SS暫定まとめwiki~みんなでSSを作ろうぜ~バキスレ 過去編 第003話 (1-8)


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

 数十分後。森の一角は異様な変貌を遂げていた。
 何もかもが、凍りついていた。葉の燃えカスも炭となるまでコンガリ焼かれた木も全て氷に包まれていた。
「忍法薄氷! 炎自体の直撃をもりもりさんと貴信どののW鎖分銅で咄嗟にいなした直後、無銘くんの自動人形で辺り一
面構わず凍らせ消火したのであります! 見まわったところ延焼の心配もございませぬ!」

 説明御苦労。そういいつつ総角は前髪をくしゃりとかきあげた。 

「……フ。どうやらあのポテトマッシャーは『普通』の物。武装錬金ではないらしい」
「ゆえにホムンクルスの不肖たちを斃すコトあたわず。結構な爆圧こそ浴びましたが、致命傷とはなりませぬ。……ですが」
「があぁ! せっかく見つけたのに目くらましされたら追えんじゃん! やっぱあの人形おらんし!」
「恐らくあの人形は武装錬金。我の兵馬俑と同じ自動人形。爆発で我たちの眼を晦まし、その間に飛んで逃げた、か」
『目当ては最初から携帯電話! あれを持ち去るためポシェットに潜んでいたらしいな!』
「確かに…………私のポシェットは……いろいろ……入りますが……」
「問題はあの人形が誰の武装錬金かというコトだ」
 男性にしては綺麗すぎる掌が華麗に翻り、玉城を指名した。予想を述べろ。それはたぶん当たっている。物腰は十分す
ぎるほど雄弁に総てを物語っていた。
「まさか……」
 人形は、似すぎていた。柔らかなウェーブのかかる短髪。そこから延びるアホ毛。更に……笑顔。
 情報は総て回答に直結している。
「まさか、お姉ちゃんの……!? そんな……! サブマンシンガンの筈じゃ……!?」
 武装錬金の知識については先ほど移動中たっぷり仕込まれている。大前提は1人につき1種類の武器だ。多数の武装
錬金を扱える総角でさえそれは『認識票の武装錬金』の特性あっての話だし、他の小札や貴信、無銘に至ってはそれぞれ
ロッド、鎖分銅、兵馬俑といった1種類の武装錬金しか持っていない。では青空のそれは? ……サブマシンガンしかない
だろう。折に触れ彼女はそう仄めかしていた。
「あの人形が……お姉ちゃんの……武装錬金の筈は」
「フ。世の中には自動人形付きの弓矢の武装錬金もある。サブマシンガンがそうでも別段不思議じゃないだろう」
「そーいえばあの方もお姉さんだったような。むむ。お姉さんあるところ自動人形ありなのでしょーか!」
「誰の……コト……です?」
 知り合いのコトさ。総角は肩をすくめ小札も「またいずれ語る機会がありましょう」と締めくくった。
「しかしなんたるコト! 携帯電話が持ち去られるとは! せめて爆砕であれば不肖の武装錬金で繋ぎ合せデータ復元が
望めたかも知れませぬのに!」
「何にせよ、だ。携帯電話を持ち去られた以上、お前が姉に連絡するのは不可能だろう」
「……お姉ちゃんも…………私の位置を……突き止められなく、なりました」
「むむっ! 電話番号ぐらいなれば暗記しているのでは!?」
「いえ……ボタン1つでやってたので……分かりません……」
「で、ここからどうする? 1人で彷徨ってみるか?」
「いえ、仲間になります」
 言葉も終わらぬうちに玉城はきっぱりと断言した。
「決断早っ! 早すぎじゃん!」
「なんか……楽しそうです。だから……入ります」
『ははっ! ここは部活か何かか!』
「チワワさんたちの……事情は……よく分かりません。でも……お姉ちゃんの仲間を追っているよう、です。じゃあ一緒にい
る方が……お姉ちゃんと会える確率が高そう……です」
「じゃあ名前は『鐶』に改めろ。字はこうな」
 刀も筆に凍土へ刻まれたその文字に玉城は首を傾げた。
「『環』では……ないのですか? かねへん?」
「そ。かねへん。確か漢検1級配当文字だ。難しいが我慢してくれ」
「わかり……ました。お姉ちゃんと再会して、5倍速の老化を治すため……仲間に……なります。よろしく……です」
 違和感がある。無銘の顔がやにわに曇った。しどろもどろ、やっと答えたという感じの鐶。そんな彼女が自分の横に座っ
た瞬間、違和感は頂点に達した。遠慮がちに座り込んだ彼女は……無銘を見て、笑った。悪戯っぽい、小悪魔のような笑
みを浮かべて──目だけは相変わらず屍のように薄暗いが──唇の前に人差し指を立てたのだ。
「????」
 意図が分からない。何か隠し立てをしているようだが、なぜそれで笑うのか。本音を隠す傾向なのは先ほど理解した。だ
が姉との関係性に踏み込まれた時のような阿り、相手に迎合して身の安全を図ろうとするような態度はまったく見受けられ
ない。むしろ無銘にだけは本音を伝えたがっているように見えた。

(何を考えている貴様。師父を害する意思はないゆえ怒鳴りはせんが……腹立たしい)

 剣呑な顔つきで一瞥を呉れる。微笑がはにかみに変わった。変じれば如何なる化け物をも処断できるたおやかな手が2つ
無銘の脇に滑り込んだ。

(……秘密の共有…………です)

 耳元でささやく可憐な声に、少年のあらゆる感性は麻痺した。自分が持ち上げられているという実感も、耳元に色素の薄い
唇が接近してボソボソ呟いているという認識も消し飛んだ。「ほぉ~」。冷やかしとも驚きともつかぬ声が総角たちから上がっ
たが、それも無銘の意識の外。

(……お姉ちゃんを助けたいっていうのは……無銘くんと私だけの秘密に……したい……です。他の人には……軽々しく話
したく……ない、です)

 花でも嗅ぐような仕草だった。鐶は鼻先を無銘の耳先すれすれにつけるような状態でボソボソと喋り出した。声は小さい。
傍観する総角たちには何をいっているか聞こえない。

「きく? あたしなら何いってるかききとれるけど」

 ネコミミを指差す香美に総角と小札は首を横に振って見せた。『そういうコトだ!』 貴信の声とともに香美の手が三角形
の聴覚器官を覆い隠した。飼い主の配慮であろう。

 もはやこの世界で無銘を緊縛しているのは鼓膜の蠢動のみであった。温かな潤いを帯びた声が天幕状の耳に響くたび、
もぞもぞとした名称不明の感覚が全身を駆け巡っているようだった。喋る前に響く湿った音。桃色の味覚器官と口腔粘膜
が擦れ合う「ぷちゃり」という艶めかしい音。すぐ近くで聞こえる少女の確かな息遣いは耳ならず顔の周囲さえ覆っているら
しい。明敏極まりない嗅覚が途轍もない芳しさを脳髄に登らせ、理性を一段と破壊する。

 そんな無銘をぬいぐるみよろしく地上に置いた鐶は。

 ふいっと首を横に曲げ、長くて赤い三つ編みを揺らめかしながらまた笑った。

(それが……無銘くんが……教えてくれた……これからを……大事にする……約束、です)

 照れくさそうで恥ずかし気でちょっと寂しそうな……それでも前に向かって進もうとする明るさを精一杯捻り出したような
とびきりの笑顔。

「だから。無銘くんが、人間の姿になる手伝いを……したい……です。力になりたい……です」
 言葉の意味をやっと理解したばかりの無銘はただ茫然と笑顔を眺めた。

(……どういう顔をしてやればいいのだ。我は)

 顔を落とす。
 何をいえばいい? 考えても考えても分からない。
 後でこっそり「2人で一緒に姉を助けよう」などと言える柄でもない。視線を外し拳を固める。申し出を断る? 否。頭を振
り葛藤を断ち切る。笑顔と好意の申し出を拒絶で返すのは人としてあるまじき事。」

 意外だが実は忍びには「人の心を絶対に傷つけぬ」不文律がある。

 任務上関わる人間の名誉や自尊心を傷つければどうなるか? 彼らは2度と協力をしない。利用しようにも猜疑心を抱か
れ、思うようには扱えない。

 されば目的達成は困難になる。どころか報復などされるようになれば命さえ危うい。

 よってほどよくおだてたり物品で釣るコトに重きを置く。恫喝や裏切りは決していい手段とは言い難いのだ。

 しかも無銘は鐶を利用したいとは思わない。かといって協力を仰げるほど素直でもない。チワワの体で一生懸命やって
きたという沽券みたいなものとコンプレックスが「手伝ってくれたら嬉しい」みたいな謝辞を述べられなくしている。

 などと悩む間にも鐶の表情が曇っていく。虚ろな瞳の中で寂しい風が吹き、小雨さえ降る気配がした。ああ、こいつは姉に
撃たれている時こういう眼をしていたのではないか──? 脳裏を過るそんな想いに無銘は胸が痛むのを感じた。

(我も同じなのだ。師父や母上に拒絶されれば……平静ではおれん。まして他の者に狙われ、命が危機に晒されれば……)

 総角はともかく小札は本当に危ない。だから守りたい。誰かに殺させたくはない。鐶もそれは同じなのだろう。たった1人
残った家族。姉。彼女を助けたいという思いは分かる。

(例え体が化け物でも心は人間。それは我も貴様も同じ。家族を大事にしたいという想いは同じなのだ)

 そんな相手を突き放すような真似はしたくなかった。
「……協力を強制するようなマネはせん。だが話ならばいつでも聞いてやる。それが約束だからな」
 不貞腐れたような顔でそっぽを向く。視界の端で虚ろな笑顔が花咲くのが見えた。
「だからビーフジャーキーを定期的に寄越せ。いいな?」
「はい」
「だが勘違いするなよ! 報酬ある限り何でもやってのけるのが忍びだ! 我はその原則に従っているだけだ! 貴様に
同情している訳でもなければ、慣れ合うつもりもない! その辺りは踏まえておけ!」

 徹底的に無愛想な声音を作って投げつける。それしかできそうになかった。

(柔らかい言葉など吐けるか。我が身の事さえどうにもできず、窮々としている我が)

 そんな自分がひどくややこしくて歪んでいるような気がして、無銘は腰に手を当て鼻を鳴らした。

「はい……!」

 でもそんな態度が鐶は本当に本当に嬉しかったらしい。また輝くような笑みを浮かべ、焦げたポシェットめがけまっしぐら
に駆けていった。
(そもそもどうして貴様、ポシェットにビーフジャーキーを入れているのだ)
 後で知ったコトだが、そのビーフジャーキーは人の肉で出来ていたらしい。おやつに、と青空が鐶に渡したそれを、無銘が
食べた。真実を知った無銘が「人肉をビーフと偽るな! 死者に何たる無礼を!」と本気で怒鳴り散らすのはやや先の話。

(フ。甘酸っぱいにも程があるだろお前ら)
(なんというか青春であります。メモリアル)
 木陰から首出しつつ総角と小札はフクザツな表情を浮かべた。なんかもう無銘と鐶はつくづく不器用なんだが根底では通
じ合ってしまっているような気がした。未熟。だがそれ故に純粋。そのアンバランスさは一言でいえば「くっはぁー」だった。
 まるで一緒に恋愛映画視聴中の夫婦じみた表情の総角と小札──往時を想いペアルックのような照れ臭さを浮かべて
いる──の反対側の木陰からメッシュありありのセミロング少女が「ワケわからん」という表情で顔を出した。
(つーかなんであたしら木の陰にかくれてるのさご主人? あのすっとろいのときゅーびもワケわからん雰囲気だし)
(気を利かせた! あまり冷やかしたら無銘が可哀相だろう! 彼は彼なりに身を張って任務を果たし少女の尊厳を守った
んだ! 新参新参と僕らを見下す少年だが、命がけの結果を無為にしていい道理はない!!」)
(いや、ようするにさ。あいつらどっちも相手が好きな訳じゃん?)
 思わぬ意見に香美以外の3名は息を呑んだ。
(そうか。無銘の奴、鐶が──…)
(おおお。ついこの間まで赤ちゃんだった無銘くんがとうとう……恋を!? ああ、月日の流れは何と早いものでありましょう)
(貴方達は親丸出しの反応だな!)
 当事者たちは木陰の総角たちにまるで気付いていない。こっそり移動したコトさえ知らないのだろう。
 そんな彼らにつきだす指を上下に激しく揺らめかし、香美はまだまだ質問する。
(何で好きなのに甘えたりすりすりしたりせんのさ? そこが分からん。きゅーびは威嚇しまくっとるしすっとろい方は威嚇さ
れてよろこんどるし……だあもうワケ分からん)

 この少女に恋愛は無理だ。絶対。金髪剣士もおさげ少女も飼い主も、悲しい気分で溜息をつくしかなかった。

(元がネコだから……ネコだから、なあ!)

 即物的で機微も何もありゃしない。貴信は密かに泣いた。

(でもいつか体を元に戻してお婿さんを迎えてやるんだ! それが僕の宿願なんだ! あと恋人欲しい!!)






「とにかくだ! 鐶! お前が副リーダーな!」
 ポシェットを拾い上げたばかりの鐶が「え?」と目をはしはしさせた。意味がよく分かってないらしい。
「師父!?」
 正気ですか加入したばかりの者に……叫ぶ無銘に総角は「うむ」と精一杯の威厳を込めて頷いた。
(ちなみに数瞬前まで出歯亀のよーなコトをしていたのはご愛敬!)
 小声でポソっとフォローを入れる小札に後押しされたのか、彼はなんかこう「遅れてやってきた真打」みたいな様子で腕を
広げカツカツと歩き始めた。目的地はむろん鐶である。
「何しろこいつはとてつもなく強い。育てれば俺の次ぐらいにはなる。実力から行けば順当な配置だろう」
「鐶。総角付きの鐶。成程そのつもりで改名を……いやいや! しかし師父!? こやつ、戦闘以外ではまっっったく!」
 ぽやーっとした表情で「いまこそ出てくださいビィィィフジャアキー♪」とか何とかGONGの替え歌を口ずむ物体が指差された。
「う」
 総角は言葉に詰まった。
(困っております困っております)
(確かに……日常生活ではダメな子だな!)
 貴信は汗を垂らした。ポシェットに顔を突っ込んで「ビーフジャーキービーフジャーキー。ビーフ……ジャーキー!」と連呼し
ている鐶が見えた。なんで頭が入るんだろう。ここから72時間ずっと考えたほどの疑問だった。さっき人形が投げた莫大
な数のポテトマッシャーもポシェットに収納されていたのかも知れない。
「フ、フ。いやまあまだ7歳だし? 世間に慣れてない部分は見逃そう。古人に云う、角を矯めて牛を殺すだ。些細な欠点
に拘って本当の良さを殺しても仕方ない。こういうコは実力よりちょっと上の役職を任せて全員でフォローしてやれば、す
ごくいい仕事をしてくれるものだ」
「じゃーさもりもり。まずあんたがフォローするじゃん」
「ん?」
 無表情で指を突き出す香美を一瞥した総角、その指し示す物を不承不承追跡した。
「抜け……ません。プラモの剣が……鼻の穴に刺さって……抜け……ません」
 袋を被せられたネコよろしく、ポシェットに頭を突っ込んだままジタバタ後ずさる鐶を見た瞬間。
 端正な金髪剣士もこの時ばかりは愕然と顎を開き、鼻水さえ垂らした。流れるような金髪もところどころが綻び、雑然と跳
ねた。
「せめてもう少しまともになってから副リーダーをさせるべきでは?」
 足元で囁く無銘などいないように総角は全身を震わせ、そして叫んだ。
「馬鹿っ! ヒラでダラダラやらしたらこいつはもっと悪くなるだろ! 腕力満載の野放図な天然がその自覚もなしに実力だけ
高めていったらどうなる! 考えろ! なあ! これはもはやお前らの生死を左右する重大問題なんだぞ!!」
「!!」
 香美を除くヒラども全員に戦慄が走った。
(そうでした)
(実力だけなら我と栴檀どもと母上を足したぐらいはある)
(もうちょっとその自覚と節度を持たせないとマズいコトになるな!!)

 強すぎるという自覚がないと最悪「ちょっと触れただけで首がすっぽぬけました」みたいなコトになりかねん。
 節度がなければ力に溺れ、頬傷とグラサン着用で「おう小札の。わしゃドーナツ買いたいけえ138円よこせ。ない? ちょ
っとジャンプせえ」と小銭をせびるようになるかも知れない。それはヒラ3人にとって恐怖だった。

「そうだ。さっき俺は「すごく強いけど抜けている奴が副リーダー向き」みたいなコトをいったが、こいつはちょっとボケーっとしすぎ
ている。どうせ副リーダーにするなら加入と同時にそうしてだな、自分の力への自覚という奴をしっかりさせておかねばならん。
ヒラでダラダラやらすとそれが後を引いてえらいコトになるぞ」
「ゆえに職責を負わせ、性格を少し変えると?」
「そうだ。有り余る力を制御するために──…」
「ちょっと待つじゃん!!」
 手を突き出す物があった。香美だ。シャギーの入ったセミロングの髪をゆらめかしながら、彼女はまくし立て始めた。
「話はよーわからんだけど、性格変えるようなマネはしたらいかんじゃん!! 絶対!」
 何を……と声を漏らしかけた総角は、ダンっ! と片足叩きつけ凍土に罅入れる香美の姿に言葉を失った。彼女は、もの
すごく怒っているようだった。ふだん気だるい瞳が拡充し眉毛がひくつき、食いしばった口から八重歯1本と憤懣の声を漏ら
す様はなかなか迫力に満ちていた。
「だってさだってさだってさ! あのコねーさんに元の性格を「ダメっ!」っていわれてああなった訳じゃん! なのにここでも
また「ダメっ!」ってやられたらさ、そんなのかわいそーじゃん! 弱い物イジメのせーでああなっただけじゃん! あいつは
悪くないじゃん! なのにあたしらまで「ダメっ!」っつったら、かわいそーじゃん! めちゃんこ。あたしはそーゆうのやだ!」
「栴檀の片割れが」
「急に正鵠を射たお言葉を……」
 無銘も小札も唖然とした。


「フ。そうだったな香美。お前もあの組織の犠牲者の1人。おぞましくも理不尽なる虐待のすえ闇を恐れるようになった」

 思うところがあるのだろう。総角は少し驚いたようだがすぐさま口を綻ばせ香美に従う。

「だからさー。やったらあかんコトだけ教えるべきじゃん。やられたらあんたらが困るっつーコトだけいっとけば、あのコだって
分かってくれると思うじゃん。だからダメっーのはダメじゃん! そうするじゃんもりもり!」

 自嘲めいた溜息が総角の呼吸器官を通り過ぎ、大気に拡散した。

「まあ、確かに。『伝える』というコトは本来それだな」

 お得意の、瞑目した気障な笑いが顔一面に拡がっていく。

「了解だ香美。まずはあのままで。そして元の性格に戻しつつ、成長させる……そういう方針で行くか」
「らじゃーです香美どの! まずは信じてみましょう!」
「母上がそういうのなら、世話を焼いてやらんでもない」
『補佐という形をとるなら、上役こそ一番! 及ばずながら支えさせてもらう!』
「あのー、ポシェット。取ってください」
 まだじたばたしている鐶に軽やかな声がかかった。
「というコトだ鐶。今日からお前が副リーダーだ」
「は、はい……ありがとう……ございます。まずは……ポシェット……抜いて下さい……」

 動き始めていた時間の真ん中で。

 やれやれ。そんな感じで皆、笑顔を浮かべ──…ポシェット頭に歩み寄った。

 鐶 光

 ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズ 加入。





* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *







 手紙が飛ばされた後。
 真赤な頬に手を当て立ちすくむ妹に対し玉城青空が覚えたのは意外にも『快感』であり、同時に彼女は冷えて行く聡明さ
の中で快感の根源が何であるかも理解していた。
 それは決して、憎むべき理想像に一撃を加えた喜びという平易な物ではなかった。確かに一撃を加えた瞬間は自分の中
で荒れ狂っていた灼熱の濁流が瞬く間に解消され、心地よくもあったが、しかしそれは快感の構成要素の一つにすぎない
──根源ではなく、あくまで一部──と青空は察知していた。
 眼下で頬を抑え、輝く瞳に涙を湛えている妹。
 全身のあらゆる部分から申し訳なさを立ち上らせ、しゃくりあげながらか細く震えている妹。

 伝わった。

 妹が自分の心からの怒りを理解してくれているのはまぎれもない快感だった。
 思えば小声のせいでどれほど自分の意思を汲まれなかったコトか。常に聞き返され、伝えても妙な顔をされ、或いは反論
や反駁をされ、結局は相手のいいようにされていた。喋ってでさえそうである。無言の微笑を続けた結果、快活な義母が頼
みもしないのに家庭へやってきて頼みもしない発声練習をさせた。

 だが、伝わった。

 青空の快感はつまりそれだった。言いたいコトや思っているコトが相手に伝わったという快感。人間なら誰しも思っている
『分かってほしい』が叶った瞬間だった。『分かってほしい』。友誼も恋愛も交渉も商談も全てはそれであろう。少なくても青
空はそう信じている。なぜなら彼女は家庭や学校においてそれが叶わず苦しんでいた。

 伝わった。

 長年の溜飲が下がった。それと同時に青空の中で葛藤が芽生えた。手を上げてしまったという罪悪感を覚えた。妹とて悪
気があってやったのではない。過失。全ては荒れ狂う嫌な風のせい。手紙を我がことのように喜んでくれていたではないか。
なのに手を上げてしまった──…本来理知的な性格の青空は悔んだ。ついカッとなって頬を痛打した自分を恥じた。
 だが、しかし。
 衝動的な暴力のもたらす快感に魅入られかけている自分にも気付いた。痺れる右手からこれまでの鬱屈が放散していく
ようだった。小声で通らぬ会話をやろうとするより具体的で現実的で、何よりひどく心地よかった。ただの破壊では不十分
とさえ思った。自分の手の動きにつれて相手が『分かってくれる』コトが必要だった。いま眼下で震えている妹のように、自分
の抱えている感情が伝わり、理解を得なければ右手の快美は2度と訪れない。そんな予感がした。
 だがその快美は得てはならない。だから妹に謝り、2度と暴力は振るわないよう努める──…
 義母に頬を痛打されたのは、上記の決意を実行に移そうとした瞬間だった。
 やがて事情を知った彼女は必死に謝っていたようだったが……。

 ただ1度の衝動さえ認められず、それを悔いている自分さえ痛打される。

 そんな現実はひどく痛烈で、惨めだった。頬は本当に痛かった。
 無言の自分は結局世界の誰からも受け入れられないのかと暗澹たる気分になった。

 ならば快美をもたらす方へ──…

 帰宅した青空は幾度となく湧いてくるその考えに首を振った。ダメ。決して許されない。そう思いながら迎えた夜半、泣き
疲れて就寝した妹の首を眺めた瞬間、それは来た。

 疼きにも似た、甘い衝動。

 気付いた時には小さな体を膝立ちで跨いでいた。

 そして上体を屈めた。

 真っ二つにちぎれた指の輪を妹の首の両側にそうっと這わせながら、青空はか細い息を震わせた。生命を奪うつもりは
なかった。ただ絞めたくなった。絞めて、今一度見たかった。自分の怒りと葛藤を理解してくれる妹の顔を、見たかった。
 でもそれは決して許されない行為。加減を誤れば死に追いやる危険な行為。理性の力で辛うじて指を除けた青空は、笑顔
で2つの掌を眺めると決意した。

 家を、出よう。

 変質しつつある自分が家に居ては迷惑だと思った。
 今は良くてもいつか必ず家族に危害を加える。それは許されない行為。例え頬をはたいた義母に耐えがたい怒りを抱いて
いたとしても、なぜ彼女がそうしたかを察し、許すべきなのだ。

 行く当てはない。だがそれでも良かった。
 もはや自分の味方をしてくれる者は誰一人居ない気がした。ようやく得られそうだった手紙が飛ばされ、ようやく感情が
伝わっても即座に頬をぶたれたのだ。生きていても仕方ない、そう思った。
 どうせ生後11か月の頃、母に扼殺されかけていた命だから、どうせ父も義母も妹も泣きはしないから、今さら消えても構
わない。
 誰かに危害を加えてまで生きたいとは思わなかった。
 数日後のCougarのシークレットライブに行ったら、この世から消えよう。
 と思っていた。

 この時は。