『鐶光は鳩尾無銘が大好きだ。
彼女はむかし義姉に両親を殺された。その挙句監禁され、5倍速で年老いる人外へと……。
瞳が暗色に染まるほどの戦いを強いられ続けるうち果たした出会いが運命を変える。
ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズ。標的を殲滅した流れの共同体を急襲し、小札、貴信、香美と立て続けに重傷を負
わせた鐶光の前に立ちふさがった者こそ……当時まだ人型になれずいたチワワ姿の鳩尾無銘。
苛烈を極めた戦いは引き分けに終わる。
わせた鐶光の前に立ちふさがった者こそ……当時まだ人型になれずいたチワワ姿の鳩尾無銘。
苛烈を極めた戦いは引き分けに終わる。
鐶が無銘を好きになったのはその後だ。
折悪しくやってきた戦士から、鐶を、命がけで守ったから。
好きになった。お世辞にも自分より強いとはいいがたい、チンチクリンなチワワが、傷だらけになりながら戦士を退け
…………守ってくれた。
…………守ってくれた。
救ったのは命だけじゃない。
親も尊厳も失い悲嘆にくれる鐶に彼は、道を示した。
親も尊厳も失い悲嘆にくれる鐶に彼は、道を示した。
──「本当に姉を愛しているのならば止めて見せろ! これ以上の魔道に貶めてやるな!!!」
愛しながらも恐れ、隷属するしかなかった義姉・リバース=イングラム。玉木青空。
彼女が憤怒の権化と化すに至ったさまざまな確執の原因が自分にあると負い目を背負い、諌めるコトも宥めるコトもでき
ぬままただ忌むべき循環に流されていた鐶光。
身を委ねていればいつか戦士かホムンクルスに斃され死んで終われると諦めていた少女。
ぬままただ忌むべき循環に流されていた鐶光。
身を委ねていればいつか戦士かホムンクルスに斃され死んで終われると諦めていた少女。
鳩尾無銘は希望を見せた。
──「奇襲とはいえ師父たち5人と互角に渡りあった実力は本物……。姉に抗する術がまるでない訳ではない」
──「貴様の抱いている感情ぐらいならば聞いてやる。それで貴様が二度と虚ろな瞳で空を仰がないと誓うなら……聞いてやる」
彼は何もかも解決してくれた訳ではない。今日いまに至るまで状況は出逢ったときと変わらない。リバースは未だ多くの人を
苛んでいるし、鐶の老化だってそのままだ。無銘自身、背負わされた宿業に苦しみ恨みに喘いでいる。決してヒーローでは
ない。本当は自分のコトをどうにかするのが精一杯なのだ。
苛んでいるし、鐶の老化だってそのままだ。無銘自身、背負わされた宿業に苦しみ恨みに喘いでいる。決してヒーローでは
ない。本当は自分のコトをどうにかするのが精一杯なのだ。
それでも道は示してくれた。話を聞くと言ってくれた。声を出すだけで暴力を振るった義姉! 訛りを出すだけでドス黒いス
テーキ皿を頭めがけ轟然と振り下ろしたリバース=イングラム! 彼女に比べればどれほど無銘が優しいか。声音を、言葉を、
なんだかんだと貶しながらちゃんと聞き、伝え返してくれる少年は、本当に本当に、大好きだ。
テーキ皿を頭めがけ轟然と振り下ろしたリバース=イングラム! 彼女に比べればどれほど無銘が優しいか。声音を、言葉を、
なんだかんだと貶しながらちゃんと聞き、伝え返してくれる少年は、本当に本当に、大好きだ。
自分だけでなく。
傍目から見れば最早ただの怪物にすぎない「お姉ちゃん」を、殺さず、救えと言ってくれたのだ。
だから希望が持てる』
傍目から見れば最早ただの怪物にすぎない「お姉ちゃん」を、殺さず、救えと言ってくれたのだ。
だから希望が持てる』
「…………」
何度目だろう。白い矩形の影がまた後ろに向かって跳ね上がる。ブレイクはただ黙っていた。
マレフィックウラヌス
ブレイク=ハルベルド。悪の組織の幹部である。コードネームはは『天空のケロタキス ~または象の息~』。
どちらかといえば美男だが、今にもニヘラとしそうな緩い顔つきを除けばこれといって突き抜けた美点がない。街のそこ
そこ人通りのいい場所を探せば10分で同じレベルが拾えそうなほどありふれた絵姿だ。それが、体脂肪率1ケタかという
ぐらい細長い体のうえで目を細め頬をかいたのは同伴者のせいだ。
ブレイク=ハルベルド。悪の組織の幹部である。コードネームはは『天空のケロタキス ~または象の息~』。
どちらかといえば美男だが、今にもニヘラとしそうな緩い顔つきを除けばこれといって突き抜けた美点がない。街のそこ
そこ人通りのいい場所を探せば10分で同じレベルが拾えそうなほどありふれた絵姿だ。それが、体脂肪率1ケタかという
ぐらい細長い体のうえで目を細め頬をかいたのは同伴者のせいだ。
少女だった。乳白色とも灰みの明るい銀色とも取れるゆるふわウェーブのショートボブだった。頭頂部から伸びる毛は滑
稽なまでに長いが(40cmはあった)それが却って過分な美しさに親しみやすさと愛らしさを与えていた。
稽なまでに長いが(40cmはあった)それが却って過分な美しさに親しみやすさと愛らしさを与えていた。
幽玄な気品に溢れた顔を清楚な笑みに染め上げながらキュキュリキュリキュリ。漆黒のタクトを熱心に振るっている。そ
れは商店街のしなびた文房具屋で買った98円の代物で、希釈された特殊引火物がとっぷり詰まっている。要するにマジッ
クペン。太字だ。スケッチブックに刻むのはしかし文字。速記記者顔負けの速度だ。肩から手首に至る執筆運動が円弧と
なり彼女の脇で跳ねている。このまえ映画で見たカンフースターがちょうどこんな感じだった、ヌンチャクを左右に振ってた
……などと囁いたのは道行く人の1人で、それでやっとブレイクはかねてよりの既視感に納得した。むかしハリウッド映画に
出たとき手首で日本刀まわすよう監督に言われ参考に見たのがブルース=リーか何かの映画だった。(なぜ連中は回した
がるのだろう。手首で刀を)。もっとも同伴者は鳥鳴やら猿叫やら何一つもらさず黙々と書いている。作業に苦痛を感じて
いる訳ではない。むしろ笑顔は緊張と歓喜に張り詰め、雪のような頬ときたら血潮にうっすら染まっている。そんな様子を、
ショッピングセンターの、数ある四角い柱の影でじつと見つめること48秒。やっと彼女はブレイクを見た。
れは商店街のしなびた文房具屋で買った98円の代物で、希釈された特殊引火物がとっぷり詰まっている。要するにマジッ
クペン。太字だ。スケッチブックに刻むのはしかし文字。速記記者顔負けの速度だ。肩から手首に至る執筆運動が円弧と
なり彼女の脇で跳ねている。このまえ映画で見たカンフースターがちょうどこんな感じだった、ヌンチャクを左右に振ってた
……などと囁いたのは道行く人の1人で、それでやっとブレイクはかねてよりの既視感に納得した。むかしハリウッド映画に
出たとき手首で日本刀まわすよう監督に言われ参考に見たのがブルース=リーか何かの映画だった。(なぜ連中は回した
がるのだろう。手首で刀を)。もっとも同伴者は鳥鳴やら猿叫やら何一つもらさず黙々と書いている。作業に苦痛を感じて
いる訳ではない。むしろ笑顔は緊張と歓喜に張り詰め、雪のような頬ときたら血潮にうっすら染まっている。そんな様子を、
ショッピングセンターの、数ある四角い柱の影でじつと見つめること48秒。やっと彼女はブレイクを見た。
『以上、光ちゃんの心理描写でした~~~! 拍手~~~~~!!』
胸の前でたわわな質量を押しつぶしていたスケッチブックを翻し右手ひとつに持ち換えた少女。
なにがそんなに嬉しいのか照れ照れと笑っている。残る片手など小さくガッツポーズをしている。頭のアホ毛もパタパタした。
なにがそんなに嬉しいのか照れ照れと笑っている。残る片手など小さくガッツポーズをしている。頭のアホ毛もパタパタした。
……鐶光なる存在を雄弁に語りつくしたのはスケッチブック。20枚の紙はもう裏も表も文字だらけ。文字は太字のペンを
使ったにも関わらず輪転機をくぐりぬけてきたように細く綺麗。ひらがなも、カタカナも、漢字も数字も記号も読点も句読点も、
間隔等しく並んでいる。枠のある原稿でさえここまで整わないというぐらい綺麗でカッキリとした体裁だがそれが却っておぞま
しい。
使ったにも関わらず輪転機をくぐりぬけてきたように細く綺麗。ひらがなも、カタカナも、漢字も数字も記号も読点も句読点も、
間隔等しく並んでいる。枠のある原稿でさえここまで整わないというぐらい綺麗でカッキリとした体裁だがそれが却っておぞま
しい。
彼女は喋らないのだ。『喋れるのに喋らない』。
恋する乙女のように書き上げるほど義妹を想っているのに、それを一切、声に乗せない。
そのくせスケッチブック1冊犠牲にしてまで語りたい衝動を秘めている。容姿も文字も執筆機能も恐ろしく高い完成度を
誇っているのに根本の大事な何かが壊れている。
そのくせスケッチブック1冊犠牲にしてまで語りたい衝動を秘めている。容姿も文字も執筆機能も恐ろしく高い完成度を
誇っているのに根本の大事な何かが壊れている。
それがリバース=イングラム。旧名を玉木青空という鐶の義姉で。
「素晴らしいっす青っち!!」
身を乗り出し歓喜に叫ぶブレイク=ハルベルドの想い人。
ぱあっと輝くような笑みを浮かべたリバースは再びスケッチブックに向かう。礼を述べるのだろう。2人にとってそれは
当たり前のコミュニケーションだが、しかしすれ違う雑踏のカケラたちは一瞬妙な表情で彼女を見て足早に去っていく。
同情的な言葉を連れと囁く若い男だっている。聞くに堪えない小さな嘲笑を湛え合うグループは女子高生。
当たり前のコミュニケーションだが、しかしすれ違う雑踏のカケラたちは一瞬妙な表情で彼女を見て足早に去っていく。
同情的な言葉を連れと囁く若い男だっている。聞くに堪えない小さな嘲笑を湛え合うグループは女子高生。
確かに語らぬ笑顔の少女は異質な存在だった。ただしその異質ぶりは、通行人たちの想像の『枠』など遥かに飛び越え
ているのだとブレイクは得心しウンウンうなずく。異質ではなく悪質なのだリバースは。それも一際極まった──…
ているのだとブレイクは得心しウンウンうなずく。異質ではなく悪質なのだリバースは。それも一際極まった──…
実父の頭を踏み砕き、殺し、望まぬ発声練習を強いた義母は意趣返しとばかり喉首にぎりつぶして頭を落とし。
義妹を監禁し。
ただすれ違っただけの幸福な家庭を武装錬金で誰1人殺さず崩壊させ、被害者が、新たな被害者を生むよう願っている。
義妹を監禁し。
ただすれ違っただけの幸福な家庭を武装錬金で誰1人殺さず崩壊させ、被害者が、新たな被害者を生むよう願っている。
ブレイクはその総てを知っている。知った上で愛している。蜜言を囁くたび鋭い拳に顎を穿たれ、首が外れ、揺らいだ脳が
衝撃で坐滅しても、生黒い青あざが全身に浮かぶまで殴りまわされても、愛している。
むかし憧れた女性、ブレイクを栄光に導いたプロダクションの女社長が、リバースの手で幸福な暮らしを壊され、流産し、
2度と子供を産めなくなったのも知っている。その上で、リバース=イングラムを愛している。
衝撃で坐滅しても、生黒い青あざが全身に浮かぶまで殴りまわされても、愛している。
むかし憧れた女性、ブレイクを栄光に導いたプロダクションの女社長が、リバースの手で幸福な暮らしを壊され、流産し、
2度と子供を産めなくなったのも知っている。その上で、リバース=イングラムを愛している。
(人の枠をぶっちぎちまってますからねえ。何より可愛い!!)
かつて付き合っていた女社長などどうでも良くなるほど魅力的なのだ。第一むかしの女ときたら彼を色々裏切っている。
(無銘くん! あーたが光っちから向けられてる好意と同じぐらいの愛を! 俺っちは青っちに向けてやすよ!!
言葉と意識を向けるのは、30m先のホームセンター。『接着剤』のコーナーで赤毛の少女と何やら難しげに紛糾している
学生服の少年だ。
学生服の少年だ。
ここは駅前にある銀成デパート。1971年(昭和46年)2月創業だ。当時の日本の出来事といえばとある四輪メーカーが
アメリカの大企業に先駆けて低公害エンジンを発表したのが有名だが、それは本題ではない。
アメリカの大企業に先駆けて低公害エンジンを発表したのが有名だが、それは本題ではない。
3階の暮らしのフロアにやってきたのは鳩尾無銘と鐶光。近々催される演劇に必要な資材の調達にやってきた。
「くそう。追いつくだけで体力を消耗したわ!! 少しはおとなしくだな……!!」
「段ボールの調達はおーけー……です。仕舞い……ます……」
「聞けえ!!」
畳まれた状態とはいえ自分の背丈の半分ほどある資材を、当たり前のように、腰に下げたポシェットへ入れる鐶に無銘は
ただ唖然とするばかりだ。角が触れた段ボールは転瞬異様な縮尺を帯びるのだ。餅をつまんで引き伸ばしたような。矩形で
あるべき硬くザラついた再生紙が明らかに三角形へと歪んでいる。辺がおかしい。いうなればピンクのドアだった。国民的な
ネコ型ロボがポケットから出してる最中のピンクのドア。あれのように、風貌ごと、次元が、ねじれている。
「……いつも思っているのだが、何だそのポシェット。どういう仕組みなんだ?」
鐶光愛用の、白い卵型のポシェットは何でも入る。入っている。見た目の大きさといえば、大人が2つの掌で包めるぐらい
だ。
「さあ……。でも、色々入ります…………例えば」
「デスクトップ型のパソコンが旧式のブラウン管のディスプレイごと!? 次は硫黄の粉末をたっぷり詰めたオオサンショウ
ウオの腸!! 携帯ゲーム機こいつは時々出してピコピコやってるからお馴染みだ!! 持ってきたのか据え置き型のゲー
ム機!! ゲームソフトも15枚あるが外では使えんテレビは無い!! 箱入りのドーナツはおやつ!! ジャーキーは無い
のか! 無い!!? くそう!!」
入り口から少しだけピョコピョコだされては仕舞われる物品の数々に、目を白黒させつつ解説つける鳩尾無銘。他にも144
分の1スケールのプラモとか、無数の熱血ソングのCDとかとにかく色々な物が入っており総重量は30kgを下回らない。
剛太などはそれを認識しなかったばかりに──せっかく防人が重量を教え対応するよう警告したのに軽んじた──まるで
巨大な鉄球を渡されたようにつんのめった。床に激突したポシェットが巨大な罅割れを生んだのはいうまでもない。
「段ボールの調達はおーけー……です。仕舞い……ます……」
「聞けえ!!」
畳まれた状態とはいえ自分の背丈の半分ほどある資材を、当たり前のように、腰に下げたポシェットへ入れる鐶に無銘は
ただ唖然とするばかりだ。角が触れた段ボールは転瞬異様な縮尺を帯びるのだ。餅をつまんで引き伸ばしたような。矩形で
あるべき硬くザラついた再生紙が明らかに三角形へと歪んでいる。辺がおかしい。いうなればピンクのドアだった。国民的な
ネコ型ロボがポケットから出してる最中のピンクのドア。あれのように、風貌ごと、次元が、ねじれている。
「……いつも思っているのだが、何だそのポシェット。どういう仕組みなんだ?」
鐶光愛用の、白い卵型のポシェットは何でも入る。入っている。見た目の大きさといえば、大人が2つの掌で包めるぐらい
だ。
「さあ……。でも、色々入ります…………例えば」
「デスクトップ型のパソコンが旧式のブラウン管のディスプレイごと!? 次は硫黄の粉末をたっぷり詰めたオオサンショウ
ウオの腸!! 携帯ゲーム機こいつは時々出してピコピコやってるからお馴染みだ!! 持ってきたのか据え置き型のゲー
ム機!! ゲームソフトも15枚あるが外では使えんテレビは無い!! 箱入りのドーナツはおやつ!! ジャーキーは無い
のか! 無い!!? くそう!!」
入り口から少しだけピョコピョコだされては仕舞われる物品の数々に、目を白黒させつつ解説つける鳩尾無銘。他にも144
分の1スケールのプラモとか、無数の熱血ソングのCDとかとにかく色々な物が入っており総重量は30kgを下回らない。
剛太などはそれを認識しなかったばかりに──せっかく防人が重量を教え対応するよう警告したのに軽んじた──まるで
巨大な鉄球を渡されたようにつんのめった。床に激突したポシェットが巨大な罅割れを生んだのはいうまでもない。
「一番凄いのって実は紐っすよね。動いても千切れやせんし」
『鉄骨を6年ぶら下げてもピンピンしてるほど頑丈、それでいて肩に優しい柔らか素材! を!! 採用してみました!!』
細目のまま鼻息噴き拳固めるリバース。頭頂部の長い毛がビコーンと勃ち、ちょうど飛んでたハエを胴ごめに両断した。
「さっすが妹さん想いの青っち!!」
『あの子よく道に迷うもの。たくさん歩くでしょ、だからずっと掛けてても楽なように注文したの』
「にへへ。旦那とはえらい揉めましたからね~。『できないできないって何よちゃんと作りなさいよ頑張りなさいよ光ちゃんの
肩に痣作っていいのは私めだけようふふあはははキレた攻撃する』とか何とか仰ってましたし……」
『鉄骨を6年ぶら下げてもピンピンしてるほど頑丈、それでいて肩に優しい柔らか素材! を!! 採用してみました!!』
細目のまま鼻息噴き拳固めるリバース。頭頂部の長い毛がビコーンと勃ち、ちょうど飛んでたハエを胴ごめに両断した。
「さっすが妹さん想いの青っち!!」
『あの子よく道に迷うもの。たくさん歩くでしょ、だからずっと掛けてても楽なように注文したの』
「にへへ。旦那とはえらい揉めましたからね~。『できないできないって何よちゃんと作りなさいよ頑張りなさいよ光ちゃんの
肩に痣作っていいのは私めだけようふふあはははキレた攻撃する』とか何とか仰ってましたし……」
柱の影にブレイクとリバース……闇の師匠というべき人物2人が潜んでいるとは夢にも思わぬ鐶だ。
無銘の「それ誰が作った」的な問いかけに答える。淡々と、淡々と。
「ディプレスさん……作です…………」
「ああ栴檀どもをああいう体にした研究班副班長の…………って貴様答えになっとらんぞ」
「…………ディプレスさんは…………発明好き……なのです…………よ?」
まったく感情のこもらない調子で鐶はズズイと顔を近づける。そうされると元々の力量差もあり無銘はつい威圧されてい
る気分になる。そも彼女との出逢いときたら最悪だった。いきなり仲間たちをバタバタ薙ぎ倒された挙句、散々といたぶら
れた。当時ちっちゃなチワワだったのに容赦なくだ。簡単に言えば、後ろ足を持って、岩にたたきつけて、もいだ。
いまでこそ見た目少年だがやはり動物型ホムンクルスの無銘だ。鐶に対する本能的な恐怖は脳髄のどこかに深く深く刻
み込まれている。もちろんいまの彼女はただ親切心で、ポシェットを説明しているだけだ。顔を近づけたのは、声のか細さ
を知っているからだ。聞こえなかったら悪い、たったそれだけの配慮で近づいたのだが、名前が羊頭狗肉に思えるほどドン
ヨリ濁った双眸をすぐ間近で向けられて震えぬ者はいないだろう。鐶の瞳は虚無だった。色こそスターサファイアで綺麗な
のだが、まるで沈没船の宝箱に納められているような暗さと湿りに満ちている。陰湿……といえば率直で分かりやすいが、
無銘は意図的にそういう形容を避けている。なぜ今の瞳になったか存分に知っているからだ。罪なきが理不尽な暴悪に晒
された結果を悪心以て評するは理念に反す。
無銘の「それ誰が作った」的な問いかけに答える。淡々と、淡々と。
「ディプレスさん……作です…………」
「ああ栴檀どもをああいう体にした研究班副班長の…………って貴様答えになっとらんぞ」
「…………ディプレスさんは…………発明好き……なのです…………よ?」
まったく感情のこもらない調子で鐶はズズイと顔を近づける。そうされると元々の力量差もあり無銘はつい威圧されてい
る気分になる。そも彼女との出逢いときたら最悪だった。いきなり仲間たちをバタバタ薙ぎ倒された挙句、散々といたぶら
れた。当時ちっちゃなチワワだったのに容赦なくだ。簡単に言えば、後ろ足を持って、岩にたたきつけて、もいだ。
いまでこそ見た目少年だがやはり動物型ホムンクルスの無銘だ。鐶に対する本能的な恐怖は脳髄のどこかに深く深く刻
み込まれている。もちろんいまの彼女はただ親切心で、ポシェットを説明しているだけだ。顔を近づけたのは、声のか細さ
を知っているからだ。聞こえなかったら悪い、たったそれだけの配慮で近づいたのだが、名前が羊頭狗肉に思えるほどドン
ヨリ濁った双眸をすぐ間近で向けられて震えぬ者はいないだろう。鐶の瞳は虚無だった。色こそスターサファイアで綺麗な
のだが、まるで沈没船の宝箱に納められているような暗さと湿りに満ちている。陰湿……といえば率直で分かりやすいが、
無銘は意図的にそういう形容を避けている。なぜ今の瞳になったか存分に知っているからだ。罪なきが理不尽な暴悪に晒
された結果を悪心以て評するは理念に反す。
「ふむ。無銘くんはアレすね。忍びだけど忍びだからこそ正心に拘ってるようです」
『?? イオちゃんはめっちゃ悪辣よ? 光ちゃん逃がした時だって私の体にコッソリ耆著埋め込んでどっちにしろ勝ち!
みたいな企みしてたし』
「いやいや。本来忍びってのは人の心を大事にするもんす。怒らせたり傷つけたりでソッポ向かれたら最後、目的遂行でき
やせんからね。人を喜ばしたり楽しませたりして上手いこと誘導して”勝つ”のが忍びなんす。忍法とか忍術はあくまでその
補助す。だから光っちを悪く扱えないんす」
ブレイクの講釈にリバースは少し感心したようだ。瞳は笑みに細まっているから奥を覗くコトはできないが、尊敬の念が
視線に混じるのを彼を感じ少々舞い上がった。
「チワワ時代、人間に憧れたのもあるでしょーね! きっと!!」
『ああそれにしても光ちゃん、瞳のせいで薄幸で儚く見える……』
「無視ですかい!?」
彼女の関心はもう義妹に向いている。気付かれないのが不思議なほど熱烈な眼差しを向けながら
『でも攻撃全振りなのよね戦い方。そこがまた可愛いの。あ、もちろん頭が悪いって訳じゃないわよ。むしろスゴくいいの。
薬局の前に立ち果てしない雑踏眺めてるケロちゃんよりも小っちゃい頃から漢字テストでずっと満点とり続けるぐらい頭いい
のよ。このまえ戦士たち6人相手に人混み利用して互角以上に渡り合ったし。なのにいざ真向勝負となるとレベルを上げて
物理で殴ればいいという有様なの。ノーガードなの。きっとディプちゃんの影響ね。本当いうと戦い教えてくれたのは感謝して
るけどあの人悪い部分があるというか、人生の落伍者だから、なるべく悪い影響受けて欲しくないの。ヤローてめえ人の可愛
い妹が傷つくよーな戦い方教えんじゃないわよ、預かってるっつー自覚ないの自覚って話。実際あなたデっちゃんは娘のよう
に大事にしてるでしょ、なのにどーして人の妹そうできないかなあ。あ、話が脇道に逸れたわねごめんなさい。余計なコトまで
書いちゃうの悪い癖よね。とにかくあの、30kgはあろうかというポシェットを肩から提げて平気のへいざで動き回る光ちゃん、
これはもう萌えよね』
「へい!!」
なんか話がアレな方向に行き始めたがブレイクは直立不動で返事をする。鬼軍曹に答える二等兵よりも粛然と、恋人に
蕩けるより艶然と。
『特異体質で色んな鳥に変形できたり、武装錬金で年齢操作できたりと技巧派っぽいんだけど、実はとびきりのパワータイ
プってギャップがいいのよギャップが』
相変わらず超高速でスケッチブックにギュンギュンと文字を刻むリバース。笑顔は清楚だが唇の端に微かだが涎の筋が
垂れている。息も心なしか荒い。
『?? イオちゃんはめっちゃ悪辣よ? 光ちゃん逃がした時だって私の体にコッソリ耆著埋め込んでどっちにしろ勝ち!
みたいな企みしてたし』
「いやいや。本来忍びってのは人の心を大事にするもんす。怒らせたり傷つけたりでソッポ向かれたら最後、目的遂行でき
やせんからね。人を喜ばしたり楽しませたりして上手いこと誘導して”勝つ”のが忍びなんす。忍法とか忍術はあくまでその
補助す。だから光っちを悪く扱えないんす」
ブレイクの講釈にリバースは少し感心したようだ。瞳は笑みに細まっているから奥を覗くコトはできないが、尊敬の念が
視線に混じるのを彼を感じ少々舞い上がった。
「チワワ時代、人間に憧れたのもあるでしょーね! きっと!!」
『ああそれにしても光ちゃん、瞳のせいで薄幸で儚く見える……』
「無視ですかい!?」
彼女の関心はもう義妹に向いている。気付かれないのが不思議なほど熱烈な眼差しを向けながら
『でも攻撃全振りなのよね戦い方。そこがまた可愛いの。あ、もちろん頭が悪いって訳じゃないわよ。むしろスゴくいいの。
薬局の前に立ち果てしない雑踏眺めてるケロちゃんよりも小っちゃい頃から漢字テストでずっと満点とり続けるぐらい頭いい
のよ。このまえ戦士たち6人相手に人混み利用して互角以上に渡り合ったし。なのにいざ真向勝負となるとレベルを上げて
物理で殴ればいいという有様なの。ノーガードなの。きっとディプちゃんの影響ね。本当いうと戦い教えてくれたのは感謝して
るけどあの人悪い部分があるというか、人生の落伍者だから、なるべく悪い影響受けて欲しくないの。ヤローてめえ人の可愛
い妹が傷つくよーな戦い方教えんじゃないわよ、預かってるっつー自覚ないの自覚って話。実際あなたデっちゃんは娘のよう
に大事にしてるでしょ、なのにどーして人の妹そうできないかなあ。あ、話が脇道に逸れたわねごめんなさい。余計なコトまで
書いちゃうの悪い癖よね。とにかくあの、30kgはあろうかというポシェットを肩から提げて平気のへいざで動き回る光ちゃん、
これはもう萌えよね』
「へい!!」
なんか話がアレな方向に行き始めたがブレイクは直立不動で返事をする。鬼軍曹に答える二等兵よりも粛然と、恋人に
蕩けるより艶然と。
『特異体質で色んな鳥に変形できたり、武装錬金で年齢操作できたりと技巧派っぽいんだけど、実はとびきりのパワータイ
プってギャップがいいのよギャップが』
相変わらず超高速でスケッチブックにギュンギュンと文字を刻むリバース。笑顔は清楚だが唇の端に微かだが涎の筋が
垂れている。息も心なしか荒い。
並外れた膂力と、無数の鳥への変形能力と、ついでにこのまえ銀成市ひとつ丸ごとの時系列を遅らせた年齢能力を有す
る鐶光。いざ戦いとなれば換羽と年齢操作の偶発的混合の副産物で、瀕死時オートで全回復する。
る鐶光。いざ戦いとなれば換羽と年齢操作の偶発的混合の副産物で、瀕死時オートで全回復する。
「チートか!!」
「……はい……。ディプレスさん…………チートです……」
「じゃなくて貴様が!!! なに、何やったら死ぬのお前!?」
たまらず叫ぶ無銘に鐶は一瞬首を傾げたがすぐ微笑した。
「おかしな……無銘くん…………です」
根来忍が笑うと猛禽類のようだと無銘はいつか戦士の誰かから聞いた覚えがある。鐶もそれに近かった。野うさぎを見つ
けたオオワシの薄ら笑いが感じられた。ただ根来との決定的な差もある。多分に孕んだ、霊的なおぞましさだ。焦点の合って
いない目で力なくしかし嬉しそうに浮かべた茫洋たる笑みは、デパート3Fの暮らしのフロアより怪談のオチが似合いそうだ。
「私メリーさん」。最後に振り返った主人公の前にババーン! スタジオの客キャー! みたいな。
「ア」
叫んでいた無銘は急に黙る。そして咳き込むように叫びだす。
「その!! 寿命というのは除くからな!!」
「はぁ……」
テンションについていけない。鐶はぼんやりした瞳を軽く瞬かせた。髪が赤い癖してなぜかまつげは黒かった。
「わ!! 我が言いたいのは、どういう敵なら貴様を斃せるというコトだ!! 戦略的な話題だ!! 無明綱太郎かという位
強い貴様を斃せる敵がいるとすればどういう能力かという話であって検討であって、埒外、寿命きたら死ぬとかいう結論は」
埒外!!」
口角泡を飛ばしながらまくし立てる無銘を、冬のドブの底で死んで腐ったイワシのような目でしばらく眺めていた鐶だが、
やにわに広げた左掌を右拳でトンと打つ。やがて漏れ出でる声はミクロの鈴が転がるのを音程そのままに超低速再生した
ような……複雑で、緩慢で、綺麗なもの。
「私の5倍速の老化…………いつか来る…………老衰を…………気遣ってくれたのですね…………ありがとう……です」
鼓膜でシャンシャンと永久に鳴り響くような声だった。沈鬱と痛惜に湿る人の世ならざる音階だった。無銘は顔を赤黒くした
ままそっぽを向き「別に」とだけつぶやいた。何が「別に」なのかは分からない。別に気遣っていない、のか、別に礼などいい、
のか。他の意味なのか。なんにせよ鐶は少年の無愛想な仕草が嬉しいらしく白い乳歯を明らかにした。
「約束……ですから……。私は…………生きたいです…………。お姉ちゃんを……元に戻すまで……何があっても……
生きたい…………です」
「……答えになっとらんわ」
ちょっとその笑顔に見とれかけた無銘だが床を蹴るまねをした。
「一回貴様負けただろうが津村斗貴子に。なぜ負けたとか、如何なる敵に弱いとか、そーいうのをだな、分析しろ」
「……はい。でも」
なんだ。渋い顔の無銘に──わざと作っているのが丸分かりで鐶はちょっと噴き出しそうになった。でも笑うとこの難物は
ますます無用の怒りを捻出するから気付かない振りをしつつ──鐶は淡々と意見を述べる。
「無銘くんも……秋水さんに…………負けてます……よね?」
「うっさいしとるわ!! 対策!! 貴様も牢で見たろうが!!」
「……タイ捨流」
とは、かの上泉伊勢守信綱の門下四天王のひとり・丸目蔵人佐(まるめ くらんどのすけ)が編み出した剣術流派だ。「頗
る荒く、身体を飛び違え薙ぎ立てる」と評され、とかく技法の1つ1つがスピード感に富んでいる。
「そうだ! 真田十勇士ぐらい貴様も知っているだろう!! 根津甚八も使ってる忍びの剣法なのだ!!」
「……何度も聞きました………………。無銘くんが、牢の中で、練習するたび…………嬉しそうに……何度も……何度も」
薄暗い瞳を伏せる鐶。このときすれ違った28歳OLは「何の話か分からないけどこのコ嫌そう!! しつこい話にウンザ
リしてる!」と解釈したが内実は違う。
「……はい……。ディプレスさん…………チートです……」
「じゃなくて貴様が!!! なに、何やったら死ぬのお前!?」
たまらず叫ぶ無銘に鐶は一瞬首を傾げたがすぐ微笑した。
「おかしな……無銘くん…………です」
根来忍が笑うと猛禽類のようだと無銘はいつか戦士の誰かから聞いた覚えがある。鐶もそれに近かった。野うさぎを見つ
けたオオワシの薄ら笑いが感じられた。ただ根来との決定的な差もある。多分に孕んだ、霊的なおぞましさだ。焦点の合って
いない目で力なくしかし嬉しそうに浮かべた茫洋たる笑みは、デパート3Fの暮らしのフロアより怪談のオチが似合いそうだ。
「私メリーさん」。最後に振り返った主人公の前にババーン! スタジオの客キャー! みたいな。
「ア」
叫んでいた無銘は急に黙る。そして咳き込むように叫びだす。
「その!! 寿命というのは除くからな!!」
「はぁ……」
テンションについていけない。鐶はぼんやりした瞳を軽く瞬かせた。髪が赤い癖してなぜかまつげは黒かった。
「わ!! 我が言いたいのは、どういう敵なら貴様を斃せるというコトだ!! 戦略的な話題だ!! 無明綱太郎かという位
強い貴様を斃せる敵がいるとすればどういう能力かという話であって検討であって、埒外、寿命きたら死ぬとかいう結論は」
埒外!!」
口角泡を飛ばしながらまくし立てる無銘を、冬のドブの底で死んで腐ったイワシのような目でしばらく眺めていた鐶だが、
やにわに広げた左掌を右拳でトンと打つ。やがて漏れ出でる声はミクロの鈴が転がるのを音程そのままに超低速再生した
ような……複雑で、緩慢で、綺麗なもの。
「私の5倍速の老化…………いつか来る…………老衰を…………気遣ってくれたのですね…………ありがとう……です」
鼓膜でシャンシャンと永久に鳴り響くような声だった。沈鬱と痛惜に湿る人の世ならざる音階だった。無銘は顔を赤黒くした
ままそっぽを向き「別に」とだけつぶやいた。何が「別に」なのかは分からない。別に気遣っていない、のか、別に礼などいい、
のか。他の意味なのか。なんにせよ鐶は少年の無愛想な仕草が嬉しいらしく白い乳歯を明らかにした。
「約束……ですから……。私は…………生きたいです…………。お姉ちゃんを……元に戻すまで……何があっても……
生きたい…………です」
「……答えになっとらんわ」
ちょっとその笑顔に見とれかけた無銘だが床を蹴るまねをした。
「一回貴様負けただろうが津村斗貴子に。なぜ負けたとか、如何なる敵に弱いとか、そーいうのをだな、分析しろ」
「……はい。でも」
なんだ。渋い顔の無銘に──わざと作っているのが丸分かりで鐶はちょっと噴き出しそうになった。でも笑うとこの難物は
ますます無用の怒りを捻出するから気付かない振りをしつつ──鐶は淡々と意見を述べる。
「無銘くんも……秋水さんに…………負けてます……よね?」
「うっさいしとるわ!! 対策!! 貴様も牢で見たろうが!!」
「……タイ捨流」
とは、かの上泉伊勢守信綱の門下四天王のひとり・丸目蔵人佐(まるめ くらんどのすけ)が編み出した剣術流派だ。「頗
る荒く、身体を飛び違え薙ぎ立てる」と評され、とかく技法の1つ1つがスピード感に富んでいる。
「そうだ! 真田十勇士ぐらい貴様も知っているだろう!! 根津甚八も使ってる忍びの剣法なのだ!!」
「……何度も聞きました………………。無銘くんが、牢の中で、練習するたび…………嬉しそうに……何度も……何度も」
薄暗い瞳を伏せる鐶。このときすれ違った28歳OLは「何の話か分からないけどこのコ嫌そう!! しつこい話にウンザ
リしてる!」と解釈したが内実は違う。
「照れてやすね光っち」
『うふふ光ちゃんあんなに照れちゃって。男のコが大好きなものを語る無邪気な表情に弱いのねえ。傍から見たら変な趣味で
内心あきれてもいるけど、でもあんなに嬉しそうにされてるでしょ? そういうカオを見てると自分まで何だか幸せで、こそば
ゆくて、『まったくこの人は』みたいなため息交じりで許しちゃう。アレね。年下の旦那様見ているような気持ちよきっと。ああ
妹なのに姉さん女房な光ちゃんもイイ……素敵。可愛い』
『うふふ光ちゃんあんなに照れちゃって。男のコが大好きなものを語る無邪気な表情に弱いのねえ。傍から見たら変な趣味で
内心あきれてもいるけど、でもあんなに嬉しそうにされてるでしょ? そういうカオを見てると自分まで何だか幸せで、こそば
ゆくて、『まったくこの人は』みたいなため息交じりで許しちゃう。アレね。年下の旦那様見ているような気持ちよきっと。ああ
妹なのに姉さん女房な光ちゃんもイイ……素敵。可愛い』
その義妹が生まれたのはおよそ8年前。無銘は10歳。本来お姉さんぶれる道理はないが、それを捻じ曲げた者こそ、
リバース=イングラム。鐶が年に5歳も年老いる体にした義姉である。それが姉さん女房どうこうを謳い萌えているのはど
うも薄ら寒い。
リバース=イングラム。鐶が年に5歳も年老いる体にした義姉である。それが姉さん女房どうこうを謳い萌えているのはど
うも薄ら寒い。
「次……行きましょう…………。買い物…………。買い物…………。うふふふふふふ」
鐶は鐶ではしゃいでいる、ようだ。もっとも力ない笑いを淡々と漏らされると無銘としては怖い。靴下さえ未着用の、ほんのり
極薄の淡黄色を帯びた透き通るような白い足の甲でペトペト床を進んでいくのも(見慣れた光景だが)非現実的な何かがある。
鐶は鐶ではしゃいでいる、ようだ。もっとも力ない笑いを淡々と漏らされると無銘としては怖い。靴下さえ未着用の、ほんのり
極薄の淡黄色を帯びた透き通るような白い足の甲でペトペト床を進んでいくのも(見慣れた光景だが)非現実的な何かがある。
それが鐶光という少女。
「とにかく買出しはまだある。次の場所へ行くぞ」
「……はい…………」
「……はい…………」
無銘に一歩遅れて鐶は歩き出す。
『ベブッ!!』
リバースは目から血を噴き倒れた。
「鼻じゃなくて目!? ちょっとなにしてんすか青っち!!」
慌てて抱き起こしハンカチで目を拭うブレイク。意識自体はあるらしく拭きやすいよう顔の角度を微妙に変えるリバース。
ふたりの距離はとても近い。突然の流血沙汰に目を剥く何人かの通行人も「介添えがあるなら」「その人が騒いでないなら」
と元あった視線と姿勢に立ち戻り過ぎ去る。やがてリバースの顔を綺麗にするとブレイク、慣れた手つきで座らせて、今度は
床を掃除する。
「光っち気になるでしょ。ここはオレっちに任せて先行っててくだせえ。なぁにすぐ追いつきやすって」
『んーん。ここに居る。お掃除手伝う? 私の血だしソレ』
リバースはちょこんと横座りしたまま書面にて問う。
「大丈夫す! 青っちが興奮高まるあまり吹いちまった体液を拭う! ロマンじゃねーすか!! 男の!!」
『…………言い方がいやらしいよブレイク君』
ふくれっ面で頭から湯気を飛ばしながらぽかぽか叩く。ブレイクはこそばゆそうにしながら床を拭く。
用意のいい事に使い古した雑巾を持っている。ただそれはやたら赤黒い染みが目立った。まるで血糊だけ拭いてきたよう
な……。誰が流した、誰の物なのか。それで鼻歌交じりにリノリウムを拭くブレイクは、こざっぱりとした清潔
感の持ち主だから却って逆におぞましい。床が元通りになるころリバースは口を開いた。
『つい光ちゃんに萌えちゃって』
「くぅ! 口開いたのに喋らない!! さすが青っち!!」
両目を不等号の対峙にして額を叩くブレイク。なにがどうさすがなのかよく分からない。
『ああ、無銘くんにトコトコついて歩く光ちゃん。むかしとちっとも変わらないわねえ。小っちゃかった頃は私の後ろついて
きたのよ。まるでカルガモのヒナだった。あのときから鳥っ娘だったのね可愛い光ちゃんマジ可愛い』
頭のてっぺんから伸びる毛ときたら犬のように振られていた。いつかブレイクは聞いたが、髪、神経が通っている訳では
ないらしい。生え際の筋肉が発達している。それで何百本、何千本のケラチンとクチクラとキューティクルの紙縒りを動かす
というが、しかし髪とて質量はあるのだ。長い毛の束を動かすとなれば相応の筋力が要るだろう。そも毛根まわりの筋肉が
動くこと自体すでにおかしい。眉を動かしたとき頭髪全体がうごめくものがいるが、一部だけとなると難しい。
ただ。
足の小指が動くかどうかは個人差がある。両方自由にできるものも居ればまったく作動しない者もいる。右はいけるのに
左はノー、そんな者も。これは訓練で補えるらしい。動かなくても、指先に意識を集中し、動け動けと念ずれば神経回路が
形成され、意識下におかれるという。
リバースは目から血を噴き倒れた。
「鼻じゃなくて目!? ちょっとなにしてんすか青っち!!」
慌てて抱き起こしハンカチで目を拭うブレイク。意識自体はあるらしく拭きやすいよう顔の角度を微妙に変えるリバース。
ふたりの距離はとても近い。突然の流血沙汰に目を剥く何人かの通行人も「介添えがあるなら」「その人が騒いでないなら」
と元あった視線と姿勢に立ち戻り過ぎ去る。やがてリバースの顔を綺麗にするとブレイク、慣れた手つきで座らせて、今度は
床を掃除する。
「光っち気になるでしょ。ここはオレっちに任せて先行っててくだせえ。なぁにすぐ追いつきやすって」
『んーん。ここに居る。お掃除手伝う? 私の血だしソレ』
リバースはちょこんと横座りしたまま書面にて問う。
「大丈夫す! 青っちが興奮高まるあまり吹いちまった体液を拭う! ロマンじゃねーすか!! 男の!!」
『…………言い方がいやらしいよブレイク君』
ふくれっ面で頭から湯気を飛ばしながらぽかぽか叩く。ブレイクはこそばゆそうにしながら床を拭く。
用意のいい事に使い古した雑巾を持っている。ただそれはやたら赤黒い染みが目立った。まるで血糊だけ拭いてきたよう
な……。誰が流した、誰の物なのか。それで鼻歌交じりにリノリウムを拭くブレイクは、こざっぱりとした清潔
感の持ち主だから却って逆におぞましい。床が元通りになるころリバースは口を開いた。
『つい光ちゃんに萌えちゃって』
「くぅ! 口開いたのに喋らない!! さすが青っち!!」
両目を不等号の対峙にして額を叩くブレイク。なにがどうさすがなのかよく分からない。
『ああ、無銘くんにトコトコついて歩く光ちゃん。むかしとちっとも変わらないわねえ。小っちゃかった頃は私の後ろついて
きたのよ。まるでカルガモのヒナだった。あのときから鳥っ娘だったのね可愛い光ちゃんマジ可愛い』
頭のてっぺんから伸びる毛ときたら犬のように振られていた。いつかブレイクは聞いたが、髪、神経が通っている訳では
ないらしい。生え際の筋肉が発達している。それで何百本、何千本のケラチンとクチクラとキューティクルの紙縒りを動かす
というが、しかし髪とて質量はあるのだ。長い毛の束を動かすとなれば相応の筋力が要るだろう。そも毛根まわりの筋肉が
動くこと自体すでにおかしい。眉を動かしたとき頭髪全体がうごめくものがいるが、一部だけとなると難しい。
ただ。
足の小指が動くかどうかは個人差がある。両方自由にできるものも居ればまったく作動しない者もいる。右はいけるのに
左はノー、そんな者も。これは訓練で補えるらしい。動かなくても、指先に意識を集中し、動け動けと念ずれば神経回路が
形成され、意識下におかれるという。
リバースもまたそういう訓練をしたらしい。
もっとも指という動くべき器官と頭頂部という不動で差し障りのなき部位では努力の量に、隔絶したモノがあるが。