「? 珍しいわね。私の方に来るなんて」
書きかけの台本から目をあげると、若宮千里は来訪者に呼び掛けた。声は届いているようだが来訪者はドアの前で止まっ
たままだ。ただ小さな肩ごと胸を上下させているのは分かった。それで千里は来訪者がどうやってきたのか知り
「ダメでしょ。廊下を走っちゃ」
柔らかい微笑を浮かべた。夕日が眩しい教室だった。差し込む光のオレンジは影の暗さと強烈にコントラスト。でもそんな
光景はなんだか劇的で来訪者にぴったりだなあと千里は思った。
「……うん」
鼻にかかった甘い吐息を漏らすと彼女はまた走った。今度は千里に近づくために。
「もう」
「廊下じゃないもん」
呆れる千里の手を取ると、来訪者は悪戯っぽく笑った。そしてしばらく他愛のない会話──とうとうまひろが秋水に対し
コマを一歩進めたとか台本の進捗状況はどうだとか、監督が急に演劇部を任せてきて大変だとか、でもそれが満更でも
なさそうだとか少しはにかんだ「そんなコトないよ」とか──普通の、女子高生の会話の後、彼女は千里にこう頼んだ。
「ね。千里。寄宿舎に戻ったら……髪。また梳いてくれる?」
断る理由はなかった。千里はその来訪者に少しあこがれていた。
金に輝く滑らかな髪。日の光などまるで知らないような白い肌。人形のように整った愛くるしい顔。
どれをとっても「いかにも地味な」自分とは対極だ。髪を梳くのはせめて憧れをもっと綺麗にしたいという心情のなせる
わざかも知れない。
筒に小分けした長髪をいじりながら「いいかな。大丈夫かな」と不安げに見つめてくる来訪者……大事な友人の頭を
軽く撫でる。返事はそれだけで十分だった。後は来訪者が「わー!」と嬉しげに抱きつくのを困り顔で宥めるだけだ。
書きかけの台本から目をあげると、若宮千里は来訪者に呼び掛けた。声は届いているようだが来訪者はドアの前で止まっ
たままだ。ただ小さな肩ごと胸を上下させているのは分かった。それで千里は来訪者がどうやってきたのか知り
「ダメでしょ。廊下を走っちゃ」
柔らかい微笑を浮かべた。夕日が眩しい教室だった。差し込む光のオレンジは影の暗さと強烈にコントラスト。でもそんな
光景はなんだか劇的で来訪者にぴったりだなあと千里は思った。
「……うん」
鼻にかかった甘い吐息を漏らすと彼女はまた走った。今度は千里に近づくために。
「もう」
「廊下じゃないもん」
呆れる千里の手を取ると、来訪者は悪戯っぽく笑った。そしてしばらく他愛のない会話──とうとうまひろが秋水に対し
コマを一歩進めたとか台本の進捗状況はどうだとか、監督が急に演劇部を任せてきて大変だとか、でもそれが満更でも
なさそうだとか少しはにかんだ「そんなコトないよ」とか──普通の、女子高生の会話の後、彼女は千里にこう頼んだ。
「ね。千里。寄宿舎に戻ったら……髪。また梳いてくれる?」
断る理由はなかった。千里はその来訪者に少しあこがれていた。
金に輝く滑らかな髪。日の光などまるで知らないような白い肌。人形のように整った愛くるしい顔。
どれをとっても「いかにも地味な」自分とは対極だ。髪を梳くのはせめて憧れをもっと綺麗にしたいという心情のなせる
わざかも知れない。
筒に小分けした長髪をいじりながら「いいかな。大丈夫かな」と不安げに見つめてくる来訪者……大事な友人の頭を
軽く撫でる。返事はそれだけで十分だった。後は来訪者が「わー!」と嬉しげに抱きつくのを困り顔で宥めるだけだ。
千里はこの時まだ知らなかった。一見無邪気な友人がどういう人生を歩んできたのか。
その正体を。
夥しい血を流し死に瀕する自分を冷たい爬虫類の目で見る未来を。
のみならず正体を明かし、非情な現実を突きつける未来を。
のみならず正体を明かし、非情な現実を突きつける未来を。
何ひとつ知らないまま千里は彼女の名前を優しく呼んだ。
「ヴィクトリア」
「そう。ヴィクトリアや」
「ヴィクトリア=パワードなんや。器の最有力候補は」
「ほう。それはヴィクター君の娘だからかな?」
「というか……」
だぼついた長袖をけだるげに垂らし、ウィルは答えた。
「あんたの相棒でしょあのコ」
「?」
「だーかーらさー。あんたヴィクトリア=パワードと組んで大反乱劇を開催してたじゃない。忘れたの」
「あのコが器の最有力候補なんはその辺りのせいやな」
「…………?」
意味が分からない。解説を求め赤い筒を見ると朗らかな関西弁が漏れ出した。
「あー。悪かった。こいつの言うとんのは別の時系列の話や。違う歴史の話」
「というか……」
だぼついた長袖をけだるげに垂らし、ウィルは答えた。
「あんたの相棒でしょあのコ」
「?」
「だーかーらさー。あんたヴィクトリア=パワードと組んで大反乱劇を開催してたじゃない。忘れたの」
「あのコが器の最有力候補なんはその辺りのせいやな」
「…………?」
意味が分からない。解説を求め赤い筒を見ると朗らかな関西弁が漏れ出した。
「あー。悪かった。こいつの言うとんのは別の時系列の話や。違う歴史の話」
【銀成学園】
「マレフィックの1人。『水星』のウィルどのの武装錬金。その形状は不明。しかしながら」
「時間を操れるのは確か絶対間違いなし。ゆえに」
そこで小札はマイクをきゅっと握りしめた。俄かに下がった声の声トーンは聞く者総てに戦慄を与えた。
「過去に飛び歴史を歪め変貌させるコトなど朝飯前」
「今回の歴史はいい感じだよー。ま、そうじゃないと困るけど。マレフィック。正史じゃ今から10年前に全滅してた筈だけど
いろいろ頑張ったからいまこうして坂口照星とか誘拐できてる」
「正史、か。確か前にもキミはそんなコトを言っていたけど」
そのまんまの意味だよー。知らないの?」
いろいろ頑張ったからいまこうして坂口照星とか誘拐できてる」
「正史、か。確か前にもキミはそんなコトを言っていたけど」
そのまんまの意味だよー。知らないの?」
ウィルはムーンフェイスを見た。猫のように悪戯っぽい瞳を濡れそぼらせ。
「本来の歴史じゃヴィクターたちが月に消えた後、時間は何事もなく過ぎた」
「何事もないまま津村斗貴子たちはパピヨン討伐に赴きそして武藤カズキを月から連れ戻す」
「…………」
「…………」
ムーンフェイスは沈黙した。たっぷり20秒は黙った後、
「むーーーーーーーーーーーん?」
ウィルを理解した。本当の意味で。
【銀成学園】
「こ、ここまで来れば大丈夫だよね?」
「ああ」
「ああ」
屋上に続くドアの前でようやくまひろは秋水から離れた。俯き加減の彼女は何をいえばいいか分からなくなったのだろう。
急に口をつぐんだ。栗色の髪の間から見える額はうっすら湿り桜色で、不覚にも秋水は「綺麗だな」と思った。
そういえば、と気づく。
急に口をつぐんだ。栗色の髪の間から見える額はうっすら湿り桜色で、不覚にも秋水は「綺麗だな」と思った。
そういえば、と気づく。
彼女との距離が縮み始めたのは、この屋上の踊り場からだった。
いま目の前に広がる扉を開けて、そして出会い──…
ウィルは微笑した。
「少なくてもこの時期──────────────────────────────────────────」
「………………………………早坂秋水と武藤まひろは接近しなかった」
言葉少なだがいつもの会話をする。ギクシャクとしていたまひろの体から力が抜けた。
いつも通りの秋水に「秋水先輩。大人」とでもどんぐり眼をぱちくりさせ。
そしていつものように笑った。笑って階段を下り、すぐ途中の踊り場で手を振ってぴょこぴょこ去って行った。
いつも通りの秋水に「秋水先輩。大人」とでもどんぐり眼をぱちくりさせ。
そしていつものように笑った。笑って階段を下り、すぐ途中の踊り場で手を振ってぴょこぴょこ去って行った。
そんなまひろの姿を見るのが、秋水は好きだった。
いつの間にかそんな何気ない光景がとても好きになっている。そう自覚した。
くすぐったい気持ちをどうにかしたくて、彼は頬を少しだけ掻いた。
いつの間にかそんな何気ない光景がとても好きになっている。そう自覚した。
くすぐったい気持ちをどうにかしたくて、彼は頬を少しだけ掻いた。
そして扉を開ける。
彼女と出会った時とは違い……行く手に誰がいるか確信した上で。
彼女と出会った時とは違い……行く手に誰がいるか確信した上で。
「……つまり、本来の歴史には」
ムーンフェイスは努めて静かに返答する。らしくもない。頬を流れる汗にそう思う。足元がいまにも崩れていきそうな不安
がある。
がある。
「うん。なかったよ」
見知ったいくつもの顔がこちらを見る。
まず目に入ったのは剛太と桜花だ。当たり前のように隣同士で、彼は剛太に礼がいいたくなった。
鐶との戦いのさなか、傷ついた桜花を励ましてくれた戦友を。
あの戦いがあったからこそ、桜花も開けた世界で知己を得た。
まず目に入ったのは剛太と桜花だ。当たり前のように隣同士で、彼は剛太に礼がいいたくなった。
鐶との戦いのさなか、傷ついた桜花を励ましてくれた戦友を。
あの戦いがあったからこそ、桜花も開けた世界で知己を得た。
秋水は心からそう思い、彼らを見た。
「音楽隊と戦士との戦いなんか……なかった」
とても賑やかな連中だった。
もしカズキと出会ったらどういうやり取りをするのか。秋水は時々らしくもなく想像する。
もしカズキと出会ったらどういうやり取りをするのか。秋水は時々らしくもなく想像する。
「正史にはね」
「ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズなんてのはいなかった」
「総角主税も小札零も鳩尾無銘も鐶光も栴檀貴信も栴檀香美もいなかった」
「武藤カズキに出会えるワケ、ないじゃない」
ウィルは生あくびまじりに話す。話しつづける。
「ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズなんていうのは歴史のズレが生み出した存在に過ぎない。マレフィックが10年前、
あるべき手順で全滅しなかったばかりに生まれいでた徒花さ」
「ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズなんていうのは歴史のズレが生み出した存在に過ぎない。マレフィックが10年前、
あるべき手順で全滅しなかったばかりに生まれいでた徒花さ」
「そして歴史のズレは他にも細かな相違点を生んでいる」
「正史じゃ根来忍と楯山千里はコンビなんか組まないし」
「ヴィクトリアも銀成学園に招かれない」
いまの歴史にたどり着くまで無数の歴史が生まれ同じ数だけ上書きされ、消えていった。
ウィルは面倒くさそうに吐き捨てた。
「防人衛が五千百度の炎で焼け死ぬ歴史もあった」
ウィルは面倒くさそうに吐き捨てた。
「防人衛が五千百度の炎で焼け死ぬ歴史もあった」
「武藤カズキの初武装錬金。歴史によってタイミングはまちまち。巳田を殺す奴もそうさ」
「円山と犬飼が武藤カズキではなくヴィクター討伐に赴く歴史もある。そこには早坂秋水も居たかな」
「歴史は武装錬金の位相さえ変える。バブルケイジの特性……クロムクレイドルトゥグレイブの創造主……」
「人もだ。鈴木震洋は殺人経験アリの凶悪な未成年、坂口照星はいまと真逆の」
「武藤カズキの後輩の一人。女だったかな。そいつの父親がホムンクルスだったり」
「ヴィクターがエナジードレインでヴィクトリアを殺すっていうのもある」
「そうそうムーンフェイス。あんたが佐藤と浜崎と一緒に銀成学園の演劇発表襲う歴史もあったよ」
歴史は変わった。変え続けてきた。ウィルは言う。何の感慨も込めず。
「西山とか言うホムンクルスの捕縛された経緯」
「剣持真希士。邪空の凰。彼らの戦い。組織の内実……首魁の正体」
「防人。千歳。火渡。彼らが現在に至るまでの軌跡」
「そして……100年前。ヴィクター討伐の真実」
「どれも正史とは違うよ」
「わずかな差異で済むものもあれば」
「捏造としかいいようのないほど様変わりしたものも」
総てウィルの仕業や。歴史改変のせいや。デッドは笑いながらそう述べた。
「随分スゴい話になってきたね。神にも等しい力だ。世界を支配するのも夢じゃない」
なのになぜ一共同体の幹部に甘んじているのか。そうムーンフェイスが聞くと
「怠けるためー」
ウィルは無表情でピースした。
なのになぜ一共同体の幹部に甘んじているのか。そうムーンフェイスが聞くと
「怠けるためー」
ウィルは無表情でピースした。
「どしたんおにーちゃん。急にすっ転んで」
「い、いやその……ウィル君。キミはとても変わっているね」
埃にまみれた長身をよろよろと立て直しながらムーンフェイスは反問した。震える声には呆れと戸惑いが存分に混じって
いる。
「そやな。フツーに考えたら歴史改変とか莫大な手間と労力がかかる。いろいろ調べていろいろやって……うまくいくまで
付き合い続ける根気の作業や」
怠けるだけならそれこそ人の来ない秘境で延々眠っている方が効率的……ムーンフェイスの見解と見事一致したそれ
を赤い筒は並べたてた。滔々と。
「えー。やだよそんなの娯楽のない。ボクはさー。冷暖房の完備した部屋で毎日毎日面白いものだけ見てゴロゴロしたいのー」
どこから出したのか。大きな枕を強く抱きしめウィルは首を振った。いやいやをするような仕草は恐ろしく子供じみていた。
「なんかボタン押すだけで食事が来てさー、寝てる間に誰か洗濯とか布団干ししてくれて、ゲームも発売日に最強のセーブ
データ付きで届くような。あ、食事ボタンじゃなくてもいいや。ストロー。部屋にでっかいストローつけよう。ウィダーインゼリー
みたいな噛まなくていい奴ちゅーちゅー吸う方が面倒くさくない!!」
眠そうな目を一瞬だけ開きキラキラ輝かせるウィル。デッドは言葉さえなくしたらしい。ムーンフェイスもその声を震わせた。
「分かったよ。つまりキミはそういう生活を手に入れるため”だけ”に歴史を変えて変え続け」
「そう。ホムンクルスの自分が戦士に襲われたりしない、戦いのない、ぬくぬくとした庇護の下、好き勝手やれる世界を作るため
”だけ”ウチらに加担しとる。自分1人で戦うつもりなんかサラサラない」
「ある意味、働き者なのかものね。歴史を変えるのは確かに莫大な労力がいる。けど」
「ホムンクルスが戦士に狙われる」、その一文が不動の常態となり果てた社会でウィルの理想を全うするのは恐ろしく困難だ。
生きている限り人喰いは避けられない。多くのホムンクルスはその対策にさえ苦慮し生活を汲々とさせている。人並みの生活
さえ保持できるかどうか。
「ボクは逃げたりしたくないもん。だって面倒くさい。一生懸命逃げても戦士はまたボクを見つけるんだ。人がせっかく一生懸命
考えて引っ越しても数か月でブチ壊しだよ? ほんとー、戦士とかー、イミフー。ちょっと人間食べるだけですーぐブチ切れて
襲いかかってくる。ボクだって苦しんでるんだよー? 食人衝動に。なのにそれ解決しようともせずさあ、殺す殺すの一ツ覚え
でボクの楽しい生活ブチ壊し。まったく。あほだよ。アイツら」
「だからそんなものに逐一対応する位なら……多少なりとも労力を払い、ホムンクルスが……いや。ウィル君が。すごしやすい
世界を作る方が結果的には楽かもね。何しろ、ホムンクルスの人生は長い」
「そー。人間よりずっとね。しかも病気も老いもないし」
「歴史いじれるこいつがジブン人間に戻さん理由やな。はは。ここまできたら老後めざしてコツコツ貯蓄しとるおっさんと変わ
らへんがな。つくづく自分本位なやっちゃ」
仲間意識もなければ盟主への忠誠心もない。そんな男だ。やや嫌悪交じりに話すデッドに向かい
「だからさー。ボク、いくら怠けても大丈夫な世界が欲しいんだもん。だから何度も何度も時間飛んでさあ。歴史変えようと
頑張ってたんだよ? でもいつもいつも『アイツ』に見つかってダメになってさあ何度も何度もやり直し……」
ウィルは枕にくたりと顎を乗せた。そして目を細めた。
(……アイツ?)
「というかさあ。この世界なんか変なんだよねー。1回大きな終わり迎えてるみたい。その後2回、何か強力な力の隆起が
起こってさ、歴史が再始動してる感じだよ。しかもその後何度か細かい力が加わって、後から後から細かな修正されてる
ような……お陰でとても改変しやすいんだけど、ヘンなんだよねー」
「むん? キミのような歴史改変者が他にいるだけなんじゃ?」
「んーん。『アイツは確かにそうだったけど』、違うよー。本来の歴史そのものが、歴史自体の持つ力で変わってるの」
「もし例の核鉄の創造主やら世界の競合とかその傍観者の説が正しいとすればや。それらの妙な圧力とか勢いが、この
世界の成り立ちを他の並行世界と違うものにしとる……こいつそんなコトいうねん」
「そうそう。あ。生放送の時間だ。見ていいデッド?」
「ニコ動ばっか見とんなボケ!!」
ウィルは携帯電話を取り出した。すかさず赤い筒が炸裂し粉々になった。
「うー。いいじゃない。適当に見てダラダラ笑うにはピッタリなのに……」
「だいたいなんでそのケータイ、未来のネットが見れんねん!!」
また言い争いだ。ムーンフェイスはまぁまぁと笑いながら仲裁した。
「い、いやその……ウィル君。キミはとても変わっているね」
埃にまみれた長身をよろよろと立て直しながらムーンフェイスは反問した。震える声には呆れと戸惑いが存分に混じって
いる。
「そやな。フツーに考えたら歴史改変とか莫大な手間と労力がかかる。いろいろ調べていろいろやって……うまくいくまで
付き合い続ける根気の作業や」
怠けるだけならそれこそ人の来ない秘境で延々眠っている方が効率的……ムーンフェイスの見解と見事一致したそれ
を赤い筒は並べたてた。滔々と。
「えー。やだよそんなの娯楽のない。ボクはさー。冷暖房の完備した部屋で毎日毎日面白いものだけ見てゴロゴロしたいのー」
どこから出したのか。大きな枕を強く抱きしめウィルは首を振った。いやいやをするような仕草は恐ろしく子供じみていた。
「なんかボタン押すだけで食事が来てさー、寝てる間に誰か洗濯とか布団干ししてくれて、ゲームも発売日に最強のセーブ
データ付きで届くような。あ、食事ボタンじゃなくてもいいや。ストロー。部屋にでっかいストローつけよう。ウィダーインゼリー
みたいな噛まなくていい奴ちゅーちゅー吸う方が面倒くさくない!!」
眠そうな目を一瞬だけ開きキラキラ輝かせるウィル。デッドは言葉さえなくしたらしい。ムーンフェイスもその声を震わせた。
「分かったよ。つまりキミはそういう生活を手に入れるため”だけ”に歴史を変えて変え続け」
「そう。ホムンクルスの自分が戦士に襲われたりしない、戦いのない、ぬくぬくとした庇護の下、好き勝手やれる世界を作るため
”だけ”ウチらに加担しとる。自分1人で戦うつもりなんかサラサラない」
「ある意味、働き者なのかものね。歴史を変えるのは確かに莫大な労力がいる。けど」
「ホムンクルスが戦士に狙われる」、その一文が不動の常態となり果てた社会でウィルの理想を全うするのは恐ろしく困難だ。
生きている限り人喰いは避けられない。多くのホムンクルスはその対策にさえ苦慮し生活を汲々とさせている。人並みの生活
さえ保持できるかどうか。
「ボクは逃げたりしたくないもん。だって面倒くさい。一生懸命逃げても戦士はまたボクを見つけるんだ。人がせっかく一生懸命
考えて引っ越しても数か月でブチ壊しだよ? ほんとー、戦士とかー、イミフー。ちょっと人間食べるだけですーぐブチ切れて
襲いかかってくる。ボクだって苦しんでるんだよー? 食人衝動に。なのにそれ解決しようともせずさあ、殺す殺すの一ツ覚え
でボクの楽しい生活ブチ壊し。まったく。あほだよ。アイツら」
「だからそんなものに逐一対応する位なら……多少なりとも労力を払い、ホムンクルスが……いや。ウィル君が。すごしやすい
世界を作る方が結果的には楽かもね。何しろ、ホムンクルスの人生は長い」
「そー。人間よりずっとね。しかも病気も老いもないし」
「歴史いじれるこいつがジブン人間に戻さん理由やな。はは。ここまできたら老後めざしてコツコツ貯蓄しとるおっさんと変わ
らへんがな。つくづく自分本位なやっちゃ」
仲間意識もなければ盟主への忠誠心もない。そんな男だ。やや嫌悪交じりに話すデッドに向かい
「だからさー。ボク、いくら怠けても大丈夫な世界が欲しいんだもん。だから何度も何度も時間飛んでさあ。歴史変えようと
頑張ってたんだよ? でもいつもいつも『アイツ』に見つかってダメになってさあ何度も何度もやり直し……」
ウィルは枕にくたりと顎を乗せた。そして目を細めた。
(……アイツ?)
「というかさあ。この世界なんか変なんだよねー。1回大きな終わり迎えてるみたい。その後2回、何か強力な力の隆起が
起こってさ、歴史が再始動してる感じだよ。しかもその後何度か細かい力が加わって、後から後から細かな修正されてる
ような……お陰でとても改変しやすいんだけど、ヘンなんだよねー」
「むん? キミのような歴史改変者が他にいるだけなんじゃ?」
「んーん。『アイツは確かにそうだったけど』、違うよー。本来の歴史そのものが、歴史自体の持つ力で変わってるの」
「もし例の核鉄の創造主やら世界の競合とかその傍観者の説が正しいとすればや。それらの妙な圧力とか勢いが、この
世界の成り立ちを他の並行世界と違うものにしとる……こいつそんなコトいうねん」
「そうそう。あ。生放送の時間だ。見ていいデッド?」
「ニコ動ばっか見とんなボケ!!」
ウィルは携帯電話を取り出した。すかさず赤い筒が炸裂し粉々になった。
「うー。いいじゃない。適当に見てダラダラ笑うにはピッタリなのに……」
「だいたいなんでそのケータイ、未来のネットが見れんねん!!」
また言い争いだ。ムーンフェイスはまぁまぁと笑いながら仲裁した。
「まあ、音楽隊の連中についてはどうでもいいよ」
ムーンフェイスは軽やかに指を弾いた。
「重要なのは私だよ。私は正史に居たかい? 正史の中で……果たして地球を月世界よろしく荒廃させていたかい?」
「うん。少し未来の話だけどねー。ただ」
「ただ?」
「そのせいかな。ボクが歴史に介入できるようになったのは」
「ま、きっかけの一つではあるな」
デッドは頷き
「真・蝶成体……やったかな。完成はもうすぐや」
と言った。ムーンフェイスは「ほう」と会心の笑みを浮かべた。浮かぶ感嘆は誰がためか。
「いちおう試作品は浜崎君で試してはいたけど、そうか。成功したんだね」
「けど、よくなかったな。本来の歴史やと真・蝶成体は地球を破壊し尽くす。おにーちゃんの望みどおり。止められるものは
おらんかった」
「だからこそ、良くなかったんだよねー」
ウィルは溜息をついた。
「その時代に1人。歴史を改編しようとする奴が居たんだよねー。親と仲良くしたい……そんな感じのつまらない動機でね。
実際歴史改変は叶ったよ。運よくというか運悪くというかタイムスリップ可能な武装錬金があって、だからそいつは望みどお
り未来を変えた。今から少し先、パピヨンの元を訪れ、両親と協力し……真・蝶成体を打ち倒した」
「未来は平和になった。荒廃したんはなかったコトになった」
ムーンフェイスはやや気分を害したようだった。一瞬瞳も口も醜く歪め恐ろしい顔つきをした。
「あー。おにーちゃん怒った?」
「むーん。当然だよ。私の理想が阻まれるとあってはね。まったく余計なコトをしてくれた」
くるりと踵を返し表情を見せなくなったムーンフェイスの背後で筒がケタケタ笑った。
「あ。ひょっとしたらそいつタイムスリップさせたのウィルやと思っとる?」
「キミたちが私に話した情報から想像する限りはそうだね。まあ、まだ何か隠しているなら別だけど」
怒っとる怒っとる。弾けそうな笑いの中でウィルは面倒くさそうに後頭部をかいた」
「違うよー。それをやったのは別の奴。でもさあ」
興味深そうに振り返ったムーンフェイスにウィルは目を輝かせた。
「知ってる? 歴史改変って奴は難しいんだ。 何か1つ不都合を消せば新しい不都合が生まれるんだ。まあそれは主観
の話なんだけど、歴史を変えた結果別の何かが生まれてしまうっていうのは結構ザラだよ」
「もう焦らすなやウィル。結論からいうとな。真・蝶成体が地球全体を荒らしまわった結果、結構な数の核鉄が散逸したんや。
殆ど所在不明……人知れず眠っていたものがたくさんや」
ここまで言えば分かるやろ? デッド=クラスターは柔らかい声を期待に弾ませた。
ムーンフェイスも、笑った。
「その所在不明だった核鉄がウィル君。キミの手に渡った訳だね?」
「そ。真・蝶成体が正史どおり地球を荒廃させていたなら絶対ボクの手には渡らなかったであろう核鉄がね」
「そもそも正史やとウィルの祖先、真・蝶成体に殺されとったくさいしなー」
存在しない筈の存在。現存しないはずの核鉄。
「ありえないもの同士が出会い……そして歴史改変が始まった」
高らかに読み上げたムーンフェイスはしかし腰に手をあてたままふと動きを止めた。
「しかしおかしくないかい? 真・蝶成体を斃すためはるばる未来からやってきたというその人物はいったいいま、何をして
いるんだい? ウィル君。キミが歴史を変えたばかりにレティクルエレメンツは生き延びてしまっている」
そもそもその改変を呼んでしまった張本人ではないか。
なのになぜ、真・蝶成体のときよろしく来ないのか?
「まさかキミたち10人合わせて真・蝶成体に劣るというコトもないだろう」
「介入ならしてきたよ。何度もね。随分責任を感じていたようでさあ。もう必死必死。鬱陶しいのなんのだよ」
ぺたりと座り込み少年は
「だから何度も歴史を変える羽目になってさあ。ああ面倒くさかった」
堕落の赴くままうつ伏せに寝転んだ。
「ま、真・蝶成体も良し悪しっちゅーコトやな。ウィルが核鉄が持てたのもウィルが邪魔されたのも元をただせば真・蝶成体のせ
い。これやから歴史改変はややこし」
ウィルは軽く息を吸い、寝そべりながら手を振った。
ムーンフェイスは軽やかに指を弾いた。
「重要なのは私だよ。私は正史に居たかい? 正史の中で……果たして地球を月世界よろしく荒廃させていたかい?」
「うん。少し未来の話だけどねー。ただ」
「ただ?」
「そのせいかな。ボクが歴史に介入できるようになったのは」
「ま、きっかけの一つではあるな」
デッドは頷き
「真・蝶成体……やったかな。完成はもうすぐや」
と言った。ムーンフェイスは「ほう」と会心の笑みを浮かべた。浮かぶ感嘆は誰がためか。
「いちおう試作品は浜崎君で試してはいたけど、そうか。成功したんだね」
「けど、よくなかったな。本来の歴史やと真・蝶成体は地球を破壊し尽くす。おにーちゃんの望みどおり。止められるものは
おらんかった」
「だからこそ、良くなかったんだよねー」
ウィルは溜息をついた。
「その時代に1人。歴史を改編しようとする奴が居たんだよねー。親と仲良くしたい……そんな感じのつまらない動機でね。
実際歴史改変は叶ったよ。運よくというか運悪くというかタイムスリップ可能な武装錬金があって、だからそいつは望みどお
り未来を変えた。今から少し先、パピヨンの元を訪れ、両親と協力し……真・蝶成体を打ち倒した」
「未来は平和になった。荒廃したんはなかったコトになった」
ムーンフェイスはやや気分を害したようだった。一瞬瞳も口も醜く歪め恐ろしい顔つきをした。
「あー。おにーちゃん怒った?」
「むーん。当然だよ。私の理想が阻まれるとあってはね。まったく余計なコトをしてくれた」
くるりと踵を返し表情を見せなくなったムーンフェイスの背後で筒がケタケタ笑った。
「あ。ひょっとしたらそいつタイムスリップさせたのウィルやと思っとる?」
「キミたちが私に話した情報から想像する限りはそうだね。まあ、まだ何か隠しているなら別だけど」
怒っとる怒っとる。弾けそうな笑いの中でウィルは面倒くさそうに後頭部をかいた」
「違うよー。それをやったのは別の奴。でもさあ」
興味深そうに振り返ったムーンフェイスにウィルは目を輝かせた。
「知ってる? 歴史改変って奴は難しいんだ。 何か1つ不都合を消せば新しい不都合が生まれるんだ。まあそれは主観
の話なんだけど、歴史を変えた結果別の何かが生まれてしまうっていうのは結構ザラだよ」
「もう焦らすなやウィル。結論からいうとな。真・蝶成体が地球全体を荒らしまわった結果、結構な数の核鉄が散逸したんや。
殆ど所在不明……人知れず眠っていたものがたくさんや」
ここまで言えば分かるやろ? デッド=クラスターは柔らかい声を期待に弾ませた。
ムーンフェイスも、笑った。
「その所在不明だった核鉄がウィル君。キミの手に渡った訳だね?」
「そ。真・蝶成体が正史どおり地球を荒廃させていたなら絶対ボクの手には渡らなかったであろう核鉄がね」
「そもそも正史やとウィルの祖先、真・蝶成体に殺されとったくさいしなー」
存在しない筈の存在。現存しないはずの核鉄。
「ありえないもの同士が出会い……そして歴史改変が始まった」
高らかに読み上げたムーンフェイスはしかし腰に手をあてたままふと動きを止めた。
「しかしおかしくないかい? 真・蝶成体を斃すためはるばる未来からやってきたというその人物はいったいいま、何をして
いるんだい? ウィル君。キミが歴史を変えたばかりにレティクルエレメンツは生き延びてしまっている」
そもそもその改変を呼んでしまった張本人ではないか。
なのになぜ、真・蝶成体のときよろしく来ないのか?
「まさかキミたち10人合わせて真・蝶成体に劣るというコトもないだろう」
「介入ならしてきたよ。何度もね。随分責任を感じていたようでさあ。もう必死必死。鬱陶しいのなんのだよ」
ぺたりと座り込み少年は
「だから何度も歴史を変える羽目になってさあ。ああ面倒くさかった」
堕落の赴くままうつ伏せに寝転んだ。
「ま、真・蝶成体も良し悪しっちゅーコトやな。ウィルが核鉄が持てたのもウィルが邪魔されたのも元をただせば真・蝶成体のせ
い。これやから歴史改変はややこし」
ウィルは軽く息を吸い、寝そべりながら手を振った。
「本当は殺したかったけどね。色々あってできないんだ」
「でも再びこの時代の連中と手を組まれても厄介だ。異形として管理している」
「何の話──…」
「名前を知りたがっていたね? 紹介するよ」
少年の横で空間が割れ爆ぜた。漆黒の方形から飛び出したのは異形の手。
「名前を知りたがっていたね? 紹介するよ」
少年の横で空間が割れ爆ぜた。漆黒の方形から飛び出したのは異形の手。
「アイツはコイツ。人間のまま時空のねじれでこうなった」
その先にある爪がムーンフェイスの頬を薄く切り裂き、ピタリと静止した。
かつて照星に凄惨な暴行を加えムーンフェイスにさえ襲いかかった『同居人』。
その人物の名前をウィルは告げた。淡々と。淡々と。
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「武藤ソウヤ」
「もうすぐ真・蝶成体を斃しにくる未来人」
「武藤カズキと津村斗貴子の子供」
「その……なれの果てさ」