そして日曜日。
東方司令部の空を震わせ、火矢が鳴った。
練兵場観客スタンドは満員。客席の間にはジュースやビール、軽食売りも出ている。
会場南側に設置された貴賓席テントの中、
今は見事大総統秘書官に出世したレベッカ・カタリナ中尉が主賓の前に珈琲を置きながら言った。
「今日は北方軍の人間もかなり来てるみたいですね、っ!」
現大総統グラマンが立ち去ろうとする彼女の臀部をつるりと撫で、悲鳴を上げさせる。
何事かと緊張し駆け寄る護衛たちに「何事もないない」と合図して見せ、
下がらせてから音を立てて珈琲をすする。
胸元に抱えた銀盆を怒りに震わせながらレベッカは内心思っていたことを問いただした。
「いいんですか、こんな馬鹿騒ぎ」
「みんな『約束の日』の後は酷使されてるからねえ。息抜きにいいじゃないか」
はっはっは、と声を立てて笑い、グラマンは時間を確認する。
「ほら、そろそろ始まるようだよ」
「レディースっ、アーンド、ジェントルメーン!」
司会の任を仰せつかったデニー・ブロッシュ曹長が放送席の側で声を張り上げた。
「えー、本日は東方司令部練兵場へようこそ、お越しくださいましたっ。
それでは、早速ただいまより、本日のメインイベントを開催致しますー!」
観客から大きな拍手と口笛がわき起こる。
東と西の入場口が開き、人影が現れた。
「我らが東方&北方軍司令官、『氷の女王』オリヴィエ・ミラ・アームストロング大将!」
進み出る、長身の女性。濃紺の軍服の背中に垂らしたまっすぐな金髪がまばゆく光り輝く。
「対するはシン国の「仮面の乙女」ランファン!」
つきそいらしい白い服の女性と別れ、仮面をつけた小柄な黒装束の人物が歩み出る。
「オリヴィエ様ー!」
「負けないでー!!」
女性兵士の黄色い声援と
「どうせ応援するならー」
「女の子ー!」
男性兵士の野太い声援が入り交じり場内を震わせた。
場の中央で2メートルほどの間を取って向かい合い、
「若は返してもらうゾ、女将軍…!」
低く身構えて唸るランファンに応え、オリヴィエが無言で愛刀を抜き放つ。
一呼吸分の沈黙の後。
「始めー!」
ブロッシュ曹長の声が響き渡った。
「あ、賞品の紹介すっ飛ばされた」
「誰ガ賞品ダ」
貴賓席とは戦いの場を挟んで向かい側、地面に置かれた悪趣味な装飾付き檻の中で
あぐらをかいて座りこんだリンが唸る。
「だいたいエドワード君とは一緒にホムンクルスの腹の中から脱出した仲なんだシ、
ちょっとはこっちに味方してくれてもいいんじゃないかなア」
手でひらひらと自分を仰ぎながら、檻の制作者であるエドワードが白々しく答えた。
「だって僕『国家錬金術師』だしー。司令官様の命令には逆らえないしー」
こわいから。
「居心地の悪い場所で申し訳ないが、もうしばし我慢していただこうリン殿」
その隣で、今日もつやつやピカピカ朗らかな笑顔で
アレックス・ルイ・アームストロングが告げる。
「我がアームストロング家の未来のために、姉上が初めて興味を示された異性を
逃すわけにはいかんのでなあ」
「貴殿が当主位を取り返せば問題なかろウ」
「姉上はそんなにいかんか? まあ年上だし多少猛々しくあられるが文句なしの美人だぞ」
猛々しいのが一番いかんのだ、一番。
「そもそも名家ならば異国人の血が入るのは問題ではないのカ」
「優秀な血を積極的に取り入れてきたからこそ今のアームストロング家がある故、
それは特にたいした問題ではないな」
「あきらめたまえよシンの皇子殿」
一人パイプ椅子に腰掛け、リザ・ホークアイを背後に控えさせた
ロイ・マスタングが気障な笑顔を見せた。
「あの女王様に目を付けられたのが君の不運さ」
てめーはてめーでしっかり美人侍らせやがってこの野郎。
「ふン」
不機嫌に鼻を鳴らし、リンは戦いの場へ目を向けた。
最悪、この3人だけが相手なら少々傷を負おうとも脱出できないわけではないが、
この場には他にも軍人ばかりの大観衆の目がある。
とりあえずはおとなしく機をうかがうしかない。
東方司令部の空を震わせ、火矢が鳴った。
練兵場観客スタンドは満員。客席の間にはジュースやビール、軽食売りも出ている。
会場南側に設置された貴賓席テントの中、
今は見事大総統秘書官に出世したレベッカ・カタリナ中尉が主賓の前に珈琲を置きながら言った。
「今日は北方軍の人間もかなり来てるみたいですね、っ!」
現大総統グラマンが立ち去ろうとする彼女の臀部をつるりと撫で、悲鳴を上げさせる。
何事かと緊張し駆け寄る護衛たちに「何事もないない」と合図して見せ、
下がらせてから音を立てて珈琲をすする。
胸元に抱えた銀盆を怒りに震わせながらレベッカは内心思っていたことを問いただした。
「いいんですか、こんな馬鹿騒ぎ」
「みんな『約束の日』の後は酷使されてるからねえ。息抜きにいいじゃないか」
はっはっは、と声を立てて笑い、グラマンは時間を確認する。
「ほら、そろそろ始まるようだよ」
「レディースっ、アーンド、ジェントルメーン!」
司会の任を仰せつかったデニー・ブロッシュ曹長が放送席の側で声を張り上げた。
「えー、本日は東方司令部練兵場へようこそ、お越しくださいましたっ。
それでは、早速ただいまより、本日のメインイベントを開催致しますー!」
観客から大きな拍手と口笛がわき起こる。
東と西の入場口が開き、人影が現れた。
「我らが東方&北方軍司令官、『氷の女王』オリヴィエ・ミラ・アームストロング大将!」
進み出る、長身の女性。濃紺の軍服の背中に垂らしたまっすぐな金髪がまばゆく光り輝く。
「対するはシン国の「仮面の乙女」ランファン!」
つきそいらしい白い服の女性と別れ、仮面をつけた小柄な黒装束の人物が歩み出る。
「オリヴィエ様ー!」
「負けないでー!!」
女性兵士の黄色い声援と
「どうせ応援するならー」
「女の子ー!」
男性兵士の野太い声援が入り交じり場内を震わせた。
場の中央で2メートルほどの間を取って向かい合い、
「若は返してもらうゾ、女将軍…!」
低く身構えて唸るランファンに応え、オリヴィエが無言で愛刀を抜き放つ。
一呼吸分の沈黙の後。
「始めー!」
ブロッシュ曹長の声が響き渡った。
「あ、賞品の紹介すっ飛ばされた」
「誰ガ賞品ダ」
貴賓席とは戦いの場を挟んで向かい側、地面に置かれた悪趣味な装飾付き檻の中で
あぐらをかいて座りこんだリンが唸る。
「だいたいエドワード君とは一緒にホムンクルスの腹の中から脱出した仲なんだシ、
ちょっとはこっちに味方してくれてもいいんじゃないかなア」
手でひらひらと自分を仰ぎながら、檻の制作者であるエドワードが白々しく答えた。
「だって僕『国家錬金術師』だしー。司令官様の命令には逆らえないしー」
こわいから。
「居心地の悪い場所で申し訳ないが、もうしばし我慢していただこうリン殿」
その隣で、今日もつやつやピカピカ朗らかな笑顔で
アレックス・ルイ・アームストロングが告げる。
「我がアームストロング家の未来のために、姉上が初めて興味を示された異性を
逃すわけにはいかんのでなあ」
「貴殿が当主位を取り返せば問題なかろウ」
「姉上はそんなにいかんか? まあ年上だし多少猛々しくあられるが文句なしの美人だぞ」
猛々しいのが一番いかんのだ、一番。
「そもそも名家ならば異国人の血が入るのは問題ではないのカ」
「優秀な血を積極的に取り入れてきたからこそ今のアームストロング家がある故、
それは特にたいした問題ではないな」
「あきらめたまえよシンの皇子殿」
一人パイプ椅子に腰掛け、リザ・ホークアイを背後に控えさせた
ロイ・マスタングが気障な笑顔を見せた。
「あの女王様に目を付けられたのが君の不運さ」
てめーはてめーでしっかり美人侍らせやがってこの野郎。
「ふン」
不機嫌に鼻を鳴らし、リンは戦いの場へ目を向けた。
最悪、この3人だけが相手なら少々傷を負おうとも脱出できないわけではないが、
この場には他にも軍人ばかりの大観衆の目がある。
とりあえずはおとなしく機をうかがうしかない。
皆が見つめる場の中央では、激しい戦いが繰り広げられていた。
地を蹴り、迫るランファン。
最小限の動きでかわしつつ斬りつけるオリヴィエ。
軍刀と機械鎧がぶつかり、火花を散らす。
早さは明らかにランファンの方が上だが、オリヴィエは長さのある軍刀を巧みに操り、
相手をその身に近寄せない。
最初は野次雑談混じりに見てい観客たちも、次第に二人の気迫に呑まれていく。
地を蹴り、迫るランファン。
最小限の動きでかわしつつ斬りつけるオリヴィエ。
軍刀と機械鎧がぶつかり、火花を散らす。
早さは明らかにランファンの方が上だが、オリヴィエは長さのある軍刀を巧みに操り、
相手をその身に近寄せない。
最初は野次雑談混じりに見てい観客たちも、次第に二人の気迫に呑まれていく。
貴賓席からやや離れてアルフォンスのために用意された小さなテントの中、
メイはひそかに焦っていた。
ここについてからずっと、アルフォンスの古い知り合いであるらしい
マリア・ロス中尉がずっとそばにいるというのは予想外だった。
頃合を見計らって抜け出し行動を起こすという手配だったのに、これでは動けない。
じりじりと時間ばかりが経っていく。
正面を見据え、じっと戦いに見入っているようだったアルフォンスが口を開いた。
「ロス中尉、僕、観客席で売ってるあの袋入りのジュース飲んでみたいです」
「そう? じゃあ買ってくるわね。何味がいい?」
「オレンジ、ありますか?」
「多分大丈夫だと思うわ」
できるだけ早く戻ってくるわねと優しい笑顔を残し、
マリアが日よけのため周囲に張られた幕をくぐって出て行く。
「…ありがとうございましタ」
アルフォンスの意をくんだメイが静かに声をかけた。
車椅子の前にひざまずき、彼の手を取り額に押し当てる。
「アル様、…シンに戻りまス」
別れの言葉を。
「どうぞお健やかニ」
心からの祈りを込めて告げ、未練を振り切るように勢いよく立ち上がり、身を翻す。
メイはひそかに焦っていた。
ここについてからずっと、アルフォンスの古い知り合いであるらしい
マリア・ロス中尉がずっとそばにいるというのは予想外だった。
頃合を見計らって抜け出し行動を起こすという手配だったのに、これでは動けない。
じりじりと時間ばかりが経っていく。
正面を見据え、じっと戦いに見入っているようだったアルフォンスが口を開いた。
「ロス中尉、僕、観客席で売ってるあの袋入りのジュース飲んでみたいです」
「そう? じゃあ買ってくるわね。何味がいい?」
「オレンジ、ありますか?」
「多分大丈夫だと思うわ」
できるだけ早く戻ってくるわねと優しい笑顔を残し、
マリアが日よけのため周囲に張られた幕をくぐって出て行く。
「…ありがとうございましタ」
アルフォンスの意をくんだメイが静かに声をかけた。
車椅子の前にひざまずき、彼の手を取り額に押し当てる。
「アル様、…シンに戻りまス」
別れの言葉を。
「どうぞお健やかニ」
心からの祈りを込めて告げ、未練を振り切るように勢いよく立ち上がり、身を翻す。
走り去る足音。遠ざかる気配。
無人になったテントの中、アルフォンスは思わず手で口を押さえた。
…行ってしまった。
予想していたより激しく強い孤独感が胸を締め付ける。
肉体と魂の再融合を果たし戻ってきて数日間はそれこそ夢も見ずに眠れたものの、
それからは眠るたびに悪夢が待っていた。
扉に飲み込まれる感覚の再現。肉体に戻ってきたものの立ち上がることさえできず
ばらばらにちぎれ崩れる自分の肉体を別の視点からまざまざと見ることになったり、
誰も戻ってきた自分に気付かず結局死んだことにされてしまったり。
そんな悪夢にうなされ目を覚ますと、必ずメイがそこにいてくれた。
小さな温かい手でほおに額に手に触れ、
「大丈夫です、アルフォンス様はちゃんとここにいます」とささやいて、
また自分が眠りにつくまで他愛もない話をしたりシンの子守歌を歌ってくれて。
今夜から、眠れぬ夜を慰め、いたわり支えてくれた彼女の優しい手は、もう、ない。
ふと、心に影がよぎる。
今なら、誰かに言えば、メイの「計画」を止められるかもしれない。
そうすれば騒ぎは起きずこの場は混乱せず彼女は自分の側に戻って───
「…ダメだ」
頭を大きく横に振って黒い誘惑を振り払う。
そして考える。
メイが単に仲間と落ち合うためだけにわざわざ今この場所で自分と別れたということはないだろう。
そしてここで何が行われているかを考えれば、ねらいは何となく読めなくもない。
ならば周囲の目を自分に引きつけることは彼女の助けになっても邪魔にはならないはずだ。
テントに足音が近づいてくる。
「ごめんね、オレンジが売り切れてたから、レモンソーダで」
明るく言いながら袋を手にテントの後ろから幕をくぐったマリアは
車椅子の上で胸を押さえて体を折るアルフォンスの姿に悲鳴をあげた。
「アルフォンス君!?」
のぞき込んだ顔は蒼く、呼吸も荒い。
「ロス、大尉…兄さんを、呼」
ついさっきまで普通に観戦を楽しんでいたはずのアルフォンスが
何故急に体調を崩したのかは分からないけれどただごとではないと判断し、彼女は叫ぶ。
「誰か、誰かーっ! 鋼の錬金術師と医官を呼んで!」
無人になったテントの中、アルフォンスは思わず手で口を押さえた。
…行ってしまった。
予想していたより激しく強い孤独感が胸を締め付ける。
肉体と魂の再融合を果たし戻ってきて数日間はそれこそ夢も見ずに眠れたものの、
それからは眠るたびに悪夢が待っていた。
扉に飲み込まれる感覚の再現。肉体に戻ってきたものの立ち上がることさえできず
ばらばらにちぎれ崩れる自分の肉体を別の視点からまざまざと見ることになったり、
誰も戻ってきた自分に気付かず結局死んだことにされてしまったり。
そんな悪夢にうなされ目を覚ますと、必ずメイがそこにいてくれた。
小さな温かい手でほおに額に手に触れ、
「大丈夫です、アルフォンス様はちゃんとここにいます」とささやいて、
また自分が眠りにつくまで他愛もない話をしたりシンの子守歌を歌ってくれて。
今夜から、眠れぬ夜を慰め、いたわり支えてくれた彼女の優しい手は、もう、ない。
ふと、心に影がよぎる。
今なら、誰かに言えば、メイの「計画」を止められるかもしれない。
そうすれば騒ぎは起きずこの場は混乱せず彼女は自分の側に戻って───
「…ダメだ」
頭を大きく横に振って黒い誘惑を振り払う。
そして考える。
メイが単に仲間と落ち合うためだけにわざわざ今この場所で自分と別れたということはないだろう。
そしてここで何が行われているかを考えれば、ねらいは何となく読めなくもない。
ならば周囲の目を自分に引きつけることは彼女の助けになっても邪魔にはならないはずだ。
テントに足音が近づいてくる。
「ごめんね、オレンジが売り切れてたから、レモンソーダで」
明るく言いながら袋を手にテントの後ろから幕をくぐったマリアは
車椅子の上で胸を押さえて体を折るアルフォンスの姿に悲鳴をあげた。
「アルフォンス君!?」
のぞき込んだ顔は蒼く、呼吸も荒い。
「ロス、大尉…兄さんを、呼」
ついさっきまで普通に観戦を楽しんでいたはずのアルフォンスが
何故急に体調を崩したのかは分からないけれどただごとではないと判断し、彼女は叫ぶ。
「誰か、誰かーっ! 鋼の錬金術師と医官を呼んで!」
ランファンとオリヴィエの戦いの向こう、アルフォンスがいるはずのテントに
あわただしく人が出入りし始めたのを見とがめたエドワードは
続いて走ってきた伝令の知らせに顔色を変えて怒鳴った。
「あの豆粒どチビ、何やってんだっ」
駆けつけたいが、自分に命じられているのはリンの見張り。
迷う彼の心を見透かしたようにロイが声をかける。
「君の代わりはリザにさせる。ここは大丈夫だ、行きなさい」
エドワードは答える間も惜しんで駆けだしていった。
ややあって丈の長い白い上着を羽織った女性が夫を伴いその場に現れる。
アレックスが盟友、シグ・カーティスの姿を認めて目を輝かせた。
「久しぶりだ」
「我が友…!」
おたがいの筋肉を誇る暑苦しい友情の儀式が行われる横でロイとイズミは握手を交わす。
「マスタング大尉、お久しぶり」
「イズミ・カーティス殿か。ダブリスにいらっしゃるはずのあなたがどうしてここに?」
「オリヴィエちゃんのお願いで、ちょっとね」
…「ちゃん」付け、だと…?
畏怖する軍人2人民間人1人を横に、イズミはリンを捕らえている檻に近づいた。
見上げる彼と目を合わせ、にっこりと笑う。
「貴方がランファンちゃんのご主人ね?」
その呼び方には少々語弊がある気がするが、と思いながらリンはうなずく。
「何の用ダ」
「やーねえ、そこから出してあげようと思って来たのに」
「それはならぬ」
檻とイズミの間に割って入ろうとするアレックスをシグが押しとどめる。
「我らが友情に免じてこの場は見逃してくれないか、我が友アレックス」
「…友の頼みならば仕方ないな…!」
おいおいそれでいいのか暑苦しい。
何はともあれ障害のひとつは解消されたのを見てとったイズミがロイの方に振り返る。
「と、言うわけなんだけどいいわよね? マスタング大尉」
「私はこのとおりの盲目ですから何も見えておりませんよ」
「あら感謝」
交渉成立。
拳で檻の鉄棒をコンコンとたたきながらイズミは改めて周囲を見回した。
「この悪趣味な檻はエド製ね。で、あの子は?」
「アルフォンス君のところだ。急に体調を崩したらしい」
「なんですって」
もう一人の息子の名と状態を聞いた彼女が顔色を変えたその時。
さらにもう一人、招かれざる客がその場に姿を現した。
褐色の肌、赤い瞳、額から目にかけて大きな傷。筋肉が盛り上がる両腕には錬成陣の入れ墨。
「スカー? 何故ここに?」
リザが呼んだ名にロイがはっと反応する。
無表情のままスカーは一歩踏み出す。
「我が友の願いにて、その男もらいうける…!」
闘気がゆらりとそのたくましい体を覆い、その場の全員を身構えさせた。
あわただしく人が出入りし始めたのを見とがめたエドワードは
続いて走ってきた伝令の知らせに顔色を変えて怒鳴った。
「あの豆粒どチビ、何やってんだっ」
駆けつけたいが、自分に命じられているのはリンの見張り。
迷う彼の心を見透かしたようにロイが声をかける。
「君の代わりはリザにさせる。ここは大丈夫だ、行きなさい」
エドワードは答える間も惜しんで駆けだしていった。
ややあって丈の長い白い上着を羽織った女性が夫を伴いその場に現れる。
アレックスが盟友、シグ・カーティスの姿を認めて目を輝かせた。
「久しぶりだ」
「我が友…!」
おたがいの筋肉を誇る暑苦しい友情の儀式が行われる横でロイとイズミは握手を交わす。
「マスタング大尉、お久しぶり」
「イズミ・カーティス殿か。ダブリスにいらっしゃるはずのあなたがどうしてここに?」
「オリヴィエちゃんのお願いで、ちょっとね」
…「ちゃん」付け、だと…?
畏怖する軍人2人民間人1人を横に、イズミはリンを捕らえている檻に近づいた。
見上げる彼と目を合わせ、にっこりと笑う。
「貴方がランファンちゃんのご主人ね?」
その呼び方には少々語弊がある気がするが、と思いながらリンはうなずく。
「何の用ダ」
「やーねえ、そこから出してあげようと思って来たのに」
「それはならぬ」
檻とイズミの間に割って入ろうとするアレックスをシグが押しとどめる。
「我らが友情に免じてこの場は見逃してくれないか、我が友アレックス」
「…友の頼みならば仕方ないな…!」
おいおいそれでいいのか暑苦しい。
何はともあれ障害のひとつは解消されたのを見てとったイズミがロイの方に振り返る。
「と、言うわけなんだけどいいわよね? マスタング大尉」
「私はこのとおりの盲目ですから何も見えておりませんよ」
「あら感謝」
交渉成立。
拳で檻の鉄棒をコンコンとたたきながらイズミは改めて周囲を見回した。
「この悪趣味な檻はエド製ね。で、あの子は?」
「アルフォンス君のところだ。急に体調を崩したらしい」
「なんですって」
もう一人の息子の名と状態を聞いた彼女が顔色を変えたその時。
さらにもう一人、招かれざる客がその場に姿を現した。
褐色の肌、赤い瞳、額から目にかけて大きな傷。筋肉が盛り上がる両腕には錬成陣の入れ墨。
「スカー? 何故ここに?」
リザが呼んだ名にロイがはっと反応する。
無表情のままスカーは一歩踏み出す。
「我が友の願いにて、その男もらいうける…!」
闘気がゆらりとそのたくましい体を覆い、その場の全員を身構えさせた。
肩で息をつき、黒装束のあちこちを裂かれて白い肌をのぞかせるランファンに
オリヴィエは乱れたところ無く立ちはだかる。
…ふと、気付けばあちこちで妙な騒ぎが起きているようだ。
周囲に視線を流したオリヴィエにランファンがまなじりをつりあげた。
「よそ見をするナ!」
飛びかかる。
オリヴィエの軍刀がひらめき、飛びずさってかわしたランファンの服の胸元が大きく裂け、
さらしを巻いた胸元から引き締まった腹部までが一気にあらわになる。
女性兵士たちが思わず我が身に置き換えてあげた悲鳴を男どもの歓声がかき消した。わきあがるオリヴィエコール。
「無礼をわびるなら今のうちだぞ、小娘」
腕と闘志と根性は気に入った。他人のものながらいい部下だ。
「お前が私の足下にひざまずくならシンの皇子については考えてやろう」
「…誰ガ、おまえなどニ!」
上げた左腕で胸元を隠しながらもなおも闘志尽きぬ瞳のランファンからは
予想通りの答えが戻ってくる。
最初から全速力で飛ばしていた相手に比べこっちはまだ体力に余裕があるが、
そろそろ勝負をつける頃合いだろう。
オリヴィエは試合が始まって初めて自分から動いた。
一気に相手に迫り、鋭い突きを繰り出す。かわされればそのまま横に振るい、振り下ろし、斬り上げる。
それまでの防衛中心の剣技から一転、滑るような足裁きで縦横無尽に攻めていく。
ついに必殺の一撃がランファンの仮面を中心線で断ち割った。
だがランファンは止まらない。隙も作らない。
むしろ、弱点をとらえたと思いこんでいたオリヴィエの方に油断ができている。
一気に懐に飛び込んだランファンがとっさにかざされた刃を機械の左手でつかみ、
押さえながらオリヴィエのほおを思い切り右手で張り倒す。
「弱点が、いつまでもそうだと思うナ!」
水曜日の夕方、ホテルに「仮面のこと司令官に言っちまったすまん」と
わびを入れに来たエドワードをイズミと二人がかりで締めてからずっと
その克服に励んでいたのだ。
これで決まったか、と誰も思った次の瞬間、
オリヴィエが平手を張り返しランファンの腹に蹴りを入れ反動で体を引き離す。
「甘く見ていたのは私の方だとはな」
それまで余裕があった薄氷色の瞳に本気の殺気が宿った。
「だが、これ以上は許さん」
相手を圧してなおやまない怒気のすさまじさに、
いつのまにか場内を席巻していたランファンコールがぴたりと止まる。
オリヴィエは乱れたところ無く立ちはだかる。
…ふと、気付けばあちこちで妙な騒ぎが起きているようだ。
周囲に視線を流したオリヴィエにランファンがまなじりをつりあげた。
「よそ見をするナ!」
飛びかかる。
オリヴィエの軍刀がひらめき、飛びずさってかわしたランファンの服の胸元が大きく裂け、
さらしを巻いた胸元から引き締まった腹部までが一気にあらわになる。
女性兵士たちが思わず我が身に置き換えてあげた悲鳴を男どもの歓声がかき消した。わきあがるオリヴィエコール。
「無礼をわびるなら今のうちだぞ、小娘」
腕と闘志と根性は気に入った。他人のものながらいい部下だ。
「お前が私の足下にひざまずくならシンの皇子については考えてやろう」
「…誰ガ、おまえなどニ!」
上げた左腕で胸元を隠しながらもなおも闘志尽きぬ瞳のランファンからは
予想通りの答えが戻ってくる。
最初から全速力で飛ばしていた相手に比べこっちはまだ体力に余裕があるが、
そろそろ勝負をつける頃合いだろう。
オリヴィエは試合が始まって初めて自分から動いた。
一気に相手に迫り、鋭い突きを繰り出す。かわされればそのまま横に振るい、振り下ろし、斬り上げる。
それまでの防衛中心の剣技から一転、滑るような足裁きで縦横無尽に攻めていく。
ついに必殺の一撃がランファンの仮面を中心線で断ち割った。
だがランファンは止まらない。隙も作らない。
むしろ、弱点をとらえたと思いこんでいたオリヴィエの方に油断ができている。
一気に懐に飛び込んだランファンがとっさにかざされた刃を機械の左手でつかみ、
押さえながらオリヴィエのほおを思い切り右手で張り倒す。
「弱点が、いつまでもそうだと思うナ!」
水曜日の夕方、ホテルに「仮面のこと司令官に言っちまったすまん」と
わびを入れに来たエドワードをイズミと二人がかりで締めてからずっと
その克服に励んでいたのだ。
これで決まったか、と誰も思った次の瞬間、
オリヴィエが平手を張り返しランファンの腹に蹴りを入れ反動で体を引き離す。
「甘く見ていたのは私の方だとはな」
それまで余裕があった薄氷色の瞳に本気の殺気が宿った。
「だが、これ以上は許さん」
相手を圧してなおやまない怒気のすさまじさに、
いつのまにか場内を席巻していたランファンコールがぴたりと止まる。
「遅いぞ、スカー」
ロイの言葉にはい?とあっけにとられる他の4人をよそに彼は続ける。
「リザ、距離を」
名を呼ばれ、あらかじめ聞かされていた手順を思い出した彼女は
改めて上司に問い返した。
「…いいんですか」
「あの女に一泡吹かせてやれるチャンスなんてそうないだろう」
全くこのひとは仕方ない、とため息をつき、リザ・ホークアイは振り返り
場内を見据えた。
「左45度、15メートル」
「鷹の目」が目標地点を見定め、告げる。
ロイが静かに両手を合わせた途端に、はるか前方でにらみ合う
オリヴィエとランファンの中間地点が爆発した。
「右30度17メートル、そこから2メートル間隔で3回」
指示は続き、次々と爆発が起きる。土埃がもうもうと舞い上がり、
観客たちがざわめき混乱しはじめる様子がここまで伝わってくる。
「彼の目的は貴方と同じですよ、イズミさん」
ロイの言葉にうなずいたスカーが檻に近づき、右手であっさり「分解」する。
リンは弾かれたように立ち上がった。
「何だか分からんガ、助かっタ」
「来い、近くに車が待っている」
「しかし、ランファンガ」
土煙に覆われたままの場内を見やってためらうリンにロイが声をかけた。
「彼女なら他の者が手引きする手はずになっているよ」
「…分かっタ」
踵を返しかけてじろり、と見据えるスカーの視線に、
軍人&民間人一同は口々に白々しく答える。
「私は盲目なので、誰も見えてないよ」
「私は…不審者に真っ先に倒されましたので何も分かりません」
「私たちは元々ここにいるはずのない一般市民だから関係ないわね、あんた」
「我が輩は…見逃そう」
友情と姉とを秤にかけ、結局友情を取ったアレックスだった。
ロイの言葉にはい?とあっけにとられる他の4人をよそに彼は続ける。
「リザ、距離を」
名を呼ばれ、あらかじめ聞かされていた手順を思い出した彼女は
改めて上司に問い返した。
「…いいんですか」
「あの女に一泡吹かせてやれるチャンスなんてそうないだろう」
全くこのひとは仕方ない、とため息をつき、リザ・ホークアイは振り返り
場内を見据えた。
「左45度、15メートル」
「鷹の目」が目標地点を見定め、告げる。
ロイが静かに両手を合わせた途端に、はるか前方でにらみ合う
オリヴィエとランファンの中間地点が爆発した。
「右30度17メートル、そこから2メートル間隔で3回」
指示は続き、次々と爆発が起きる。土埃がもうもうと舞い上がり、
観客たちがざわめき混乱しはじめる様子がここまで伝わってくる。
「彼の目的は貴方と同じですよ、イズミさん」
ロイの言葉にうなずいたスカーが檻に近づき、右手であっさり「分解」する。
リンは弾かれたように立ち上がった。
「何だか分からんガ、助かっタ」
「来い、近くに車が待っている」
「しかし、ランファンガ」
土煙に覆われたままの場内を見やってためらうリンにロイが声をかけた。
「彼女なら他の者が手引きする手はずになっているよ」
「…分かっタ」
踵を返しかけてじろり、と見据えるスカーの視線に、
軍人&民間人一同は口々に白々しく答える。
「私は盲目なので、誰も見えてないよ」
「私は…不審者に真っ先に倒されましたので何も分かりません」
「私たちは元々ここにいるはずのない一般市民だから関係ないわね、あんた」
「我が輩は…見逃そう」
友情と姉とを秤にかけ、結局友情を取ったアレックスだった。
爆発の衝撃を身をかがめてやりすごし、オリヴィエは土煙の向こうに目をこらした。
神経をとぎすまして気配を探るが…土煙はともかく、
聴覚が多少おかしくなっているのが痛い。
「上に立つ者が敵を作りすぎるのはよくないでスよ、将軍さン」
どこからか、凛とした少女の声。
いつの間にか、足下を囲むように突き立つ5つの鏢。
その間を閃光が走り、衝撃がオリヴィエの体を灼いた。
容赦なく体力を奪う電撃に思わずひざをついた彼女の周りから
手早く鏢を回収したメイがランファンに駆け寄る。
「無様ですねランファン」
シン語。土煙を透かして見た姿にランファンは驚きの声を上げた。
「メイ・チャン!?」
「リン・ヤオはこちらで確保しました」
「何」
「話は後です。早く!」
オリヴィエとの勝負がついていないことには未練が残るものの、
確かにこの機を逃す訳にはいかない。
最後に一瞬だけ彼女がいるはずの方をにらみ据え、
ランファンはメイに手首をつかまれたまま土煙の中を走りだした。
混乱する練兵場の通路を一気に駆け抜け、
不幸にも出会った相手は的確に倒し、司令部を脱出した二人は
近くの路地に止めてあった「ハボック雑貨店」の大型トラックの荷台に転がり込む。
そこにはすでにリンとスカーが待っている。
「若…!」
別れたときと変わらぬ姿の彼を確認してランファンが安堵のあまり涙ぐむ。
メイが荷台の前方に走り、運転席との仕切窓をコンコンとたたいた。
「マルコーさん、揃いました。車出してくださイ」
エンジンが唸り、トラックが走り出す。
荷台の一同はそれぞれ壁にもたれて座り込み、しばし黙って呼吸を整えていた。
やがて暗がりに目が慣れ、おたがいの様子が見えてくる。
「ランファン」
リンが上着を脱ぎ、隣に座るランファンの肩にかけた。
「ずいぶん手ひどくやられたな」
腕、肩、胸元、腹、脚。今更ながら素肌のさらされっぷりに気付いて
赤面しながらランファンは襟元をかきよせる。
「はい。恐ろしい…相手でした」
正直もう二度と戦いたく…会いたくない。剣術もだが、あの気迫が何より恐ろしい。
「確かにな」
揃って身震いする主従に、反対側に座るメイが声をかけた。
「その恐ろしい相手から助けてあげたんですから、お礼を言っていただきたいところです」
リンに視線でうながされ、
「…感謝する」
ランファンは不承不承頭を下げた。
すまし顔で鷹揚にうなずいて返すメイの肩の上でシャオメイがガッツポーズを取る。
神経をとぎすまして気配を探るが…土煙はともかく、
聴覚が多少おかしくなっているのが痛い。
「上に立つ者が敵を作りすぎるのはよくないでスよ、将軍さン」
どこからか、凛とした少女の声。
いつの間にか、足下を囲むように突き立つ5つの鏢。
その間を閃光が走り、衝撃がオリヴィエの体を灼いた。
容赦なく体力を奪う電撃に思わずひざをついた彼女の周りから
手早く鏢を回収したメイがランファンに駆け寄る。
「無様ですねランファン」
シン語。土煙を透かして見た姿にランファンは驚きの声を上げた。
「メイ・チャン!?」
「リン・ヤオはこちらで確保しました」
「何」
「話は後です。早く!」
オリヴィエとの勝負がついていないことには未練が残るものの、
確かにこの機を逃す訳にはいかない。
最後に一瞬だけ彼女がいるはずの方をにらみ据え、
ランファンはメイに手首をつかまれたまま土煙の中を走りだした。
混乱する練兵場の通路を一気に駆け抜け、
不幸にも出会った相手は的確に倒し、司令部を脱出した二人は
近くの路地に止めてあった「ハボック雑貨店」の大型トラックの荷台に転がり込む。
そこにはすでにリンとスカーが待っている。
「若…!」
別れたときと変わらぬ姿の彼を確認してランファンが安堵のあまり涙ぐむ。
メイが荷台の前方に走り、運転席との仕切窓をコンコンとたたいた。
「マルコーさん、揃いました。車出してくださイ」
エンジンが唸り、トラックが走り出す。
荷台の一同はそれぞれ壁にもたれて座り込み、しばし黙って呼吸を整えていた。
やがて暗がりに目が慣れ、おたがいの様子が見えてくる。
「ランファン」
リンが上着を脱ぎ、隣に座るランファンの肩にかけた。
「ずいぶん手ひどくやられたな」
腕、肩、胸元、腹、脚。今更ながら素肌のさらされっぷりに気付いて
赤面しながらランファンは襟元をかきよせる。
「はい。恐ろしい…相手でした」
正直もう二度と戦いたく…会いたくない。剣術もだが、あの気迫が何より恐ろしい。
「確かにな」
揃って身震いする主従に、反対側に座るメイが声をかけた。
「その恐ろしい相手から助けてあげたんですから、お礼を言っていただきたいところです」
リンに視線でうながされ、
「…感謝する」
ランファンは不承不承頭を下げた。
すまし顔で鷹揚にうなずいて返すメイの肩の上でシャオメイがガッツポーズを取る。
「第十七皇女メイ・チャン」
しばらく後、リンが静かに口を開いた。
「同国人のよしみだけで助けてくれたわけはないな」
「取引をしましょう、第十二皇子リン・ヤオ」
メイの、常には「愛らしい」と評される黒目がちの瞳がしたたかに光る。
「何が望みだ」
「貴方が帝位につくことです」
「…ずいぶん大きく出るな」
「昨日、信用できる筋から皇帝の容態悪化の情報が入りました。
一日二日の間にどうこうとまではいかないですが、予断はできないと」
その言葉の意味を悟ったリンが顔色を変える。
「急ぎシンへ戻り、この機に乗じて次の皇帝に」
「勝手なことを」
「一人でやれとは言いません。皇帝に取り入るための人員は確保しています」
マルコーにもそのことは打ち明け、承知してもらっている。
「私自身も今度のことでかなりの知識を得ましたし、
もしも皇帝が死ぬ前に会うことができればどうにか延命できるかもですよ」
「…で、お前への褒賞は?」
「我がチャン族に妥当な地位を」
そう、メイの望みは自分が皇帝になることではない。
一族の地位が今より引き上げられればそれでいいのだ。
だから後ろ盾になる勢力のない自分が一人で動くよりは、
50万人からなるヤオ族の勢力を持つリンに協力し恩を売り
見返りを得る方が確実だと判断しての…今回の救出作戦だ。
おたがいの地位と誇りをかけ、二人の皇族の視線が火花を散らす。
ややあって、口を開いたのはリンの方だった。
「承知」
「若…!」
「わざわざ後で裏切るために手間暇かけてお前まで助ける者もいないだろうよ」
実際、最初は従者の一人も持たなかったはずの彼女がマルコー、スカーを味方に付け
ロイ・マスタングに通じアメストリス国脱出のための車まで手配するとは
たいした手際だ。仲間にすれば心強い相手であることは間違いない。
「皇位につけと言うからには、血まみれの道。存分に働いてもらうぞ、メイ」
しばらく後、リンが静かに口を開いた。
「同国人のよしみだけで助けてくれたわけはないな」
「取引をしましょう、第十二皇子リン・ヤオ」
メイの、常には「愛らしい」と評される黒目がちの瞳がしたたかに光る。
「何が望みだ」
「貴方が帝位につくことです」
「…ずいぶん大きく出るな」
「昨日、信用できる筋から皇帝の容態悪化の情報が入りました。
一日二日の間にどうこうとまではいかないですが、予断はできないと」
その言葉の意味を悟ったリンが顔色を変える。
「急ぎシンへ戻り、この機に乗じて次の皇帝に」
「勝手なことを」
「一人でやれとは言いません。皇帝に取り入るための人員は確保しています」
マルコーにもそのことは打ち明け、承知してもらっている。
「私自身も今度のことでかなりの知識を得ましたし、
もしも皇帝が死ぬ前に会うことができればどうにか延命できるかもですよ」
「…で、お前への褒賞は?」
「我がチャン族に妥当な地位を」
そう、メイの望みは自分が皇帝になることではない。
一族の地位が今より引き上げられればそれでいいのだ。
だから後ろ盾になる勢力のない自分が一人で動くよりは、
50万人からなるヤオ族の勢力を持つリンに協力し恩を売り
見返りを得る方が確実だと判断しての…今回の救出作戦だ。
おたがいの地位と誇りをかけ、二人の皇族の視線が火花を散らす。
ややあって、口を開いたのはリンの方だった。
「承知」
「若…!」
「わざわざ後で裏切るために手間暇かけてお前まで助ける者もいないだろうよ」
実際、最初は従者の一人も持たなかったはずの彼女がマルコー、スカーを味方に付け
ロイ・マスタングに通じアメストリス国脱出のための車まで手配するとは
たいした手際だ。仲間にすれば心強い相手であることは間違いない。
「皇位につけと言うからには、血まみれの道。存分に働いてもらうぞ、メイ」
オリヴィエが体の自由を取り戻したときには、
当然すでに敵の姿も賞品の姿も消えていた。
やっと周囲が見える程度に土煙も晴れ、係員観客の混乱っぷりも見えてくる。
…情けない。
「アテンション!」
気迫のこもった大音声が練兵場を震わせる。
軍刀を手に背筋を伸ばし、皆の視線にもひるまず一人立つ女将軍。
その姿は厳しく、りりしく。
「ぐだぐだ騒ぐな。総員、即座に自分の部署に戻り配置に付け!!」
「イエス・マム!」
声を揃えて答えたのは、オリヴィエの叱責に慣れている北方司令部の人間たち。
その迫力に引きずられるように東方司令部の人間たちもわたわたと動き出す。
「東方司令部。全員、あとでじっくり性根をたたき直す…!」
低く唸り、逃亡したシン国人捕獲の指揮を執るために彼女は軍服の裾を翻した。
当然すでに敵の姿も賞品の姿も消えていた。
やっと周囲が見える程度に土煙も晴れ、係員観客の混乱っぷりも見えてくる。
…情けない。
「アテンション!」
気迫のこもった大音声が練兵場を震わせる。
軍刀を手に背筋を伸ばし、皆の視線にもひるまず一人立つ女将軍。
その姿は厳しく、りりしく。
「ぐだぐだ騒ぐな。総員、即座に自分の部署に戻り配置に付け!!」
「イエス・マム!」
声を揃えて答えたのは、オリヴィエの叱責に慣れている北方司令部の人間たち。
その迫力に引きずられるように東方司令部の人間たちもわたわたと動き出す。
「東方司令部。全員、あとでじっくり性根をたたき直す…!」
低く唸り、逃亡したシン国人捕獲の指揮を執るために彼女は軍服の裾を翻した。
そして月曜日の早朝。
げっそりとやつれはてた顔で病室に現れたエドワードが、
起きたばかりのアルフォンスの脚の上にぱたりと倒れ込んだ。
「アールー」
「兄さん、重い」
「おまえさー…ほんっとにメイから昨日のこと何にも聞いてなかったんだよな…?」
アルフォンスは深々とため息を返す。
「聞いてたらいきなり『シンに戻ります』って出て行かれて
びっくりして具合悪くなったりしないって」
嘘じゃない。周囲の注意を引くための仮病の演技が結局本物の過呼吸を引き起こしてしまったのだから。
「じゃあ、結局メイたちはシンに帰れそうなのかな」
「今んとこ捕まってないってことは多分大丈夫だろ」
昨日、練兵場で急に起こった爆発の混乱が収まってすぐに
逃走したシン国人たちの追跡が司令官直々の指揮の下行われた。
しかし東方司令部必要最小限の人数をのぞいたほとんどが練兵場で観客と化していたため
街の警備はもののみごとに手薄になっており、
深夜になってやっと一行の構成と足取りが判明したときには、
彼らはすでに国境の大砂漠に入ってしまっていたのだ。
公的には単なる密入国者であるシン国人たちが、
自ら祖国へ帰還するというのをあえて追い捕らえようとする理由は私怨以外になく
…私欲で軍を動かすことを最も嫌うオリヴィエが、そうと分かっていて
必要以上の追跡を命じられるわけがない。
もちろん賞品の見張り役たちも厳しく尋問されたが、
ロイ・マスタング、リザ・ホークアイ、アレックス・ルイ・アームストロングの3名は
のらりくらりと言い逃れ、
エドワードだってリンやランファンと知り合いなうえに
真っ先にその場を離れたからあやしいと言われても何も知らない以上答えられることは何もなく。
…だというのに、怒気を隠そうともしないオリヴィエ直々に詰問され続けた夜明け前の3時間は、
無人島での1ヶ月および機械鎧をつけてからのリハビリ期間に勝るとも劣らぬ
苦難の時だったと断言する。
ちらりと思い返しただけで泥のような疲労がずしーんと全身にのしかかってくる。
げっそりとやつれはてた顔で病室に現れたエドワードが、
起きたばかりのアルフォンスの脚の上にぱたりと倒れ込んだ。
「アールー」
「兄さん、重い」
「おまえさー…ほんっとにメイから昨日のこと何にも聞いてなかったんだよな…?」
アルフォンスは深々とため息を返す。
「聞いてたらいきなり『シンに戻ります』って出て行かれて
びっくりして具合悪くなったりしないって」
嘘じゃない。周囲の注意を引くための仮病の演技が結局本物の過呼吸を引き起こしてしまったのだから。
「じゃあ、結局メイたちはシンに帰れそうなのかな」
「今んとこ捕まってないってことは多分大丈夫だろ」
昨日、練兵場で急に起こった爆発の混乱が収まってすぐに
逃走したシン国人たちの追跡が司令官直々の指揮の下行われた。
しかし東方司令部必要最小限の人数をのぞいたほとんどが練兵場で観客と化していたため
街の警備はもののみごとに手薄になっており、
深夜になってやっと一行の構成と足取りが判明したときには、
彼らはすでに国境の大砂漠に入ってしまっていたのだ。
公的には単なる密入国者であるシン国人たちが、
自ら祖国へ帰還するというのをあえて追い捕らえようとする理由は私怨以外になく
…私欲で軍を動かすことを最も嫌うオリヴィエが、そうと分かっていて
必要以上の追跡を命じられるわけがない。
もちろん賞品の見張り役たちも厳しく尋問されたが、
ロイ・マスタング、リザ・ホークアイ、アレックス・ルイ・アームストロングの3名は
のらりくらりと言い逃れ、
エドワードだってリンやランファンと知り合いなうえに
真っ先にその場を離れたからあやしいと言われても何も知らない以上答えられることは何もなく。
…だというのに、怒気を隠そうともしないオリヴィエ直々に詰問され続けた夜明け前の3時間は、
無人島での1ヶ月および機械鎧をつけてからのリハビリ期間に勝るとも劣らぬ
苦難の時だったと断言する。
ちらりと思い返しただけで泥のような疲労がずしーんと全身にのしかかってくる。
もうダメだ、とりあえず仮眠させてくれーと
エドワードが一昨日までメイが使っていた付添用ベッドにもぐりこもうとした、
その時。入り口がノックされた。
「アルフォンス・エルリックの病室だな?」
廊下から聞こえた声にエドワードは音を立てる勢いで凍り付く。
「入るぞ」
地獄のドアが開く音が聞こえる…!
ゆーっくりと振り返ると、つい1時間前まで自分をしつこく厳しくしつこくしつこく尋問していた
その相手、オリヴィエ・ミラ・アームストロングがアルフォンスのベッドへ近づくところだった。
「しっ司令官、なななななな、何故ここにっ」
「司令部内で体調を崩した民間人のもとに
司令官の私が直々に見舞いに来て何が悪い」
心臓に悪いです。ボクの。
昨日の激闘および激務の疲れをちらりとものぞかせず、
しわひとつない軍服をきっちりと着こんだオリヴィエは持っていた花束をアルフォンスに差し出す。
まだ朝露も消えていない白薔薇からつみたての緑の香りを秘めた芳香が匂い立つ。
「君がアルフォンス・エルリック、…あの鎧の中身か」
「はい」
いきなりの訪問に内心激しく狼狽しつつも、
それを面に出すわけにはいかないと覚悟を決めアルフォンスは笑顔を作る。
「お久しぶりです、オリヴィエ・ミラ・アームストロング大将」
「兄とはあまり似ていないな」
「僕は母親似なんです」
はらはらと見守るエドワードをよそに二人の会話は続く。
「そうか。昨日は大変だったそうだな」
「大将の戦いを最後まで見られなくて残念でした」
「ほう。昨日、東方司令部で君が倒れてから何があったかは知っているな」
一応「民間人」相手だからかオリヴィエの口調は多少柔らかいが、質問は的確だ。
「逃げたシン国人のうちの一人は君のつきそいだったそうだな」
「はい」
「まさか、君が奴らの手引きをしたわけではないだろうな?」
ここが正念場。
気力を振り絞り、アルフォンスはオリヴィエの目をまっすぐに見つめ返した。
「僕は何も知りません」
簡潔に言い切る。
「そうか。朝早くからすまなかった」
呼吸5つ分の沈黙の後、オリヴィエはそう言って踵を返した。
アルフォンスよくがんばった、兄はおまえを誇りに思うぞ…! と
感激するエドワードにちらりと視線を投げて。
「エドワード・エルリック、お前にはまだ聞きたいことがある。
9時に司令室に来い。遅れるなよ」
言い残し、軍靴の足音を響かせ部屋を出て行く。
揃ってぐったりと脱力したエルリック兄弟を、
窓から差し込む朝日が明るく照らし出していた。
エドワードが一昨日までメイが使っていた付添用ベッドにもぐりこもうとした、
その時。入り口がノックされた。
「アルフォンス・エルリックの病室だな?」
廊下から聞こえた声にエドワードは音を立てる勢いで凍り付く。
「入るぞ」
地獄のドアが開く音が聞こえる…!
ゆーっくりと振り返ると、つい1時間前まで自分をしつこく厳しくしつこくしつこく尋問していた
その相手、オリヴィエ・ミラ・アームストロングがアルフォンスのベッドへ近づくところだった。
「しっ司令官、なななななな、何故ここにっ」
「司令部内で体調を崩した民間人のもとに
司令官の私が直々に見舞いに来て何が悪い」
心臓に悪いです。ボクの。
昨日の激闘および激務の疲れをちらりとものぞかせず、
しわひとつない軍服をきっちりと着こんだオリヴィエは持っていた花束をアルフォンスに差し出す。
まだ朝露も消えていない白薔薇からつみたての緑の香りを秘めた芳香が匂い立つ。
「君がアルフォンス・エルリック、…あの鎧の中身か」
「はい」
いきなりの訪問に内心激しく狼狽しつつも、
それを面に出すわけにはいかないと覚悟を決めアルフォンスは笑顔を作る。
「お久しぶりです、オリヴィエ・ミラ・アームストロング大将」
「兄とはあまり似ていないな」
「僕は母親似なんです」
はらはらと見守るエドワードをよそに二人の会話は続く。
「そうか。昨日は大変だったそうだな」
「大将の戦いを最後まで見られなくて残念でした」
「ほう。昨日、東方司令部で君が倒れてから何があったかは知っているな」
一応「民間人」相手だからかオリヴィエの口調は多少柔らかいが、質問は的確だ。
「逃げたシン国人のうちの一人は君のつきそいだったそうだな」
「はい」
「まさか、君が奴らの手引きをしたわけではないだろうな?」
ここが正念場。
気力を振り絞り、アルフォンスはオリヴィエの目をまっすぐに見つめ返した。
「僕は何も知りません」
簡潔に言い切る。
「そうか。朝早くからすまなかった」
呼吸5つ分の沈黙の後、オリヴィエはそう言って踵を返した。
アルフォンスよくがんばった、兄はおまえを誇りに思うぞ…! と
感激するエドワードにちらりと視線を投げて。
「エドワード・エルリック、お前にはまだ聞きたいことがある。
9時に司令室に来い。遅れるなよ」
言い残し、軍靴の足音を響かせ部屋を出て行く。
揃ってぐったりと脱力したエルリック兄弟を、
窓から差し込む朝日が明るく照らし出していた。