店内には赤絨毯が敷き詰められ、小ぢんまりしたクリーム色の丸テーブルが等間隔で並べられている。数はざっと30と
行った所か。どのテーブルの周りにも颯爽たる様子のラタン椅子が置かれており、それは客数に応じて自由に移動できる
ようだった。席の9割はすでに埋まり店内は人で溢れ、もうすっかり無統制にぐしゃぐしゃと崩れたラタン椅子の上では各人
が思い思いの歓談に興じている。椅子とテーブルのない場所を通路とすれば、その通路もなかなか大混雑していた。帰る
客やトイレに行く客、新しく入って来た客が複雑な人の波を形成し、トレーに山と盛られた注文の品を気忙しく運ぶメイドと
空になった器皿(きべい)類を早足で運ぶメイドが更に不愉快な流れを作っている。行き過ぎる彼女らは剛太の肩を何度も
何度も痛打した。避けようにもだらしない位置で歓談する客が邪魔で動けない。何度目かの「お客さんごめんなさい」をブスっ
とした表情で聞き逃すと剛太はポケットに手を入れた猫背のまま、目指す席目がけ再び歩き出した。
(ったく。歩きづらいったらありゃしねえ。案内役もどっか行っちまったし)
頼みの桜花は上司(防人ではなくこの店の)へ連絡すべく店奥へスッ込んでいる。
行った所か。どのテーブルの周りにも颯爽たる様子のラタン椅子が置かれており、それは客数に応じて自由に移動できる
ようだった。席の9割はすでに埋まり店内は人で溢れ、もうすっかり無統制にぐしゃぐしゃと崩れたラタン椅子の上では各人
が思い思いの歓談に興じている。椅子とテーブルのない場所を通路とすれば、その通路もなかなか大混雑していた。帰る
客やトイレに行く客、新しく入って来た客が複雑な人の波を形成し、トレーに山と盛られた注文の品を気忙しく運ぶメイドと
空になった器皿(きべい)類を早足で運ぶメイドが更に不愉快な流れを作っている。行き過ぎる彼女らは剛太の肩を何度も
何度も痛打した。避けようにもだらしない位置で歓談する客が邪魔で動けない。何度目かの「お客さんごめんなさい」をブスっ
とした表情で聞き逃すと剛太はポケットに手を入れた猫背のまま、目指す席目がけ再び歩き出した。
(ったく。歩きづらいったらありゃしねえ。案内役もどっか行っちまったし)
頼みの桜花は上司(防人ではなくこの店の)へ連絡すべく店奥へスッ込んでいる。
「あ、でもどこに座ればいいか紙に書いて渡しておくから。剛太クンはそこで待っててね」
「またメモかよ。書くなら残党の件について書けよ」
「またメモかよ。書くなら残党の件について書けよ」
そうして店内の端、指定された席──18番テーブル──へ到着したのがおよそ5分後。しかし振り返れば距離は短い。モー
ターギア足に付ければ20秒で着けるってのと人混みのもたらした不能率を呪いながら、
「だいたいもっと席同士の間隔開けろっての。詰めすぎ。ちょっと客が座るだけで通れねェよこれじゃ」
とも愚痴りながらラタン椅子──背もたれが暗褐色の水牛の皮で編まれ、なかなか豪華な──を引き、座ろうとした剛太
は中腰のまま硬直した。隣のテーブルに見慣れた姿がある。期せずして固まったのはそのせいだ。
相手も剛太に気づいたらしい。「17番」と銘打たれたテーブルの前で彼は軽く目を見張ったようだった。
「もしやと思っていたが、先ほど姉さんと話していたのは君だったのか」
「…………オイ。お前入院中じゃなかったのか?」
至極真っ当な質問をすると、生真面目な表情が思案に変じた。
「外出許可は出ている。戦士長からも任務は受けていないが……不都合があっただろうか?」
「別にねーけど」
本日何度目かの盛大な溜息をしつつ背もたれ以外真っ黒な椅子に腰掛けた。座り心地はよく歩行の疲れがみるみると
抜けていくようだった。しかし安息の時はまだ来ない。視線を感じ首を曲げると、隣の男が剛太の仕草をまじめ腐った表情
で観察している。応対したくはなかったが、放置していればそのうち椅子の上で正座しかねない雰囲気を感じたので、半眼
でつくづく嫌そうに反問する。
「…………なんだよ?」
「一つ聴きたい。君はこういう場所に馴染みがあるのか」
「ねーよ。任務でお前の姉貴に呼ばれただけ。でなきゃ来ねーっての」
丸テーブル上のメニュー表に頬杖を突きながらだらしなく手を振ると、男──早坂秋水──は「そうか」とだけ呟いた。
それきりしばし会話は途切れた。店内は相変わらず忙しいらしく嬌声と媚の入り混じった喧騒がそこかしこから舞い上が
る。にも関わらず剛太と秋水のところだけメイドさんが来ないのは、やはり忙しいせいだろうか。
そのまま男二人、手持無沙汰で沈黙を続けたが……5分をすぎた辺りで剛太が愕然たる面持ちで立ち上がった。
「つか何でお前が居るんだよ!!!!!」
大音声で指差すが秋水の反応は鈍い。
「だから、病院から外出許可が下り、戦士長からも特に指示がなかったためだが」
「その結果がどうしてメイドカフェに直結してんだよ! おかしいだろ! お前の性格なら剣道場にでも行って見学なり指導
なりする方があってるだろ!! ああ!?」
火を噴くような勢いで詰め寄る垂れ目を「またか」という目で見たのは他の客とメイドたち。
「複雑な事情がある」
秋水は軽く沈黙し、軽く視線を泳がした。どうやら彼自身の才覚や器では説明しにくい事態が降りかかっているらしい。
「あーハイハイ。よーするに誰かから呼びつけられたとかそーいう訳? で、来たくはなかったけどそのクソお真面目な性格
が災いして断り切れなかったとか?」
美青年が頷くのを見届けると、剛太は「だあもう」とオーバーすぎる仕草で顔を覆った。
「百歩譲ってメイドカフェ来るのはいいとしてもだ」
「しても?」
「せめて学生服はやめろよ」
「変だろうか」
漆黒で無個性な衣装を腕上げ身丸め眺めまわす秋水はどうも抜けている。そもアニメ版では胴着姿で病院に行き斗貴子
を見舞った男である。ややもすると学生服と胴着以外の衣装を持っていないのかも知れない。
「で。聞くまでもねーと思うけど、お前をここに呼び出した相手ってのは」
「ごめーん秋水先輩! 洗い物が多くて!!」
甘く幼く朗らかな声と共に足音が近づいてきた。振り返ればコケティッシュな雰囲気のメイドがいた。胸の高さで大事そう
に抱えるピンクの丸トレイには渋茶の入ったグラスや明太スパゲッティ。それらを運んできたメイドのいでたちは桜花とほぼ
一緒だったが、腰のあたりにヒラヒラした長いリボンを付けているところがやや違う。スカート丈もやや短く、黒いストッキング
に覆われた膝小僧が可憐な様子で覗いていた。桜花が有能なメイド長だとすれば、こちらは元気いっぱいの新人メイドで
あろう。
(武藤まひろ。あの激甘アタマの妹までいるのかよ!!)
おののく彼の前にお冷が置かれた。見ればまひろが置いたらしい。彼女は胸の前で平手を立てて申し訳なさそうに
「桜花先輩もうちょっとで来るから待っててね」
とだけ伝えて隣のテーブルへ行った。
ターギア足に付ければ20秒で着けるってのと人混みのもたらした不能率を呪いながら、
「だいたいもっと席同士の間隔開けろっての。詰めすぎ。ちょっと客が座るだけで通れねェよこれじゃ」
とも愚痴りながらラタン椅子──背もたれが暗褐色の水牛の皮で編まれ、なかなか豪華な──を引き、座ろうとした剛太
は中腰のまま硬直した。隣のテーブルに見慣れた姿がある。期せずして固まったのはそのせいだ。
相手も剛太に気づいたらしい。「17番」と銘打たれたテーブルの前で彼は軽く目を見張ったようだった。
「もしやと思っていたが、先ほど姉さんと話していたのは君だったのか」
「…………オイ。お前入院中じゃなかったのか?」
至極真っ当な質問をすると、生真面目な表情が思案に変じた。
「外出許可は出ている。戦士長からも任務は受けていないが……不都合があっただろうか?」
「別にねーけど」
本日何度目かの盛大な溜息をしつつ背もたれ以外真っ黒な椅子に腰掛けた。座り心地はよく歩行の疲れがみるみると
抜けていくようだった。しかし安息の時はまだ来ない。視線を感じ首を曲げると、隣の男が剛太の仕草をまじめ腐った表情
で観察している。応対したくはなかったが、放置していればそのうち椅子の上で正座しかねない雰囲気を感じたので、半眼
でつくづく嫌そうに反問する。
「…………なんだよ?」
「一つ聴きたい。君はこういう場所に馴染みがあるのか」
「ねーよ。任務でお前の姉貴に呼ばれただけ。でなきゃ来ねーっての」
丸テーブル上のメニュー表に頬杖を突きながらだらしなく手を振ると、男──早坂秋水──は「そうか」とだけ呟いた。
それきりしばし会話は途切れた。店内は相変わらず忙しいらしく嬌声と媚の入り混じった喧騒がそこかしこから舞い上が
る。にも関わらず剛太と秋水のところだけメイドさんが来ないのは、やはり忙しいせいだろうか。
そのまま男二人、手持無沙汰で沈黙を続けたが……5分をすぎた辺りで剛太が愕然たる面持ちで立ち上がった。
「つか何でお前が居るんだよ!!!!!」
大音声で指差すが秋水の反応は鈍い。
「だから、病院から外出許可が下り、戦士長からも特に指示がなかったためだが」
「その結果がどうしてメイドカフェに直結してんだよ! おかしいだろ! お前の性格なら剣道場にでも行って見学なり指導
なりする方があってるだろ!! ああ!?」
火を噴くような勢いで詰め寄る垂れ目を「またか」という目で見たのは他の客とメイドたち。
「複雑な事情がある」
秋水は軽く沈黙し、軽く視線を泳がした。どうやら彼自身の才覚や器では説明しにくい事態が降りかかっているらしい。
「あーハイハイ。よーするに誰かから呼びつけられたとかそーいう訳? で、来たくはなかったけどそのクソお真面目な性格
が災いして断り切れなかったとか?」
美青年が頷くのを見届けると、剛太は「だあもう」とオーバーすぎる仕草で顔を覆った。
「百歩譲ってメイドカフェ来るのはいいとしてもだ」
「しても?」
「せめて学生服はやめろよ」
「変だろうか」
漆黒で無個性な衣装を腕上げ身丸め眺めまわす秋水はどうも抜けている。そもアニメ版では胴着姿で病院に行き斗貴子
を見舞った男である。ややもすると学生服と胴着以外の衣装を持っていないのかも知れない。
「で。聞くまでもねーと思うけど、お前をここに呼び出した相手ってのは」
「ごめーん秋水先輩! 洗い物が多くて!!」
甘く幼く朗らかな声と共に足音が近づいてきた。振り返ればコケティッシュな雰囲気のメイドがいた。胸の高さで大事そう
に抱えるピンクの丸トレイには渋茶の入ったグラスや明太スパゲッティ。それらを運んできたメイドのいでたちは桜花とほぼ
一緒だったが、腰のあたりにヒラヒラした長いリボンを付けているところがやや違う。スカート丈もやや短く、黒いストッキング
に覆われた膝小僧が可憐な様子で覗いていた。桜花が有能なメイド長だとすれば、こちらは元気いっぱいの新人メイドで
あろう。
(武藤まひろ。あの激甘アタマの妹までいるのかよ!!)
おののく彼の前にお冷が置かれた。見ればまひろが置いたらしい。彼女は胸の前で平手を立てて申し訳なさそうに
「桜花先輩もうちょっとで来るから待っててね」
とだけ伝えて隣のテーブルへ行った。
「コレ、初めて着たんだけど……似合うかな?」
秋水の反応を期待しているらしい。上目遣い気味のまひろの頬はやや赤い。
聞かれた秋水の方はやや驚いたらしい。頬をかくと少し視線を彷徨わせ、30秒後に空咳一つ打ってからようやく
「似合うと思う」
とだけ呟いた。
(うわぁ。コイツそっけねえ)
もし斗貴子がメイド服を着たらあらゆる弁舌を尽くして誉め讃えようと胸中密かに誓っている剛太である。秋水の反応は
──彼が最近まひろといい感じなのを防人たちから風のウワサ程度に聞いている剛太にとっては──そっけないものに
思えた。もっとも剛太自身桜花のメイド姿にはそっけなかったが。
一方、まひろは秋水のそっけない反応がとても嬉しかったらしく、「ありがとう」とはにかんだ笑みを浮かべた。もう本当心
底喜んでるけど同時になんだか照れくさくて仕方ない、そんな調子である。
「じゃ、じゃあ頑張るね。何を隠そう、私はご奉仕の達人よ!」
「あ、ああ。頼む」
(何をどう頼むってんだよ。渋茶でも飲ませて貰うのか)
何だか急に毒づきたくなってきた剛太である。だがそんなコトをしても不毛なだけなのでやめた。もっとも、負け惜しみの
ように(はいはいバカップルバカップル)と彼らを評しもしたが。
そんな彼の待ち人は一向に来る気配はない。剛太は隣の席から響く他愛も中身もないストロベリートークを鬱陶しそうに
聞き流した。ハンバーガーを買う為にまひろがここでバイトしているとかそういった情報はまったくもってどうでも良かった。
剛太はたださっさとこの街にいるかも知れない残党の情報を桜花から掴んで斗貴子と2人、水いらずの索敵をやりたいだ
けな のである。
(……にしても顔見知り多すぎだろこの店)
剛太はハッと息を呑んだ。頬に冷たい汗が浮かぶ。イヤな予感がした。生唾を飲み、首を動かす。頸骨が錆びた蝶番の
ようにぎぎぃっと鳴って不安を一層かきたてる。
(まさかあの人までいねェだろうな)
楯山千歳。かつて女学院でセーラー服を着た26歳。趣味はコスプレ(本人は否定)。すでに銀成市を離れている彼女だ
が武装錬金の特性が「瞬間移動」なのを考えると決して安心できない。
怖々と周囲を見渡す。大丈夫。見慣れた跳ねつきショートの無表情美人はどこにもいない。若返った状態で三つ編みを
揺らしてもいない。良かった。本当に良かった。安堵とと ともにお冷を口に含んだ剛太の耳をホヤホヤとしたネコ撫で声が
叩いた。
「そーなんだぁ。日本の文化って難しいね」
声の発生源を見る。長い金髪を筒状の装飾具(ヘアバンチ)で小分けにした少女が顧客へニコニコとほほ笑んでいた。
「ぶふーっ!!!!!」
お冷が噴出するのをどうして止められよう。ヴィクトリア=パワード。ホムンクルスである筈の少女がしれっと紛れ込んで
いるではないか。むろんメイド姿だ。丈の短いスカートに黒いハイソックスを履き、どこまでもどこまでも平坦で隆起のない
シャープな胸部に可愛らしいブローチさえ付けていた。
「大丈夫か?」
困惑顔の秋水をよそに剛太はむせまくり、ようやく沈静するや喰いかかるように質問した。
「この店こそ大丈夫かよ! あいつホムンクルスだぞ! 接客させていいのか!?」
「うーんまあ、びっきーも一度はオーナーの誘いを断ったんだけど、ほらでも生活費のコトとかあるでしょ? だから桜花先
輩の紹介で今日から働くコトに」
剛太の聞きたいコトはそういう経緯ではない。安全面での保証だ。
(くそう。ズレてる。流石アイツの妹)
まひろの解説を聞きつつ剛太は決意した。これで千歳まで出てきたら逃げよう。多角的な意味で『見るに堪えない』。
「ところで秋水先輩、この人とお知り合い? さっき何かお話してたみたいだけど……」
小首を傾げながら囁くまひろの視線に剛太の古傷がちょっと疼いたのは、彼女の兄を思い出したからだ。彼女の兄は斗
貴子とそれはもう(剛太にとって)痛烈極まる恋愛劇を演じていた。
剣客の機微では剛太の心情まで汲めなかったらしい。秋水はただひたすら真剣に囁いた。
「仲間だ」
(仲間、ねェ」
約1週間前の夜の出来事が去来する。
秋水の反応を期待しているらしい。上目遣い気味のまひろの頬はやや赤い。
聞かれた秋水の方はやや驚いたらしい。頬をかくと少し視線を彷徨わせ、30秒後に空咳一つ打ってからようやく
「似合うと思う」
とだけ呟いた。
(うわぁ。コイツそっけねえ)
もし斗貴子がメイド服を着たらあらゆる弁舌を尽くして誉め讃えようと胸中密かに誓っている剛太である。秋水の反応は
──彼が最近まひろといい感じなのを防人たちから風のウワサ程度に聞いている剛太にとっては──そっけないものに
思えた。もっとも剛太自身桜花のメイド姿にはそっけなかったが。
一方、まひろは秋水のそっけない反応がとても嬉しかったらしく、「ありがとう」とはにかんだ笑みを浮かべた。もう本当心
底喜んでるけど同時になんだか照れくさくて仕方ない、そんな調子である。
「じゃ、じゃあ頑張るね。何を隠そう、私はご奉仕の達人よ!」
「あ、ああ。頼む」
(何をどう頼むってんだよ。渋茶でも飲ませて貰うのか)
何だか急に毒づきたくなってきた剛太である。だがそんなコトをしても不毛なだけなのでやめた。もっとも、負け惜しみの
ように(はいはいバカップルバカップル)と彼らを評しもしたが。
そんな彼の待ち人は一向に来る気配はない。剛太は隣の席から響く他愛も中身もないストロベリートークを鬱陶しそうに
聞き流した。ハンバーガーを買う為にまひろがここでバイトしているとかそういった情報はまったくもってどうでも良かった。
剛太はたださっさとこの街にいるかも知れない残党の情報を桜花から掴んで斗貴子と2人、水いらずの索敵をやりたいだ
けな のである。
(……にしても顔見知り多すぎだろこの店)
剛太はハッと息を呑んだ。頬に冷たい汗が浮かぶ。イヤな予感がした。生唾を飲み、首を動かす。頸骨が錆びた蝶番の
ようにぎぎぃっと鳴って不安を一層かきたてる。
(まさかあの人までいねェだろうな)
楯山千歳。かつて女学院でセーラー服を着た26歳。趣味はコスプレ(本人は否定)。すでに銀成市を離れている彼女だ
が武装錬金の特性が「瞬間移動」なのを考えると決して安心できない。
怖々と周囲を見渡す。大丈夫。見慣れた跳ねつきショートの無表情美人はどこにもいない。若返った状態で三つ編みを
揺らしてもいない。良かった。本当に良かった。安堵とと ともにお冷を口に含んだ剛太の耳をホヤホヤとしたネコ撫で声が
叩いた。
「そーなんだぁ。日本の文化って難しいね」
声の発生源を見る。長い金髪を筒状の装飾具(ヘアバンチ)で小分けにした少女が顧客へニコニコとほほ笑んでいた。
「ぶふーっ!!!!!」
お冷が噴出するのをどうして止められよう。ヴィクトリア=パワード。ホムンクルスである筈の少女がしれっと紛れ込んで
いるではないか。むろんメイド姿だ。丈の短いスカートに黒いハイソックスを履き、どこまでもどこまでも平坦で隆起のない
シャープな胸部に可愛らしいブローチさえ付けていた。
「大丈夫か?」
困惑顔の秋水をよそに剛太はむせまくり、ようやく沈静するや喰いかかるように質問した。
「この店こそ大丈夫かよ! あいつホムンクルスだぞ! 接客させていいのか!?」
「うーんまあ、びっきーも一度はオーナーの誘いを断ったんだけど、ほらでも生活費のコトとかあるでしょ? だから桜花先
輩の紹介で今日から働くコトに」
剛太の聞きたいコトはそういう経緯ではない。安全面での保証だ。
(くそう。ズレてる。流石アイツの妹)
まひろの解説を聞きつつ剛太は決意した。これで千歳まで出てきたら逃げよう。多角的な意味で『見るに堪えない』。
「ところで秋水先輩、この人とお知り合い? さっき何かお話してたみたいだけど……」
小首を傾げながら囁くまひろの視線に剛太の古傷がちょっと疼いたのは、彼女の兄を思い出したからだ。彼女の兄は斗
貴子とそれはもう(剛太にとって)痛烈極まる恋愛劇を演じていた。
剣客の機微では剛太の心情まで汲めなかったらしい。秋水はただひたすら真剣に囁いた。
「仲間だ」
(仲間、ねェ」
約1週間前の夜の出来事が去来する。
「俺が栴檀貴信や栴檀香美に勝てたのは、君の助言があったからだ。感謝する」
9月3日。夜。一連の戦いが終わった直後。剛太の前で深々と頭を下げる秋水が居た。
(ったく。堅苦しいったらありゃしねェ)
なまじっか頭のいい剛太にとって型にはまった”だけ”の礼はどうもよろしくない。世界に対して未熟で真面目以外の繕い
方を知らぬ秋水が、結果として紋切りの中で精一杯の謝辞を述べているとしても、剛太的にはあまり嬉しくない。
ので、とりあえず
「俺に感謝すんなら斗貴子先輩助けてやりな」
とだけいった。秋水は頷いた。
9月3日。夜。一連の戦いが終わった直後。剛太の前で深々と頭を下げる秋水が居た。
(ったく。堅苦しいったらありゃしねェ)
なまじっか頭のいい剛太にとって型にはまった”だけ”の礼はどうもよろしくない。世界に対して未熟で真面目以外の繕い
方を知らぬ秋水が、結果として紋切りの中で精一杯の謝辞を述べているとしても、剛太的にはあまり嬉しくない。
ので、とりあえず
「俺に感謝すんなら斗貴子先輩助けてやりな」
とだけいった。秋水は頷いた。
(だいたい仲間とか戦友とかはなあ)
黙然と突き出す下唇には果てなき懊悩が滲んでいた。柄じゃない。シニカルで現実的だから声高に叫ぶのは嘘臭くて好み
ではない。にも関わらず対人感情は最近微妙な変化を遂げてもいる。鐶戦終盤で桜花を叱咤し手を引かせた原動力は何
だったのか。「化け物の類友」程度に見ていた元・信奉者とつかず離れずの距離を保っているのはどうしてか。なんだかん
だで桜花や秋水を拒絶していないのは何故なのか……。仲間という言葉に好奇心丸出しの質問攻めをしてくるまひろを適
当にあしらいながら、剛太は悩んだ。が、結果は出そうにない。
(あー面倒臭ぇ)
豊かな髪をボルリボルリと二掻きすると、剛太は話題を変えた。訳の分らぬ葛藤をもたらした元・信奉者にちょっとした意趣返
しをしたくなったのである。
「ところでさ、お前の姉貴から聞いたんだけど」
「?」
「お前、武藤の妹をあだ名で呼ぶかどうか詰め寄られてるんだって?」
軽く息をつめる秋水の表情はこう語っていた。「なぜ姉さんが知っている」と。
剛太はその驚きを別な方面に解釈し、軽い調子で平手をぱたつかせた。
「あー、大丈夫大丈夫。無理に呼ばせたりはしねェって」
「そうだよ! 秋水先輩が「まっぴー」なんて呼ぶの似合わないよ!」
うむと眉をいからせるまひろを流し眼で見ながら「まっぴー、ね」と剛太は含みのある笑いを浮かべた。
「ところでお前、こういう遊び知ってるか?」
「遊び、とは?」
呼びかけられた秋水はしげしげと剛太を見返した。
「まず『法被(はっぴ)』って10回言ってみ?」
彼は不承不承従った。法被法被法被……粛然とした経文のような連呼を満足そうに聞き遂げた剛太は不意にまひろを
指差した。
「じゃあコレは?」
「まっぴー」
その4文字を発した秋水の表情が凍りついた。全く以て取り返しのつかないコトをしてしまった。終わりだ。破滅だ。氷河
期を終えた表情は汗みずく。もはや「ひたすら情けない」としか形容できぬ表情になった。
「待ってくれ。落ち着いて聞いてくれ。今のは事故だ。事故なんだ」
「かかってやんの。正解は武藤まひろな」
瞑目した剛太の頬には「してやったり」という笑みがありありと刻まれ
「思ったよりカッコイイ! きゃー!!」
悲願の叶ったまひろは満面の笑みで万歳した。そして人混みに飛び込んで河合沙織を引っ張り出し今の出来事を報告
するや両手を組んでクルクル回り始めた。喜びを分かち合っているのだろう。
秋水の全身が戦慄いた。声はもう震えに震えている。
「君は何という事をしてくれたんだ」
広がって行く、今の事実が広がって行く……すすり泣くような囁きが端正な唇から漏れた。
「まぁまぁ。仲間ならこーいうスキンシップもアリだろ。大丈夫。他の奴には秘密にしといてやるって」
「だが……!!」
端正な顔がいっそう紅潮した。やり場のない絶望感をどう晴らせばいいか分からないという様子だ。
「あらあら。まるで小学生みたいなやり取り」
携帯電話をパチリと閉じたのは誰あろう早坂桜花である。いつの間にか彼女は男2人の背後にいた。ようく見ると桜花の
後ろには細い通路があって、その行き止まりに「従業員専用」と書かれたドアがある。つまりそこから来たのかと剛太は納
得した。
「でも秋水クン。剛太クンもまひろちゃんもさっきの言葉録音してないでしょ? だったらあの場限りで終わるわよ」
「確かに」
「私は録音したけどね」
「姉さん!?」
「最近の携帯電話って本当便利。法被10回の辺りで見当ついて準備できたし」
限りなくなく広がる慈母の笑みに剛太はうすら寒い物を感じた。
「ね、秋水クン、さっきの聞く? 大丈夫。結構カッコ良かったわよ。ね。ね?」
濃紺と純白のツートンカラーが豊かな肢体ごと剛太と秋水の間に滑り込み、童女のような嬌声を上げ始めた。よっぽど
さっきの発言が気に入ったのか……とは剛太の感想。彼は目下姉弟2人の世界の蚊帳の外、エプロンドレスの紐が交差
する背中を見るぐらいしかやるコトがない。とはいえそれもやがて弟君の悲痛なる歎願で終わりを告げたが。
「…………頼む。勘弁してくれ」
「ホラ。コイツもこう言ってるし、ファイル消去してやった方がいいんじゃないの?」
ちょっとしたからかいが思わぬ波紋を広げている。と、いたたまれなくなった剛太がとうとう秋水の擁護に回ると、果せる
かな桜花は姿勢を正しくるりと反転した。今度は剛太と向き合う形である。
「あ、そうね。そうしましょう」
白魚のような指がまっぴー発言を収めた携帯電話を開いた。秋水の口から洩れた吐息は安堵のそれか。
「と見せかけてまひろちゃんに送信! えいっ!」
「悪魔かお前は!」
剛太の手が一閃、心底楽しそうな桜花の手から携帯電話をもぎ取った。次いで彼はアクション映画顔負けの機敏さで椅子
から飛びあがって人混みの空白地帯に着地。桜花との距離が十分空いたのを確認すると反撃を警戒しつつ画面を見た。
垂れ目に落胆の色がありありと広がった。遅かった。華やかな液晶に映るは”送信完了”。ああ、些細な悪戯でまろび出た
文言はいまや電子の波を超え、まひろの携帯電話に伝播したようだった。「こいつずっとコレでからかわれるんだろうな」と
秋水の身に降りかかるであろう災難を予期すると、途轍もない罪悪感に見舞われた。
「ふふっ、そう来ると思って予めメールに添付して送信準備してたの」
「性格悪いのに頭だきゃあいいのな!!」
怒りとともに投げられた携帯電話をキャッチした桜花、先ほどの音声ファイルを慣れた手つきで「秋水クンの面白フォルダ」
に移した。そしてコレクションの数々を照れ照れした笑顔で眺めた。
黙然と突き出す下唇には果てなき懊悩が滲んでいた。柄じゃない。シニカルで現実的だから声高に叫ぶのは嘘臭くて好み
ではない。にも関わらず対人感情は最近微妙な変化を遂げてもいる。鐶戦終盤で桜花を叱咤し手を引かせた原動力は何
だったのか。「化け物の類友」程度に見ていた元・信奉者とつかず離れずの距離を保っているのはどうしてか。なんだかん
だで桜花や秋水を拒絶していないのは何故なのか……。仲間という言葉に好奇心丸出しの質問攻めをしてくるまひろを適
当にあしらいながら、剛太は悩んだ。が、結果は出そうにない。
(あー面倒臭ぇ)
豊かな髪をボルリボルリと二掻きすると、剛太は話題を変えた。訳の分らぬ葛藤をもたらした元・信奉者にちょっとした意趣返
しをしたくなったのである。
「ところでさ、お前の姉貴から聞いたんだけど」
「?」
「お前、武藤の妹をあだ名で呼ぶかどうか詰め寄られてるんだって?」
軽く息をつめる秋水の表情はこう語っていた。「なぜ姉さんが知っている」と。
剛太はその驚きを別な方面に解釈し、軽い調子で平手をぱたつかせた。
「あー、大丈夫大丈夫。無理に呼ばせたりはしねェって」
「そうだよ! 秋水先輩が「まっぴー」なんて呼ぶの似合わないよ!」
うむと眉をいからせるまひろを流し眼で見ながら「まっぴー、ね」と剛太は含みのある笑いを浮かべた。
「ところでお前、こういう遊び知ってるか?」
「遊び、とは?」
呼びかけられた秋水はしげしげと剛太を見返した。
「まず『法被(はっぴ)』って10回言ってみ?」
彼は不承不承従った。法被法被法被……粛然とした経文のような連呼を満足そうに聞き遂げた剛太は不意にまひろを
指差した。
「じゃあコレは?」
「まっぴー」
その4文字を発した秋水の表情が凍りついた。全く以て取り返しのつかないコトをしてしまった。終わりだ。破滅だ。氷河
期を終えた表情は汗みずく。もはや「ひたすら情けない」としか形容できぬ表情になった。
「待ってくれ。落ち着いて聞いてくれ。今のは事故だ。事故なんだ」
「かかってやんの。正解は武藤まひろな」
瞑目した剛太の頬には「してやったり」という笑みがありありと刻まれ
「思ったよりカッコイイ! きゃー!!」
悲願の叶ったまひろは満面の笑みで万歳した。そして人混みに飛び込んで河合沙織を引っ張り出し今の出来事を報告
するや両手を組んでクルクル回り始めた。喜びを分かち合っているのだろう。
秋水の全身が戦慄いた。声はもう震えに震えている。
「君は何という事をしてくれたんだ」
広がって行く、今の事実が広がって行く……すすり泣くような囁きが端正な唇から漏れた。
「まぁまぁ。仲間ならこーいうスキンシップもアリだろ。大丈夫。他の奴には秘密にしといてやるって」
「だが……!!」
端正な顔がいっそう紅潮した。やり場のない絶望感をどう晴らせばいいか分からないという様子だ。
「あらあら。まるで小学生みたいなやり取り」
携帯電話をパチリと閉じたのは誰あろう早坂桜花である。いつの間にか彼女は男2人の背後にいた。ようく見ると桜花の
後ろには細い通路があって、その行き止まりに「従業員専用」と書かれたドアがある。つまりそこから来たのかと剛太は納
得した。
「でも秋水クン。剛太クンもまひろちゃんもさっきの言葉録音してないでしょ? だったらあの場限りで終わるわよ」
「確かに」
「私は録音したけどね」
「姉さん!?」
「最近の携帯電話って本当便利。法被10回の辺りで見当ついて準備できたし」
限りなくなく広がる慈母の笑みに剛太はうすら寒い物を感じた。
「ね、秋水クン、さっきの聞く? 大丈夫。結構カッコ良かったわよ。ね。ね?」
濃紺と純白のツートンカラーが豊かな肢体ごと剛太と秋水の間に滑り込み、童女のような嬌声を上げ始めた。よっぽど
さっきの発言が気に入ったのか……とは剛太の感想。彼は目下姉弟2人の世界の蚊帳の外、エプロンドレスの紐が交差
する背中を見るぐらいしかやるコトがない。とはいえそれもやがて弟君の悲痛なる歎願で終わりを告げたが。
「…………頼む。勘弁してくれ」
「ホラ。コイツもこう言ってるし、ファイル消去してやった方がいいんじゃないの?」
ちょっとしたからかいが思わぬ波紋を広げている。と、いたたまれなくなった剛太がとうとう秋水の擁護に回ると、果せる
かな桜花は姿勢を正しくるりと反転した。今度は剛太と向き合う形である。
「あ、そうね。そうしましょう」
白魚のような指がまっぴー発言を収めた携帯電話を開いた。秋水の口から洩れた吐息は安堵のそれか。
「と見せかけてまひろちゃんに送信! えいっ!」
「悪魔かお前は!」
剛太の手が一閃、心底楽しそうな桜花の手から携帯電話をもぎ取った。次いで彼はアクション映画顔負けの機敏さで椅子
から飛びあがって人混みの空白地帯に着地。桜花との距離が十分空いたのを確認すると反撃を警戒しつつ画面を見た。
垂れ目に落胆の色がありありと広がった。遅かった。華やかな液晶に映るは”送信完了”。ああ、些細な悪戯でまろび出た
文言はいまや電子の波を超え、まひろの携帯電話に伝播したようだった。「こいつずっとコレでからかわれるんだろうな」と
秋水の身に降りかかるであろう災難を予期すると、途轍もない罪悪感に見舞われた。
「ふふっ、そう来ると思って予めメールに添付して送信準備してたの」
「性格悪いのに頭だきゃあいいのな!!」
怒りとともに投げられた携帯電話をキャッチした桜花、先ほどの音声ファイルを慣れた手つきで「秋水クンの面白フォルダ」
に移した。そしてコレクションの数々を照れ照れした笑顔で眺めた。
「悪ぃ。まさかこういうコトになるなんて」
「もういい。全ては俺の不注意だ。俺の……」
あらゆる苦しみを内包した溜息をついたきり秋水は黙り込んだ。俯いた加減で表情は分からないが全身から立ち上る黒雲
がごときオーラから察するに人生最大級の絶望感を味わっているらしい。彼の周囲だけ光が消えたようで薄緑したヒトダマ
さえ幻視できそうだった。
(やりすぎちゃったかしら……?)
困ったように微笑する桜花はしかし、自分にとって都合の悪い事を黙殺するように話題を変えた。
「それはともかくお待たせしたわね剛太クン」
「”それ”で済ましていいコトかよ? なあ? 大事な弟なんだろこいつは」
一条の汗に彩られた笑顔が意見を黙殺した。
「残党の件だったわね」
「それより弟を何とかしろよ」
「残党の件だったわね」
「弟!」
「残 党 の 件 だ っ た わ ね !」
声の張り上げ合戦は桜花に軍配があがった。沈黙する剛太。こんな姉に使役される秋水が心底哀れに思えてきた。
それは桜花も同じだったらしい。しばし逡巡すると「どうしても嫌なら消してもいいわよ。ね、ごめんなさい。元気出して」と
弟の背中をさすった。そして顔を上げて(チラチラと秋水を心配そうに見ながら)、こういった。
「実をいうと今の店内に手掛かりはないわ」
「なっ……!!」
絶句する剛太の口にやわやかな人差し指が押し付けられた。静かに、といいたいのだろう。細い体が艶やかな黒髪を揺
らめかせながら剛太の懐に踊り込んだ。彼が「あっ」という頃にはすでに桜花は吐息がかかるほど近くで首を上げ、濡れそ
ぼる瞳を向けている。ぷいと視線を外した先で乱れ前髪が白い額を露出させているのが見えた。剛太は心から悔やむ。た
だそれだけの映像にひどい艶めかしさを感じたコトを。必死に斗貴子の顔の傷とかホムンクルスをブチ殺す直前に必ず覗
く犬歯を思い出して踏みとどまる。
あと隣の席ではまひろが秋水に「いい子いい子」して一生懸命慰めている。
「落ち付いて。今日はまだ来てないってコトよ。いつもなら夕方近くに来るのだけど……」
剛太の鎮静を認めると、桜花はそっと掌を外した。
「で、どういう奴なんだよそれは? そもそも1人か? それとも複数?」
「複数ね。私が確認した限りじゃいつも2人1組。ただ」
「ただ?」
「実をいうと、ホムンクルスかどうかは分からないの」
垂れた瞳の奥で直観の光が瞬いた。それから隣の席では「私もこの音声ファイル消すから元気出して!」というまひろの
決意を皮切りに「いや君がそうする事は」「でも」「しかし」などと痴話喧嘩じみたやり取りが起こっていたが本筋にはあまり関
係ない。
「だろうな。わざわざこんなトコ来るんだ。動植物型でも人型でも人間形態とるよな。じゃあ章印の有無確認した方がよくね?」
「どうやって?」
「色仕掛け。人型でも脱がしゃ胸の章印見えるだろ」
「ここはそういうお店じゃないわ」
無表情の桜花が剛太の脳天にチョップを見舞った。ぽこりという音がした。
「冗談はともかく人間の姿してるのは厄介だな」
いいえ、と桜花はかぶりを振った。隣の席で会話は続く。詳細は知らん。
「逆よ」
「は?」
「人間とはかけ離れた姿なの。だけどホムンクルスかどうかはどうしても分からなくて」
「ちょっと待てよ。人間やめてる姿なんだろ? じゃあホムンクルスで決まりじゃねーのかよ」
「いいえ。どう見ても人間じゃないけど、ホムンクルスとも断定できない姿なの。さっき私がいった『フクザツさ』はそこよ」
まず剛太に話を持ち掛けたのも『フクザツさ』のせいらしい。隣の席では剣客が復活した。
「えーと。話を総合すると、この店にゃ毎日ホムンクルスっぽいのが2体来るんだな? でもホムンクルスかどーかはあん
たにゃ区別つかないと。だからまず先輩じゃなくて俺を呼んだ、と?」
「そうよ。だって津村さんじゃ有無を言わさず虐殺しにかかるでしょ。それでもし信奉者でさえない人だったら取り返しつか
ないもの。だからまず剛太クンに検分して貰った方が安全よ。今のところあの人たちが危害を加える様子はないし」
剛太が憮然としたのは彼自身の名誉のためではない。
「あんた先輩を何だと思ってる訳? 確かに一回スイッチ入ったら血塗られた獣で、俺さえちょっとヒくけど、落ち着いてる
時はかなりクレバーでクールなんだぞ。尋問ぐらいちゃんとするって」
「念には念よ。津村さんはちょっとした刺激で暴走するもの」
「……否定はできないけど」
冗談とも皮肉ともつかない表情の桜花に応じた瞬間、それは来た。
「もういい。全ては俺の不注意だ。俺の……」
あらゆる苦しみを内包した溜息をついたきり秋水は黙り込んだ。俯いた加減で表情は分からないが全身から立ち上る黒雲
がごときオーラから察するに人生最大級の絶望感を味わっているらしい。彼の周囲だけ光が消えたようで薄緑したヒトダマ
さえ幻視できそうだった。
(やりすぎちゃったかしら……?)
困ったように微笑する桜花はしかし、自分にとって都合の悪い事を黙殺するように話題を変えた。
「それはともかくお待たせしたわね剛太クン」
「”それ”で済ましていいコトかよ? なあ? 大事な弟なんだろこいつは」
一条の汗に彩られた笑顔が意見を黙殺した。
「残党の件だったわね」
「それより弟を何とかしろよ」
「残党の件だったわね」
「弟!」
「残 党 の 件 だ っ た わ ね !」
声の張り上げ合戦は桜花に軍配があがった。沈黙する剛太。こんな姉に使役される秋水が心底哀れに思えてきた。
それは桜花も同じだったらしい。しばし逡巡すると「どうしても嫌なら消してもいいわよ。ね、ごめんなさい。元気出して」と
弟の背中をさすった。そして顔を上げて(チラチラと秋水を心配そうに見ながら)、こういった。
「実をいうと今の店内に手掛かりはないわ」
「なっ……!!」
絶句する剛太の口にやわやかな人差し指が押し付けられた。静かに、といいたいのだろう。細い体が艶やかな黒髪を揺
らめかせながら剛太の懐に踊り込んだ。彼が「あっ」という頃にはすでに桜花は吐息がかかるほど近くで首を上げ、濡れそ
ぼる瞳を向けている。ぷいと視線を外した先で乱れ前髪が白い額を露出させているのが見えた。剛太は心から悔やむ。た
だそれだけの映像にひどい艶めかしさを感じたコトを。必死に斗貴子の顔の傷とかホムンクルスをブチ殺す直前に必ず覗
く犬歯を思い出して踏みとどまる。
あと隣の席ではまひろが秋水に「いい子いい子」して一生懸命慰めている。
「落ち付いて。今日はまだ来てないってコトよ。いつもなら夕方近くに来るのだけど……」
剛太の鎮静を認めると、桜花はそっと掌を外した。
「で、どういう奴なんだよそれは? そもそも1人か? それとも複数?」
「複数ね。私が確認した限りじゃいつも2人1組。ただ」
「ただ?」
「実をいうと、ホムンクルスかどうかは分からないの」
垂れた瞳の奥で直観の光が瞬いた。それから隣の席では「私もこの音声ファイル消すから元気出して!」というまひろの
決意を皮切りに「いや君がそうする事は」「でも」「しかし」などと痴話喧嘩じみたやり取りが起こっていたが本筋にはあまり関
係ない。
「だろうな。わざわざこんなトコ来るんだ。動植物型でも人型でも人間形態とるよな。じゃあ章印の有無確認した方がよくね?」
「どうやって?」
「色仕掛け。人型でも脱がしゃ胸の章印見えるだろ」
「ここはそういうお店じゃないわ」
無表情の桜花が剛太の脳天にチョップを見舞った。ぽこりという音がした。
「冗談はともかく人間の姿してるのは厄介だな」
いいえ、と桜花はかぶりを振った。隣の席で会話は続く。詳細は知らん。
「逆よ」
「は?」
「人間とはかけ離れた姿なの。だけどホムンクルスかどうかはどうしても分からなくて」
「ちょっと待てよ。人間やめてる姿なんだろ? じゃあホムンクルスで決まりじゃねーのかよ」
「いいえ。どう見ても人間じゃないけど、ホムンクルスとも断定できない姿なの。さっき私がいった『フクザツさ』はそこよ」
まず剛太に話を持ち掛けたのも『フクザツさ』のせいらしい。隣の席では剣客が復活した。
「えーと。話を総合すると、この店にゃ毎日ホムンクルスっぽいのが2体来るんだな? でもホムンクルスかどーかはあん
たにゃ区別つかないと。だからまず先輩じゃなくて俺を呼んだ、と?」
「そうよ。だって津村さんじゃ有無を言わさず虐殺しにかかるでしょ。それでもし信奉者でさえない人だったら取り返しつか
ないもの。だからまず剛太クンに検分して貰った方が安全よ。今のところあの人たちが危害を加える様子はないし」
剛太が憮然としたのは彼自身の名誉のためではない。
「あんた先輩を何だと思ってる訳? 確かに一回スイッチ入ったら血塗られた獣で、俺さえちょっとヒくけど、落ち着いてる
時はかなりクレバーでクールなんだぞ。尋問ぐらいちゃんとするって」
「念には念よ。津村さんはちょっとした刺激で暴走するもの」
「……否定はできないけど」
冗談とも皮肉ともつかない表情の桜花に応じた瞬間、それは来た。
「イヨッ! みんな元気でやってるかお!」
店に入って来た男は……ひどく背が低かった。おそらく150cmもないだろう。そのくせブヨブヨと肥り、手足も驚くほど短い。
とここまで書けばただ背の低い男性にすぎないが、実のところ風体は異様を極めていた。まず顔面というのがデカい。肉ま
んのような形をしたそれは幅も高さも彼自身の上半身ぐらいの大きさがあった。おかげで彼はすっかり三頭身だった。何か
の漫画かイラストからひょいと抜け出て来たような戯画臭がパねぇだった。衣服らしい衣服も来ていない。全身は顔面と同じ
白色だった。剛太は唖然としながらも頭の中の歯車を総動員してその理由を求めた。タイツだ。きっと全身タイツを着ている
に違いない。「じゃあナゼ全身タイツ?」という次なる疑問は突き詰めると頭が痛くなりそうなので却下しつつ剛太はすがる
ような思いで男の全身を眺めた。
違う。タイツじゃない。
男の体は白い肉の瑞々しさを遠目で視認できるほどたっぷり放っている。つまり彼は全裸またはそれに準ずるいでたち
だった。よくも闊歩を許したなと剛太は銀成警察を呪った。
そのくせメイドたちは彼に対して好意的らしく、手が開いている者は我先にと殺到し、顧客を相手どってる者は軽く手をあ
げ笑顔で応対。しかし部外者の剛太に言わせれば、そうするに値する容貌では絶対になかった。美形でもなければ可愛く
もない。冷徹にいえば醜怪以外の何者でもなかった。
(そもそも人類のツラじゃねェ)
ひたすらに丸く黒々とした大きな瞳。”3”を横倒したようなネコのような口、テキトーにマジックで書きました……といわれ
ても違和感のないほど申し訳程度の眉毛。巨大な顔面の中央部により集まったそれらが、い汚い笑みをメイドどもに振り
まいているのはまったく異常であった。にも関わらず白く禿げ上がった水頭症患者のような頭をメイドたちがきゃあきゃあ言
いながら触りまくっているのもまた異常であった。
「アレはまさか……」
「だよな。アレって」
隣に座っていた秋水がハッとしたのを幸い、剛太は全速力で話しかけた。さほど親しくない男にそうせざるを得なかったの
は、度重なる精神疲労を誰かと分かち合いたくなったからであろう。果たして秋水は生真面目に頷いた。剛太は初めてこの
男に友情らしき物を感じた。それは共感してくれたという喜びであった。忌み嫌っていたマジメさもここぞという局面では頼
りになるという信頼であった。剛太の目に宿る光を一瞥した秋水は今一度、しかしより粛然さと確信に満ちた様子で頷き返
し、重々しく囁いた。
「あれは姉さんの武装錬金、エンゼル御前!」
「違ェ!!」
剛太の叫びを受けた秋水は、心底意外そうに「違うのか?」と呟いた。そして滔々と武装錬金の変化について説いた。創
造者の内面の変化は武装錬金の外観にも変化を及ぼすではないか、現にカズキやヴィクターはそうだった。以前戦った
チワワ型ホムンクルスだって人型への変形を獲得するや龕灯を発動した……などなど。
「だからってあんなデカくなるかよ! 元はいくらだ! 数十センチ!」
「だがバスターバロンという前例もある。エンゼル御前がああいう進化を遂げたとしても不思議では──…」
「ねーよ!! 確かに体型とか不細工な所は似てるけど! 似てるけど!!」
「不細工で悪かったわね。それから秋水クン、後でちょっとお話しましょうか?」
「あ、ああ……」
むっとする桜花に秋水は果てしなくたじろいだようだった。
「つーか!! アレってホムンクルスだよな!! な! なあ!!」
「さっきも言ったでしょ? 私にも分からないの」
弟に絶対零度の微笑を送っていた桜花が、はたりと悩ましげに眉を顰めた。
「ホムンクルスなら章印ある筈なんだけど、見当たらなくて……」
「しかし云われてみればあの姿。人間とはあまりにもかけ離れすぎている」
「云われなくても見て気付け」
「それとも私の武装錬金に似ているから分からなかったのかしら」
棘のある艶声に秋水はまたも気圧されたようだった。この男、女性にはとんと弱いらしい。
「とりあえずフルーツ持って来たよー。バナナでしょ、リンゴでしょ、それからそれからマンドラゴラ!」
明るいまひろの声だけがこの場の救いである。秋水は無言でマンドラゴラをくびり殺した。破滅的な絶叫が響いた。
「まあ、他のみたくいかにもメカって感じでもねーしなあ」
人間型や動植物型の人間形態は概ね普通の人間と遜色ない。例えばヘビ型にされた英語教師が以前と変わりない学
校生活を送った実例もある。ホムンクルスでありながら普通の学生生活を送っているヴィクトリアも好例だろう。一方、動植
物型の「原型」……前述の英語教師でいえば「ヘビの形態」はモチーフをひどく無機的にした姿をしている。平たく言えばそ
れこそ剛太の言う通り、メカメカしているのだ。
が、いま入店してきた男は人間の姿をしてないくせにホムンクルスの最大の特徴たる「メカメカしさ」も持っていない。
「…………だったらアレ、何だよ?」
「それが分かれば苦労しないわよ」
「で、アレに関する情報は?」
「名前は入速出やる夫さん。今年で48歳よ」
「48歳でメイドカフェ来るなよ……」
「職業はバイクメーカーの社長さん。ついこの間まで経営危機で大変だったとか」
「……確か日本のバイクメーカーって4つしかなかったよな。な。な。じゃあアレって有名企業の社長か?」
桜花は軽く汗をかいたようだった。
「ふ、ふふふ? 私は「日本の」とは一言も言ってないわよ?」
「でも名字からするとあいつ国籍上は日本人だよな? だったら」
質問は果てしのない笑みでサラリと流された。
「剛太クン、バナナ食べる? ちょうどまひろちゃんが持ってきてくれたのがテーブルにあるけど」
「いや聞けよ。あれはスズキの社長か?」
「バナナにはね、栄養と食物繊維がタップリ入っているのよ」
「それともカワサキ? ヤマハ?」
「バナナ食べる? 食べない?」
「あ、わかった。 ホン──…」
「…………」
剛太が言葉半ばで黙り込んだのは、桜花が青筋付きの笑顔で「ゴゴゴゴ」と凄んできたからだ。退いた方が良い、こうなっ
た姉さんが一番怖い……秋水が袖を引いてきたので、剛太は黙った。すると閉じた口にバナナが直撃し、潰れ、生々しい乳
白色の塊がこびりついた。それを認めた剛太が憤激したのは、少し前任務で歩いていた森で期せずして「ぷちゅ」と踏みつ
ぶしてしまった何かの幼虫を思い出したからである。破壊された腹部からねっとりと溢れた内容物は下ろしたての靴を汚し
剛太を暗澹たる気分にさせた。口にこびりつくバナナがそれを思い出させた。白くヌメっとした「栄養と食物繊維」のなれの
果ては気色悪かった。トリガーだった。気色悪さは正にマキシマムドライブのトリガーだった。剛太は吼えた。
「……何やってんだよ!!!」
怒鳴られた桜花は珍しく動揺したらしい。軽く焦点がブレた目でおろおろとバナナと剛太を見比べた。
「だ、だって。あーんしてくれなかったんだもん……。秋水クンなら黙ってあーんしてくれたし……そのっ、男の人ならみんな
何も言わなくてもあーんしてくれるって思ってて……! だから、えぇと、その!」
いやにたどたどしい口調。剛太は芝居を疑ったが、ほんのり朱に染まる頬はどうやら本気の本気で羞恥を感じているら
しい。一方、まひろは桜花の思わぬ告白に驚いたらしい。
「え! そうなの秋水先輩。桜花先輩にあーんして貰ってたの!?」
「小さい頃の、話だ」
頬に一滴の汗を垂らす秋水に、疑惑的な剛太は「お前もしかして最近までやって貰ってたんじゃねーの?」と思ったが
先ほどのまっぴー発言で与えた被害を鑑み黙る事とした。
「いいなあ。私もあーんしたいなあ」
「やるなら君の兄にやってくれ。頼むから」
「とととととりあえずバナナ片付けるわね!」
いろいろな事に目を白黒とさせる桜花がスゴい事をやらかしたのはこの時だ。彼女は剛太の唇でヌメ付くバナナの欠片
を指でかっさらうと、食べた。そして自らの手の先で破損しているバナナを咥え込みきゅらきゅらと吸い込んだ。
「…………」
「…………」
男2人の表情が微妙な曇り方を見せた。剛太は物言いたげに赤面し、秋水はひたすらに難しい顔をしている。
「!!!!!!!!!!」
彼らの思惑を察したか。桜花の美しい顔が蒸気をぼわりと立てて真赤になった。
「……ケ、ケータイでいまの様子をとってないわよね?」
「いいえ」とばかりに男2人の首がシンクロした。しかし桜花はうなだれた。本日の双子は痴態に落ち込む運命にあるらしい。
「違うのよ……そういうつもりじゃ……バナナ片づけなきゃって慌てちゃったから……慌てちゃったから…………」
「わー。桜花先輩すごい食欲」
何も知らぬ無邪気なまひろだけはそういう感動の仕方をした。
一方、店内。
やる夫と呼ばれた男に沙織がマイクを渡した。どうやら歌うようにせがんでいるらしい。カラオケ付きとはまた豪奢なメイ
ドカフェだが、しかし客が歌う是非はどうなのか? ただしやる夫は快諾し、「じゃあアレやるお!」とドラゴンボールZの主
題歌2つを立て続けに歌い出した。
とここまで書けばただ背の低い男性にすぎないが、実のところ風体は異様を極めていた。まず顔面というのがデカい。肉ま
んのような形をしたそれは幅も高さも彼自身の上半身ぐらいの大きさがあった。おかげで彼はすっかり三頭身だった。何か
の漫画かイラストからひょいと抜け出て来たような戯画臭がパねぇだった。衣服らしい衣服も来ていない。全身は顔面と同じ
白色だった。剛太は唖然としながらも頭の中の歯車を総動員してその理由を求めた。タイツだ。きっと全身タイツを着ている
に違いない。「じゃあナゼ全身タイツ?」という次なる疑問は突き詰めると頭が痛くなりそうなので却下しつつ剛太はすがる
ような思いで男の全身を眺めた。
違う。タイツじゃない。
男の体は白い肉の瑞々しさを遠目で視認できるほどたっぷり放っている。つまり彼は全裸またはそれに準ずるいでたち
だった。よくも闊歩を許したなと剛太は銀成警察を呪った。
そのくせメイドたちは彼に対して好意的らしく、手が開いている者は我先にと殺到し、顧客を相手どってる者は軽く手をあ
げ笑顔で応対。しかし部外者の剛太に言わせれば、そうするに値する容貌では絶対になかった。美形でもなければ可愛く
もない。冷徹にいえば醜怪以外の何者でもなかった。
(そもそも人類のツラじゃねェ)
ひたすらに丸く黒々とした大きな瞳。”3”を横倒したようなネコのような口、テキトーにマジックで書きました……といわれ
ても違和感のないほど申し訳程度の眉毛。巨大な顔面の中央部により集まったそれらが、い汚い笑みをメイドどもに振り
まいているのはまったく異常であった。にも関わらず白く禿げ上がった水頭症患者のような頭をメイドたちがきゃあきゃあ言
いながら触りまくっているのもまた異常であった。
「アレはまさか……」
「だよな。アレって」
隣に座っていた秋水がハッとしたのを幸い、剛太は全速力で話しかけた。さほど親しくない男にそうせざるを得なかったの
は、度重なる精神疲労を誰かと分かち合いたくなったからであろう。果たして秋水は生真面目に頷いた。剛太は初めてこの
男に友情らしき物を感じた。それは共感してくれたという喜びであった。忌み嫌っていたマジメさもここぞという局面では頼
りになるという信頼であった。剛太の目に宿る光を一瞥した秋水は今一度、しかしより粛然さと確信に満ちた様子で頷き返
し、重々しく囁いた。
「あれは姉さんの武装錬金、エンゼル御前!」
「違ェ!!」
剛太の叫びを受けた秋水は、心底意外そうに「違うのか?」と呟いた。そして滔々と武装錬金の変化について説いた。創
造者の内面の変化は武装錬金の外観にも変化を及ぼすではないか、現にカズキやヴィクターはそうだった。以前戦った
チワワ型ホムンクルスだって人型への変形を獲得するや龕灯を発動した……などなど。
「だからってあんなデカくなるかよ! 元はいくらだ! 数十センチ!」
「だがバスターバロンという前例もある。エンゼル御前がああいう進化を遂げたとしても不思議では──…」
「ねーよ!! 確かに体型とか不細工な所は似てるけど! 似てるけど!!」
「不細工で悪かったわね。それから秋水クン、後でちょっとお話しましょうか?」
「あ、ああ……」
むっとする桜花に秋水は果てしなくたじろいだようだった。
「つーか!! アレってホムンクルスだよな!! な! なあ!!」
「さっきも言ったでしょ? 私にも分からないの」
弟に絶対零度の微笑を送っていた桜花が、はたりと悩ましげに眉を顰めた。
「ホムンクルスなら章印ある筈なんだけど、見当たらなくて……」
「しかし云われてみればあの姿。人間とはあまりにもかけ離れすぎている」
「云われなくても見て気付け」
「それとも私の武装錬金に似ているから分からなかったのかしら」
棘のある艶声に秋水はまたも気圧されたようだった。この男、女性にはとんと弱いらしい。
「とりあえずフルーツ持って来たよー。バナナでしょ、リンゴでしょ、それからそれからマンドラゴラ!」
明るいまひろの声だけがこの場の救いである。秋水は無言でマンドラゴラをくびり殺した。破滅的な絶叫が響いた。
「まあ、他のみたくいかにもメカって感じでもねーしなあ」
人間型や動植物型の人間形態は概ね普通の人間と遜色ない。例えばヘビ型にされた英語教師が以前と変わりない学
校生活を送った実例もある。ホムンクルスでありながら普通の学生生活を送っているヴィクトリアも好例だろう。一方、動植
物型の「原型」……前述の英語教師でいえば「ヘビの形態」はモチーフをひどく無機的にした姿をしている。平たく言えばそ
れこそ剛太の言う通り、メカメカしているのだ。
が、いま入店してきた男は人間の姿をしてないくせにホムンクルスの最大の特徴たる「メカメカしさ」も持っていない。
「…………だったらアレ、何だよ?」
「それが分かれば苦労しないわよ」
「で、アレに関する情報は?」
「名前は入速出やる夫さん。今年で48歳よ」
「48歳でメイドカフェ来るなよ……」
「職業はバイクメーカーの社長さん。ついこの間まで経営危機で大変だったとか」
「……確か日本のバイクメーカーって4つしかなかったよな。な。な。じゃあアレって有名企業の社長か?」
桜花は軽く汗をかいたようだった。
「ふ、ふふふ? 私は「日本の」とは一言も言ってないわよ?」
「でも名字からするとあいつ国籍上は日本人だよな? だったら」
質問は果てしのない笑みでサラリと流された。
「剛太クン、バナナ食べる? ちょうどまひろちゃんが持ってきてくれたのがテーブルにあるけど」
「いや聞けよ。あれはスズキの社長か?」
「バナナにはね、栄養と食物繊維がタップリ入っているのよ」
「それともカワサキ? ヤマハ?」
「バナナ食べる? 食べない?」
「あ、わかった。 ホン──…」
「…………」
剛太が言葉半ばで黙り込んだのは、桜花が青筋付きの笑顔で「ゴゴゴゴ」と凄んできたからだ。退いた方が良い、こうなっ
た姉さんが一番怖い……秋水が袖を引いてきたので、剛太は黙った。すると閉じた口にバナナが直撃し、潰れ、生々しい乳
白色の塊がこびりついた。それを認めた剛太が憤激したのは、少し前任務で歩いていた森で期せずして「ぷちゅ」と踏みつ
ぶしてしまった何かの幼虫を思い出したからである。破壊された腹部からねっとりと溢れた内容物は下ろしたての靴を汚し
剛太を暗澹たる気分にさせた。口にこびりつくバナナがそれを思い出させた。白くヌメっとした「栄養と食物繊維」のなれの
果ては気色悪かった。トリガーだった。気色悪さは正にマキシマムドライブのトリガーだった。剛太は吼えた。
「……何やってんだよ!!!」
怒鳴られた桜花は珍しく動揺したらしい。軽く焦点がブレた目でおろおろとバナナと剛太を見比べた。
「だ、だって。あーんしてくれなかったんだもん……。秋水クンなら黙ってあーんしてくれたし……そのっ、男の人ならみんな
何も言わなくてもあーんしてくれるって思ってて……! だから、えぇと、その!」
いやにたどたどしい口調。剛太は芝居を疑ったが、ほんのり朱に染まる頬はどうやら本気の本気で羞恥を感じているら
しい。一方、まひろは桜花の思わぬ告白に驚いたらしい。
「え! そうなの秋水先輩。桜花先輩にあーんして貰ってたの!?」
「小さい頃の、話だ」
頬に一滴の汗を垂らす秋水に、疑惑的な剛太は「お前もしかして最近までやって貰ってたんじゃねーの?」と思ったが
先ほどのまっぴー発言で与えた被害を鑑み黙る事とした。
「いいなあ。私もあーんしたいなあ」
「やるなら君の兄にやってくれ。頼むから」
「とととととりあえずバナナ片付けるわね!」
いろいろな事に目を白黒とさせる桜花がスゴい事をやらかしたのはこの時だ。彼女は剛太の唇でヌメ付くバナナの欠片
を指でかっさらうと、食べた。そして自らの手の先で破損しているバナナを咥え込みきゅらきゅらと吸い込んだ。
「…………」
「…………」
男2人の表情が微妙な曇り方を見せた。剛太は物言いたげに赤面し、秋水はひたすらに難しい顔をしている。
「!!!!!!!!!!」
彼らの思惑を察したか。桜花の美しい顔が蒸気をぼわりと立てて真赤になった。
「……ケ、ケータイでいまの様子をとってないわよね?」
「いいえ」とばかりに男2人の首がシンクロした。しかし桜花はうなだれた。本日の双子は痴態に落ち込む運命にあるらしい。
「違うのよ……そういうつもりじゃ……バナナ片づけなきゃって慌てちゃったから……慌てちゃったから…………」
「わー。桜花先輩すごい食欲」
何も知らぬ無邪気なまひろだけはそういう感動の仕方をした。
一方、店内。
やる夫と呼ばれた男に沙織がマイクを渡した。どうやら歌うようにせがんでいるらしい。カラオケ付きとはまた豪奢なメイ
ドカフェだが、しかし客が歌う是非はどうなのか? ただしやる夫は快諾し、「じゃあアレやるお!」とドラゴンボールZの主
題歌2つを立て続けに歌い出した。
……。
…………。
………………。
……………………。
やがてメイドカフェは感動の渦に包まれた。メイドも客も等しく熱狂し、落ち込んでいた桜花さえガバっと面を上げ、何か
叫びたそうにウズウズし、まひろに至っては1曲目の中盤から「ちゃーらー! へっちゃらー!」と同調していた。腿の上で
握りしめた拳から興奮性の汗を滴らせたのは秋水で、剛太はただただ「すげえ」と目を見開いた。
歌は終わらない。そのテのライブじゃ引っ張りダコな曲、それもとびきり難しい曲ばかりを歌い切った。もはやメイドカフェ内
において客とメイドの区別は消え、「やる夫とそれ以外」に二極化した。やる夫以外は時に沸き、時に静まり、泣いたり笑った
りして歌に聞き惚れた。一団の中で最も冷めているであろうヴィクトリアさえ「へぇ。やるじゃない」と感心した。
「あいつのノドすごすぎね?」
「でしょう。むかし芸者さん遊びした時に鍛えたらしいわよ」
「それだけじゃないさ。アイツは不思議な奴でな。最初は本っっっっっっっっ当に駄目で死んだ方が良い人間のクズなんだが、
ひとたび試練が降りかかったら必ず乗り越える。最初師匠役だった俺さえ楽々と超えてしまうだろ主人公的に考えて……」
「!! またなんか来た!」
やる夫を更に長細くした感じの生物がいつの間にか傍にいる。剛太は目を剥いた。こっちは背広を着ているが、容貌が
異常なのに変わりはない。
「あら。藤……じゃなかった専務さん。入速出社長さんの相方のやらない夫専務さん」
「見てな。アイツの真骨頂はここからさ。アイツは歌だけじゃなく芸も上手い」
なるほどやる夫と呼ばれた男は腹踊りとかリンボーダンスとかを心底楽しそうにやっている。
「……つーか、自分で芸するぐらいならメイドカフェ来る意味なくね?」
剛太の呟きにまひろも「だよね」と頷いた。
「分かってないな。お前ら」
シガーチョコ片手にやらない夫専務は呆れたように呟いた。
「あいつは自分だけが楽しむのが嫌なんだよ。周りの人間を楽しませて、力を引き出させて盛り上げる方が本当に好きな
んだよ。……ほら。メイドたちの顔見ろよ。すごく楽しそうだろ?」
「確かに」
やる夫を接客している少女たちのみならず、遠くで他の客に応対している少女たちも活気を帯びているようだった。
「ああやって誰かに楽しませて貰った連中は強いのさ。誰かから「本当の喜び」を貰った奴ってのはそれを誰かにも与えた
いと思う。だから頑張れる。何があろうと中途半端なモノだきゃ渡したくないって踏ん張って、困難に挑めるのさ。やる夫は
それを知ってるし、相手がそういう連中だって信じている。だから自分が率先してみんなを楽しませるのさ」
「つまりメイドへの敬意、という訳か」
「そんな所だ。昔は芸者相手にやってた事をいまはメイドにやってるだけさ」
得心がいった。そんな秋水に専務は深く頷いた。
「ま、お前たちのような若い連中にゃ分からないだろうけど」
「ううん。そういうコトだったら分かるよ」
まひろが首を振ると、秋水も粛然と首肯した。桜花も透き通った笑みを浮かべた。
(……ケッ。どいつもこいつも)
剛太は苦笑した。
きっと誰もが同じ少年の姿を描いているのだろう。それが分かるだけに何とも面映ゆい。
(けど、こいつらに激甘アタマ連想させるような奴が本当にホムンクルスなのか?)
いかにも人外といったやる夫を見る目は難しい。
「ところで専務、どうして私たちのところに?」
桜花の問いに専務は頭痛を抱えているような表情を浮かべた。
「オーナーと店長に挨拶しようと思ったが、どっちもいないとかありえないだろ常識的に考えて。とりあえず他のメイドに話聞
いたら、あんたが一番話分かるっていうからやってきた」
「あら。それはすいません」
優雅な仕草で口に手を当てると、桜花は生徒会長らしくキビキビと答え始めた。一方、副会長は木偶の坊のようにボーっ
と座り込んでいた。なにかやれ、秋水。
「何度も電話してるんだけど店長はいま捕まらなくて。オーナーならあと1時間ほどで帰ってくる予定ですけど。……あ、もし
お急ぎでしたら連絡しましょうか? 規則で携帯電話の番号は教えられませんし……」
「いや、いい。挨拶だけだ。帰ってくるならそれでいい」
「ちょっと待ったあ!! 店長ならすでに帰ってるかしら!!」
彼らの背後でドアが──先ほど桜花がくぐったであろう──従業員専用出入口が勢いよく開いて壁をぶっ叩いた。
「あら金糸雀店長。どこへお出かけで?」
小柄な影が全力で桜花に突進してきた。専務と軽く挨拶するとマシンガンのように言葉を発し始めた。
「セコムと契約した後ちょっくら秋葉行って声優のCDの限定盤買い占めてきたかしら!!」
店長と呼ばれたのはどっからどー見ても少女であった。軽く七三に分けた前髪とバネのような縦巻きロールが愛らしい少女
であった。橙のワンピースと黄色の燕尾服を着て、室内だというのに日傘を差している。
(やっぱコイツもヘン!)
剛太が嘆いた原因の2割は室内日傘だが、残り8割は少女の身長のせいである。ただ低いというか縮尺が根本的に違う。
まるで人形のようだと彼は思ったが実はそうである。
「あら? 店長が声優さん好きとは意外ですね」
桜花が微笑すると、店長は「違うかしら!」と拳固めて力説を始めた。
「限定盤をヤフオクへ流すとこれがまたいいカネになるかしら!! つってもカナは別に金のためにやってるんじゃあねーか
しら! どこで限定盤スンナリ変えるかも知らない情弱どもが群がって! 必死こいて金額釣り上げていく様が笑えるから
やってるかしら!! どうしても欲しい、どうしても限定盤についてるポスターが欲しいって調子でナケナシのカネはたいて原
価20円ぽっちぐらいのペラ紙高騰させてく純情ども見て笑うのは本当っつくづく! 最高かしら!!!!」
頬に両手を当てきゃぴきゃぴと笑う店長は、人として大事な何かが決定的に欠けているようだった。
「あーあと3年したらこいつら「どうしてたかがウン万画素で人間映ってるだけの厚紙必死こいて買ったんだ」って落ち込むん
だろうなあって想像するとメシが旨くて旨くてたまらねーのよ!!! でも声優人気とやらはその純情どもの大人買いに支え
られてるかも知らねーからカナのやる事ぁ別に悪事でもなんでもねーかしら! 『見せかける』ッ! 楽しく儲けさせて貰う見
返りに、実態以上の人気と順位と勢いとを演出してやってるのよ! ファンどもが純粋意思でやってるように!!」
(何の話してるか分からねェけど、嫌な店長だ)
(……だな)
剛太の呟きに秋水も呼応した。まひろはというと店の奥から甘ったるそうな卵焼きを沢山持ってきて楽しそうにテーブルへ
並べている。ちなみにそれは店長が仕事の後のささやかな楽しみにと密かに作って冷蔵庫に入れていた私物だった。金糸
雀は終業後、泣きに泣いた。
「ち・な・み・に! カナは別にメイド服着て店に出たりはしねーかしら!! いちいちチマチマ男どもに媚びてカネ稼ごうと
するほどカナは馬鹿じゃねーかしら!! 逆よ逆!! 連中の持つ女性への希求とやらをうまーく利用して! 付け入って!
いかにもおいしそうなサービス創出して儲けるべきかしら!」
あまりにあまりな文言である。遂にやらない夫専務がたまりかねたように口を挟んだ。
「そういう言葉吐くなよ。お客さんは神様だろ」
「ハッ! やっぱ商売やる以上尖ってねーと勝てねェかしら!! 勝てねェんなら敬意だのなんだの持ってようと無駄かしら!」
「つうかお前、ちょっと酒臭くね?」
剛太は鼻をつまんだ。
「ハッ!! ナスカドーパントがくたばっちまったからかしら! 医者も断酒会も顔色止めて飛びかかって来たけどこれが呑
まずに居られるかって話かしら! あはは! 肝臓の数値最悪だったからもう長くねーかしら!! 酒も商売も好きにやら
せろかしら!! どうせカナがくたばっても泣く人間なんざいやしねえ! かしら!」
呵呵大笑する店長だが、その大きな眼には真珠のような涙が浮かんでいた。
「第一! この前の経営危機まで代理店や協力工場にあこぎな要求突きつけてたのはどこの会社かしら!?」
「いうなよそれ」
専務と店長にしか分からぬ世界があるらしい。
「どーせメイドカフェなんざ数年経ったら廃れるに決まってるから雇われ経験積んだ所で今後にゃ繋がらねーかしら! だか
らカナは「どうすりゃ儲けれるか」って機微だけ学ぶのよ。んで落ち目んなったら上り調子んなってるトコへさっさと飛びつい
てまた儲けてやるかしら! それもまあカナがくたばってなきゃあだけど! ぶはははは! 」
震える手で瓢箪を持ちバーボンをすすってゲップをすると、彼女はこう締めくくった。
「ハッ! 買い占めるCDの声優名の移り変わりの激しい事激しい事!」
「勉強になります」
「すんな。そんな勉強」
心底感心した様子のメイド長に冷徹なツッコミが刺さった。
(それよりあの社長と専務がホムンクルスかどーか確かめねーと)
鋭い光を帯びた剛太の目がやる夫社長を捉えた。
叫びたそうにウズウズし、まひろに至っては1曲目の中盤から「ちゃーらー! へっちゃらー!」と同調していた。腿の上で
握りしめた拳から興奮性の汗を滴らせたのは秋水で、剛太はただただ「すげえ」と目を見開いた。
歌は終わらない。そのテのライブじゃ引っ張りダコな曲、それもとびきり難しい曲ばかりを歌い切った。もはやメイドカフェ内
において客とメイドの区別は消え、「やる夫とそれ以外」に二極化した。やる夫以外は時に沸き、時に静まり、泣いたり笑った
りして歌に聞き惚れた。一団の中で最も冷めているであろうヴィクトリアさえ「へぇ。やるじゃない」と感心した。
「あいつのノドすごすぎね?」
「でしょう。むかし芸者さん遊びした時に鍛えたらしいわよ」
「それだけじゃないさ。アイツは不思議な奴でな。最初は本っっっっっっっっ当に駄目で死んだ方が良い人間のクズなんだが、
ひとたび試練が降りかかったら必ず乗り越える。最初師匠役だった俺さえ楽々と超えてしまうだろ主人公的に考えて……」
「!! またなんか来た!」
やる夫を更に長細くした感じの生物がいつの間にか傍にいる。剛太は目を剥いた。こっちは背広を着ているが、容貌が
異常なのに変わりはない。
「あら。藤……じゃなかった専務さん。入速出社長さんの相方のやらない夫専務さん」
「見てな。アイツの真骨頂はここからさ。アイツは歌だけじゃなく芸も上手い」
なるほどやる夫と呼ばれた男は腹踊りとかリンボーダンスとかを心底楽しそうにやっている。
「……つーか、自分で芸するぐらいならメイドカフェ来る意味なくね?」
剛太の呟きにまひろも「だよね」と頷いた。
「分かってないな。お前ら」
シガーチョコ片手にやらない夫専務は呆れたように呟いた。
「あいつは自分だけが楽しむのが嫌なんだよ。周りの人間を楽しませて、力を引き出させて盛り上げる方が本当に好きな
んだよ。……ほら。メイドたちの顔見ろよ。すごく楽しそうだろ?」
「確かに」
やる夫を接客している少女たちのみならず、遠くで他の客に応対している少女たちも活気を帯びているようだった。
「ああやって誰かに楽しませて貰った連中は強いのさ。誰かから「本当の喜び」を貰った奴ってのはそれを誰かにも与えた
いと思う。だから頑張れる。何があろうと中途半端なモノだきゃ渡したくないって踏ん張って、困難に挑めるのさ。やる夫は
それを知ってるし、相手がそういう連中だって信じている。だから自分が率先してみんなを楽しませるのさ」
「つまりメイドへの敬意、という訳か」
「そんな所だ。昔は芸者相手にやってた事をいまはメイドにやってるだけさ」
得心がいった。そんな秋水に専務は深く頷いた。
「ま、お前たちのような若い連中にゃ分からないだろうけど」
「ううん。そういうコトだったら分かるよ」
まひろが首を振ると、秋水も粛然と首肯した。桜花も透き通った笑みを浮かべた。
(……ケッ。どいつもこいつも)
剛太は苦笑した。
きっと誰もが同じ少年の姿を描いているのだろう。それが分かるだけに何とも面映ゆい。
(けど、こいつらに激甘アタマ連想させるような奴が本当にホムンクルスなのか?)
いかにも人外といったやる夫を見る目は難しい。
「ところで専務、どうして私たちのところに?」
桜花の問いに専務は頭痛を抱えているような表情を浮かべた。
「オーナーと店長に挨拶しようと思ったが、どっちもいないとかありえないだろ常識的に考えて。とりあえず他のメイドに話聞
いたら、あんたが一番話分かるっていうからやってきた」
「あら。それはすいません」
優雅な仕草で口に手を当てると、桜花は生徒会長らしくキビキビと答え始めた。一方、副会長は木偶の坊のようにボーっ
と座り込んでいた。なにかやれ、秋水。
「何度も電話してるんだけど店長はいま捕まらなくて。オーナーならあと1時間ほどで帰ってくる予定ですけど。……あ、もし
お急ぎでしたら連絡しましょうか? 規則で携帯電話の番号は教えられませんし……」
「いや、いい。挨拶だけだ。帰ってくるならそれでいい」
「ちょっと待ったあ!! 店長ならすでに帰ってるかしら!!」
彼らの背後でドアが──先ほど桜花がくぐったであろう──従業員専用出入口が勢いよく開いて壁をぶっ叩いた。
「あら金糸雀店長。どこへお出かけで?」
小柄な影が全力で桜花に突進してきた。専務と軽く挨拶するとマシンガンのように言葉を発し始めた。
「セコムと契約した後ちょっくら秋葉行って声優のCDの限定盤買い占めてきたかしら!!」
店長と呼ばれたのはどっからどー見ても少女であった。軽く七三に分けた前髪とバネのような縦巻きロールが愛らしい少女
であった。橙のワンピースと黄色の燕尾服を着て、室内だというのに日傘を差している。
(やっぱコイツもヘン!)
剛太が嘆いた原因の2割は室内日傘だが、残り8割は少女の身長のせいである。ただ低いというか縮尺が根本的に違う。
まるで人形のようだと彼は思ったが実はそうである。
「あら? 店長が声優さん好きとは意外ですね」
桜花が微笑すると、店長は「違うかしら!」と拳固めて力説を始めた。
「限定盤をヤフオクへ流すとこれがまたいいカネになるかしら!! つってもカナは別に金のためにやってるんじゃあねーか
しら! どこで限定盤スンナリ変えるかも知らない情弱どもが群がって! 必死こいて金額釣り上げていく様が笑えるから
やってるかしら!! どうしても欲しい、どうしても限定盤についてるポスターが欲しいって調子でナケナシのカネはたいて原
価20円ぽっちぐらいのペラ紙高騰させてく純情ども見て笑うのは本当っつくづく! 最高かしら!!!!」
頬に両手を当てきゃぴきゃぴと笑う店長は、人として大事な何かが決定的に欠けているようだった。
「あーあと3年したらこいつら「どうしてたかがウン万画素で人間映ってるだけの厚紙必死こいて買ったんだ」って落ち込むん
だろうなあって想像するとメシが旨くて旨くてたまらねーのよ!!! でも声優人気とやらはその純情どもの大人買いに支え
られてるかも知らねーからカナのやる事ぁ別に悪事でもなんでもねーかしら! 『見せかける』ッ! 楽しく儲けさせて貰う見
返りに、実態以上の人気と順位と勢いとを演出してやってるのよ! ファンどもが純粋意思でやってるように!!」
(何の話してるか分からねェけど、嫌な店長だ)
(……だな)
剛太の呟きに秋水も呼応した。まひろはというと店の奥から甘ったるそうな卵焼きを沢山持ってきて楽しそうにテーブルへ
並べている。ちなみにそれは店長が仕事の後のささやかな楽しみにと密かに作って冷蔵庫に入れていた私物だった。金糸
雀は終業後、泣きに泣いた。
「ち・な・み・に! カナは別にメイド服着て店に出たりはしねーかしら!! いちいちチマチマ男どもに媚びてカネ稼ごうと
するほどカナは馬鹿じゃねーかしら!! 逆よ逆!! 連中の持つ女性への希求とやらをうまーく利用して! 付け入って!
いかにもおいしそうなサービス創出して儲けるべきかしら!」
あまりにあまりな文言である。遂にやらない夫専務がたまりかねたように口を挟んだ。
「そういう言葉吐くなよ。お客さんは神様だろ」
「ハッ! やっぱ商売やる以上尖ってねーと勝てねェかしら!! 勝てねェんなら敬意だのなんだの持ってようと無駄かしら!」
「つうかお前、ちょっと酒臭くね?」
剛太は鼻をつまんだ。
「ハッ!! ナスカドーパントがくたばっちまったからかしら! 医者も断酒会も顔色止めて飛びかかって来たけどこれが呑
まずに居られるかって話かしら! あはは! 肝臓の数値最悪だったからもう長くねーかしら!! 酒も商売も好きにやら
せろかしら!! どうせカナがくたばっても泣く人間なんざいやしねえ! かしら!」
呵呵大笑する店長だが、その大きな眼には真珠のような涙が浮かんでいた。
「第一! この前の経営危機まで代理店や協力工場にあこぎな要求突きつけてたのはどこの会社かしら!?」
「いうなよそれ」
専務と店長にしか分からぬ世界があるらしい。
「どーせメイドカフェなんざ数年経ったら廃れるに決まってるから雇われ経験積んだ所で今後にゃ繋がらねーかしら! だか
らカナは「どうすりゃ儲けれるか」って機微だけ学ぶのよ。んで落ち目んなったら上り調子んなってるトコへさっさと飛びつい
てまた儲けてやるかしら! それもまあカナがくたばってなきゃあだけど! ぶはははは! 」
震える手で瓢箪を持ちバーボンをすすってゲップをすると、彼女はこう締めくくった。
「ハッ! 買い占めるCDの声優名の移り変わりの激しい事激しい事!」
「勉強になります」
「すんな。そんな勉強」
心底感心した様子のメイド長に冷徹なツッコミが刺さった。
(それよりあの社長と専務がホムンクルスかどーか確かめねーと)
鋭い光を帯びた剛太の目がやる夫社長を捉えた。