SS暫定まとめwiki~みんなでSSを作ろうぜ~バキスレ 第006話 「時間も分からない暗闇の中で」 1-3


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 当事者 4

 様々なコトから逃げ続け。
 泥まみれの姿でたどり着いたのは。

 手狭な診察室だった。

 2つの椅子の横にがっしりとした灰色の机があった。机上にはカルテやレントゲン写真を貼る器具があった。
 名前を知りたい気もしたが憂鬱な気分なのでどうでもいい。

 今自分は人生最悪最低の憂鬱を味わっている。今は亡き上司や同僚にすがりたい気分だった。

「へえー。やっぱり死にたいっていいますの?」
 向かいに座った女医が聞き返す。ひどく冷たいキツネ目はからかいと興味深さを湛え自分を見ている。見ているだけだ。
自殺やめるといえば「ああそうですの」と突き放すだろう。幇助を頼めばあっけなく叶えるだろう。それがよく分かった。
 まったく、医者にあるまじき姿態だ。
 なのにそれを倫理的局地から責める気概が、自分にはまるでなかった。
 結局この診療室にいるんは似たり寄ったり、落伍者ばかりらしく、だから思う心から。

(ああ、憂鬱だ)

「ま、死にたいっていうなら構いませんわよ?」
 膝がさすられる。銅に似た見事な巻髪が腰のすぐ傍で揺れている。いつしか胸元に滑り込んだ女医はひどく好色な笑みを
浮かべている。
「生き死にの権利は表裏一体。寝るか起きてるか決めるぐらい自然な選択肢ですもの。何があっても生きろなんてのはナン
センス。眠たい人に寝るなというようなもの……」
 そして「生きろ」と熱噴く者に限ってその手助けはしたりしない。言いっぱなし。医者がごとき体系だった知識提供もしなけ
れば無知なりの誠心誠意の手助けもしない──…世の中そんな人ばかりですのよ。女医の言葉に頷きたい思いだった。
「一応カウンセリングはしましたけど確認しましょうか?」
 膝で蠢くしなやかな手。それが一旦止まる。確認と挑発を込めた笑みが眼下で汚らしく花開く。
「あなたはマラソンを一生懸命練習したのに沿道からの闖入者(ちんにゅうしゃ)に妨害され、やる気をなくした」
 手が大腿部へ移る。さすり方も徐々に露骨になってくる。目指す場所は明白だった。
「そして考えるようになった。何をやっても真っ当に積み上げても理不尽な横槍で崩されて……無駄になるんじゃあないかって」
 甘い息が鼻に降りかかる。上気した顔はすでに涎を幾筋も垂らしている。自分の太ももの付け根を彼女が物欲しそうに見る。
妖しげに輝く白い手がもどかしげにのたうっている。
「強引に握って結構ですわよ……? 握って、導いて、しごかせて下さらない……? チャック開けろっていうなら口で咥えて
でも開けて差し上げますわよ……?」
 甘ったるい声が震えている。ねだるような淫らな声が狭い診察室に木霊する。女医の目線がときおり薄汚いベッドに行くの
が分かった。
「ねェ、セックスしちゃいましょう」
「はい?」
「大丈夫。憂鬱なんてのは腰振って生暖かい襞かき回せば吹っ飛びますわよ。だって出す時何もかも脳内で弾けちゃいま
すもん。特にワタクシの襞は鮮烈よん。出なくなってなお突きまくりたい位……ふふっ」
 白衣が床に脱ぎ捨てられた。同時に自分の手が知覚したのは柔らかく大きな膨らみだ。紫のシャツ越しとはいえ、女医が
手を取り胸を触らせている。もう準備は万端という訳だ。タイトスカートから覗くとても肉感的な大腿がもどかしげに擦り合わ
されている。甘く淫らな匂いさえ立ち上ってきそうで。
 ああ、憂鬱だ。
 それから逃れられるなら何をしても構わなかった。
 深く息を吸い、そして──…



 あらゆる物が、弾けた。



 グレイズィング=メディックは床の上で激しく息をついた。
 仲間内では好色と名高い彼女だが、その長きに亘る闇医者歴(それはいよいよ大っぴらに色欲を貪り出した期間とも一致
する)でもなかなか 味わった事のない感覚だった。
 横たえる肢体の中で甘く激しい、それでいて予想外の疼痛が渦を巻くので──…
 頬を抑える。
 灼熱の痛みを帯びるそこを。

 突如ぶたれた右頬を。

「わあああああん! 嫌だあああああ~、セックスはイーヤーだあああ~」
 視線を移す。自分を殴った男がイスの前にしゃがみ込み、わんわん泣いている。年の頃はとっくに30を超えている。いわ
ゆる大の男だ。170cmもある背丈の上に据え付けられた顔に至っては「いかにも精悍」、やや酒食に焼けたるんではいる
が元マラソンランナーらしい克己に引き締まっている。
 それが、である。涙と鼻水でグシャグシャになっている。しかも視線に気付いた彼ときたらお化けを見た童子よろしく悲鳴を
上げるから分からない。やがて彼の顔は体育ずわりの膝に没し、子供特有の遠慮斟酌なき巨大な嗚咽を奏で始めた。両手
はすでに頭を守るよう添えられている。
「オイラ、オイラ、分かってるもん。セックスしたら後でお金とかいっぱい要求するに決まってるし、仮にそうじゃなくても子供
ができたらすんごい莫大な養育費とか必要だし。あ! あと病気! 病気もあった!」
「あの、もし?」
「きっとそうだ、きっとそうだよ……! あの女医さんは頭おかしいからきっとすごい病気持ってる。だからセックスしたら……
わーっ!! きっとオイラは未知の病気にかかって高熱出して黄色い粘膜吐きまくった挙句全身穴だらけになって血を噴き
ながら死んでゆくんだあ~!」
「落ち着いて。まずはワタクシの話を……」
「で地表に沁み込んだオイラの体液がミミズを怪物さんにして街の人たちが喰い殺されてその人たちがゾンビになるんだ!
ど、どうしよう女医さん! セックスしたら大変な結果になるよぉ!!」
「なる訳なくてよこのアホ!!」
 取りあえずプレーンパンパスで頭を踏みつけてやる。思いっきりだ。どうせケガをしても治せる。そういう思いがグレイズィン
グの右足に破砕粗大ゴミ処理用プレス機顔負けの力を与えた。床にヒビが入り、嫌な音がした。患者の頭はスイカの如く爆
裂した。血しぶきが部屋のあちこちに飛び散る。手術室でやればよかったという後悔がチョットだけ過った。

「だーれが病気持ちですって! 失敬な!! こちとらアフターサービスに定評のあるグレイズィングさんでしてよ!」
「ご、ごめんなさい」
 とりあえず頭部を修復してやった男は部屋の隅でガタガタ震えている。
「だ、だよね。うん。女医さんなんだから病気持ちの人とセックスする訳──…」
「いーえ! 病気持ちともしますわよワタクシ!」
 グレイズィングは胸に手を当て鼻を鳴らす。美しい顔は気品ある誇りに満ちまるで慈母のような優しささえ帯びていた。
「病気だから出来ない、もしくは非っ社交的で二次元しか愛でる事が出来ないまたはインポテンツ! そーいう殿方だからっ
てお断りするのはワタクシのポリシーに反しましてよ! ワタクシに劣情を催して下さるのならオーケー! だから病気持ち
ともしますの!」
「やっぱり病気持ちじゃあ」
「ダイジョーブ。今のあなたの頭同様、ハズオブラブで治しますもん。病気持ちと一晩やりたくった後は必ず血液検査とか虫
の有無とかなんかこうカビっぽい奴探したり織物チェックしますの。舌にコケ生えてないかとかも。で、必要に応じて治したり
治さなかったり。でも別の殿方とヤる時はちゃんと治しますからご心配なく♪ 仮に病気になっても大丈夫。エイズの末期状
態から健康体へ復帰させた事だってありますわよ」
「…………」
 あっけにとられる男の顔に優越感が増す思いだった。
「んふっ。性病の苦しみもまた慣れればまた格別ですもの……。ああ、きったない織物の匂い、快美を伴うお口の熱い痒み。
どこの口? うふ、分かってる癖に。そういえば子宮口にできた5cmばかりの赤黒い瘤を素手で引き抜いた時は最高でし
たわ。電球突っ込んで思いっきり蹴りブチ込んで頂いた時をも凌ぐ激痛アーンド快美に眉根しかめて甘え泣きましたもの……。
あ、赤黒い瘤見ます? 絶頂のワタクシの顔写真付きでホルマリン漬けしてありますけど」

 ああ、憂鬱だ。おかしな女医に引っかかった。
「ところでどうしてワタクシのあまーい誘いを拒みましたの?」
 殴ったのは衝動的だったが、むしろ彼女はそれでますます自分への興味を高めたらしい。
「ゆ、憂鬱なんだ。オイラ」
「といいますと?」
「何をやっても上手くいく訳がない、誰かがいい話持って来てもウラがあって結局利用されるだけで全部駄目になるんじゃ
ないかって……オイラは憂鬱なんだ…………」
「ふ、ふふふ。流石ですわね。憂鬱極まるあまり碌に仕事へ全力投球できず転職とクビを繰り返した社会不適合さんは」
「……」
「まあいいでしょう。じゃあカウンセリングの続き。反復して差し上げますわ。妨害がトラウマになってマラソンができなくなっ
たアナタは……えーと確か、練習してても沿道から妨害くるんじゃないかってビクついて! 息と集中を保てなくなったもん
だから逃げ込むように一般社会行った訳ですわね?」
「うん」
「でも何やったって妨害されるんじゃないかって恐怖のせいで仕事に全力を出せず、いつも最後はおよび腰。ここぞという
所で勝利を逃し続けた。そして失敗を恐れ、自分にできるコトだけをより好み、他の仕事を拒み続けた」
「…………そうだよ」
「だけれどそんな精神状態ですから? 自分にできると思ったコトさえうまくいかない」
 グレイズィングはクスリと笑い真赤な舌を突き出した。
「そして周囲から責められるたび思った訳ですね。『貴様たちに何が分かる。この俺の憂鬱の原因も取り除かず否定ばかり繰
り返して』。そしてますます苛立ちと被害妄想を高めた。この社会全部、実は自分の敵なんじゃあないかって」
 それが爆発したのが2週間前……と女医はケタケタ笑い始めた。
「……」
「カワイソーに。アナタ思うところの”口うるさいだけで何も提供しない上司と同僚”合計2名。帰り道で撥ねて、家に連れ込んで」
 女医の指が何かを弾いた。新聞紙の切り抜きだ。空間を切り揉む灰色はやがて膝の上へ上り、こんな文字を躍らせた。

「○○公園で切断された頭部を発見」

「今度は右腕を発見。△日発見の頭部とは別人か」

「△日発見のバラバラ死体の身元判明」

「なぜこんな事に……。被害者の妻が涙で語る心境」
──殺害された□□さんはこの春係長に昇格したばかりだった。来月には三女が生まれる予定で……

「同一犯か? ◇日発見の右腕は□□さんの上司」

 引き攣るような笑いが女医の顔に広がった。

「勝手ですわね。人殺しておいて自分も死にたい? どこで聴いたか存じませんけど、ワタクシが闇医者で楽に殺してくれる
からここに来た? ふふっ。殺された方たちの遺族はヘド吐きつつ思いますわよ。『死ぬなら一人で死ね。いちいち人を巻
き込むな』って」
「いわないでちょーだい……オイラは怖いんだ。あれは衝動的で正当防衛だったんだ。部長は毎日毎日お説教ばかり。なの
にあの同僚だけはトントン拍子に出世していく。結婚だってしたし貯金も沢山ある。誰にだって好かれている彼を見るたびオイ
ラは駄目な奴だって劣等感が増した。怖かった。いつか部長が「お前は本当にダメな奴だ」ってクビにしてくるのが。それが
怖くて自分から退職申し込んだのに『逃げるな』って凄まれた。怖かった。だからやった」
「バラバラにしたのは蘇ってくるのが怖かっただけ……んっふっふ。よくある、臆病で、つまらない理由ですわね」
「でもこんなオイラだから始末まではできなかった! 今度は警察が来る! 捕まったら女医さんの言う通り遺族の人達が
責めてくる! 憂鬱だあ! もう本当に社会全体がオイラの敵になるのが見えてるんだよオオオオオオオ!」
「だから死にたい? まあ解りますけど。でも」
「でも?
「本当に上司と同僚殺っちゃったのは正当防衛かしらん? 本当はアナタ、自分の無念だの恨み辛みを晴らしたかっただ
けじゃなくてん? そう──…」
 女医の目が煌いた。好色の抜けた目だった。ガン患者に余命を告げる医者が見せる「測定結果をただ伝える」そういう
目だった。
「真っ当に積み重ねても理不尽な横槍で総てフイにされる。解体され崩れ落ちる。そういう厳然たる無情の事実。それをう
るさいばかりでアナタの抱えた問題、欠如、トラウマの一切合財何ら解決する気のない連中に……思い知らせてやりたかっ
たんじゃなくてん?」
「…………」
「図星のようねん。でも一般論だけいうなら自分の欠如ぐらい自分で治して立ち直るのが男ってもんじゃなくて? アナタの
はただの甘えで八つ当たり……っと睨まないで下さる? ワタクシ否定はしてませんわよ。一般論述べてるだけ」
「…………」
「別に死にたいっていうなら止めはしませんわよ? でも一般論が横行してる世間はアナタをどう見るかしらん? 頑張って
たのに理不尽な欠如を与えられ、真っ当な生き方ができなくなったアナタ。そして真っ当なだけで具体的解決案にも欠如の
穴埋めにもならない馬鹿げた感情まみれの一般論ばかりぶつけられ疲弊したアナタ。世間はただ落伍者と見るでしょうねん」
「…………」
「一般論の産み手なんてそんなものですわよ。薄皮一枚の下で進行してる病気は見逃す癖に、いざそれが取り返しのつか
ない事を起こしたら熱噴いてふためいて、病気そのもの”だけ”悪とみなす。んふ。発症と進行を見逃した自分の不手際は
反省しませんの。軽い段階でさっと気付いて身を削って対処すれば大事にならないっていうのに、生活がどうの事情がどう
のと楽で楽しいコトばかり傾注し、結果見逃しますの。んで治せない医者に怒鳴りますの。時には医者が不眠不休で築き
上げた努力の結果さえブチ壊す」
 女医は透き通るような、それでいてわずかばかり悲しみの籠った笑みを浮かべた。
「ふふ。アナタの気持ち、実はよく分かりましてよ?」
「…………」
「だから自殺も止めませんわ。積み重ねた物がお馬鹿さんたちのせいで理不尽に奪われる。それはとても辛い事ですもの。
いっそ死を選んで『お馬鹿さんたちの犠牲者』として被害者側の死を選ぶのは……現状このままの世界を心から愛している
なら十分アリの選択肢」
 青酸カリよ、女医は事も無げに小瓶を投げてきた。受取り、見る。中身を飲み干せば確実に死ねるだろう。
「でも真実が明るみに出た後、アナタの同僚は反省するかしらん? 身を削ってでもアナタの欠如を突き止めて治せば良か
った……とか。まあアナタの事情なんてのはお構いなし。まるで殺人者が生まれた瞬間から殺人者たるべく成長してきたよ
うに見据えて、その裏にある悲しみとか憤り、やるせなさなんてのは考えない。単純に悪とレッテル貼るだけ。うまくいけば自
分がそれを癒せて、殺人を防げたかもとかは反省しない。ただ落伍者として。殺人者として」

 アナタを決め付け、いつか忘れ去るだけですわよ?

 女医の言葉に、激しい欲求が生まれる。
 セックスよりも酒よりもバクチよりも、激しい、根源的な欲求だ。
 スタートラインの昂揚。
 かつて自分がまだ、真っ当に「積み上げていた」頃、規約と観測に自分を晒しどこまでやれるか試そうと張り切っていた時の。
 懐かしい心情が胸を貫いた。

 ああ、憂鬱だ。

 自分の価値は確固たる論理凝集の規約と観測によってのみ弾きだせば良かったのだ。
 にも関わらずどうしてあやふやで感情的で場当たり的な「一般人」どもの評価において葬られねばならぬのだ?
 そんな物に縋っていた今までが、急に馬鹿げて見えてきた。
 そうだ。
 たとえ100万の一般人とやらが自分を貶したとしても、厳然とした観測の元、稲妻より早く駆け抜ければ輝かしい栄誉は
得られるのだ。それを忘れ、同僚どもの下すあやふやな評価に右往左往し自らの価値を自ら見下してきた今までは……
まったく馬鹿げていた。

 自分はマラソンがしたい。今一度確固たる規約と観測に相対し、今度こそ結果を出さねばならない。

「ひどい憂鬱、インディアン専用天然痘ウィルス付き毛布よろしくもっと効率よーくバラ撒きたくなくてん? ワタクシの仕える盟
主様は正にアナタのような人材求めてますのよ」

 だからこの、憂鬱が晴れそうな申し出にノるべきだと思った。



 贖罪などはどうでもいい。

 まずは心に溜まった憂鬱を。

 晴らして
 晴らして

 晴らし続けて。

 さっぱりとしたまっすぐさを取り戻したい。

 そして厳粛たる規約と観測に厳粛と挑み、堂々と結果を出したい。

 当事者 3

 両腕と両足が治るよ。母がそう言ってから1週間後、状況が大きく変転した。

「ここだ! くまなく探せ! 逃亡中の※※※※※※※※※※が潜伏している恐れがある!!」

 銀色の閃光が家庭教師の胸を貫いた。なぜか血は出ない。倒れた彼──両腕と両足が治ったら社会見学行きましょうか?
と笑って提案してくれた大学出たての──が塵と化していく横で使用人たちの首が巨大な斧に薙ぎ払われた。
 3歳の時からずっと過ごしていた寝室が炎に包まれ赤く染まる。熱が迫る。響く激しい足音と怒号はもはや屋敷全体を苛
んでいるようだ。

「奴らよほど戦力に飢えていたのか。信奉者どもをすぐ格上げするとはな」

 何をいっているか分からない。ただ……殺されているのは自分によくしてくれた人達だった。
 両腕と両足が治らないせいで学校に行けない自分に付きっ切りで様々な事を教えてくれた家庭教師。
 使えぬ両腕の代わりにご飯を食べさせてくれた使用人たち。
 悲鳴が上がる。目を見張る。部屋に飛び込んできたメイドたちに影が覆いかぶさる。犬だった。ひどく機械的で虎ほどある
大きさの。それがメイドの喉笛を次々に喰い破る。みな、日替わりで車椅子を押し綺麗な庭を見せてくれた人たちだ。
 紅蓮の炎の中で彼女らが塵と化し、メイド服が燃えていく。使用人だけか。母親はどこにいる? 部屋に入り込んだ10人
ばかりの男たちと巨大な機械犬がゆっくりと歩き出す。赤く炙られる彼らをただ、ベッドの上で見るしかなかった。

 逃げる手段はなかった。

 3歳の時から。

 あの時から。

 奪われた時から。

 ずっと無かった。

「また……奪わんといて……」

 傷の付いた眼球から涙が溢れる。塩気が疵に沁みる。
 死んでしまった者たちは本当に心からの善意の人たちだった。
 屋敷に仕え、主の子供を家族のように遇してくれた人々。
 時には笑い、時には母親以上に厳しく叱ってくれた。身分の上下など関係なく、ただ自分の両腕と両足が平癒する事だけを
考え、その日が来るまで手足代わりになる事を誓ってくれた。だから人間の絆を信じる事が出来た。両腕と両足に消える事
なき欠如を植え付けた人間を恨まずに済んだのは、屋敷の人達と母のおかげだった。

 みな、ただ自分の両腕と両足が治る事だけを祈っていた。
 治らない憤りを以て世間に害悪を成したりしない、善良な人達だった。

 彼らを殺した男達がゆっくりとにじり寄ってくる。手も振り上げられず足も伸ばせず、仰向けの体の中から首だけ震えと共
に擡(もた)げ──…

「奪わんといて……返して……」

 しゃくりあげる他、なかった。



 どこか遠くで大きな音がした。


 壁が突き破られたような、大きな音。

 大きな音がした辺りで怒号と足音がひときわ大きく膨らみ、そして一気にかき消えた。
 迫りくる男たちが歩みを止め、慌てた様子でそちらを見る。彼らにとっても予想外の事態らしかった。
 虎ほどある大型犬が身を屈め、低い唸りを上げる。

 耳鳴りがした。

 飛行場の近くにいる時のような、耳鳴りが。

 そして。


 陰鬱な黒い影が部屋に吹きこんだ時。


 炎は……チリヂリと四散した。





「ああwwww憂鬱wwww 追撃すんのはいいが的外れだよお前らwwww ばーかwwww ハズレの場所で犬死とかマジ憂鬱w」
 奇妙な生物がいた。見覚えもある。記憶を探るとそれは家庭教師が勉強の息抜きで見せてくれた世界イロモノ大図鑑の中
盤あたりに載っていた生物だ。半ば2頭身のやたらクチバシの大きな鳥。
「ハシビロコウ……?」
 とは肺魚を主食とするいやに鋭い三白眼の持ち主だが、その鳥はブツブツと呟くばかりで自分をちっとも一顧だにしない。
 ただ、確かなのは。
「しwかwしwwwwwwwww 俺らも実はピンチwwwwwwwwwww 天王星も海王星も冥王星もこの前の決戦で死んだしw 月やっ
てたフル=フォースも総角主税とか改名して離反したしwwww 正直詰みだろ俺らw こっから逆転できたらマジ神だわwwww」
 ハシビロコウは味方であるらしかった。
 それが証拠に。
 使用人を殺した男たち。
 彼らは床の上で『バラバラになって』うず高く積まれていた。もっとも、巨大な犬だけは残骸めいた物が見当たらなかったが。
もしかしたら逃げたのかも知れない。
 一体、何が起こったのか。ハシビロコウが超高速で入室し、それと同時に乱入者が葬られたのは確かなようだが……。

「とりあえず資金面どうにかしろってイソゴばーさんがいったからwwww さっきからパトロンの子供探してる訳だがwwww 
どこだよwwww ああ憂鬱www 工場勤務時代から部品とかの探し物はマジ苦手wwwwwww つか邪魔wwwwww」
 ハシビロウコウはニタニタ笑いながら死体を蹴った。何度も何度も。細めた眼で酷薄に見下して。尊厳を踏みにじるのが
楽しくて楽しくて仕方ないという顔つきだった。
「あの」
「ああ憂鬱w 両目に傷があって両腕両足に一目で分かる欠如のあるパトロンの子供が見つからないもんだから、戦士ども
に八ちゅ当たりしたけど……ああ、見つからないw 見つからないよおw 保護して仲間にしなきゃいけないのにww憂鬱だあw」

「ウチならここにおるけど」

「wwwwwwwwww」

 ハシビロコウがこっちを向いて、嘴をパクパクさせた。

「あ、事情聞いてたwwww 実はいたの知ってたwwww じゃあ一緒に来てくれるwwwww 嫌ならいいけどwwwwwwwww」

 では、八つ当たりで男たちを殺したというのは……。

「ウソに決まってるだろwwww あいつら殺さなくてもお前助けるコトは可能だったけどもwwwwwwwwwだったけれども」

 解体作業は楽しいし、遺族や仲間が泣きじゃくり、怒りに震える顔を想像するととても胸がスカっとするので、殺した。

 とだけ彼はいう。

 わけが分からない。

 すがるような思いで使用人たちの死体を見る。目を剥き、息を呑む。
 彼らの肉体が塵と化していく。最初に殺された家庭教師はすでに首から下を失っている。見ている間にも顎が、頬が、凄
まじい速度で散っていく。
 グレイズィング呼んでも助からないな、死亡はともかく消滅されたら打つ手なしだ。
 視線を追ったハシビロコウがそう呟く。

 感情をどう発露していいか分からない。

 泣き叫びたい気持ちと。

 泣いてもどうにもならないという自制心と。

 異様な光景に驚き、あれこれ質問した好奇心と。

 使用人たちを殺した輩どもが山盛りの死体になっているコトへの「やった! ザマみろ!」という叫びが。

 ごっちゃになって、どういうカオをしていいか分からない。

 頭が痛い。人間の死体を見たのは初めてかも知れない。
 風邪をひいたときのように胸がムカムカした。体がひん曲る。
 嫌な匂いのするペーストが食道から噴出。ベッドの縁で荒ぶる炎に降りかかる。じゅっという音とともに焼けた異臭が立ち
込める。

「ひどいよなああwwww つつしまやかに生きてた使用人とお前とその母どもが”結果として他の連中に害を成すから”始末
決定wwww 優しい奴ならしないよなあwww まずはお前の欠如治してから『悪の組織に協力するな』って説くのが筋だよな
あwwww でもしないwwwww 悪に協力したからと事情などお構いナッシングwwwwwwwww ああ、憂鬱wwwwwwwwwwww」

 一瞬息を呑んだがすぐそうだと思った。
 今しがた自分から大事な存在(もの)を奪った連中は。
 自分が欠如に苦しんでいる時には影さえ見せず、欠如がようやく購われるという土壇場で突然出てきた。

 何かを与えられない連中は常にそうだ。自分の能力を超えた厄介な問題はスルーするくせに、一枚噛んで得できると分
るやいなやしゃしゃり出てきて何もかもメチャクチャにする。相手はどうやら何かの組織らしいが、組織は専門外の商売は
決してしない物だとよく母が語っていた。化粧品会社がチョコレート製造に乗り出すコトはないし、コンピュータソフト専門の
会社が孤児院経営で利益を追求する訳もない。使用人たちを奪った連中はその類なのだろう。上層部は目的外のコトに
大々的な時間と労力と財貨を費やすなと決議するし、下層部の者たちはそもそも目的外のコトなどできない。自分にとって
家族同然だった使用人たち。きっと男たちは何も考えず何の意味も見出さず、始末したのだろう。

「そして総てをブチ壊しwwwwwww ひでえよなあwwwwwwww 可哀相だよなあwww 一生懸命積み重ねてきたモノが馬鹿
どもの横やりでダメになるのはよおおおおおおおおwwww」

 ベッドの前で巨大な顔をのたくらせるハシビロコウには少し戸惑った。

 彼はどうやら、笑いながらもジンワリ泣いているらしかった。

 むしろ笑っているのは涙を誤魔化すためらしかった。


「ジロジロ見るんじゃねえよwwww この冷酷無情の解体マシーンがホムごときの死で泣くわきゃねえよwwwwwwwwwwww
とにかく、どうするよ?w 俺らについてきたら高確率で犬死www ついてこなけりゃ病院とかで細々と生きられるがwwww」


 彼はそう嘯くが、しかし……。


 家族同然の者たちを一方的に奪った連中と。
 家族同然の者たちの死を笑いながらも悲しんでいる者。


 どっちについていくかは、明白だ。


「マテwwwww もしこの涙が演技ならお前wwww まんまと釣られる羽目になって人生設計台無しだぜwwww」


 構わない。人生設計は3歳の頃から無茶苦茶だ。でも命はある。ハシビロコウの後ろでバラバラになって転がっている
連中を使用人たちが足止めしてくれたから、自分はまだ生きている。家族同然の者たちの死は決して無駄じゃないのだ。
 もちろん悲しみはある。母親もこの分では死んでいるだろう。だがそういうコトを泣いて悲しんだとしても、何にもならない。
 ベッドもそう言っている。腕組みをしながら4歳の誕生日パーティの光景──覚えている。手足の欠如を回復する物が欲し
いと駄々をこねみんなを困らせたのだ──を引き合いに出し、そういうのはまったく無意味だと説いた。枕も同調した。学校
へ行きたいと泣きじゃくった6歳の夜は本当に睡眠不足だったと苦笑いした。懐かしい思い出だ。笑いながらあの時はゴメン
なさいと頭を下げる。傍でハシビロコウが異様な表情をした。ああゴメン。つい他の人と……。ウチ一応ついてくから。

 仇達は死んだが、その背後には巨大な組織がある。
 奴らは自分にとって奪う側の連中だ。

 母と家族同然の者たちを奪われたから、奪ってやる。

 自分は人に害を成したいと思ったコトはない。
 社会の片隅でただ手足の欠如の回復を待ち望んで過ごしていただけだ。
 だが奴らはその回復さえ許さなかった。もしこの欠如を与えた連中に対する怒りの一欠片でも見せていたなら話しは違っ
たが、奴らの眼はただ「片隅に吹きだまる厄介事」ぐらいにしか自分を見ていなかった。

 それが悔しい。

 理不尽で巨大すぎる欠如を与えた連中に憤りがなかった訳ではない。嫌悪していた。憎んでいた。不便を感ずるたび涙
を流し、どうしてこういう運命に追い込まれたかと歯ぎしりしながら泣きじゃくった。何度も、何度も何度も何度も、何度も!
 それでも世界全体を恨まずに育てたのは、母や使用人たちが親身になって接してくれたからだ。同情はせず、悪いコト
は悪いとちゃんと叱り、どうすれば欠如を抱えたまま生きていけるか共に考えてくれた。だから、黒い感情に染まるコトな
く今まで生きてこれた。
 そうやって自分をまっすぐにしてくれた人たちが、どうやら人間でなくなっていたのは様子から分かる。だが彼らが決して
人を害するためああなった訳ではないというのも分かる。欠如。自分の手足を直すための取引として、人間をやめたに
違いなかった。

「拾った命はおかーちゃんたちの仇打ちのために使う」
「へー(^_^)」
「みんなが死んだのはウチの手足を治したがったせいや! ならウチだけ普通の幸福味わう訳にはいかんやろ?」
「いやいやいやwww そこは『復讐なんてみんな望んでへん。ウチだけはまっとうに生きて幸せになる。みんなの分まで』とか
気付いてまっすぐに生きるべきだと思うwwwwwwww」
「知らん! 1度奪われて大人しくしとったらこの結果や! よう分かったわ。奪う側の連中は大人しくしてても何も与えん!
欲しいのなら自分で頑張って獲得する! んで奪う側の連中とは戦う! 大事な物を失くさんためにはそれが必要や!!
おかーちゃんたちの死は教訓にせなあかん!」
「うわwww こいつヘンなスイッチ入っちまったwww やべえwww でも面白えwww 盟主様に引き会わせてーwwwwww
「ハシビロコウさんよ」
「はいなwwww」
「ウチはそこに転がってる連中の「組織」と戦うけどな。これはただの復讐やない!! ウチと! おかーちゃんと! 使用
人さんたちの無念を晴らすための、意地の見せっこや!! 好き放題やっとるようやけど、それに屈しない奴がおるという
コトを知らせたんねん。で!! いつか勝つ! 勝った後、悲しい事情で人間やめた連中引き連れて、あいつらにいうたんねん。


『お前ら正義面して話も聞かず色んな奴殺してきたけどな、中にはこういう人たちだっておったんや』

『お前らの行動は本当にこの世界良くしてきたんか? 悲しい事情持ちを臭い物にフタで葬ったコトもあるやろ?』

『そうやって殺されてきた人らは悲しかったやろなー。フツーの世間に見捨てられた挙句、自称正義の味方にさえ殺される!』

『お前ら要するに考えなしのボケや! その人らの分まで苦しみ抜いて死ね!!』

……ってな」
「限りなく復讐目的くせえwwwwww でもまあ気持ちは分かるわwwwww」
「いうなれば尊厳を守るための戦いっちゅー訳やで。な、な!」



 奪う側にいる連中は死んでいい。絶対に。絶対に。