《EPISODE2:It’s alpha and omega’s kingdom come》
――ローマ近郊 カトリック系孤児院 フェルディナント・ルークス院
「ではみんな、食堂でお茶にしましょう。パッツィさんから頂いた美味しいクッキーも
ありますからね。さあ、行きますよ」
神父は閉じた聖書を片手に、子供達全員に柔らかく言葉を掛ける。
子供達は日曜の礼拝の後にある、お茶の時間が大好きだった。
親切な人達から頂いた美味しいお菓子が食べられるし、優しい神父様がいつもためになる
お話をしてくれるからだ。
孤児院に住む二十数人の子供達ははしゃぎつつ、礼拝堂から食堂に移動する。
「こらこら。危ないから走ってはいけません」
年少の子供達が転ばないようにと、心配そうな顔で後を付いて行く神父。
しかし、その風貌は聖職者とは程遠く見える。
短めの金髪を適当に撫でつけているせいか少し雑な印象を受けるし、顎にはまばらに無精髭を
生やしている。しかも左頬には一本の大きな傷跡が走っていた。
加えて、2m近い長身に肩幅の広いガッシリとした体格は、神父というよりもまるでちょっとした
スポーツ選手のようだ。
これだけを見ると粗野で乱暴者といったイメージだが、彼のにこやかな笑顔と丸眼鏡の奥で
細められた人の良さそうな眼、そしていつも丁寧で穏やかな物腰がそれを打ち消していた。
事実、孤児院の子供達や数少ない近所の住人、マーケットの店員等は皆、彼に対しては
「優しい神父様」「いつも笑顔を絶やさない穏やかな方」「身寄りの無い子供の為に働く人格者」
といった認識を持っている。
アレクサンド・アンデルセン。
それがこの孤児院の責任者を務める、三十絡みの神父の名であった。
アンデルセンが遅れて食堂に入ると、幼い子供達は全員テーブルに付いていた。
数人の年長者が寮母と共にクッキーを配り、紅茶を入れている。
彼は皆に囲まれた中央の席に座ると、テーブルを隅から隅まで見渡した。
「みんな、クッキーと紅茶は行き渡りましたか?
こら、マルコ、いけません。食べるのは
お祈りが済んでからですよ」
一番乗りにクッキーに手を出そうとする少年を、厳しくも穏やかに咎める。
全員、テーブルの上で両手を合わせ、眼を閉じた。
アンデルセンも目を閉じ、祈りの言葉を唱え、それに合わせて子供達も不器用にだが祈る。
「天にまします我らの父よ。願わくは皆を崇め給え。御国を来たらせ給え。御心の天になる如く
地にもなさえ給え。我らの日用の糧を今日も与え給え。――AMEN」
子供達はお祈りが終わると、待ってましたとばかりにクッキーを口に運び始めた。
アンデルセンもその様子を微笑ましく眺めながら、紅茶を啜る。
さてお話の時間だ。
お話、と言ってもこの孤児院には十代半ばの子もいれば、幼稚園児程の小さな子もいる。
あまり難しい言葉は使えないし、さりとてあまり内容の無い話も出来ない。
アンデルセンがいつも頭を悩ませる場面である。
だが、子供達はクッキーを頬張りつつも、眼を輝かせて神父様のお話を待っている。
その神父様は頭の中で素早く話を組み立て、満面の笑みで話し始めた。
「昨日、イスラエルの兵隊さんがパレスチナ人を銃でたくさん殺しました。これはとても
素晴らしい事なのです」
アンデルセンの両隣に座る十六、七歳くらいと思われるヨーロッパ系と東洋系の二人の少女が、
彼の言葉にコクコクと頷く。
他の子供達は夢中になり、中には身を乗り出している子までいる。
「パレスチナ人はイスラム教徒というとても汚い異教徒共です。約束の地であるエルサレムを
奪おうとする罪人なのです。
いいですか?
カトリック以外の異教徒や異端者は皆、人間ではありません。イエス様の復活と
神の御国がやって来る事を邪魔するサタンの使いです。いわば悪魔(バケモノ)共なのです。
ですから死んで当然、いえ、むしろ殺されるべきなのですよ」
窓から差し込む太陽の光が眼鏡に反射して、その本来の性質を宿す眼は隠れている。
確かに“ためになるお話”だ。孤児達を狂信的なカトリック原理主義者に育てる為には。
話に熱がこもり始めた矢先、ふとアンデルセンが戸口の方を見遣ると、一人の老神父が立っていた。
老神父はアンデルセンと眼が合うと、スッと廊下の方へ姿を消してしまった。
やれやれ、彼がきたか。せっかく子供達が熱心に話を聞いているというのに。
内心、溜息を吐くアンデルセンは無理矢理、話をまとめに掛かる。
「みんなは、一日も早く世界中の全ての異教徒が死んでしまうように、神様にお祈りしましょう。
いいですね?」
「は~い、神父様」「僕、いっぱいお祈りするよ!」「僕は大きくなったら“いきょーと”をみんなやっつける!」
「僕も~!」「あたしも~!」
子供達は神父様のお言葉を守ろうと、思い思いに声を上げる。
「うんうん、よろしい。さて……どうやら私にお客さんが来たようです。少し席を外しますから……。
ハインケル、由美江。みんなの面倒を頼みますよ」
アンデルセンは子供達の素直さに相好を崩しながら席を立つと、両隣の少女達にこの場を任せた。
声を掛けられた二人の少女は笑顔で頷く。
「はい、神父様」「いってらっしゃい」
孤児院の中では最年長の二人はカトリックへの絶対的な信仰を持っていたが、それ以上に
アレクサンド・アンデルセンという人間に深く傾倒していた。
しかし、それはここで語る事ではない。
「ええ~」「神父様、行かないで~」「もっとお話聞かせてよ、神父様~」
ごねる子供達を四苦八苦してなだめながら、どうにかアンデルセンは食堂を出た。
孤児院の敷地の外れに行くと、先程の老神父が立っていた。
彼と話をする時はいつも決まってここだ。“仕事”の話を誰にも聞かれないように。
老神父は無表情で、特に待たされて苛立っているようには見えない。それもいつもの事だが。
アンデルセンは丁寧かつぶっきらぼうに声を掛けた。
「一体、どうしたというのです。何の御用ですか?」
「『Real IRA』の事は知っているな?」
謎掛けのように本題から入る老神父に、アンデルセンはさも当たり前とばかりに返す。
「ええ、ええ。最近『IRA暫定派』から分離した過激派連中のことでしょう。ずいぶん派手に
暴れまわっているようですが……。それがどうかしましたか?
まだ我々が立ち入るレベルではないでしょうし、奴らの標的はどうしようもない英国人(プロテスタント)の
クズ共ではないですか」
自分の職務の範疇ではない。
気づくと、芝の上に雑誌の切れ端やビニール袋が落ちている。
経営が苦しく、信徒の寄進に頼る事が多いこの院では、子供達に菓子も本も玩具も買ってあげられない。
おそらくは風に乗って飛んで来たのであろう。
アンデルセンは老神父の話を背中で聞きながら、しゃがみ込んでゴミを拾い始めた。
「奴らが化物(フリークス)を飼い慣らしていると聞いても、まだ放っておけるかね?」
老神父の言葉に、アンデルセンはピクリと反応し、ゴミを拾う手を止めた。
既に口の端が吊り上がっている。
「ほう……」
「馬鹿なテロリスト共だ。奴ら、化物の力を持ってカトリックの地を奪い返すつもりらしい。
まったく、本末転倒もいいところだ」
アンデルセンはゆっくりと立ち上がった。
「カトリックに身を置きながら、化物の力に頼みを繋ぐ背信の徒め……。ククク、了解しました。
早速、発つ事にします。化物狩りは久しぶりだァ……」
老神父に猫背気味の背を向けていたアンデルセンは、ほとんど首だけをグルリと彼の方に向けた。
その風貌に似合わない綺麗に揃った歯を見せて、不気味にニヤニヤ笑っている。
最早、ギラつく狂人の眼を隠そうともしていない。
そして、今この瞬間、湧き出すのを止められない一番の興味の元について尋ねた。
「ところで、奴らが飼っている化物は何です?
吸血鬼(ヴァンパイア)ですか?
人狼(ウェアウルフ)ですか?
それとも人造人間(フランケンシュタイン)?
ああ、人造人間といえば、二年前にドイツでその生き残りを
ブチ殺してやった時は、最高でしたよ。なかなか楽しめた。アレは本当に痛快だった……。
ええと、何といいましたか。確かジョ――」
「ホムンクルスだよ」
化物狩りが職務であり、至上の喜びでもあるアンデルセンの自慢話を断ち切るかのように、
老神父が口を開いた。
「!?」
アンデルセンが眼を剥く。
驚愕とは行かないまでも、存外な事実だ。
彼自身、ここしばらくその名を聞いていなかった。
「ホムンクルス……。では、当然あの異端者共も……」
「察しがいいな、アンデルセン。そうだ、この件には錬金戦団も絡んでくる。現に英国支部が
動き出し、未確認ではあるが日本からも援軍が来るらしい」
呆れた様に首を振るアンデルセン。だが、その心中は嬉々とした使命感の暴風だ。
「ほう、勇ましい事ですな。神に逆らい、汚らわしき錬金術の力で化物や武器を造り出すしか
能の無い、似非魔女の分際で……。クハハハッ、まあいい。
プロテスタントなんぞより遥か古から我々に楯突き続けてきた、あの怨敵を絶滅させる機会が
巡ってくるとは……。
これも主イエス・キリストからの賜り物だ!」
歓喜に打ち震えるアンデルセンに、老神父は痩せた拳を握り締めて言い放った。
「我々の出番だよ、アンデルセン。我々、ヴァチカン特務局第13課“イスカリオテ”のな。
カトリックは、ヴァチカンは、そして神罰の地上代行者“イスカリオテ”は全ての化物共の
存在を許しはしない。
そして、全ての異端共の存在もな」
ニヤニヤ笑いの止まらないアンデルセンは突然、声高らかに聖句を唱え始めた。
「すべて肉なるものは草に等しく、人の世の栄光は草の花のごとし。
何となれば、草は枯れ、花は散るものなれば。されど主の言葉はとこしえに変わることなし」
それに老神父が続く。
「聖霊と子の御名において。――AMEN」
「AMEN」
話が終わり、老神父が去ったというのに、アンデルセンはその場に立ち尽くしていた。
丸い背中をより一層丸めて。
だが、よく見ると肩や背中が小刻みに揺れている。笑っているのだ。
「フフフフフ……クックックックックッ……ヌハハハハハハハハ!
ゲァハハハハハハハハハ
ハハハハハハハハハハッ!!」
ジワジワと漏れ出ていたアンデルセンの殺気が、哄笑と共に遂に爆発した。
身を捩じらせて仰け反り、歯牙を剥き出し、眼鏡の奥の光には狂気と凶気が同居している。
今や彼は子供達が慕う“優しい神父様”ではなくなっていた。
この場に立っているのは、イスカリオテの“聖堂騎士(パラディン)”、絶滅主義の“首斬り判事”、
異教異端の徒が恐れおののく“殺し屋”、そして闇に潜む人外が忌み嫌う
“銃剣(バヨネット)”だ。
「錬金戦団! 錬金戦団!! 錬金戦団!!!
外法を持って神の法理を捻じ曲げる薄汚い異端者共!
幾多の世紀を跨ぎカトリックに仇なし続ける愚者共!
ククククク、待っていろ……。ヴァチカンが!
第13課(イスカリオテ)が! この私がァ!
貴様らを鏖殺(ミナゴロシ)にしてくれる!
全て殺し尽くしてくれる!! 肉も霊も魂も!」
atwikiでよく見られているWikiのランキングです。新しい情報を発見してみよう!