「やさぐれ獅子 ~二十九日目~ 54-2」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「やさぐれ獅子 ~二十九日目~ 54-2」(2008/02/18 (月) 15:20:17) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
道場では必ずあった試合開始の合図が、今日に限ってはない。ライバル対決はすでに始
まっていた。
「ッシャアァッ!」
親の仇が地の底に埋まっているかのような踏み込みで、末堂の突進が始まる。
(疾いッ!)
丸太で殴りつけるようなワイルドな右ロー。轟音を耳にした瞬間、加藤から下半身の感
覚が消えた。
がくん。
意志に反して膝が折り畳まれていく。手でもつこうものなら『技有り』だ。ノールール
とはいえ、こいつに空手で負けたくない。
意地が、加藤を踏みとどまらせた。が、窮地が去ったわけではない。
体勢を崩した加藤に、追い討ちのボディ連打。ガードの上からじんじん痛みが伝わって
くる。
(痛ってェな……このヤロウ!)
加藤の反撃。打たれながらも跳び上がり、顎に膝をぶつける。ぐらりと後方に傾く末堂
に左ハイ。耳付近にヒット。もう一度跳び上がると、両足を顔面めがけてまともに蹴り込
んだ。
「手応えありだッ!」
「ぐォ……ッ!」
背中から倒れそうになる末堂だったが、かろうじてこらえる。着地した加藤も不用意な
追撃は控える。
序章は互角に終わった。
一分にも満たぬ濃密な手合わせは、両雄が力量を分かち合うには十分すぎる内容だった。
地肌に残る痛みさえ愛しい。これから始まる更なる死闘への期待に拍車をかける。
共にある偉大なる空手家を師と仰ぐ者同士、抱いた感想もまた同様だった。
(こいつ……とんでもなく強ぇッ!)
闘争とはコンマ一秒の奪い合い、生死を分かつ選択の連続。時間を奪われ、岐路を誤っ
た者から散っていく。
むろん、二人の戦士はとっくの昔にそんなことは知っている。勝利の女神は惑いし愚者
を嫌うことを知っている。
ならば、迷うくらいなら、攻める。
愚地独歩の空手には後退の文字はない。師の教えに従うが弟子の務め。
「オッラァァァッ!」
「ケィリャアァッ!」
それぞれの拳が、それぞれの顔面を穿った。壮絶な相打ちだった。
放送を終了したテレビ画面のように、視界が白黒する。死ぬような一撃ではないのに成
仏したくなってしまう。
二人はそれでも倒れない。
先に立ち直ったのは加藤。しなる右ローを太股に当てると、渾身の一本拳を鳩尾に注入
する。
「ごォアッ!」
大打撃を与えたはずだが、末堂はすかさず加藤の両肩を掴む。加藤よりも明らかに勝っ
ている要素、腕力で強引に投げ飛ばす。地面に投げ出された友に、ゴールポストどころか
観客席にボールをぶち込みかねないサッカーボールキックを決める。
体が宙に浮くほどの威力だったが、加藤はかろやかに着地を成功させる。が、ダメージ
はあるようで次の一手に移れない。
(勝機ッ!)
剛の連打『重爆』が焼夷弾ならば、今放たれる一撃は核爆弾。武神の下で開眼した剛の
一撃必倒『超重爆』が発動する。
上空二メートルから重力加速度を利用して振り下ろされる、巨拳。
「ッシィィィシャラッ!」
投下された核爆弾は見事命中した。当たったはずなのに、
(こいつ……ッ! た……ッ、倒れねェ……ッ!)
加藤は倒されなかった。恐るべきタフネスに末堂は驚愕する他ない。
「末堂よ」
「う……ッ!」
「俺の三十日を舐めるな」
超重爆で大きく腫れ上がった貌(かお)には、笑みが浮かび上がっていた。
これは末堂だけに発せられたメッセージではない。立会人としてここに立つ武神に対す
るあてつけでもあった。
──お前が差し向けた試練に全て打ち勝ち、俺は今こうして立っている。
「ざまぁみやがれ」
打たれた加藤が、一歩を踏み出す。力強い一歩だった。月面着陸を完遂させたアームス
トロングに匹敵する偉大なる一歩だった。ただ足を前に出すという行為が、かくも美しい
ものだとは。
こうなれば末堂に選択の余地はない。
開き直り、同じく一歩を踏み出すしかない。
「すげェよ、てめぇ……だがよ空手は、俺の空手はァ……」手刀でのフェイントから、再
度の超重爆。「敗けねェッ!」
ずどん。
二メートル五センチが天に舞い上がった。
完璧なカウンターブロー。空手に泥を塗りたくった加藤だからこそ許された、魔獣の拳。
胸骨を砕いたためか、墜落した末堂のぶ厚い胸はいびつにへこんでいた。
一方、逆転勝利を掴み取った加藤は自らの拳に残る鈍い感触を反芻していた。
(この手が……俺のこの手が、末堂のヤロウをぶっ壊した……)
試練をクリアーしたという達成感は皆無だった。寂寥感と快感とを織り交ぜた奇妙な感
覚が、加藤を音もなく包み込んでいた。
白目をむき、無残に四肢を投げ出した末堂に、加藤は改めて目を向ける。先程まで憎し
みあってすらいた好敵手(ライバル)に対し、心に浮かべていたものは、感謝だった。こ
れで加藤は全てをやり遂げた。東京に戻り、休むことなく新たな戦いに身を投じることと
なる。
──と、物語は進むはずだったのだが。
「さて、それでは“最終試練”を開始するとしよう」
武神の口から信じられない台詞が飛び出た。抑揚のない声で理不尽を押し売りするのは
この男の常套手段だが、さすがの加藤も声を荒げて抗議する。
「あァ? 何ほざいてんだ、寝ぼけてんじゃねぇのか!」
「昨日話したろう。彼には強化を施してある、と」
「さっきまで戦っていたあいつは前よりずっと強かったぜ。あれでも強化じゃねぇってい
うのか」
武神が指を弾く。乾いた快音が島中に轟く。
──するとどうだ。
意識を喪失し、どう考えても数時間は目を覚まさないと思われた末堂が、あっさりと起
き上がった。しかも様子がおかしい。顔面にはメロンの網目のように、青白い血管がびっ
しりと張り巡らされている。
「なんだいこりゃあ……」
「先程まで彼に施していた強化は人間(ヒト)の域に過ぎない。だが今の彼は、エンドル
フィンとアドレナリンを最大限に発現し、筋繊維と神経組織の能力を倍加させている。人
間の領域など、遥か後方に置き去りにしている。
加藤清澄よ、勝ってみせろ」
立ちはだかる末堂が、先程よりもずっと巨大に映る。気配も人間のそれではなく、別の
生き物としか認識できない。人間を超えたというのはハッタリではない。
「カトオォォォォォォッ!」
喉ごと吐き出しかねぬ声量で、末堂が友の名を叫ぶ。神心会空手の一騎打ちは最終章に
突入する。
表示オプション
横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: