すっかり寝静まった夜更けの町。その静寂を破って、石畳の道を蹴るいくつもの蹄の音が響く。
「そっちへ逃げたぞ。追えっ!」
教会から「異端の徒」として追われる二人組の「切り裂き魔」――バズとロザリィは、馬を駆って追ってくる聖騎士の一団から逃れようと、曲がりくねった街路を脇目も振らず駆けていた。
複雑に入り組んだ狭い街路を何度も曲がって進むうち、背後に聞こえる蹄の音は次第にその数を減らし、やがて全く聞こえなくなった。
「ぼっちゃま。大丈夫っスか?」
やや長めの金髪の毛先を立てるようにして頭の後ろでまとめ、白いブラウスに黒いベストと丈の短い黒いスカートを身につけて、網目の粗いタイツに踵の高い靴を履いた気の強そうな
顔立ちの少女、ロザリィが、走る速度を緩めて振り返り、少し遅れて駆けてくる常人並みの体力しか持たない主人を気遣うように言った。
この華奢な体つきをした少女が、手術道具一式を納めた重い鞄を手に苦もなく疾駆することができる理由を知っている者は少ない。
ぼっちゃま、と呼ばれた人物――白い外套に同じく白いフードを被り、目の部分だけをくり抜いた木の仮面を顔に付けて、蛇が巻き付いた意匠の杖を握り締めたバズは、
診察・執刀の際の助手であり、こうした時の護衛役でもあるロザリィに追い付きながら、息を弾ませて答えた。
「ええ、大丈夫……です。ここまで来れば……もう、彼らも……」
追っては来ないでしょう――そう言いかけたバズの前に、路地を別の方向から進んで先回りしていた、勇猛で知られる聖騎士の隊長が馬を駆って忽然と現れた。
突然のことに凍りつくバズ。
聖騎士の隊長は、馬上で腰の剣を抜き放つと叫んだ。
「神に背く異端の徒、アスクレピオスめ。神妙に縄につくがいい!」
叫び終わると同時に、バズの顔を覆っている木の仮面目がけて鋭く剣を打ち込む。
乾いた硬い音を立てて、仮面が二つに割れた。月の光に照らされて露わになった仮面の下の素顔を見て、隊長は一瞬目を疑った。
(子供――!?)
そう、バズ・ディレイルはまだ子供といっていい年齢だった。
あどけなさが残る顔立ちに、心の奥まで見透かされるような深い光を湛えた双眸。隊長自らが振るった剣が付けた、雪に覆われた尾根のように白くくっきりとした鼻梁を横切る
一筋の傷から赤い鮮血が流れ出して、少年の頬を静かに伝い落ちた。
予期しない事態に一瞬我を忘れた隊長の脇腹に、斜め下方から強烈な打撃が加えられた。
「がふっ…!」
猛烈な痛みが走り、息ができなくなる。完全に不意を突かれた格好になった隊長は馬上から転げ落ち、石畳の地面に倒れて意識を失った。
音もなく隊長の後ろに回り込んで先程の蹴りを放ったロザリィが、真剣な面持ちでバズを見つめる。
「ぼっちゃま…今のうちっス」
その眼差しを受け止めて、バズがゆっくりと頷いた。
「こんなことをするのは気が進みませんが……顔を見られたからには、仕方がありません」
「そっちへ逃げたぞ。追えっ!」
教会から「異端の徒」として追われる二人組の「切り裂き魔」――バズとロザリィは、馬を駆って追ってくる聖騎士の一団から逃れようと、曲がりくねった街路を脇目も振らず駆けていた。
複雑に入り組んだ狭い街路を何度も曲がって進むうち、背後に聞こえる蹄の音は次第にその数を減らし、やがて全く聞こえなくなった。
「ぼっちゃま。大丈夫っスか?」
やや長めの金髪の毛先を立てるようにして頭の後ろでまとめ、白いブラウスに黒いベストと丈の短い黒いスカートを身につけて、網目の粗いタイツに踵の高い靴を履いた気の強そうな
顔立ちの少女、ロザリィが、走る速度を緩めて振り返り、少し遅れて駆けてくる常人並みの体力しか持たない主人を気遣うように言った。
この華奢な体つきをした少女が、手術道具一式を納めた重い鞄を手に苦もなく疾駆することができる理由を知っている者は少ない。
ぼっちゃま、と呼ばれた人物――白い外套に同じく白いフードを被り、目の部分だけをくり抜いた木の仮面を顔に付けて、蛇が巻き付いた意匠の杖を握り締めたバズは、
診察・執刀の際の助手であり、こうした時の護衛役でもあるロザリィに追い付きながら、息を弾ませて答えた。
「ええ、大丈夫……です。ここまで来れば……もう、彼らも……」
追っては来ないでしょう――そう言いかけたバズの前に、路地を別の方向から進んで先回りしていた、勇猛で知られる聖騎士の隊長が馬を駆って忽然と現れた。
突然のことに凍りつくバズ。
聖騎士の隊長は、馬上で腰の剣を抜き放つと叫んだ。
「神に背く異端の徒、アスクレピオスめ。神妙に縄につくがいい!」
叫び終わると同時に、バズの顔を覆っている木の仮面目がけて鋭く剣を打ち込む。
乾いた硬い音を立てて、仮面が二つに割れた。月の光に照らされて露わになった仮面の下の素顔を見て、隊長は一瞬目を疑った。
(子供――!?)
そう、バズ・ディレイルはまだ子供といっていい年齢だった。
あどけなさが残る顔立ちに、心の奥まで見透かされるような深い光を湛えた双眸。隊長自らが振るった剣が付けた、雪に覆われた尾根のように白くくっきりとした鼻梁を横切る
一筋の傷から赤い鮮血が流れ出して、少年の頬を静かに伝い落ちた。
予期しない事態に一瞬我を忘れた隊長の脇腹に、斜め下方から強烈な打撃が加えられた。
「がふっ…!」
猛烈な痛みが走り、息ができなくなる。完全に不意を突かれた格好になった隊長は馬上から転げ落ち、石畳の地面に倒れて意識を失った。
音もなく隊長の後ろに回り込んで先程の蹴りを放ったロザリィが、真剣な面持ちでバズを見つめる。
「ぼっちゃま…今のうちっス」
その眼差しを受け止めて、バズがゆっくりと頷いた。
「こんなことをするのは気が進みませんが……顔を見られたからには、仕方がありません」
しばらくの後。町外れにある廃屋の一室で、麻酔の効果で眠る隊長が横たわっている寝台を前に、
バズとロザリィが手術の用意をしていた。二人とも一切言葉を発さない。器具の冷たい音だけが響く
室内には、一種異様なほど張り詰めた空気が漂っていた。
やがて、沈黙を破ってロザリィがバズに声をかけた。
「ぼっちゃま。準備OKっス」
その言葉を聞いて顔の傷に止血処置を施したバズが振り返り、深刻な表情で頷いた。
バズとロザリィが手術の用意をしていた。二人とも一切言葉を発さない。器具の冷たい音だけが響く
室内には、一種異様なほど張り詰めた空気が漂っていた。
やがて、沈黙を破ってロザリィがバズに声をかけた。
「ぼっちゃま。準備OKっス」
その言葉を聞いて顔の傷に止血処置を施したバズが振り返り、深刻な表情で頷いた。
二人組の切り裂き魔を追っていた聖騎士の隊長が行方知れずになってから十数日後。
町外れの道をどこかぼんやりした様子で歩いている隊長を、教区内の見回りをしていた
二人の隊員が見つけた。隊員たちは十日以上行方がわからなくなっていた上官に駆け寄ると、口々に声をかけた。
「隊長!ご無事だったんですね」
「アスクレピオスの奴らはどうなったんですか」
しかし、隊長は当惑したように首を振って、言った。
「アスクレピオス……?すまないが、私には何のことだか……」
そう答える目の前の男に、凛々しく勇猛な聖騎士隊長の面影はなかった。
町外れの道をどこかぼんやりした様子で歩いている隊長を、教区内の見回りをしていた
二人の隊員が見つけた。隊員たちは十日以上行方がわからなくなっていた上官に駆け寄ると、口々に声をかけた。
「隊長!ご無事だったんですね」
「アスクレピオスの奴らはどうなったんですか」
しかし、隊長は当惑したように首を振って、言った。
「アスクレピオス……?すまないが、私には何のことだか……」
そう答える目の前の男に、凛々しく勇猛な聖騎士隊長の面影はなかった。
ロボトミー――バズが隊長に施術したのは、脳の一部を切除して記憶を失わせると同時に、
被術者の性格までも変える禁断の術式だった。
被術者の性格までも変える禁断の術式だった。
自分たちを追い詰めた人物の記憶を葬り、教会という権力の手を逃れて、バズとロザリィは
今日も旅を続ける。教会が認める「正当の医学」では救えない傷病者たちを助けるために。
今日も旅を続ける。教会が認める「正当の医学」では救えない傷病者たちを助けるために。