『迂回と焼菓 ③』
「どういうことだ……僕のせいで小狼くんが死にかけているだと?」
ラウンダバウトは信じがたいものを見るように、揺れる視線を十和子に注ぐ。
女のものとは思えぬ力で彼女を壁に押し付けている十和子が、吐き捨てるように答えた。
「そんなに信じられないなら自分の目で確かめれば? 来るの? 来ないの?
──ま、嫌だと言っても無理やり引きずって連れて行くけどね」
「君にそれが出来るとは思えないね。脅しとは相応の実力があって初めて効果を発揮するものだ。
その点、君程度の普通人が僕に敵う訳がないよ」
明らかに気圧されている自分を認めるのが嫌で、ラウンダバウトはそんなことを言う。
だが、その心の動きすらをも見通すように、十和子の歪んだ笑みが返ってくる。
「強がってんじゃねーわよ。あたしに本名と能力を見破られてビビってんのが滲み出てんのよ。え? ラウンダバウトちゃん?」
ぐ、と言葉に詰まり、だが、図星を突かれたことで逆に冷静さを取り戻した彼女は、意を決して十和子を見据えた。
「……分かった。僕を小狼くんのところへ連れて行ってくれ」
「ふん。最初からそう言やいーのによ」
十和子は突き飛ばすようにラウンダバウトの襟から手を離す。そして踵を返して放送室の出口へとすたすた歩き始めた。
乱れた襟元を直しながら、ラウンダバウトも急いで後を追う。
その背中を見ながら、なぜか不思議な気持ちになった。
遠野十和子という少女の強引さ、恐れのなさは、どこかで見たような気がする、と。
ラウンダバウトは信じがたいものを見るように、揺れる視線を十和子に注ぐ。
女のものとは思えぬ力で彼女を壁に押し付けている十和子が、吐き捨てるように答えた。
「そんなに信じられないなら自分の目で確かめれば? 来るの? 来ないの?
──ま、嫌だと言っても無理やり引きずって連れて行くけどね」
「君にそれが出来るとは思えないね。脅しとは相応の実力があって初めて効果を発揮するものだ。
その点、君程度の普通人が僕に敵う訳がないよ」
明らかに気圧されている自分を認めるのが嫌で、ラウンダバウトはそんなことを言う。
だが、その心の動きすらをも見通すように、十和子の歪んだ笑みが返ってくる。
「強がってんじゃねーわよ。あたしに本名と能力を見破られてビビってんのが滲み出てんのよ。え? ラウンダバウトちゃん?」
ぐ、と言葉に詰まり、だが、図星を突かれたことで逆に冷静さを取り戻した彼女は、意を決して十和子を見据えた。
「……分かった。僕を小狼くんのところへ連れて行ってくれ」
「ふん。最初からそう言やいーのによ」
十和子は突き飛ばすようにラウンダバウトの襟から手を離す。そして踵を返して放送室の出口へとすたすた歩き始めた。
乱れた襟元を直しながら、ラウンダバウトも急いで後を追う。
その背中を見ながら、なぜか不思議な気持ちになった。
遠野十和子という少女の強引さ、恐れのなさは、どこかで見たような気がする、と。
十和子と共に向かった先の保健室には、すでに四人ほどの人間が集まっていた。
一人は学校の職員と思しき白衣の女性、そして中等部の制服を着た男子学生、そして──。
「小狼くん、サクラさん」
ラウンダバウトの呼びかけに応えて顔を上げたのは、ベッドの横に立ち尽くす少女──木之本桜だけだった。
李小狼は応えなかった。……いや、応えることが出来なかった。
ベッドに仰向けに寝かされ、目を閉じ、蝋のような顔色で身動き一つ取らずにいた。
シーツからはみ出た彼の白い手を、サクラが縋りつくように両手で握り締めている。
そうしていないと、今すぐにでも手の届かない遠くに行ってしまうのだ、とでもいうような切実さで。
「サクラさん、小狼くんはいったい!?」
「克巳さん……分かりません。急に小狼くん、ぐったりして動かなくなって……」
咄嗟に本来の能力──生体波動のソナーによる対象のの把握──で小狼の状態を探ったラウンダバウトだったが、危うく叫び声を上げてしまうところだった。
一言で言って、小狼は生きていなかった。『生きている』とはとても言えない状況だった。
だが──その一方で、完全に『死んで』もいなかった。
「奇妙なことにね、彼の脈拍は分に二十五程度で安定してるの。人間の心拍数じゃないわ、これ」
そう言ったのは、サクラの背後に立つ白衣の女性だった。
彼女のことは、この学校のことを事前に調べた際に名前だけは把握していた。この学校の養護教諭である五十嵐初佳だ。
「呼吸も極度にペースが落ちている。とてもじゃないけど、生命活動を維持できるレベルじゃないのよ。
なのに……それを保ち続けているの。それ以上死に近づくこともなく、まるで──」
初佳はそこで言いにくそうに言葉を飲み込んだ。
ベッドの上の小狼は、それこそ死んだように眠っている。
その手を指先が白くなるまで握り締め、サクラは震える声でラウンダバウトに言った。
「克巳さん……お願いです、小狼くんを助けてください」
今にも泣き出しそうなほど顔を歪ませ、それでも懸命に涙をこらえているサクラを見て、ラウンダバウトに動揺が走る。
(僕が小狼くんに『能力』を行使したのは断じてこのような状況を呼び寄せるためではないのに……。
僕は、また間違えてしまったのか……!? くそ、いったいなんのための『迂回』だと言うんだ……!)
「──来たわね」
「ええ、約束どおり連れてきたわよ、魔女さん」
その一瞬、ラウンダバウトは奇妙な感覚に襲われた。
今の会話──後者は遠野十和子の声であるが、前者の声がどこから聞こえてきたのか掴み損ねたのだった。
声のしたほうに首を巡らると、そこには真っ白く塗られた壁があり、そこに女性の肖像が映し出されていた。
光の縁の中の女性はわずかに身じろぎしながら静かな視線をこちらに注いでいる。
反対側を見る。そこには白いぬいぐるみのような物があり、その額にはめ込まれた宝玉から光の像が放たれているようだった。
映写機にしては変わった形をしている、という感想が脳裏を掠めたが、それどころではないので即座に意識から消える。
「あなたが『迂回』の『ラウンダバウト』ね」
壁に映る全身黒ずくめの女性は、そう口火を切った。
「わたしは壱原侑子。『次元の魔女』『極東の魔女』とも呼ばれているわ。あなたの呼びやすいように呼んで頂戴。
変な呼び出し方をして悪かったわ。だけど、ただ呼び出したのじゃ警戒されて出てこない可能性があるから、
絶対に食いつく罠を仕掛けよう──というのが、そこの遠野十和子さんのアイディアよ」
ランダバウトは十和子をちらりとを見、その視線に気づいた十和子が軽く肩をすくめた。
「……時間はあまり残されていないから、簡単に状況を説明しましょう。
まず──あなたは、そこの二人を監視していたわね。『羽』の情報を得るために」
ややためらった後、ラウンダバウトはゆっくりと頷いた。サクラと小狼の方を見ることは出来なかった。
うなだれるように目を伏せ、話の続きを待つ。
「結論から言うと、あなたが小狼を通じて得た情報はおおむね正しいわ。
この子達は失われた『羽』を取り戻すために、数々の異世界を──水面の向こう側の、似て非なるセカイを渡る旅人よ。
その異なる次元を渡る術は、私が与えたものよ。相応の『対価』と引き換えに」
ここで、初佳がおずおずと手を上げる。
「あの、壱原さん。やっぱマジなんですか、それ? はっきり言うとちょっち話に付いていけないって言うか、ねえ」
「五十嵐初佳さん、あなたの知るセカイだけがこのセカイの全てではないわ。見えないからといって、『それ』が存在しない理由にはならないものよ」
彼女にもこちら側の映像が届いているのか、侑子は向こう側の世界からはっきりと初佳を視線を定めて言う。
「それに、常識を『突破』した概念が──他の者にはとても信じてもらえないような、
アンバランスで不気味な存在が、この世には確実に『ある』ことを、あなたもまた知っているはずよ。そうでしょう?」
そう言われて思い当たる節があるのか、初佳はちょっと微妙な顔をして口を閉じた。
ラウンダバウトについて言えば、思い当たる点はかなりある。
なにしろ、彼女はかつて世界を裏から牛耳る正体不明の組織のエージェントで、彼女自身は造られた生命、いわば有機的ロボットなのだ。
「さて──ラウンダバウト。あなたの『能力』を今この場で説明してもらえる?」
言われて、ラウンダバウトは躊躇した。
合成人間にとって、『能力』を他人に教えることは自分にとって非常に不利に働く。
殊に、ラウンダバウトの『能力』は敵をハメることに特化した能力だ。それを教えるということは、致命的な弱点を教えることとまるで変わらない。
「あるものを得るためには常に対価が必要だわ。あなたの生命線とも言うべき『能力』、それがあなたが今の状況を把握するために要求される対価よ。
もちろん、あなたがどうしても教えたくないと言うなら、それはそれで仕方のないことだわ。それを決めるのはあなたで、わたしたちが口を挟むことは出来ない」
その理屈は理解できる。
この世界にはリスクが満ちている。それを『迂回』するためには、それに見合った努力を払わねばならない。
だが──。
「う、うう……」
ラウンダバウトの逡巡を見澄ましたように、それまで黙っていた十和子が口を挟んだ。
「黙ってたって無駄よ、奈良崎。あんたが嫌がってもあたしがバラす。あたしは小狼くんを助けるわ。
それであんたがどんだけピンチになろうと、まあ──知ったこっちゃないわね。泣いて頼むなら、あんたも助けてあげてもいーけどさ」
ラウンダバウトは弾かれたような勢いで十和子を見た。
彼女の目には、疚しさも開き直りの色も無かった。
ただ、純粋に彼を助けるという意思だけがそこにあるように見える。
『それ』をするためには躊躇もなにも無い、そのことで気後れを感じてしまうようなら、そんな『心』など要らない──それはそんな感じの目だった。
「──サクラさん」
「……はい」
ラウンダバウトはサクラに向き直った。
その澄んだ瞳が、ラウンダバウトを射抜く。
「僕は君と小狼くんに謝らなければならない。僕は君たちを騙していた。君たちに近づいたのは『羽』の情報を得るためだった。
友達になった振りをして、君たちを見張っていたんだ」
「やっぱり……克巳さんが『迂回』の『ラウンダバウト』だったんですね」
「それはどういう意味かな?」
「あなたとお話していると、いつもそんな言葉が心の中に響いてくるんです。
意味は分からなかったけど、きっと克巳さんにとって大事な言葉なんだろうって思ってました。
小狼くんが倒れて、次元の魔女さんが『迂回』の名を持つものを探せ、というヒントをくれたとき、やっぱり思い浮かんだのはあなたの顔でした」
「──その子は『夢見』のチカラを持っているわ。不完全ながらも、未来を見通す稀なるチカラよ」
と、横から侑子が注釈を入れてきた。
「そうか……ならば、僕はそのことに礼を言わなくてはならないね。
覚えているかな? 『困ったことがあるならいつでも僕のところに来るといい』と言ったことを」
「はい」
「それもただの口から出た社交辞令だったのだけど、今この瞬間だけは……その『嘘』を『真実』に変えてみせる」
ラウンダバウトはそっとサクラのそばに跪き、その小さな手を取って口を付けた。
「必ずや小狼くんを助けることを君に誓うよ」
そして立ち上がった彼女は、身を振り返って壁に映る侑子を見据えた。
「壱原侑子さん……でしたね? 僕は合成人間ラウンダバウト。奈良崎克巳という名前で人間社会に潜伏しています。
『能力』に特に名前はありません。強いて言えば、僕の『迂回(ラウンダバウト)』という名前がその能力をも表現しています。
その能力は相手の『隙』を感知すること。そして、舌から発する高周波でその『隙』に『油断』という暗示を打ち込む技術を持っています」
人生は迂回だ、とラウンダバウトは思う。
危険は避けなければならない。障害は迂回しなければならない。
だが──決して迂回できない危機の前に、そうした態度は脆くも崩れ去る。
その状況を前にしてなおも『迂回』を試みるのは愚の骨頂で、本当ならそれ以前の段階で──危機と出会う前に『迂回』しなければならないのだ。
そのことに失敗した今、自分がなすべきことは──さらなる危機を『迂回』すべく、この状況を突き進むことである。
「今なにが起こっているのか……いったい、僕がなにをしてしまったのかということと、そして……彼を助ける方法を教えてください」
凛と響くラウンダバウトの声に、次元の魔女──壱原侑子は静かに宣言した。
「──その願い、叶えましょう」
一人は学校の職員と思しき白衣の女性、そして中等部の制服を着た男子学生、そして──。
「小狼くん、サクラさん」
ラウンダバウトの呼びかけに応えて顔を上げたのは、ベッドの横に立ち尽くす少女──木之本桜だけだった。
李小狼は応えなかった。……いや、応えることが出来なかった。
ベッドに仰向けに寝かされ、目を閉じ、蝋のような顔色で身動き一つ取らずにいた。
シーツからはみ出た彼の白い手を、サクラが縋りつくように両手で握り締めている。
そうしていないと、今すぐにでも手の届かない遠くに行ってしまうのだ、とでもいうような切実さで。
「サクラさん、小狼くんはいったい!?」
「克巳さん……分かりません。急に小狼くん、ぐったりして動かなくなって……」
咄嗟に本来の能力──生体波動のソナーによる対象のの把握──で小狼の状態を探ったラウンダバウトだったが、危うく叫び声を上げてしまうところだった。
一言で言って、小狼は生きていなかった。『生きている』とはとても言えない状況だった。
だが──その一方で、完全に『死んで』もいなかった。
「奇妙なことにね、彼の脈拍は分に二十五程度で安定してるの。人間の心拍数じゃないわ、これ」
そう言ったのは、サクラの背後に立つ白衣の女性だった。
彼女のことは、この学校のことを事前に調べた際に名前だけは把握していた。この学校の養護教諭である五十嵐初佳だ。
「呼吸も極度にペースが落ちている。とてもじゃないけど、生命活動を維持できるレベルじゃないのよ。
なのに……それを保ち続けているの。それ以上死に近づくこともなく、まるで──」
初佳はそこで言いにくそうに言葉を飲み込んだ。
ベッドの上の小狼は、それこそ死んだように眠っている。
その手を指先が白くなるまで握り締め、サクラは震える声でラウンダバウトに言った。
「克巳さん……お願いです、小狼くんを助けてください」
今にも泣き出しそうなほど顔を歪ませ、それでも懸命に涙をこらえているサクラを見て、ラウンダバウトに動揺が走る。
(僕が小狼くんに『能力』を行使したのは断じてこのような状況を呼び寄せるためではないのに……。
僕は、また間違えてしまったのか……!? くそ、いったいなんのための『迂回』だと言うんだ……!)
「──来たわね」
「ええ、約束どおり連れてきたわよ、魔女さん」
その一瞬、ラウンダバウトは奇妙な感覚に襲われた。
今の会話──後者は遠野十和子の声であるが、前者の声がどこから聞こえてきたのか掴み損ねたのだった。
声のしたほうに首を巡らると、そこには真っ白く塗られた壁があり、そこに女性の肖像が映し出されていた。
光の縁の中の女性はわずかに身じろぎしながら静かな視線をこちらに注いでいる。
反対側を見る。そこには白いぬいぐるみのような物があり、その額にはめ込まれた宝玉から光の像が放たれているようだった。
映写機にしては変わった形をしている、という感想が脳裏を掠めたが、それどころではないので即座に意識から消える。
「あなたが『迂回』の『ラウンダバウト』ね」
壁に映る全身黒ずくめの女性は、そう口火を切った。
「わたしは壱原侑子。『次元の魔女』『極東の魔女』とも呼ばれているわ。あなたの呼びやすいように呼んで頂戴。
変な呼び出し方をして悪かったわ。だけど、ただ呼び出したのじゃ警戒されて出てこない可能性があるから、
絶対に食いつく罠を仕掛けよう──というのが、そこの遠野十和子さんのアイディアよ」
ランダバウトは十和子をちらりとを見、その視線に気づいた十和子が軽く肩をすくめた。
「……時間はあまり残されていないから、簡単に状況を説明しましょう。
まず──あなたは、そこの二人を監視していたわね。『羽』の情報を得るために」
ややためらった後、ラウンダバウトはゆっくりと頷いた。サクラと小狼の方を見ることは出来なかった。
うなだれるように目を伏せ、話の続きを待つ。
「結論から言うと、あなたが小狼を通じて得た情報はおおむね正しいわ。
この子達は失われた『羽』を取り戻すために、数々の異世界を──水面の向こう側の、似て非なるセカイを渡る旅人よ。
その異なる次元を渡る術は、私が与えたものよ。相応の『対価』と引き換えに」
ここで、初佳がおずおずと手を上げる。
「あの、壱原さん。やっぱマジなんですか、それ? はっきり言うとちょっち話に付いていけないって言うか、ねえ」
「五十嵐初佳さん、あなたの知るセカイだけがこのセカイの全てではないわ。見えないからといって、『それ』が存在しない理由にはならないものよ」
彼女にもこちら側の映像が届いているのか、侑子は向こう側の世界からはっきりと初佳を視線を定めて言う。
「それに、常識を『突破』した概念が──他の者にはとても信じてもらえないような、
アンバランスで不気味な存在が、この世には確実に『ある』ことを、あなたもまた知っているはずよ。そうでしょう?」
そう言われて思い当たる節があるのか、初佳はちょっと微妙な顔をして口を閉じた。
ラウンダバウトについて言えば、思い当たる点はかなりある。
なにしろ、彼女はかつて世界を裏から牛耳る正体不明の組織のエージェントで、彼女自身は造られた生命、いわば有機的ロボットなのだ。
「さて──ラウンダバウト。あなたの『能力』を今この場で説明してもらえる?」
言われて、ラウンダバウトは躊躇した。
合成人間にとって、『能力』を他人に教えることは自分にとって非常に不利に働く。
殊に、ラウンダバウトの『能力』は敵をハメることに特化した能力だ。それを教えるということは、致命的な弱点を教えることとまるで変わらない。
「あるものを得るためには常に対価が必要だわ。あなたの生命線とも言うべき『能力』、それがあなたが今の状況を把握するために要求される対価よ。
もちろん、あなたがどうしても教えたくないと言うなら、それはそれで仕方のないことだわ。それを決めるのはあなたで、わたしたちが口を挟むことは出来ない」
その理屈は理解できる。
この世界にはリスクが満ちている。それを『迂回』するためには、それに見合った努力を払わねばならない。
だが──。
「う、うう……」
ラウンダバウトの逡巡を見澄ましたように、それまで黙っていた十和子が口を挟んだ。
「黙ってたって無駄よ、奈良崎。あんたが嫌がってもあたしがバラす。あたしは小狼くんを助けるわ。
それであんたがどんだけピンチになろうと、まあ──知ったこっちゃないわね。泣いて頼むなら、あんたも助けてあげてもいーけどさ」
ラウンダバウトは弾かれたような勢いで十和子を見た。
彼女の目には、疚しさも開き直りの色も無かった。
ただ、純粋に彼を助けるという意思だけがそこにあるように見える。
『それ』をするためには躊躇もなにも無い、そのことで気後れを感じてしまうようなら、そんな『心』など要らない──それはそんな感じの目だった。
「──サクラさん」
「……はい」
ラウンダバウトはサクラに向き直った。
その澄んだ瞳が、ラウンダバウトを射抜く。
「僕は君と小狼くんに謝らなければならない。僕は君たちを騙していた。君たちに近づいたのは『羽』の情報を得るためだった。
友達になった振りをして、君たちを見張っていたんだ」
「やっぱり……克巳さんが『迂回』の『ラウンダバウト』だったんですね」
「それはどういう意味かな?」
「あなたとお話していると、いつもそんな言葉が心の中に響いてくるんです。
意味は分からなかったけど、きっと克巳さんにとって大事な言葉なんだろうって思ってました。
小狼くんが倒れて、次元の魔女さんが『迂回』の名を持つものを探せ、というヒントをくれたとき、やっぱり思い浮かんだのはあなたの顔でした」
「──その子は『夢見』のチカラを持っているわ。不完全ながらも、未来を見通す稀なるチカラよ」
と、横から侑子が注釈を入れてきた。
「そうか……ならば、僕はそのことに礼を言わなくてはならないね。
覚えているかな? 『困ったことがあるならいつでも僕のところに来るといい』と言ったことを」
「はい」
「それもただの口から出た社交辞令だったのだけど、今この瞬間だけは……その『嘘』を『真実』に変えてみせる」
ラウンダバウトはそっとサクラのそばに跪き、その小さな手を取って口を付けた。
「必ずや小狼くんを助けることを君に誓うよ」
そして立ち上がった彼女は、身を振り返って壁に映る侑子を見据えた。
「壱原侑子さん……でしたね? 僕は合成人間ラウンダバウト。奈良崎克巳という名前で人間社会に潜伏しています。
『能力』に特に名前はありません。強いて言えば、僕の『迂回(ラウンダバウト)』という名前がその能力をも表現しています。
その能力は相手の『隙』を感知すること。そして、舌から発する高周波でその『隙』に『油断』という暗示を打ち込む技術を持っています」
人生は迂回だ、とラウンダバウトは思う。
危険は避けなければならない。障害は迂回しなければならない。
だが──決して迂回できない危機の前に、そうした態度は脆くも崩れ去る。
その状況を前にしてなおも『迂回』を試みるのは愚の骨頂で、本当ならそれ以前の段階で──危機と出会う前に『迂回』しなければならないのだ。
そのことに失敗した今、自分がなすべきことは──さらなる危機を『迂回』すべく、この状況を突き進むことである。
「今なにが起こっているのか……いったい、僕がなにをしてしまったのかということと、そして……彼を助ける方法を教えてください」
凛と響くラウンダバウトの声に、次元の魔女──壱原侑子は静かに宣言した。
「──その願い、叶えましょう」