仮にもマレフィックな以上、もっとこう強力な特性だとしても不思議じゃ──…)
インラインスタンスに似た相手を威嚇する構えの青空。その腕に彼女そっくりの自動人形がぴょこりと乗った。
(モニター! さっき消したモニター! あれでリバースちゃんの様子見なきゃ、この上なくマズいです!)
ダイアルやレバーやスイッチを乱雑に押しまくった甲斐あって、砂嵐まみれの画面は視界を回復した。
その中では、ちょうど。
青空に似た人形が銃口にブラ下がるところだった。
どうやらその人形の頭頂部から延びる毛は、ストラップよろしく楕円の輪へ変じるらしい。
それが、銃口に掛った。
その中では、ちょうど。
青空に似た人形が銃口にブラ下がるところだった。
どうやらその人形の頭頂部から延びる毛は、ストラップよろしく楕円の輪へ変じるらしい。
それが、銃口に掛った。
(初めて見る形態です! まさか! まさか『特性』はあの形態から──!?」
サブマシンガン、イングラムM11の先端にあるサプレッサーから空気の奔流が射出された。不可思議だったのはその
瞬間、人形さえもうっすらと輝いたコトである。その残影はまるで透明な弾丸に引かれているようにモニターめがけ向かって
くる。
瞬間、人形さえもうっすらと輝いたコトである。その残影はまるで透明な弾丸に引かれているようにモニターめがけ向かって
くる。
(ま! まさかこのパターン! 弾丸がモニターを突き破ってここまで来るとかそーいうアレなのでしょーか!!)
井戸から出てきた怨霊が徐々にテレビの画面に迫って来て遂には出てくるという、「霊じゃなく憧れのアニメキャラならす
ごいいいのに」的なパターンを想定して身構えるクライマックスだったが、はてな。弾丸はモニターのやや上に直撃したきり
いっこう迫ってくる気配がない。
ごいいいのに」的なパターンを想定して身構えるクライマックスだったが、はてな。弾丸はモニターのやや上に直撃したきり
いっこう迫ってくる気配がない。
クライマックスは顎の汗を拭ったきりしばらく震えていたが、何事も起こらないのを認めると背筋をビンとし笑いたくる。
「ふ……ふはは! んな馬鹿なコトはありませんよね! だいたい予備モニターとぉ? 私の位置関係は一直線じゃないで
すもん。まさかモニターに入った弾丸がですよ、配線にきっちり沿ってビヤーとやって来て私をこの上なく正確に狙うなんてコト
あったーっ!!」
弾丸は意外なところから飛び出て来た。マイク。さきほど罵詈讒謗の限りを吹きこんだそこから透明な空気の奔流が飛び
出している。透明なのになぜ分かったかと言うと、うっすら輝き半透明にもくゆる青空人形の残滓がひっついているからだ。
すもん。まさかモニターに入った弾丸がですよ、配線にきっちり沿ってビヤーとやって来て私をこの上なく正確に狙うなんてコト
あったーっ!!」
弾丸は意外なところから飛び出て来た。マイク。さきほど罵詈讒謗の限りを吹きこんだそこから透明な空気の奔流が飛び
出している。透明なのになぜ分かったかと言うと、うっすら輝き半透明にもくゆる青空人形の残滓がひっついているからだ。
(は! まさか狙ったのはモニターじゃなくて……スピーカー!? でもどうして銃弾なのに音系統を狙……あ、いや! そ
んなコトより!)
んなコトより!)
疑問に固まる体を無理やり動かす。間に合った。銃弾はギリギリ横を通りすぎていった。そのまま千鳥足で両手を前へ前
へと回しながらマイクへとたどり着く。弾丸はスピーカーからマイクを介し出てきた。故に壊す。第2第3の銃撃を防ぐべく……
そう思ったクライマックスの背後で空気の奔流がねじ曲がる嫌な音がした。顔の左、3分の1ほどを覆う野暮ったい長髪が
舞い上がる。嫌な予感。半ば涙目で振り返る彼女は……。目撃。
へと回しながらマイクへとたどり着く。弾丸はスピーカーからマイクを介し出てきた。故に壊す。第2第3の銃撃を防ぐべく……
そう思ったクライマックスの背後で空気の奔流がねじ曲がる嫌な音がした。顔の左、3分の1ほどを覆う野暮ったい長髪が
舞い上がる。嫌な予感。半ば涙目で振り返る彼女は……。目撃。
人形の残影を引く弾丸が、こっちを見ている。
(待って下さい! 避けたのにどうして!?)
轟然と放たれた弾丸を避けるべくしゃがみ込む。それでは足らない、レッドアラートを付ける本能に従い右に側転。それは
申し分のない正解だった。なぜなら半透明の弾丸は、つい先ほど彼女のいた場所にめり込んでいる。だが勢いは死んでいな
い。着弾したそれが奇妙なうねりを上げている。傍の人形も笑みを消さぬ……。
いまにも来る。予感。狭い指令室の中をめいっぱい飛びのく。負けじと元気いっぱいの跳弾が向かってくる。
わずかだが、距離は取れた。およそ3メートル。ただし背中はいよいよ部屋の端、行き止まりに近づいている。
(落ち付くのですっ! ただの自動追尾なら対処できます! 慌ててはなりません!))
目を細め、腕を上げる。アラサーと跳弾の間に光が瞬いた。そこに5~6体の自動人形があるのを認めたクライマックスの
表情がやにわに明るくなった。一同に会している人形どもは、奇妙なコトにすべて、クライマックスと同じ姿、同じ衣装であった。
「どどどどーいう原理か知りませんけど、自動追尾ならそれなりの原理がある筈ですっ! いま出した自動人形はダミーフォー
ム! 体温動き脈拍身長指紋虹彩体重ぜーんぶ私と同じものですっ! 私を標的にした以上、狙うのはこの上なく前の方
にいる自動人形たちで……ゆええええ!?」
弾丸は一度空中へ跳ね上がり、迷うことなくクライマックスへと降り注いだ。自動人形など一切無視だ。
「いやああああああ! 許して! 許して下さい! 今までの悪口ぜんぶウソですからあ!!」
手を組み、ちょちょぎれんばかりの涙を流して歎願するが銃弾は止まる気配はない。むしろ後ろに張り付く人形は、残影は、
持ち主同様狂い笑う。
絶対に着弾してやる。逃げたきゃ逃げな無駄だけど。
申し分のない正解だった。なぜなら半透明の弾丸は、つい先ほど彼女のいた場所にめり込んでいる。だが勢いは死んでいな
い。着弾したそれが奇妙なうねりを上げている。傍の人形も笑みを消さぬ……。
いまにも来る。予感。狭い指令室の中をめいっぱい飛びのく。負けじと元気いっぱいの跳弾が向かってくる。
わずかだが、距離は取れた。およそ3メートル。ただし背中はいよいよ部屋の端、行き止まりに近づいている。
(落ち付くのですっ! ただの自動追尾なら対処できます! 慌ててはなりません!))
目を細め、腕を上げる。アラサーと跳弾の間に光が瞬いた。そこに5~6体の自動人形があるのを認めたクライマックスの
表情がやにわに明るくなった。一同に会している人形どもは、奇妙なコトにすべて、クライマックスと同じ姿、同じ衣装であった。
「どどどどーいう原理か知りませんけど、自動追尾ならそれなりの原理がある筈ですっ! いま出した自動人形はダミーフォー
ム! 体温動き脈拍身長指紋虹彩体重ぜーんぶ私と同じものですっ! 私を標的にした以上、狙うのはこの上なく前の方
にいる自動人形たちで……ゆええええ!?」
弾丸は一度空中へ跳ね上がり、迷うことなくクライマックスへと降り注いだ。自動人形など一切無視だ。
「いやああああああ! 許して! 許して下さい! 今までの悪口ぜんぶウソですからあ!!」
手を組み、ちょちょぎれんばかりの涙を流して歎願するが銃弾は止まる気配はない。むしろ後ろに張り付く人形は、残影は、
持ち主同様狂い笑う。
絶対に着弾してやる。逃げたきゃ逃げな無駄だけど。
そんな笑みから逃げようにも狭い運転室、後ろへ行けば壁がある。前にはわだかまる自動人形、互いの動きを牽制し合っ
ている。そうと気づかず突っ込んでしまったクライマックス、不覚にも転び足を取られる。ダミーフォーム。創造主をトレースする
という自動人形たち……踊り始める。主の無様を完璧に真似……。
(にゃああああああ! どうせ真似するなら前へ駆けてく私のマネも正確にして下さいよー! 変な場所でわだかまってるか
らもつれ合ってぐちゃぐちゃになって、んで、ぶつかっちゃうんですぅ! 広々とした場所なら一定間隔が置けたのに……置
けたのにぃ)
結果もんどりうつ彼女は自分の武装錬金の下敷きになり──…
「だああ有り得ません。この上なく有り得……あう」
迫りくる弾丸を額に浴びた。
ている。そうと気づかず突っ込んでしまったクライマックス、不覚にも転び足を取られる。ダミーフォーム。創造主をトレースする
という自動人形たち……踊り始める。主の無様を完璧に真似……。
(にゃああああああ! どうせ真似するなら前へ駆けてく私のマネも正確にして下さいよー! 変な場所でわだかまってるか
らもつれ合ってぐちゃぐちゃになって、んで、ぶつかっちゃうんですぅ! 広々とした場所なら一定間隔が置けたのに……置
けたのにぃ)
結果もんどりうつ彼女は自分の武装錬金の下敷きになり──…
「だああ有り得ません。この上なく有り得……あう」
迫りくる弾丸を額に浴びた。
『いっとくけど本当の地獄はここからよ』
ふっとサプレッサーを一吹き。装甲列車ににっこりと微笑む青空。
『喋っていいことなんて一つもないもの。特に私めを相手にした場合は、ね』
「幹部の強さは……分かりました。でも……お姉ちゃんも……それだけ…………強いんですか?」
『幹部というなら間違いなく、だ!』
「はい……お姉ちゃんは……海王星だ……そうです。武装錬金の特性を使えば……リーダーさえ勝てないと……」
ほう、と目を丸くした総角はすぐさま好奇心たっぷりの笑みを浮かべた。侮辱されという怒りなどまるでない、子供じみた好
奇心丸出しの笑みだ。それは多くの武装錬金を使えるがゆえの探究心。「自分を倒せる」という青空の武装錬金に興味が
あって仕方ないという様子である。
「ちなみにどんな特性か分かるか?」
赤い三つ編みが左右に振れた。
「お姉ちゃんは……私を撃つとき……特性を使いません……でした。ただ」
「ただ?」
「お姉ちゃん自身……だいぶ怖がっているようでした。……『たいがいエゲツなくてみんなも私もビビってる』……そうです」
『幹部というなら間違いなく、だ!』
「はい……お姉ちゃんは……海王星だ……そうです。武装錬金の特性を使えば……リーダーさえ勝てないと……」
ほう、と目を丸くした総角はすぐさま好奇心たっぷりの笑みを浮かべた。侮辱されという怒りなどまるでない、子供じみた好
奇心丸出しの笑みだ。それは多くの武装錬金を使えるがゆえの探究心。「自分を倒せる」という青空の武装錬金に興味が
あって仕方ないという様子である。
「ちなみにどんな特性か分かるか?」
赤い三つ編みが左右に振れた。
「お姉ちゃんは……私を撃つとき……特性を使いません……でした。ただ」
「ただ?」
「お姉ちゃん自身……だいぶ怖がっているようでした。……『たいがいエゲツなくてみんなも私もビビってる』……そうです」
『おとうさんがうたれた』
少年の訴えを聞くものはいなかった。
何故ならば「うたれた」場所は週末の遊園地で、「おとうさん」もピンピンしていたからだ。
銃声だって現になかった。大きな音といえば離れた孫娘を呼ぶどこかのお爺さんの声ぐらい……。
だが少年は確かに見た。人混みの隙間からピストル──銃口だった。テレビドラマやアニメで見るより重々しく光り、しか
も不気味に長い銀色──が「喋ってるおとうさん」を狙い、何かを噴くのを。
何故ならば「うたれた」場所は週末の遊園地で、「おとうさん」もピンピンしていたからだ。
銃声だって現になかった。大きな音といえば離れた孫娘を呼ぶどこかのお爺さんの声ぐらい……。
だが少年は確かに見た。人混みの隙間からピストル──銃口だった。テレビドラマやアニメで見るより重々しく光り、しか
も不気味に長い銀色──が「喋ってるおとうさん」を狙い、何かを噴くのを。
その瞬間、走ってきたおじいさんが銃身とおとうさんの間に割り込んできた。
”何か”は彼に当たったようだが……。
『おとうさんがうたれた』
銃撃より早くそう思った少年は、ただその衝撃だけを伝えた。前後の詳しい状況は抜きにして。
どうせ売店で売っているおもちゃか何かを誰かがふざけて向けたのだろう。
報告を聞いた「おとうさん」は笑った。そしてこうも続けた。
そんな事より一家団欒を楽しもう。
いつものように透通った、家族みんなを安心させてくれる笑顔を浮かべた「おとうさん」は「おかあさん」と「少年」と「いもう
と」にいった。
そんな事より一家団欒を楽しもう。
いつものように透通った、家族みんなを安心させてくれる笑顔を浮かべた「おとうさん」は「おかあさん」と「少年」と「いもう
と」にいった。
そのとき、後ろで見知らぬお爺さんが再び声を張り上げた。
声に籠る恐ろしい気迫、少年が悪事を働いた時におかあさんが降らせる怒鳴り声から、理性を全て抜いて代わりに憎しみ
と恐怖の綿をたんまり入れたようなおぞましさに思わず少年が振り返った時、お爺さんの足もとには鼻血を吹いて仰向けに
転がる女の子(幼稚園ぐらい)がいた。
恐らく蹴られたのだろう。ピクリともせず瞬きもせず、ただ黒々とした大きな瞳を空に向けていた。頭の大事な部分を打っ
てしまったのかも知れない。同じくらいの年齢の”いもうと”は直観的恐怖に泣きだした。
お爺さんが係員に押さえつけられたのに少し遅れて、おかあさんが少年といもうとの前に立ちはだかった。
後はただ聞くに堪えないお爺さんの喚き声だけが響いた。人混みは俄かに凍り付き、ひそひそとした野暮ったいやりとり
ばかりが残された。
「はぐれたからって何も蹴らなくても……」、おかあさんは眉を顰め、おとうさんも同意を示した。
しかし少年だけは別の感想を抱いた。何故なら彼は振りかえった瞬間、お爺さんの目を見てしまった。
まったく焦点の合わない、この世の物とはまったく別の物を見ているような目。
係員に押さえつけられても視線はあらぬ方ばかり見つめていた。というより自分が押さえつけられているという自覚さえ
持てていないようだった。まるで少年達には見えない『何か』とだけ闘っているような……そんな眼差し。
と恐怖の綿をたんまり入れたようなおぞましさに思わず少年が振り返った時、お爺さんの足もとには鼻血を吹いて仰向けに
転がる女の子(幼稚園ぐらい)がいた。
恐らく蹴られたのだろう。ピクリともせず瞬きもせず、ただ黒々とした大きな瞳を空に向けていた。頭の大事な部分を打っ
てしまったのかも知れない。同じくらいの年齢の”いもうと”は直観的恐怖に泣きだした。
お爺さんが係員に押さえつけられたのに少し遅れて、おかあさんが少年といもうとの前に立ちはだかった。
後はただ聞くに堪えないお爺さんの喚き声だけが響いた。人混みは俄かに凍り付き、ひそひそとした野暮ったいやりとり
ばかりが残された。
「はぐれたからって何も蹴らなくても……」、おかあさんは眉を顰め、おとうさんも同意を示した。
しかし少年だけは別の感想を抱いた。何故なら彼は振りかえった瞬間、お爺さんの目を見てしまった。
まったく焦点の合わない、この世の物とはまったく別の物を見ているような目。
係員に押さえつけられても視線はあらぬ方ばかり見つめていた。というより自分が押さえつけられているという自覚さえ
持てていないようだった。まるで少年達には見えない『何か』とだけ闘っているような……そんな眼差し。
しかしそれをおとうさんに教えても、「またおかしな事をいう」と笑われそうだった。笑われるだけならいいが、せっかく遊園
地に連れて来てくれたお父さんに何度もおかしな事をいい機嫌を損ねるのは申し訳なかったので──…
来年中学生になる少年は黙った。
地に連れて来てくれたお父さんに何度もおかしな事をいい機嫌を損ねるのは申し訳なかったので──…
来年中学生になる少年は黙った。
そしてこれが最後の一家団欒になった。
ほの暗い場所に細長い影が突っ伏していた。人の、影だった。もっと正確にいえば黒いワンピースの上で長い黒髪をざっ
くりバラ撒ける女性の細い体がうつ伏せに倒れていた。着衣はお世辞にもお洒落とはいいがたい。量販店の特価品を適当
に洗って使い回しているのだろう。白いダマのついたあちこちの繊維はそれ自体もザラザラと荒れ、長い袖口はほつれ糸を
垂らしている。このまま恋も目標もないだらしない生活サイクルの中で漫然と使い続ければ数年後間違いなく破綻する──
それは服だけでなく、艶のない、パサついた髪にもいえたが──ワンピースが軽く打ち震えた。同時にあくびを思わせる呻
き声が漏れた。影の首だけが動き、それは依然突っ伏したままの全身の中で唯一前だけを見た。直立状態であれば「上を
見た」という方が正しい位置に移動し、取りとめのない声を漏らした。
くりバラ撒ける女性の細い体がうつ伏せに倒れていた。着衣はお世辞にもお洒落とはいいがたい。量販店の特価品を適当
に洗って使い回しているのだろう。白いダマのついたあちこちの繊維はそれ自体もザラザラと荒れ、長い袖口はほつれ糸を
垂らしている。このまま恋も目標もないだらしない生活サイクルの中で漫然と使い続ければ数年後間違いなく破綻する──
それは服だけでなく、艶のない、パサついた髪にもいえたが──ワンピースが軽く打ち震えた。同時にあくびを思わせる呻
き声が漏れた。影の首だけが動き、それは依然突っ伏したままの全身の中で唯一前だけを見た。直立状態であれば「上を
見た」という方が正しい位置に移動し、取りとめのない声を漏らした。
「あれ? なんともない?」
額に不可解な弾丸──半透明の人形がおまけのように尾を引く──を浴びたクライマックスは不思議そうに呟いた。撃
たれた箇所をさすってみる。異変はない。もうすぐ三十路になる女性としては破格的に滑らかな肌は無傷である。腫れても
いない。そーいや指が触れても痛くなかったと気付いたのは地面にわだかまる黒髪をやっとの思いで引き上げ立ち上がっ
た瞬間である。だが新たな疑問も浮かんだ。
(なんで立てたのデスか私?)
首を捻る。先ほど自分の背中に山と積まれていた自動人形たちはどこへ消えたのだろう。アレが夢でないコトは背中一面
に走る鈍痛が嫌というほど証明している。やるせない。そんな気持ちでメガネをくいと掛け直す。
(高出力のホムンクルスだから起きる時に跳ね除けちゃいましたか? それともこの上なく無意識の解除……?)
ぐづぐづ鼻をすすりながら辺りを見回す。自動人形はない。仮説は後者のが正しいのか? そこまで思いを巡らしたとき、
クライマックスは眼前の光景に息を呑んだ。
「どこ? ココ? この上なくドコですか?」
景色は一変していた。先ほどまでいた装甲列車の狭苦しい運転席が消滅し、代わりに真っ暗な空間がどこまでも広がっ
ていた。一瞬、あの弾丸の特性が視力奪取で自分はいま盲目なのではないかと疑いもしたが、試しに目の前で振った右手
はまったく鮮明なまでに見えた。つまり盲目ではない。ただ真暗な空間にいる。光なき、静かな世界に。
「…………る」
そこに、音が響いた。声のようだった。
「………けるける」
耳を澄まさねば聞き逃しそうな小さな声。不意に響いたそれに背筋を粟立てながらなおクライマックスが発信元を求めた
のは単純にいえば好奇心である。
たれた箇所をさすってみる。異変はない。もうすぐ三十路になる女性としては破格的に滑らかな肌は無傷である。腫れても
いない。そーいや指が触れても痛くなかったと気付いたのは地面にわだかまる黒髪をやっとの思いで引き上げ立ち上がっ
た瞬間である。だが新たな疑問も浮かんだ。
(なんで立てたのデスか私?)
首を捻る。先ほど自分の背中に山と積まれていた自動人形たちはどこへ消えたのだろう。アレが夢でないコトは背中一面
に走る鈍痛が嫌というほど証明している。やるせない。そんな気持ちでメガネをくいと掛け直す。
(高出力のホムンクルスだから起きる時に跳ね除けちゃいましたか? それともこの上なく無意識の解除……?)
ぐづぐづ鼻をすすりながら辺りを見回す。自動人形はない。仮説は後者のが正しいのか? そこまで思いを巡らしたとき、
クライマックスは眼前の光景に息を呑んだ。
「どこ? ココ? この上なくドコですか?」
景色は一変していた。先ほどまでいた装甲列車の狭苦しい運転席が消滅し、代わりに真っ暗な空間がどこまでも広がっ
ていた。一瞬、あの弾丸の特性が視力奪取で自分はいま盲目なのではないかと疑いもしたが、試しに目の前で振った右手
はまったく鮮明なまでに見えた。つまり盲目ではない。ただ真暗な空間にいる。光なき、静かな世界に。
「…………る」
そこに、音が響いた。声のようだった。
「………けるける」
耳を澄まさねば聞き逃しそうな小さな声。不意に響いたそれに背筋を粟立てながらなおクライマックスが発信元を求めた
のは単純にいえば好奇心である。
青空の武装錬金特性を乗せた弾丸、それは確かに直撃した。
だがその効能はいまだ分からない。痛みは特にない。体調不良も。自分の武装錬金が自動人形込みで消滅しているの
は不可解といえば不可解だが、辺りに広がっているのは暗いだけの空間で、まあ安全じゃないかとクライマックスは思う
のだ。
は不可解といえば不可解だが、辺りに広がっているのは暗いだけの空間で、まあ安全じゃないかとクライマックスは思う
のだ。
(だいたいですね! 武装錬金の特性っていうのはこの上なく単純なのですっ! たぶんアレですよ。リバースちゃんの武
装錬金の特性は弾丸操作あたり……。ほら、精密射撃が得意だ得意だっていってたし、それでスピーカーに弾丸潜り込
ませて私を狙ったはずなのです! 私と指紋虹彩その他いろいろまったく同じだったダミー人形無視したのも多分そのせい!
特性は自動追尾じゃない筈だし、辺りが暗いのは私が武装錬金の制御を欠いたせいです! うむうむうむ! きっとそう
ですこの上なくっ!)
装錬金の特性は弾丸操作あたり……。ほら、精密射撃が得意だ得意だっていってたし、それでスピーカーに弾丸潜り込
ませて私を狙ったはずなのです! 私と指紋虹彩その他いろいろまったく同じだったダミー人形無視したのも多分そのせい!
特性は自動追尾じゃない筈だし、辺りが暗いのは私が武装錬金の制御を欠いたせいです! うむうむうむ! きっとそう
ですこの上なくっ!)
頷きながら気楽な調子で声の出所を追う。きっとリバースこと青空が居て「分かるでしょもうケンカやめましょう」とでも喋っ
ているに違いない。だから停戦協定には応じよう。どう見ても完敗だが「これ以上続けるのは大人げない(まあ続けても勝
てますけどねリバースちゃんの顔を立ててすっこみます」なる勿体ぶった態度を取れば引き分けぐらいには持ち込める。
名誉を保ったまま引き下がれる。などとい汚い笑みを浮かべるクライマックスは……いつしか自らの視界がある一点に留っ
てまっているのに気づいた。
釘付け、といっていい。
なぜなら20メートル先のその地点には。
声の出所には。
ているに違いない。だから停戦協定には応じよう。どう見ても完敗だが「これ以上続けるのは大人げない(まあ続けても勝
てますけどねリバースちゃんの顔を立ててすっこみます」なる勿体ぶった態度を取れば引き分けぐらいには持ち込める。
名誉を保ったまま引き下がれる。などとい汚い笑みを浮かべるクライマックスは……いつしか自らの視界がある一点に留っ
てまっているのに気づいた。
釘付け、といっていい。
なぜなら20メートル先のその地点には。
声の出所には。
妙な物がいた。
「けるけるける」
『それ』はクライマックスに背を向けて、座りこんでいた。笑っているのか泣いているのか名状しがたい声を上げながら、ひっ
きりなしに肩を震わせているのが遠目からでも見えた。いや、遠目から見えるほど、肩に力を込めているらしかった。
姿は怪物……ではない。
人間のようだった。
女性のようだった。
主婦の、ようだった。
洒落っ気のない生活臭にあふれたTシャツの上で美容を忘れて久しいパサパサ髪を声とともに震わせながら、『それ』は
何らかの作業に没頭しているようだった。
きりなしに肩を震わせているのが遠目からでも見えた。いや、遠目から見えるほど、肩に力を込めているらしかった。
姿は怪物……ではない。
人間のようだった。
女性のようだった。
主婦の、ようだった。
洒落っ気のない生活臭にあふれたTシャツの上で美容を忘れて久しいパサパサ髪を声とともに震わせながら、『それ』は
何らかの作業に没頭しているようだった。
「けるけるけるけるけるける」
「けるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるける」
「けるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるける」
時折大きく息を吐くたびその声は途切れ、一瞬の中断の後にますます力を込めていく。
クライマックスの小さな喉首の中で落ちゆく唾液が空虚な引き攣りを起こした。
(……誰? というか……何なの?)
気配を感じたのか、笑いが止まった。そして『それ』は首を捻じ曲げ、顔の右半分だけをクライマックスに見せた。
安堵が起こる。その横顔は普通の女性の物だった。美人、といっていいだろう。だらしなく笑う唇から幾筋もの涎が垂れ
ているところは流石に正気と言い難いが、クライマックスが常日頃見てやまぬ異形のホムンクルスどもに比べればまだま
だ、笑う青空のがはるかに怖い。
(ところで誰かに似ているような気もするのですが……。この上なくどこかで見たことある顔立ちです)
よく分からないが、人間ならどうとでもできる。人型ホムンクルスかも知れないが、「私は一応幹部です。しかも調整体。
ただの人型には負けませんよ!」的な自信がクライマックスをドンと後押しした。
「あのー。何してたんですかこの上なく? というかココ……どこなんでしょーか」
柔らかい言葉に呼応したのか。その女性は「ける」と一鳴きするとゆっくり振り向く。体ごと、ゆっくりと。
クライマックスの小さな喉首の中で落ちゆく唾液が空虚な引き攣りを起こした。
(……誰? というか……何なの?)
気配を感じたのか、笑いが止まった。そして『それ』は首を捻じ曲げ、顔の右半分だけをクライマックスに見せた。
安堵が起こる。その横顔は普通の女性の物だった。美人、といっていいだろう。だらしなく笑う唇から幾筋もの涎が垂れ
ているところは流石に正気と言い難いが、クライマックスが常日頃見てやまぬ異形のホムンクルスどもに比べればまだま
だ、笑う青空のがはるかに怖い。
(ところで誰かに似ているような気もするのですが……。この上なくどこかで見たことある顔立ちです)
よく分からないが、人間ならどうとでもできる。人型ホムンクルスかも知れないが、「私は一応幹部です。しかも調整体。
ただの人型には負けませんよ!」的な自信がクライマックスをドンと後押しした。
「あのー。何してたんですかこの上なく? というかココ……どこなんでしょーか」
柔らかい言葉に呼応したのか。その女性は「ける」と一鳴きするとゆっくり振り向く。体ごと、ゆっくりと。
「いっぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
喉がそのまま爆裂しそうな叫び声をあげるやいなやクライマックスは反転。迷うコトなく後方めがけ駆けていた。
「けるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるけるける」
何がおかしいのか。女性は左こめかみのあたりからけたたましい声を漏らしている。眼窩があるべき場所に目玉はなかっ
た。そこからこめかみまで巨大な楕円に侵食され、穴の周りには桃色の粘膜が隆々とまとわりついている。唇に似た粘膜が
中央に向かってすぼむたび愉悦とも嗚咽ともつかぬ”けるける”が薄暗い空間に響いていく。そのド真ん中の暗い穴の中に
白い歯が無軌道に生えているのを見た瞬間、クライマックスは走っていた。踵を返し、滝の涙を屈折させ。
(なんですかアレなんですかアレなんですかアレなんですかアレええええええええええ!!!)
顔の右半分は普通の女性だった。だが左は違う。『口』のすぐ横、鼻梁のすぐ左側に単眼畸形のような巨大な瞳が縦につ
いていた。死人のように白い右とは対照的に、左の肌はサーモンピンクに染まり青色の静脈を随所にぴくぴくと波打たせて
いるのはまったく以て正視に堪えぬ、馬鹿げた有様だった。
だが走り出したその先にも『それ』はいる。唖然としつつ振り返る。やはり居る。良く見ると女性の向こう側には冴えない
後姿で立ちすくむアラサー、つまりクライマックスもいる。
その向こうには『それ』、アラサー、『それ』……。合わせ鏡の連続だった。
「けるけるけるける」
『それ』が視線を落とした。クライマックスなどどうでもいいのだろう。声がかかったのでちょっと反応した……という位ですぐに
興味を無くしたのだろう。
女性は座ったままの体をちょっとばかし前傾させ──…
それまでの作業を、再開した。
(ひっ)
息を呑むクライマックスのはるか先にいる『それ』の前には……
赤ちゃんがいた。
普通の顔つき。愛らしいといっていって過言ではない。クライマックスでさえ母性を刺激され抱っこしたくなるほど──だが
そうした場合、たいてい無残な死を遂げる。『好きな物ほど惨死する』。それがクライマックスの不幸体質──だった。
た。そこからこめかみまで巨大な楕円に侵食され、穴の周りには桃色の粘膜が隆々とまとわりついている。唇に似た粘膜が
中央に向かってすぼむたび愉悦とも嗚咽ともつかぬ”けるける”が薄暗い空間に響いていく。そのド真ん中の暗い穴の中に
白い歯が無軌道に生えているのを見た瞬間、クライマックスは走っていた。踵を返し、滝の涙を屈折させ。
(なんですかアレなんですかアレなんですかアレなんですかアレええええええええええ!!!)
顔の右半分は普通の女性だった。だが左は違う。『口』のすぐ横、鼻梁のすぐ左側に単眼畸形のような巨大な瞳が縦につ
いていた。死人のように白い右とは対照的に、左の肌はサーモンピンクに染まり青色の静脈を随所にぴくぴくと波打たせて
いるのはまったく以て正視に堪えぬ、馬鹿げた有様だった。
だが走り出したその先にも『それ』はいる。唖然としつつ振り返る。やはり居る。良く見ると女性の向こう側には冴えない
後姿で立ちすくむアラサー、つまりクライマックスもいる。
その向こうには『それ』、アラサー、『それ』……。合わせ鏡の連続だった。
「けるけるけるける」
『それ』が視線を落とした。クライマックスなどどうでもいいのだろう。声がかかったのでちょっと反応した……という位ですぐに
興味を無くしたのだろう。
女性は座ったままの体をちょっとばかし前傾させ──…
それまでの作業を、再開した。
(ひっ)
息を呑むクライマックスのはるか先にいる『それ』の前には……
赤ちゃんがいた。
普通の顔つき。愛らしいといっていって過言ではない。クライマックスでさえ母性を刺激され抱っこしたくなるほど──だが
そうした場合、たいてい無残な死を遂げる。『好きな物ほど惨死する』。それがクライマックスの不幸体質──だった。
とにかく赤ん坊の首を『それ』が絞めていた。
ひょっとしたら振り返る時さえ手を離していなかったのか。
けるける。けるけるけるける。まるで赤ん坊をあやしているような他愛もない、どこか舌を巻いているような声を漏らしながら
もありったけの力を込めて絞めていた。
(やめて……)
ホムンクルスよりもおぞましい怪物が赤ん坊を絞め殺す光景。本能的な耐えがたさがあった。
けるける。けるけるけるける。まるで赤ん坊をあやしているような他愛もない、どこか舌を巻いているような声を漏らしながら
もありったけの力を込めて絞めていた。
(やめて……)
ホムンクルスよりもおぞましい怪物が赤ん坊を絞め殺す光景。本能的な耐えがたさがあった。
ほやほやとした白い肌。
柔らかな産毛がうっすら生える頭。
穢れを知らない大きな瞳。
柔らかな産毛がうっすら生える頭。
穢れを知らない大きな瞳。
抱っこすればきっと屈託のない笑みを浮かべるだろう赤ちゃんは、クライマックスにとって、理想の終着だった。
彼女が人を殺したいと欲するのは不幸体質を治したいがためだ。誰でもいいからとっと殺(や)ってババを押し付け、恋を
して結婚をしたい。人類史上あまたの女性がくぐり抜けてきた激痛と莫大な消耗を経た後、産婦人科のベッドの上で布にく
るまれた赤ちゃんを抱っこして、産湯の匂いを吸いこんで……「ありがとう」。涙とともに限りない愛情を伝えたい。未来の旦
那様が頑張ったなと泣いてくれたら最上級の幸せだ。
して結婚をしたい。人類史上あまたの女性がくぐり抜けてきた激痛と莫大な消耗を経た後、産婦人科のベッドの上で布にく
るまれた赤ちゃんを抱っこして、産湯の匂いを吸いこんで……「ありがとう」。涙とともに限りない愛情を伝えたい。未来の旦
那様が頑張ったなと泣いてくれたら最上級の幸せだ。
だからだろうか。クライマックスは引き攣った制止の声を上げていた。
「やめ──…」
悲鳴のような声を上げかけた瞬間、事態はますます奇妙な方向へ傾いた。
赤ん坊の首を絞めていた『それ』の腕が血を吹き、ばらばらと崩れ始めた。腕だけではない。異様な顔つきも胸も腹も足
も、空中で瓦解する。破片を黄色い汚穢(おわい)と化しながら消えていく。チアノーゼをきたしていた赤ん坊の顔が今度は
黄色く染まる。距離を置いているクライマックスでさえ”えづく”ほどの強烈な酸味。次いで化膿した傷口特有の腐敗臭。嗅
覚が全力で嘔吐感を盾にしたがる──まっとうに嗅ぐぐらいなら胃酸でぐっさぐっさに溶けた吐瀉物の生臭さを選ぶぜ、そ
れが全嗅覚受容体の総意らしかった──痛烈な臭いが辺りに立ち込めた。
何が何だか分からない。しばし呆然と立ちすくんだクライマックスは慌てて首を振った。
赤ちゃん。首を絞められていた赤ちゃん。放置していいものではない。母性のもたらす一抹の正義感の及ぶまま、クライマッ
クスはどたどたと駆け寄った。近づくたび濃くなる悪臭などとっくに意識の外だった。
「おぎゃああああああ」
泣き声。良かった生きている……感涙さえ流していた筈のクライマックスが──…
息を呑み、後ずさったのは。
「でぇへでぇへでぇへでぇへでぇへ」
頬の中が見えた。色素がまるで沈着していないおろしたての粘膜がぬらぬらと波を打っていた。口はまったく閉じられる気
配がない。なぜなら下顎から下がぐっさりと潰れていたからだ。正確にいえば全開状態の顎が「もっと開けよ」とばかり下に
やられそれが喉ごと潰されているようだった。余程強い衝撃でなめされたらしい。愛らしい下唇はその裏側も露に胸までビィー
んと伸ばされており──クライマックスはそれに見覚えがあった。ネコ。出勤途中に威嚇ばかりしてきたネコ。大嫌いなそれ
が実は子猫を守っていると知った日からシャーシャー吹かれながらも餌を与え続けた。そしてついに手からエサを食べて貰
った瞬間……思った。『大好き』。ダンプが突っ込んできてネコは3匹の子供ごと2m近い毛皮になめされた。肉の潰れ具合と
損壊っぷりは正にいまの赤ん坊の下唇にそっくりだった──醜く抉れた喉首と癒着をきたしてもいる。そもそも首の方向も
正常とは言い難かった。右に向かって傾いている。左側からせり出した奇怪な瘤が肉や唇を螺旋状に取り込みながら新鮮
な口腔粘膜に伸びている様はクライマックスが母性を捨てるに十分な有様で、しかも瘤は扁桃腺とひっついてるようだった。
そして顔の中央までばっくりと開いた口の更に上で、赤ん坊は造詣の不出来をネタにする芸人よろしくつくづく醜い瞠目を
やらかしている。
「でぇへでぇへでぇへでぇへでぇへ」
そして笑う。壊れた人形より傾く首をぎこちなく動かして。
糸のような目は確かに自分を捉えており、クライマックスはただ声にならない弁解とともに後ずさる。
「でぇへでぇへでぇへでぇへでぇへ」
赤ん坊が眼を開けた。血のように真赤な瞳だった。目を開く作業は彼(彼女?)に相当の消耗をもたらしたと見え、産湯
の匂いのする温かな肌が一瞬にして重篤な皮膚病患者よろしく赤く爛れた。
それが。
宙に浮かびあがった。
「ひい!!」
「でぇへでぇへでぇへでぇへでぇへ」
絹を裂くような悲鳴に反応したのか。赤ん坊は丸っこい手をばたばたしながら向かってくる。速度はそれほど速くない。全
力で何とかなるレベル! 最近運動してない27歳は逃れた後の呼吸困難さえ考えずただまろぶように反転し、全速力で
駆けだした。
「でぇへでぇへでぇへでぇへでぇへ」
真赤な瞳の赤ん坊が、すぐ前に居た。
「ぎゃああああああああああああああああ!!」
忘れていた! 先ほど首締めをやってた「けるける」は振り返ってなおそこにいた! 合わせ鏡のように絶え間なく空間の
向こうまでクライマックスとともにそこにいた! 後ろに走っても赤ん坊がいる……その可能性を吟じてから走るべきだった。
「いやあああああああ! 来ないでえええええっ!!!」
後悔ともに振り払う。目的はいともたやすく達成された。手の甲を浴びた赤ん坊は即座に霧消した。砕けた、という感じで
はない。例えばプロジェクターの前で手を振ると、影の面積分映像が消える。そんな感じだった。実体のないものを追い散
らしたというべきか。とにかく赤ん坊は消えた。
「おぎゃああああおぎゃあああ」
ほっとしたのもつかの間。声がした。顔面蒼白で周囲を見回したクライマックスだが、しかし視界の及ぶ範囲にはまったく
何者も存在していない。空耳。きっと疲れているのクライマックス。何かの海外ドラマの真似を口の中でしながら微苦笑する。
とにかく帰ろう。そう決めて、歩きだす。
「おぎゃああああおぎゃあああ」
また声がした。全身を悪寒が貫く。空耳というにはあまりにリアルな声だった。確かに鼓膜を叩かれた覚えがある。恐る恐る
辺りを見回す。何もいない。いくら眼を凝らしても、何もいない。
(…………)
嫌な予感。口の中をだくだくと湿らす抗菌性の液体を適当に丸めて嚥下する。声。元声優のクライマックスは商売道具でいか
に遠近感を出すか研究したコトがある。だからか。少し冷静になると「おぎゃあ」の出所がひどく正確につかめてきた。
悲鳴のような声を上げかけた瞬間、事態はますます奇妙な方向へ傾いた。
赤ん坊の首を絞めていた『それ』の腕が血を吹き、ばらばらと崩れ始めた。腕だけではない。異様な顔つきも胸も腹も足
も、空中で瓦解する。破片を黄色い汚穢(おわい)と化しながら消えていく。チアノーゼをきたしていた赤ん坊の顔が今度は
黄色く染まる。距離を置いているクライマックスでさえ”えづく”ほどの強烈な酸味。次いで化膿した傷口特有の腐敗臭。嗅
覚が全力で嘔吐感を盾にしたがる──まっとうに嗅ぐぐらいなら胃酸でぐっさぐっさに溶けた吐瀉物の生臭さを選ぶぜ、そ
れが全嗅覚受容体の総意らしかった──痛烈な臭いが辺りに立ち込めた。
何が何だか分からない。しばし呆然と立ちすくんだクライマックスは慌てて首を振った。
赤ちゃん。首を絞められていた赤ちゃん。放置していいものではない。母性のもたらす一抹の正義感の及ぶまま、クライマッ
クスはどたどたと駆け寄った。近づくたび濃くなる悪臭などとっくに意識の外だった。
「おぎゃああああああ」
泣き声。良かった生きている……感涙さえ流していた筈のクライマックスが──…
息を呑み、後ずさったのは。
「でぇへでぇへでぇへでぇへでぇへ」
頬の中が見えた。色素がまるで沈着していないおろしたての粘膜がぬらぬらと波を打っていた。口はまったく閉じられる気
配がない。なぜなら下顎から下がぐっさりと潰れていたからだ。正確にいえば全開状態の顎が「もっと開けよ」とばかり下に
やられそれが喉ごと潰されているようだった。余程強い衝撃でなめされたらしい。愛らしい下唇はその裏側も露に胸までビィー
んと伸ばされており──クライマックスはそれに見覚えがあった。ネコ。出勤途中に威嚇ばかりしてきたネコ。大嫌いなそれ
が実は子猫を守っていると知った日からシャーシャー吹かれながらも餌を与え続けた。そしてついに手からエサを食べて貰
った瞬間……思った。『大好き』。ダンプが突っ込んできてネコは3匹の子供ごと2m近い毛皮になめされた。肉の潰れ具合と
損壊っぷりは正にいまの赤ん坊の下唇にそっくりだった──醜く抉れた喉首と癒着をきたしてもいる。そもそも首の方向も
正常とは言い難かった。右に向かって傾いている。左側からせり出した奇怪な瘤が肉や唇を螺旋状に取り込みながら新鮮
な口腔粘膜に伸びている様はクライマックスが母性を捨てるに十分な有様で、しかも瘤は扁桃腺とひっついてるようだった。
そして顔の中央までばっくりと開いた口の更に上で、赤ん坊は造詣の不出来をネタにする芸人よろしくつくづく醜い瞠目を
やらかしている。
「でぇへでぇへでぇへでぇへでぇへ」
そして笑う。壊れた人形より傾く首をぎこちなく動かして。
糸のような目は確かに自分を捉えており、クライマックスはただ声にならない弁解とともに後ずさる。
「でぇへでぇへでぇへでぇへでぇへ」
赤ん坊が眼を開けた。血のように真赤な瞳だった。目を開く作業は彼(彼女?)に相当の消耗をもたらしたと見え、産湯
の匂いのする温かな肌が一瞬にして重篤な皮膚病患者よろしく赤く爛れた。
それが。
宙に浮かびあがった。
「ひい!!」
「でぇへでぇへでぇへでぇへでぇへ」
絹を裂くような悲鳴に反応したのか。赤ん坊は丸っこい手をばたばたしながら向かってくる。速度はそれほど速くない。全
力で何とかなるレベル! 最近運動してない27歳は逃れた後の呼吸困難さえ考えずただまろぶように反転し、全速力で
駆けだした。
「でぇへでぇへでぇへでぇへでぇへ」
真赤な瞳の赤ん坊が、すぐ前に居た。
「ぎゃああああああああああああああああ!!」
忘れていた! 先ほど首締めをやってた「けるける」は振り返ってなおそこにいた! 合わせ鏡のように絶え間なく空間の
向こうまでクライマックスとともにそこにいた! 後ろに走っても赤ん坊がいる……その可能性を吟じてから走るべきだった。
「いやあああああああ! 来ないでえええええっ!!!」
後悔ともに振り払う。目的はいともたやすく達成された。手の甲を浴びた赤ん坊は即座に霧消した。砕けた、という感じで
はない。例えばプロジェクターの前で手を振ると、影の面積分映像が消える。そんな感じだった。実体のないものを追い散
らしたというべきか。とにかく赤ん坊は消えた。
「おぎゃああああおぎゃあああ」
ほっとしたのもつかの間。声がした。顔面蒼白で周囲を見回したクライマックスだが、しかし視界の及ぶ範囲にはまったく
何者も存在していない。空耳。きっと疲れているのクライマックス。何かの海外ドラマの真似を口の中でしながら微苦笑する。
とにかく帰ろう。そう決めて、歩きだす。
「おぎゃああああおぎゃあああ」
また声がした。全身を悪寒が貫く。空耳というにはあまりにリアルな声だった。確かに鼓膜を叩かれた覚えがある。恐る恐る
辺りを見回す。何もいない。いくら眼を凝らしても、何もいない。
(…………)
嫌な予感。口の中をだくだくと湿らす抗菌性の液体を適当に丸めて嚥下する。声。元声優のクライマックスは商売道具でいか
に遠近感を出すか研究したコトがある。だからか。少し冷静になると「おぎゃあ」の出所がひどく正確につかめてきた。
だがそれは、決して認めたくない事実だった。
「おぎゃああああおぎゃあああ」
いやいやと首を振りながら、視線だけを自分の腕にやる。
先ほど赤ん坊を振り払ったその腕へと。
「おぎゃああああおぎゃあああ」
声は、そこからしていた。
「おぎゃああああおぎゃあああ」
「…………!!?」
野暮ったい長袖の上からでも分かる。
腕は波打っている。指先まで行った血液が心臓に戻るべくそうするように、肘を通り肩を目指しているようだった。
いやいやと首を振りながら、視線だけを自分の腕にやる。
先ほど赤ん坊を振り払ったその腕へと。
「おぎゃああああおぎゃあああ」
声は、そこからしていた。
「おぎゃああああおぎゃあああ」
「…………!!?」
野暮ったい長袖の上からでも分かる。
腕は波打っている。指先まで行った血液が心臓に戻るべくそうするように、肘を通り肩を目指しているようだった。
その間にも声は近づく。もうクライマックスは言葉もない。
歯の根を打ち鳴らす彼女は見た。見てしまった。
「でぇへでぇへでぇへでぇへでぇへ」
真赤な目の赤ん坊が2体、冴えないアラサーの足を掴んでいるのを。
真赤な目の赤ん坊が2体、冴えないアラサーの足を掴んでいるのを。
しかも赤ん坊はクライマックスの体からボコボコと出てくる。
手から、腹から、太ももから……。グレムリンが増えるように次から次へと──…
「体内…………近い声は…………中から…………」
赤ん坊が一体、頬に手を伸ばし──…
主演作第28話、圧倒的な敵の幹部相手に上げた『声優史上ベストテンに入る絶叫』。
ブランク久しいクライマックス=アーマードはこの日それを再現した。
遊園地に行った日からしばらく経つと、「おとうさん」はよく「おかあさんたち」を殴るようになった。
みんなでテレビを見ている時、食事を食べている時、ペットショップで子犬を物色している時。
突然声をあげればそれが合図だ。定まらぬ眼で虚空を見つめて暴れ出す。テレビに灰皿を投げ箸をへし折り、保健所か
ら救出された「心優しい人誰か助けて上げてください」の幼い雑種犬を地団太とともに踏み砕く。
そして喚くのだ。来るな。やめろ。離せ。
大きな声が轟くたび、制止に入る「おかあさん」の顔に痣が増えていく。
だが彼は憎悪によって暴れている訳ではない。だからこそ皆不幸だった。彼含め誰もが……不幸だった。
原因不明の幻覚症。どの病院に行っても同じ診断が下された。事実「おとうさん」が暴れる時、必ず彼は恐怖に拡充しきっ
た瞳を虚空に向けていた。「あかあさん」の鼻に包丁を刺し一生鼻水がそこから漏れ続ける穴を開けた時も、「いもうと」の
膝を蹴り抜いて杖なしの生活を奪った時も、常にどこか別の場所を見ているようだった。少年が顔面に陶器皿を浴びた時も
殴られた3本の肋骨が肺に食い込んでいる時も、「おとうさん」は虚空の『何か』に来るな来るなと悲鳴を上げ、物を投げ、
拳を出して蹴りを繰り出していた。
そういう時は遠巻きに見ているのが一番安全だった。最初は近づいて止めようとした。助けだって近所から呼んだ。だが
決して止まらない。何を呼びかけても伝えても、彼は暴れ続けた。気立てのよかった近所のおじさん──夏はよく釣りに連
れていってくれた──が左腕を折られ疎遠になった辺りで一家は気付き始めていた。1時間。それだけ暴れると「おとうさん」
は正気に戻る。戻って、家の隅で抱き合って震えている家族を一瞥すると、止まらない鼻水でボロボロの服を汚す妻を見る
と、5本目の杖を折られ逃げようにも逃げられない娘を見ると、彼は涙ぐみながら乱痴気騒ぎの後片付けを始める。
みんなでテレビを見ている時、食事を食べている時、ペットショップで子犬を物色している時。
突然声をあげればそれが合図だ。定まらぬ眼で虚空を見つめて暴れ出す。テレビに灰皿を投げ箸をへし折り、保健所か
ら救出された「心優しい人誰か助けて上げてください」の幼い雑種犬を地団太とともに踏み砕く。
そして喚くのだ。来るな。やめろ。離せ。
大きな声が轟くたび、制止に入る「おかあさん」の顔に痣が増えていく。
だが彼は憎悪によって暴れている訳ではない。だからこそ皆不幸だった。彼含め誰もが……不幸だった。
原因不明の幻覚症。どの病院に行っても同じ診断が下された。事実「おとうさん」が暴れる時、必ず彼は恐怖に拡充しきっ
た瞳を虚空に向けていた。「あかあさん」の鼻に包丁を刺し一生鼻水がそこから漏れ続ける穴を開けた時も、「いもうと」の
膝を蹴り抜いて杖なしの生活を奪った時も、常にどこか別の場所を見ているようだった。少年が顔面に陶器皿を浴びた時も
殴られた3本の肋骨が肺に食い込んでいる時も、「おとうさん」は虚空の『何か』に来るな来るなと悲鳴を上げ、物を投げ、
拳を出して蹴りを繰り出していた。
そういう時は遠巻きに見ているのが一番安全だった。最初は近づいて止めようとした。助けだって近所から呼んだ。だが
決して止まらない。何を呼びかけても伝えても、彼は暴れ続けた。気立てのよかった近所のおじさん──夏はよく釣りに連
れていってくれた──が左腕を折られ疎遠になった辺りで一家は気付き始めていた。1時間。それだけ暴れると「おとうさん」
は正気に戻る。戻って、家の隅で抱き合って震えている家族を一瞥すると、止まらない鼻水でボロボロの服を汚す妻を見る
と、5本目の杖を折られ逃げようにも逃げられない娘を見ると、彼は涙ぐみながら乱痴気騒ぎの後片付けを始める。
とにかく1時間。1時間遠ざかっていれば難は逃れられる。
だがその1時間はいつ来るか、分からなかった。
彼は職場では一切暴れなかったがそれがますます不幸だった。
「家庭に原因があるんじゃないの?」 近所はそういう冷ややかな目を注いでくる。事実彼は家族と居る時だけ暴れた。
「家庭に原因があるんじゃないの?」 近所はそういう冷ややかな目を注いでくる。事実彼は家族と居る時だけ暴れた。
悪夢の1時間。
てんかんのように訪れるその1時間を避けるにはどうするか?
一緒にいなければいい。
いつしか芽生えた暗黙の諒解は、埋めがたい溝を作り始めた。
一緒にいなければいい。
いつしか芽生えた暗黙の諒解は、埋めがたい溝を作り始めた。
「おーおー。非道い事をしたようじゃのう」
『あらイオちゃん』
まんじりともせず装甲列車を眺めていた青空に変化が生じた。彼女はやおら振り返り、満面の笑みで手を振った。
『あらイオちゃん』
まんじりともせず装甲列車を眺めていた青空に変化が生じた。彼女はやおら振り返り、満面の笑みで手を振った。
装甲列車が突入してきた辺り。壊れた壁やその瓦礫をひょいひょい飛び越えてくる影がいた。
「だんだだだだん! だだんだんだだん! だんだだだだん! だだんだん!」
影はやがて青空目がけ走ってきた。いやに人懐っこい笑みの少女だ。見た目に限っていえば青空の妹──光──と
ほぼ同じくらいという感じで衣装は黒ブレザーだ。走るたび首に巻いた赤スカーフが元気よく風になびく。それは髪型も同じ
だった。ポニーテール──ほどよく裂いた毛先がまんべんなくカールしているタイプの──がるんらるんらと横に揺れ、彼
女の雄弁に物語っている。その根元にかんざしが刺さっているのはひどく古風だが、不思議と似合っている……そんな少
女が「だだんだん!」。地を蹴り、青空に突撃。
「じーぐぶりーかー! 死ねええええええええええ!!」
「はいはい」
飛びこむなり腰に抱きついてきた少女を青空は慣れた手つきで撫でた。すると彼女は大きな双眸をきらきらと輝かせなが
ら「いーやーじゃ! もっと撫でるのじゃ! もっと撫でるのじゃ!」と肩揺すって懇願する。
『だめだめ。イオちゃんはお仕事で来たんでしょ? 私めとじゃれあってる時間はない筈よ』
「ちぇ。ケチじゃのう。せっかく辛味噌味の兵粮丸(ひょうろうがん)作ってきてやったのにそういう態度ならやらんぞ」
書かれた文字──それはクライマックスの自動人形の背中に刻まれた物だが、何があったかはどうでもいいらしい──
を横目でさっと流し読んだ”イオちゃん”、渋い顔して袋ば隠す。
『だってそれ、シナモンとか朝鮮ニンジンとか氷砂糖に混じって人の脳みそ入ってるんでしょ? あまり食指が動かないって
いうか……』
少し長い文章を書き上げた青空、頬に手を当て溜息をつく。笑顔だがどこか艶めかしい。
「いやいや。わしらホムンクルスにはそれ位がいいのじゃよ。真の意味で空腹感が紛れるからの」
『よくいうわねー。人間だった頃からずっと食べてる癖に』
「いうはほえ」
逆(さかしま)にした麻袋から雨あられと降り注ぐあずき色の団子。それを”イオちゃん”はあんぐり開けた大口に叩きこんで
いる。
『で? どんな本題で来たのかしらイオちゃん。真面目な話ならイオイソゴさんって呼ぶべき?』
「どっちでも構わんよ。ただ──…」
『ただ?』
イオイソゴは無言で装甲列車を指差した。その先頭車両、クライマックスがいるであろう場所。そこからスピーカー越しに
悲鳴と絶叫が絶え間なく響いてくる。実は先ほどからずっとそうだったが、両者がそれに関心を向けたのはこの時が初めて
だった。
「ホレ。そろそろ解除してやらんか。阿呆の”くらいまっくす”とてヌシの特性を浴びせっぱなしというのは良くないじゃろう」
青空は見逃さなかった。イオイソゴの片頬に一瞬とても意地悪な笑みが浮かぶのを。
(喰えない人ねえ。知ってる癖に。クラちゃんがどんな目に遭ってるか……)
笑いながらサプレッサーへ手を伸ばす。テルテル坊主のようにぶら下がっていた自動人形が回収され……
影はやがて青空目がけ走ってきた。いやに人懐っこい笑みの少女だ。見た目に限っていえば青空の妹──光──と
ほぼ同じくらいという感じで衣装は黒ブレザーだ。走るたび首に巻いた赤スカーフが元気よく風になびく。それは髪型も同じ
だった。ポニーテール──ほどよく裂いた毛先がまんべんなくカールしているタイプの──がるんらるんらと横に揺れ、彼
女の雄弁に物語っている。その根元にかんざしが刺さっているのはひどく古風だが、不思議と似合っている……そんな少
女が「だだんだん!」。地を蹴り、青空に突撃。
「じーぐぶりーかー! 死ねええええええええええ!!」
「はいはい」
飛びこむなり腰に抱きついてきた少女を青空は慣れた手つきで撫でた。すると彼女は大きな双眸をきらきらと輝かせなが
ら「いーやーじゃ! もっと撫でるのじゃ! もっと撫でるのじゃ!」と肩揺すって懇願する。
『だめだめ。イオちゃんはお仕事で来たんでしょ? 私めとじゃれあってる時間はない筈よ』
「ちぇ。ケチじゃのう。せっかく辛味噌味の兵粮丸(ひょうろうがん)作ってきてやったのにそういう態度ならやらんぞ」
書かれた文字──それはクライマックスの自動人形の背中に刻まれた物だが、何があったかはどうでもいいらしい──
を横目でさっと流し読んだ”イオちゃん”、渋い顔して袋ば隠す。
『だってそれ、シナモンとか朝鮮ニンジンとか氷砂糖に混じって人の脳みそ入ってるんでしょ? あまり食指が動かないって
いうか……』
少し長い文章を書き上げた青空、頬に手を当て溜息をつく。笑顔だがどこか艶めかしい。
「いやいや。わしらホムンクルスにはそれ位がいいのじゃよ。真の意味で空腹感が紛れるからの」
『よくいうわねー。人間だった頃からずっと食べてる癖に』
「いうはほえ」
逆(さかしま)にした麻袋から雨あられと降り注ぐあずき色の団子。それを”イオちゃん”はあんぐり開けた大口に叩きこんで
いる。
『で? どんな本題で来たのかしらイオちゃん。真面目な話ならイオイソゴさんって呼ぶべき?』
「どっちでも構わんよ。ただ──…」
『ただ?』
イオイソゴは無言で装甲列車を指差した。その先頭車両、クライマックスがいるであろう場所。そこからスピーカー越しに
悲鳴と絶叫が絶え間なく響いてくる。実は先ほどからずっとそうだったが、両者がそれに関心を向けたのはこの時が初めて
だった。
「ホレ。そろそろ解除してやらんか。阿呆の”くらいまっくす”とてヌシの特性を浴びせっぱなしというのは良くないじゃろう」
青空は見逃さなかった。イオイソゴの片頬に一瞬とても意地悪な笑みが浮かぶのを。
(喰えない人ねえ。知ってる癖に。クラちゃんがどんな目に遭ってるか……)
笑いながらサプレッサーへ手を伸ばす。テルテル坊主のようにぶら下がっていた自動人形が回収され……
そして静かになるスピーカー。されどクライマックスの受難は、まだ──…