青空の肢体がすくすくと伸び第二次性徴を遂げ始めた頃、周囲の男性の目はそれまでの人形を眺めるような憧憬をや
め、より具体的な、若者らしい獣性の光を湛えはじめた。
原因は青空自身をも悩ます肉体の変質である。乳児期の発育不良の反動だろうか。例えば胸部などは13歳の頃すでに
元モデルの義母と並び、高校時代になってもなお成長をやめなかった。
にも関わらず胴は悩ましくくびれ、臀部もまた豊かな隆起を描く。
青空は自分の身体をどうすればいいか深刻に悩んだ。美しさを誇り、男性諸氏に売り込むという選択肢はなかった。
服飾に関しては声質上ひかえめな性格の青空であるから、年頃になってもセーターにジーパンというそっけない物を好んで
いた。が、身体の発育はむしろ質素をして淫靡たらしめているらしく、周囲の男性の目は否応なしに注がれた。
更に170センチという長身も相まって、街頭でモデルにスカウトされた事も1度や2度でもなかったが、すでに幾度となく
「自分には社交性がない」と思いこみ、思いこまざるを得なかった人見知りである。ついていくことなく無言で逃げ去るのが
常であった。
め、より具体的な、若者らしい獣性の光を湛えはじめた。
原因は青空自身をも悩ます肉体の変質である。乳児期の発育不良の反動だろうか。例えば胸部などは13歳の頃すでに
元モデルの義母と並び、高校時代になってもなお成長をやめなかった。
にも関わらず胴は悩ましくくびれ、臀部もまた豊かな隆起を描く。
青空は自分の身体をどうすればいいか深刻に悩んだ。美しさを誇り、男性諸氏に売り込むという選択肢はなかった。
服飾に関しては声質上ひかえめな性格の青空であるから、年頃になってもセーターにジーパンというそっけない物を好んで
いた。が、身体の発育はむしろ質素をして淫靡たらしめているらしく、周囲の男性の目は否応なしに注がれた。
更に170センチという長身も相まって、街頭でモデルにスカウトされた事も1度や2度でもなかったが、すでに幾度となく
「自分には社交性がない」と思いこみ、思いこまざるを得なかった人見知りである。ついていくことなく無言で逃げ去るのが
常であった。
そんな彼女が好きだったのは、Cougarという男性アイドルだった。
ある日たまたまスーパーマーケットで聴いた彼の歌に魅せられ、不慣れなCDショップで「別に興味はないけど家族のお使
いで来ました」という顔でメモを差し出しようやく買ったCD──4thシングル 「空っぽの星、時代をゼロから始めよう」──
はずっとずっと彼女の宝物だった。
それをお年玉で買ったCDウォークマンに入れ、『クーガー』というピューマの標準的英語名に見合わぬ優しくやんわりとした
歌声を聞くのが何かと辛い境涯にある青空にとっては唯一の楽しみだった。
ある日たまたまスーパーマーケットで聴いた彼の歌に魅せられ、不慣れなCDショップで「別に興味はないけど家族のお使
いで来ました」という顔でメモを差し出しようやく買ったCD──4thシングル 「空っぽの星、時代をゼロから始めよう」──
はずっとずっと彼女の宝物だった。
それをお年玉で買ったCDウォークマンに入れ、『クーガー』というピューマの標準的英語名に見合わぬ優しくやんわりとした
歌声を聞くのが何かと辛い境涯にある青空にとっては唯一の楽しみだった。
余談ながらCougarは4thシングル発売を機に大ブレイクした。元々関西の出で芸人志望だったがルックスがそこそこ良かっ
たためアイドル的な売られ方をした彼は、「とりあえず関西でそこそこ受けたから全国区」とばかり東京へ進出、しかし出す歌
出す歌オリコン30位前後に行ければよい方という感じで、所属事務所の連中がコネと伝手を総動員してようやくねじ込んだ
若者向けドラマでも主人公の恋敵役を無難にこなす程度。要するに2線級、いつの間にか消えている方が自然という態だった。
たためアイドル的な売られ方をした彼は、「とりあえず関西でそこそこ受けたから全国区」とばかり東京へ進出、しかし出す歌
出す歌オリコン30位前後に行ければよい方という感じで、所属事務所の連中がコネと伝手を総動員してようやくねじ込んだ
若者向けドラマでも主人公の恋敵役を無難にこなす程度。要するに2線級、いつの間にか消えている方が自然という態だった。
しかし彼は4thシングルでブレイクした。ファンに言わせれば「まるで別人になったように」ブレイクした。口の悪いファンの中
にはそれまでの3枚のシングルを評して「自分の世界に浸っているだけ。つまり黒歴史」とさえいうものもあった。しかし4th
シングル以降の彼は別人のように躍進していた。青空が彼のファンになったのは正にその上り調子の時だったが、しかし
彼女は決してミーハーではなかった。Cougarの歌に感ずるものがあったのだ。歌は自己表現の一手だが、彼がそれをや
時はどうやら精密機械を組み立てるような慎重さの元にやっているようだった。生の自分を無思慮にぶつけるような歌い方
……あるいは作詞や作曲ではなく、まず自分の個性という物を分解し、理解しつくした上でそれが活きるテーマを選び、
そのテーマを人の心に届けるために自分のあらゆる個性を客観的に活用しているようだった。どうすれば聞き手の心が震
えるか、心の底から考えている──…アーティストなら誰しも陥りがちな「独りよがり」を超えた完成された自己表現。
にはそれまでの3枚のシングルを評して「自分の世界に浸っているだけ。つまり黒歴史」とさえいうものもあった。しかし4th
シングル以降の彼は別人のように躍進していた。青空が彼のファンになったのは正にその上り調子の時だったが、しかし
彼女は決してミーハーではなかった。Cougarの歌に感ずるものがあったのだ。歌は自己表現の一手だが、彼がそれをや
時はどうやら精密機械を組み立てるような慎重さの元にやっているようだった。生の自分を無思慮にぶつけるような歌い方
……あるいは作詞や作曲ではなく、まず自分の個性という物を分解し、理解しつくした上でそれが活きるテーマを選び、
そのテーマを人の心に届けるために自分のあらゆる個性を客観的に活用しているようだった。どうすれば聞き手の心が震
えるか、心の底から考えている──…アーティストなら誰しも陥りがちな「独りよがり」を超えた完成された自己表現。
それがCougarの歌だった。青空は確かな物を感じ、そこに共鳴しているだけだった。
故に彼が4thシングル以降出す歌は必ずオリコンチャートの1位に上った。何ヶ月も頂点を占め、国民的アイドルや大御所
の連勝記録さえ破る事もあった。だが彼は決して増長せず、常にファンの心に響く歌ばかりを提供し続けた。それはドラマ
やバラエティでも同じだった。身も凍るような悪役のみならず「絶対に実写では演じるコトは不可能」といわれたユニークでエ
キセントリックなキャラを演じ切り社会現象さえ巻き起こした。マスコットグッズが量産され、芸人が物真似をしコントを作り
決めゼリフがその年の流行語大賞を獲得した。その癖バラエティ番組にゲスト出演する彼はどこかフワフワした温和な青
年で、有名司会者や毒舌芸人からの口さがない「イジリ」をやんわりを受け流しつつ時に鋭い返しをしたりもした。その意外
性が青空のCougarへの憧れをますます加速させた。その癖クイズ番組ともなれば全問正解が当たり前。青空はもはや
メロメロだった。420円といういささかしみったれた(お金のない子供でも買えるような)価格設定の自叙伝さえ買った。
の連勝記録さえ破る事もあった。だが彼は決して増長せず、常にファンの心に響く歌ばかりを提供し続けた。それはドラマ
やバラエティでも同じだった。身も凍るような悪役のみならず「絶対に実写では演じるコトは不可能」といわれたユニークでエ
キセントリックなキャラを演じ切り社会現象さえ巻き起こした。マスコットグッズが量産され、芸人が物真似をしコントを作り
決めゼリフがその年の流行語大賞を獲得した。その癖バラエティ番組にゲスト出演する彼はどこかフワフワした温和な青
年で、有名司会者や毒舌芸人からの口さがない「イジリ」をやんわりを受け流しつつ時に鋭い返しをしたりもした。その意外
性が青空のCougarへの憧れをますます加速させた。その癖クイズ番組ともなれば全問正解が当たり前。青空はもはや
メロメロだった。420円といういささかしみったれた(お金のない子供でも買えるような)価格設定の自叙伝さえ買った。
そしてますます好きになった。
特に学生時代カラーコーディネーターを志すも後天性の色盲を発症し、悩み、苦しんだという経歴には非常に共感する物を
覚えた。そして紆余曲折を経てアイドルになり、様々な人に喜びを分け与えたいと欲するようになった彼の姿、欠如を乗り越
えた強い姿に青空は勇気づけられてもいた。
だから将来はボランティア活動に従事するコトを決めていた。
手話を習得し、言葉を話せない人間の助けになりたかった。
自分のように望まずして欠如を負った人間と辛さや悲しみを分かち合いたかった。
特に学生時代カラーコーディネーターを志すも後天性の色盲を発症し、悩み、苦しんだという経歴には非常に共感する物を
覚えた。そして紆余曲折を経てアイドルになり、様々な人に喜びを分け与えたいと欲するようになった彼の姿、欠如を乗り越
えた強い姿に青空は勇気づけられてもいた。
だから将来はボランティア活動に従事するコトを決めていた。
手話を習得し、言葉を話せない人間の助けになりたかった。
自分のように望まずして欠如を負った人間と辛さや悲しみを分かち合いたかった。
「壊れても何度も立ち上がる強さを、誰か待っている」
高校に入り立ての頃、そう信じていた。
──玉城光によるザ・ブレーメンタウンミュージシャンズ急襲から45秒後。
濃霧の中に佇む影があった。右に1つ。左に2つ。影絵のように真黒なそれらは明らかに人の形を取っていた。最も小柄
だったのは右の影で、左は巨漢と中肉中背。金物の擦れ合う甲高い音に一拍遅れて中肉中背の辺りから細長い影が伸び
た。びゅーっと一直線に伸びたそれは右の影の胴体に巻きついたようだった。そして巨漢が動こうとした瞬間、無数の細か
い影が小柄な影から舞った。巻きついた物が破壊されたらしい。そのまま影達は数秒の間にらみ合っていたようだが、や
がて誰ともなく対極に向かって駆け出した。
だったのは右の影で、左は巨漢と中肉中背。金物の擦れ合う甲高い音に一拍遅れて中肉中背の辺りから細長い影が伸び
た。びゅーっと一直線に伸びたそれは右の影の胴体に巻きついたようだった。そして巨漢が動こうとした瞬間、無数の細か
い影が小柄な影から舞った。巻きついた物が破壊されたらしい。そのまま影達は数秒の間にらみ合っていたようだが、や
がて誰ともなく対極に向かって駆け出した。
やがて白い粒子の中で3つの影が交差し火花が散った。鈍い音が彼方まで響く頃、影の位置はそっくり入れ替わっていた。
すなわち、今度は右に2つ、左に1つ。やがて前者らはぐらり……と脳天揺らめかせながら前のめりに倒れ、後者は腰のあ
たりから何かをばらばら取り落しながら振り返る。
すなわち、今度は右に2つ、左に1つ。やがて前者らはぐらり……と脳天揺らめかせながら前のめりに倒れ、後者は腰のあ
たりから何かをばらばら取り落しながら振り返る。
「私を…………ホムンクルスにしたお姉ちゃん曰く……」
火花の散った辺りから張り裂けそうな颶風が吹いた。霧が払われ小柄な影に色彩が生まれる。
「対拠点殲滅用重戦兵器……私の…………設計思想だそうです。とはいえ……」
左にいた影は赤い三つ編みを腰まで垂らした少女だった。辺りを取り巻く霧から生まれたといってもいいほど虚ろな目をし
た少女は薄い胸を波打たせながらぼんやりと、右手を見る。すでに手首から先はなく、前腕部もまた崩壊の真っ最中だった。
亀裂に沿って微細な金属片が欠け落ちて、それらが地面でキンキンと跳ねていた。左手もまた同じだった。腕だった部分は
いま足元で霧より細かくなっている。
た少女は薄い胸を波打たせながらぼんやりと、右手を見る。すでに手首から先はなく、前腕部もまた崩壊の真っ最中だった。
亀裂に沿って微細な金属片が欠け落ちて、それらが地面でキンキンと跳ねていた。左手もまた同じだった。腕だった部分は
いま足元で霧より細かくなっている。
「光球…………さきほどのカッコいい技は…………訓練なしでは無理みたい、です。吸収して……返して……大ダメージを
与えましたが……私も無事では……ないようです。腕がズタズタに……なりました」
与えましたが……私も無事では……ないようです。腕がズタズタに……なりました」
風が更に霧を薙ぎ、倒れ伏した右の影2つの正体を明らかにした。
「でも……ああしなければ…………勝てませんでした」
片方はレモンのような瞳をした少年で、瞳を血走らせたまま地面に顎乗せ気絶していた。
もう片方は黒装束をまとった大男で、全身のあちこちを切断されているようだった。右手首や左足首が欠け、腰部は装束
ごとバックリ裂けていた。そのこめかみから脇腹を一直線に斬り裂いた手応えを幻肢痛とともに味わいながら、玉城光はゆっ
くりと彼らめがけて歩きはじめた。
「お姉ちゃんからの伝達事項その一。テスト対象を殲滅した相手を殲滅しろ。私の回答は……了承」
無骨な地面を踏みしめる少女の裸足が光ととともに鋭い爪へ変じた。
「まずは……2人」
倒れ伏す貴信と兵馬俑の傍で高々と膝を上げた玉城は、しかし軽い逡巡を浮かべたきり動きを止めた。
沈黙が続いた。
静寂が続いた。
いよいよ濃さを増す霧の中で膝を上げたまま彫像のように玉城は立ちすくんだ。
もう片方は黒装束をまとった大男で、全身のあちこちを切断されているようだった。右手首や左足首が欠け、腰部は装束
ごとバックリ裂けていた。そのこめかみから脇腹を一直線に斬り裂いた手応えを幻肢痛とともに味わいながら、玉城光はゆっ
くりと彼らめがけて歩きはじめた。
「お姉ちゃんからの伝達事項その一。テスト対象を殲滅した相手を殲滅しろ。私の回答は……了承」
無骨な地面を踏みしめる少女の裸足が光ととともに鋭い爪へ変じた。
「まずは……2人」
倒れ伏す貴信と兵馬俑の傍で高々と膝を上げた玉城は、しかし軽い逡巡を浮かべたきり動きを止めた。
沈黙が続いた。
静寂が続いた。
いよいよ濃さを増す霧の中で膝を上げたまま彫像のように玉城は立ちすくんだ。
何秒経っただろうか。爪と貴信らを悩ましげに見比べていた虚ろな瞳が強く閉じられた。彼女は首を振った。
そして先ほどと同じ言葉が一層の無機質さを以て紡がれた。
「お姉ちゃんからの伝達事項その一。テスト対象を殲滅した相手を殲滅しろ。私の回答は……了承」
異形の爪が、叩きつけられた。荒野にも似た地面が幾何学的にひび割れた。
「フ。困るな。手塩にかけて育てた俺の部下3人。易々と殺されては困る」
「…………」
地面だけを砕いた爪を無感動に眺めた玉城は、声のした方向めがけゆっくりと振り向いた。
「まったく我ながら不覚としかいう他ない。小札に気を取られ、本来できた筈の防御を怠るとはな」
玉城の背後。疾風に切り裂かれた霧の向こうで、貴信と兵馬俑の首根っこを両手に抱える男がいた。
そして先ほどと同じ言葉が一層の無機質さを以て紡がれた。
「お姉ちゃんからの伝達事項その一。テスト対象を殲滅した相手を殲滅しろ。私の回答は……了承」
異形の爪が、叩きつけられた。荒野にも似た地面が幾何学的にひび割れた。
「フ。困るな。手塩にかけて育てた俺の部下3人。易々と殺されては困る」
「…………」
地面だけを砕いた爪を無感動に眺めた玉城は、声のした方向めがけゆっくりと振り向いた。
「まったく我ながら不覚としかいう他ない。小札に気を取られ、本来できた筈の防御を怠るとはな」
玉城の背後。疾風に切り裂かれた霧の向こうで、貴信と兵馬俑の首根っこを両手に抱える男がいた。
幼少期。
複雑な背景を理解するには幼すぎた玉城光は……およそ11歳年上の姉をひどく好いていた。
光が幼稚園のころすでに高校生だった青空は、とても美人で何でもできる人に見えた。幼い少女は理想の女性像に心
から憧れる物だが、光にとってそれは青空だった。実母も美人であったが姉を見る時の視線は常に何か名状しがたい、
純粋な光が受け入れ難い『何か』を孕んでいて、理想像には挙げづらかった。その点青空はいつもニコニコとほほ笑んでい
て暖かな感じがした。
光が幼稚園のころすでに高校生だった青空は、とても美人で何でもできる人に見えた。幼い少女は理想の女性像に心
から憧れる物だが、光にとってそれは青空だった。実母も美人であったが姉を見る時の視線は常に何か名状しがたい、
純粋な光が受け入れ難い『何か』を孕んでいて、理想像には挙げづらかった。その点青空はいつもニコニコとほほ笑んでい
て暖かな感じがした。
憧れていた。
理想の女性は常に姉だった。
理想の女性は常に姉だった。
料理の腕に関しては母親より上だと密かに思っていて、だから彼女が作ってくれるご飯は単純にいえばごちそうだった。
母親の作る料理とは違った豪華さ、憧れの人が作ってくれたという思いが「ほっぺたのとろけそうなぐらいおいしい」と思わ
せていた。一度料理を作ってくれない事に泣いたのは悪いコトをしてしまったと心から後悔していた。
母親の作る料理とは違った豪華さ、憧れの人が作ってくれたという思いが「ほっぺたのとろけそうなぐらいおいしい」と思わ
せていた。一度料理を作ってくれない事に泣いたのは悪いコトをしてしまったと心から後悔していた。
そして中でもとりわけおいしかったのが……土曜日の午後に作ってくれるドーナツ。
砂糖がほどよくまぶされお気に入りのキングジョーのソフビ人形よりふわふわしているドーナツ。
姉があっという間に作るそれはとてもおいしかったので、光はこの食べ物がこの世で一番好きになった。
でもそれを食べながら他愛のない話をして、穏やかな青空の微笑を見る事はもっと大好きだった。
でもそれを食べながら他愛のない話をして、穏やかな青空の微笑を見る事はもっと大好きだった。
だから、光はよく青空の真似をするコトにした。
無邪気な同一化。憧れの人に少しでも近づきたいという、意思の表れ。
常に静かで囁くような青空の声はこの世で一番綺麗な音だったから、光は何度も何度も真似をした。
一生懸命青空の声に耳を傾けて、反芻して、口調も声量も何もかも同じになるよう、一生懸命練習した。
普段母親譲りの伊予弁で元気よく話している光だが、青空の真似をしている時だけは違う自分になれたようで嬉しかった。
野暮ったくって子供っぽくてウルトラマンを見ればメカっぽい怪獣を応援して、魔法少女のアニメよりロボットアニメを好む
ような、新聞紙の上で鼻頭に塗料をつけてプラモデルに色を塗っているような男っぽい自分ではなく、まるでお姫様のような
青空になれた気がして嬉しかった。
青空はその他愛もない物真似をニコニコと笑顔で聞いてくれた。
常に静かで囁くような青空の声はこの世で一番綺麗な音だったから、光は何度も何度も真似をした。
一生懸命青空の声に耳を傾けて、反芻して、口調も声量も何もかも同じになるよう、一生懸命練習した。
普段母親譲りの伊予弁で元気よく話している光だが、青空の真似をしている時だけは違う自分になれたようで嬉しかった。
野暮ったくって子供っぽくてウルトラマンを見ればメカっぽい怪獣を応援して、魔法少女のアニメよりロボットアニメを好む
ような、新聞紙の上で鼻頭に塗料をつけてプラモデルに色を塗っているような男っぽい自分ではなく、まるでお姫様のような
青空になれた気がして嬉しかった。
青空はその他愛もない物真似をニコニコと笑顔で聞いてくれた。
だから気に入ってくれているんだと、思っていた。
青空は。
およそ11歳年下の義理の妹がやらかす自分の声真似が嫌いで嫌いで仕方なかった。
大きな声で。もっと大きな声で。自分が畸形をきたした喉奥から辛うじてようやく小声を漏らしているだけの下らない人間
だと改めて突き付けられているようで、心から嫌いだった。それを笑顔で聞いていたのは、咎めたところで父と義母から
「妹の他愛もないマネに対してみっともない」と注意されるのが関の山だと思い込んでいたからだ。どうせ理由など説明した
ところで「大きな声で、もっと大きな声で」。聞き返されるのは分かり切っていた。
だと改めて突き付けられているようで、心から嫌いだった。それを笑顔で聞いていたのは、咎めたところで父と義母から
「妹の他愛もないマネに対してみっともない」と注意されるのが関の山だと思い込んでいたからだ。どうせ理由など説明した
ところで「大きな声で、もっと大きな声で」。聞き返されるのは分かり切っていた。
思春期を乗り越えた青空はもはや会話などしたくなかった。
聡明であるが故に通じない会話を他者に仕掛けるコトの無意味さを心底から悟っていた。
聡明であるが故に通じない会話を他者に仕掛けるコトの無意味さを心底から悟っていた。
要するに、諦めていたのだ。妹の声真似のような不愉快な出来事に抗議しても、父母はどうせ味方をしない。小学6年生
3学期末の経験則からすれば放置され、妹のみに肩入れされる……そう理解していた。思い込んでいた。様々な釈明を避
けるため無言で参加した家族団欒の中心は常に妹で、妹の他愛もない大声で父が笑い母が湧く。その繰り返しだった。青
空は無言で笑っていた。空虚な相槌を何万と打ちながら好きなアイドル──Cougar──のコトばかり考えていた。そして
心の決定的な部分が融和していない今の家庭を見て、幾度となく思った。
3学期末の経験則からすれば放置され、妹のみに肩入れされる……そう理解していた。思い込んでいた。様々な釈明を避
けるため無言で参加した家族団欒の中心は常に妹で、妹の他愛もない大声で父が笑い母が湧く。その繰り返しだった。青
空は無言で笑っていた。空虚な相槌を何万と打ちながら好きなアイドル──Cougar──のコトばかり考えていた。そして
心の決定的な部分が融和していない今の家庭を見て、幾度となく思った。
自分はしょせん『前の家庭の残りカス』だと。
半分のみ血のつながった父親と赤の他人と、……”それ”がたまたま生後11か月の時に首を絞めなかった義理の妹の
構成する団欒とやらに自分がいる必要性も必然性もまったく感じられなかった。食べ終わった後の片付けだって率先して
やったし、部屋の掃除もお使いも料理の手伝いもおよそ家事と呼べる物は何でもやった。だが光ほど褒められたコトはな
かった。孤独感を感じる原因はそれだった。
しかし部屋が光と共用だったのはいうまでもない。住んでいるのはどこにでもあるマンションの4階の狭い1室。だから我
慢する。抗弁したところで義母が伊予弁に溜息をブレンドして宥めてくるのは見えていた。テレビも1台だけの家庭。Coug
arが紅白に初出場した時もその場面はリアルタイムで見れなかった。妹がドラえもんを見たがったせいだ。Cougarの晴れ
舞台は年が明けてからビデオで見るしかなかった。ファンという存在にとってそれがどれだけ辛いコトか叫びたかった。辛う
じて最後の方、日本野鳥の会じみた連中が票数を数える辺り──は一家で見れたが、しかし楽しみにしていた場面では
決してなかった。
そうして家庭局面の端々で妹がやらかす青空の声真似に父が笑い母が湧く。青空はそこに嘲りを感じた。内向的な者特
有の自意識過剰が侮蔑を求めた。そのたびかつてインフルエンザの高熱の中で覚えた「自分はこうあるべき」感情と正反
対の物がどこかで微かに生じるのを感じた。
構成する団欒とやらに自分がいる必要性も必然性もまったく感じられなかった。食べ終わった後の片付けだって率先して
やったし、部屋の掃除もお使いも料理の手伝いもおよそ家事と呼べる物は何でもやった。だが光ほど褒められたコトはな
かった。孤独感を感じる原因はそれだった。
しかし部屋が光と共用だったのはいうまでもない。住んでいるのはどこにでもあるマンションの4階の狭い1室。だから我
慢する。抗弁したところで義母が伊予弁に溜息をブレンドして宥めてくるのは見えていた。テレビも1台だけの家庭。Coug
arが紅白に初出場した時もその場面はリアルタイムで見れなかった。妹がドラえもんを見たがったせいだ。Cougarの晴れ
舞台は年が明けてからビデオで見るしかなかった。ファンという存在にとってそれがどれだけ辛いコトか叫びたかった。辛う
じて最後の方、日本野鳥の会じみた連中が票数を数える辺り──は一家で見れたが、しかし楽しみにしていた場面では
決してなかった。
そうして家庭局面の端々で妹がやらかす青空の声真似に父が笑い母が湧く。青空はそこに嘲りを感じた。内向的な者特
有の自意識過剰が侮蔑を求めた。そのたびかつてインフルエンザの高熱の中で覚えた「自分はこうあるべき」感情と正反
対の物がどこかで微かに生じるのを感じた。
対象は常に義理の妹だった。
妹は確かに理想像ではあった。
妹は確かに理想像ではあった。
声が大きく快活で、幼い瞳には常に光が溢れていて、ただ喋るだけで誰からも好かれる雰囲気を持っていた。
理想だった。
失われた喉よりも壊されたくない宝のような存在だった。
だからこそ、この世で一番嫌いだった。
もちろん妹を好く努力はした。存在が回り回って自分に不都合を与えるだけで、人格そのものが害毒をもたらす物ではな
いとは分かっていた。事実、光が青空に直接損害をもたらしたコトはなかった。父母の愛情が彼女に傾注しているというだ
けだった。光自身は青空の悪口をいったりはしなかった。所有物を壊すコトだってなかった。光の趣味はいささか男性的な
プラモデル作りだったが、有機溶剤で色を塗るのは決まって青空のいない時だった。塗っている時に青空が帰ってくれば
すぐさま窓を開けて換気する配慮を見せていた。だから決して悪い人間だとは思っていなかった。物真似の件だって幼児
らしい無邪気な仕草だと最初のうちは思っていた。
だが義妹は自分の決して持ち得ない物を振りかざして自分が欲しい物を奪っていく。小学6年の3学期末のテスト以外は
すべて満点をとった青空はそこまでの連勝を褒められたりしなかったが、光はただひらがなの書き取りテストで3回連続満
点を取った程度でパーティが開かれるほどだった。最悪の仇敵が妹になったのはその瞬間だった。義母も嫌いだったがい
つしか自分を見る視線に名状しがたい『何か』を孕む以外はまったく踏み込んでこなくなったので、下らない声真似をやらか
す光よりはマシだった。伊予弁を大声で発する野暮ったくて子供っぽい光よりはマシだった。
いとは分かっていた。事実、光が青空に直接損害をもたらしたコトはなかった。父母の愛情が彼女に傾注しているというだ
けだった。光自身は青空の悪口をいったりはしなかった。所有物を壊すコトだってなかった。光の趣味はいささか男性的な
プラモデル作りだったが、有機溶剤で色を塗るのは決まって青空のいない時だった。塗っている時に青空が帰ってくれば
すぐさま窓を開けて換気する配慮を見せていた。だから決して悪い人間だとは思っていなかった。物真似の件だって幼児
らしい無邪気な仕草だと最初のうちは思っていた。
だが義妹は自分の決して持ち得ない物を振りかざして自分が欲しい物を奪っていく。小学6年の3学期末のテスト以外は
すべて満点をとった青空はそこまでの連勝を褒められたりしなかったが、光はただひらがなの書き取りテストで3回連続満
点を取った程度でパーティが開かれるほどだった。最悪の仇敵が妹になったのはその瞬間だった。義母も嫌いだったがい
つしか自分を見る視線に名状しがたい『何か』を孕む以外はまったく踏み込んでこなくなったので、下らない声真似をやらか
す光よりはマシだった。伊予弁を大声で発する野暮ったくて子供っぽい光よりはマシだった。
料理を作ってやるのは一度泣き喚かれたから…………いつもそう自分に言い聞かせながら作っていた。
泣かれたとき……青空は彼女なりに論理立て、筋道立てて空腹を我慢するよう諭そうとした。
結果はいつも通りだ。『伝わらない』。小声は火のついたような幼児の泣き声にあっけなくかき消された。大波の前の砂上
楼閣のようにあっけなく。
楼閣のようにあっけなく。
だから内心いやいやながら腕を振るう。手を抜けば泣かれる。また小声がかき消される。その屈辱を思えば手慣れた料
理をさっさと作り妹の胃袋を満たして静かにする方が楽……嫌いな筈の義妹に手抜きなしの料理を振る舞う矛盾をもっとも
らしい理屈で納得させ料理を作る。
理をさっさと作り妹の胃袋を満たして静かにする方が楽……嫌いな筈の義妹に手抜きなしの料理を振る舞う矛盾をもっとも
らしい理屈で納得させ料理を作る。
そして食べてくれる光の笑顔にいつもドキリとしながら物陰で首を振り、言い聞かせる。
違う。好きなんかじゃない。嫌いで……大嫌いで。ただ首を絞められなかった”だけ”で自分の望むもの総て持ち合わせて
いる無邪気な妹の笑顔になど揺らめきたくない。融かされたくない。
いる無邪気な妹の笑顔になど揺らめきたくない。融かされたくない。
嫌悪しはげしく恨むものにどうして救われたいと思えるだろうか。
だのに躍起になればなるほど義妹の笑顔は心の中で大きくなる。膨れ上がる。この世でただ一人だけ心寄せると決めた
アイドルCougerと同じぐらい愛おしく、大事に思えてくる──…
アイドルCougerと同じぐらい愛おしく、大事に思えてくる──…
玉城光だけだった。
いくら小声で話しても聞き取ってくれるのは。
喉が潰れ、社交性をなくしたと強く信じている青空へ、ごく普通に話しかけてくれるのは──…
玉城光だけだった。
同じ部屋で眠るあどけない顔から視線を下に移し、肩と顎の狭間にある器官を眺めるコトは何度もあった。
その度青空は後悔した。かつて”そこ”が嗄れ、自分のようになったら大変だと思ったコトを……心の底から。
しかし『妹に関しては』、自らの手で絞める事はなかった。絞めるつもりなどはなかった。
その度青空は後悔した。かつて”そこ”が嗄れ、自分のようになったら大変だと思ったコトを……心の底から。
しかし『妹に関しては』、自らの手で絞める事はなかった。絞めるつもりなどはなかった。
将来はボランティア活動に従事して、困っている人の力になりたかった。
だからこの世で一番嫌いな妹といえど危害を加えたくはなかった。
首を絞めるどころか叩く事さえしたくなかった。
青空は聡明だった。負の感情の赴くまま世界に害を成すコトは自分の有り様と違うと思っていた。どうせ11歳も年が離れ
ているのだから、数年の内にお互い別々の人生を歩み出す。不愉快を耐えるのはそれまで……理性ではそう考えていた。
妹の首を見て溜息をついた後は、窓際に置かれた愛用の白いビーンズテーブルに向い、電気スタンドの小さな光の中で
Cougarにファンレターを書くのが日課だった。そして書き終わって封をした後、自分の住所を書くかどうかいつも悩んだ。
実をいうと返事は欲しかった。でも住所を書くと多忙なアイドルに返事を要求しているようで申し訳なかった。
ので、差出人不明の手紙を笑顔で学生鞄に詰め込んで、もしこの手紙であの人が喜んでくれたらいいなあと布団の中で
少女らしくきゃぴきゃぴと頬を綻ばせるのが青空にとっての団欒だった。
ているのだから、数年の内にお互い別々の人生を歩み出す。不愉快を耐えるのはそれまで……理性ではそう考えていた。
妹の首を見て溜息をついた後は、窓際に置かれた愛用の白いビーンズテーブルに向い、電気スタンドの小さな光の中で
Cougarにファンレターを書くのが日課だった。そして書き終わって封をした後、自分の住所を書くかどうかいつも悩んだ。
実をいうと返事は欲しかった。でも住所を書くと多忙なアイドルに返事を要求しているようで申し訳なかった。
ので、差出人不明の手紙を笑顔で学生鞄に詰め込んで、もしこの手紙であの人が喜んでくれたらいいなあと布団の中で
少女らしくきゃぴきゃぴと頬を綻ばせるのが青空にとっての団欒だった。