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株式会社クードー。日本最大手の暗器メーカー。
元々は「空道」という闇武術の使い手が副業として暗器の精製、販売を行っていたこと
に由来する。それを現取締役社長である国松が本格的に企業として立ち上げ、事業所を海
外にも展開し、近年では年商百億円を超えるほど。彼自身が空道の達人であることはいう
までもない。
しかし、今クードーには国松をも上回る猛者があった。
製品開発部統括部長、柳龍光。国松の部下であり弟子でもある柳は、入社するなり社長
との立ち合いを切望し、国松の右腕を奪った。その後は優秀なアイディアマンとして次々
に暗器を企画・開発し、今ではクードーになくてはならない人物となっている。
相手を一瞬で失神させる大ヒット商品『6%未満酸素』、毒の塗られた手袋『毒手グロ
ーブ』、鞭打と同じ機能を持つ『鞭打ロープ』、絞殺専用黒帯『セイケン』、銃を所持す
る相手を騙すための声が録音されている『安全装置は外して』、鉄骨以外ならば何でも斬
れる『名刀』など、彼が携わった製品全てを挙げることは到底できない。
広々とした会議室にずらりと並ぶ重役たち。中には国松もいる。
柳による新製品のプレゼンテーション。ここでの成否によって、今日柳が持ち込んだ製
品が世に出るかお蔵入りになるかが決定される。
「ヒァヒァヒァ、柳ィ。さっそくだが始めてもらおうか」
「はい」
柳は風呂敷包みを机の上に置いた。
「本日私が考案する製品はこちらです」
ほどかれた風呂敷から出てきたのはヤカン。口からは湯気まで出ている。ざわつく重役
たち。
「ヤカン……?」
「なんだこれは、ただのヤカンじゃないか!」
「柳君、ふざけているのかね」
社の長老連中が猜疑の眼差しを一斉に向ける。だが柳は怯むことなく、この反応は予想
通りだったのか、非常に落ち着いていた。
「あなた方のおっしゃられた通り、これはヤカンです。中にはたっぷりと熱湯が入ってお
り、今すぐにでもお茶を振舞うことだって可能です」
柳がヤカンを手に取って揺らすと、チャポチャポと音がした。
「さて本題に入りましょうか。むろんこれは暗器としての性能を備えております。使い方
は、こうです」
その刹那、柳はヤカンを宙に放り投げた。ヤカンは緩やかに空中で傾きながら、湯をば
ら撒き、そして落ちた。
呆気に取られる面々。
「この瞬間──殺(と)る!」
目を見開き、柳が鋭い突きを空中に放った。拳が空を切る音が会議室中に響く。熱湯が
床に広がる。
「熱湯の入ったヤカン。普通ならば中のお湯を浴びせるとか、あるいは高速で投げつける
などといった使い方を取るでしょう。ですが、そんな使い方では敵も当然予測をしている
でしょうし、容易に対処されてしまいます。
そこで今私が行ったように無造作に相手に放り投げる、すなわちヤカンを“パス”して
やれば敵はまちがいなくほんの一瞬混乱します。ヤカンという日用品を利用して敵の精神
に空白を作り、叩く。これが私が今回新製品として考案する、名づけて“パスヤカン”で
す」
喚声が上がり、にわかに室内が騒がしくなる。まだ全員、半信半疑といったところ。天
秤を自分側に沈めるには、もう一押し必要だ。
「暗器使いが二度同じ相手と戦うことは殆どありませんが、たとえ再戦することになった
としても、例えば中にお湯ではなく水を入れるなどのフェイントも可能です。
ヤカンはどこの家庭にもある日用品。常日頃から持ち歩いていてもまったく不自然では
ありません。しかも中身を熱湯や冷水、あるいは空にすることで戦略の幅を無限に広げる
ことができます。平時には普通のヤカンとして使えるというのもポイントです。今や携帯
電話ですら多機能多機能と持てはやされる時代、我々のような暗器業界もそうした時流に
乗らなければ生き残ることはできないでしょう。
パスヤカンは必ずや二十一世紀の暗器として、武術史に革命をもたらすことができる!」
最後は敬語を使わず、ストレートに熱意を訴えた。
天秤が傾く。
「ふむ、たしかにな。なかなかに優れた武器かもしれん」
「パスという発想が面白いな」
「私もこれはヒットすると思いますな。社長……どうですかな?」
国松は大麻を丸めただけの煙草をくゆらせながら、焦点が合わぬ目で笑いながらゴーサ
インを出した。
「ヒァッヒァッヒァッ、柳ィ、やってみい」
「ありがとうございます!」
一ヵ月後──。
大量のヤカンが積み上げられた社の倉庫を見て、柳は生娘のように目から涙をこぼして
いた。
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