武神と井上。憎むべき敵と愛した後輩。ふたつの姿が薄れていく。
はっきりと目に映っていた輪郭は徐々にぼやけ、極めて透明に近い濃度となる。
「じゃあな、井上……」
そっと微笑み、加藤が別れを告げる。
次に会えるとしたら、試練を全て耐えた後。十日後、自分は生きているだろうか。もは
や死に対してはさほど恐れはないが、井上に会えなくなることはとても恐ろしかった。
もうまもなく、武神と井上が完全に消える。
「………」
いなくなる瞬間は目にすまいと、加藤が背を向ける。と、後ろからだれかがのしかかっ
てきた。
「──なっ?!」試練か、と拳を握る加藤。
しかし、柔らかいこの感触──女のボディだ。
「待ってください!」
「え……えっ? い、井上!?」
背中には井上が泣きながら張りついており、姿もくっきりと映っている。振り返ると、
武神が立っていた。
「空間転移する寸前、息を吹き返したようだな」淡々と語る武神。
今生の別れになるかもしれない──覚悟した途端の再会。嬉しさと戸惑いが加藤を包み
込む。
「井上……」
「全部分かってます。私は今日で先輩とお別れします」
「………」
「でも、何も伝えられずに別れるのは嫌なんです。だからあと一時間、いえ三十分でいい、
時間をくださいっ!」
武神に向かって涙ながらに訴える井上。武神は特徴がまったく見受けられない口で、冷
徹に答えた。
「分かった、ただし十五分だ。長居で気が変わられては面倒になる」
「ありがとうございますっ!」
ほんの十五分、加藤と井上の時間が復活した。
黙って彼女を帰そうとしたことに、加藤は後ろめたさを感じていた。
「すまねぇ、俺は……」
「先輩、何もいわないで」
「え?」
「実は私も同じ気持ちでした。これ以上先輩につきまとったら、絶対に足手まといになる
って分かってました」
まるで体内にある汚れを浄化させるように、吐露を始める井上。
「……それでも、私は先輩とずっと暮らしたかった。そのためなら、試練に巻き込まれて
死んでもいいとさえ考えていました」
「井上……」
「でも、やっぱりダメだったんですね。今日、あの城と戦って私は知ったんです。私の存
在は先輩を殺してしまう、って。あの城の攻撃、たしかに凄かったけど先輩ひとりだった
らもっと楽に攻略できたはず。……そうでしょ?」
問いかける井上。
ここは世辞や慰めなど使うべきではない。加藤は真実を述べる。
「あァ」
「……良かった。私の目も節穴ではなかったんですね」
「ついでに、もうひとついっておくことがある」
「えっ……?」
押し寄せる“照れ”をむりやり押し止め、加藤がさらに真実を述べる。
「俺はお前を足手まといだと思ったことはねぇ。まして、仮にお前のせいで俺が死んだと
しても、それは俺にしてみれば最高の死に方だったはずだ」
「………」
「お前が来る寸前、俺は身も心もズタズタだった。戦友(ドッポ)も死に、試練はまだ三
分の一を終えたばかり……マジでやばかった」
今度は加藤がこれまで表に出さなかった心情を吐き出す。
「しかしよォ、そんな折にお前が来てくれた。最初こそギクシャクしてたが、本当に楽し
かったぜ。孤独も、試練の辛さも、全部忘れさせてくれた。最高のパートナー……いや」
ごくりと唾を飲み込み、考えるだけでも恥ずかしい言葉を捧げる。
「女神だった」
残された時間はわずか──だというのに、双方とも喋らなくなってしまった。短時間で
急激に本音をぶつけ合ったことで軽いショック状態に陥ってしまったためだ。
「あと一分」無機質な声で武神が呟く。
まずい。まだ伝えきってはいない。とっさに口を開く加藤。
「俺は必ず戻ってくる。ヤロウが仕向ける試練、どいつこいつもぶっ倒して必ず戻ってく
る。だから……泣くなよ」
「お、オス」目に浮かぶ涙をこらえる井上。
「じ、じゃあな……」加藤は逃げるようにうつむく。これ以上は、未練を残す。
加藤の心は後悔で一杯だった。
(いいのか、いいのかよ?! もしかしたら、最後かもしれねぇんだぞッ!?)
心の中で奮い立とうするも、ここ十五分で散々に“加藤らしからぬ行為”を連発した彼
に、これ以上“らしからぬ行為”をこなす勇気はなかった。このまま別れちまえばいい。
試練をクリアさえすれば、またいつでも会えるのだから──。
「先輩ッ!」
逃げの思考は、井上の声で打ち切られた。
「ど、どうした……」
「先輩……最後に、どうか」ぶわっと、井上の目から涙が溢れ出した。
はっきりと目に映っていた輪郭は徐々にぼやけ、極めて透明に近い濃度となる。
「じゃあな、井上……」
そっと微笑み、加藤が別れを告げる。
次に会えるとしたら、試練を全て耐えた後。十日後、自分は生きているだろうか。もは
や死に対してはさほど恐れはないが、井上に会えなくなることはとても恐ろしかった。
もうまもなく、武神と井上が完全に消える。
「………」
いなくなる瞬間は目にすまいと、加藤が背を向ける。と、後ろからだれかがのしかかっ
てきた。
「──なっ?!」試練か、と拳を握る加藤。
しかし、柔らかいこの感触──女のボディだ。
「待ってください!」
「え……えっ? い、井上!?」
背中には井上が泣きながら張りついており、姿もくっきりと映っている。振り返ると、
武神が立っていた。
「空間転移する寸前、息を吹き返したようだな」淡々と語る武神。
今生の別れになるかもしれない──覚悟した途端の再会。嬉しさと戸惑いが加藤を包み
込む。
「井上……」
「全部分かってます。私は今日で先輩とお別れします」
「………」
「でも、何も伝えられずに別れるのは嫌なんです。だからあと一時間、いえ三十分でいい、
時間をくださいっ!」
武神に向かって涙ながらに訴える井上。武神は特徴がまったく見受けられない口で、冷
徹に答えた。
「分かった、ただし十五分だ。長居で気が変わられては面倒になる」
「ありがとうございますっ!」
ほんの十五分、加藤と井上の時間が復活した。
黙って彼女を帰そうとしたことに、加藤は後ろめたさを感じていた。
「すまねぇ、俺は……」
「先輩、何もいわないで」
「え?」
「実は私も同じ気持ちでした。これ以上先輩につきまとったら、絶対に足手まといになる
って分かってました」
まるで体内にある汚れを浄化させるように、吐露を始める井上。
「……それでも、私は先輩とずっと暮らしたかった。そのためなら、試練に巻き込まれて
死んでもいいとさえ考えていました」
「井上……」
「でも、やっぱりダメだったんですね。今日、あの城と戦って私は知ったんです。私の存
在は先輩を殺してしまう、って。あの城の攻撃、たしかに凄かったけど先輩ひとりだった
らもっと楽に攻略できたはず。……そうでしょ?」
問いかける井上。
ここは世辞や慰めなど使うべきではない。加藤は真実を述べる。
「あァ」
「……良かった。私の目も節穴ではなかったんですね」
「ついでに、もうひとついっておくことがある」
「えっ……?」
押し寄せる“照れ”をむりやり押し止め、加藤がさらに真実を述べる。
「俺はお前を足手まといだと思ったことはねぇ。まして、仮にお前のせいで俺が死んだと
しても、それは俺にしてみれば最高の死に方だったはずだ」
「………」
「お前が来る寸前、俺は身も心もズタズタだった。戦友(ドッポ)も死に、試練はまだ三
分の一を終えたばかり……マジでやばかった」
今度は加藤がこれまで表に出さなかった心情を吐き出す。
「しかしよォ、そんな折にお前が来てくれた。最初こそギクシャクしてたが、本当に楽し
かったぜ。孤独も、試練の辛さも、全部忘れさせてくれた。最高のパートナー……いや」
ごくりと唾を飲み込み、考えるだけでも恥ずかしい言葉を捧げる。
「女神だった」
残された時間はわずか──だというのに、双方とも喋らなくなってしまった。短時間で
急激に本音をぶつけ合ったことで軽いショック状態に陥ってしまったためだ。
「あと一分」無機質な声で武神が呟く。
まずい。まだ伝えきってはいない。とっさに口を開く加藤。
「俺は必ず戻ってくる。ヤロウが仕向ける試練、どいつこいつもぶっ倒して必ず戻ってく
る。だから……泣くなよ」
「お、オス」目に浮かぶ涙をこらえる井上。
「じ、じゃあな……」加藤は逃げるようにうつむく。これ以上は、未練を残す。
加藤の心は後悔で一杯だった。
(いいのか、いいのかよ?! もしかしたら、最後かもしれねぇんだぞッ!?)
心の中で奮い立とうするも、ここ十五分で散々に“加藤らしからぬ行為”を連発した彼
に、これ以上“らしからぬ行為”をこなす勇気はなかった。このまま別れちまえばいい。
試練をクリアさえすれば、またいつでも会えるのだから──。
「先輩ッ!」
逃げの思考は、井上の声で打ち切られた。
「ど、どうした……」
「先輩……最後に、どうか」ぶわっと、井上の目から涙が溢れ出した。
唇と唇とを交える、加藤と井上。
半ば成り行きで知り合い、なすがままに今日まで衣食住を共にしてきた。
お互いに内から出でる疑惑。
──本当に俺(私)は彼女(彼)を愛しているのだろうか。
──極めて稀有な状況が生み出した幻ではないのだろうか。
ならば試すしかない。出会ってしまった雄と雌。疑問に決着をつけるべく、二人は唇を
通じて自身に問いかけた。
そして理解できた。──この感情を生み出したのは外因ではなく、他ならぬ自分自身。
「また会おうな」
「えぇ、次は道場で」
再会を誓う二人。もう十五分を経過していたが、武神も咎めることはしなかった。
半ば成り行きで知り合い、なすがままに今日まで衣食住を共にしてきた。
お互いに内から出でる疑惑。
──本当に俺(私)は彼女(彼)を愛しているのだろうか。
──極めて稀有な状況が生み出した幻ではないのだろうか。
ならば試すしかない。出会ってしまった雄と雌。疑問に決着をつけるべく、二人は唇を
通じて自身に問いかけた。
そして理解できた。──この感情を生み出したのは外因ではなく、他ならぬ自分自身。
「また会おうな」
「えぇ、次は道場で」
再会を誓う二人。もう十五分を経過していたが、武神も咎めることはしなかった。
──さらば、井上。