「えーと」
「んーみゅ」
「んーみゅ」
その本を閉じると斗貴子は面をあげた。横の香美が正面のテーブルめがけ一瞬雪崩れ込みかけたが不自然に硬直し
背筋を正す。貴信が躾けたらしいが今の斗貴子にツッコむ余裕はない。テーブルの向こうに座る作務衣姿の少女への
応対で手一杯だ。
彼女は問う。神妙な、様子で。
「どうでしょうか斗貴子先輩」
「どうって言われても」
難しい顔でテーブルに本を置く。
「予め断ったと思うが、私は文芸にそれほど詳しくないぞ? 意見を述べたとしてもそれがキミのためになるかどうか……」
作務衣の少女……若宮千里はちょっと考え込む仕草をした。
背筋を正す。貴信が躾けたらしいが今の斗貴子にツッコむ余裕はない。テーブルの向こうに座る作務衣姿の少女への
応対で手一杯だ。
彼女は問う。神妙な、様子で。
「どうでしょうか斗貴子先輩」
「どうって言われても」
難しい顔でテーブルに本を置く。
「予め断ったと思うが、私は文芸にそれほど詳しくないぞ? 意見を述べたとしてもそれがキミのためになるかどうか……」
作務衣の少女……若宮千里はちょっと考え込む仕草をした。
彼女と斗貴子の親交はさほど深くない。カズキの妹の友達の1人……程度だ。
カズキという共通の知人あらばこそ何度か顔を合わせているが、結局それは知り合いの知り合い程度の間柄。
マンツーマンでいきなり親しく話せる関係ではない。
しかも千里という少女は、おかっぱ頭にメガネといういかにもな外観通りの優等生でおとなしい。しかも対する斗貴子は
あらゆる日常、ホムンクルスなど知らず平和に暮らす生徒たちと必要以上に距離をとる。そんな両者が差し向かったのだ、
会話はまったく弾まない。
「やっぱ難しいね。台本」
千里の傍らで困ったように微笑むのは河合沙織。ヒヨコのように柔らかそうな黄色い髪を両端で縛った少女である。丸い
髪留めと言いいささか童女趣味の抜けない彼女が千里と並ぶと同学年にも関わらず姉妹のように見えてくる。むろん沙織
は妹だ。そして良くできたしっかり者の姉は無造作に台本を手に取りパラパラめくる。
「そうですよね。いきなり言われても分かりませんよね。私自身これでいいか分かりませんし……」
誰からともなくため息が漏れた。
(つーかあたし眠い。眠いじゃんご主人。そろそろ寝たいのに何でおっかないのとモソモソやってるじゃん?
(忘れたのか香美! 河合氏の要件を!)
マンツーマンでいきなり親しく話せる関係ではない。
しかも千里という少女は、おかっぱ頭にメガネといういかにもな外観通りの優等生でおとなしい。しかも対する斗貴子は
あらゆる日常、ホムンクルスなど知らず平和に暮らす生徒たちと必要以上に距離をとる。そんな両者が差し向かったのだ、
会話はまったく弾まない。
「やっぱ難しいね。台本」
千里の傍らで困ったように微笑むのは河合沙織。ヒヨコのように柔らかそうな黄色い髪を両端で縛った少女である。丸い
髪留めと言いいささか童女趣味の抜けない彼女が千里と並ぶと同学年にも関わらず姉妹のように見えてくる。むろん沙織
は妹だ。そして良くできたしっかり者の姉は無造作に台本を手に取りパラパラめくる。
「そうですよね。いきなり言われても分かりませんよね。私自身これでいいか分かりませんし……」
誰からともなくため息が漏れた。
(つーかあたし眠い。眠いじゃんご主人。そろそろ寝たいのに何でおっかないのとモソモソやってるじゃん?
(忘れたのか香美! 河合氏の要件を!)
先ほど廊下でバッタリあった沙織は香美たちにこういった。
「演劇の話なんですけど。文芸担当のちーちんがいま困ってて」
(聞けば若宮氏! ひとまず話を書き上げたはいいがそれでいいかどうか迷ってる! だから僕……厳密にいえば香美たち
に! 本読みしてもらいたいと! 意見を聞きたいと!!)
意識を共有している貴信と香美だから脳内でも会話は可能。いわば念話的な行為にも関わらず語調がついつい大声じ
みてしまうのは長年他者に過分な緊張を抱きつづけた貴信ならではの悲しさだ。彼は気を張るとつい大声になってしまう。
だから敬遠されますます対人関係に弱くなりますます声がデカくなる悪循環に陥った。それは人間の頃も今も同じ。しかも
家族同然の香美にさえ発動する。
(よーわからんけど、あのヘンなチョーチョに聞けばいいじゃん)
チョーチョとはむろんパピヨンである。ネコらしく人間社会に無頓着な香美が演劇部の力関係を知っているのは奇妙といえ
ば奇妙だが、どうやら貴信に聞かされ覚えたようだ。
(監督のパピヨンは『好きにしろ』とだけ言ったらしい! どうも彼は忙しいようだ!! 錬金術師であるコトを考えるに何か
秘密裏に作っているのだろうというのがもりもり(総角)氏の見解! あと最近なんかダルそうだ! もともと病気を抱えて
いるからかな!! 見かけた彼の顔色はすぐれなかった!!)
(そんなんどーでもいいし……)
(いいの!!?)
(あたしさ眠い、眠いじゃん。さっき銀ピカにぶそーれんきん出せ出せっていわれたじゃん。アレで疲れた。寝たい……)
瞳をこする香美。ただでさえ気だるさを帯びたアーモンド形のそれはいよいよ眠たげに細まった。
(ま!! 待て香美!! お前に寝られたらマズイ!)
(なんでさ?)
(体が僕に変形する!! 何度も説明しただろう!! 僕らの体のヒミツについて!! 主導権握っている方が気絶や睡眠
で意識なくした場合強制的に変わるんだ! 事情を知らない若宮氏や河合氏から見ればいきなりお前が見知らぬ男に……!!
ここは女子の部屋でしかも夜更け!! そんなコトになったら僕は!! 僕は!!!)
(どーなるのさ)
(それはだな)
貴信は生唾を飲んだ。緊張が伝わり香美も体を硬くした。
(恥ずかしい///)
(んにゅ?)
何が何やらと首を傾げる香美はいま制服姿。ゴシック趣味がすぎると教育委員会から数年に1度は苦言を呈される──
それだけに生徒からは男女問わず人気。一部の成人男性からも──可愛らしいブラウスとスカートだ。
(いま体の主導権が移ってみろ!! 僕が!! 僕がソレを着るんだ!!)
貴信の念話は震えた。思えば転入当初香美が学生服だったのは不測の事態に備えてか。突如変身しても被害は少ない。
(だいたい! 普段お前にタンクトップやハーフパンツといったラフでフェミニン薄い衣装を着せてるのも危惧あればこそだ!!!
万一突然交代しても何とかギリギリセーフだからな!! お前がスカートとか動き辛い衣装嫌いせいでもあるけど!!)
(よーわからん)
(だって! 僕みたいな顔の奴が女装するとか目の毒だ! 見る人に悪い!! 笑われたり馬鹿にされたりしたら凄く! 凄く!!
傷つくだろうし……!! しかも夜更けにだぞ! うら若き女子たちがいきなり男に乱入される!! 可哀想だし申し訳ないし!!)
脳内に響く声は震えていた。涙と悲しみに震えていた。
(だから僕は怖い!! 怖くて怖くて仕方ない!! この状態でお前と交代して河合氏たち女生徒一同に見られるのが怖い!!)
(んーーーーー。わかった。眠いけどガンバる。ご主人嫌がってるしガンバる)
(香美お前ーーーーー! 香美お前本当いいネコーーーーーーーーーーーーっ!!)
居住まいを正す香美に貴信は内心えぐえぐ泣いた。
に! 本読みしてもらいたいと! 意見を聞きたいと!!)
意識を共有している貴信と香美だから脳内でも会話は可能。いわば念話的な行為にも関わらず語調がついつい大声じ
みてしまうのは長年他者に過分な緊張を抱きつづけた貴信ならではの悲しさだ。彼は気を張るとつい大声になってしまう。
だから敬遠されますます対人関係に弱くなりますます声がデカくなる悪循環に陥った。それは人間の頃も今も同じ。しかも
家族同然の香美にさえ発動する。
(よーわからんけど、あのヘンなチョーチョに聞けばいいじゃん)
チョーチョとはむろんパピヨンである。ネコらしく人間社会に無頓着な香美が演劇部の力関係を知っているのは奇妙といえ
ば奇妙だが、どうやら貴信に聞かされ覚えたようだ。
(監督のパピヨンは『好きにしろ』とだけ言ったらしい! どうも彼は忙しいようだ!! 錬金術師であるコトを考えるに何か
秘密裏に作っているのだろうというのがもりもり(総角)氏の見解! あと最近なんかダルそうだ! もともと病気を抱えて
いるからかな!! 見かけた彼の顔色はすぐれなかった!!)
(そんなんどーでもいいし……)
(いいの!!?)
(あたしさ眠い、眠いじゃん。さっき銀ピカにぶそーれんきん出せ出せっていわれたじゃん。アレで疲れた。寝たい……)
瞳をこする香美。ただでさえ気だるさを帯びたアーモンド形のそれはいよいよ眠たげに細まった。
(ま!! 待て香美!! お前に寝られたらマズイ!)
(なんでさ?)
(体が僕に変形する!! 何度も説明しただろう!! 僕らの体のヒミツについて!! 主導権握っている方が気絶や睡眠
で意識なくした場合強制的に変わるんだ! 事情を知らない若宮氏や河合氏から見ればいきなりお前が見知らぬ男に……!!
ここは女子の部屋でしかも夜更け!! そんなコトになったら僕は!! 僕は!!!)
(どーなるのさ)
(それはだな)
貴信は生唾を飲んだ。緊張が伝わり香美も体を硬くした。
(恥ずかしい///)
(んにゅ?)
何が何やらと首を傾げる香美はいま制服姿。ゴシック趣味がすぎると教育委員会から数年に1度は苦言を呈される──
それだけに生徒からは男女問わず人気。一部の成人男性からも──可愛らしいブラウスとスカートだ。
(いま体の主導権が移ってみろ!! 僕が!! 僕がソレを着るんだ!!)
貴信の念話は震えた。思えば転入当初香美が学生服だったのは不測の事態に備えてか。突如変身しても被害は少ない。
(だいたい! 普段お前にタンクトップやハーフパンツといったラフでフェミニン薄い衣装を着せてるのも危惧あればこそだ!!!
万一突然交代しても何とかギリギリセーフだからな!! お前がスカートとか動き辛い衣装嫌いせいでもあるけど!!)
(よーわからん)
(だって! 僕みたいな顔の奴が女装するとか目の毒だ! 見る人に悪い!! 笑われたり馬鹿にされたりしたら凄く! 凄く!!
傷つくだろうし……!! しかも夜更けにだぞ! うら若き女子たちがいきなり男に乱入される!! 可哀想だし申し訳ないし!!)
脳内に響く声は震えていた。涙と悲しみに震えていた。
(だから僕は怖い!! 怖くて怖くて仕方ない!! この状態でお前と交代して河合氏たち女生徒一同に見られるのが怖い!!)
(んーーーーー。わかった。眠いけどガンバる。ご主人嫌がってるしガンバる)
(香美お前ーーーーー! 香美お前本当いいネコーーーーーーーーーーーーっ!!)
居住まいを正す香美に貴信は内心えぐえぐ泣いた。
さて貴信たちの正体知らぬ若宮千里と河合沙織は自身の問題に深刻だ。
「すまないな。わざわざ読んで貰ったのに碌に協力もできず」
斗貴子の声も弾まない。ことホムンクルス相手なら無類の強さを誇るが、こういった学園生活で生じる問題にはとんと弱い。
(日常、か)
ふと防人の言葉が過ぎる。彼が望むような普通の暮らしを送っていたのなら千里たちに見事アドバイスできたのだろうか。
(いや待て。でも私を演劇部に放り込んだのはあの人な訳で)
ある意味では防人のせいで苦しんでいるともいえる。腹立たしいようなちゃんと向き合いたいようなフクザツな気分だ。
だから、だろうか。
以前ならここで自分に解決能力がないコトを伝え辞去したであろう場面で斗貴子は一瞬瞳を泳がせてからこう述べた。
「いっそ桜花を呼んでみたらどうだ。生徒会長だしこういう問題にも強い筈だ」
突然出てきた生徒会長の名前に息を呑む千里とは裏腹に沙織は感嘆の声を上げた。
「それいい! やろうよちーちん!」
「ちょっと落ち着きなさい沙織。もう夜よ。寝ているかも知れないしそうじゃなくても生徒会の仕事が……」
「そうだ! いっそびっきーやひかるん呼んでプチ歓迎会しようよ! もちろんまっぴーも!」
「すまないな。わざわざ読んで貰ったのに碌に協力もできず」
斗貴子の声も弾まない。ことホムンクルス相手なら無類の強さを誇るが、こういった学園生活で生じる問題にはとんと弱い。
(日常、か)
ふと防人の言葉が過ぎる。彼が望むような普通の暮らしを送っていたのなら千里たちに見事アドバイスできたのだろうか。
(いや待て。でも私を演劇部に放り込んだのはあの人な訳で)
ある意味では防人のせいで苦しんでいるともいえる。腹立たしいようなちゃんと向き合いたいようなフクザツな気分だ。
だから、だろうか。
以前ならここで自分に解決能力がないコトを伝え辞去したであろう場面で斗貴子は一瞬瞳を泳がせてからこう述べた。
「いっそ桜花を呼んでみたらどうだ。生徒会長だしこういう問題にも強い筈だ」
突然出てきた生徒会長の名前に息を呑む千里とは裏腹に沙織は感嘆の声を上げた。
「それいい! やろうよちーちん!」
「ちょっと落ち着きなさい沙織。もう夜よ。寝ているかも知れないしそうじゃなくても生徒会の仕事が……」
「そうだ! いっそびっきーやひかるん呼んでプチ歓迎会しようよ! もちろんまっぴーも!」
「……成程。呼ばれた訳…………分かりました」
「生徒会の仕事? 大丈夫大丈夫ちょうどヒマだったし」
「台本チェック? うーん。日本語読めるかなあ」
「生徒会の仕事? 大丈夫大丈夫ちょうどヒマだったし」
「台本チェック? うーん。日本語読めるかなあ」
ほどなくして部屋に現れた女子は6人。上記は内3名。鐶光。早坂桜花。ヴィクトリア=パワード。
スリーショットの写真にアイドルですと注釈をつけて通じるほどいずれ劣らぬ見目麗しい少女たちだ。
スリーショットの写真にアイドルですと注釈をつけて通じるほどいずれ劣らぬ見目麗しい少女たちだ。
「わーにぎやか。これなら台本チェックも捗るねちーちん」
「そうだけど……。その、急に呼んですみません」
千里の態度は硬い。桜花はともかく年下でしかも最近転入してきたばかりの鐶にさえ敬語を使うのは大人しい性格ゆえか。
親交のあるヴィクトリアにさえひどく申し訳なさそうな顔つきだ。
(なのに人を集められてるのは河合氏のお陰、か!)
貴信の見るところ沙織は外向き、ドサ周りを引き受けているようだ。そういえば貴信たちに本読みを頼んだのも沙織だ。
真面目すぎるがゆえに協力を求めづらい千里の側面を沙織はカバーしている。意識してなのか無意識なのか分からない
が見事な息の合いようだ。
(これで高校入学からの付き合いというからな! 驚きだ!)
溺れている子犬を助けた縁で仲良くなったという。
「というか……あの時の子犬……無銘くん…………ですよ?」
(マジ!?)
耳打ちしてきた鐶を愕然と見るが真偽のほどは分からない。冗談かも知れないしそうじゃないかも知れない。
「……フフフ」
どんよりした瞳で不敵に笑う鐶に貴信は思うのだ。「最近明るくなったなあ、良かった!」と。
「気にしない気にしない。私千里の本にその……興味あるし」
ヴィクトリアはというと千里に頼られ満更でもなさそうだ。
「そうだけど……。その、急に呼んですみません」
千里の態度は硬い。桜花はともかく年下でしかも最近転入してきたばかりの鐶にさえ敬語を使うのは大人しい性格ゆえか。
親交のあるヴィクトリアにさえひどく申し訳なさそうな顔つきだ。
(なのに人を集められてるのは河合氏のお陰、か!)
貴信の見るところ沙織は外向き、ドサ周りを引き受けているようだ。そういえば貴信たちに本読みを頼んだのも沙織だ。
真面目すぎるがゆえに協力を求めづらい千里の側面を沙織はカバーしている。意識してなのか無意識なのか分からない
が見事な息の合いようだ。
(これで高校入学からの付き合いというからな! 驚きだ!)
溺れている子犬を助けた縁で仲良くなったという。
「というか……あの時の子犬……無銘くん…………ですよ?」
(マジ!?)
耳打ちしてきた鐶を愕然と見るが真偽のほどは分からない。冗談かも知れないしそうじゃないかも知れない。
「……フフフ」
どんよりした瞳で不敵に笑う鐶に貴信は思うのだ。「最近明るくなったなあ、良かった!」と。
「気にしない気にしない。私千里の本にその……興味あるし」
ヴィクトリアはというと千里に頼られ満更でもなさそうだ。
「ナナナナレーションについてはもう決定済みでありましょうか……」
4人目は小札零。台本チェックよりむしろそれが気になってきたらしい。
「それが……台本決まらないコトにはどうにも」
「というか配役決めるために急いでいるんだよね。決めるの明日の正午でさ、それまでに台本あげないと練習さえできないし……」
千里の表情が沈み沙織に微苦笑が浮かぶ。
「そのっ! 転校して間もなき不肖が望みまするのは些か分不相応というものですがもしよろしければせめてせめてたった
一度、ただ一度で構いませぬ。オーディションをばやらせて頂きたいのですが!!」
「どんだけじっきょーしたいのさ。あやちゃん。つーか眠い…………」
香美が呆れたように呟いた。
「びっきー。じゃなかった監督代行。どうですか?」
「うん。いいよ別に。オーディション受けるぐらい。台本チェックも声出して読んだ方が分かりやすいし」
快諾。小札は無言でうなずいた。唇をもにゅもにゅさせながら台本をぎゅっと抱きしめ赤い顔だ。
(すっごい嬉しそう! もりもり氏にも見せたコトあるかどうかってぐらい乙女の顔!!)
「よかったじゃんあやちゃん! よかった!!」
香美が両手を広げ上体低く駆け寄ると小札はコクコク頷いた。我が子を抱く聖母のような幸福に彩られていた。
「つー訳でぐー」
「!! 気を確かに香美どの!! いまは眠るべき場面では!!」
どうにか小札の活で覚醒する香美をよそに、
「あ、斗貴子さん居た! 見かけないと思ったらこんなところに!!」
明るい声を張り上げたのは5人目。武藤まひろである。
「というかどうしたの? 膝抱えて」
(……増えた。ホムンクルスがまた増えた)
体育ずわりに頭埋める斗貴子の背後に暗い灰みした紫の緞帳が立ち込めた。次々入室してくるホムンクルスたち。それは
まったく悪夢だった。日ごろ学生を守らんと数多ある学校を点々とする斗貴子なのだ。どころか少し前、陣内というL・X・Eの
構成員の襲撃から守り抜いた場所こそ他ならぬこの場所、今いる寄宿舎である。しかもそのときあわや喰われかけた千里が
いまは知らず知らずとはいえホムンクルスたちを引き寄せている。
斗貴子はそういう構図がやるせなかった。
ヴィクトリア1人が寄宿舎で暮らすだけでもひどいストレスなのに今はそれプラス3体のホムンクルスが部屋にいる。新生
児室に虎4匹迷い込めば誰でも色を成すだろう。
「私は……。私は…………」
(そうか! きっと斗貴子氏は不安に潰されそうで──…)
「殺せないのが不愉快だ」
(そっち!!!!!!!!!?)
誰にも聞かれぬよう漏らされた呟きを貴信だけがキャッチし戦慄した。もはやどちらが怪物か分からない。
「? さっき聞き逃したが……見かけなかった? キミどこに居たんだ?」
「地下だけど?」
事もなげに返すまひろに斗貴子は呻き硬直する。
「あ、大丈夫。特訓のコトならヒミツにするから」
「いやそうじゃなくて。居たのか!? あそこに!?」
「ふふふ。何を隠そう私は潜入捜査の達人よ!」
聞けばあちこちに隠れ見物していたらしい。
(まったく気付かなかった…………)
「でもブラボーは気付いてたみたいだね。流石だけど不覚だよ。私もまだまだ修行不足」
「もう十分だと思うが。というかなんでまたあんな所に」
「あ!!」
いきなり大きな声を上げるまひろに斗貴子は顔をしかめた。いいコだと思っているが時々やらかす奇行にはほとほと
参っている。
「しまった!! ブラボーの本名聞きそびれた!!」
「それが目的か。ああでも確か昔……」
斗貴子は思いだす。防人が管理人に収まってすぐまひろは本名を聞いたという。千里か沙織……誰に聞いたかさえ
忘れた些細な事実だが思い出すと呆れかえる。
「まったく。キミもカズキと一緒だな」
「お兄ちゃんと? どこが?」
「ヘンなところに拘る所だ。戦士長の本名は戦団……私たちの本隊でも不明なんだぞ」
「おお。ますます謎だね」
太い眉毛をいからせ頷くまひろ。却って好奇心が湧いたらしい。
「でもさ斗貴子さん。これってヘンなコトかなぁ?」
「?」
質問の真意を測りかねた斗貴子にまひろは続ける。
「ホラなんていうか、名前で呼ぶと何だか特別なカンジするでしょ? ますます仲良くなったーって嬉しいし私だって秋水先輩
にまっぴーって読んで貰ったらきっと楽しいし!!」
「……キミは彼に何を望んでいるんだ?」
どう考えても秋水のイメージにそぐわない。
「えーちゃんだって逢って間もない私に名前を教えてくれたしさ、だからもう友達でまた逢えるの楽しみなんだよ」
「誰だえーちゃんって……」
斗貴子が呆れる中「きっとたまたま街で逢ったコなんだろうな」と思う貴信は気付かない。
その人物こそ自分と香美の命運を歪めたデッド=クラスターとは。
「だから私、ブラボーの本名知りたいの。斗貴子さんは何か知ってる?」
「バカ言うな。あの人はただの上司だぞ。知ってる訳が──…」
言いかけて息が止まる。防人の本名は前述の通り戦団でも秘密である。
キャプテンブラボー。それで通じているし目下は役職で呼んでいる。
だが。
4人目は小札零。台本チェックよりむしろそれが気になってきたらしい。
「それが……台本決まらないコトにはどうにも」
「というか配役決めるために急いでいるんだよね。決めるの明日の正午でさ、それまでに台本あげないと練習さえできないし……」
千里の表情が沈み沙織に微苦笑が浮かぶ。
「そのっ! 転校して間もなき不肖が望みまするのは些か分不相応というものですがもしよろしければせめてせめてたった
一度、ただ一度で構いませぬ。オーディションをばやらせて頂きたいのですが!!」
「どんだけじっきょーしたいのさ。あやちゃん。つーか眠い…………」
香美が呆れたように呟いた。
「びっきー。じゃなかった監督代行。どうですか?」
「うん。いいよ別に。オーディション受けるぐらい。台本チェックも声出して読んだ方が分かりやすいし」
快諾。小札は無言でうなずいた。唇をもにゅもにゅさせながら台本をぎゅっと抱きしめ赤い顔だ。
(すっごい嬉しそう! もりもり氏にも見せたコトあるかどうかってぐらい乙女の顔!!)
「よかったじゃんあやちゃん! よかった!!」
香美が両手を広げ上体低く駆け寄ると小札はコクコク頷いた。我が子を抱く聖母のような幸福に彩られていた。
「つー訳でぐー」
「!! 気を確かに香美どの!! いまは眠るべき場面では!!」
どうにか小札の活で覚醒する香美をよそに、
「あ、斗貴子さん居た! 見かけないと思ったらこんなところに!!」
明るい声を張り上げたのは5人目。武藤まひろである。
「というかどうしたの? 膝抱えて」
(……増えた。ホムンクルスがまた増えた)
体育ずわりに頭埋める斗貴子の背後に暗い灰みした紫の緞帳が立ち込めた。次々入室してくるホムンクルスたち。それは
まったく悪夢だった。日ごろ学生を守らんと数多ある学校を点々とする斗貴子なのだ。どころか少し前、陣内というL・X・Eの
構成員の襲撃から守り抜いた場所こそ他ならぬこの場所、今いる寄宿舎である。しかもそのときあわや喰われかけた千里が
いまは知らず知らずとはいえホムンクルスたちを引き寄せている。
斗貴子はそういう構図がやるせなかった。
ヴィクトリア1人が寄宿舎で暮らすだけでもひどいストレスなのに今はそれプラス3体のホムンクルスが部屋にいる。新生
児室に虎4匹迷い込めば誰でも色を成すだろう。
「私は……。私は…………」
(そうか! きっと斗貴子氏は不安に潰されそうで──…)
「殺せないのが不愉快だ」
(そっち!!!!!!!!!?)
誰にも聞かれぬよう漏らされた呟きを貴信だけがキャッチし戦慄した。もはやどちらが怪物か分からない。
「? さっき聞き逃したが……見かけなかった? キミどこに居たんだ?」
「地下だけど?」
事もなげに返すまひろに斗貴子は呻き硬直する。
「あ、大丈夫。特訓のコトならヒミツにするから」
「いやそうじゃなくて。居たのか!? あそこに!?」
「ふふふ。何を隠そう私は潜入捜査の達人よ!」
聞けばあちこちに隠れ見物していたらしい。
(まったく気付かなかった…………)
「でもブラボーは気付いてたみたいだね。流石だけど不覚だよ。私もまだまだ修行不足」
「もう十分だと思うが。というかなんでまたあんな所に」
「あ!!」
いきなり大きな声を上げるまひろに斗貴子は顔をしかめた。いいコだと思っているが時々やらかす奇行にはほとほと
参っている。
「しまった!! ブラボーの本名聞きそびれた!!」
「それが目的か。ああでも確か昔……」
斗貴子は思いだす。防人が管理人に収まってすぐまひろは本名を聞いたという。千里か沙織……誰に聞いたかさえ
忘れた些細な事実だが思い出すと呆れかえる。
「まったく。キミもカズキと一緒だな」
「お兄ちゃんと? どこが?」
「ヘンなところに拘る所だ。戦士長の本名は戦団……私たちの本隊でも不明なんだぞ」
「おお。ますます謎だね」
太い眉毛をいからせ頷くまひろ。却って好奇心が湧いたらしい。
「でもさ斗貴子さん。これってヘンなコトかなぁ?」
「?」
質問の真意を測りかねた斗貴子にまひろは続ける。
「ホラなんていうか、名前で呼ぶと何だか特別なカンジするでしょ? ますます仲良くなったーって嬉しいし私だって秋水先輩
にまっぴーって読んで貰ったらきっと楽しいし!!」
「……キミは彼に何を望んでいるんだ?」
どう考えても秋水のイメージにそぐわない。
「えーちゃんだって逢って間もない私に名前を教えてくれたしさ、だからもう友達でまた逢えるの楽しみなんだよ」
「誰だえーちゃんって……」
斗貴子が呆れる中「きっとたまたま街で逢ったコなんだろうな」と思う貴信は気付かない。
その人物こそ自分と香美の命運を歪めたデッド=クラスターとは。
「だから私、ブラボーの本名知りたいの。斗貴子さんは何か知ってる?」
「バカ言うな。あの人はただの上司だぞ。知ってる訳が──…」
言いかけて息が止まる。防人の本名は前述の通り戦団でも秘密である。
キャプテンブラボー。それで通じているし目下は役職で呼んでいる。
だが。
──「いつまでも引きずってんじゃねェぞ防人!」
──「オレ達は不条理の中戦って生きているんだ。死んだ人間のコトなんかとっとと切り捨てろ! 割り切れ!!」
──「防……人……」
──「てめえがとっと死んでりゃあ防人は……!!」
(知ってる)
斗貴子の全身を上から下に。清冽な風が吹き抜けた。
──「昨夜遅くついにヴィクターの捕捉に成功しました」
──「ところが肝心の防人達と連絡が一向につきません。嫌な胸騒ぎがしたんで出向いてみたら案の定──…」
かつて、聞いた。火渡が、照星が、そう呼ぶのを。
キャプテンブラボーを。戦士長を。そう呼ぶのを。
キャプテンブラボーを。戦士長を。そう呼ぶのを。
──「防人が見を挺して守ったその残りの命。有意義に使うコトです」
毒島や火渡を指す符牒ではない。照星が誰をそう呼んだか明らかだ。
「防……人…………?」
思わず口に出す。姓なのか名なのか今は定かではないその名前を。
「防人? それがブラボーの本名なの?」
まひろはキョトリと聞き返す。無邪気な様子だ。なのに斗貴子は脳髄を鋭い錐で貫かれた気分を味わった。疼痛は一瞬
で吐き気には繋がらない。けれど怖気が穴から立ち上ってきそうな焦燥に囚われた。足場が崩れて行きそうな……。
思わず口に出す。姓なのか名なのか今は定かではないその名前を。
「防人? それがブラボーの本名なの?」
まひろはキョトリと聞き返す。無邪気な様子だ。なのに斗貴子は脳髄を鋭い錐で貫かれた気分を味わった。疼痛は一瞬
で吐き気には繋がらない。けれど怖気が穴から立ち上ってきそうな焦燥に囚われた。足場が崩れて行きそうな……。
それが過去を導く端緒だったと気付くのはレティクルエレメンツとの戦いの最中──…
この時はただ眼前の少女を気遣うので精いっぱいだった。
(しまった。まひろちゃんはこれで結構敏感なんだ。今の異変……察したかも知れない)
察すれば気遣うし質問した自分をひどく責める。
カズキの件でどれほど傷ついているか知りぬいている斗貴子だ。
のみならず怒りと憎悪に任せ期せずして傷つけたというのは、まさに先ほど秋水が指摘した通り。
ちょっとあたふたしながら見たまひろは何が何やらという顔だ。人間機微には飼い犬のように鋭いまひろが気付かなかっ
た所を見ると斗貴子の頭痛は本当に刹那の出来事らしい。
とにかく防人の名前に連なる情報を(斗貴子自身詳細はよく分からないが)漏らしてしまったのは事実だ。
取り敢えずありのままを話す。
「なるほど。上の名前か下の名前かは分からないんだね」
「そういうコトだな」
「でも何でブラボーって名乗ってるんだろうね?」
「そりゃあ……口癖がブラボーだからじゃないか?」
まさか自分が名付け親だとは露とも知らぬ斗貴子である。妥当な意見を述べた。しかしまひろは違っていて。
「そうかなあ。名前がブラボーだから口癖もブラボーにしたんじゃないかな?」
常識に囚われないからこその”気付き”。それを呈する。
また衝撃に揺らぐ斗貴子。普段の会話なら「またこのコはしょうもないコトを」と呆れたろう。ただ今回は違った。防人の
指摘を受けて以降、秋水、栴檀2人に火渡、照星と様々な人物の発言に揺れに揺れていた斗貴子はいい意味でも悪い意
味でも普段の均衡を失くしていた。で、あるからこそまひろの他愛もない発言に気付いてしまう。
(しまった。まひろちゃんはこれで結構敏感なんだ。今の異変……察したかも知れない)
察すれば気遣うし質問した自分をひどく責める。
カズキの件でどれほど傷ついているか知りぬいている斗貴子だ。
のみならず怒りと憎悪に任せ期せずして傷つけたというのは、まさに先ほど秋水が指摘した通り。
ちょっとあたふたしながら見たまひろは何が何やらという顔だ。人間機微には飼い犬のように鋭いまひろが気付かなかっ
た所を見ると斗貴子の頭痛は本当に刹那の出来事らしい。
とにかく防人の名前に連なる情報を(斗貴子自身詳細はよく分からないが)漏らしてしまったのは事実だ。
取り敢えずありのままを話す。
「なるほど。上の名前か下の名前かは分からないんだね」
「そういうコトだな」
「でも何でブラボーって名乗ってるんだろうね?」
「そりゃあ……口癖がブラボーだからじゃないか?」
まさか自分が名付け親だとは露とも知らぬ斗貴子である。妥当な意見を述べた。しかしまひろは違っていて。
「そうかなあ。名前がブラボーだから口癖もブラボーにしたんじゃないかな?」
常識に囚われないからこその”気付き”。それを呈する。
また衝撃に揺らぐ斗貴子。普段の会話なら「またこのコはしょうもないコトを」と呆れたろう。ただ今回は違った。防人の
指摘を受けて以降、秋水、栴檀2人に火渡、照星と様々な人物の発言に揺れに揺れていた斗貴子はいい意味でも悪い意
味でも普段の均衡を失くしていた。で、あるからこそまひろの他愛もない発言に気付いてしまう。
因果と結果は時に逆になり得る。
先入観は崩れる。
先入観は崩れる。
……と。
(だったら……口癖から取ったんじゃないなら、なぜ戦士長はああ名乗っている? どうしてキャプテンブラボーと?)
(だったら……口癖から取ったんじゃないなら、なぜ戦士長はああ名乗っている? どうしてキャプテンブラボーと?)
──「先生さま、紹介しましょう。コイツはウチの雑用係、ブラブラ坊主じゃ!」
──「仕事もせんと、ブラブラほっつき歩いている坊主じゃからな!」
──「イイやつだが、ブラブラ坊主なんじゃ!」
──「仕事もせんと、ブラブラほっつき歩いている坊主じゃからな!」
──「イイやつだが、ブラブラ坊主なんじゃ!」
──「略して、ブラ坊ですね!」
(また……!)
頭痛が起こり消える。記憶の断片が少しずつ蘇り始めている。頭を過る妄想のような光景に今はただ、戸惑う。
失って一顧だにしなかった物に目を向ける道筋。
…………それは、やがて、冷えた心に今一度の熱を灯す。挫折した者たちの戦いを一層激しく燃え上がらせる。
頭痛が起こり消える。記憶の断片が少しずつ蘇り始めている。頭を過る妄想のような光景に今はただ、戸惑う。
失って一顧だにしなかった物に目を向ける道筋。
…………それは、やがて、冷えた心に今一度の熱を灯す。挫折した者たちの戦いを一層激しく燃え上がらせる。
「カニさんキャラだって語尾にカニーつけるでしょ。それだよ。ブラボーはブラボーキャラだからブラボーって」
「あ、いい。期待した私が馬鹿だった」
やっぱり違うかも知れない。嘆息しつつ思う斗貴子であった。
「あ、いい。期待した私が馬鹿だった」
やっぱり違うかも知れない。嘆息しつつ思う斗貴子であった。
ただそれでも防人の本名は頭のどこかに引っかかり──…
「とにかく今度ブラボーに逢ったら聞いてみようよ。本名」
「あまり詮索しない方がいいと思うが……」
呟く斗貴子の視界に1人の少女が目に入る。一生懸命千里たちに自己紹介する少女が。
「あ、あの……。毒島、毒島華花といいます。体験入学ですが……その、演劇部所属なので、お願いします」
(貴方も来てたの!?)
香美が前に出ている都合上直接視認はできないが、声から思わぬ人物の登場を察し目を剥く貴信。
飼い猫経由でみた世界にはなるほど確かに毒島が居る。居るのだが……素顔だった。ガスマスクの武装錬金・エアリアル
オペレーターをいまは外して可憐だった。絹糸のように柔らかいセミロングの髪にヘアバンドをつけている。目はやや垂れ目
で体は小柄。沙織や鐶も幼い部類だが毒島は余裕で年下に見えるほど幼い。というより小学生そのものの姿だった。
「ああよろしく……って毒島!!?」
(ノリツッコミ!!)
素っ頓狂な声を上げた斗貴子を香美の結ぶ像で眺めていると毒島の脇に手を回し部屋の隅に連れて行くではないか。
以下、小声の会話。
(なんでキミまで来るんだ! 特訓は!?)
(その……私も残りたかったんですがブラボーさんが『折角の女子会なんだしキミも顔出しときさない』って)
(あの人の考えそうなコトだ……。というかキミ、戦士長の呼び方変わってないか?)
(す、すみません。マスクがないと何だか調子が狂って……)
すでに何度か斗貴子は見ているが、どうもこの毒島という少女は二面性を有しているようだ。ガスマスクを着用している
時はいかにも秘書的な優秀さを感じさせるのだが一度脱ぐが最後クラスに1人はいる恥ずかしがりになってしまう。
(できればマスク着けて来たかったんです……。でもブラボーさんに取り上げられましたし)
(たし?)
(いえ……その、差し出がましいかも知れませんし…………)
(?)
そこで太ももの辺りを握り締める毒島。やっと斗貴子は気付いたが彼女は私服だった。フリフリのついた白いブラウスに
踝まであるいかにも子供用なスカート。そんな服がよく似合う少女が真赤な顔を俯け唇さえ「もう耐えられない」というように
噛み締めるのだから斗貴子はひどくたじろいだ。
(そんな恥ずかしいなら戻ればいいだろ。皆には私から 言っておく。無理はするな)
貴信は何だか子猫に懐かれ困っている不良を想像した。制服にチャチな爪立て登ってくる小さな命をそっと地面に下ろし
たいのだけれど迂闊に触ると傷つけそうで手を伸ばしたり引っ込めたりなおっかなびっくり不良が斗貴子だった。
おっかない奴やっぱ優しいじゃんでも眠いと述べたのは香美である。
(残ります)
(なんでまた)
毒島ときたら大きな瞳の淵にうっすら涙を湛えている。時々こわごわと部屋の中央を振り返っては顔に注ぐ視線を感じ
慌てて斗貴子に向き直る始末だ。心底顔を見られるのが恥ずかしいらしい。にも関わらず残るという。
(しゅ、修行です。来るべき決戦でエアリアルオペレーターが破損したときのための)
貴信と香美では後者の方が前に出る機会が多い。その気になれば貴信は自身が眠るとき以外総ての時間前に出ら
れるが……していない。恥ずかしいからだ。自らの風体に自信がない──もっとも貴信並みのルックスで楽しく生きている
人物など幾らでもいる。インパクトのある容貌でも好かれるかどうかは外界への対応次第だし役者という職業に至っては
むしろ非美形こそ持てはやされる。貴信は内面に自信を持てぬ責任を容貌に転嫁しているフシがある──彼だから、毒
島の気持ちはよく分かった。
(僕が香美に隠れているように毒島氏はガスマスクに隠れている! だから寄る辺がなければ動揺し!!)
いまのような状態になる。それは戦闘において致命的だ。毒ガス製造不能、或いは作れど創造者にさえ累が及ぶ事態
に追い込まれるという戦術的なリスクもあるがそれ以上に。
(精神が、対応できない!!)
戦闘経験を詰んだ戦士でさえ時に恐怖へ屈する。ホムンクルスたる貴信も人間を恐れる気分はある。ましてや普通なる
恥ずかしがりの毒島! 例えば斗貴子ならバルキリースカート総てヘシ折られようと体術を以て抗するだろう。闘えるか
否かを決するのは有利不利ではない。気概だ。戦部厳至のような負け戦さえ愛してやまない戦士こそむしろ戦場では生き
残るし結果を出す。(ホムンクルス撃破数最多)。だが現時点の毒島は武器を壊されたが最後だ。倒されるより先に心が
屈し蹂躙される。貴信はおろか鐶でさえ慄然とする幹部渦巻くレティクルとの戦いで生き残れよう筈もない。
(まったく。戦士長は考えているのかいないのか……)
防人が課した試練を思い津村斗貴子は嘆息した。
(私はその……生きたい、です。火渡様のお役に立てるその日まで何としても生きたいです)
来た理由はそれなのだろうか。語調こそ弱いが斗貴子・貴信とも決意の磐石さを見る思いだった。
(そ、それに……)
(ん?)
不意に斗貴子を見上げる毒島。遠慮がちに唇を数度震わせてからこう告げた。
(私なんかでも生きようと思えば何とか生きられます。斗貴子さんは……私なんかより強いんです。心も体も……。だから、
だからその、出来ない訳ないです。きっとその、できると信じてますから…………)
斗貴子が驚きを浮かべるのを貴信は見た。彼女の目の色は明らかに変わっていた。
(だから……来ました)
(まさか貴方…………励ますために!?)
貴信は驚いた。毒島は少しだけ斗貴子を眺めてから踵を返し女子たちの中へ。
(間違いない。毒島氏は勇気を示すためここにきた!! 『自分などでも頑張れる』!! かねてより防人氏の言葉に心
揺らし日常そして生きる意志について懊悩しているであろう斗貴子氏に羞恥凌ぎ戦う姿を見せるコトで!! 勇気を!!
与えんとやってきた!!)
それがどれほど決意を要するか……弱い貴信だからこそ痛感した。ただ戦うのではない。日常生じる様々な試練に
真向立ち向かい克服する。それは非常な困難だ。
毒島はそれをやろうとしている。
恥ずかしくて仕方ない素顔を晒してまで斗貴子の生きる意欲を呼び出そうとしている。
(確か戦団では奇兵というけど……いいコだ!!!)
貴信が感動する中斗貴子は──…
「………………」
沈黙を守る。心がまた揺れている。貴信以外それに気付いたものは、少ない。
「あまり詮索しない方がいいと思うが……」
呟く斗貴子の視界に1人の少女が目に入る。一生懸命千里たちに自己紹介する少女が。
「あ、あの……。毒島、毒島華花といいます。体験入学ですが……その、演劇部所属なので、お願いします」
(貴方も来てたの!?)
香美が前に出ている都合上直接視認はできないが、声から思わぬ人物の登場を察し目を剥く貴信。
飼い猫経由でみた世界にはなるほど確かに毒島が居る。居るのだが……素顔だった。ガスマスクの武装錬金・エアリアル
オペレーターをいまは外して可憐だった。絹糸のように柔らかいセミロングの髪にヘアバンドをつけている。目はやや垂れ目
で体は小柄。沙織や鐶も幼い部類だが毒島は余裕で年下に見えるほど幼い。というより小学生そのものの姿だった。
「ああよろしく……って毒島!!?」
(ノリツッコミ!!)
素っ頓狂な声を上げた斗貴子を香美の結ぶ像で眺めていると毒島の脇に手を回し部屋の隅に連れて行くではないか。
以下、小声の会話。
(なんでキミまで来るんだ! 特訓は!?)
(その……私も残りたかったんですがブラボーさんが『折角の女子会なんだしキミも顔出しときさない』って)
(あの人の考えそうなコトだ……。というかキミ、戦士長の呼び方変わってないか?)
(す、すみません。マスクがないと何だか調子が狂って……)
すでに何度か斗貴子は見ているが、どうもこの毒島という少女は二面性を有しているようだ。ガスマスクを着用している
時はいかにも秘書的な優秀さを感じさせるのだが一度脱ぐが最後クラスに1人はいる恥ずかしがりになってしまう。
(できればマスク着けて来たかったんです……。でもブラボーさんに取り上げられましたし)
(たし?)
(いえ……その、差し出がましいかも知れませんし…………)
(?)
そこで太ももの辺りを握り締める毒島。やっと斗貴子は気付いたが彼女は私服だった。フリフリのついた白いブラウスに
踝まであるいかにも子供用なスカート。そんな服がよく似合う少女が真赤な顔を俯け唇さえ「もう耐えられない」というように
噛み締めるのだから斗貴子はひどくたじろいだ。
(そんな恥ずかしいなら戻ればいいだろ。皆には私から 言っておく。無理はするな)
貴信は何だか子猫に懐かれ困っている不良を想像した。制服にチャチな爪立て登ってくる小さな命をそっと地面に下ろし
たいのだけれど迂闊に触ると傷つけそうで手を伸ばしたり引っ込めたりなおっかなびっくり不良が斗貴子だった。
おっかない奴やっぱ優しいじゃんでも眠いと述べたのは香美である。
(残ります)
(なんでまた)
毒島ときたら大きな瞳の淵にうっすら涙を湛えている。時々こわごわと部屋の中央を振り返っては顔に注ぐ視線を感じ
慌てて斗貴子に向き直る始末だ。心底顔を見られるのが恥ずかしいらしい。にも関わらず残るという。
(しゅ、修行です。来るべき決戦でエアリアルオペレーターが破損したときのための)
貴信と香美では後者の方が前に出る機会が多い。その気になれば貴信は自身が眠るとき以外総ての時間前に出ら
れるが……していない。恥ずかしいからだ。自らの風体に自信がない──もっとも貴信並みのルックスで楽しく生きている
人物など幾らでもいる。インパクトのある容貌でも好かれるかどうかは外界への対応次第だし役者という職業に至っては
むしろ非美形こそ持てはやされる。貴信は内面に自信を持てぬ責任を容貌に転嫁しているフシがある──彼だから、毒
島の気持ちはよく分かった。
(僕が香美に隠れているように毒島氏はガスマスクに隠れている! だから寄る辺がなければ動揺し!!)
いまのような状態になる。それは戦闘において致命的だ。毒ガス製造不能、或いは作れど創造者にさえ累が及ぶ事態
に追い込まれるという戦術的なリスクもあるがそれ以上に。
(精神が、対応できない!!)
戦闘経験を詰んだ戦士でさえ時に恐怖へ屈する。ホムンクルスたる貴信も人間を恐れる気分はある。ましてや普通なる
恥ずかしがりの毒島! 例えば斗貴子ならバルキリースカート総てヘシ折られようと体術を以て抗するだろう。闘えるか
否かを決するのは有利不利ではない。気概だ。戦部厳至のような負け戦さえ愛してやまない戦士こそむしろ戦場では生き
残るし結果を出す。(ホムンクルス撃破数最多)。だが現時点の毒島は武器を壊されたが最後だ。倒されるより先に心が
屈し蹂躙される。貴信はおろか鐶でさえ慄然とする幹部渦巻くレティクルとの戦いで生き残れよう筈もない。
(まったく。戦士長は考えているのかいないのか……)
防人が課した試練を思い津村斗貴子は嘆息した。
(私はその……生きたい、です。火渡様のお役に立てるその日まで何としても生きたいです)
来た理由はそれなのだろうか。語調こそ弱いが斗貴子・貴信とも決意の磐石さを見る思いだった。
(そ、それに……)
(ん?)
不意に斗貴子を見上げる毒島。遠慮がちに唇を数度震わせてからこう告げた。
(私なんかでも生きようと思えば何とか生きられます。斗貴子さんは……私なんかより強いんです。心も体も……。だから、
だからその、出来ない訳ないです。きっとその、できると信じてますから…………)
斗貴子が驚きを浮かべるのを貴信は見た。彼女の目の色は明らかに変わっていた。
(だから……来ました)
(まさか貴方…………励ますために!?)
貴信は驚いた。毒島は少しだけ斗貴子を眺めてから踵を返し女子たちの中へ。
(間違いない。毒島氏は勇気を示すためここにきた!! 『自分などでも頑張れる』!! かねてより防人氏の言葉に心
揺らし日常そして生きる意志について懊悩しているであろう斗貴子氏に羞恥凌ぎ戦う姿を見せるコトで!! 勇気を!!
与えんとやってきた!!)
それがどれほど決意を要するか……弱い貴信だからこそ痛感した。ただ戦うのではない。日常生じる様々な試練に
真向立ち向かい克服する。それは非常な困難だ。
毒島はそれをやろうとしている。
恥ずかしくて仕方ない素顔を晒してまで斗貴子の生きる意欲を呼び出そうとしている。
(確か戦団では奇兵というけど……いいコだ!!!)
貴信が感動する中斗貴子は──…
「………………」
沈黙を守る。心がまた揺れている。貴信以外それに気付いたものは、少ない。