『復活のビート Part3 ④』
器質的に言うなら、ユージンは人間ではなかった。
彼は、ある巨大な『システム』によって作り出された合成人間である。
そのシステムに名前はない。ただ、便宜上『統和機構』と呼ばれることがある。
世界を裏から支配する統和機構のエージェントとして、純粋な戦闘用合成人間として生まれたユージンは、
『天色優』という人間名を与えられて様々な任務に従事していた。
ユージンは優秀なエージェントして、多くの任務をこなし、多くの人間、或いは合成人間を殺してきた。
だが、ある一つの任務をきっかけに、ユージンはその任務自体を放棄して行方知れずになる。
そのシステムにとって合成人間とは文字通り歯車の一部であり、あらゆる側面から合成人間を絶対的に従属させていた。
そのなかで任務放棄は明確な反逆であり抹殺対象となるべきもので、ユージンもそれを熟知していた。
そうした反逆者を抹殺する任務にさえ就いたことがあるくらいである。
にもかかわらず、彼は統和機構を『裏切っ』た。
その任務とは『MPLS』──『進化しすぎた人間』を探し出し、場合によっては抹殺すること。
彼が誰と出会い、どんな話をし、なにをして、なにを思い、なにが彼を、その存在の根底から支配していたシステムから離脱させたのか──。
それは、彼以外には誰も知らないことだった。
彼は、ある巨大な『システム』によって作り出された合成人間である。
そのシステムに名前はない。ただ、便宜上『統和機構』と呼ばれることがある。
世界を裏から支配する統和機構のエージェントとして、純粋な戦闘用合成人間として生まれたユージンは、
『天色優』という人間名を与えられて様々な任務に従事していた。
ユージンは優秀なエージェントして、多くの任務をこなし、多くの人間、或いは合成人間を殺してきた。
だが、ある一つの任務をきっかけに、ユージンはその任務自体を放棄して行方知れずになる。
そのシステムにとって合成人間とは文字通り歯車の一部であり、あらゆる側面から合成人間を絶対的に従属させていた。
そのなかで任務放棄は明確な反逆であり抹殺対象となるべきもので、ユージンもそれを熟知していた。
そうした反逆者を抹殺する任務にさえ就いたことがあるくらいである。
にもかかわらず、彼は統和機構を『裏切っ』た。
その任務とは『MPLS』──『進化しすぎた人間』を探し出し、場合によっては抹殺すること。
彼が誰と出会い、どんな話をし、なにをして、なにを思い、なにが彼を、その存在の根底から支配していたシステムから離脱させたのか──。
それは、彼以外には誰も知らないことだった。
『羽』という単語を口にしたとき、目の前の『そいつ』が強い反応を見せたことをユージンは見逃さなかった。
こいつは間違いなく、なんらかの情報を握っている。
出来れば今すぐにも問い詰めてやりたいところだったが、こいつは今現在、『敵』と思われる集団の攻撃を受けていた。
高度な情報分析能力を持つユージンには、一目瞭然だった。
こいつらは、もう人間ではない、と。
発汗や呼吸などの生理的反応が著しく低下しており、筋肉の動きにも連続性がほとんど感じられない。
その機械じみた動きは、まるで『無理矢理動かされている』感じで──こいつらの生命はすでに停止していて、
今は外的要因によって代謝や運動機能を持続させられている、いわば『動く死体』も同然だった。
「先にこいつらを片付けるべきか……」
呟くと、ユージンはかつて『人間だったもの』の輪の中へ自ら飛び込んでいった。
「おい! 待ちやがれ!」
『そいつ』の制止の声が聞こえてくるが、当然のように無視する。
ユージンは腕を大きく振りかぶり、『敵』の一人に掌抵を叩き込んだ。
瞬間、『敵』の肉体が爆ぜた。
まるで爆発物でも投げつけられたように、『敵』の体組織が無残に抉れていた。
──これが、戦闘用合成人間ユージンに与えられた特殊能力だった。
『リキッド』と呼ばれる、生物の組織をずたずたに破壊する特殊体液を手から分泌して敵を死に至らしめる能力。
その気になれば人間一人を跡形も残さずに爆散させることも可能だった。
しかも相手は人間を止めたようなやつら……自動的なルーチンワークのようにしか戦えないやつらであり、
どんなに統制されてようが、そのキーとなるパターンを見極めればなんの脅威にもならなかった。
「多少は『強化』されているようだが……普通人など僕の敵ではない!」
ものの二秒で三人の敵を塵に返す。その動きは淀みなく、手心や情けというものがまるでなかった。
それこそ花でも摘むように、また一人の胴体に風穴を穿つ。
瞬く間に三分の一を人数失ったそいつらは、警戒するようにユージンを取り囲む。
「勝ち目がない、というのが分からないか……本当に人間的な思考力が失われているようだ」
その声には哀れみも怒りもない。ただの事実確認に過ぎなかった。
「いいだろう。いくらでもかかって来い!」
不敵な言葉とともにかざされた手が、横合いから何者かに掴まれる。
「な──」
表情にこそ出さなかったが、ユージンは内心で驚嘆する。
まったく気配を感じさせずに彼の身体に接触できる者など、そうはいない。
そこに、細く響く笛の音がする。
それは変哲のない、甲高いリコーダーのような音だった。
だが、それを耳にした『敵』たちは蜘蛛の子を散らすようにその場から散り散りに逃げ去っていく。
つい数秒前まではあくまで戦闘態勢を解こうとしなかったにもかかわらず。
湿気をはらんだ風が吹き、塵にまで分解された『敵』の死体がそれに乗って飛んでいく。
もはやその場には、ユージンと『そいつ』と、その連れの男しかいなかった。
「……逃げられてしまったじゃないか」
ユージンは憮然としながら、彼の手を掴んでいる『そいつ』に毒づく。
「人のケンカに勝手に割り込んでじゃねえよ」
ユージンに負けず劣らず不機嫌そうな『そいつ』は、やはりユージンに劣らぬ険悪な声音であった。
「そうか。それは悪かったな」
軽い口調で返しながらも、ユージンの目は『そいつ』の挙動を油断なく窺っている。
『そいつ』もおそらく高度な戦闘技術の持ち主なのだろう。
その立ち方には隙というものがほとんど見出せず、『リキッド』を『そいつ』に叩き込むイメージを思い浮かべることが困難だった。
「──ところで、いい加減でその手を離してくれないか」
「こっちの質問に答えてからだ」
「いいや、違うね。離すのが先だ。それに、僕は名乗ったのだから君たちも名乗るべきだ」
「あぁ?」
「僕はなにか間違ったことを言っているかな」
一触即発の空気のなか、『そいつ』の連れが場にそぐわない緩みきった声で割って入ってくる。
「もー、やめなよ黒ぴん。せっかく助けてもらったのにー」
「俺ぁ助太刀なんか頼んでねーんだよ!」
「どもども、優くんだっけ? 俺、ファイっていいますーよろしくー。で、こっちの目つきの悪いお兄さんが黒わんこちゃんでーす」
「聞けよ俺の話! つか、誰が黒わんこだ!」
「怒っちゃやだー」
ユージンのことなどそっちのけで、『そいつ』はファイという男と口論を始めた。
それは──人間の世界でいうところの夫婦漫才に似ている、という印象を受けた。
「ふ──」
口の端から漏らしてから、ユージンはそれが微かな笑いだったことに気づく。
『そいつ』とファイも諍いをやめ、珍しいものでも見るようにユージンの顔を見ていた。
慌てて口元を隠すがすでに手遅れで、自分の内側から毒気がすっかり抜かれているのは疑いようのない事実だった。
仕方なく、誤魔化すように咳払いをする。
「──それで? 本当の名前はなんなんだ、『黒わんこ』とやら」
こいつは間違いなく、なんらかの情報を握っている。
出来れば今すぐにも問い詰めてやりたいところだったが、こいつは今現在、『敵』と思われる集団の攻撃を受けていた。
高度な情報分析能力を持つユージンには、一目瞭然だった。
こいつらは、もう人間ではない、と。
発汗や呼吸などの生理的反応が著しく低下しており、筋肉の動きにも連続性がほとんど感じられない。
その機械じみた動きは、まるで『無理矢理動かされている』感じで──こいつらの生命はすでに停止していて、
今は外的要因によって代謝や運動機能を持続させられている、いわば『動く死体』も同然だった。
「先にこいつらを片付けるべきか……」
呟くと、ユージンはかつて『人間だったもの』の輪の中へ自ら飛び込んでいった。
「おい! 待ちやがれ!」
『そいつ』の制止の声が聞こえてくるが、当然のように無視する。
ユージンは腕を大きく振りかぶり、『敵』の一人に掌抵を叩き込んだ。
瞬間、『敵』の肉体が爆ぜた。
まるで爆発物でも投げつけられたように、『敵』の体組織が無残に抉れていた。
──これが、戦闘用合成人間ユージンに与えられた特殊能力だった。
『リキッド』と呼ばれる、生物の組織をずたずたに破壊する特殊体液を手から分泌して敵を死に至らしめる能力。
その気になれば人間一人を跡形も残さずに爆散させることも可能だった。
しかも相手は人間を止めたようなやつら……自動的なルーチンワークのようにしか戦えないやつらであり、
どんなに統制されてようが、そのキーとなるパターンを見極めればなんの脅威にもならなかった。
「多少は『強化』されているようだが……普通人など僕の敵ではない!」
ものの二秒で三人の敵を塵に返す。その動きは淀みなく、手心や情けというものがまるでなかった。
それこそ花でも摘むように、また一人の胴体に風穴を穿つ。
瞬く間に三分の一を人数失ったそいつらは、警戒するようにユージンを取り囲む。
「勝ち目がない、というのが分からないか……本当に人間的な思考力が失われているようだ」
その声には哀れみも怒りもない。ただの事実確認に過ぎなかった。
「いいだろう。いくらでもかかって来い!」
不敵な言葉とともにかざされた手が、横合いから何者かに掴まれる。
「な──」
表情にこそ出さなかったが、ユージンは内心で驚嘆する。
まったく気配を感じさせずに彼の身体に接触できる者など、そうはいない。
そこに、細く響く笛の音がする。
それは変哲のない、甲高いリコーダーのような音だった。
だが、それを耳にした『敵』たちは蜘蛛の子を散らすようにその場から散り散りに逃げ去っていく。
つい数秒前まではあくまで戦闘態勢を解こうとしなかったにもかかわらず。
湿気をはらんだ風が吹き、塵にまで分解された『敵』の死体がそれに乗って飛んでいく。
もはやその場には、ユージンと『そいつ』と、その連れの男しかいなかった。
「……逃げられてしまったじゃないか」
ユージンは憮然としながら、彼の手を掴んでいる『そいつ』に毒づく。
「人のケンカに勝手に割り込んでじゃねえよ」
ユージンに負けず劣らず不機嫌そうな『そいつ』は、やはりユージンに劣らぬ険悪な声音であった。
「そうか。それは悪かったな」
軽い口調で返しながらも、ユージンの目は『そいつ』の挙動を油断なく窺っている。
『そいつ』もおそらく高度な戦闘技術の持ち主なのだろう。
その立ち方には隙というものがほとんど見出せず、『リキッド』を『そいつ』に叩き込むイメージを思い浮かべることが困難だった。
「──ところで、いい加減でその手を離してくれないか」
「こっちの質問に答えてからだ」
「いいや、違うね。離すのが先だ。それに、僕は名乗ったのだから君たちも名乗るべきだ」
「あぁ?」
「僕はなにか間違ったことを言っているかな」
一触即発の空気のなか、『そいつ』の連れが場にそぐわない緩みきった声で割って入ってくる。
「もー、やめなよ黒ぴん。せっかく助けてもらったのにー」
「俺ぁ助太刀なんか頼んでねーんだよ!」
「どもども、優くんだっけ? 俺、ファイっていいますーよろしくー。で、こっちの目つきの悪いお兄さんが黒わんこちゃんでーす」
「聞けよ俺の話! つか、誰が黒わんこだ!」
「怒っちゃやだー」
ユージンのことなどそっちのけで、『そいつ』はファイという男と口論を始めた。
それは──人間の世界でいうところの夫婦漫才に似ている、という印象を受けた。
「ふ──」
口の端から漏らしてから、ユージンはそれが微かな笑いだったことに気づく。
『そいつ』とファイも諍いをやめ、珍しいものでも見るようにユージンの顔を見ていた。
慌てて口元を隠すがすでに手遅れで、自分の内側から毒気がすっかり抜かれているのは疑いようのない事実だった。
仕方なく、誤魔化すように咳払いをする。
「──それで? 本当の名前はなんなんだ、『黒わんこ』とやら」
私立ぶどうヶ丘学園の正門に、一人の小柄な人影がもたれ掛かっていた。
そいつは学校指定の学ランを着込んでおり、うっすら目を閉じて順調に中天へ近づきつつある太陽の光に身を晒している。
今はとっくに授業が始まっている時間なのだが、そんな時間帯に校門に居座るそいつを誰も咎めに来ない。
別にそこが教員の目の届かない盲点的なスポットというわけではなかった。
授業のない教師が定期的に見回りをする、その巡回コースに正門が加わっているし、
遮蔽物がなく、敷地全体の正面に位置するそこは見晴らしがよく、不審者がいればただちに発見されるようになっていた。
だが、そんなことなど自分とはまったく関係のない出来事だ、といった風情でそいつは正門前に立ち尽くしている。
遠くから足音が近づいてきていた。
そいつは顔を上げず、耳だけを済ませてそれを分析する。
足音は二人、片方は身長百四十~五十センチ程度の女性、年齢は十代半ば。
もしかしたら例の『要接触者』か、とそいつはさらに神経を集中させる。
もう一人は……身長百六十~七十の──。
「なんだ……こっちも女性か……」
そいつは軽く失望のため息を漏らす。お目当ての者はまだ来ないようだった。
その間にもどんどん近づく足音は、今、そいつの前を駆け抜ける。
「ま、まっ……て、おね、おね……がい、とわ、こぉ……」
「走れ! 走るのよ静! ダーシュッ!」
「も、むり、だから……まってぇ……」
「無理もカタツムリもあるか!
いいこと、日本って国は遅刻に厳しいの、遅刻者はその一日スクール水着で授業を受けなくちゃいけないのよ!」
「ええぇ!? う、嘘でしょ!?」
「あたしがこんな馬鹿な嘘をつくように見えるのかっ!」
「み、見えな、え、どっちだろ」
『遅刻に道連れ(アナザーワン・ライズァ・バス)』というやつか、と、そいつは心の中で一人ごちる。
それはアメリカのアル・ヤンコビックというパロディミージシャンによる、
Queenのヒットナンバー『地獄に道連れ(アナザーワン・バイツァ・ダスト)』をパロディ化したやつで、
バスにどんどん人が乗ってきて車内が大混乱に陥るというシュールなギャグで構成されている曲だった。
つまりそいつの目の前で起きている現状にはまったくそぐわないのだが、
それでも「二人仲良く遅刻」という少女たちの光景を見ていると、なんとなくしっくりくるような気がした。
「こら、お前たち! 今何時だと思っている!」
振り返ってそっちを見ると、ジャージを着た教師が二人の少女のところへと大股で歩み寄っていた。
背の高い少女のほうは「やれやれ」といった感じで天を仰ぎ見ており、背の低いほうの少女はまるで小動物のように身を縮こませていた。
ふと、背の高いほうと目が合った。
(──ん?)
そいつは少女を注視するが、彼女は怒鳴り声を上げる教師のほうに身体を向けたために、
今しがた感じた違和感を確かめることが出来なかった。
(彼女……僕が見えていた? いや、まさかな──)
そいつは首を振り、再び門に背中を預ける。
「お前たち、こっちへ来い! たっぷり絞ってやる!」
風に乗って、背の低いほうの少女の小さな声がそいつのところまで届く。
「み、水着をですか……?」
「なにを訳の分からないこと言ってるんだ馬鹿もん!」
それ対し少女がまたなにかを言ったようだったが、今度は聞き取れなかった。
そいつは軽く息を吐き、空に視線を移す。
自分はいつまでここにいればいいのだろう、と。
まあいい、待つのには慣れている。
──少女がスクール水着を着せられないことを祈る。
そいつは学校指定の学ランを着込んでおり、うっすら目を閉じて順調に中天へ近づきつつある太陽の光に身を晒している。
今はとっくに授業が始まっている時間なのだが、そんな時間帯に校門に居座るそいつを誰も咎めに来ない。
別にそこが教員の目の届かない盲点的なスポットというわけではなかった。
授業のない教師が定期的に見回りをする、その巡回コースに正門が加わっているし、
遮蔽物がなく、敷地全体の正面に位置するそこは見晴らしがよく、不審者がいればただちに発見されるようになっていた。
だが、そんなことなど自分とはまったく関係のない出来事だ、といった風情でそいつは正門前に立ち尽くしている。
遠くから足音が近づいてきていた。
そいつは顔を上げず、耳だけを済ませてそれを分析する。
足音は二人、片方は身長百四十~五十センチ程度の女性、年齢は十代半ば。
もしかしたら例の『要接触者』か、とそいつはさらに神経を集中させる。
もう一人は……身長百六十~七十の──。
「なんだ……こっちも女性か……」
そいつは軽く失望のため息を漏らす。お目当ての者はまだ来ないようだった。
その間にもどんどん近づく足音は、今、そいつの前を駆け抜ける。
「ま、まっ……て、おね、おね……がい、とわ、こぉ……」
「走れ! 走るのよ静! ダーシュッ!」
「も、むり、だから……まってぇ……」
「無理もカタツムリもあるか!
いいこと、日本って国は遅刻に厳しいの、遅刻者はその一日スクール水着で授業を受けなくちゃいけないのよ!」
「ええぇ!? う、嘘でしょ!?」
「あたしがこんな馬鹿な嘘をつくように見えるのかっ!」
「み、見えな、え、どっちだろ」
『遅刻に道連れ(アナザーワン・ライズァ・バス)』というやつか、と、そいつは心の中で一人ごちる。
それはアメリカのアル・ヤンコビックというパロディミージシャンによる、
Queenのヒットナンバー『地獄に道連れ(アナザーワン・バイツァ・ダスト)』をパロディ化したやつで、
バスにどんどん人が乗ってきて車内が大混乱に陥るというシュールなギャグで構成されている曲だった。
つまりそいつの目の前で起きている現状にはまったくそぐわないのだが、
それでも「二人仲良く遅刻」という少女たちの光景を見ていると、なんとなくしっくりくるような気がした。
「こら、お前たち! 今何時だと思っている!」
振り返ってそっちを見ると、ジャージを着た教師が二人の少女のところへと大股で歩み寄っていた。
背の高い少女のほうは「やれやれ」といった感じで天を仰ぎ見ており、背の低いほうの少女はまるで小動物のように身を縮こませていた。
ふと、背の高いほうと目が合った。
(──ん?)
そいつは少女を注視するが、彼女は怒鳴り声を上げる教師のほうに身体を向けたために、
今しがた感じた違和感を確かめることが出来なかった。
(彼女……僕が見えていた? いや、まさかな──)
そいつは首を振り、再び門に背中を預ける。
「お前たち、こっちへ来い! たっぷり絞ってやる!」
風に乗って、背の低いほうの少女の小さな声がそいつのところまで届く。
「み、水着をですか……?」
「なにを訳の分からないこと言ってるんだ馬鹿もん!」
それ対し少女がまたなにかを言ったようだったが、今度は聞き取れなかった。
そいつは軽く息を吐き、空に視線を移す。
自分はいつまでここにいればいいのだろう、と。
まあいい、待つのには慣れている。
──少女がスクール水着を着せられないことを祈る。
日も高くなって昼も近くなった頃。
「姫、身体は大丈夫ですか」
小狼の心配そうな声に、サクラは笑顔で応えた。
「ありがとう。大丈夫だよ」
「でも……今日もなかなか目が覚めないようだったし、疲れているんじゃないですか。
なんだったら『学校』は明日からにしても──」
「ううん。お寝坊はしちゃったけれど、とってもいい気持ち。
わたし、『学校』が楽しみ。すごいわくわくしてるの。小狼くんと一緒にお勉強できるんだもの」
「──そうですか」
控えめに笑う小狼の眼前に、サクラはすっと顔を近づける。
「小狼くんは楽しくない?」
「……いえ、俺も楽しみです」
「そう」
ふふ、と面映そうに笑い、サクラは小走りに駆けてくるっとターンしてみせた。
「ねえ、似合ってるかな? 『制服』」
「ええ。──あ、ここですよ。僕らが通う『学校』」
小狼は、高い塀の向こうにある建物を指差す。
塀の途切れたところには立派な門が設えられており、門扉が開け放たれていた。
「黒鋼さんとファイさんとモコナは先に着いているそうです」
「……ここに、あるのかな。わたしの『羽』」
少しだけ表情を曇らせるサクラに小狼は力強く頷いてみせた。
「大丈夫です、きっとありますよ」
いざ『学校』に足を踏み入れた二人は、予想以上の敷地の広大さと建物の大きさに肝をつぶした。
「……思ってより、大きいね」
「……ええ」
「人も、いっぱいいそうだね」
「そうですね」
「ま、迷子にならないよね?」
「だ、大丈夫です姫。俺がついています」
と言う小狼もちょっと声に力が入っていなかった。
きょろきょろと辺りを見回しながら、とりあえず手近な建物へと足を向けた二人の背後から声が掛かる。
「転校生ですか?」
振り向くと、いつ現れたのか小狼と同じような服──『制服』を着た人が校門のそばに立っていた。
「いや失礼。なんとなく『どこへ行けばいいか分からない』という感じを受けたので」
整った顔立ちから発せられるその声はとても理知的で、サクラは舞い上がってしまい、真っ赤な顔でこくこくとしか頷けなかった。
「もしよかったら僕が案内しましょう」
「いいんですか?」
「もちろん。職員室でいいですよね?」
小狼は『職員室』という言葉の意味を理解するのにちょっとだけ手間取ったが、きっとそれで合ってるのだろうとすぐに思い直す。
「はい。お願いします」
深々と礼をする小狼だったが、くすくす笑って制された。
「やめてくださいよ。──ああ、そうだ」
そして、小狼への返礼というわけか、すらりとした手を折り曲げて優雅に一礼した。
「僕の名前を言っていなかったね。僕は奈良崎克巳です」
その仕草に見とれていたサクラが、慌てて頭を下げる。
「さ、サクラです。えと、じゃなくて、木之本桜です」
「李小狼です」
「木之本さんに李くんか。よろしく」
克巳はにっこり笑い「さ、こっちだ」と二人を先導した。
「姫、身体は大丈夫ですか」
小狼の心配そうな声に、サクラは笑顔で応えた。
「ありがとう。大丈夫だよ」
「でも……今日もなかなか目が覚めないようだったし、疲れているんじゃないですか。
なんだったら『学校』は明日からにしても──」
「ううん。お寝坊はしちゃったけれど、とってもいい気持ち。
わたし、『学校』が楽しみ。すごいわくわくしてるの。小狼くんと一緒にお勉強できるんだもの」
「──そうですか」
控えめに笑う小狼の眼前に、サクラはすっと顔を近づける。
「小狼くんは楽しくない?」
「……いえ、俺も楽しみです」
「そう」
ふふ、と面映そうに笑い、サクラは小走りに駆けてくるっとターンしてみせた。
「ねえ、似合ってるかな? 『制服』」
「ええ。──あ、ここですよ。僕らが通う『学校』」
小狼は、高い塀の向こうにある建物を指差す。
塀の途切れたところには立派な門が設えられており、門扉が開け放たれていた。
「黒鋼さんとファイさんとモコナは先に着いているそうです」
「……ここに、あるのかな。わたしの『羽』」
少しだけ表情を曇らせるサクラに小狼は力強く頷いてみせた。
「大丈夫です、きっとありますよ」
いざ『学校』に足を踏み入れた二人は、予想以上の敷地の広大さと建物の大きさに肝をつぶした。
「……思ってより、大きいね」
「……ええ」
「人も、いっぱいいそうだね」
「そうですね」
「ま、迷子にならないよね?」
「だ、大丈夫です姫。俺がついています」
と言う小狼もちょっと声に力が入っていなかった。
きょろきょろと辺りを見回しながら、とりあえず手近な建物へと足を向けた二人の背後から声が掛かる。
「転校生ですか?」
振り向くと、いつ現れたのか小狼と同じような服──『制服』を着た人が校門のそばに立っていた。
「いや失礼。なんとなく『どこへ行けばいいか分からない』という感じを受けたので」
整った顔立ちから発せられるその声はとても理知的で、サクラは舞い上がってしまい、真っ赤な顔でこくこくとしか頷けなかった。
「もしよかったら僕が案内しましょう」
「いいんですか?」
「もちろん。職員室でいいですよね?」
小狼は『職員室』という言葉の意味を理解するのにちょっとだけ手間取ったが、きっとそれで合ってるのだろうとすぐに思い直す。
「はい。お願いします」
深々と礼をする小狼だったが、くすくす笑って制された。
「やめてくださいよ。──ああ、そうだ」
そして、小狼への返礼というわけか、すらりとした手を折り曲げて優雅に一礼した。
「僕の名前を言っていなかったね。僕は奈良崎克巳です」
その仕草に見とれていたサクラが、慌てて頭を下げる。
「さ、サクラです。えと、じゃなくて、木之本桜です」
「李小狼です」
「木之本さんに李くんか。よろしく」
克巳はにっこり笑い「さ、こっちだ」と二人を先導した。
職員室までの道すがら、克巳は小狼に色々と話しかけてきた。
それはこの学校の仕来りのことや、この町の名所のことなどだったりしたし、逆に小狼へ質問することもあった。
サクラはといえば、物珍しそうにあっちやこっちに視線を巡らせ、ときおり「わあ……」などと感嘆のため息をこぼしていた。
「……君たちは、外国の人かな?」
「ええ。旅行者なんです」
「なるほど。色んな国を旅してきたんだね」
「はい」
「なにか珍しい経験などもしたのかな?」
これまで巡ってきた様々な国、様々な人たち、様々な事件を思い返し、小狼は首肯する。
「でも辛いこともあっただろう」
「そうですね……それでも、たくさんの人たちに助けられました。そのお陰で、今もこうして旅を続けていられます」
「なるほど」
さもありなんと感じ入った風に克巳が頷く。
「──君の言葉からは、君の旅が単なる物見遊山でないことが窺えるね。
それはきっと、苦難の旅なんだろう。だが、強固な意志に裏打ちされた旅だ。
信じた道を行くのは難しい……時には理不尽な障害が立ちふさがり、迂回を余儀なくされることもあるだろう」
しみじみと、心底からの言葉が溢れてくるように、淡々と、だが揺るぎない声で克巳は話していた。
「だが、どれだけ迂回しようと……『そこ』に向かう意思があるのならなら、必ず到達できるだろう。
『そこ』へ向かっているのだから。そうだろう?」
「え、ええ」
なにか、急に話が大きくなったような気がして、小狼は戸惑う。
その違和感を振り払うように、克巳は明るい口調に切り替えてこんなことを聞いてきた。
「ところで君たちは……いったいなんのために『旅』をしているのかな?」
……ここは、慎重に答えるべきだと小狼の理性が告げていた。
「ええ、探し物をしているんです」
「探し物? それはなにかな?」
「俺の大切な人の、大事なもの──ココロのカケラです」
一瞬、自分がなにを言ったのか理解できなかった。
「君の大切な人というのは、そこの木之本さんのことかな?」
「はい……俺の幼馴染で、一番大切な……さくらの記憶を取り戻すために、俺は……」
なにかがおかしかった。初対面の人間との世間話にしていい話ではなかった。
小狼は、サクラの飛び散った『記憶』の欠片を集めるために、色々な世界を旅している。
それは『次元の魔女』の力を借りた、『異世界』を渡り歩く旅だ。
自分の知った『常識』が通用しないこともままある危険な旅だ。
その旅の性質ゆえ、よく知らない人にここまで具体的に話すことは危険が大きすぎる。
小狼も、それは頭では分かっていた。分かっていたのだが、
この奈良崎克己という人間には、そうした警戒心を薄れさせる『なにか』があって──。
「ココロのカケラ、ね──聞いた感じではちょっと分かりづらいね。『それ』は、なにか具体的な形を伴っているのかな?」
「はい……『羽』です……さくらの記憶は……羽になってたくさんの異世界に飛び散ってしまったんです……」
それはこの学校の仕来りのことや、この町の名所のことなどだったりしたし、逆に小狼へ質問することもあった。
サクラはといえば、物珍しそうにあっちやこっちに視線を巡らせ、ときおり「わあ……」などと感嘆のため息をこぼしていた。
「……君たちは、外国の人かな?」
「ええ。旅行者なんです」
「なるほど。色んな国を旅してきたんだね」
「はい」
「なにか珍しい経験などもしたのかな?」
これまで巡ってきた様々な国、様々な人たち、様々な事件を思い返し、小狼は首肯する。
「でも辛いこともあっただろう」
「そうですね……それでも、たくさんの人たちに助けられました。そのお陰で、今もこうして旅を続けていられます」
「なるほど」
さもありなんと感じ入った風に克巳が頷く。
「──君の言葉からは、君の旅が単なる物見遊山でないことが窺えるね。
それはきっと、苦難の旅なんだろう。だが、強固な意志に裏打ちされた旅だ。
信じた道を行くのは難しい……時には理不尽な障害が立ちふさがり、迂回を余儀なくされることもあるだろう」
しみじみと、心底からの言葉が溢れてくるように、淡々と、だが揺るぎない声で克巳は話していた。
「だが、どれだけ迂回しようと……『そこ』に向かう意思があるのならなら、必ず到達できるだろう。
『そこ』へ向かっているのだから。そうだろう?」
「え、ええ」
なにか、急に話が大きくなったような気がして、小狼は戸惑う。
その違和感を振り払うように、克巳は明るい口調に切り替えてこんなことを聞いてきた。
「ところで君たちは……いったいなんのために『旅』をしているのかな?」
……ここは、慎重に答えるべきだと小狼の理性が告げていた。
「ええ、探し物をしているんです」
「探し物? それはなにかな?」
「俺の大切な人の、大事なもの──ココロのカケラです」
一瞬、自分がなにを言ったのか理解できなかった。
「君の大切な人というのは、そこの木之本さんのことかな?」
「はい……俺の幼馴染で、一番大切な……さくらの記憶を取り戻すために、俺は……」
なにかがおかしかった。初対面の人間との世間話にしていい話ではなかった。
小狼は、サクラの飛び散った『記憶』の欠片を集めるために、色々な世界を旅している。
それは『次元の魔女』の力を借りた、『異世界』を渡り歩く旅だ。
自分の知った『常識』が通用しないこともままある危険な旅だ。
その旅の性質ゆえ、よく知らない人にここまで具体的に話すことは危険が大きすぎる。
小狼も、それは頭では分かっていた。分かっていたのだが、
この奈良崎克己という人間には、そうした警戒心を薄れさせる『なにか』があって──。
「ココロのカケラ、ね──聞いた感じではちょっと分かりづらいね。『それ』は、なにか具体的な形を伴っているのかな?」
「はい……『羽』です……さくらの記憶は……羽になってたくさんの異世界に飛び散ってしまったんです……」
(『異世界』とは俄かには信じがたいが……少なくとも、彼はそう信じているようだ。
そうでなければ、僕の『能力』の影響下でそういったことは言えないだろう……。
そして、『羽』──。なるほど、レインの言った通りだ……これはもう少し詳しく調査する必要があるな)
合成人間ラウンダバウト──人間名『奈良崎克己』は、隣を歩く少年の放心したような(事実、放心しているのだが)
表情を眺めながら、とりあえず今のところはこれで十分だろうと判断を下した。
「さあ、李くん」
「……え。は、はい?」
「どうしたんだい、ぼーっとして。ここが職員室だよ」
「え、あ……もう着いたんですか?」
「ふふ、おかしな人だな。──それじゃあ、木之本さん、李くん。なにか困ったことがあったらいつでも僕のところに来るといいよ。
高等部の奈良崎、と言えばすぐに分かるよ。けっこう珍しい苗字だからね」
ラウンダバウトがそう言い、涼しげな顔でウィンクしてみせると、木之本桜は少し顔を赤くして頭を下げてきた。
あの子、すぐに赤くなるんだな、とラウンダバウトはわずかに微笑ましく思った。
そして二人に別れを告げ、今回の潜入調査の際に偽った身分に即し、擬装工作を開始するために来た道を戻る。
すなわち──授業を受けるために。
そうでなければ、僕の『能力』の影響下でそういったことは言えないだろう……。
そして、『羽』──。なるほど、レインの言った通りだ……これはもう少し詳しく調査する必要があるな)
合成人間ラウンダバウト──人間名『奈良崎克己』は、隣を歩く少年の放心したような(事実、放心しているのだが)
表情を眺めながら、とりあえず今のところはこれで十分だろうと判断を下した。
「さあ、李くん」
「……え。は、はい?」
「どうしたんだい、ぼーっとして。ここが職員室だよ」
「え、あ……もう着いたんですか?」
「ふふ、おかしな人だな。──それじゃあ、木之本さん、李くん。なにか困ったことがあったらいつでも僕のところに来るといいよ。
高等部の奈良崎、と言えばすぐに分かるよ。けっこう珍しい苗字だからね」
ラウンダバウトがそう言い、涼しげな顔でウィンクしてみせると、木之本桜は少し顔を赤くして頭を下げてきた。
あの子、すぐに赤くなるんだな、とラウンダバウトはわずかに微笑ましく思った。
そして二人に別れを告げ、今回の潜入調査の際に偽った身分に即し、擬装工作を開始するために来た道を戻る。
すなわち──授業を受けるために。