SS暫定まとめwiki~みんなでSSを作ろうぜ~バキスレ 過去編 第003話 (1-9)


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 着のみ着のまま家を出た青空は、まずありったけの貯金を下ろし、都内のカプセルホテルを転々とした。

 ライブ用に服も用立てた。チェック柄のロングスカートを履き、黒いボウタイブラウスの上にスタンドカラーのブルゾンを身
につけた。そしてチョーカーとブラウンのブーツも装備。

 会計を終えてからさも「買った物をご賞味ください」とばかり入口に備え付けられている鏡の前でクルリと回りガッツポーズ。
「よし!」。どこも変じゃない。きっとオシャレ。

 特にロングスカートについては青空会心のチョイスだった。ダークブラウンとカーキグレーのチェック模様を遮るようにパ
ッチワークされたレース編みニットとトーションレースと花柄のコーデュロイはとても可愛かった。ドレープがなみなみと寄っ
てギザギザとした裾のラインを描いているのも最高にいい。まるで自分に買われるため生まれたような気がして思わず鼻歌
さえ歌った。
 そうなってくると手紙の件や義母にぶたれた事は「自分の人生に良くある不遇の1つ」ぐらいの感じになってきた。家族運
は悪くても人生は楽しい。Cougarが見たら「お、あの子カワイイ」とか思ってくれるかもと淡い期待に豊かな胸をさらに膨ら
ませ、彼の曲をフンフン歌いながら軽やかに歩いた。

 そして飲食店で昼食を取り、カプセルホテルを探し──…ていたら運悪く人気のない路地裏に迷い込んだ。
 後悔。浮かれ過ぎていた。ただでさえ不慣れな都内を浮かれ気分で散策すべきではなかった。

 路地裏はひどくうらぶれていた。家はあるがどこも無人。朽ち果てた扉や窓に蜘蛛の巣が張っている。人2人が並べばも
ういっぱいという小道は整備を放棄されて久しいようで、あちこちひび割れ、レンガを遠慮なく撒き散らす塀もある。

 頭頂部の癖っ毛を「びィーん!」と逆立てたのは、背後から突然、声がしたため。

 振り返る。汚物じみた茶髪の若い男がニヤついている。言葉の内容は覚えていない。ただ黄色く濁った瞳が品定めをす
るように自分の体を眺めまわしているのは分かった。本能的な恐怖が走る。笑顔のまま息を呑み後ずさると背中が何かに
ぶつかった。男。背後にいた男に羽交い絞めされた。恐らくいつからか尾けていて、示し合わせて退路を断ったのだろう。

 着替えと食事を入れた紙袋が薄汚れた路地に落ちた。

 豊かな肢体を必死によじる青空めがけ茶髪が歩み出た。その背後から男が数人現れた。いずれも派手な服装でピアス
や入れ墨をしている。青空の体を揶揄する下卑た歓声と笑いが木霊した。豊かな肢体は飢えた獣たちにとって格好の的だっ
た。いよいよ間近に来た茶髪の口臭に吐き気を催す青空のなだらかな膨らみが服越しに掴まれた。

 拒否の声を小さく漏らす。かーわーいい。健気な抵抗を男たちは一層喜んだようだった。そしてついに乳房が揉まれ、拒
否の声を「小さくて聞こえないよォ」と茶化された瞬間。

 青空の脳髄を「そうあるべき」静かな自分とはかけ離れた感情が貫いた。


 拒否の意思を伝えるために。


 青空はまず踵をはね上げた。背後の男の股ぐらめがけ、必死に。遠慮も何もない。ただ拒否を伝えるためだけ加速を帯び
た踵はウズラ大の物体に重篤な損壊をもたらしたようだった。喘ぐ背後の男が手を緩めた。すわ何事かと目を剥く茶髪を強
引に突き飛ばした青空は、ただ拒否を伝えるために辺りを見回した。武器。武器が欲しい。崩れた塀がレンガを零していた。
掴んだ。投げた。右目をやられた茶髪がのけぞった。血しぶきが舞う。男が仰向けに倒れる。青空は全身を駆け巡る快感
に笑顔を深めた。新しいレンガに手を伸ばす。背後の絶叫めがけ投げつける。鼻を潰された大男がどうと倒れ伏した。それ
が羽交い絞めにしていた男だと知ったのは、股ぐらと左胸にレンガを叩きつけた後だ。血を吐き、ピクリとも動かなくなった
大男からレンガを回収。歩を進める。血まみれの茶髪は目を押さえながらもう片手を青空へ伸ばし何事か騒いでいる。

 必死な様子からするとどうやら謝っているようだった。

 すぐそれを理解した青空はしかし下顎に指を当てちょっと考えた後、茶目っ気たっぷりに呟いた。

「小さくて聞こえないよォ」

 くすくす笑いながらレンガを叩きつける。嬉しかった。また自分の意思が伝わったような気がして、嬉しかった。そのまま満
面の笑みで残る男たちを見た。あれほど下卑た歓声を上げていたのに逃げ出そうとしている。
 血が燃えた。
 もっと伝えたい。
 どれほど自分が怖い思いをしたか伝えたい。

 顔面を潰され痙攣する茶髪をひょいとまたいで他を追う。片手持ちのレンガは数時間後に激しい筋肉痛を味わってなお
それが格安に思えるほど抜群な仕事をしてくれた。目指すは狭い路地で押し合いへし合いしている男たち。喫煙と不摂生
で2分も全力疾走できない彼らへあっという間に追いついた運動神経学年15位、少女の右手が大きくしなる。

 壁に掠って火花を散らした赤茶色の長方体が最後尾でやきもきしていた短い金髪を破砕した。振り向いた男たちの奏で
る悲鳴とどよめきと泣き声に青空は確信する。

(良かった。伝わってる)

 純真な笑顔のままスキップの要領で踏みこんだ。剣道の面打ちのように振り下ろしたレンガがすきっ歯の坊主を打倒し
たのを確認、どんどん行く。手近な男の襟首を掴み、引きよせ、刺青のある首めがけ一撃。最後に残ったひょろ長い金縁
メガネは背中を蹴るとあっけなく倒れたので、レンガはとても楽に叩きつけられた。


 それから青空は元きた道を引き返し──…


 やがて地面に突っ伏す男たちは目撃する。たぷたぷとした胸の前で両手を組む青空を。
 舞い戻ってきた青空はそこにたっぷりレンガを抱えていた。まるで豊作のリンゴかミカンをお裾わけにきたようなかわいら
しい笑顔に一瞬誰もが見とれかけたが、胸の中から1つ転げ落ちたのはまぎれもなく堅く色褪せたレンガだった。幻覚でな
い証拠に運悪くそこに倒れていた仲間の頭に直撃し新たな血河を生みだした。忍び寄るその生暖かさにそれこそ声になら
ない悲鳴をあげる男たちの前で、少女はアホ毛を動かした。「どーちらにしようかな」。

 決まったのは首に入れ墨をした男で……。




 そして総てが終わった後、青空は血だまりのない場所で膝を抱えた。


 やってしまった。


 傷害または殺人未遂を……ではない。


 せっかく買ったお気に入りのスカートはところどころが破れ、血しぶきさえ点々と付いている。仮にクリーニングに出した所で
シークレットライブには間に合わない。重要なのはそこだった。妹をぶった時の衝動が再来して、男6人にレンガを叩きつけた
コトへの罪悪感はなかった。

 救急車を呼ぶベきとも一瞬思ったが、そうすると警察からの事情聴取でライブに行けないし家出だってバレる。

 だいたい正当防衛なのにまた責められるのは嫌だった。楽しい気分だったのに襲われて、お気に入りのスカートさえ駄目
にされ、どうにかこうにか身を守ったのに(といっても実際は彼女の圧勝だが)、またも社会は自分を責める? いい加減、
そういうのは嫌だった。

 自分を一度たりと救ってくれなかった社会。
 そして人間ども。

 彼らは常に青空を助けようとせず、しかし彼女が失策を演じた時に限って素早く嗅ぎつけ、責めるのだ。

 考えると腹が立ってきた。人生を救ってくれそうな手紙はすぐ飛ばされ、その怒りを伝えられたと思ったら頬をぶたれ、
そんな嫌なコトをライブの準備で忘れかけていたら馬鹿な男どもが襲ってくる。



 見よ。買いたての、おろしたての可愛いスカートを。ボロボロではないか。

 誰にも迷惑をかけまいと懸命に生きているつもりなのに、いつもいつでも良い事をかき消す下らなさばかりが降りかかる。
 もう本当、青空は激発に身を任せたくなった。

 だが何とか堪える。激発は良くない。欠如は努力で補うべきだ。そうやって生きてきたではないかという誇りにも似た自負
が、どうにか崖の縁ギリギリで青空を押しとどめる。

 それが最後のチャンスだった。人間らしく真っ当に生きられる最後のチャンスだったコトに青空はまだ気付かない。

 とりあえず財布を見る。金額的にはまだ余裕がある。同じ物を買いに行こう。そのためには着替えなくてはならない。しか
し男たちの前で着替えるのは恥ずかしい。その間だけ眼をつぶって貰おう。そう決めて、まだ眼の開いている者を探す。居
た。顔を歪めたそいつは喘ぎ喘ぎ携帯電話をいじっている。

 青空は、キレた。

「女の子に怖い思いさせておいて自分が痛い目見たら助け呼ぼうとかありえないでしょ本当にありえない」

 ブーツの踵が直撃した携帯電話は、それを握る指の骨ごと粉々に粉砕された。男たちの顔面が青くなっていくのは、まったく
以て快感だった。自分の意思を伝えるコトの喜びをひしひしと感じた。つむじから延びる癖っ毛もちぎれんばかりに振られた。

「ぐあッ……ガガガ……」
「ぐあッガガガじゃないわよ謝りなさいよねえ謝ってもう本当サイアクせっかくのスカートが台無し」
 くっと顎を以て上向かせた男の瞳孔がみるみると広がった。「ひイッ」という情けない絶叫さえ漏れた。
 青空は自分がどういう表情をしているかまったく気付いていなかった。
「謝るつもりがないならいいわよもう」
 手近な砂利──ガラス片も少し混じっているようだったがどうでもよかった──をすくい上げると、恐怖に拡充しきった眼
に流し込んだ。強引に瞼を閉じると暴れたが肩をレンガ片で10回ばかり叩くだけで静まった。

 残る男たちは必死に携帯電話を供出した。なぜならばレンガ片を両膝と両足首に叩き落とされ「歩く位なら死んだ方がマ
シ」という激痛を味わったからだ。這いつくばって物言わぬ仲間のポケットから携帯電話を抜き取ったころには腰部が砕かれ
る音がした。笑い声もした。震えながら振り返ると、「はーやーく。はーやーく」と笑いたくる少女が居た。
 そして破砕。地面をバウンドしたレンガが派手な音を立てて携帯電話をガラクタの山に作り替えた。そして微笑む少女。彼
女は頬を染めながら小さな声でこう呟いた。

「ごめんね。着替えたいからちょっとだけ眼をつぶっててくれないかな?」

 男たちが全力で頷いてくれたので、青空はスッキリした気分で着替えができた。そして路地を脱出して先ほどの服屋に何
とかたどり着いたがスカートは売り切れていたので、青空は頬を膨らませ怒りマークをピキピキさせながら(肩を精一杯いから
せて歩いた)路地に戻って再びレンガ片を頭上高く振り上げた。男たちの絶叫が響いた。

 一息ついて上を仰ぐと、自分の名前と同じ場所が果てしなく広がっていた。

 空が青いのは太陽の光が大気中の分子などに当たって散らばるためだ。もっとも散乱しやすい青い光が地上の人間に
届くから、空は青く見える。

 光なくして青空はない。

 手紙と引き換えに「伝えることの嬉しさ」を教えてくれた義妹を初めて好きになれそう──…

 路地を後にしながら青空はそう思った。

「でももう遅いんだよね……」

 レンガを振り下ろした男たちのうち、一体何人が生きているというのだろう。
 一体何人が、元の生活に戻れるというのだろう。
 激しい快美の後に襲い来る後悔と虚脱感と、「やはり自分は生きていない方がいい」という実感を噛みしめながらとぼとぼ
歩く。その場を去る。







 そしてライブ当日。



 ステージの上で両手を広げたまま、青空は茫然と立ちつくしていた。
 200名近くが辛うじて収容されるほど小ぢんまりとした会場は、平坦な言い方をすれば地獄と化していた。

 いやに幾何学的な姿をした獣の群れが人々を蹂躙している。肩を喰い破られた少女が絶叫を迸らせ、足を掴まれた妙齢
の女性がそのままカエルのような化け物の口へ放り込まれた。下半身を噛み破られ椅子に叩きつけられたのは大学生ぐら
いの子だろうか。乾いた音とともにパイプ椅子の配列が崩れた。内臓もあらわに這いつくばる彼女に四方八方から手が伸び
て、生々しい咀嚼の音とすすり泣くような歎願が響いた。

 しかし奇妙な事に、逃げ惑っている筈のファンたちは、出口に着いた途端にうろうろとし始めている。扉が開かないという
訳ではない。そこに手をかけようとした瞬間、或いは押そうとした瞬間、不可思議にもそれをやめて扉の前をうろうろとする
のである。罵声が響く。うろついている者が突き飛ばされる。だが突き飛ばした者もまたウロウロをやる。どこの出口でもそ
れが繰り返されている。おかげで逃げようとする人間の波はつくづくと滞り、まったくどうにもならないようだった。ステージ
の上でCougarが「新作ドラマではこういう役をやります。特撮に出ます」と槍のような武器をピカピカ光らせていた数分前の
穏やかな光景がウソのようだった。

 人形の腕を振り下ろし数少ない男性ファンの下顎を吹き飛ばしている女医風の女がいる。

 どろどろに溶けた同年代の子供をストローで啜る少女がいる。

 子供だけはと哀願する男性と女性──ストローで啜られている子供の親だろう──に光の線が何条も迸った。
 次の瞬間、流石の青空も目を背けた。指がぱらついた。手首も落ちた。彼らのあらゆる部位は結合を解かれたようだった。
気まぐれにバラされたプラモのように、あらゆる部位が崩れ落ち、血だまりの中に堆積した。

 そして彼らの横にいた奇妙な鳥が不機嫌そうな眼でステージを見た。
 顔面の半分ほどあるくちばしが図体の半分ぐらいまで伸びている鳥。眼光が鋭い鳥が。

「やはり青っちも気になる? ハシビロコウっつーんですよあの旦那」

 青白い光が視界に入る。ゆっくりと振り返る。

「いやーそれにしてもお美しい。親御さんから見た目聞いてましたけどね、いやはやまさかこれほどの美人さんだとは! いは
はやお話できて光栄ですぜこりゃ。にぇへへ」

 青空がステージに昇ったのは、会場入りした異形の獣たちからCougarを守るためであった。悲鳴を上げ、我先にと出口
へ向かうファンどもを抜けてステージに昇ったのはこのライブが終わったら人知れず命を断つつもりだからだ。どうせ死ぬの
であれば、辛い時代を救ってくれた人を守って死ぬ方がいい。そう思った。だからステージの上にいるCougarの前に立ちは
だかり、両手を広げた。

 そんなコトを回想しながら振り返った青空は、流石に笑顔を保てなかった。いつも笑みに細めている両目を驚きと意外性と
ほんのちょっとの期待感──ここから自分の人生が大きく変わるという期待感──いっぱいに見開いて彼を見た。

 守るつもりだった国民的アイドルを……見た。

「玉城青空さん。親御さんから事情は聞いてますぜ。へへ。手紙を飛ばされたそーで災難なコトで」

 アイドルとは思えない砕けた口調で人懐っこい笑みを浮かべながら、Cougarはそこにいる。

「そろそろ分かってると思うけど、このヒドいこと企画したのオレよオレ。いやー我ながらひどいコトひどいコト」

 理知に縋ってやまない青空がまず思ったのは「あり得ない」。陳腐。ご都合主義。うつむき加減の額を指でグリグリした
のは込み上げてくる頭痛と馬鹿馬鹿しさを鎮めるためだ。

「へぇへぇ。分からないのも仕方なしかと。しかァし!! オレっちにゃオレっちのやるせない事情がありやしてねえ。あ、青っ
ちだけは別ですぜ。話聞いた時から助けるコトにしてたんで」

 ザクリという音がした。彼は手にしていた物をマイクの横に突き刺したようだった。槍のような武器。惨劇直前にCougar
が振りかざしていたその武器は確かに特撮じみていた。簡単にいえば槍に斧をつけたような武器だった。しかもそれは雷
光を迸らせながら青空とCougarをまばゆく炙っている。
「あ、コレ? こりゃあハルバードってんで。扉から出れなくしたのもこの武装錬金の特性でさ」
「ぶそう……れんきん? とく……せい?」
「しかしお美しいだけでなく勇敢とは! ファンの中でオレっち守ろーとしたのは唯一青っちだけですぜ? 他はみんな自分の
命惜しさで逃げやしたでしょ? ったく。フリでもいいから守って欲しかったんですけどねオレは。そしたらその方だけ助けよう
って思ってたのに……はあ。結局1人だけですかそうですか。国民的アイドル相手っつっても所詮それが限界、人間って奴
の『枠』の限界すか」
 28というが間近で見るといやに子供っぽい人だと青空は思った。ウルフカットの下で忙しく媚を売ったりシャウトしたり
ふわりと笑ったり肩を落としたりする彼は、最後に揉み手をしながら青空を覗きこんだ。
「ところで良かったらメルアド教えてくんない? あ、いやいや無論タダとはいいやせん! こー見えてもオレっち女性に優し
いって評判でしてね、何か頼む以上損はさせやせん。青っちが失くした手紙書きなおすってのどーでゲしょ?」
「ナンパ……ですか? こんな状況で、引き起こしておいて」
 声を震わせながらぎこちなく微笑むと、Cougarは「いんやいんや」と手を振った。
「お話したいだけ。ちょうど会場の方も終わったようだし」
 何が女性に優しい、か。静まった会場の中で生き残っている女性は誰一人としていない。みな必ずどこかが喰い破られ
顔はもはや若さも美貌も黒い絶叫に塗りつぶされている。

 それらを一瞥した青空は、しかし内心に小気味よさが湧いてくるのを感じた。

 Cougarが何を思い、何のためにこれほどの惨劇を実行したのか。
 それは知らない。
 ただ、他者は誰ひとりとして青空の感情を理解しなかった。
 頑張りたいという意思も、遠慮も、配慮も寂しさも辛さも悲しみも、何一つ理解してくれなかった。
 何一つ、してくれなかった。
 首の座りが悪いというだけで首を絞められそこに畸形をきたしてしまった自分を救ってくれるものなど、この世には誰一人
として存在していないようだった。父でさえ素知らぬふりをし活発な妹との楽しい家庭生活を営んでいた。他人は全て『たま
たま運良く』獲得した大きな声を以て楽しい楽しい青春生活を送るのに躍起で、青空を救おうとはしなかった。ただそこに
異質な存在が転がっていると一瞥をくれて歓談に戻るだけだった。

 骸となって転がっている連中はつまるところそういう人種だったのだろう。

 だからCougarを救おうともせず出口に向かい、こうなっている。

 胸がすくような思いがしたのは、自分に何の恩恵ももたらさなかった世界が確実に破壊されつつあると確信を得たからだ。

 もはや黙っているべき時期は過ぎた。

 自らの手であらゆる感情を『伝えて』いき、あらゆる不合理を破壊せねば、自分のような人間がずっとずっと不幸を味わい
続けていく。そう思った。

 死ぬつもりだった自分が助かり、生に固執した連中が死んだ瞬間から自殺願望はかき消えた。むしろなぜ自分が死なな
くてはならないのかという怒りさえ湧いた。自殺したところで父と義母と義妹は何ら変わりない団欒を続けるだろう。人のため
この世のため家族のためと遠慮し命を投げ打ったところで、誰が感謝してくれるというのか。誰もしない。異質な存在がいた
と一瞥するだけ。そして誰をも救おうとせず、楽しい楽しい歓談ばかりを享受する。青空の首に畸形をもたらした母親は正
にそういう種類の人間だった。楽しさばかりを求めているから、耐えられず、やらかした。

 青空はボランティアに身を投じ正しく世界を正そうとしていた。

 その考えも結構だが、人を助けたいのであればまずは「たまたま獲得しただけの大声」で楽しい歓談ばかり追う人間をど
うにかすべきではないのか? そして自分を救い味わった不幸の数だけ幸福になるべきでは?

 長年、噴き出そうな怒りを押しとどめてきた理性はいつのまにか荒波ですっかり歪んでいる。

 青空はそれに気付かない。気付かないまま『理性』の導く答えだからと上記の思考を……肯(がえん)じる。


 動き始めていた時間の真ん中で。

「で、良かったらオレっちらの仲間になんない?」

 青空はコクリと頷いた。

 そして1年後。


 彼女は実父と義母の命を奪い、義妹を歪め始める…………。