夕刻。今日の授業が全て終わり、生徒たちは放課後を迎えた。
ある者は連れ立って遊びに行き、ある者は部活に励み、ある者は委員会活動に取り組む。
そんな光景を彼、範馬刃牙は教室の窓から眺めていた。一時的なものとはいえ、別れを惜しんで。
「これでしばらく、見納めだな」
先日、徳川からの使者によって知らされた最大トーナメント。世界中から選び抜かれた
強者たちが集うこの大会で優勝を狙うのは、地下闘技場における無敗のチャンプである
自分にとっても、容易なことではないだろう。
なので特訓を始めることにした。その間、学生生活はお休みである。
「しっかし、また梢江ちゃんには叱られちゃうだろうなぁ。何とか納得してもらわないと……」
「刃牙くううううぅぅぅぅんっっ!」
噂をすれば何とやら。その梢江が、ただならぬ大声を上げて走ってきた。声だけでなく
その表情も、何やら切羽詰ってるというか緊迫してるというか、普通ではない。
「あなた、何やらかしたのっ!」
走ってきた梢江は体当たりしそうな勢いで刃牙に詰め寄り、その襟首を掴んで振り回した。
何が何だかわからぬまま、刃牙は振り回される。
「ちょ、ちょっと、まっ、俺まだ何も、言ってない、」
「まだ? やっぱり何かやったのね!」
「や、やるとかそういうものじゃ、だから、まず、落ち着いて、」
刃牙になだめられ、梢江はようやく手を離した。でもまだ息を切らし、ぜーはー言っている。
皺の寄った襟を直しながら、刃牙は訊ねた。
「俺が言ってるのは、また特訓に入るから明日から学校を休むってことで。梢江ちゃん、
そのことで怒ってるのかと思ったんだけど、でも考えてみたら、俺まだ誰にも言ってないし」
「特訓?」
梢江はちょっと首を傾げて考える。
「欠席が多すぎるから……っていっても、それでわざわざ呼び出すとかはしないわよね。
それは先生の仕事だし、わざわざ刃牙君を気にかける理由には……」
「? 何のこと、呼び出しって」
考え込んでぶつぶつ言ってた梢江が、改めて刃牙に向き直った。
「さっきね、会長に伝言を頼まれたのよ。刃牙君に、屋上へ来るようにって。
何だか話があるみたいよ。それも人目を避けて」
梢江は生徒会に所属しているので、ここでいう会長というのは生徒会長のことだ。
「会長が? 俺に? なんだろ」
刃牙は、顔こそ知っているものの一度も会話したことのない会長を思い出した。
才色兼備の文武両道、成績優秀品行方正、あらゆる美辞麗句な四字熟語が、
ピタリと似合う美少女で、ついでに家は大金持ち。
模範生というレベルを超え、天が二物も三物も四物も与えた、「理想」の塊みたいな
女子生徒、それが会長だ。男子はもちろん女子にもファンは多い。むしろ女子の方が多い。
不良でこそないものの欠席しまくりで進級が危うい刃牙とは、はっきり言って
住む世界の違うお方である。だから今まで、刃牙と接点なんかなかったのだが。
「私、てっきり刃牙君が何かとんでもないことに手を染めてて、それを知った会長が、
先生方に知られる前にやめさせるとか改心させるとか自首をすすめるとか、」
「もしもーし。梢江ちゃん。俺のこと何だと思ってる?」
「だって、じゃあ何か心当たりあるの?」
「いや、そりゃないけどさ。……まあいいよ、危ぶむなかれ、行けばわかるさってね」
考えるのが面倒になった刃牙は、カバンを持って歩き出した。教室を出て、屋上に向かう。
残された梢江はというと、
『うう、心配だわ。気になってしょうがない……けど、覗き見して盗み聞きするって
わけにもいかないし……でも気になるし……』
一人、悶々と悩んでいた。
ある者は連れ立って遊びに行き、ある者は部活に励み、ある者は委員会活動に取り組む。
そんな光景を彼、範馬刃牙は教室の窓から眺めていた。一時的なものとはいえ、別れを惜しんで。
「これでしばらく、見納めだな」
先日、徳川からの使者によって知らされた最大トーナメント。世界中から選び抜かれた
強者たちが集うこの大会で優勝を狙うのは、地下闘技場における無敗のチャンプである
自分にとっても、容易なことではないだろう。
なので特訓を始めることにした。その間、学生生活はお休みである。
「しっかし、また梢江ちゃんには叱られちゃうだろうなぁ。何とか納得してもらわないと……」
「刃牙くううううぅぅぅぅんっっ!」
噂をすれば何とやら。その梢江が、ただならぬ大声を上げて走ってきた。声だけでなく
その表情も、何やら切羽詰ってるというか緊迫してるというか、普通ではない。
「あなた、何やらかしたのっ!」
走ってきた梢江は体当たりしそうな勢いで刃牙に詰め寄り、その襟首を掴んで振り回した。
何が何だかわからぬまま、刃牙は振り回される。
「ちょ、ちょっと、まっ、俺まだ何も、言ってない、」
「まだ? やっぱり何かやったのね!」
「や、やるとかそういうものじゃ、だから、まず、落ち着いて、」
刃牙になだめられ、梢江はようやく手を離した。でもまだ息を切らし、ぜーはー言っている。
皺の寄った襟を直しながら、刃牙は訊ねた。
「俺が言ってるのは、また特訓に入るから明日から学校を休むってことで。梢江ちゃん、
そのことで怒ってるのかと思ったんだけど、でも考えてみたら、俺まだ誰にも言ってないし」
「特訓?」
梢江はちょっと首を傾げて考える。
「欠席が多すぎるから……っていっても、それでわざわざ呼び出すとかはしないわよね。
それは先生の仕事だし、わざわざ刃牙君を気にかける理由には……」
「? 何のこと、呼び出しって」
考え込んでぶつぶつ言ってた梢江が、改めて刃牙に向き直った。
「さっきね、会長に伝言を頼まれたのよ。刃牙君に、屋上へ来るようにって。
何だか話があるみたいよ。それも人目を避けて」
梢江は生徒会に所属しているので、ここでいう会長というのは生徒会長のことだ。
「会長が? 俺に? なんだろ」
刃牙は、顔こそ知っているものの一度も会話したことのない会長を思い出した。
才色兼備の文武両道、成績優秀品行方正、あらゆる美辞麗句な四字熟語が、
ピタリと似合う美少女で、ついでに家は大金持ち。
模範生というレベルを超え、天が二物も三物も四物も与えた、「理想」の塊みたいな
女子生徒、それが会長だ。男子はもちろん女子にもファンは多い。むしろ女子の方が多い。
不良でこそないものの欠席しまくりで進級が危うい刃牙とは、はっきり言って
住む世界の違うお方である。だから今まで、刃牙と接点なんかなかったのだが。
「私、てっきり刃牙君が何かとんでもないことに手を染めてて、それを知った会長が、
先生方に知られる前にやめさせるとか改心させるとか自首をすすめるとか、」
「もしもーし。梢江ちゃん。俺のこと何だと思ってる?」
「だって、じゃあ何か心当たりあるの?」
「いや、そりゃないけどさ。……まあいいよ、危ぶむなかれ、行けばわかるさってね」
考えるのが面倒になった刃牙は、カバンを持って歩き出した。教室を出て、屋上に向かう。
残された梢江はというと、
『うう、心配だわ。気になってしょうがない……けど、覗き見して盗み聞きするって
わけにもいかないし……でも気になるし……』
一人、悶々と悩んでいた。
刃牙が屋上に出てみると、天気晴朗にして風は穏やか、まだ真夏の暑さはなく、
昼寝に丁度いい陽気だった。
ここは立ち入り禁止というわけではないが、昼食時以外には殆ど人は来ない。
皆が帰宅したり部活に向かったりする放課後となれば尚更だ。
だから今、刃牙の他にここにいるのは、一人だけ。鉄柵越しにグラウンドを見下ろしている、
ほっそりとした女の子がいるだけだ。
「来てくれたのね」
女の子らしく、けれど高すぎはしない、耳に心地よい声と共に振り向いたのは、
確かに刃牙の知っている、生徒会長様だった。
眼鏡の向こうには気品を感じさせるツリ気味の目、整った鼻筋と可憐な桜色の唇。
スラリと高い身長は、実は刃牙を3センチ上回る。
艶やかなセミロングのストレートヘアは華奢な背中でサラサラと風に揺れ、首も肩も腰も、
どうやったらそんな風になれるんですかと他の女子生徒が何人も聞きに来るぐらい
細くしなやか。それでいて出るべきところはしっかり……あ、いや、待てよこれは……
『今気付いたけど、それほどでもない、というより明確にアレだな。多分、全国平均値を
きっちり下回ってる。今まで気を向けてなかったから、てっきり完璧超人だと思ってたけど、
ここが唯一の弱点ってとこか。けどしかし、むしろそれこそ望むところという男子も少なくは』
「……範馬君?」
会長にジト目で睨まれていることに気付き、刃牙は慌てて会長の胸部から視線を逸らす。
「す、すいません。でも、あの、俺は、実は、むしろそれこその方に属してまして、」
「? 何を言ってるのかわからないけど、とりあえず私の話を聞いてくれる?」
「あ、は、はい。どうぞ」
会長は刃牙に近づいてきた。
「あなたの中学時代のことを噂に聞いてね。失礼ながら、ちょっと調べさせてもらったの。
ご家庭の事情と、あなたの今までの経歴を」
予想外の言葉が飛んできて、刃牙は思わず一歩、後ずさった。緊張して警戒する。
会長の方は平然としたもので、警戒している刃牙を見つめてにっこり微笑んだ。
「大丈夫よ。松本さんにも、誰にも何も言わないわ。こういう言い方は何だけど、
あなたの過去そのものに興味はないしね。興味があるのはその過去を経て作り上げられた、
今現在の、そしてこれからの範馬君」
「これからの、ってどういう意味ですか」
会長の真意を測りかね、刃牙は軽く困惑する。
「詳しくは、今は言えないわ。言って、あなたが知っても、部外者であれば何にもならないしね。
そして部外者になるか、関係者になるかは、これから決まるの。範馬君、あなた格闘技の
心得があるのよね。それもかなり。その腕前を試させてほしいの」
「はい?」
刃牙は、今度は軽くではなく、重く困惑した。測ったら10トンぐらいはありそうな重さの困惑だ。
「試すって、何の為に」
「だから、それは関係者になったら説明してあげる。私が考えてる、ある計画の関係者にね」
「はあ。で、どうやって試すんです」
「もちろん、今この場で私と戦うのよ」
昼寝に丁度いい陽気だった。
ここは立ち入り禁止というわけではないが、昼食時以外には殆ど人は来ない。
皆が帰宅したり部活に向かったりする放課後となれば尚更だ。
だから今、刃牙の他にここにいるのは、一人だけ。鉄柵越しにグラウンドを見下ろしている、
ほっそりとした女の子がいるだけだ。
「来てくれたのね」
女の子らしく、けれど高すぎはしない、耳に心地よい声と共に振り向いたのは、
確かに刃牙の知っている、生徒会長様だった。
眼鏡の向こうには気品を感じさせるツリ気味の目、整った鼻筋と可憐な桜色の唇。
スラリと高い身長は、実は刃牙を3センチ上回る。
艶やかなセミロングのストレートヘアは華奢な背中でサラサラと風に揺れ、首も肩も腰も、
どうやったらそんな風になれるんですかと他の女子生徒が何人も聞きに来るぐらい
細くしなやか。それでいて出るべきところはしっかり……あ、いや、待てよこれは……
『今気付いたけど、それほどでもない、というより明確にアレだな。多分、全国平均値を
きっちり下回ってる。今まで気を向けてなかったから、てっきり完璧超人だと思ってたけど、
ここが唯一の弱点ってとこか。けどしかし、むしろそれこそ望むところという男子も少なくは』
「……範馬君?」
会長にジト目で睨まれていることに気付き、刃牙は慌てて会長の胸部から視線を逸らす。
「す、すいません。でも、あの、俺は、実は、むしろそれこその方に属してまして、」
「? 何を言ってるのかわからないけど、とりあえず私の話を聞いてくれる?」
「あ、は、はい。どうぞ」
会長は刃牙に近づいてきた。
「あなたの中学時代のことを噂に聞いてね。失礼ながら、ちょっと調べさせてもらったの。
ご家庭の事情と、あなたの今までの経歴を」
予想外の言葉が飛んできて、刃牙は思わず一歩、後ずさった。緊張して警戒する。
会長の方は平然としたもので、警戒している刃牙を見つめてにっこり微笑んだ。
「大丈夫よ。松本さんにも、誰にも何も言わないわ。こういう言い方は何だけど、
あなたの過去そのものに興味はないしね。興味があるのはその過去を経て作り上げられた、
今現在の、そしてこれからの範馬君」
「これからの、ってどういう意味ですか」
会長の真意を測りかね、刃牙は軽く困惑する。
「詳しくは、今は言えないわ。言って、あなたが知っても、部外者であれば何にもならないしね。
そして部外者になるか、関係者になるかは、これから決まるの。範馬君、あなた格闘技の
心得があるのよね。それもかなり。その腕前を試させてほしいの」
「はい?」
刃牙は、今度は軽くではなく、重く困惑した。測ったら10トンぐらいはありそうな重さの困惑だ。
「試すって、何の為に」
「だから、それは関係者になったら説明してあげる。私が考えてる、ある計画の関係者にね」
「はあ。で、どうやって試すんです」
「もちろん、今この場で私と戦うのよ」