【9月12日】
放課後。
──────銀成学園。演劇部一同がよく使う教室で──────
「んふふ。そうじゃあ~ もっともっとわしを撫でるのじゃあー」
まるで夢見心地でうっとりする少女の頭を、まひろが楽しそうに撫でていた。
「おうおう。そこじゃ、そこじゃあ。んー」
いやにカビ臭い口調の少女は、ひどく戯画的な眼差しである。三本線にくしゃついた瞳が今にも蕩けそうにずり下がっている。
まるで夢見心地でうっとりする少女の頭を、まひろが楽しそうに撫でていた。
「おうおう。そこじゃ、そこじゃあ。んー」
いやにカビ臭い口調の少女は、ひどく戯画的な眼差しである。三本線にくしゃついた瞳が今にも蕩けそうにずり下がっている。
恐ろしく小さな体にややぶかぶかなゴシック系の制服をまとうポニーテールの少女。
外見年齢およそ7歳程度の彼女こそ、現在の銀成学園理事長なのである。
外見年齢およそ7歳程度の彼女こそ、現在の銀成学園理事長なのである。
話によれば前理事長の孫であり社会勉強を兼ねて就任したという彼女、どういう訳かよく演劇部に出入りしている。
とはいえ部員一同はあまり恐縮した様子もない。お菓子など与え適当にあしらいつつ、マイペースに練習をしている。
この日も彼らは稽古に余念がない。例の「ざんねんだったね」を合唱したり筋トレに励んだり台本を読み込んだりだ。
そんな喧騒と熱意に満ちた教室の一角で、まひろと理事長はじゃれている。
とはいえ部員一同はあまり恐縮した様子もない。お菓子など与え適当にあしらいつつ、マイペースに練習をしている。
この日も彼らは稽古に余念がない。例の「ざんねんだったね」を合唱したり筋トレに励んだり台本を読み込んだりだ。
そんな喧騒と熱意に満ちた教室の一角で、まひろと理事長はじゃれている。
「理事長さんってフェレットみたいだよね。かんざしのマスコットもそうだし」
そういいながらまひろは理事長のかんざしを物珍しそうに弄んだ。後ろ髪の付け根に差されたそれは愛らしいフェレットと
マンゴーのオブジェをぶら下げている。彼らは理事長が明るく楽しく叫ぶたび、夢の国の住民がごとくくるくる踊るのだ。
「ふぇれっとは可愛いからのう。まあ腐れ縁の連れ合いが選んだ理由は碌なもんじゃないが……」
それはともかく、と理事長はまひろの腰にがしりと抱きついた。
「今度はだっこじゃ、だっこしてくれじゃ! だっこして、且つ! 撫で撫で!」
身長は恐らく130cmもないだろう。そんな小さな子供が目をきらきらさせながら見上げてくるからたまらない。魚心あれば
なんとやら。ただでさえスキンシップが大好きなまひろ、目下大いに理事長がお気に入りだ。。
「きゃー!!
ひとたび黄色い声を上げればもうすごい。頬ずりはするわお姫様だっこはするはペタペタペタペタ体中を撫でまわすわの
大騒ぎである。
「ちーちん! さーちゃん! やっぱり理事長さんってすごく可愛いよ! 一緒に撫で撫でしようよ撫で撫で!」
可愛い子犬を見つけたという調子である。平素生命の息吹に満ちたあどけない瞳がより一層明るく輝いている。
友人たちは、呆れた。
「いや……そうはいうけどまっぴー。そのコ理事長さん。銀成学園で一番偉い人だよ」
「ちょっとは手加減してあげなさい。ケガしたら可哀相」
「えー、でも理事長さん可愛いし……」
「ええよええよ。好き放題愛でるのじゃー。わしは可愛がられるのが大好きなのじゃー」
ころころと理事長は喉を鳴らし、ひどくご満悦という様子だ。Vの字を描くまひろの両腕に抱きかかえられたまま、とても
とても幸せそうに目を細めている。
「ね、ね。理事長さんも演劇部入ろうよ!」
表情がわずかに曇った。
「うーむ……演劇か。しかしわしは世阿弥観阿弥が催すがごとき煌びやかな舞台には甚だ不向きじゃぞ。もっとこう柿色の
裙(くん)穿き謀略偸盗(ちゅうとう)渦巻く裏舞台をば跋扈しとる方が性分にあっとるような」
「くん? ちゅうとう?」
突如出てきた耳慣れぬ単語に一瞬あごに手を当て考えかけたまひろだが、由来彼女がその程度で止まる道理もない。
「大丈夫!」
「なにがよ」
醒めた目で呻く千里と「いっても無駄だよちーちん」と額に手を当て嘆息中の沙織を無視し、まひろは叫ぶ。ぱんと手を打ち
大音声で呼びかける。
「理事長さんは可愛いから大丈夫!!」
「可愛い可愛いというが本当かのう? その、じゃな。実はわしの鼻はすこぶる低い……情けないほど低いのじゃ。だから
まあ、わしはの。鏡見てもわが顔が可愛いとはあまり思えんというか……うぅ、その。低くてぴんくが差した変な鼻がすごく
すごく嫌なのじゃ…………」
それまで明るかった理事長の瞳が俄かに潤んだ。鼻を両手で覆い隠したまま頬を赤らめおどおどとまひろを見上げる辺り
よほど低い鼻にコンプレックスを抱いているようだ。
「ヌシが普通だと思うても、わしは低い鼻が嫌なのじゃ。まして、まして、衆目犇(ひしめ)く演劇場で舞台に登るなど。あ、ああ。
考えるだけで靦汗(てんかん)の至り……うぅ。恥ずかしい。いやじゃいやじゃ。きっと、ひっく。みなわしの低い鼻を笑うのじゃ」
「そうかな? 普通だと思うけど」
「ひあっ!?」
理事長の細い体がびくりと跳ねた。千里と沙織の顔面が蒼白になった。まひろ! 彼女の指が低い鼻をつまみ、弄び始めて
いるではないか。いつの間にやら理事長の手が、剥がされてもいる。
「ほら。ちゃんと掴めるよ?」
「や、やめ……! ぎゅっとつまむでな……ここここれ以上つぶれたらどうす……あっ!」
白い指が柔らかな丘陵を揉みつぶすたび、まひろの胸の中で幼い肢体がぶるぶると震えた。軟骨をしなやかな指が圧迫する
と必ず絹を裂くような叫びが小さな喉の奥から迸り、悶える。澄んだ大きな瞳には甘い靄さえかかり、艶めかしく潤んでいた。
身をよじりもじもじと太ももをすり合わせるが、その動きはひどく弱々しい。まひろの腕から抜け出せないのは、彼女の力が
強いという訳ではなく、理事長自身の脱力のせいであろう。
「ごご後生じゃ、後生じ……んっ!! やめ、やめぇ、そんな強く引っ張……痛い……はぁ、はぁ、んんん……、あっ! あっあっ、
やめ、やめて……やっ、いや、いやあああっ、声、声っ、恥ずかしいぃ………」
泣きそうな顔で理事長は首を左右に振る。しかしまひろは無邪気な物で、あくまで好奇心の赴くまま低い鼻をいじり続ける。
やがて理事長の声はとぎれとぎれになり、激しい吐息ばかりが教室に響いた。成り行きを見守る部員たちの顔は徐々に
深刻さを増していく。「背徳的な雰囲気だがいいのか」。みな、唖然とするばかりであった。
そういいながらまひろは理事長のかんざしを物珍しそうに弄んだ。後ろ髪の付け根に差されたそれは愛らしいフェレットと
マンゴーのオブジェをぶら下げている。彼らは理事長が明るく楽しく叫ぶたび、夢の国の住民がごとくくるくる踊るのだ。
「ふぇれっとは可愛いからのう。まあ腐れ縁の連れ合いが選んだ理由は碌なもんじゃないが……」
それはともかく、と理事長はまひろの腰にがしりと抱きついた。
「今度はだっこじゃ、だっこしてくれじゃ! だっこして、且つ! 撫で撫で!」
身長は恐らく130cmもないだろう。そんな小さな子供が目をきらきらさせながら見上げてくるからたまらない。魚心あれば
なんとやら。ただでさえスキンシップが大好きなまひろ、目下大いに理事長がお気に入りだ。。
「きゃー!!
ひとたび黄色い声を上げればもうすごい。頬ずりはするわお姫様だっこはするはペタペタペタペタ体中を撫でまわすわの
大騒ぎである。
「ちーちん! さーちゃん! やっぱり理事長さんってすごく可愛いよ! 一緒に撫で撫でしようよ撫で撫で!」
可愛い子犬を見つけたという調子である。平素生命の息吹に満ちたあどけない瞳がより一層明るく輝いている。
友人たちは、呆れた。
「いや……そうはいうけどまっぴー。そのコ理事長さん。銀成学園で一番偉い人だよ」
「ちょっとは手加減してあげなさい。ケガしたら可哀相」
「えー、でも理事長さん可愛いし……」
「ええよええよ。好き放題愛でるのじゃー。わしは可愛がられるのが大好きなのじゃー」
ころころと理事長は喉を鳴らし、ひどくご満悦という様子だ。Vの字を描くまひろの両腕に抱きかかえられたまま、とても
とても幸せそうに目を細めている。
「ね、ね。理事長さんも演劇部入ろうよ!」
表情がわずかに曇った。
「うーむ……演劇か。しかしわしは世阿弥観阿弥が催すがごとき煌びやかな舞台には甚だ不向きじゃぞ。もっとこう柿色の
裙(くん)穿き謀略偸盗(ちゅうとう)渦巻く裏舞台をば跋扈しとる方が性分にあっとるような」
「くん? ちゅうとう?」
突如出てきた耳慣れぬ単語に一瞬あごに手を当て考えかけたまひろだが、由来彼女がその程度で止まる道理もない。
「大丈夫!」
「なにがよ」
醒めた目で呻く千里と「いっても無駄だよちーちん」と額に手を当て嘆息中の沙織を無視し、まひろは叫ぶ。ぱんと手を打ち
大音声で呼びかける。
「理事長さんは可愛いから大丈夫!!」
「可愛い可愛いというが本当かのう? その、じゃな。実はわしの鼻はすこぶる低い……情けないほど低いのじゃ。だから
まあ、わしはの。鏡見てもわが顔が可愛いとはあまり思えんというか……うぅ、その。低くてぴんくが差した変な鼻がすごく
すごく嫌なのじゃ…………」
それまで明るかった理事長の瞳が俄かに潤んだ。鼻を両手で覆い隠したまま頬を赤らめおどおどとまひろを見上げる辺り
よほど低い鼻にコンプレックスを抱いているようだ。
「ヌシが普通だと思うても、わしは低い鼻が嫌なのじゃ。まして、まして、衆目犇(ひしめ)く演劇場で舞台に登るなど。あ、ああ。
考えるだけで靦汗(てんかん)の至り……うぅ。恥ずかしい。いやじゃいやじゃ。きっと、ひっく。みなわしの低い鼻を笑うのじゃ」
「そうかな? 普通だと思うけど」
「ひあっ!?」
理事長の細い体がびくりと跳ねた。千里と沙織の顔面が蒼白になった。まひろ! 彼女の指が低い鼻をつまみ、弄び始めて
いるではないか。いつの間にやら理事長の手が、剥がされてもいる。
「ほら。ちゃんと掴めるよ?」
「や、やめ……! ぎゅっとつまむでな……ここここれ以上つぶれたらどうす……あっ!」
白い指が柔らかな丘陵を揉みつぶすたび、まひろの胸の中で幼い肢体がぶるぶると震えた。軟骨をしなやかな指が圧迫する
と必ず絹を裂くような叫びが小さな喉の奥から迸り、悶える。澄んだ大きな瞳には甘い靄さえかかり、艶めかしく潤んでいた。
身をよじりもじもじと太ももをすり合わせるが、その動きはひどく弱々しい。まひろの腕から抜け出せないのは、彼女の力が
強いという訳ではなく、理事長自身の脱力のせいであろう。
「ごご後生じゃ、後生じ……んっ!! やめ、やめぇ、そんな強く引っ張……痛い……はぁ、はぁ、んんん……、あっ! あっあっ、
やめ、やめて……やっ、いや、いやあああっ、声、声っ、恥ずかしいぃ………」
泣きそうな顔で理事長は首を左右に振る。しかしまひろは無邪気な物で、あくまで好奇心の赴くまま低い鼻をいじり続ける。
やがて理事長の声はとぎれとぎれになり、激しい吐息ばかりが教室に響いた。成り行きを見守る部員たちの顔は徐々に
深刻さを増していく。「背徳的な雰囲気だがいいのか」。みな、唖然とするばかりであった。
「斗貴子さん。自分がいかがわしい小説描いてた癖に他の人に描くなって命令する人ってどう思う? オレ? んー。まあその
人にもいろいろ事情があるとは思うけど、でもさ、ちゃんと説明しないと「お前はどうなんだ」って反発されて大変じゃないかな。
ほら、岡倉なんかそういう本が大好きでしょ? 実は大浜もちょっと危ないシュミの本集めてるし」
「知るか! ああもう何の話だ! それから声真似はやめ……待てェ! エロスはともかく大浜真史まで!?」
「…………戻ってきたのはいいが、少々妙なコトになっているようだぞ津村」
人にもいろいろ事情があるとは思うけど、でもさ、ちゃんと説明しないと「お前はどうなんだ」って反発されて大変じゃないかな。
ほら、岡倉なんかそういう本が大好きでしょ? 実は大浜もちょっと危ないシュミの本集めてるし」
「知るか! ああもう何の話だ! それから声真似はやめ……待てェ! エロスはともかく大浜真史まで!?」
「…………戻ってきたのはいいが、少々妙なコトになっているようだぞ津村」
六舛、斗貴子、秋水。
教室に入ってきた3名もまた、硬直した。
「武藤まひろ! おーのーれは!! なにをしでかしておるんじゃ! え!! このわしが何者かと知った上での狼藉か!」
数分後。教室の中央には魔王のごとき三白眼で腕組みする理事長がいた。
「ごめん……」
「御免で済むなら撃柝(げきたく)の衛士はいらんわ!」
うなだれるまひろの前で踏み鳴るは理事長の細い足。相当の怒りが見受けられたが演劇部員たちにさほどの動揺はない。
駄々っ子を見るようなほのぼのとした目線が理事長に集中している。
「ご、ごめん。でも「げきたく」ってなぁに?」
「あ、それは夜警とかに使う拍子木でつまり撃柝の衛士とは”ぽりすめん”みたいなアレじゃ」
「なるほど」
「って違うじゃろ!! わしのすべきは説明でなく説教! ええと、ええと、よ、ようもわしを弄んでくれたな! おとめのじゅ
んじょう、どーしてくれる! 刺激されたぞあれが、ええと! こんぷり、こんぷりけ、ああいや、ええと。ええと……」
「コンプレックス」
しどろもどろの理事長を見かねたのか。それまで窓際でぬっくと腕組みしていた斗貴子がぼそりと呟いた。
「お? おおお……」
発進元にぶんと向き直った理事長、しばし目線を虚空に彷徨わせ「こんぷれっくす、こんぷれっくすなのじゃな成程成程」
とぶつぶつひとりごちていたが、それもつかの間。まひろや千里たちや秋水、他の演劇部員たちの「本当は知らないんじゃ……」
という疑惑のマナザシに気付くや否や慌てた様子で背筋を伸ばした。伸ばす、というより大至急立て直すという形容こそふさわ
しい勢いで、痛烈なバネの跳ね上がりさえ想起させた。彼女はそれの赴くまま薄い胸を反らし、腰に両手を当てた。仁王立
ち。うっすらと汗の光る得意顔はいかにも知ったかぶりという表情だった。
「う、うん。知っとるよ。知っとるよ? こんぷれっくすじゃな。あのでっかくてギザギザしとる奴じゃろ。な? な?」」
「ぜんぜん違う!」
「ち、違わんよ。わしの在所じゃでっかくてギザギザしとるもん」
「いいか。コンプレックスというのは」
「がおらお? がおらお?」
「コンプレックスというのは、自分の身体的特徴に」
「がおらおがおらお!!」
「身体的特徴に劣等感を抱く事を──…」
「ほぐゎー!!!」
「話を聞けぇ!!!」
「ひひっ! 聞くかよー!!」
斗貴子のツッコミを黙殺し、理事長はやや語調を強めた。
「迂闊に話をきけばわしが横文字苦手なのがバレるではないか! ええ!?」
(それを大声でいうのはどうなんだ)
鼻をひりひりと赤く腫らした理事長に秋水は眉をひそめた。が、当人は白状したコトにさえ気づかぬようで。
「とにかく! こここ、こん、こん、こんぷれっしゅ! わしのこんぷれっしゅをいじくり倒すとは失礼にも程があろう!」
(言えてない)
(言えてない)
(この理事長はとことん横文字が苦手らしい)
演劇部員たちの頬が引き攣り始めたのは、理事長の説教の中に出てくる「コンプレックス」という単語が常に間違いだら
けでたどたどしいからである。にも関わらず彼女はこんこんとまひろを説教する。まひろもまひろで「こんぷれっしゅだよね!
こんぷれっしゅ刺激しちゃったらダメだよね。ごめんね理事長さん」と全力で間違った謝り方をしているのでますますおかしい。
(このコの方は相変わらずだな)
秋水は嘆息したが、表情に嫌気はない。むしろ好意に溢れているといって良かった。
だがある時、ふとその表情がわずかだが曇った。
数分後。教室の中央には魔王のごとき三白眼で腕組みする理事長がいた。
「ごめん……」
「御免で済むなら撃柝(げきたく)の衛士はいらんわ!」
うなだれるまひろの前で踏み鳴るは理事長の細い足。相当の怒りが見受けられたが演劇部員たちにさほどの動揺はない。
駄々っ子を見るようなほのぼのとした目線が理事長に集中している。
「ご、ごめん。でも「げきたく」ってなぁに?」
「あ、それは夜警とかに使う拍子木でつまり撃柝の衛士とは”ぽりすめん”みたいなアレじゃ」
「なるほど」
「って違うじゃろ!! わしのすべきは説明でなく説教! ええと、ええと、よ、ようもわしを弄んでくれたな! おとめのじゅ
んじょう、どーしてくれる! 刺激されたぞあれが、ええと! こんぷり、こんぷりけ、ああいや、ええと。ええと……」
「コンプレックス」
しどろもどろの理事長を見かねたのか。それまで窓際でぬっくと腕組みしていた斗貴子がぼそりと呟いた。
「お? おおお……」
発進元にぶんと向き直った理事長、しばし目線を虚空に彷徨わせ「こんぷれっくす、こんぷれっくすなのじゃな成程成程」
とぶつぶつひとりごちていたが、それもつかの間。まひろや千里たちや秋水、他の演劇部員たちの「本当は知らないんじゃ……」
という疑惑のマナザシに気付くや否や慌てた様子で背筋を伸ばした。伸ばす、というより大至急立て直すという形容こそふさわ
しい勢いで、痛烈なバネの跳ね上がりさえ想起させた。彼女はそれの赴くまま薄い胸を反らし、腰に両手を当てた。仁王立
ち。うっすらと汗の光る得意顔はいかにも知ったかぶりという表情だった。
「う、うん。知っとるよ。知っとるよ? こんぷれっくすじゃな。あのでっかくてギザギザしとる奴じゃろ。な? な?」」
「ぜんぜん違う!」
「ち、違わんよ。わしの在所じゃでっかくてギザギザしとるもん」
「いいか。コンプレックスというのは」
「がおらお? がおらお?」
「コンプレックスというのは、自分の身体的特徴に」
「がおらおがおらお!!」
「身体的特徴に劣等感を抱く事を──…」
「ほぐゎー!!!」
「話を聞けぇ!!!」
「ひひっ! 聞くかよー!!」
斗貴子のツッコミを黙殺し、理事長はやや語調を強めた。
「迂闊に話をきけばわしが横文字苦手なのがバレるではないか! ええ!?」
(それを大声でいうのはどうなんだ)
鼻をひりひりと赤く腫らした理事長に秋水は眉をひそめた。が、当人は白状したコトにさえ気づかぬようで。
「とにかく! こここ、こん、こん、こんぷれっしゅ! わしのこんぷれっしゅをいじくり倒すとは失礼にも程があろう!」
(言えてない)
(言えてない)
(この理事長はとことん横文字が苦手らしい)
演劇部員たちの頬が引き攣り始めたのは、理事長の説教の中に出てくる「コンプレックス」という単語が常に間違いだら
けでたどたどしいからである。にも関わらず彼女はこんこんとまひろを説教する。まひろもまひろで「こんぷれっしゅだよね!
こんぷれっしゅ刺激しちゃったらダメだよね。ごめんね理事長さん」と全力で間違った謝り方をしているのでますますおかしい。
(このコの方は相変わらずだな)
秋水は嘆息したが、表情に嫌気はない。むしろ好意に溢れているといって良かった。
だがある時、ふとその表情がわずかだが曇った。
(…………君はいま、無理をしていないか?)
(目が微かに赤い。もしかして、泣いていたのか?)
やがて一同の間にいたく完成度の高い寸劇を見ているような錯覚が満ち始め、それとともに彼らはうつむいた。微妙に
震えているのはついに笑いを堪えられなくなったせいである。
「世が世ならわしは姫君のような立場……待て! いま笑ったな部員ども! わわわわしが姫君で何が悪かろう
よじゃ!! それはまあ鼻だって低いし気品なんぞ欠片もないしいつまで経っても稚(いとけな)い髫齔(ちょうしん)の顔立ち
じゃし、見知るおなごもことごとくわし以上の器量よし……おい部員ども! 何を笑っておるのじゃ!! わしはこう見えても
ヌシらよりずっと年上! あわっ! じゃなくて! なななななんというかっ! 精神の日月(じつげつ)において三歩の長が
あると……笑うなあ! ぐす。わしは、わしはなあ、ヌシらよりかなり年上なんじゃあ!!」」
途中から理事長の怒りの矛先は部員たちに向き始めたらしい。彼女はぐずぐずと大きな瞳に涙を湛えながら懸命に
まくし立てている。
震えているのはついに笑いを堪えられなくなったせいである。
「世が世ならわしは姫君のような立場……待て! いま笑ったな部員ども! わわわわしが姫君で何が悪かろう
よじゃ!! それはまあ鼻だって低いし気品なんぞ欠片もないしいつまで経っても稚(いとけな)い髫齔(ちょうしん)の顔立ち
じゃし、見知るおなごもことごとくわし以上の器量よし……おい部員ども! 何を笑っておるのじゃ!! わしはこう見えても
ヌシらよりずっと年上! あわっ! じゃなくて! なななななんというかっ! 精神の日月(じつげつ)において三歩の長が
あると……笑うなあ! ぐす。わしは、わしはなあ、ヌシらよりかなり年上なんじゃあ!!」」
途中から理事長の怒りの矛先は部員たちに向き始めたらしい。彼女はぐずぐずと大きな瞳に涙を湛えながら懸命に
まくし立てている。
「理事長はともかくパピヨンはどこ行った? 私達は取り急ぎ用事を済ませたいのだが」
ため息交じりに斗貴子が呟くと、たまたま近くにいた千里が「あ」と声を漏らした。
「今日は監督、ちょっと遅れてくるみたいですよ。なんでも急用だとか」
「ほう。私達にやりたくもない演技の修行をさせておいて自分は遅刻か」
「え! なになに斗貴子さん! 演技の修行したの!? いいなあ修行。私もしたい」
栗毛の少女の双眸がぱあっと輝いた。のみならず豊かな胸の前で拳を揃え、しきりに話をせがみ始めた。
一見、いつものような明るい態度である。
斗貴子はいつものように気押され、六舛や千里たちといった顔なじみもやれやれと相好を崩したが……
(…………)
秋水だけはまひろの目を見据えたきり黙然としている。
「ほう。私達にやりたくもない演技の修行をさせておいて自分は遅刻か」
「え! なになに斗貴子さん! 演技の修行したの!? いいなあ修行。私もしたい」
栗毛の少女の双眸がぱあっと輝いた。のみならず豊かな胸の前で拳を揃え、しきりに話をせがみ始めた。
一見、いつものような明るい態度である。
斗貴子はいつものように気押され、六舛や千里たちといった顔なじみもやれやれと相好を崩したが……
(…………)
秋水だけはまひろの目を見据えたきり黙然としている。
□ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇ □ ◇
「──と、言う訳だ。私と早坂秋水はその演技の神様の下で一晩修行した」
「そうなんだ。アクションの修行を。斗貴子さんと秋水先輩ならきっと大丈夫だよ。いいお芝居ができると思うよ! ね、
秋水先輩もそう思うでしょ。」
「あ、ああ」
ややぎこちない秋水の口調に、まひろは一瞬微妙な、何か核心を突かれたような不安げな表情をしたが、すぐいつもの
ような底抜けに明るい笑みを浮かべた。
「で、その演技の神様ってどんな人!? やっぱりこう、神様だから白いおヒゲを生やした仙人さんみたいな人?」
.
「そうなんだ。アクションの修行を。斗貴子さんと秋水先輩ならきっと大丈夫だよ。いいお芝居ができると思うよ! ね、
秋水先輩もそう思うでしょ。」
「あ、ああ」
ややぎこちない秋水の口調に、まひろは一瞬微妙な、何か核心を突かれたような不安げな表情をしたが、すぐいつもの
ような底抜けに明るい笑みを浮かべた。
「で、その演技の神様ってどんな人!? やっぱりこう、神様だから白いおヒゲを生やした仙人さんみたいな人?」
.
斗貴子と。
秋水と。
六舛は。
秋水と。
六舛は。
「「「……………」」」
まるで示し合せたように黙りこんだ。
「どうしたんですか斗貴子さん。六舛先輩と秋水先輩まで黙りこんで」
「あ、いや。その……」
「やっぱりヒミツだったりする? そっちの方がカッコいいから?」
「あ、いや。その……」
「やっぱりヒミツだったりする? そっちの方がカッコいいから?」
はしゃぐ沙織に適当に相槌を打ちながら、斗貴子は恐ろしい怖気が立ち上ってくるのを感じていた。
横目を這わせた秋水も同じ気分らしかった。平素超然としている六舛さえ血の気が引いているのが分かった。
横目を這わせた秋水も同じ気分らしかった。平素超然としている六舛さえ血の気が引いているのが分かった。
(おかしい)
おぞましい違和感がある。
(どうして、私はあの演技の神様の顔を──…)
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(思い出せない?)
(思い出せない?)
(一晩付き合った記憶もある。あの人が教えた演技のやり方だって覚えている!)
(なのに)
思い出そうとするたび
(なのに)
演技の神様の姿が霞んでみえる。頭の中に靄がかかったようだ。声さえ正確に思い出せない。
(ど忘れしたという感じじゃない。妙だ。そもそも彼を紹介したのは六舛孝二。なのに旧知の間柄の彼でさえ)
「知らない、分からない」
そんな顔で斗貴子を見ている。
(私や早坂秋水が忘れるなら分かる。初対面だからな。顔を忘れてしまうのも不思議じゃない。だが、六舛孝二! 演技の
神様と親交のある彼がどうして覚えていない!? 絶対におかしい。異常だ。演技の神様とは朝別れた筈なのに放課後よ
うやくここに来たのもおかしいといえばおかしい)
神様と親交のある彼がどうして覚えていない!? 絶対におかしい。異常だ。演技の神様とは朝別れた筈なのに放課後よ
うやくここに来たのもおかしいといえばおかしい)
(そもそも演技の神様は男だったのか? 女? それさえ分からなくなってきている)
紙のように白い顔で息を呑む。
(朝から今までの記憶が……ない? 何があった? 私達は、何をしていた……?)
若々しく水気のある唇もいまは乾き、ひび割れそうな勢いだ。
(何かがあった筈なんだ。重要で、見逃してはいけない何かが)
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
「小札零、という少女を知っているだろうか? 小柄で、おさげ髪で、シルクハットとタキシードの」
「あー。それはっすねえ」
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
(そうだ。確か『何かがあった』。別れ際に、何かが)
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
演技の神様はひょいと右手を突き出した。
演技の神様の掌には。
いつの間に出したのだろう。
『核鉄』が握られていた。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
(クソ! どうして思い出せない!? 絶対に何かがあったんだ)
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
何が起こっている!? 愕然と固まる戦士2人と一般人1人を「作り物のような笑顔」が一瞥し
「武装錬金!」
叫んだ。
転瞬、稲妻が槍のような武器から放たれ、3人に絡み付き。
森から無数の鳥が飛び立った。
それきり辺りは静かになった。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
(見逃してしまえばこの街がまた危険に晒されるような重大な何かが……)
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
「*****の武装錬金、バ@£‰ドル≒ッ&ー!」
へへ
────を禁ずる。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
.
──────銀成市某所──────
──────銀成市某所──────
「やっ! リバっち。あー。青っちの方がいいですかね。へへ。へへへへ」
「…………」
「戦士との遭遇についちゃ大丈夫でさ。俺っちの武装錬金なら遭遇したという事実さえなかったコトにできますからねえ。
ま、厳密にいえば「遭遇した俺っちの風貌風体口調などなど思い出すコトを
「…………」
「戦士との遭遇についちゃ大丈夫でさ。俺っちの武装錬金なら遭遇したという事実さえなかったコトにできますからねえ。
ま、厳密にいえば「遭遇した俺っちの風貌風体口調などなど思い出すコトを
”※※※”
ですがねー。へへっ。さればこそ俺っちは放胆にも戦士さん方の前で武装錬金発動した訳で」
「…………」
「あーっ! 相変わらずエグいんだからって顔で微笑しつつ溜息した! そんな青っち可愛いっす!! お頭のアホ毛が
ぴょろりんって動いたのもキュートっす! ああもうやっぱり青っちは可愛い! 女神!! え? 文字? 文字……?
あっ、あああ! ちゃんと書きましたよそりゃあ。俺っちの武装錬金には文字が不可欠すからね! ええ。ええ! そう
意味じゃサブマシンガンで文字書ける青っちとの相性はベリベリグーっす! 最高のパートナーでさあ! 大好きっす!」
「…………」
「照れてる? 照れてる照れてる? 照れてくれてるんすか青っち、俺っちの言葉で! ああ。いいなあ~。何気ない褒め言
葉にはにかんで恥ずかしがってくれる女の子。だからもう青っちは大好きなんすよ。え? 言葉が軽い? 軽いならいくらで
も放ちますよこの愛の言葉!! 青っちの心に届け俺っちの愛! え、そうじゃない? 武装錬金の話? ああもうマジメ!
のろけたりしない! それが青っち! マイペースかつ倫理的。やっぱ可愛っ……うほほ! いま瞳の色反転させかけまし
たね怒りかけましたね! いや怒って俺っちぼこる青っちも好きでさあ! あの息継ぎなしのサブマシンガントークも禍々し
くて好きっすよ。でもアレやると後で青っちが落ち込んじまって可哀相なので(でも可哀相な青っちも儚げで大好きっす!)真
面目な話をしやす!」
「…………」
「あーっ! 相変わらずエグいんだからって顔で微笑しつつ溜息した! そんな青っち可愛いっす!! お頭のアホ毛が
ぴょろりんって動いたのもキュートっす! ああもうやっぱり青っちは可愛い! 女神!! え? 文字? 文字……?
あっ、あああ! ちゃんと書きましたよそりゃあ。俺っちの武装錬金には文字が不可欠すからね! ええ。ええ! そう
意味じゃサブマシンガンで文字書ける青っちとの相性はベリベリグーっす! 最高のパートナーでさあ! 大好きっす!」
「…………」
「照れてる? 照れてる照れてる? 照れてくれてるんすか青っち、俺っちの言葉で! ああ。いいなあ~。何気ない褒め言
葉にはにかんで恥ずかしがってくれる女の子。だからもう青っちは大好きなんすよ。え? 言葉が軽い? 軽いならいくらで
も放ちますよこの愛の言葉!! 青っちの心に届け俺っちの愛! え、そうじゃない? 武装錬金の話? ああもうマジメ!
のろけたりしない! それが青っち! マイペースかつ倫理的。やっぱ可愛っ……うほほ! いま瞳の色反転させかけまし
たね怒りかけましたね! いや怒って俺っちぼこる青っちも好きでさあ! あの息継ぎなしのサブマシンガントークも禍々し
くて好きっすよ。でもアレやると後で青っちが落ち込んじまって可哀相なので(でも可哀相な青っちも儚げで大好きっす!)真
面目な話をしやす!」
「戦士さん方、俺っちとブレミュの小札零の関係に気付いたようですねえ」
「これはマズいって訳で」
「もし戦士経由で「俺っちがどういう存在か」ブレミュへの問い合わせがあったとすれば」
「漏れますよ。へへ。俺っちが幹部級だというコトも、幹部級が何を目論んでいるのかというコトも」
「だから防がせて貰いやすよー」
「出会ってしまったのは偶然ですからね。へへ。まさか六っちが戦士と知り合いだとは夢にも」
「でも俺っちが尊敬してやまぬ盟主様はまだ戦うなっていってますからね。ここは一つ、穏便に……」
「脳のあちこち、しばらく機能不全というコトで」
──────銀成市。以下の理由によりあちこち──────
ヴィクトリアは、走っていた。
部活に行くべく学校に向かったら、空を飛ぶパピヨンを見つけた。
だから、追跡をしていた。
だから、追跡をしていた。