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「THE DUSK 第二話 (3)」(2008/08/10 (日) 22:31:26) の最新版変更点
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晶はたっぷりと時間をかけて超至近距離のまひろを睨みつけていたが、やがて興味を失ったように
胸倉を掴んでいた手を離した。
急に地面を取り戻したまひろの足。
しかし、バランスまでは取り戻す事が出来ず、ヨロヨロと二、三歩よろけて後ずさる。
ようやく平衡を保ち、制服の乱れを気にする余裕が出てきた頃には、晶は既に二人に背を向けて
教室を後にしようというところだった。
二人の方へは振り向かずに親指で瑠架を指しながら、晶は気だるげに言う。
「アタシにかまってる暇があるんなら、そこのイジメられっ子を何とかしてやんなよ」
「え? あっ……」
瑠架へと眼を遣ると、危難が去って気が緩んだのか、晶の迫力に怯えていたのか、彼女は床へと
しゃがみ込んでいた。
頬を伝った涙の筋はまだ乾いておらず、鼻水をすする音も引っ切り無しに聞こえてくる。
晶とのコミュニケーションを諦めきれないまひろだったが、瑠架を放っておく訳にもいかない。
「大丈夫? 柴田さん。あ、教科書とか拾わなきゃ」
自分を見つめる優しさに満ちた瞳がすぐ傍にしゃがみ込んだ事に、瑠架はまた涙を溢れさせた。
今度の涙は恐怖や悔しさの涙ではない。嬉しさのあまりの涙だ。
「あ、ありが、とう……」
言葉にならない涙声。こぼれる涙の粒が床を濡らしていく。
まひろは慌ててポケットからハンカチを取り出して瑠架に渡すと、また彼女に身体を寄せて背中を
さすり始めた。
母親が我が子をそうするように。
「安心して。もう二度とあんな事させないから。私が柴田さんを守るよ」
その言葉を聞いただけで安堵の滂沱はますますその量を増していく。
だが、瑠架は嬉しい反面、心の片隅で疑問に思う。
何故、ただのクラスメイトというだけでここまで出来るのだろうか、と。
自分が傷つくのも恐れずにイジメっ子三人から自分を守ろうとし、泣いてばかりの自分を気遣い、
挙句はこれからも自分を守るなどと宣言している。
武藤まひろは友達か? ――違う。
武藤まひろと仲良く喋った事があったか? ――無い。
では何故?
それが知らない者同士の不思議というものなのだろう。
まひろが瑠架を知らないように、瑠架もまひろを知らない。
人が「どうして彼女を助けたのか? どうして彼女に優しくするのか?」とまひろに聞いたとする。
返ってくる答えは「イジメられていたから。泣いていたから。どうしてそんな事聞くの?」
といった言葉だろう。
相手がどんな人間かは理由に含まれない。相手との関係性も理由に含まれない。
おそらく苦境に会っている者を目の当たりにすれば、それが例え先程の三人組であっても救いの手を
差し伸べるに違いない。
その行動こそが“武藤まひろ”のすべてを表しているのだ。
まひろは瑠架を慰め、励まし続ける。
「それに、棚橋さんだって柴田さんを守ってくれたよ。だから……あれ……? ん~と……――あ!」
何を思い出したのか、まひろは素頓狂な声を上げると、急いで教室の入り口へと振り返った。
まだ言うべき言葉が残っていた相手は既にその場にいない。
それに気づいたまひろは、元々豊満な胸を更に膨らませんばかりに大きく大きく息を吸い込む。
そして、その直後には推定量6000mlの空気が肺から一気に押し出され、声帯を瞬時に通過し、
感謝と挨拶の迫撃弾となって口から飛び出した。
「棚橋さぁーん!!! 今日はありがとぉー!!! またねぇー!!!」
校内放送に負けない、窓ガラスをもビリビリと震わせる大音量である。
だいぶ離れた場所から「うるせー!」という怒鳴り声が微かに聞こえてきたという事は、まひろの声は
充分に晶の耳へと届いたのだろう。
まひろは満足そうに頷くと、耳を塞いで眼を白黒させている瑠架に笑顔で向き直り、床に散らばる
教科書やプリントを率先して拾い始めた。
しばし無言で回収作業を続ける二人。
そんな中、まひろの眼にカラフルな色彩をまとった何かが映った。
「?」
床に落ちているのは開かれた状態の小さめのスケッチブック。
カラフルな色彩というのはそこに描かれたイラストだった。
29.5cm×21cmからなる白い世界の中では、黒い和装に身を包んだオレンジ色の髪の少年が
日本刀を構えている。
それは少々特徴的な絵柄と言っても良い。
モチーフが勇ましい割にはひどく耽美なタッチで、女性的な雰囲気を多分に感じさせる。
端的に言えば、まるでレディスコミックのような絵柄だ。
まひろはスケッチブックを拾い上げると、眼を輝かせて感嘆の声を上げた。
「へー、柴田さんってイラスト描くんだー! これ『BLEACH』の一護でしょ? すごく上手いねー!」
『BLEACH』とは週刊少年ジャンプに連載されている人気少年漫画であり、“一護”とはその作品の
主人公“黒崎一護”の事である。
「えっ? あっ! あっ、あ、あの、それは……。か、返して……!」
まひろの言葉を聞き、遅れて彼女の手中にあるものが何なのかを知った瑠架は、顔どころか耳まで
真っ赤にしてアタフタと両手を差し出した。
「あ、勝手に見ちゃってごめん! でもホントに上手いなぁ。憧れちゃう!」
まひろはウキウキとした調子で声を弾ませつつも、素直に瑠架へスケッチブックを手渡した。
尊敬と羨望に溢れた眼差しで彼女を見つめながら。
絵心の無い人間が身近に絵の上手い人間を発見した時の反応は、程度の差こそあれど概して
こういうものなのだろう。
しかも、それが自分の愛好している作品ともなれば嬉しさも加わる。
まひろの興奮はなかなか冷めやらない。
「あたしはねー、剣八が大好き! だってすっごく強くてカッコイイんだもん!」
殺陣のようにも見えるオーバーアクションな身振り手振りでそう言うと、まひろは矢庭に己の髪を
掴んで持ち上げ、しかめ顔を作る。
どうやら作中の登場人物“更木剣八”になりきったつもりらしいが、どう好意的に見ても小学生並みに
レベルの低いにらめっことしか思えない。
まひろの言葉と珍妙な物真似に、スケッチブックを胸に抱えたままの瑠架は僅かに顔を綻ばせる。
「む、武藤さんも、『BLEACH』読んでるの……?」
「うん! お兄ちゃんがジャンプを毎週買ってるから、私も読んでるよ。でも一番好きなのは『ワンピース』!
あとはねー、『アイシールド』とかー、『銀魂』とかー」
はしゃぎながら指折り数えるまひろ。
その様子は小学校高学年男子を思わせるが、彼女の場合は社会人と言っても充分通用するくらいに
大人びた(悪く言えば老け気味な)顔や風貌なのだから結構な違和感である。
瑠架はそんな奇妙極まる同級生から眼をそらすと、弱々しい語調ながらも初めての“自己主張”を呟いた。
「そうなんだ……。もしかしたら、話……合うかも……」
「ねー!」
瑠架の言葉を受けて、まひろが勢い良くズズイッと顔を寄せる。
突然の急接近に驚いたのか、瑠架はビクリと身体を震わせ、まひろから遠ざかるように立ち上がった。
気弱であまり社交的でない彼女には、まひろ流コミュニケーション術は少々刺激が強いのかもしれない。
事実、拾い終えた教科書類の詰まった鞄を抱え、ジリジリ後退りをしている。まるで怯えた草食動物だ。
しかし、瑠架は理解し始めている。目の前にいる女の子は敵ではない、と。
今まで見た事も無いおかしな女の子。自分を守ってくれた女の子。
「きょ、今日は、本当にありがとう。嬉しかった……すごく……」
そう言って深々と頭を下げると、瑠架は教室の戸へ小走りに急いだ。
「あ! 柴田さん、待って!」
去ろうとする背中にまひろの声が飛ぶ。
知らぬ間にいなくなってしまった晶の時とは違い、今度は間に合った。
まひろにはまだ言うべき言葉が残っていたのだ。
既に戸に手を掛けていた瑠架は“振り向く”と表現するにはあまりにも足りない角度で首を捻って
耳だけをまひろに向けた。
そして、次にまひろが発した言葉は、瑠架の生きてきた十六年間の人生で最も鮮烈なものであり、
また忘れられないものとなった。
特に、最後の一言が。
「今度、一緒に遊ぼうよ! お茶飲んだり、お話したりして。柴田さんが他に好きな漫画も教えてほしいし。
友達になろう!?」
嬉しさと同時に嗚咽が込み上げ、またも涙が溢れ出す。
何よりも感謝を伝えたいのに言葉にならない――
「う、うん……」
――瑠架はやっとの思いでそれだけを言うと、再び小走りとなり、廊下へと消えた。
まひろは再び元気な声で別れの挨拶を教室に、廊下に響かせる。今度は常識的な音量で。
「じゃあねー! また明日……じゃなかった、今日金曜日だった、また来週ねー!」
冬は日が落ちるのも早い。雨空ともなれば尚更だ。
瑠架と別れ、帰り支度を整えたまひろが生徒玄関を出る頃には、すっかり周囲は宵の帳と冷たい雨粒に
包まれていた。
まひろは広げた傘をクルクルと回しながら、深い藍色から黒へと染まりつつある空に向かって
楽しそうに囁く。
「柴田さんとは仲良くなれるといいなぁ。面白い漫画の話とかいっぱいしたいし。棚橋さんだって
怒りんぼさんだけど本当はいい人だよねっ」
学校の敷地を出て、通学路へ。
どうも傘を回すだけでは今のハッピーな気分を表すには足りないらしい。
今では己の身体まで回しながらでたらめなステップを踏み、時には大きく時には小さく、足元の水を
跳ね上げる。
『Walking on the moon』と歌われた浮かれ気分の夢心地な足取りとはこのようなものか。
この調子では寝食を営む寄宿舎まで、あとどれ程かかる事やら。
「フンフ~ンフフンフ~ンフ~ン♪」
上機嫌で鼻歌まで歌い出すまひろ。
何の歌かはわからない。おそらく本人もわかってない。
「フンフ~ンフ……――ん?」
不意に鼻歌が途切れた。
普段の通学路では決して見る事の無かったある光景が、まひろの眼に映し出されたからだ。
それは明らかに不審な人物。
少し先の電柱とブロック塀に挟まれるように寄りかかってしゃがみ込み、膝を抱えて顔を突っ伏している。
どこぞの軍隊か警察機関を思わせる黄土色の制服。
極端に短いミニスカートと白いオーバーニーソックス、それにクセッ毛な金髪のショートヘアから
察するに、女性と見るのが妥当だろう。それもやや大柄だ。
「どうしたんだろ……」
どんな理由があるにせよ、暗くなり始めたこんな時間に傘も差さず地べたに座る人物などと関わり合いに
なるのはあまり利口な行動ではない。
だが彼女は“武藤まひろ”だ。
見つけて数秒の正体不明の人物を本気で心配するのが彼女なのだ。
まひろはしゃがみ込む不審者の前に近づくと、同じようにしゃがみ込んだ。
更に自分が濡れる事も厭わずに傘を差し出し、問いかける。
「あ、あの、風邪引いちゃうよ?」
「What?」
伏せられた顔が上がるなり、まひろは驚愕した。
予想通り女性には違いなかったのだが、それ以外の点が予想を遥かに逸脱している。
彫りが深く、垂れ気味の大きな青い眼。
ツンと高い鼻梁。
透き通る肌は白蝋か雪花石膏か。
目の前の女性は“外国人”だったのだ。
まひろは狼狽しながらも、その場を離れようとはしなかった。
この少女の正義感は国境をも越えるようだ。
「わわっ、ガイジンさん!? え、えーと、こういう時は何て言うんだっけ? あ、そうだ、
まずはご挨拶しなきゃだね!」
目の前の外国人女性としっかり眼を合わせると、まひろはフレンドリーな雰囲気をたっぷりと
湛えた笑顔で話しかけた。
無論、英語で。いや、まひろ語か。
「は、はろー! あー、えーと、まいねーむ、いず、むとうまひろ! あ、英語の時は引っくり
返すんだっけ。まひろむとう!」
元気良く挨拶をしたまひろは、更に顔を近づけて引き続きフレンドリーな笑顔で彼女の返答を待つ。
「embarrassed it...」
彼女はそう呟くと額に手を遣り、溜息を吐いた。
どうやらひどく当惑しているらしい。
釣られたのか口元に笑みらしきものが浮かんではいるが、眉の方はPCを前にした際のまひろ並みに
ハの字に下がっている。
表情から推して『すごくありがたいが英語が喋れないようでは』とでも考えているようだ。
流石である。英語を喋っているのに英語と認識されていないのだから。
彼女は困りきった顔でまひろを見つめるしかない
まひろはめげずにお得意の身振り手振りを交えて、怪しげな英語で何とかコミュニケーションを取ろうと
挨拶を繰り返す。
ややしばらくの間、そんな不毛なやり取りが続いたが、ふと彼女の表情が変わった。
眼を見開き、少し開かれた口に手を当てている。
“何か”を思いついた表情だ。
そこからの行動は素早く、彼女はおもむろにまひろの眼を覗き込んだ。
吸い込まれそうに深い紺碧の瞳。
(わぁ、キレイだなぁ……)
同性だというのに胸に高鳴るものを覚えてしまうまひろ。
やがて、青の瞳が何故か真紅に染まった時――
『私の理解出来る言語を話せ。そして、私の話す言語を理解しろ』
――という声が直接、頭の中に響いた気がした。
気づけば真紅の瞳は再び元の青に塗り変えられている。
「あ、あれ……? 変なの。何だか、今……」
まひろは違和感を覚えていた。
気分や体調が悪くなった訳ではない。ただ奇妙な感覚に囚われた。ほんのひとときの間。
見ているものも聞いているものも何かが違う。
言い表しようの無いおかしな感覚。
その時、彼女が口を開いた。
「……あなた、まひろちゃんっていうの?」
その言葉を聞いた瞬間、まひろの顔にパッと輝きが増した。
「わぁ! すごい! 私の英語、通じたよ! それに何て言ってるかもわかる! へへ~、これで今度の
英語の試験はバッチリだね!」
「ウソ……成功した……。マスターが前に話してたけど、“私達”の眼って本当に魔力があるんだ……」
双方が双方とも驚き、喜んでいる。
そして、歓喜の世界からいち早く舞い戻ってきたのはまひろの方だった。
再び彼女に向き直り、その身を案ずるように問いかけた。
「あ、ごめんなさい! えっと、どうしたの? こんなに雨が降ってるのに。具合悪いの? それとも
道に迷った?」
彼女も意思の通じる言葉で話しかけられた事で喜びから脱し、我に帰った。
ただしこちらは多分に悲観的だ。
俯いた顔。暗く小さな声。
「ううん……。私、行くとこが無いの。どうして日本に来ちゃったのかわからないし。ぐすっ……。
ここがどこなのかも、どこにいけばいいのかも……。ううっ、もう、どうしたらいいか……」
意思疎通の安心が緊張を崩してしまったせいか、己の境遇を話すうちに感情が込み上げてくる。
白皙の美貌を流れるのは、雨に打たれて濡れた前髪から伝う雫なのか。瞳からこぼれ落ちた涙なのか。
おそらく、どちらも
「大丈夫。泣かないで」
穏やかな声と共に、まひろの掌が彼女の手の甲に重ねられた。
雨に濡れた手袋を通して、彼女の肌に“人”の温かみが伝わってくる。
突然、まひろが一段高い声を上げた。夜の暗さも彼女の心の暗さも払拭するかのように。
その内容はまひろが思いつく限りの最善最良の選択だ。
「……そうだ! 私のとこにおいでよ! ずっと雨に当たってたら身体に悪いし、それにこれから
どうしたらいいかゆっくり考えられるから。私も相談に乗るよ」
彼女は俯いたまま。
誰しも乗り越えられない壁があれば、顔を上げることを忘れてしまう。
国境。宗教。人種。所属。それから、種族――
「でも、私は……あまり他の人と関わる訳にいかないの。ちょっと事情があって……」
「それなら大丈夫! 寄宿舎のみんなには秘密にするよ!」
いつの間にか重ねられた掌は両手のものとなり、ギュッと力が入る。
温かさだけではない。その感触だけでこの日本人の少女が持つ、明るさと強さと優しさが伝わって
くるように感じられた。
まひろの熱意に当てられたのか、彼女は思わず顔を上げる。
それでも少し困惑したようにしばしの間、逡巡していたのだが、やがてまひろの眼を見つめながら
恐る恐る口を開いた。
「――……う、うん。じゃあ、少しの間だけ……」
「よかったぁ!」
まひろは急に彼女に飛びつき、その身体をギュッと抱き締めた。
いくらボディランゲージに慣れている外国人とはいえ、突拍子も無く抱きつかれては驚きが
先に来てしまう。
それに彼女はずっと雨に打たれ続けていたのだ。
「ぬ、濡れちゃうよ! まひろちゃん!」
彼女の制止の言葉も聞かず、まひろは両腕の力を緩めず、離れようとしない。
両手を傘から離してしまっているせいで、せっかくの傘は二人の頭に乗せられている状態である。
終いには彼女も色々と諦めたのか、苦笑混じりにまひろの背中に手を回した。
充分に肌と肌で喜びを伝えると、まひろは彼女から身体を離し、一番に聞いておかなければならない
彼女の事柄について尋ねた。
これからの二人のふれ合いには絶対に必要なものなのだから。
「ねえ、あなたのお名前も教えて?」
彼女は幾分か顔を赤らめると、微笑みながらまひろへ己の名を告げた。
「私は、セラス。セラス・ヴィクトリア……」
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