『復活のビート Part3 ②』
世界の敵を殺す、とブギーポップは言った。
そしてこの場合、殺されるべき敵とは──。
「な、なんだテメエは!?」
赤ん坊を抱えた男が引き攣れ気味に声を荒げる。包丁を握る手がより固く、その指は白くなっていた。
あと一歩でもこっち側に踏み込んだら刺してやるぞ、とでも言いたげな警戒心に満ちていた。
当然の帰結として男の注意はレジカウンターから外れ、その事態の急転に店員の視線が左右に揺れる。
「ちょ、ちょっとブギーポップ」
初佳が当惑したように貴也──今はブギーポップだが──の腕を引いた。
その仕草は、『ブギーポップ』を秋月貴也とは乖離された一人格として扱うことになんの抵抗もないという感じだった。
「なんだね。見て分かるとは思うが取り込み中だ」
「うっせえわよ。アンタ、なんか無茶なコト考えてんじゃないでしょうね」
「それはどういう意味かね」
生真面目かつ冷淡に応答するブギーポップに、初佳はロボットかなにかの相手をしている錯覚に陥る。
「アンタが無茶をすると赤ちゃんが危険に晒されるって分かってんの? それじゃ元も子もないでしょーが」
初佳の懸念を受け、そいつは深い息を吐く。そして、表情ひとつ変えずにこう言い放った。
「──君は、一体なにを言っているんだ?」
それはまるで「ものの分かっていない」のは彼女だと言っているようで、事実そう言っているのだろう、
完璧に思考の虚を突かれた初佳は目を白黒させる。
「は。……え? アンタ、赤ちゃんを助けに『出てきた』んじゃないの?」
今の今まで首だけ捻って応じていたブギーポップだったが、
その質問に対してだけは、強盗に背を向けてまで初佳を正面から見据えて答えた。
「君は……いや、君たちは物事を一面からしか見なさ過ぎる。
──どちらかと言うと助けを求めてるのは『彼』の方だと思うがね。
見て分からないか? 彼は今、自分を『見失っている』だけだ。そんな人間が『世界の敵』になり得るはずがない」
「な──」
二の句が告げない初佳にお構いなくブギーポップは先を続ける。
「……彼は非常に二価的な存在だ。武器と、守るべきものと、その相反する可能性を等しく心の中に抱えている。
だからこそあんなにも苦しんでいるんだ。そのどちらかを捨てるか、或いはその二つを重ね合わせてしまえば楽になれるだろうに」
舞台役者の独白のように、朗々と述べている。
その背後では男の呻き声がした。それは魂の一滴までも搾り出すような、悲痛な声だった。
「その苦しみから解き放たれた者──迷うことを『完全に諦めた』者こそが、私の敵だ」
そして、ブギーポップは再び前を向く。
こいつが言うところの『敵』と相対するために、すなわち──。
「そう──君のことだよ、『世界の敵』とは」
事態のほぼ中心にいながら、傍観者の誰もが注意を払わなかった『そいつ』、
コンビニエンスストア『オーソン』のレジカウンターに立つ、たった一人の店員と対決するために。
そしてこの場合、殺されるべき敵とは──。
「な、なんだテメエは!?」
赤ん坊を抱えた男が引き攣れ気味に声を荒げる。包丁を握る手がより固く、その指は白くなっていた。
あと一歩でもこっち側に踏み込んだら刺してやるぞ、とでも言いたげな警戒心に満ちていた。
当然の帰結として男の注意はレジカウンターから外れ、その事態の急転に店員の視線が左右に揺れる。
「ちょ、ちょっとブギーポップ」
初佳が当惑したように貴也──今はブギーポップだが──の腕を引いた。
その仕草は、『ブギーポップ』を秋月貴也とは乖離された一人格として扱うことになんの抵抗もないという感じだった。
「なんだね。見て分かるとは思うが取り込み中だ」
「うっせえわよ。アンタ、なんか無茶なコト考えてんじゃないでしょうね」
「それはどういう意味かね」
生真面目かつ冷淡に応答するブギーポップに、初佳はロボットかなにかの相手をしている錯覚に陥る。
「アンタが無茶をすると赤ちゃんが危険に晒されるって分かってんの? それじゃ元も子もないでしょーが」
初佳の懸念を受け、そいつは深い息を吐く。そして、表情ひとつ変えずにこう言い放った。
「──君は、一体なにを言っているんだ?」
それはまるで「ものの分かっていない」のは彼女だと言っているようで、事実そう言っているのだろう、
完璧に思考の虚を突かれた初佳は目を白黒させる。
「は。……え? アンタ、赤ちゃんを助けに『出てきた』んじゃないの?」
今の今まで首だけ捻って応じていたブギーポップだったが、
その質問に対してだけは、強盗に背を向けてまで初佳を正面から見据えて答えた。
「君は……いや、君たちは物事を一面からしか見なさ過ぎる。
──どちらかと言うと助けを求めてるのは『彼』の方だと思うがね。
見て分からないか? 彼は今、自分を『見失っている』だけだ。そんな人間が『世界の敵』になり得るはずがない」
「な──」
二の句が告げない初佳にお構いなくブギーポップは先を続ける。
「……彼は非常に二価的な存在だ。武器と、守るべきものと、その相反する可能性を等しく心の中に抱えている。
だからこそあんなにも苦しんでいるんだ。そのどちらかを捨てるか、或いはその二つを重ね合わせてしまえば楽になれるだろうに」
舞台役者の独白のように、朗々と述べている。
その背後では男の呻き声がした。それは魂の一滴までも搾り出すような、悲痛な声だった。
「その苦しみから解き放たれた者──迷うことを『完全に諦めた』者こそが、私の敵だ」
そして、ブギーポップは再び前を向く。
こいつが言うところの『敵』と相対するために、すなわち──。
「そう──君のことだよ、『世界の敵』とは」
事態のほぼ中心にいながら、傍観者の誰もが注意を払わなかった『そいつ』、
コンビニエンスストア『オーソン』のレジカウンターに立つ、たった一人の店員と対決するために。
「──なんだって?」
『そいつ』の言っていることは電波以外の何物でもなかったので、俺は思わず顔をしかめた。
なにかの悪い夢だと思いたかった。
生活のためにこうして朝から真面目にバイトしてるのに、コンビニ強盗に遭うわ、
いきなり乱入してきたキ印さんに敵だのなんだの言われるわ、弱り目に祟り目とはこのことだろう。
だが、今俺の目の前で起きていることは紛れもなく現実だった。
どう見てもヤク中の強盗は相変わらず胡乱な目つきでうーうー唸ってるし、
女みたいな顔した『そいつ』は不気味なくらいの無表情で俺をじっと睨んでいる。
「『普通ということをどう思う?』」
『そいつ』は、いきなりそんなことを俺に聞いてきた。
……いや、どうやら聞いた訳じゃないらしい。
というのも、『そいつ』は俺の答を待たずにさらにしゃべり始めたからだ。
「『普通というのは、そのまま放っておいたらずーっとそのままだということだ。
だからそれが嫌なら、どこかで普通でなくならなければいけない』──これは、ある夭折した小説家が遺した言葉だ。
君は自分が、自分を取り巻く環境が『普通』であることに真に絶望している。だから、この『能力』を発現させた」
(……『能力』? 『能力』だって?)
『そいつ』の話し振りだと、俺がなにかをしてるように聞こえる。だけど、
「お、俺はなにもしていないぞ」
そう、俺はなにもしていない。強盗に対してもなにも出来ないでいる、それなのに、
「ならば逆に聞こう。なぜ、なにもしないんだ?
君の目の前に、店の売り上げを強奪しようとしている男がいる。そうした手合いに対する方策を知らないわけではあるまい?
自衛のための努力を払ったり、逃げたりすることもせず、なにを突っ立っている?
そもそも、どうして君は一人なんだ? 他の店員はどうしたんだね?」
言われて初めて気がついた。
店の中に、俺と同じ上着を着た人間が一人もいないことに。
強盗が来るまでは接客に追われていてそのことにはまるで気がつかなかったが、
朝のピークの時間帯を考えると、それはとんでもない異常事態だった。
見ると、補充途中のコンテナがパンの陳列棚の前に置きっぱなしになっている。
トイレとかゴミ出しかなにかだと思うが、それは俺がただ思っているだけで確かめたわけではなかった。
「……し、知らない。たまたまみんな持ち場を離れているだけだ」
「そうか──つまり君はこう言いたいわけだな。
『たまたま他の従業員の全てが朝の込んだ時間、稼ぎ時というやつに揃いも揃って職場を放棄したその瞬間に、
たまたま赤子連れの押し入り強盗が現れて他ならぬ君に金品を要求し、
たまたま私のような正体不明の怪人が割り込んできて君を殺すだのと物騒なことをのたまっている』、と」
俺はなにも答えられなかった。
言葉だけ聞くとふざけて言ってるとしか思えなかったが、『そいつ』は極めて厳しい声音だった。
「『偶然』の一言で片付けるには異常すぎる状況だと思わないか?」
『そいつ』がなにを言いたいのか、俺には少しも分からない。
分からない、分からないが……。
「君の心の奥底に潜む『普通』への憎悪、果てのない渇望が『それ』の源だ。
その力に誘われて、そこの彼や私のような、アンバランスな者たちが今まさにこの街に集いつつある。
『不透明な存在を呼び寄せる能力』──『テイルズ・フロム・ザ・トワイライト・ワールド』とでも呼ぶべきその力……。
君はあくまでなにもしない、なにもしないまま、世界が混沌の坩堝と化すのを、フェアリーテイルでも読むように眺め続けるのだろう。
絶対の安全を約束された『無責任な傍観者』として、この世界が『普通』ではなくなるのを目の当たりにする──『それ』はそういう類の力だ。
おそらく、『それ』は無意識の能力なのだろう──だからこそ、歯止めの利かない真に危険な能力だ。
いずれ取り返しのつかない『なにか』を巻き込み、君を中心として世界は滅亡するだろう。
兆しはすでに顕れている……世界の終わりは近い」
分からない、分からない、分からない、分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない
分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない
分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない
分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない
「それを食い止めるために、私は浮かび上がってきた。君にこんな長話をしたのもそのためさ。 君を事態の『当事者』たらしめ、『安全圏』から引きずり出すためにね」
「ガイキチが適当なこと言ってんじゃねえ! 俺に恨みでもあんのか!?」
「残念ながら私は自動的なんだ。私の主体性など問題にならない。
私のやるべきことは一つ……君の能力が『崩壊のビート』を刻むその前に──」
分からないが──、
「君の『生命の鼓動(ハートビート)』を打ち消す……!」
こいつは──俺の『敵』だ!
「うあああぅ!」
『そいつ』の言っていることは電波以外の何物でもなかったので、俺は思わず顔をしかめた。
なにかの悪い夢だと思いたかった。
生活のためにこうして朝から真面目にバイトしてるのに、コンビニ強盗に遭うわ、
いきなり乱入してきたキ印さんに敵だのなんだの言われるわ、弱り目に祟り目とはこのことだろう。
だが、今俺の目の前で起きていることは紛れもなく現実だった。
どう見てもヤク中の強盗は相変わらず胡乱な目つきでうーうー唸ってるし、
女みたいな顔した『そいつ』は不気味なくらいの無表情で俺をじっと睨んでいる。
「『普通ということをどう思う?』」
『そいつ』は、いきなりそんなことを俺に聞いてきた。
……いや、どうやら聞いた訳じゃないらしい。
というのも、『そいつ』は俺の答を待たずにさらにしゃべり始めたからだ。
「『普通というのは、そのまま放っておいたらずーっとそのままだということだ。
だからそれが嫌なら、どこかで普通でなくならなければいけない』──これは、ある夭折した小説家が遺した言葉だ。
君は自分が、自分を取り巻く環境が『普通』であることに真に絶望している。だから、この『能力』を発現させた」
(……『能力』? 『能力』だって?)
『そいつ』の話し振りだと、俺がなにかをしてるように聞こえる。だけど、
「お、俺はなにもしていないぞ」
そう、俺はなにもしていない。強盗に対してもなにも出来ないでいる、それなのに、
「ならば逆に聞こう。なぜ、なにもしないんだ?
君の目の前に、店の売り上げを強奪しようとしている男がいる。そうした手合いに対する方策を知らないわけではあるまい?
自衛のための努力を払ったり、逃げたりすることもせず、なにを突っ立っている?
そもそも、どうして君は一人なんだ? 他の店員はどうしたんだね?」
言われて初めて気がついた。
店の中に、俺と同じ上着を着た人間が一人もいないことに。
強盗が来るまでは接客に追われていてそのことにはまるで気がつかなかったが、
朝のピークの時間帯を考えると、それはとんでもない異常事態だった。
見ると、補充途中のコンテナがパンの陳列棚の前に置きっぱなしになっている。
トイレとかゴミ出しかなにかだと思うが、それは俺がただ思っているだけで確かめたわけではなかった。
「……し、知らない。たまたまみんな持ち場を離れているだけだ」
「そうか──つまり君はこう言いたいわけだな。
『たまたま他の従業員の全てが朝の込んだ時間、稼ぎ時というやつに揃いも揃って職場を放棄したその瞬間に、
たまたま赤子連れの押し入り強盗が現れて他ならぬ君に金品を要求し、
たまたま私のような正体不明の怪人が割り込んできて君を殺すだのと物騒なことをのたまっている』、と」
俺はなにも答えられなかった。
言葉だけ聞くとふざけて言ってるとしか思えなかったが、『そいつ』は極めて厳しい声音だった。
「『偶然』の一言で片付けるには異常すぎる状況だと思わないか?」
『そいつ』がなにを言いたいのか、俺には少しも分からない。
分からない、分からないが……。
「君の心の奥底に潜む『普通』への憎悪、果てのない渇望が『それ』の源だ。
その力に誘われて、そこの彼や私のような、アンバランスな者たちが今まさにこの街に集いつつある。
『不透明な存在を呼び寄せる能力』──『テイルズ・フロム・ザ・トワイライト・ワールド』とでも呼ぶべきその力……。
君はあくまでなにもしない、なにもしないまま、世界が混沌の坩堝と化すのを、フェアリーテイルでも読むように眺め続けるのだろう。
絶対の安全を約束された『無責任な傍観者』として、この世界が『普通』ではなくなるのを目の当たりにする──『それ』はそういう類の力だ。
おそらく、『それ』は無意識の能力なのだろう──だからこそ、歯止めの利かない真に危険な能力だ。
いずれ取り返しのつかない『なにか』を巻き込み、君を中心として世界は滅亡するだろう。
兆しはすでに顕れている……世界の終わりは近い」
分からない、分からない、分からない、分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない
分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない
分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない
分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない
「それを食い止めるために、私は浮かび上がってきた。君にこんな長話をしたのもそのためさ。 君を事態の『当事者』たらしめ、『安全圏』から引きずり出すためにね」
「ガイキチが適当なこと言ってんじゃねえ! 俺に恨みでもあんのか!?」
「残念ながら私は自動的なんだ。私の主体性など問題にならない。
私のやるべきことは一つ……君の能力が『崩壊のビート』を刻むその前に──」
分からないが──、
「君の『生命の鼓動(ハートビート)』を打ち消す……!」
こいつは──俺の『敵』だ!
「うあああぅ!」
「うあああぅ!」
言葉にならない雄叫びを上げて、包丁を振りかざした強盗男がブギーポップに飛び掛かる。
スウェーして切っ先を避けるその先まで、刃は正確に追尾してきた。
二度、三度と繰り出される攻撃は、徐々にスピードが上がっていく。
紙一重ともいえるぎりぎりの距離でそれをかわし続けるブギーポップは、その一方で初佳に呼びかける。
「五十嵐初佳、君は下がれ。彼に『スイッチ』が入った」
「ス、スイッチ?」
「彼の防衛本能が限界まで引きずり出されている。彼の『領域』に足を踏み入れたらたちどころに襲われるぞ。
だがしかし──この状況になっても頑なに自分の『安全』を確保し続けるのか……やはり捨て置けないな」
最後は独り言のようにつぶやき、男の背後に控える店員の方へ視線を向けた。
その死角から、驚異的な速度を伴った柳葉包丁が刺し伸ばされてくる。
だが、ブギーポップはそれを予期していたように、視線は店員に固定したままで男の腕を弾き飛ばした。
そして、フーッ、と長く息を吐くと、膝を思い切り沈めて跳躍した。
それはまさに「目にも留まらぬ」というやつで、その場の誰もが動きを視認できないうちに、
ブギーポップは男の肩を踏み抜いてさらに高く跳び上がる。男は床に倒れながらも赤ん坊を庇っていた。
天井すれすれを通り、中空でさらに身体をひねり、雑技団のような身のこなしでレジカウンターの上に中腰で降り立った。
だん、とカウンター全体を揺るがせる衝撃に、店員が驚いて顔を上げ──
「消えろ──『泡』のように」
息を呑む暇すらないままに、ブギーポップの二指から放たれた『なにか』に頭を撃ち抜かれた。
「あ──」
店員はよろめき、ふらふらと背後にある業務用の電子レンジやらなにやらが置かれた棚に持たれかかる。
放心したように虚空を見つめるその瞳から、一粒の涙が零れ落ちた。
それは、自らの内に潜む巨大な『可能性』が潰えたことへの哀惜なのかも知れなかった。
言葉にならない雄叫びを上げて、包丁を振りかざした強盗男がブギーポップに飛び掛かる。
スウェーして切っ先を避けるその先まで、刃は正確に追尾してきた。
二度、三度と繰り出される攻撃は、徐々にスピードが上がっていく。
紙一重ともいえるぎりぎりの距離でそれをかわし続けるブギーポップは、その一方で初佳に呼びかける。
「五十嵐初佳、君は下がれ。彼に『スイッチ』が入った」
「ス、スイッチ?」
「彼の防衛本能が限界まで引きずり出されている。彼の『領域』に足を踏み入れたらたちどころに襲われるぞ。
だがしかし──この状況になっても頑なに自分の『安全』を確保し続けるのか……やはり捨て置けないな」
最後は独り言のようにつぶやき、男の背後に控える店員の方へ視線を向けた。
その死角から、驚異的な速度を伴った柳葉包丁が刺し伸ばされてくる。
だが、ブギーポップはそれを予期していたように、視線は店員に固定したままで男の腕を弾き飛ばした。
そして、フーッ、と長く息を吐くと、膝を思い切り沈めて跳躍した。
それはまさに「目にも留まらぬ」というやつで、その場の誰もが動きを視認できないうちに、
ブギーポップは男の肩を踏み抜いてさらに高く跳び上がる。男は床に倒れながらも赤ん坊を庇っていた。
天井すれすれを通り、中空でさらに身体をひねり、雑技団のような身のこなしでレジカウンターの上に中腰で降り立った。
だん、とカウンター全体を揺るがせる衝撃に、店員が驚いて顔を上げ──
「消えろ──『泡』のように」
息を呑む暇すらないままに、ブギーポップの二指から放たれた『なにか』に頭を撃ち抜かれた。
「あ──」
店員はよろめき、ふらふらと背後にある業務用の電子レンジやらなにやらが置かれた棚に持たれかかる。
放心したように虚空を見つめるその瞳から、一粒の涙が零れ落ちた。
それは、自らの内に潜む巨大な『可能性』が潰えたことへの哀惜なのかも知れなかった。
「──殺したの?」
ブギーポップの不可視の攻撃を受けてぴくりとも動かなくなった店員を見、初佳が不安そうに漏らす。
「いや──幸いにも、彼は『当事者』として負けた。彼の『能力』は無自覚であることが大前提だった。
その意味では、私を『敵』として認識した時点で彼の敗北は決定していたんだ。
私がこれ以上なにかをする必要はなかった。単なる形式として、彼に『敗北』を与えただけだ。
今後、彼は『普通』の人間として、悩んだり傷ついたりしながら世界と戦わなければならないだろう──他の大勢の人たちがそうしているように。
だが──」
ブギーポップはカウンターから降り、経でも読むような平坦な口調で述べる。
「わずかに手遅れだったようだ。
彼の『テイルズ・フロム・ザ・トワイライト・ワールド』は、すでに決定的なレベルに到達していた。
『世界の敵』たる可能性を秘めた存在が、続々とこの街に引き寄せられている。──私も忙しくなりそうだ」
「……相変わらず、アンタは『世界の敵』とかなんとか訳の分かんねー話ばかりね」
「本当に分からないか?」
ブギーポップは初佳を見つめる。
それはどこまでも真っ直ぐな瞳で、恋人の貴也のそれにも似ていて、初佳は少しだけどきりとする。
「──君には分かっているはずだ。かつて秋月貴也とともに『世界の敵』と戦い、『泡』の記憶をも持つ君ならば。
『dis beet disrupts(崩壊のビート)』は、ごくごく身近にこそ潜んでいるものだと。核攻撃による世界崩壊モデルなんて御伽噺さ」
そして、ブギーポップは店の出口へと向かう。その足運びにはなんの迷いもなかった。
「ちょ、ちょっと。どこ行くの?」
「言っただろう、『私も忙しくなる』と」
一顧だにせずそう返すビギーポップの背後で、踏み台にされた男がのろのろと立ち上がり、そして店員もふらふらと身を起こす。
それを指差して初佳が小さく悲鳴を上げた。
「これ、どーすんのよ!」
そんな声など聞こえぬげにずんずん進んでいくブギーポップだたが、思い直したように初佳へ振り返る。
「『振り出し』に戻っただけだ。好きにさせておくといい。コンビニ強盗が成功するかどうかは私のフォロー範疇にない。
ただ、やはり君は手を出すな。君になにかがあると、秋月貴也が悲しむし──いささか人間くさくはあるが、私も同じ気持ちだ」
「え」
予期しない言葉に目を丸くする初佳だったが、
そのある意味告白同然のセリフにも気負った素振りを見せず、さらりとブギーポップは続けた。
「ま、そういう訳だ。餅は餅屋と言うし、後は警察の到着を待つといい。
だが、そうだな──もしかしたら、彼の『能力』におびき寄せられたおせっかい焼きがこの状況を制圧してしまうかもしれないな」
そう言い残し、ブギーポップは新たな『敵』を求めて店から出て行ってしまった。
「ちょ、ちょっとこらあ! 不安になりそうなセリフを残して勝手に一人で行くなあ!」
だがその声は今度こそブギーポップには届かず、ガラス貼りの向こうに見えるその正体不明の怪人は風のように駆け抜けていった。
ブギーポップの不可視の攻撃を受けてぴくりとも動かなくなった店員を見、初佳が不安そうに漏らす。
「いや──幸いにも、彼は『当事者』として負けた。彼の『能力』は無自覚であることが大前提だった。
その意味では、私を『敵』として認識した時点で彼の敗北は決定していたんだ。
私がこれ以上なにかをする必要はなかった。単なる形式として、彼に『敗北』を与えただけだ。
今後、彼は『普通』の人間として、悩んだり傷ついたりしながら世界と戦わなければならないだろう──他の大勢の人たちがそうしているように。
だが──」
ブギーポップはカウンターから降り、経でも読むような平坦な口調で述べる。
「わずかに手遅れだったようだ。
彼の『テイルズ・フロム・ザ・トワイライト・ワールド』は、すでに決定的なレベルに到達していた。
『世界の敵』たる可能性を秘めた存在が、続々とこの街に引き寄せられている。──私も忙しくなりそうだ」
「……相変わらず、アンタは『世界の敵』とかなんとか訳の分かんねー話ばかりね」
「本当に分からないか?」
ブギーポップは初佳を見つめる。
それはどこまでも真っ直ぐな瞳で、恋人の貴也のそれにも似ていて、初佳は少しだけどきりとする。
「──君には分かっているはずだ。かつて秋月貴也とともに『世界の敵』と戦い、『泡』の記憶をも持つ君ならば。
『dis beet disrupts(崩壊のビート)』は、ごくごく身近にこそ潜んでいるものだと。核攻撃による世界崩壊モデルなんて御伽噺さ」
そして、ブギーポップは店の出口へと向かう。その足運びにはなんの迷いもなかった。
「ちょ、ちょっと。どこ行くの?」
「言っただろう、『私も忙しくなる』と」
一顧だにせずそう返すビギーポップの背後で、踏み台にされた男がのろのろと立ち上がり、そして店員もふらふらと身を起こす。
それを指差して初佳が小さく悲鳴を上げた。
「これ、どーすんのよ!」
そんな声など聞こえぬげにずんずん進んでいくブギーポップだたが、思い直したように初佳へ振り返る。
「『振り出し』に戻っただけだ。好きにさせておくといい。コンビニ強盗が成功するかどうかは私のフォロー範疇にない。
ただ、やはり君は手を出すな。君になにかがあると、秋月貴也が悲しむし──いささか人間くさくはあるが、私も同じ気持ちだ」
「え」
予期しない言葉に目を丸くする初佳だったが、
そのある意味告白同然のセリフにも気負った素振りを見せず、さらりとブギーポップは続けた。
「ま、そういう訳だ。餅は餅屋と言うし、後は警察の到着を待つといい。
だが、そうだな──もしかしたら、彼の『能力』におびき寄せられたおせっかい焼きがこの状況を制圧してしまうかもしれないな」
そう言い残し、ブギーポップは新たな『敵』を求めて店から出て行ってしまった。
「ちょ、ちょっとこらあ! 不安になりそうなセリフを残して勝手に一人で行くなあ!」
だがその声は今度こそブギーポップには届かず、ガラス貼りの向こうに見えるその正体不明の怪人は風のように駆け抜けていった。