「怪獣大戦争」(2008/03/19 (水) 20:30:18) の最新版変更点
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子供というものは騒がしい。
だが、子供好きの人間にはその騒がしさすら微笑ましく思えるのだろう。
そして、その騒がしさが無くなってしまうと、妙な寂しさを覚えてしまう。
我らが神父アレクサンド・アンデルセンもそんな人間の一人である。
アンデルセンが所用を終えてフェルディナント・ルークス孤児院に帰ってきたのは、もうすぐランチの
時間という午前中も深まった頃。
いつもならば入口近くや室内にいる子供達が笑顔と共にまとわりついてくるのだが、今日はそれが無く、
院の敷地内は静まり返っている。
「ああ、そういえば寮母と近くの公園に遊びに行くと言ってたな……」
寂しさも確かにそうだが、子供達が外に遊びに行く時はいつも心配になる。
聞かん坊のルチアーノは他の子を泣かせていないか、向こう見ずなトンマーゾは転んで怪我でも
していないか、おっとり屋のアレッシアは迷子になっていないか等々、どうにも子供達の事が
頭から離れない。
現在はもう第13課の機関員となったハインケルや由美江が孤児院にいた頃も、今と同じように
成長していく姿を眺めながら様々な事に頭を悩ませたものだ。
アンデルセンは昔懐かしい感傷までも加わった複雑な思いを抱えながら扉に手を掛ける。
しかし、中に入るとすぐに不快感を伴う何かに気づいた。
妙な匂いが鼻をくすぐるのだ。
「ん……? この匂いは……」
常日頃から食べているイタリア中部地方の家庭料理の香りとは明らかに違い、何種類もの香辛料の
混ざった雑多な辛さを感じさせる匂い。
彼にはその匂いを発生させる人物に心当たりがあった。それもたった一人。
憮然とした表情で歩調を速め、アンデルセンはキッチンに脚を踏み入れた。
「あら。おかえりなさい、アンデルセン神父」
やはりである。
そこにはカソックの上からエプロンを着けて、大鍋を乗せたガスレンジの前に立つ笑顔の
シエルの姿があった。
このニコニコと幸せそうに笑う教皇庁特務局第13課機関員は、おたまで懸命に鍋の中をかき回している。
鍋の中身は言うまでも無い事であるが、カレーである。
アンデルセンは憮然とした表情を更に怒りで歪ませながら、シエルにズカズカと近寄る。
元々シエルに対しては悪感情以外のものは持っていない程に嫌い抜いていたが、数年前の
錬金の戦士との闘いを邪魔されて以来、その嫌悪と憎悪は格段にエスカレートしていた。
「おかえりなさいではない。貴様、ここで一体何をしている」
「何をって……見てわかりませんか? カレーを作ってるんです。アンデルセン神父も食べますよね?
今日のは特に自信が――」
シエルの言葉を皆まで聞かず、アンデルセンは鍋をガスレンジから持ち上げると、そのまま
ゴミ箱の中にカレーをすべて流し込んでしまった。
「ああーっ!! な、な、ななな何をするのですか!?」
唐突な暴挙に顔色を青ざめさせ、愕然とするシエル。
アンデルセンは何を言われようとお構い無しである。
「五月蝿い。我が神の家でこんなプロテスタントやシーク教徒のクズ共が食う物なんぞ……――」
ガスレンジへ鍋を乱暴に乗せ、声を荒げてシエルを罵った。
「――とっとと失せろ! ここは貴様が来る所ではない!」
シエルは眼の前で繰り広げられた衝撃的な行為のせいで、頭を垂れてワナワナと肩を震わせている。
カレーは彼女の大好物だ。
可能であれば三百六十五日三食カレーでありたいし、普段もカレーうどんをおかずに
カレーライスを食し、おやつにはカレーパンを食べるカレーっぷり。
彼女にとってカレーとは大好物以上のものかもしれない。
カレーにかける情熱は、周りの人間からしてみれば“偏執的”と表現せざるを得ないくらいなのだ。
わかりやすく書くならば――
神への信仰>カレー>>>>>>>>>>任務>>>その他色々>>>(越えられない壁)>>>アーパー吸血鬼
――といったものか。
そんなシエルが上機嫌で作っていたカレーを、アンデルセンはあろうことかゴミ箱へ捨てたのだ。
神(インド的な意味で)をも恐れぬその行為が、彼女の精神にどんな影響を及ぼすかは想像に難くない。
シエルは俯いたまま、聞き取りづらい低い声で呟いた。
「アンデルセン神父……。あなたは、三つの間違いを犯しました……」
「間違いだと? 何をたわけた事を――ブゥハッ!」
アンデルセンの言葉が終わるのを待たず、怒りに握り締められたシエルの拳がしたたかに
彼の頬を打ち抜いた。
「ひとつ、カレーの悪口を言った事……」
足尖蹴りがアンデルセンの鳩尾を痛烈に蹴り上げる。
「グゥオオォ!」
「ふたつ、カレーの悪口を言った事……」
髪を掴んでの膝蹴りがアンデルセンの鼻っ柱を直撃する。
「ブフオッ!!」
「そして、みっつ……! カレーの悪口を言った事ォ!!」
シエルはつい先程まで火にかけられていた鍋を手に取ると、仕上げとばかりに熱く焼けた
鍋の底をアンデルセンの顔に押しつけた。
「ウゥオアアアアアアアアアアァ!!」
白い煙を上げる顔を片手で抑えながら、アンデルセンは床に片膝を突く。
その彼を傲然屹立と見下ろすシエルは静かな、しかし研ぎ澄まされた殺意に満ち満ちた声で言い渡した。
「カレーに対する罪深き冒涜。我が主が許しても、この私が許しませんよ」
「貴様、命が惜しくないようだなァ……」
アンデルセンはボソリと呟くとうずくまった姿勢から一転、猛然とシエルに襲いかかり、
彼女の細い首を右手で掴んだ。
「うぐっ!」
それだけで喉を潰して絶命させんばかりの力である。
だが、アンデルセンはそんなものでは済まさない。済ます筈が無い。
持ち前の怪力でそのままシエルを高々と持ち上げた。
身長は2mに達するアンデルセンだ。シエルの頭は天井に届きそうな高さまで掲げられている。
「ぬぅうるぃやぁああああああああああ!!」
アンデルセンは雄叫びと共に、部屋の中央に位置する大きなテーブルへ垂直落下式にシエルの
頭部を叩きつけた。
テーブルは派手な音を立てて砕け、シエルの頭部は硬い床にまで打ちつけられる。
「ヌゥン!」
更なる追い撃ちに、渾身の力を込め、大の字になったシエルの顔面を踵で踏みつけた。
肉が潰れる鈍い音がアンデルセンの耳に届く。
シエルは悲鳴を上げる事すらままならずに全身を痙攣させると、ピクリとも動かなくなった。
アンデルセンは仰向けに倒れたシエルを捨て置き、壊れた食器やテーブルの破片を片付け始める。
そして、食器の破片をひとつふたつ手に取ったところで突如、シエルが上半身を起こした。
まるで何事も無かったようにごく自然に。狂気を孕んだ血塗れの笑顔を彼に向けながら。
「待ってろ……」
そう言ったアンデルセンもまた、いつもの掃除の風景のようにゆっくりとゴミ箱に集めた
食器の欠片を捨てに行く。
手に残った細かい破片を払うアンデルセンの背後で金属音が鳴った。
振り向くとシエルは黒鍵を三本ずつそれぞれの指の間に挟み、戦闘態勢を整えていた。
流れ落ちる鼻血は壊れた水道を思わせたが、シエルはそんなものは気にも留めていない。
「殺してあげます……。殺してあげますよ、アンデルセン神父!
それも出来るだけ苦痛に満ちた方法で……!」
アンデルセンも懐から銃剣を取り出し、シエルに突きつける。
「ハアァハハハハハァ! 手足も臓物もすべて細切れに斬り刻んでくれるわ!
無論、生きたままでなァ……!」
カレーが発端となった殺し合いの渦が、今まさに最高潮に達しようとしているその時――
「ただいまー!」「あー、お腹空いた!」「神父様、帰ってきてるのー?」
遠く入口から子供達の声が聞こえてきた。
時刻は既に正午を回っている。公園へのお散歩から帰ってきたのだ。
十数名の子供達の元気に駆けてくる足音が廊下中に響き渡る。
二人は慌てて各々の武器が握られた手を背中に回した。
お互いに刻みつけ合った身体の傷は、アンデルセンは再生能力、シエルは無限蘇生の残滓によって、
それぞれ何事も無かったかのように回復している。
しかし、この荒れに荒れ、乱れに乱れたキッチンは最早どうする事も出来ない。
どうする事も出来ないまま、アンデルセンは先程までとは打って変わった“優しい神父様”の顔で
子供達を迎えた。
「ああ、おかえりなさい。公園は楽しかったですか?」
子供達は荒れ果てたキッチンに入るや否や、その惨状に驚き、眼を丸くしている。
「わあ! 神父様、これどうしたの!?」「シエルさん、カレーを作ってくれてたんじゃなかったの!?」
“子供達はシエルが来ている事を知っている”
“カレーが作られている事も知っている”
この二つの事象はアンデルセンの頭に疑問を覚えさせた。
アンデルセンは笑顔を崩さず、声を潜めてシエルに問いただす。
(おい、これはどういう事だ……)
既に我に帰っているシエルは、これまた小声で申し訳無さげに嘆いた。
(す、すみませんっ! カレーを捨てられた怒りのあまり、子供達の為に作っていた事を忘れていました……)
(何だと……?)
アンデルセンは内心腹立たしい思いでいっぱいだったが、まさか子供達の前で殺し合いを
再開するわけにもいかない。
脳髄をフル回転させ、その割には多分に苦しい言い訳を搾り出す。
「これはですねェ……。実は、私もシエルのお手伝いをと思ったのですが、どこからかネズミが
入ってきましてね。それを退治しようとしたら、こういう事に……」
「そ、そ、そうなんです! 私、ネズミは大の苦手でして! ア、アハハ、アハハ……」
常識人としての度合いがアンデルセンよりもほんの僅かに強いシエルも、不自然な棒読み口調と
機械的な笑いでそれに乗っかる。
とは言え、そんな言い訳も子供達を意気消沈させるだけである。
「そうなんだぁ……」「せっかくシエルさんのカレーが食べられると思ったのに……」「お腹空いたー……」
元気良く遊び回ってお腹を空かせた子供にしてみれば、楽しみにしていたランチが台無しという事実は
この世の終わりに似た一大事であろう。
現に子供達の落胆振りはこちらまで悲しくなってしまう程に痛々しい。
どうしたものかと頭を悩ませるアンデルセンであったが、素早く銃剣を袖口に仕舞い、
ポンと手を打ってにこやかに提案する。
「よし! それじゃあ今すぐここを私とシエルで片付けます。そうしたら、みんなも一緒にカレーを
作りましょう。みんなで協力して作れば、きっといつもより美味しいカレーが出来ますよ」
アンデルセンの言葉を聞くと、今泣いた烏がもう笑ったという慣用句がピッタリなくらいに、
沈んだ雰囲気の子供達に笑顔が戻ってきた。
子供達は次々にアンデルセンの傍に群がる。
「はーい、神父様!」「じゃあ、わたしもお掃除手伝うよ!」「ボクもー!」
手伝いを申し出る子供達の頭を撫でながら、アンデルセンは満足げに相好を崩した。
子供達の素直さが心の底から嬉しいのだろう。
「うんうん、みんなは良い子ですね。神様も御喜びになるでしょう」
この慈愛に満ちた姿もまた、アンデルセンの“本当の姿”なのだ。
シエルは彼の豹変振りに飽きれながらも、そんなアンデルセンと子供達を少し羨ましげに
眺めていた。
「いただきまーす!」
食前の祈りも終わり、明るい声が食堂にこだますると、子供達は我先にとカレーライスを食べ始めた。
アンデルセンの隣にはシエルが座り、二人の左右に子供達が並ぶようにしてテーブルを囲んでいる。
「美味しいねー!」
「神父様、ジャガイモはボクが切ったんだよ!」
「わたしはね、わたしはね、ニンジンを切ったのー!」
一人が言い出すと他の子らも口々に自分の仕事振りをアンデルセンに報告する。
やはり自分の食べる物を自分で作るというのは、普段では無い達成感という喜びを得られる
ものなのだろう。
「フフフ、とても上手に出来ましたね」
アンデルセンは相変わらずの穏やかな笑顔である。
そんな中、子供達以上に喜んでカレーを頬張るシエルに向かって、一人の女の子がもじもじと
切り出した。
「ねえねえ、シエルさん。神父様とは仲直り出来たの?」
その言葉を聞くや、シエルは盛大にカレーを噴き出した。
前にいる子供達から文句の声が上がったが、彼女はそれどころではない。
「ア、アレッシア! その話は内緒だと……!」
「……?」
アンデルセンは怪訝そうな顔でシエルと女の子の顔を見比べる。
女の子にしてみればシエルを心配して悪気無く言ったのだろうし、神父様に隠し事をしないのは
ほとんどの子供達に共通していたのだから仕方無いのだろう。
慌てるシエルだが、女の子はアンデルセンに事の始まりを教えてしまった。
「あのねえ、シエルさんが言ってたの。『私はいつも神父様を怒らせてケンカばかりしちゃうから
カレーを食べさせてあげて仲直りしたい』って」
「いや、あの、それは、その、ですから……」
シエルは顔を真っ赤にして、片手にコップと片手に水差しを持ち、何杯も何杯も水を飲む。
そもそも二人の関係を表すならば、ケンカというよりもアンデルセンが一方的に嫌っていると
言った方が正しい。
だが、小さな子供にありのままを話すのは流石に教育上よろしくない。
それに、少なくとも仲間としてアンデルセンと打ち解けたいという想いは事実だった。
今日のカレーも子供達の為というよりも、アンデルセンの為といったところなのだろう。
アンデルセンは少しの間、子供達の前にしては珍しく笑顔も無くシエルを見つめたが、
すぐに笑って言った。
勿論、シエルではなく女の子に向かってだが。
「そうですか……。大丈夫、ちゃんと仲直りしましたよ。それにもうケンカはしません」
「本当!? 良かったね、シエルさん!」
カレーはさして辛くもないのに、シエルの顔からは次から次へと汗が滴っている。
恐るべしは子供の無邪気といったところか。
「ハハ……。ええ、まあ……」
喜びながら落ち込んでいるシエルを尻目に、アンデルセンは席を立つ。
「では、私はまだ片付けなければならない仕事があるので、この辺で……」
「あっ……! ア、アンデルセン神父!」
シエルが慌てて声を掛けた。
掛けたは良いのだが、なかなか上手い言葉が見つからず、どうしてもしどろもどろになってしまう。
「あの……。またカレーを作りに来たら、食べてくれますか……? ネ、ネズミはもう出ないですし……」
やや要領を得ない言い回しであったが、今度はお互いキレるのは止めて殺し合い(ケンカ)なんかせずに
仲良くしよう、という意味が言外に込められていた。
内心は別として、アンデルセンは少し困り気味の笑顔で答える。
「そうですねェ、正直に言うと私はあまり得意な味ではありませんが……。
シエルが作りに来てくれるのなら食べますよ」
アンデルセンの言葉を聞き、シエルは顔を綻ばせた。
その前ではつい猫を被ってしまう遠野志貴という存在が日本にいたように、第13課の中にも
特別な存在がいる。
それは恋愛感情といったくだらないものではなく、一人の人間の実力・人格に対する尊敬や
憧れに他ならない。
彼の事だ。おそらく子供達の前故の建前なのだろう。
表の顔と裏の顔を持つ彼なのだ。
しかし、少しはアンデルセンの心に近づけたと信じたかった。
そして、いつかは自分に背中を任せてくれるくらいにわかりあえれば。
シエルは一際、声を弾ませた。
「はい! 是非!」
その声を聞く頃には、アンデルセンは皆に背中を向け、眉間に皺を寄せた不機嫌な表情に戻っていた。
(フン、図に乗りおって……)
小声で呟くアンデルセンではあったが、やや意外な心境であった事を否定は出来ない。
いつもこちらから仕掛けていたとはいえ、顔を合わせる度に険悪な雰囲気を作り、いがみ合ってきた
シエルが自分を憎からず思っていたとは、と。
格別嬉しくもなかったが、何故だかそれに対して腹立たしいとも思えなかった。
(つまらん。あの女にどう思われようが知った事か……)
強いてそう思おうと努めている自分にふと気づき、アンデルセンはますます不機嫌な顔で
自室へと歩かざるを得なくなっていた。
[完]
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