる静の頬を這った。
痛みと恐怖と恥ずかしさと気持ち悪さで脳内が爆発寸前の静とは対照的に、
そいつは機械のような精確さと無感動さで淡々と彼女の涙を舐めとった。
「やはり……この『味』は『秘密』の味だ。なにかの強力な目的意識と、それを裏打ちする強固な意志が感じられる」
それはまるで「このワインはこれこれこんな感じの味がする」とでも言うような気安さで、
「さあ、吐いてもらう。君のその秘密を。君が僕の求めているものであるかどうかを」
今度こそ仮借なく腕を捻りあげる感触が静の脳を焼き、
「ア──」
「なんだって?」
「『アクトン・ベイビー』!」
静・ジョースターの『スタンド』能力『アクトン・ベイビー』がその特殊能力を発現させ、
「な、なんだと……? 馬鹿な、どこへ消えた!?」
──静はこの世界から視覚的に消失した。
「貴様……合成人間、いや、MPLSか!?」
一瞬の狼狽で静の動きを封じていた腕の束縛が緩み、その機を逃さずそいつの腕からすり抜け、
「そこか!」
その目に見えぬ動きで『まだそこにいる』ことを察知したそいつが再び静を捕らえようとするも、振りかぶった腕は空しく宙を切った。
「くそ……どこにいる?」
ほんの微かに震える声で、そいつは周囲を睥睨する。
その視線に捉えられるものは当然ながら皆無だった。
見えない相手に備えてか、そいつは全身を緊張させて両腕を胸の辺りで構える。
「────」
うっすらと目を閉じ、あらゆる異変を逃すまいとするいかにも戦闘的なその姿勢は、
可憐と言っていいその風貌には似つかわしくなく、物凄い違和感を醸し出していた。
とん、とん、とん。
連続的に床を踏むような音がそいつの側から徐々に離れていき、塔屋のドアへと向かう。
そいつは後を追うべきかどうが一瞬判断に迷ったが、
ぎい、ばたん。
その隙にドアは閉ざされてしまい、後には静寂と西日だけが残った。
それでもしばらくは警戒を解かないそいつだったが、
「ふう──」
という溜め息とともに、構えを解いて軽く肩をすくめた。
「……『消える』能力だと? だが、これで只者ではないことがはっきりしたね、静・ジョースターさん。
君が何者であるか、必ずこのユージンが暴いてみせる……そう、我が『パンドラ』のために、ね」
その口ぶりは、どこか面白そうな響きを伴っていた。
そいつ──ユージンはなおも独りごちる。
「『アクトン・ベイビー』と言ったな……しかし、ただ『消える』だけの能力では、
純粋な戦闘型の合成人間たる僕の『リキッド』に敵いはしない。姿は消えても、彼女の気配は掴んだ。次は逃がさない」
ぱん。
なんの前触れもないままに響いた景気のいい音と、同時に己の頬に走った衝撃の源を、ユージンは掴み損ねた。
数瞬遅れて、目に見えぬ『誰か』が自分の顔を叩いたのだと理解する。
「まだ……ここにいたのか……逃げた振りをして……?」
それに続くように、屋上を一目散に走る靴の音、ドアのノブをひねる音、錆びた蝶番が開く音、
「待て!」
それを追うように出口に向かって動き出そうとしたその刹那、
「────!!」
ユージンは凄まじいまでの殺気を感じ、反射的に後方に跳躍した。
身に染み付いた動作で戦闘態勢を整え、周囲に警戒の視線を走らせる。
「そこまでにしておきたまえ。色男くん」
と、どこか人を馬鹿にしたような声がユージンの耳に届く。
「そういう乱暴なやり方で女性を口説くものではない。さっきから黙って見ていたが、正直言って──目に余るね」
その間にも、階段を三段飛ばしで駆け下りる軽い体重の反響音が風に乗って届く。
もはやこの場での追跡は不可能だろうと即断し、声の主の居場所を探す。
その居所はすぐに割れた。
屋上敷地の、ユージンが立つ場所から対角線上の正反対の辺りのフェンスの上に、一つの影が佇立していた。
その頭から足元まで黒系の色に染まる筒状のシルエットを見て、ユージンが声を上げる。その声は驚きに満ちていた。
「貴様──ブギーポップか?」
「おや、私を知っているのかね?」
「……僕の記憶が確かなら、貴様は女だったはずだ」
「私の記憶が確かならば、私の『本体』が性転換したという事実は認められないな。
自動的な泡たる私には性別など関係ないが──それでもこの身体は男性のものだよ。
君の知っている『ブギーポップ』は、おそらく私と『泡』の記憶を共有する『同胞』なのだろうね」
「……貴様のような怪人がこの世界にはごろごろしていると言うことか? ──だとしたら、世も末だな」
「ふむ、私も同感だね。この世界はまったくもって救いようがない」
半ば皮肉で言ったつもりが非常に真面目な調子で同意されてしまい、ユージンはちょっと肩透かしを食らう。
「……貴様も静・ジョースターの仲間なのか? だから僕の邪魔をしたのか?」
「さて、どうだろうね。向こうは私のことを友達だと思ってくれるのだろうか。私にはそこを問い質す勇気などないよ。君はどう見る?」
「おい、真面目に──」
「私は必要十分に真面目だよ」
おおむねにおいて無表情であることを自覚しているユージンすら気味の悪さを覚える鉄面皮を顔に載せ、
ブギーポップは真剣そのもの、といった感じで首を傾げてみせた。
「そんなことより……君は彼女の秘密を知りたいかね? 彼女が求めているもの──彼女が挑むべき『カーメン』を」
「知っているのか!?」
ブギーポップを見上げるユージンの身体に、これ以上ないくらいの緊張が走る。
だが、その勝気をいなすように、ブギーポップはまるで関係のなさそうなことを口に上らせた。
「君は大切な思い出があるかい?」
「なんだと? なんの話だ? 僕は『羽』を──」
ユージンの抗弁を遮るように、さらに続ける。
「『それ』は、おそらく君にもあるはずだ……『生きていく』という能力の源たる『掛け替えのないもの』──。
だが、それは裏を返すと『取り返しのつかないもの』に他ならない。
この世界はいつだって残酷だ。私たちは絶えず試されている。その『生きていく』能力を、ね。
その過酷な試練(ディシプリン)の中で、心に抱く『取り返しのつかないもの』と、この世界のバランスが崩れたとき、
そこに『崩壊のビート』が刻まれ、その者は『世界の敵』と成り果てる。
そんな『全てを諦めてしまう』道に進む前に、私たちは全身全霊を以ってあらゆる可能性を試さなければならないんだ。
それが生きると言うことさ。その果てのない闘争からは、誰も逃れることはできない。彼女も、そして、君もね」
なにを言ってるのかさっぱり分からない癖に「なにかを訴えようとしてる」ということだけは分かりすぎるその長広舌に、
さしものユージンも苛立ちを隠せずに声を荒げた。
「なにが言いたい? つまり貴様は僕の敵だと言うことか?」
「いや、それは違う」
と、あっさりと即答され、なんとなく毒気が抜かれたような気分になる。
「少なくとも『今は』私は君の敵ではない。そういう意味では、どちらかと言うと私はあの少女の方をこそ警戒している。
彼女は今、非常にアンバランスな状態にある。君が明確に持っているであろう『思い出』──彼女にはそれが欠落している。
いや──欠落していると思い込んでいる」
「……どういうことだ?」
「そのままの意味さ。彼女には敵であれ味方であれ、この世界に根ざすための助けが必要だ。
だから、私は君に忠告しにきたんだよ。『赤ん坊に気をつけろ(アクトン・ベイビー)』と、ね」
やはり意味不明な内容に、ついユージンは眉をしかめる。
「およそ全ての質問者は等しく回答者として試されている──それが、私が君に言える唯一つのことだ」
「それは……あの、静・ジョースターが僕の敵性存在であると言うことか? 彼女も僕の握る情報を求めて僕を攻撃してくると?」
「さて、その解釈は君に任せるよ」
そう言うやブギーポップばさっとマントを翻す。その背後に隠されていた夕日がユージンの網膜を射抜き、
「く……」
眩んだ視界が回復する頃には、黒ずくめの怪人の姿は陰も形もなく消え去っていた。
今度こそ一人ぼっちになった屋上で、ユージンは夕日が沈みつつあるのをぼうっと眺めていた。
やけに頬が熱い気がして、静・ジョースターに叩かれたことを思い出し、その箇所に手を置く。わずかにひりひりと痛んだ。
「こうも簡単に攻撃を食らったのは久しぶりだな……」
静・ジョースターが何者であるかは未だ未確定だが──それでもはっきりしていることはあった。
この頬に残る熱──それは、尋問に対する彼女の拒絶の意思であり、加えた拷問への報復措置であり、
──合成人間ユージンへの宣戦布告だった。
やけに頬が熱い気がして、静・ジョースターに叩かれたことを思い出し、その箇所に手を置く。わずかにひりひりと痛んだ。
「こうも簡単に攻撃を食らったのは久しぶりだな……」
静・ジョースターが何者であるかは未だ未確定だが──それでもはっきりしていることはあった。
この頬に残る熱──それは、尋問に対する彼女の拒絶の意思であり、加えた拷問への報復措置であり、
──合成人間ユージンへの宣戦布告だった。