当事者 4
バラけていく。崩れていく。脚部に力が入らない。張り詰めていた神聖な集中力が虚空の彼方へ散っていく。脇を見る。男
3人が割れた人混みへ吸い込まれる。彼らは山のように連なっていた。揺れていた。両端の屈強な水色の間で貧相な緑が
揺れる。その緑の嵐が飛びかかってきたのは何秒前? もう何分も? 追いつかない。縮められない。
バラけていく。崩れていく。
3人が割れた人混みへ吸い込まれる。彼らは山のように連なっていた。揺れていた。両端の屈強な水色の間で貧相な緑が
揺れる。その緑の嵐が飛びかかってきたのは何秒前? もう何分も? 追いつかない。縮められない。
バラけていく。崩れていく。
──積み上げてきたからこそ分かるものがある。
規約にある数値。観測で明文化される数値。それらは決して感情的な挙措で覆せるものではない。規約に従い観測に
照らさなくてはならない。栄冠を目指すという事はつまりそれだ。タバコを控え酒を控え節制に励み好物の脂身さえ口にせず
友人どもが恋人とベッドの中で甘く囁いている明け方にはもう20kmほど走っている、そんな生活を年単位で送り、足から
少しでも多くブヨついた肉をそぎ落とし肺機能をわずかでも向上させる。スクラムを組んだ規約と観測に理想の数値を吐か
すには地道な努力を重ねるしかない。積み上げるのだ。1日に少しでも多く。本番に向かって。多くて1秒でも少なくできれば
成功だ。1日の少し、本番での少し。それらが年単位で積み重なって栄光に繋がる事を信じ、苦痛に耐え……。
そうやって培った物だけが規約と観測の前で望みの数値を弾き出してくれる。
照らさなくてはならない。栄冠を目指すという事はつまりそれだ。タバコを控え酒を控え節制に励み好物の脂身さえ口にせず
友人どもが恋人とベッドの中で甘く囁いている明け方にはもう20kmほど走っている、そんな生活を年単位で送り、足から
少しでも多くブヨついた肉をそぎ落とし肺機能をわずかでも向上させる。スクラムを組んだ規約と観測に理想の数値を吐か
すには地道な努力を重ねるしかない。積み上げるのだ。1日に少しでも多く。本番に向かって。多くて1秒でも少なくできれば
成功だ。1日の少し、本番での少し。それらが年単位で積み重なって栄光に繋がる事を信じ、苦痛に耐え……。
そうやって培った物だけが規約と観測の前で望みの数値を弾き出してくれる。
と、信じていたのに。
山の両側は警備員だ。彼らが時おり切羽詰った叫びを上げ体を揺するのは……中央の緑色が身を捩った数瞬後だ。
「申し訳ありません」
バラけていく。崩れていく。あらゆる総てが『分解』される。
「彼は以前にもこのような真似を」
長い距離を好成績で走り抜くには? 綿密なペース配分が必要だ。『機械のような』。集中力を高める。スタート直前に
深く息を吸い、吐く。そして総てをブツける。培った総てを、最後まで。
深く息を吸い、吐く。そして総てをブツける。培った総てを、最後まで。
「沿道の群衆に紛れて、走行中の選手に飛びかかり、競技の妨害を」
這いつくばっている自分の横を選手たちが流れていく。立たなくては。力を込めた足から鈍い痛みが昇る。右のつま先が
尻に付いている。断裂、そして反転。端緒は緑色のパーカーが胸にぶつかった瞬間だ。室内で独りよがりの遊戯に耽って
きた男特有の生白い顔と虚ろな目、それが自分を後方へとつんのめらせ、そして押し倒した。鈍い断裂の音が今さらのよ
うに耳奥で木霊する。痛みは激しい。ただ座って地面に付けているだけなのに脂汗が全身に浮かぶ。立てばどうなるか、
全く想像したくない。だが立たねば状況は好転しない。
尻に付いている。断裂、そして反転。端緒は緑色のパーカーが胸にぶつかった瞬間だ。室内で独りよがりの遊戯に耽って
きた男特有の生白い顔と虚ろな目、それが自分を後方へとつんのめらせ、そして押し倒した。鈍い断裂の音が今さらのよ
うに耳奥で木霊する。痛みは激しい。ただ座って地面に付けているだけなのに脂汗が全身に浮かぶ。立てばどうなるか、
全く想像したくない。だが立たねば状況は好転しない。
彼は走っていた。大事なもののため、走っていた。
深く息を吸う。散ってしまった神聖な集中力。それを少しでも多く体内に引き戻さなければ何も始まらない。何も……。『機
械のような』集中力。それさえあれば後ろ向きの足首がもたらす激痛な
ど物ともせず、精密なペースで走り抜ける。走りぬける筈だ。
械のような』集中力。それさえあれば後ろ向きの足首がもたらす激痛な
ど物ともせず、精密なペースで走り抜ける。走りぬける筈だ。
なぜ、自分がこういう目に遭っている? 何をした? ただ走り抜くため真っ当な努力を積み重ねただけなのに。
白いヘルメットの救護班がやってくる。何をいっているかは分かる。だがいやだ。走れ。走るのだ。息が乱れる。この足で?
妨害後に? マトモな状況でマトモな体を走らせても好成績は難しいのに? 自分を抜いたのはもう何人? 無理だ。積み
上げてきたからこそ分かる。でも、走れ、走るのだ。千々に乱れた理性と恣意がせめぎ合う。
妨害後に? マトモな状況でマトモな体を走らせても好成績は難しいのに? 自分を抜いたのはもう何人? 無理だ。積み
上げてきたからこそ分かる。でも、走れ、走るのだ。千々に乱れた理性と恣意がせめぎ合う。
「離せ! 離しやがれ!!」
「今日しかないんだよ!! いまが最後の……最後のチャンスなんだよ!」
拳を叩きつけた瞬間よみがえったのはかつての叫び。今は叫ばない。叫ぶ気力は……ない。
喪服なのだ。いまは。
「落ちついて。お気持ちはわかります。苦難に耐え続けた結果が妨害によって台無しにされる……その辛さ」
ヒビの入ったガラステーブルの向こうで白髪交じりの中年男性が嘆息した。慣れている。こんなトラブルは彼にとって「よく
ある事」なのだろう。積み重ねてきたから分かる。次はこちらの無念を取り除く作業に移る。「不幸な事故」。だから今回は
諦めるよう促すのだろう。釈然としないがそれでも自分は積み重ねる側にいたかった。沿道から選手の何もかもブチ壊し
にかかる貧相な緑パーカーのような──さっさと微生物にでも分解されて死ね! 何度もそう呪った──低い次元の男には
なりたくなかった。釈然としない。だが今まで過ごしてきた世界は耐える以外の選択肢を齎していない。それがどんなに絶望的
な事でも、世界にとって「普通」で「当然」の事なのだ。
ある事」なのだろう。積み重ねてきたから分かる。次はこちらの無念を取り除く作業に移る。「不幸な事故」。だから今回は
諦めるよう促すのだろう。釈然としないがそれでも自分は積み重ねる側にいたかった。沿道から選手の何もかもブチ壊し
にかかる貧相な緑パーカーのような──さっさと微生物にでも分解されて死ね! 何度もそう呪った──低い次元の男には
なりたくなかった。釈然としない。だが今まで過ごしてきた世界は耐える以外の選択肢を齎していない。それがどんなに絶望的
な事でも、世界にとって「普通」で「当然」の事なのだ。
失われたものがもう二度と帰ってこないとしても。
報いる事ができなかったとしても。
報いる事ができなかったとしても。
「御事情は聞いています。たいへん辛い事です。妨害を阻止できなかったこと……本当に無念です」
深く息を吸う。分かっている。怒ってもどうにもならない事は。42.195km。その沿道にひしめく群衆の中から妨害経験
のある前科者だけを見つけ出し事前に排除する? 無理だ。規約と観測が要求する数字を恣意一つで叶えられないように……。
のある前科者だけを見つけ出し事前に排除する? 無理だ。規約と観測が要求する数字を恣意一つで叶えられないように……。
「ご安心ください。お足の怪我は治るものです」
それでも。
「あなたの成績は拝見しました。大丈夫です。今度こそ、報いて下さい。願っています」
バラけていく。崩れていく。
どんなに頑張っても理不尽な妨害によって台無しにされるのではないか?
そして世界は台無しにされた分をちっとも補填してくれないのではないか?
そして世界は台無しにされた分をちっとも補填してくれないのではないか?
憂鬱な感情が、拡がっていく。
当事者 3
この世の総てを欲するのはつまるところ寂しいからだ。
明日が賞味期限(=売れなければ捨てられる!)のジャムパン、流行ってない自転車屋の片隅で埃かぶってるT字型の
空気入れ、昭和の匂いがする扇風機。
いかにも売れていない様子の商品達は自分を見ているようで辛い。だから買い占める。店頭にあるのに誰からも見向き
されず静かに朽ち、捨てられる。その様子を想像すると途轍もなく寂しい。
空気入れ、昭和の匂いがする扇風機。
いかにも売れていない様子の商品達は自分を見ているようで辛い。だから買い占める。店頭にあるのに誰からも見向き
されず静かに朽ち、捨てられる。その様子を想像すると途轍もなく寂しい。
だから自分が買う。買って「必要とされている」、そう言い聞かせてあげる。せっかく生まれてきたのに不必要と断ぜられ
処分されるのは可哀相だ。だから買う、買い続ける。
処分されるのは可哀相だ。だから買う、買い続ける。
それでも目に見えない場所で寂しい思いをしている物、あるだろうから。
この世の総てが欲しい。
強欲といわれても、構わない。
当事者 2
「くらくてせまくてたかくて、んでギャーン! ってなったらこうなってたワケじゃん? ね、ご主人」
当事者 1
『ははっ! その説明で全部分かる人は少ないと思うぞ香美!』
「分からない……です」
鐶光は卓袱台の前で可愛らしく首を捻った。
よく分からない。
疑問は氷解しそうにない。
それが率直な感想だ。
こういう時直属の上司──総角主税という名の金髪美丈夫──がいれば、とも思う。だがあいにく彼が戻る気配はない。
鐶光は卓袱台の前で可愛らしく首を捻った。
よく分からない。
疑問は氷解しそうにない。
それが率直な感想だ。
こういう時直属の上司──総角主税という名の金髪美丈夫──がいれば、とも思う。だがあいにく彼が戻る気配はない。
「フ。部屋の事で少々用事ができた。小札と無銘ともどもしばらくは戻れない」
そう言い残して部屋を後にしたのが1時間前。まだまだ帰宅に至らぬようで。
(くらくてせまくてたかくて……? 難しい……です)
視線を居間へと引き戻す。
ここはアパートの一室だった。4LDK。閑静な住宅街にあるにしては家賃が安い……昨日得意気に説明していた金髪の
美丈夫はいまごろ不動産屋で書類不備の後始末をしているのだろう。よくあるコトだ。契約をしたあと不動産屋が何か不審
な点を書類に見つけ世帯主を呼びだすのは。なぜなら住む者総て「戸籍は有って無い様なモノ」。一旦契約が成立した方が
不思議なくらいだ。
(私のはまだ残っているかも知れません。でも、あったとしても、年齢が…………合いません)
肩を落として虚ろな瞳で床を見る。
加入してから数か月。当時こそ7歳だったがそろそろ肉体年齢10歳のチワワ──鳩尾無銘──を追い抜きそうな勢いだ。
それがどれほど辛いか。
「妹分ができた」。そう喜ぶ無銘がグングンと成長する鐶を見る眼差し。不老不死のホムンクルスが年齢差を短期間で覆される
失意の表情。いやというほど実感できる。自分は人外からさえ外れた存在で、10年も経てば1人だけ老婆と化し、変わらぬ仲間
を羨むしかないのだと。辛さの向こうでようやく会えた、救ってくれた少年。大好きな彼の前で1人だけ年を取り、失意の表情を
73日ごとに見せつけられ、やがて失意さえ失われ何の関心も示されなくなる。
想像するだに恐ろしき未来予想図に何度泣いたか分からない。
ここはアパートの一室だった。4LDK。閑静な住宅街にあるにしては家賃が安い……昨日得意気に説明していた金髪の
美丈夫はいまごろ不動産屋で書類不備の後始末をしているのだろう。よくあるコトだ。契約をしたあと不動産屋が何か不審
な点を書類に見つけ世帯主を呼びだすのは。なぜなら住む者総て「戸籍は有って無い様なモノ」。一旦契約が成立した方が
不思議なくらいだ。
(私のはまだ残っているかも知れません。でも、あったとしても、年齢が…………合いません)
肩を落として虚ろな瞳で床を見る。
加入してから数か月。当時こそ7歳だったがそろそろ肉体年齢10歳のチワワ──鳩尾無銘──を追い抜きそうな勢いだ。
それがどれほど辛いか。
「妹分ができた」。そう喜ぶ無銘がグングンと成長する鐶を見る眼差し。不老不死のホムンクルスが年齢差を短期間で覆される
失意の表情。いやというほど実感できる。自分は人外からさえ外れた存在で、10年も経てば1人だけ老婆と化し、変わらぬ仲間
を羨むしかないのだと。辛さの向こうでようやく会えた、救ってくれた少年。大好きな彼の前で1人だけ年を取り、失意の表情を
73日ごとに見せつけられ、やがて失意さえ失われ何の関心も示されなくなる。
想像するだに恐ろしき未来予想図に何度泣いたか分からない。
戸籍の話に戻る。
総角、小札、無銘といった3名は分からない。
だが目の前にいる少女は絶対に戸籍を持っていない。鐶はそんな確証を持っていた。
(なぜなら香美さんはもともと……)
だが目の前にいる少女は絶対に戸籍を持っていない。鐶はそんな確証を持っていた。
(なぜなら香美さんはもともと……)
ネコ。
なのである。
(ある訳……ないです)
などとぼんやり思いつつボロックナイフを振る。天井から落ちてきたムカデが胴切りにされ吹っ飛んでいく。転瞬鐶の可憐
な唇から桃色の影がムチのように踊りあがった。舌。桃色でひどく長大な。キツツキのそれへ変じた鐶の舌はびゅらびゅら
と踊り狂いながらムカデの痙攣する胴体2つを順々に巻きこみ、口内めがけ引きこんだ。
目の前の少女が感嘆の声を上げた。「もう使いこなしているじゃん」というのは体質と武装錬金両方に対する賛辞だろう。
な唇から桃色の影がムチのように踊りあがった。舌。桃色でひどく長大な。キツツキのそれへ変じた鐶の舌はびゅらびゅら
と踊り狂いながらムカデの痙攣する胴体2つを順々に巻きこみ、口内めがけ引きこんだ。
目の前の少女が感嘆の声を上げた。「もう使いこなしているじゃん」というのは体質と武装錬金両方に対する賛辞だろう。
「はい……。ズグロモリモズの毒を……蓄えます……。お姉ちゃんに監禁された時に……虫を食べて……空腹を……凌ぎ
……ましたし…………割りと……へっちゃらです」
……ましたし…………割りと……へっちゃらです」
『はっ、はは! その年でその境地は色々凄いなあ!! 女のコにいうのもアレだが、逞しい!』
それは少女の後頭部からあがる大声で、まぎれもない、少年のものだった。
(分からない……です)
なぜ、こうなっているのだろう。
咀嚼しながら考える。
考えれば考えるほど分からない、少女の後頭部の秘密。
馴染むまではかなり戸惑った。
窓が揺れた。反応する。首ごと旋回した視線の先。ガラスに赤黒い落ち葉がへばりつく。
後ろには灰色の空。
空。そうだ、姉はいまどうしているだろう。取り止めのない思考世界へ焼き芋屋の錆びたアナウンスが木霊する。
後ろには灰色の空。
空。そうだ、姉はいまどうしているだろう。取り止めのない思考世界へ焼き芋屋の錆びたアナウンスが木霊する。
季節はもう冬だ。
鐶光。本名は玉城光。7歳の誕生日まで彼女は人間だった。しかし義理の姉はそれを許さなかった。紆余曲折を経て鐶は
ホムンクルスへと変えられ、五倍速で年老うさだめを負った。そうして義姉の命じるまま各地の共同体を殲滅していくうち、「ザ・
ブレーメンタウンミュージシャンズ」という流れの共同体と出会い、戦い、仲間になった。
ホムンクルスへと変えられ、五倍速で年老うさだめを負った。そうして義姉の命じるまま各地の共同体を殲滅していくうち、「ザ・
ブレーメンタウンミュージシャンズ」という流れの共同体と出会い、戦い、仲間になった。
それがこの年の秋口だから、すでに数か月が経過している。
とはいえ実のところ、鐶はこの「ブレーメンの音楽隊」をもじった一団の全容を把握していない。
そも共同体というのは一地域に根差すものだ。通常、ホムンクルスは人喰いの衝動を抑えるコトができない。といって野放図
に人間を襲っていれば「錬金の戦士」という化け物退治の専門家どもにいずれ捕捉され、殺される。故にホムンクルスは徒党を
組む。人目のつかぬところに潜み、静かに密かに人間を攫っては「食事」をする。共同体に移動があるとすればそれは錬金の
戦士にいよいよ捕捉された時だというのが姉の弁。移動は逃走手段に他ならないとは鐶に戦闘を教えたホムンクルスの弁。
に人間を襲っていれば「錬金の戦士」という化け物退治の専門家どもにいずれ捕捉され、殺される。故にホムンクルスは徒党を
組む。人目のつかぬところに潜み、静かに密かに人間を攫っては「食事」をする。共同体に移動があるとすればそれは錬金の
戦士にいよいよ捕捉された時だというのが姉の弁。移動は逃走手段に他ならないとは鐶に戦闘を教えたホムンクルスの弁。
だが、常にザ・ブレーメンタウンミュージシャンズは全国を放浪している。
常に戦士に捕捉されている……という訳でもない。むしろ放浪そのものが目的のようだ。
鐶が耳にしたところによれば既に9年…………さまよっている。
最初、鐶はただ単に彼らが定住先を探しているのかと思ったが、どうやら違うらしい。
共同体のいる場所へ出向き、敵を殲滅。ただそれの繰り返し。
良さそうな土地を見つけるたび永住の予定を聞きもしたが、リーダーはフッと一笑するだけで答えない。
たまに彼が剣術家や剣術道場を訪れ修業に励むコトもあるが、決して弟子入りや住み込みなどはせず、1週間後にはま
たブラリと別の場所へ旅立つ。
そういう生活が既に9年。続いているらしい。
常に戦士に捕捉されている……という訳でもない。むしろ放浪そのものが目的のようだ。
鐶が耳にしたところによれば既に9年…………さまよっている。
最初、鐶はただ単に彼らが定住先を探しているのかと思ったが、どうやら違うらしい。
共同体のいる場所へ出向き、敵を殲滅。ただそれの繰り返し。
良さそうな土地を見つけるたび永住の予定を聞きもしたが、リーダーはフッと一笑するだけで答えない。
たまに彼が剣術家や剣術道場を訪れ修業に励むコトもあるが、決して弟子入りや住み込みなどはせず、1週間後にはま
たブラリと別の場所へ旅立つ。
そういう生活が既に9年。続いているらしい。
リーダーの総角主税という金髪の美丈夫はなぜ彼らを率いて旅をしているのか?
小札零という実況好きの少女にしたってロバ型ホムンクルスになった経緯はまだ分からない。
鐶にとって忘れ難い鳩尾無銘という少年は心こそ人間だが姿はチワワ。
他のホムンクルスにように人間形態にはなれないのだ。
だからよっぽど(彼にとって)異常で迷惑な生まれ方をしたのだろうが……彼は決してそれを語らない。
他のホムンクルスにように人間形態にはなれないのだ。
だからよっぽど(彼にとって)異常で迷惑な生まれ方をしたのだろうが……彼は決してそれを語らない。
そして。
いま鐶光の向い側にいるのは栴檀香美(ばいせんこうみ)という名の少女である。
栴檀はふつう「せんだん」と読むが、”彼女ら”は「響きがいいから」と「ばいせん」にしている……という話を鐶は無銘から
──堅物の彼はこの表外読みをとても苦々しく思っているらしく、峻厳極まる顔だった──聞いている。
栴檀はふつう「せんだん」と読むが、”彼女ら”は「響きがいいから」と「ばいせん」にしている……という話を鐶は無銘から
──堅物の彼はこの表外読みをとても苦々しく思っているらしく、峻厳極まる顔だった──聞いている。
(香味焙煎と掛けている……のでしょうか?)
鐶があまり面白くない感想を時おり抱く少女の容貌は。
一言でいえば「遊んでいそうなギャル」だ。
セミロングの茶髪にうぐいす色のメッシュを幾筋も入れ、シャギーも入れ、それを肩口の辺りでやたら元気よく跳ねさせて
いる。
にもかかわらずアーモンド型の瞳はどこか気だるそうで「動くよりは寝ている方が好きじゃん」とも言いたげだ。
というより彼女は先ほどからこっちヒーターの前でだらしなく「伸びている」。
冬にそぐわぬ白いタンクトップはすっかり着崩れ白い腹部がはだけている。ハーフのデニムジーンズから伸びるしなやかで肉
づきのいい小麦色の足も床へ無造作に投げ出されている。
総合すると、ひどくだらしない。ほぼ同年代の女性でもここまで違うのかと鐶は目を丸くした。姉ならばこういうだらしない
格好はしない。長いジーンズの裾がちょっと捲れるだけで慌てる。脛のわずかな露出さえ彼女は羞じるのだ。そういう奥ゆ
かしさが、「お姫様みたい」で鐶は姉──青空──に憧れたものだが……
(香美さんは昔の私みたく……活発……です
いつしかタンクトップは腹部すれすれまで捲れ上がり、なかなか際どいところまで見えている。下着は未着用。形が保持
されているのは野性味と若さゆえか。
(円弧から計算するに……お姉ちゃんの方が……だいぶ大きい……です。やった……です)
意味不明な優越感を覚える──まだ自分が及びもしないから、か?──鐶はともかくとして。
栴檀香美。
瞥見の限りではどこにでもいる行儀の悪い少女。しかし彼女には地球上の他の誰もが持っていないであろう凄まじい秘密が
ある。
一言でいえば「遊んでいそうなギャル」だ。
セミロングの茶髪にうぐいす色のメッシュを幾筋も入れ、シャギーも入れ、それを肩口の辺りでやたら元気よく跳ねさせて
いる。
にもかかわらずアーモンド型の瞳はどこか気だるそうで「動くよりは寝ている方が好きじゃん」とも言いたげだ。
というより彼女は先ほどからこっちヒーターの前でだらしなく「伸びている」。
冬にそぐわぬ白いタンクトップはすっかり着崩れ白い腹部がはだけている。ハーフのデニムジーンズから伸びるしなやかで肉
づきのいい小麦色の足も床へ無造作に投げ出されている。
総合すると、ひどくだらしない。ほぼ同年代の女性でもここまで違うのかと鐶は目を丸くした。姉ならばこういうだらしない
格好はしない。長いジーンズの裾がちょっと捲れるだけで慌てる。脛のわずかな露出さえ彼女は羞じるのだ。そういう奥ゆ
かしさが、「お姫様みたい」で鐶は姉──青空──に憧れたものだが……
(香美さんは昔の私みたく……活発……です
いつしかタンクトップは腹部すれすれまで捲れ上がり、なかなか際どいところまで見えている。下着は未着用。形が保持
されているのは野性味と若さゆえか。
(円弧から計算するに……お姉ちゃんの方が……だいぶ大きい……です。やった……です)
意味不明な優越感を覚える──まだ自分が及びもしないから、か?──鐶はともかくとして。
栴檀香美。
瞥見の限りではどこにでもいる行儀の悪い少女。しかし彼女には地球上の他の誰もが持っていないであろう凄まじい秘密が
ある。
それを鐶は加入以来ずっと不思議に思っていた。
もちろんリーダーに聞けば詳しい経緯などすぐ分かるだろうが、しかし秘密をコソコソ嗅ぎ回っているようで気が咎め、ついつい
聞けぬまま数か月が過ぎてしまっている。
とはいえどうしても知りたいと思うのは……。
もちろんリーダーに聞けば詳しい経緯などすぐ分かるだろうが、しかし秘密をコソコソ嗅ぎ回っているようで気が咎め、ついつい
聞けぬまま数か月が過ぎてしまっている。
とはいえどうしても知りたいと思うのは……。
『僕”たち”を今の姿にした者と貴方は面識がある!』
部屋には鐶と香美。少女が2人。されど少年の大きな声がどこからともなく響いている。
謎はそれだった。
大声は続く。
『秋口、光副長が無銘ともども戦士に追い詰められた時!』
──「……手だしは……させません」
── なっと息を呑んだのは戦士ばかりではない。無銘もまた意外な面持ちでその光景を眺めていた。
── クチバシ、だった。子供ぐらいなら丸呑みにできそうなほど巨大なそれが戦士の左上膊部に噛みついている。そのせい
──だろう。鉤爪が無銘の章印スレスレでぴたりと静止したのは。静止した物が揺れた。無銘の視界が90度傾いた。そのフレー
──ムの中で戦士が飛んだり跳ねたりを始めたが好きでそうしている訳でもないらしい。
──(これは──…)
── どうやらクチバシが左腕ごと戦士を振り回しているらしい。途中で気付いた無銘も無事とは言い難かった。彼は戦士に頭
──を掴まれている。激しい揺れに巻き込まれたのは成り行きとして当然……。世界が揺れる。傷だらけの体がガクガクと揺
──れる。無銘と戦士だけが局地的大地震に見舞われたようなありさまだった。
── なっと息を呑んだのは戦士ばかりではない。無銘もまた意外な面持ちでその光景を眺めていた。
── クチバシ、だった。子供ぐらいなら丸呑みにできそうなほど巨大なそれが戦士の左上膊部に噛みついている。そのせい
──だろう。鉤爪が無銘の章印スレスレでぴたりと静止したのは。静止した物が揺れた。無銘の視界が90度傾いた。そのフレー
──ムの中で戦士が飛んだり跳ねたりを始めたが好きでそうしている訳でもないらしい。
──(これは──…)
── どうやらクチバシが左腕ごと戦士を振り回しているらしい。途中で気付いた無銘も無事とは言い難かった。彼は戦士に頭
──を掴まれている。激しい揺れに巻き込まれたのは成り行きとして当然……。世界が揺れる。傷だらけの体がガクガクと揺
──れる。無銘と戦士だけが局地的大地震に見舞われたようなありさまだった。
『クチバシだけだが確かに変形した! ”ハシビロコウ”に!!』
「はい……。ディプレス=シンカヒアさん。ディプレス=シンカヒアさんに……戦闘の手ほどきを……受けました」
『いわば師匠筋! まんざら知らぬ間柄でもないが故に!』
「はい……。ディプレス=シンカヒアさん。ディプレス=シンカヒアさんに……戦闘の手ほどきを……受けました」
『いわば師匠筋! まんざら知らぬ間柄でもないが故に!』
なぜ彼が僕たちをこういう体にしたか知りたいのだろう! ……大声はそう叫んだ。
鐶は頷いた。
知り合いが、知り合いを害した。
双方の人格を知っている以上、両者の敵対した経緯はひどく関心を引く。
そういう意味では鳩尾無銘誕生の秘密も同じではあるが、こと無銘と話す時は非常な気恥しさが全身を駆け巡りしどろもどろで
上手く話せない鐶なのだ。でもそういう自分を少しでも変えたい鐶だし、香美”たち”だって仲間として大事に思っている。過去を知
りたいという気持ちの強さは相手が無銘でも香美たちでも変わらない。
そういう意味では鳩尾無銘誕生の秘密も同じではあるが、こと無銘と話す時は非常な気恥しさが全身を駆け巡りしどろもどろで
上手く話せない鐶なのだ。でもそういう自分を少しでも変えたい鐶だし、香美”たち”だって仲間として大事に思っている。過去を知
りたいという気持ちの強さは相手が無銘でも香美たちでも変わらない。
「それに……人格が………共存しているのも……不思議です」
大体のホムンクルスは動植物の細胞から作った「幼体」を人間に投与して誕生する。
だからそういう意味では香美も普通の「ネコ型ホムンクルス」なのだが、その範疇に収まらない秘密がある。
だからそういう意味では香美も普通の「ネコ型ホムンクルス」なのだが、その範疇に収まらない秘密がある。
香美の後頭部にはもう一つの「顔」がある。
それが飼い主──栴檀貴信──の物と知った時、鐶はいささか驚いた。
つまり彼と彼女は──…
つまり彼と彼女は──…
2人で1つの体を共有している!!
だがこれはホムンクルスの原理的にありえない状態。
鐶をホムンクルスに改造した姉──玉城青空。別名リバース=イングラム──は言った。
「いい? 光ちゃん。ホムンクルスを作るには幼体を人間へ投与すればいい訳なんだけど……ふふっ。そうするとね。幼体
の基盤になった動植物が人間の精神を喰い殺しちゃうの」
の基盤になった動植物が人間の精神を喰い殺しちゃうの」
にも関わらず、貴信と香美は見事に共生している。
それはとても特異で異常なコトだった。
それはとても特異で異常なコトだった。
姉の調整と尽力で「ホムンクルスになりながら元の人格を保持している」鐶にしたって、基盤となったニワトリの精神は
脳裏のどこにも残っていない。香美のように声を上げ、鐶と掛け合いをする。そんなコトは一度たりとてなかった。
脳裏のどこにも残っていない。香美のように声を上げ、鐶と掛け合いをする。そんなコトは一度たりとてなかった。
「つかきゅーびまで行く必要ないじゃん。あいつイヌじゃん。チワワじゃん」
卓袱台の向こう側で「まるで一人問答」をやってる活発な少女に鐶は内心うんうんと頷いた。
「無銘くんは居て欲しい……です。耳を……はむはむしたい……です」
『さっきから副長はいちいちズレてると思うが!』
「あ、ムカデ食べた口じゃ……危ない……です。歯磨きしないと……」
『…………ええと。……なんだっけ? ああそうだ副長!? 僕たちの体の秘密が知りたいと!?』
「え、ええ」
香美の後頭部から響く大声にやや気押されながら──この場にお姉ちゃんがいなくて良かった。いたらきっとキレて暴れ
ていたに違いない。『大声で喋れる』 そんな者が大嫌いだから──と思いながら、鐶光はコクコクと頷いた。
「あまり……触れちゃいけない…………話題でしょうか……? 私の五倍速の……老化の……ように」
問いを投げかける鐶自身、広言憚る体質と経歴の持ち主である。彼女は義理の姉の暴走によって
卓袱台の向こう側で「まるで一人問答」をやってる活発な少女に鐶は内心うんうんと頷いた。
「無銘くんは居て欲しい……です。耳を……はむはむしたい……です」
『さっきから副長はいちいちズレてると思うが!』
「あ、ムカデ食べた口じゃ……危ない……です。歯磨きしないと……」
『…………ええと。……なんだっけ? ああそうだ副長!? 僕たちの体の秘密が知りたいと!?』
「え、ええ」
香美の後頭部から響く大声にやや気押されながら──この場にお姉ちゃんがいなくて良かった。いたらきっとキレて暴れ
ていたに違いない。『大声で喋れる』 そんな者が大嫌いだから──と思いながら、鐶光はコクコクと頷いた。
「あまり……触れちゃいけない…………話題でしょうか……? 私の五倍速の……老化の……ように」
問いを投げかける鐶自身、広言憚る体質と経歴の持ち主である。彼女は義理の姉の暴走によって
『数多くの鳥や人間に変形できる代わり、五倍速で年老う体』
になった。現在こそすっかり虚ろな瞳で途切れ途切れにしか話せぬが、人間だった頃は双眸に光溢れる活発な伊予弁少女
として父母の愛を一身に受けていた。
変わる、というのはそういう事である。現在が傍目から見てどんなに異常であっても、そうなる前はかけ離れた、真っ当な姿
だった筈なのである。それを歪めるような災厄が降りかかったから貴信と香美は1つの体になってしまったのではないか?
鐶は熟知している。災厄は語るに恐ろしい。
赤い黒目と黒い白目で哄笑を上げる姉ほど恐ろしい存在はいなかった。
「だから…………言いたくない……事でしたら……いい、です。聞きません……」
「んー、でもさでもさ、光ふくちょーはいった訳じゃん? じゃああたしらだけ隠すのってよくないじゃん。ね? ご主人」
湿っぽい鐶とは対照的に香美の口調は意外にカラっとしている。性分もあるだろうが実は「よく覚えていない」からあっけら
かんとしていられる……鐶がそう知ったのは彼らの経緯を聞かされた後である。
後頭部からしばし逡巡の唸りが上がり、やがて決断の叫びへ変化した。
として父母の愛を一身に受けていた。
変わる、というのはそういう事である。現在が傍目から見てどんなに異常であっても、そうなる前はかけ離れた、真っ当な姿
だった筈なのである。それを歪めるような災厄が降りかかったから貴信と香美は1つの体になってしまったのではないか?
鐶は熟知している。災厄は語るに恐ろしい。
赤い黒目と黒い白目で哄笑を上げる姉ほど恐ろしい存在はいなかった。
「だから…………言いたくない……事でしたら……いい、です。聞きません……」
「んー、でもさでもさ、光ふくちょーはいった訳じゃん? じゃああたしらだけ隠すのってよくないじゃん。ね? ご主人」
湿っぽい鐶とは対照的に香美の口調は意外にカラっとしている。性分もあるだろうが実は「よく覚えていない」からあっけら
かんとしていられる……鐶がそう知ったのは彼らの経緯を聞かされた後である。
後頭部からしばし逡巡の唸りが上がり、やがて決断の叫びへ変化した。
『聞きっぱなしというのも道義に悖る! 話そう! 当事者は4人! 内2人は僕と香美だ!』