ダイと分身体は山腹を貫く通路の中を歩いていた。
ここを抜ければ第三勢力の拠点はすぐだという。
しかし、分身体はまだ途中だというのに足を止め、振り返るとにやりと笑った。
「俺の案内はここまでだ。とっとと来いよ!」
意地の悪い笑みを浮かべているため、最初から中途半端な場所で先に行くつもりだったのだろう。
分身体が姿を消すと同時に魔物達が現れた。道をふさいでいる彼らを倒さなければ進めない。狭い場所であるため呪文でひとっとびというわけにもいかない。
ダイは剣を抜き、斬りかかった。
ここを抜ければ第三勢力の拠点はすぐだという。
しかし、分身体はまだ途中だというのに足を止め、振り返るとにやりと笑った。
「俺の案内はここまでだ。とっとと来いよ!」
意地の悪い笑みを浮かべているため、最初から中途半端な場所で先に行くつもりだったのだろう。
分身体が姿を消すと同時に魔物達が現れた。道をふさいでいる彼らを倒さなければ進めない。狭い場所であるため呪文でひとっとびというわけにもいかない。
ダイは剣を抜き、斬りかかった。
第三勢力は両手の指を伸ばし、イルミナに向けた。
暗黒の糸が編まれるのを彼女は宙に跳んで避け、炎のような熱を帯びた波動――魔炎気が叩きつけられるのを火炎呪文で迎え撃つ。
反撃の爆裂呪文は圧縮された暗黒闘気で撃たれ、到達する前に弾けた。
(第三勢力の肩書に恥じない実力か……!)
だが、かろうじて渡り合える。隙を窺い、勝機を掴むことも不可能ではない――そう思った瞬間、体から伸びる影が実体化した。
「ぐっ!」
鋭利な刃が攻撃を放とうとしていた身体に突き刺さり、鮮血が滴った。高密度の暗黒闘気が武器となり、影のように形を変えて襲いかかる。
攻撃速度も威力も比べ物にならない。
バーンやヴェルザーのような爆発的な攻撃力はなくても、「弱い」と自称するには大きすぎる力である。
内心の呟きが聞こえたかのように第三勢力はぶるぶると首を振った。
「弱ぇって」
声音から確かに感じられる。己より下の敵を嬲ることへの愉悦が。
「謙遜か? 似合わん真似を」
「処世術って言葉、知らねえの? 保身上等、いのちだいじに!」
いきなり手の内を晒すことはせず、実力を隠していた。理由を訊けば「竜の騎士が怖いから」とでも答えたことだろう。
「もうちょい遊んでてもいいが、真の力だの本気だのもったいぶってねえでとっとと出せって思うだろ?」
イルミナの表情は険しい。完全な状態で相手にしても厳しいというのに、今は力を封じられている。
苛立ちを読み取ったかのように第三勢力は嘲笑を浴びせた。
「てめえ程度なら力を落とさなくたって勝てる。俺は親切だから言い訳を用意してやったんだぜ? “力が抑えられていなければ”ってな!」
「貴様……!」
「試してみるか?」
怒りをみなぎらせた相手に彼は手を伸ばした。不可視の枷が外されるような感覚が彼女を包み、身体が軽くなる。
万全の状態であっても勝てないという言葉が正しいと証明するためだろう。
影は、ある時は剣となり、ある時は弾丸となって襲い来る。
魔界に漂う瘴気が結晶化したような攻撃を食らえば回復呪文は効かない。
彼らの闘う空間に満ちた闇が少しずつ濃くなり、暗黒闘気から形成された武器が魔族を追い詰めていく。
それでも彼女の闘志に陰りは無い。
実力に隔たりがある状態ながら食らいついている。
かつて父が否定した魂の力が今の彼女を支えている。
気迫に圧されたかのように後退した第三勢力へと疾走し、渾身の一撃を叩きこもうとした彼女の動きが鈍った。
第三勢力の口が動き、部下の声が吐き出されたためだ。
『イルミナ、様』
「……シャドー?」
一瞬、しかし致命的な隙が生まれた彼女を暗黒の檻が包み込んだ。
闇に飲み込まれる寸前、第三勢力の口元に禍々しい笑みが閃いた。
ぽたりと水滴が落ちた。
四肢を黒い楔で貫かれ、岩壁に磔にされている彼女を見、第三勢力は嘲笑を浮かべている。
縫いとめられている両腕には黒い鎖が絡み、棘が深々と皮膚に食いこみ破っている。両肘から先の肌がずたずたに裂け、血が衣を染めている。
傷が再生する速度はきわめて遅い。暗黒闘気による傷だということもあるが、再び彼が力を抑え込んだのだ。
「情けないたあ思わねえのか? 大魔王サマの血縁者だってのにとんだ面汚しじゃねえか」
言葉の弾丸が的確に心を撃ち抜き、闘志を削いでいく。
相手をいたぶることを彼は心から楽しんでいる。
部下のふりをしてみせたのも迷いを生じさせるためだ。大魔王に比べれば甘さの残る性格を把握している。
刺すような視線など塵ほどにも感じていない。
「敵に何を求めてンだ。武人らしさか?」
そう嘯いた彼は大笑いした。
「そんなんでよくダイに殺されなかったな!」
イルミナは歯を食いしばった。父を倒したダイより自分が遥かに弱いことはわかっている。
地上を障害物と見なしている敵なのだから、あの場で殺されてもおかしくなかった。
“温情”によって見逃されたと思うと屈辱のあまり目が眩む。
「お優しい勇者サマだ。親父を殺されてんのによ」
「何?」
聞き返すと彼は大げさに目を丸くし、嘆かわしいように溜息をつき、両手を広げた。
「ダイの親父はてめえの親父に殺されたんだぜ。しかも一対一の戦いじゃなくて爆弾爆破されて死んだんだ」
事情を聞かされた彼女の顔がこわばった。
大魔王バーンは一対一の、力と力の激突の果てに敗れ、命を落とした。
だが、ダイの父のバランは一騎打ちではなく、ハドラーの体内に埋め込まれた黒の核晶が原因で命を奪われた。
直接力をぶつけることもできず、爆発の威力を抑えるために生命を振り絞ったのだ。
もし自分がダイの立場ならば到底納得できない。
「なんで復讐しなかったんだろな? ……ああ、てめえが弱すぎて眼中にないってことか!」
イルミナの顔色が変わる。
たとえ化物じみた強さの持ち主から戦いを挑まれようと、退かない覚悟がある。
憎悪を向けられたのならば、どれほど強烈でも闘志を燃やし跳ね返すことができる。
父の仕掛けた戦いや抱いた野望が間違っていたとは思っていないのだから、どのような相手でも受けて立つつもりだった。
だが、無関心では対処のしようがない。殺意とともに襲いかかってこられるより、いっそう心を抉られる。
敵意を向けるにも値しない、ちっぽけな存在だと見なされる方がよほど残酷だ。
相手の言葉を受け止めるしかない彼女はひたいから血を滴らせながら呟いた。
「貴様は勇者に勝てるのか?」
「下りてきてもらう。自分が上るよりそっちのが楽だからな」
その言葉で、イルミナの面に納得の表情が浮かんだ。霧の中にうっすらと見えていた答えが姿を現したかのように。
「貴様は闘気の集合体か。ミストやシャドーのような」
「……そうだがよ。あいつらと一緒にすんな」
霧のような姿を持つ彼らと違い、第三勢力は実体化した。他者を乗っ取って闘う必要はなく、自分の身体で行動することができる。
暗黒闘気だけでなくわずかながら光の闘気も含まれており、それらを結集させて生み出したのが分身体だ。
特殊な生まれ方をしたため光の闘気を操り、体のバランスが崩されるため暗黒闘気による攻撃を弱点としていた。
シャドーの声真似が上手かったのも、正体が似ていたためだ。
自分の方が上だと言わんばかりに首を振った彼にイルミナが淡々と告げる。
「だが、強くはならなかった」
思念が集合し、結晶化した彼にレベルアップの概念はない。
相手を引きずり下ろすことを第一としている。ダイに“下りてきてもらう”と言ったのもそのためだ。
いつの間にか第三勢力の顔からは笑みが消えていた。表情が抜け落ち、仮面のような顔になっている。
今まで言葉の刃で心を一方的に切り裂いてきたのに、たったそれだけの語で表情が凍っている。
彼女の眼には哀れみさえ浮かんでいる。
力を食らってきた男への。
暗黒の糸が編まれるのを彼女は宙に跳んで避け、炎のような熱を帯びた波動――魔炎気が叩きつけられるのを火炎呪文で迎え撃つ。
反撃の爆裂呪文は圧縮された暗黒闘気で撃たれ、到達する前に弾けた。
(第三勢力の肩書に恥じない実力か……!)
だが、かろうじて渡り合える。隙を窺い、勝機を掴むことも不可能ではない――そう思った瞬間、体から伸びる影が実体化した。
「ぐっ!」
鋭利な刃が攻撃を放とうとしていた身体に突き刺さり、鮮血が滴った。高密度の暗黒闘気が武器となり、影のように形を変えて襲いかかる。
攻撃速度も威力も比べ物にならない。
バーンやヴェルザーのような爆発的な攻撃力はなくても、「弱い」と自称するには大きすぎる力である。
内心の呟きが聞こえたかのように第三勢力はぶるぶると首を振った。
「弱ぇって」
声音から確かに感じられる。己より下の敵を嬲ることへの愉悦が。
「謙遜か? 似合わん真似を」
「処世術って言葉、知らねえの? 保身上等、いのちだいじに!」
いきなり手の内を晒すことはせず、実力を隠していた。理由を訊けば「竜の騎士が怖いから」とでも答えたことだろう。
「もうちょい遊んでてもいいが、真の力だの本気だのもったいぶってねえでとっとと出せって思うだろ?」
イルミナの表情は険しい。完全な状態で相手にしても厳しいというのに、今は力を封じられている。
苛立ちを読み取ったかのように第三勢力は嘲笑を浴びせた。
「てめえ程度なら力を落とさなくたって勝てる。俺は親切だから言い訳を用意してやったんだぜ? “力が抑えられていなければ”ってな!」
「貴様……!」
「試してみるか?」
怒りをみなぎらせた相手に彼は手を伸ばした。不可視の枷が外されるような感覚が彼女を包み、身体が軽くなる。
万全の状態であっても勝てないという言葉が正しいと証明するためだろう。
影は、ある時は剣となり、ある時は弾丸となって襲い来る。
魔界に漂う瘴気が結晶化したような攻撃を食らえば回復呪文は効かない。
彼らの闘う空間に満ちた闇が少しずつ濃くなり、暗黒闘気から形成された武器が魔族を追い詰めていく。
それでも彼女の闘志に陰りは無い。
実力に隔たりがある状態ながら食らいついている。
かつて父が否定した魂の力が今の彼女を支えている。
気迫に圧されたかのように後退した第三勢力へと疾走し、渾身の一撃を叩きこもうとした彼女の動きが鈍った。
第三勢力の口が動き、部下の声が吐き出されたためだ。
『イルミナ、様』
「……シャドー?」
一瞬、しかし致命的な隙が生まれた彼女を暗黒の檻が包み込んだ。
闇に飲み込まれる寸前、第三勢力の口元に禍々しい笑みが閃いた。
ぽたりと水滴が落ちた。
四肢を黒い楔で貫かれ、岩壁に磔にされている彼女を見、第三勢力は嘲笑を浮かべている。
縫いとめられている両腕には黒い鎖が絡み、棘が深々と皮膚に食いこみ破っている。両肘から先の肌がずたずたに裂け、血が衣を染めている。
傷が再生する速度はきわめて遅い。暗黒闘気による傷だということもあるが、再び彼が力を抑え込んだのだ。
「情けないたあ思わねえのか? 大魔王サマの血縁者だってのにとんだ面汚しじゃねえか」
言葉の弾丸が的確に心を撃ち抜き、闘志を削いでいく。
相手をいたぶることを彼は心から楽しんでいる。
部下のふりをしてみせたのも迷いを生じさせるためだ。大魔王に比べれば甘さの残る性格を把握している。
刺すような視線など塵ほどにも感じていない。
「敵に何を求めてンだ。武人らしさか?」
そう嘯いた彼は大笑いした。
「そんなんでよくダイに殺されなかったな!」
イルミナは歯を食いしばった。父を倒したダイより自分が遥かに弱いことはわかっている。
地上を障害物と見なしている敵なのだから、あの場で殺されてもおかしくなかった。
“温情”によって見逃されたと思うと屈辱のあまり目が眩む。
「お優しい勇者サマだ。親父を殺されてんのによ」
「何?」
聞き返すと彼は大げさに目を丸くし、嘆かわしいように溜息をつき、両手を広げた。
「ダイの親父はてめえの親父に殺されたんだぜ。しかも一対一の戦いじゃなくて爆弾爆破されて死んだんだ」
事情を聞かされた彼女の顔がこわばった。
大魔王バーンは一対一の、力と力の激突の果てに敗れ、命を落とした。
だが、ダイの父のバランは一騎打ちではなく、ハドラーの体内に埋め込まれた黒の核晶が原因で命を奪われた。
直接力をぶつけることもできず、爆発の威力を抑えるために生命を振り絞ったのだ。
もし自分がダイの立場ならば到底納得できない。
「なんで復讐しなかったんだろな? ……ああ、てめえが弱すぎて眼中にないってことか!」
イルミナの顔色が変わる。
たとえ化物じみた強さの持ち主から戦いを挑まれようと、退かない覚悟がある。
憎悪を向けられたのならば、どれほど強烈でも闘志を燃やし跳ね返すことができる。
父の仕掛けた戦いや抱いた野望が間違っていたとは思っていないのだから、どのような相手でも受けて立つつもりだった。
だが、無関心では対処のしようがない。殺意とともに襲いかかってこられるより、いっそう心を抉られる。
敵意を向けるにも値しない、ちっぽけな存在だと見なされる方がよほど残酷だ。
相手の言葉を受け止めるしかない彼女はひたいから血を滴らせながら呟いた。
「貴様は勇者に勝てるのか?」
「下りてきてもらう。自分が上るよりそっちのが楽だからな」
その言葉で、イルミナの面に納得の表情が浮かんだ。霧の中にうっすらと見えていた答えが姿を現したかのように。
「貴様は闘気の集合体か。ミストやシャドーのような」
「……そうだがよ。あいつらと一緒にすんな」
霧のような姿を持つ彼らと違い、第三勢力は実体化した。他者を乗っ取って闘う必要はなく、自分の身体で行動することができる。
暗黒闘気だけでなくわずかながら光の闘気も含まれており、それらを結集させて生み出したのが分身体だ。
特殊な生まれ方をしたため光の闘気を操り、体のバランスが崩されるため暗黒闘気による攻撃を弱点としていた。
シャドーの声真似が上手かったのも、正体が似ていたためだ。
自分の方が上だと言わんばかりに首を振った彼にイルミナが淡々と告げる。
「だが、強くはならなかった」
思念が集合し、結晶化した彼にレベルアップの概念はない。
相手を引きずり下ろすことを第一としている。ダイに“下りてきてもらう”と言ったのもそのためだ。
いつの間にか第三勢力の顔からは笑みが消えていた。表情が抜け落ち、仮面のような顔になっている。
今まで言葉の刃で心を一方的に切り裂いてきたのに、たったそれだけの語で表情が凍っている。
彼女の眼には哀れみさえ浮かんでいる。
力を食らってきた男への。
第三勢力は暗黒闘気をはじめとする闘気が実体化した存在だ。
身体があっても、彼の行使する能力は他者を蝕むことのみ。
生命を生み出す術を取り込み偽りの生命を与え、結界や補助呪文などの力を我が物として敵の力を封じるすべを身につけた。
結果、第三勢力と呼ばれるようになったが手下はそこまで強くなく、本人も権力や強さには興味を抱いていないため、バーンとヴェルザーの二強時代が続いていた。
「第三勢力と呼ばれるだけの力があったところで、恐ろしいとは思えん」
気迫のこもった低い声が空気を震わせる。
敵がその気になればすぐさま首をはねられるというのに、彼女は平静さを保っている。まるでチェスの対局中であるかのように。
いつの間にか男の物腰から余裕は失われ、眼は黒い水を湛えたようになっていた。
映るのは光の差さない深淵。
「へえ?」
「名を持たないのは、大魔王の名にかけて戦った父のように……勇者として戦った“奴”のようになれないと知っているためだろう?」
イルミナは追及を緩めようとしない。
復讐の念をこめているのではなく、事実を淡々と告げる。それこそが最も相手の心を抉ると知っている。
彼は、他者を理解できない、くだらないと見下すことで安心感を得ようとしている。同じ舞台に立つことを放棄している。
名にかけて強くなった者のようにはなれないと思い知るのが嫌で逃げている。
「……黙れよ」
暗雲を思わせる声だが彼女はひるまない。炎の眼光で敵を射すくめる。
「貴様が蔑んだミストは、きっと貴様を憐れむだろうな。貴様には無い物を持っていたのだから」
信念。忠誠心。戦う理由。存在する意味。能力を認め、活かしてくれる相手。
ミストへの過剰な悪態は、自分には無い物を持つ相手への疑問の表れだった。
なぜ、同じ強くなれない体の持ち主のはずなのに誇りを抱けたのか。
数えきれないほどの年月の間、誰かのために戦ってきたのか。
心を押し潰そうとする嫉妬を敬意に昇華できたのか。
ハドラーのような強者から魂を認められたのか。
半端だと嘲ったシャドーにも生きがいがある。認め、必要とする相手がいる。
「真に見下し、とるに足らないと見なしているならば拘泥せぬはず……。捨てきれぬのだろう?」
「黙れって」
イルミナに対して不快感を露にしていたのは掲げる野望が気にくわないためだが、他にも理由があった。
彼と同じように己の非力さを知りながら、諦めようとはしない。
あまりに大きく鮮烈な輝きを放つ存在。その重圧感に潰されてもおかしくないのに、近づこうとしている。
いっそ己とは無関係だと割り切れれば、完全に切り離せば楽になれるかもしれない。
存在の大きさゆえに目をそむけ、自分にとってどうでもいいと唱え続けてきた。
あまりに眩しい光は、目を焼き、闇を深くさせる。
すべては執着の裏返しだ。
彼女にも覚えがある。ずっと父のようになりたいと思っていた。
それは勇者一行の師に対する想いと似ているかもしれない。
だが、相手への感情を力に変えて歩んでいくダイたちや彼女と違い、彼は止まっている。
身体を持たないミストと違い、道はあったかもしれないのに、探そうとはしなかった。
同じものを見て進むか、退くか。そこで道が決定的に別れたのだ。
「私には父からつけられた名がある。お前は、誰だ?」
今は“大魔王の血を引く存在”としか見なされていなくても、彼女自身を認める者はいる。
だが、第三勢力は違う。
無数の思念から生まれ、名を得なかった彼は誰でもない。
他者への敬意を抱くこともなく、名を持たず、名を覚えられることも呼ばれることもない。
これから先、どれほど時間が経とうと変わらない。
「貴様にできることは、わかった気になって虚しい優越感に浸る……それだけだ」
見下しているつもりでも、結局は上に立てていない。そのことを本人も薄々気づいている。
心を蝕み呪縛する鎖からは決して逃げられない。
身体があっても、彼の行使する能力は他者を蝕むことのみ。
生命を生み出す術を取り込み偽りの生命を与え、結界や補助呪文などの力を我が物として敵の力を封じるすべを身につけた。
結果、第三勢力と呼ばれるようになったが手下はそこまで強くなく、本人も権力や強さには興味を抱いていないため、バーンとヴェルザーの二強時代が続いていた。
「第三勢力と呼ばれるだけの力があったところで、恐ろしいとは思えん」
気迫のこもった低い声が空気を震わせる。
敵がその気になればすぐさま首をはねられるというのに、彼女は平静さを保っている。まるでチェスの対局中であるかのように。
いつの間にか男の物腰から余裕は失われ、眼は黒い水を湛えたようになっていた。
映るのは光の差さない深淵。
「へえ?」
「名を持たないのは、大魔王の名にかけて戦った父のように……勇者として戦った“奴”のようになれないと知っているためだろう?」
イルミナは追及を緩めようとしない。
復讐の念をこめているのではなく、事実を淡々と告げる。それこそが最も相手の心を抉ると知っている。
彼は、他者を理解できない、くだらないと見下すことで安心感を得ようとしている。同じ舞台に立つことを放棄している。
名にかけて強くなった者のようにはなれないと思い知るのが嫌で逃げている。
「……黙れよ」
暗雲を思わせる声だが彼女はひるまない。炎の眼光で敵を射すくめる。
「貴様が蔑んだミストは、きっと貴様を憐れむだろうな。貴様には無い物を持っていたのだから」
信念。忠誠心。戦う理由。存在する意味。能力を認め、活かしてくれる相手。
ミストへの過剰な悪態は、自分には無い物を持つ相手への疑問の表れだった。
なぜ、同じ強くなれない体の持ち主のはずなのに誇りを抱けたのか。
数えきれないほどの年月の間、誰かのために戦ってきたのか。
心を押し潰そうとする嫉妬を敬意に昇華できたのか。
ハドラーのような強者から魂を認められたのか。
半端だと嘲ったシャドーにも生きがいがある。認め、必要とする相手がいる。
「真に見下し、とるに足らないと見なしているならば拘泥せぬはず……。捨てきれぬのだろう?」
「黙れって」
イルミナに対して不快感を露にしていたのは掲げる野望が気にくわないためだが、他にも理由があった。
彼と同じように己の非力さを知りながら、諦めようとはしない。
あまりに大きく鮮烈な輝きを放つ存在。その重圧感に潰されてもおかしくないのに、近づこうとしている。
いっそ己とは無関係だと割り切れれば、完全に切り離せば楽になれるかもしれない。
存在の大きさゆえに目をそむけ、自分にとってどうでもいいと唱え続けてきた。
あまりに眩しい光は、目を焼き、闇を深くさせる。
すべては執着の裏返しだ。
彼女にも覚えがある。ずっと父のようになりたいと思っていた。
それは勇者一行の師に対する想いと似ているかもしれない。
だが、相手への感情を力に変えて歩んでいくダイたちや彼女と違い、彼は止まっている。
身体を持たないミストと違い、道はあったかもしれないのに、探そうとはしなかった。
同じものを見て進むか、退くか。そこで道が決定的に別れたのだ。
「私には父からつけられた名がある。お前は、誰だ?」
今は“大魔王の血を引く存在”としか見なされていなくても、彼女自身を認める者はいる。
だが、第三勢力は違う。
無数の思念から生まれ、名を得なかった彼は誰でもない。
他者への敬意を抱くこともなく、名を持たず、名を覚えられることも呼ばれることもない。
これから先、どれほど時間が経とうと変わらない。
「貴様にできることは、わかった気になって虚しい優越感に浸る……それだけだ」
見下しているつもりでも、結局は上に立てていない。そのことを本人も薄々気づいている。
心を蝕み呪縛する鎖からは決して逃げられない。
「少し黙れ」
男の声が急速に冷えた。
影がざわざわとうごめき、刃物となって全身を切り裂いた。
焼けるような苦痛に襲われても彼女はただじっと見つめている。
次々と出現する牙が、爪が、身体を裂く。
血の臭気があたりに立ち込めるが、声一つ上げずに敵を眺めている。
太い杭が胸の中央――心臓を貫くとさすがに顔が歪んだ。第三勢力が傷口を広げるように得物をひねる。
「が、あ……ッ!」
大量の血が口から溢れ、地に染みを作った。
「魔王は魔王らしく“世界に闇を”って言ってりゃいいんだよ」
血塊を吐き出した魔族は壮絶な眼光で敵を睨んだ。
「生きとし生ける者には、太陽が必要なのだ……!」
父が抱いた考えだからそう主張しているのではない。
地上の姿を自分の目で見て確信したのだ。
今まで理想を掲げても実感が伴っていなかったが、光溢れる世界がどんな言葉よりも雄弁に訴えかけてきた。
じわじわと身体を削られながらも彼女は不敵な笑みを浮かべている。
「クク……ハハハッ」
低い声は少しずつ大きくなり、やがて大魔王のように高らかな笑声となった。
「ハハハハハッ!」
心臓を潰されているというのに、楽しげに笑っている。追い詰められているはずの立場が逆になったかのようだ。
「どうして笑う」
「貴様は心から笑うことはない。そう思うと可笑しくてな」
ダイは笑っていた。地上の平和を目にして、心から嬉しそうに。
彼女も笑っていた。初めて目にする太陽に、太陽が照らす世界に心を奪われて。
きっと大魔王も笑うだろう。太陽がもたらされた魔界の姿を目にすれば。
「そんな貴様が、父を――大魔王バーンを倒したダイに敵うものか!」
魂から吐き出された叫びに、第三勢力は答えなかった。無言のまま乱暴に杭を引き抜く。
「かはっ……!」
大量の血が勢いよく地面を叩き、魔族は頭を垂れた。
なぜか脳裏には勇者と大魔王の顔、両方が浮かんでいた。
優しい勇者と冷酷な大魔王。対極に位置するというのに同じものを感じる。
思考の淵を探ろうとするが、激痛に意識がちぎれかけている。
そこに分身体が現れ、別の場所に置いていたヒュンケルとマァムの身体を地に放り出した。
男の声が急速に冷えた。
影がざわざわとうごめき、刃物となって全身を切り裂いた。
焼けるような苦痛に襲われても彼女はただじっと見つめている。
次々と出現する牙が、爪が、身体を裂く。
血の臭気があたりに立ち込めるが、声一つ上げずに敵を眺めている。
太い杭が胸の中央――心臓を貫くとさすがに顔が歪んだ。第三勢力が傷口を広げるように得物をひねる。
「が、あ……ッ!」
大量の血が口から溢れ、地に染みを作った。
「魔王は魔王らしく“世界に闇を”って言ってりゃいいんだよ」
血塊を吐き出した魔族は壮絶な眼光で敵を睨んだ。
「生きとし生ける者には、太陽が必要なのだ……!」
父が抱いた考えだからそう主張しているのではない。
地上の姿を自分の目で見て確信したのだ。
今まで理想を掲げても実感が伴っていなかったが、光溢れる世界がどんな言葉よりも雄弁に訴えかけてきた。
じわじわと身体を削られながらも彼女は不敵な笑みを浮かべている。
「クク……ハハハッ」
低い声は少しずつ大きくなり、やがて大魔王のように高らかな笑声となった。
「ハハハハハッ!」
心臓を潰されているというのに、楽しげに笑っている。追い詰められているはずの立場が逆になったかのようだ。
「どうして笑う」
「貴様は心から笑うことはない。そう思うと可笑しくてな」
ダイは笑っていた。地上の平和を目にして、心から嬉しそうに。
彼女も笑っていた。初めて目にする太陽に、太陽が照らす世界に心を奪われて。
きっと大魔王も笑うだろう。太陽がもたらされた魔界の姿を目にすれば。
「そんな貴様が、父を――大魔王バーンを倒したダイに敵うものか!」
魂から吐き出された叫びに、第三勢力は答えなかった。無言のまま乱暴に杭を引き抜く。
「かはっ……!」
大量の血が勢いよく地面を叩き、魔族は頭を垂れた。
なぜか脳裏には勇者と大魔王の顔、両方が浮かんでいた。
優しい勇者と冷酷な大魔王。対極に位置するというのに同じものを感じる。
思考の淵を探ろうとするが、激痛に意識がちぎれかけている。
そこに分身体が現れ、別の場所に置いていたヒュンケルとマァムの身体を地に放り出した。