ニューヨーク、マンハッタン島。
その中央エリアに位置する巨大ビルは、とある軍需複合体の所有物だった。
外見はただのインテリジェンスビルディングだが、実はそれの内部が高度に武装されたいわば陸の要塞であることを知る者は少ない。
そこが圧倒的な軍事力で裏の世界に君臨する秘密組織『エグリゴリ』の本部であることを知る者も。
カリヨン・タワー。それが、禁忌の技術を積み上げる、現代のバベルの塔であった。
レッドがドアを開けて廊下に出ると、キース・グリーンが声をかけてきた。
「やあ、レッド。身体はもういいのかい?」
「……お蔭さんでな」
「今回は僕の失態のせいで君にも迷惑をかけたと聞いている」
レッドはグリーンが嫌いだった。
真面目が服を着て歩いているような態度も気に食わないし、どこか人を馬鹿にしているような気安さも反発心を掻き立てる。
それらの性格は鼻白む、というほど酷くはなく、きっと本人に悪気はないのだろうという想像はつく。
世間知らずなお坊ちゃん、そんな感じの少年だった。名門と冠詞が付くハイスクールに行けば、この類の人格には幾らでもお目にかかれた。
強力にして特異なARMS『チェシャキャット』を身に宿しているという自負が、彼にそうしたやや無神経な言動を取らせているのだろう。
だがその一点に於いて、レッドはグリーンを嫌悪していた。
「ああ、いい迷惑だったぜ。てめえの仔猫も大したことねーんだな」
「……なんだい、それ。僕の『チェシャキャット』を馬鹿にしているのか?」
ざわ、とグリーンの周囲の気配が変化する。氷のように冷たく、研ぎ澄まされた殺意ある気配へ。
ARMS同士の共振現象により、レッドの両腕が微かに疼いた。
「──いや、止めよう。悪いのは僕だ。その言葉も甘んじて受けるよ。次は上手くやってみせるさ」
ふ、と肩をすくめ、グリーンは笑う。そして、その場から煙のように消えた。空間操作能力を使った瞬間転移能力だ。
グリーンが立っていた場所を睨みながら、レッドは吐き捨てるように呟いた。
「『次は』、か──。いいご身分だな、グリーンよ」
話は数分前にさかのぼる。
カリヨン・タワー最上階の大部分を占める一室にレッドは立っていた。
いつも思う、この部屋には照明が足りない、と。
(この根暗野郎にゃ、ちょうどいいのかもしれねーけどな)
そんなレッドの無意味な愚痴など知る由もなく、巨大な円卓を挟んで向こう側に座る男は口を開いた。
「報告書を読んだ。実に興味深い内容だ」
男──キース・ブラックの声音は極めて無感動であった。本当に興味深く感じているとはとても思えない、
子供の描いた絵を褒めあぐねた大人が義理で『上手な絵だな』とでも言うような口調だった。
「このレポートでお前はこう言っている──
『エグリゴリでも研究中途である高機動型サイボーグの技術を、敵性組織も有していた。
その技術的な方向性もエグリゴリのそれと酷似している。
当方の技術を外部に漏らしている内部的存在の可能性は否定できない』、と」
そう言ったきり、ブラックは口をつぐんだ。沈黙が部屋に満ちる。ブラックは組んだ手で口元を隠しており、その表情は窺えない。
「……それがどうした」
静寂に耐え切れずレッドは言葉を吐き出す。それに答えたのはブラックではなく、その傍らに立つキース・シルバーだった。
「レッドよ、お前の所見など必要ない。可能性の有無を判断するのは我々だ。お前は与えられた任務をこなすことだけを考えろ」
その突き放したような言い草に、レッドはかっとなる。
「オレはなにも考える必要がないってか? 黙ってあんたらのお使いやってろってか!?
ふざけろよ、高いところから見下しやがって、どれだけ偉いんだよ、あんたら! オレは──」
「やめなさい、レッド。兄さんに向かってその口の利き方はなんだ?」
シルバーとは正反対の位置に立つ、ハイティーンの娘がたしなめるようにレッドの言葉を制した。
「黙ってろよ、バイオレット! オレはブラックと話をしているんだ!
あんたらがどれだけ強いか知らないがな、オレだって新しい力を手に入れた!
あんたらがオレを下に見る理由なんてもうどこにもないんだ!」
「なにを……言っているの?」
バイオレットと呼ばれた娘は、戸惑うようにレッドを見る。それに応じて、シルバーが補足説明を行う。
「先の任務で、レッドの『グリフォン』は新たな能力を発現させた。高周波を発し周囲の環境に破壊をもたらす能力、
──と、本人の報告書にある」
「そうさ、オレは力を手に入れた。オレの『グリフォン』は──」
「使ってみろ」
レッドの叫び声を縫うように、その声は部屋に響き渡った。
「……なに?」
「使ってみるといい、今、ここで」
ブラックの声だった。静かな、だが容赦のない口調だった。
「ちょ、ちょっとブラック兄さん」
すう、と片手を挙げ、制止しかけたバイオレットを黙らせる。
「どうした、レッド。私はお前の力が見たいんだ。遠慮はいらない。
お前が我ら『マッド・ティー・パーティー』に名を連ねる資格があるところを見せてみろ」
エグリゴリの最たるトップエリートを示すその言葉を聞かされて、レッドの脳裏でなにかが弾けた。
「後悔するなよ!」
『グリフォン』を発動させ、異形の姿へと変じた右腕を正面に突き出す。
(さあ、力を見せ付けてやれ、『グリフォン』!)
だが──。
「なんでだ……? 何故なにも起こらない!?」
あの密林で見せた超絶的な破壊が嘘だったかのように、なんの変化もそこに現れなかった。
どれだけ意識を集中しても、そよ風一つ起こらなかった。
「らしくないな、レッド。柄にもなく冷静さを失ったのか」
焦燥に駆られたレッドの心を射抜くように、ブラックの冷たい声が浴びせられる。
「サイボーグを破壊したのは、お前の力ではない。セピアのARMS『モックタートル』の能力に依るところが大きい。
彼女の『ニーベルングの指輪』によって、一時的にお前の潜在能力が引き出されただけだ。
『モックタートル』には直接的な攻撃能力は無い。だが代わりに他者のARMSの力を引き出して戦う。
ちょっと考えれば誰にも分かることだ。お前はそれを自分自身の力と勘違いしたのだ。
お前が見た破壊の世界、それはただの幻想だ」
「な……」
冷や汗がレッドの背中に走る。あの力はまやかしだった? オレの力じゃなかった?
「……だ、だが、それがオレの潜在能力だというなら」
もはや自分でもなにを言ってるのか分からなくなってくる。
「オレの力が完全に引き出されると、そうなるというなら、オレは」
「レッド──」
バイオレットが眉根を寄せ、どこか辛そうな表情でレッドを見ていた。
「バイオレット、オレは、本当は誰にも負けない力を持っているんだ」
「見苦しいぞ、レッド」
シルバーがそう一喝し、左腕をレッドに向ける。それと同時に、強烈な電撃がレッドを襲った。
「『ブリューナクの槍』──応用次第では、このように高電圧を敵に放つという使い方も可能だ。
レッド、これが力だ。自らの限界を知り、そこから導き出した可能性を実現させる。それが戦士というものだ。
現実に存在しない力など力ではない。実現しなかった『可能性』にはなんの価値もない」
「……オレは」
(オレは馬鹿だ……!)
虚脱したように膝を落とすレッドに、遥かな高みから声が降ってくる。
その声はとても遠く聞こえた。決して届かぬ世界からの呼び声だった。
「だが、私はお前に期待しているのだよ、レッド。お前もまた、我らと同じキースシリーズなのだから。
お前の次の任務はすでに用意してある。幾多の戦場を潜り抜け、強くなれ」
わずかに灯っていた照明も消え、部屋は暗黒に沈む。
「全ては、我らが母『アリス』の為に」
そして、部屋から出たところでレッドはグリーンと鉢合わせしたのだった。
鬱屈した感情に任せてグリーンを挑発してみたが、彼はそれに乗らなかった。
そのせいで余計惨めな気持ちになったレッドは、窓辺に寄りかかる。
外はもう夕暮れで、真っ赤な太陽が柔らかくレッドを照らしていた。
(あー、どーしてこう空回りばっかなんだろーな、オレ──)
他の兄弟を見返してやろうと必死だったが、その歪みのためにとんでもない思い上がりを心に生じさせてしまった。
人を信じることもできず、今、自分をも裏切ってしまった。
この世界で自分だけが孤独であるような気がして、レッドは虚ろに窓の外を眺めていた。
「災難だったな、レッド」
その落ち着いたアルトヴォイスの方向へ、レッドは力なく首を曲げる。
腰に手を当てて立つバイオレットが、笑っているのか困っているのかよく分からない微妙な表情をレッドに向けていた。
「わたしも報告書を読ませてもらった。状況が状況だ。その種の誤認が生じるのも無理はない。
なにより、キース・セピアの能力は特殊すぎた」
「気休めはよしてくれよ。オレは……自分のことも分かっていなかったんだ」
女性型というパーソナリティのためか、それともバイオレットという個人の性格によるものなのか、
彼女には他のキースシリーズに比べて排他性や刺々しさというものをあまり感じなかった。
「キース・セピアのことも憎んでいるか?」
質問の意味が分からず、レッドはバイオレットの整った横顔を見つめた。
「どういう意味だ?」
バイオレットはちらとレッドを見、再び窓を見た。
「彼女もキースシリーズだ。あなたがキースという名前を憎んでいることは知っている。
それに、セピアのせいで、あなたはわたしたちの前でいらぬ屈辱を受けた。違うか?」
「……そうか」
「ん?」
「そういう考え方も、あるよな」
確かにあの密室での出来事は、今思い出しても腸の煮えくり返るような出来事だった。
だが、バイオレットに指摘されるまで、いや、現に指摘されたこの瞬間でも、
その屈辱とセピアを結びつけて考えることは出来なかった。
「いや、あいつのことは別になんとも思ってねーよ。あいつはそういうんじゃなくて、もっと別の……」
「別の?」
ここではなどこか、今ではないいつか、不思議の国で出会ったお姫様のような──。
自分がいる暗黒の渦のような世界とはまったく別の、苛立ちも憎しみも無い世界の住人、そんな気がした。
「なんでもねーよ」
……それに、あのときの、あの密林の中での、心からの笑いは嘘じゃない。
確かにオレは、新しい力の片鱗を見た。新しい世界を見た。
未来のない運命を突破する、過去よりの呪縛を解き放つ、そういう輝くような力の欠片を。
今はそれに手が届かなかったが、きっと、いつか──。
「ま、とにかく、しばらくはあんたらキースどもの顔は見たくねーな」
冗談めかしてそう言うと、バイオレットは深刻な表情でレッドの瞳を覗き込んできた。
「それは……実に災難だな」
「……はあ?」
またも意味の分からない顔をするレッドへ、バイオレットは心配そうな顔で続けた。
「新しい任務の話、聞いていないのか?」
バイオレットがその扉を開けると、一秒の間も置かずに小柄な体躯が彼女にぶつかってきた。
「お姉さまー!」
「『お姉さま』はやめなさいと言ってるのに。しかし、よくわたしだと分かったな」
「えへへ、そりゃ分かりますよ。わたしの肌は特別製ですから」
「……バイオレット、こいつとは知り合いなのか?」
「ああ。歳は違えど、彼女とわたしは同じラボの出身だ。つまりは同窓さ」
「あ、また会えたねレッド。あれ? するとなんですか、レッドがわたしの?」
「そういうことになるな、セピア」
「えー、わたし、お姉さまがいいです」
「ダメだ。これは命令だからな。折を見て顔を見に来てあげよう」
「ホントですか?」
「ああ、約束する」
珍しく笑みを浮かべるバイオレットと相変わらずにこにこ笑っているセピアを見比べながら、レッドは限りなく嫌な予感を覚えた。
「バイオレット、これはどういうことだ?」
「どうもこうもない、見ての通りだ。マテリアル107改めキース・セピアは、幹部候補生として正式にエグリゴリに所属することになった。
ARMSの定着状態や本人の体調不良のため長らく『ヴィクティム』扱いだったのが、
今回の強奪事件で『本部にて管理しつつ、有効に運用すべき』との方針に変更されたのだ。
彼女の適性から情報管理の部門に配属されることが内定しているが、それ以前の問題として彼女は『キース』だ。
エグリゴリの中枢を担うべく、過酷な任務を与えてARMSの性能を磨かなければならない。
だが、お前も知ってるとは思うが、セピアは虚弱体質だ。単独での任務に耐え得ないだろう」
ここからが話の本題だと言うかのように、バイオレットはレッドに頷いてみせた。
「そこで、キース・セピアはキース・レッドの指揮下に入り、ツーマンセルのユニットとして任務に当たってもらう。
レッド、あなたは通常の任務の他に、キース・セピアを指揮し、監督し、管理する、という任務が与えられる。
期間は半年。それまで、情報管理部門へは出向扱いとなる。つまり、あなたが名実共にセピアの上官になるのだ」
再びレッドの予感は実った。今度こそはっきりと嬉しくなく、重い頭痛がした。
そんなレッドの心境にお構いなく、セピアは底抜けに明るい声ではしゃぎだした。
「よろしく、レッド。……あ、わたしの上官になるんだから、サー・レッドとかのほうがいい?」
かと思うといきなり手をぱんと叩き、
「そうそうそう、忘れてた」
部屋の隅の戸棚まで駆け寄ると、すぐに戻ってくる。
「ほらほら見て。これでもう転ばないよ。どう?」
細いフレームのメガネの奥からアーンモンド形の目を瞬かせ、得意げに、無い胸を張った。
「バ、バイオレット……」
それからさらにあーでもないこーでもないと絶え間なくしゃべり続けるセピアに辟易して、レッドは救いを求めて彼女の姿を探す。
「少々かしましいが、賢く優しい子だ。ちゃんと面倒を見てやるといい」
いつの間に淹れたのか、湯気の立つアールグレイを口に運びながら、バイオレットは薄く目を閉じた。
第四話『塔』 了
その中央エリアに位置する巨大ビルは、とある軍需複合体の所有物だった。
外見はただのインテリジェンスビルディングだが、実はそれの内部が高度に武装されたいわば陸の要塞であることを知る者は少ない。
そこが圧倒的な軍事力で裏の世界に君臨する秘密組織『エグリゴリ』の本部であることを知る者も。
カリヨン・タワー。それが、禁忌の技術を積み上げる、現代のバベルの塔であった。
レッドがドアを開けて廊下に出ると、キース・グリーンが声をかけてきた。
「やあ、レッド。身体はもういいのかい?」
「……お蔭さんでな」
「今回は僕の失態のせいで君にも迷惑をかけたと聞いている」
レッドはグリーンが嫌いだった。
真面目が服を着て歩いているような態度も気に食わないし、どこか人を馬鹿にしているような気安さも反発心を掻き立てる。
それらの性格は鼻白む、というほど酷くはなく、きっと本人に悪気はないのだろうという想像はつく。
世間知らずなお坊ちゃん、そんな感じの少年だった。名門と冠詞が付くハイスクールに行けば、この類の人格には幾らでもお目にかかれた。
強力にして特異なARMS『チェシャキャット』を身に宿しているという自負が、彼にそうしたやや無神経な言動を取らせているのだろう。
だがその一点に於いて、レッドはグリーンを嫌悪していた。
「ああ、いい迷惑だったぜ。てめえの仔猫も大したことねーんだな」
「……なんだい、それ。僕の『チェシャキャット』を馬鹿にしているのか?」
ざわ、とグリーンの周囲の気配が変化する。氷のように冷たく、研ぎ澄まされた殺意ある気配へ。
ARMS同士の共振現象により、レッドの両腕が微かに疼いた。
「──いや、止めよう。悪いのは僕だ。その言葉も甘んじて受けるよ。次は上手くやってみせるさ」
ふ、と肩をすくめ、グリーンは笑う。そして、その場から煙のように消えた。空間操作能力を使った瞬間転移能力だ。
グリーンが立っていた場所を睨みながら、レッドは吐き捨てるように呟いた。
「『次は』、か──。いいご身分だな、グリーンよ」
話は数分前にさかのぼる。
カリヨン・タワー最上階の大部分を占める一室にレッドは立っていた。
いつも思う、この部屋には照明が足りない、と。
(この根暗野郎にゃ、ちょうどいいのかもしれねーけどな)
そんなレッドの無意味な愚痴など知る由もなく、巨大な円卓を挟んで向こう側に座る男は口を開いた。
「報告書を読んだ。実に興味深い内容だ」
男──キース・ブラックの声音は極めて無感動であった。本当に興味深く感じているとはとても思えない、
子供の描いた絵を褒めあぐねた大人が義理で『上手な絵だな』とでも言うような口調だった。
「このレポートでお前はこう言っている──
『エグリゴリでも研究中途である高機動型サイボーグの技術を、敵性組織も有していた。
その技術的な方向性もエグリゴリのそれと酷似している。
当方の技術を外部に漏らしている内部的存在の可能性は否定できない』、と」
そう言ったきり、ブラックは口をつぐんだ。沈黙が部屋に満ちる。ブラックは組んだ手で口元を隠しており、その表情は窺えない。
「……それがどうした」
静寂に耐え切れずレッドは言葉を吐き出す。それに答えたのはブラックではなく、その傍らに立つキース・シルバーだった。
「レッドよ、お前の所見など必要ない。可能性の有無を判断するのは我々だ。お前は与えられた任務をこなすことだけを考えろ」
その突き放したような言い草に、レッドはかっとなる。
「オレはなにも考える必要がないってか? 黙ってあんたらのお使いやってろってか!?
ふざけろよ、高いところから見下しやがって、どれだけ偉いんだよ、あんたら! オレは──」
「やめなさい、レッド。兄さんに向かってその口の利き方はなんだ?」
シルバーとは正反対の位置に立つ、ハイティーンの娘がたしなめるようにレッドの言葉を制した。
「黙ってろよ、バイオレット! オレはブラックと話をしているんだ!
あんたらがどれだけ強いか知らないがな、オレだって新しい力を手に入れた!
あんたらがオレを下に見る理由なんてもうどこにもないんだ!」
「なにを……言っているの?」
バイオレットと呼ばれた娘は、戸惑うようにレッドを見る。それに応じて、シルバーが補足説明を行う。
「先の任務で、レッドの『グリフォン』は新たな能力を発現させた。高周波を発し周囲の環境に破壊をもたらす能力、
──と、本人の報告書にある」
「そうさ、オレは力を手に入れた。オレの『グリフォン』は──」
「使ってみろ」
レッドの叫び声を縫うように、その声は部屋に響き渡った。
「……なに?」
「使ってみるといい、今、ここで」
ブラックの声だった。静かな、だが容赦のない口調だった。
「ちょ、ちょっとブラック兄さん」
すう、と片手を挙げ、制止しかけたバイオレットを黙らせる。
「どうした、レッド。私はお前の力が見たいんだ。遠慮はいらない。
お前が我ら『マッド・ティー・パーティー』に名を連ねる資格があるところを見せてみろ」
エグリゴリの最たるトップエリートを示すその言葉を聞かされて、レッドの脳裏でなにかが弾けた。
「後悔するなよ!」
『グリフォン』を発動させ、異形の姿へと変じた右腕を正面に突き出す。
(さあ、力を見せ付けてやれ、『グリフォン』!)
だが──。
「なんでだ……? 何故なにも起こらない!?」
あの密林で見せた超絶的な破壊が嘘だったかのように、なんの変化もそこに現れなかった。
どれだけ意識を集中しても、そよ風一つ起こらなかった。
「らしくないな、レッド。柄にもなく冷静さを失ったのか」
焦燥に駆られたレッドの心を射抜くように、ブラックの冷たい声が浴びせられる。
「サイボーグを破壊したのは、お前の力ではない。セピアのARMS『モックタートル』の能力に依るところが大きい。
彼女の『ニーベルングの指輪』によって、一時的にお前の潜在能力が引き出されただけだ。
『モックタートル』には直接的な攻撃能力は無い。だが代わりに他者のARMSの力を引き出して戦う。
ちょっと考えれば誰にも分かることだ。お前はそれを自分自身の力と勘違いしたのだ。
お前が見た破壊の世界、それはただの幻想だ」
「な……」
冷や汗がレッドの背中に走る。あの力はまやかしだった? オレの力じゃなかった?
「……だ、だが、それがオレの潜在能力だというなら」
もはや自分でもなにを言ってるのか分からなくなってくる。
「オレの力が完全に引き出されると、そうなるというなら、オレは」
「レッド──」
バイオレットが眉根を寄せ、どこか辛そうな表情でレッドを見ていた。
「バイオレット、オレは、本当は誰にも負けない力を持っているんだ」
「見苦しいぞ、レッド」
シルバーがそう一喝し、左腕をレッドに向ける。それと同時に、強烈な電撃がレッドを襲った。
「『ブリューナクの槍』──応用次第では、このように高電圧を敵に放つという使い方も可能だ。
レッド、これが力だ。自らの限界を知り、そこから導き出した可能性を実現させる。それが戦士というものだ。
現実に存在しない力など力ではない。実現しなかった『可能性』にはなんの価値もない」
「……オレは」
(オレは馬鹿だ……!)
虚脱したように膝を落とすレッドに、遥かな高みから声が降ってくる。
その声はとても遠く聞こえた。決して届かぬ世界からの呼び声だった。
「だが、私はお前に期待しているのだよ、レッド。お前もまた、我らと同じキースシリーズなのだから。
お前の次の任務はすでに用意してある。幾多の戦場を潜り抜け、強くなれ」
わずかに灯っていた照明も消え、部屋は暗黒に沈む。
「全ては、我らが母『アリス』の為に」
そして、部屋から出たところでレッドはグリーンと鉢合わせしたのだった。
鬱屈した感情に任せてグリーンを挑発してみたが、彼はそれに乗らなかった。
そのせいで余計惨めな気持ちになったレッドは、窓辺に寄りかかる。
外はもう夕暮れで、真っ赤な太陽が柔らかくレッドを照らしていた。
(あー、どーしてこう空回りばっかなんだろーな、オレ──)
他の兄弟を見返してやろうと必死だったが、その歪みのためにとんでもない思い上がりを心に生じさせてしまった。
人を信じることもできず、今、自分をも裏切ってしまった。
この世界で自分だけが孤独であるような気がして、レッドは虚ろに窓の外を眺めていた。
「災難だったな、レッド」
その落ち着いたアルトヴォイスの方向へ、レッドは力なく首を曲げる。
腰に手を当てて立つバイオレットが、笑っているのか困っているのかよく分からない微妙な表情をレッドに向けていた。
「わたしも報告書を読ませてもらった。状況が状況だ。その種の誤認が生じるのも無理はない。
なにより、キース・セピアの能力は特殊すぎた」
「気休めはよしてくれよ。オレは……自分のことも分かっていなかったんだ」
女性型というパーソナリティのためか、それともバイオレットという個人の性格によるものなのか、
彼女には他のキースシリーズに比べて排他性や刺々しさというものをあまり感じなかった。
「キース・セピアのことも憎んでいるか?」
質問の意味が分からず、レッドはバイオレットの整った横顔を見つめた。
「どういう意味だ?」
バイオレットはちらとレッドを見、再び窓を見た。
「彼女もキースシリーズだ。あなたがキースという名前を憎んでいることは知っている。
それに、セピアのせいで、あなたはわたしたちの前でいらぬ屈辱を受けた。違うか?」
「……そうか」
「ん?」
「そういう考え方も、あるよな」
確かにあの密室での出来事は、今思い出しても腸の煮えくり返るような出来事だった。
だが、バイオレットに指摘されるまで、いや、現に指摘されたこの瞬間でも、
その屈辱とセピアを結びつけて考えることは出来なかった。
「いや、あいつのことは別になんとも思ってねーよ。あいつはそういうんじゃなくて、もっと別の……」
「別の?」
ここではなどこか、今ではないいつか、不思議の国で出会ったお姫様のような──。
自分がいる暗黒の渦のような世界とはまったく別の、苛立ちも憎しみも無い世界の住人、そんな気がした。
「なんでもねーよ」
……それに、あのときの、あの密林の中での、心からの笑いは嘘じゃない。
確かにオレは、新しい力の片鱗を見た。新しい世界を見た。
未来のない運命を突破する、過去よりの呪縛を解き放つ、そういう輝くような力の欠片を。
今はそれに手が届かなかったが、きっと、いつか──。
「ま、とにかく、しばらくはあんたらキースどもの顔は見たくねーな」
冗談めかしてそう言うと、バイオレットは深刻な表情でレッドの瞳を覗き込んできた。
「それは……実に災難だな」
「……はあ?」
またも意味の分からない顔をするレッドへ、バイオレットは心配そうな顔で続けた。
「新しい任務の話、聞いていないのか?」
バイオレットがその扉を開けると、一秒の間も置かずに小柄な体躯が彼女にぶつかってきた。
「お姉さまー!」
「『お姉さま』はやめなさいと言ってるのに。しかし、よくわたしだと分かったな」
「えへへ、そりゃ分かりますよ。わたしの肌は特別製ですから」
「……バイオレット、こいつとは知り合いなのか?」
「ああ。歳は違えど、彼女とわたしは同じラボの出身だ。つまりは同窓さ」
「あ、また会えたねレッド。あれ? するとなんですか、レッドがわたしの?」
「そういうことになるな、セピア」
「えー、わたし、お姉さまがいいです」
「ダメだ。これは命令だからな。折を見て顔を見に来てあげよう」
「ホントですか?」
「ああ、約束する」
珍しく笑みを浮かべるバイオレットと相変わらずにこにこ笑っているセピアを見比べながら、レッドは限りなく嫌な予感を覚えた。
「バイオレット、これはどういうことだ?」
「どうもこうもない、見ての通りだ。マテリアル107改めキース・セピアは、幹部候補生として正式にエグリゴリに所属することになった。
ARMSの定着状態や本人の体調不良のため長らく『ヴィクティム』扱いだったのが、
今回の強奪事件で『本部にて管理しつつ、有効に運用すべき』との方針に変更されたのだ。
彼女の適性から情報管理の部門に配属されることが内定しているが、それ以前の問題として彼女は『キース』だ。
エグリゴリの中枢を担うべく、過酷な任務を与えてARMSの性能を磨かなければならない。
だが、お前も知ってるとは思うが、セピアは虚弱体質だ。単独での任務に耐え得ないだろう」
ここからが話の本題だと言うかのように、バイオレットはレッドに頷いてみせた。
「そこで、キース・セピアはキース・レッドの指揮下に入り、ツーマンセルのユニットとして任務に当たってもらう。
レッド、あなたは通常の任務の他に、キース・セピアを指揮し、監督し、管理する、という任務が与えられる。
期間は半年。それまで、情報管理部門へは出向扱いとなる。つまり、あなたが名実共にセピアの上官になるのだ」
再びレッドの予感は実った。今度こそはっきりと嬉しくなく、重い頭痛がした。
そんなレッドの心境にお構いなく、セピアは底抜けに明るい声ではしゃぎだした。
「よろしく、レッド。……あ、わたしの上官になるんだから、サー・レッドとかのほうがいい?」
かと思うといきなり手をぱんと叩き、
「そうそうそう、忘れてた」
部屋の隅の戸棚まで駆け寄ると、すぐに戻ってくる。
「ほらほら見て。これでもう転ばないよ。どう?」
細いフレームのメガネの奥からアーンモンド形の目を瞬かせ、得意げに、無い胸を張った。
「バ、バイオレット……」
それからさらにあーでもないこーでもないと絶え間なくしゃべり続けるセピアに辟易して、レッドは救いを求めて彼女の姿を探す。
「少々かしましいが、賢く優しい子だ。ちゃんと面倒を見てやるといい」
いつの間に淹れたのか、湯気の立つアールグレイを口に運びながら、バイオレットは薄く目を閉じた。
第四話『塔』 了