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僅か一日にして島の様相は一変した。立っている木は一本もなく、執拗な雷によってあ
ちこちが焼け焦げている。住んでいた獣や昆虫も壊滅した。土壌も同様だ。雨降って地固
まる、の諺の如く、かえって固く引き締まった。
環境ばかりではない。天災と正面からぶつかったダメージは大きく、体中にガタがきて
いる。
これまでの主食であった果実も失われた。グチャグチャに潰れ、土と混ざった実を加藤
は淡々と食する。もちろん不味い。
廃墟と化した島を見渡し、加藤はやはり井上を帰しておいて良かったと安堵する。
今日を含めあと五日、あと五日間を生き延びれば元の世界に帰れる。こんな殺風景では
ない、豊かな日常に戻ることができる。
とはいえ、今の加藤にそれを想像するほどの余力はなかった。彼に必要なのは今日とい
う日を生き抜くための力だけなのだから。
ひとまず空腹は鎮まった。加藤はいつものようにトレーニングに打ち込む。
トレーニングメニューの正拳突きのさなか、不意に加藤を錯覚が襲った。
「あれ? 俺って……死んだ?」
突然、己の存在感が希薄になった。確かに肉体はあるし、精神もある。生きていないは
ずがないのだが、何故か自分が生きているという事実を信じられない。
(どうしちまったんだ、俺は!)
「俺が近くにいるからだ」
「───!」
針金のように細く、上下を黒一色で統一した男だった。両目には黒目しかなく、僅かに
露出している肌は不健康な土色をしている。
真っ先に抱いたのは恐怖だった。殴りかかるのを忘れてしまうほどに、この黒い男が心
底恐ろしかった。
「……くっ!」
自らを奮い立たせようとするが、そう簡単に負の感情は払拭できない。
「おまえは私に恐怖を抱いていることだろうが、決して恥じる必要はない」
「だッ……だれが恐怖なんかするか! クソボケがァ!」
「俺は死神の使いだ」
黒い男は続ける。
「俺は死神によって生み出され、人の死を生業としている。普段俺の姿が人に見えること
はないが、過敏な者ならば、俺が接近するだけで生を忘れ、ノイローゼになったり自殺し
たりする。今のように実体化していれば、なおさらだ」
死神の使い。加藤に生まれた自己に対する生々しい喪失感は、この男が日常的に人々に
もたらす『死』の臭いによるものだった。
「なるほど……よぉく分かったぜ。この気持ち悪さは確かにうっとうしいが、実際に死ぬ
わけじゃねぇんなら話は早ぇ」
恐怖を行動で断ち切るべく、加藤は発進した。ついさっきまで反復していた正拳突きで
先制を狙う。
黒い男はゆらりと拳をいなすと、人差し指を加藤の鼻と唇の間──人中に突き刺した。
「え」
がくんと膝をついた加藤に、回し蹴りの追い討ち。首にクリーンヒット。
あっという間のダウン。これが空手の試合であったならもう終わっている。
「ぶ、武術……か?」
「俺は武術は知らない」
横に倒れた加藤の首に踵での下段蹴りを喰らわせる。
「がひゅっ!」
「ただし、どうすれば人が死ぬかはよく知っている」
再度、首に向かって下段蹴り。
頚骨から悲鳴が上がった。加藤の眼球が裏返る。
「さて戻るか」
帰路につく男に浮かぶ達成感は、果たしていかほどのものか。声に特別な感情はなにひ
とつ込められていない。後始末は死神に委ねるのだろう。
しかし、彼は見誤っていた。
「オイ……」
踵を返す黒い男の足首を、掴む手があった。
「忠告しとくぜ」手に足首を引っぱられ、男はバランスを崩す。「死神とかほざくんなら
よォ」
手の主が背中の上に馬乗りになる。
「敵の生死くらい確認しとく癖くらいつけとけッ!」
後頭部に正拳がめり込む。むろん一発で済ませるはずがない。もう一発、さらに一発、
手心など加えていたら倒せない。加藤はこの男に、死を錯覚させる能力や死神の使いとい
う肩書き以上の危険性を覚えていた。
マウントポジションからの脱出は至難である。ましてやこのケース、後頭部という弱点
をさらけ出す格好となっている。
「……ご忠告ありがとう」
男が呟いた瞬間、華奢な体は一切無駄がない動きで、するりと加藤から抜け出した。
真っ黒な瞳が加藤に注がれる。
「マ、マジかよ……」
「怠慢だった。あの力加減で、あのタイミングなら、首はまちがいなく折れただろうと思
い込んでいた」
発せられた力加減というフレーズ。黒い男は本気を出していなかった。先程の攻防は、
あくまで加藤に死という最期(フィナーレ)を与えるための日常業務に過ぎなかった。
「折れかけたがな」痛めた首をさする加藤。「烈なんかとちがって首の骨なんて外せねぇ
し」
両者、構えを取る。
加藤は天地上下の構え。師匠である独歩も愛用していた、攻守に適した構えだ。
一方の黒い男も構えを取ってはいるが、洗練されてはおらず、一目で素人だと分かる。
「行くぜ……」
強力な踏み込みから上段突き、を寸止めし、ローキック。黒い男の太股に吸い込まれる
ように決まった。
だが、
「全力には全力で応えよう」
ローを問題にせず、男の右手が加藤に伸びる。首をキャッチされる。
「てめ──えッ! ぐぇ……がっ!」
「今度は折る」
重機に匹敵する怪力が、加藤の首にのしかかる。あと数グラム力が加われば頚骨は破壊
される。
「シイィッ!」
伸びた肘を狙っての、膝蹴り。どうにか首から手を離させることに成功した。
加藤は間合いを取った。立て続けに首にダメージを負い、乱れた呼吸を整えねばならな
い。
(なんてぇ怪力……加えて無駄な行動は一切なし。動き自体は素人だが、殺害経験は奴が
上だ。あと、奴のオーラでどうしても自分が死んでる気分になっちまう。戦いに集中でき
ねぇ)
戦力分析の途上、黒い男は徒競走のフォームで突っかかってきた。なんという無策ぶり
だろうか。
前蹴りで牽制し、そこから一歩踏み込みハイキック。こめかみを捉える。傾いた黒い男
の首根っこを掴むと、首相撲から顔面へ膝を連打。膝が赤く染まる。
徹底した攻め。加藤はこれこそが最善の策であると悟った。
黒い男から発せられる死の臭いを忘れるには、ひたすら攻めて、攻めて、攻めまくるし
かない。
一撃必殺の拳。武神直属のエリートを一撃にて葬った中段突きが、黒い男の薄い胸板に
叩き込まれた。
「ッシャアッ!」
手応えあり。加藤は大ダメージを確信する。
鼻と口から出血しながら、黒い男は立ち上がる。相変わらず不気味な佇まいだが、息が
上がっている。ダメージはあるようだ。
「まだまだァッ!」
勝機は来たり、と加藤は左右から貫き手を繰り出す。
ぞぶっ。
両脇腹に深々と刺さった。だが、男は意に介さず、
「俺の番だな」
土色をした掌で、加藤の口と鼻を隙間なく塞いだ。
「もう離さん」
まるで水に濡れた紙だ。ぴたりとくっついて離れない。たったこれだけの技(と呼べる
かは怪しいが)なのだが、威力は絶大だった。
(剥がれねェ……いや剥がせねェッ! 息が……息がッ!)
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