「故郷にて」(2008/02/10 (日) 23:39:12) の最新版変更点
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元海賊で現大統領。つい先日までは囚人をやっていた。純・ゲバルとはこのような男で
ある。
アメリカにとてつもなく強い男がいるという。たったこれだけの理由で、ゲバルは島を
飛び出した。
大統領自らアメリカ最強の男を叩きのめし、今後の対米外交を有利に進めるため。自分
たちを統率する男はこんなにも強いんだと証明し、国民に自信をつけるため。ゲバルは大
統領らしくオリバに挑むことによって生じる国益をしたたかに計算していた。が、結局は
彼も地上最強の夢を捨て切れないバカの一人に過ぎなかったにちがいない。
ゲバルはオリバと壮絶な死闘を繰り広げ、完敗を喫した。
まもなく彼はアリゾナ刑務所を去った。
しかし、敗者となった彼を人々は称えた。部下からオリバ対ゲバルの報告を聞いた米大
統領ボッシュは彼を認め、「やはりゲバル(の国)とはやり合うべきではない」との結論
を下した。敗れはしたものの、宿敵アメリカには圧力を、貧しき民には勇気を与えるとい
う点においてはゲバルの挑戦は大成功といえた。
食料や雑貨を叩き売る小汚い屋台がずらっと並ぶ。活気ある人々が奏でる乱れた雑音が、
心地よい音楽を生み出している。
ゲバルは市場を歩いていた。護衛はない。猫が虎を守っても意味がないからだ。
「大統領、らっしゃい!」
「どうだい良い肉が入ったよ、安くしとくよ!」
「相変わらず男前だねぇ、ゲバルさん! 応援してるぜ!」
四方から飛んでくるファンの声援を笑顔で受けつつ、ゲバルは市場を後にした。
市場を抜けて少し歩くと途端に人の気配がなくなる。この極端なバランスをゲバルは気
に入っている。
山のような森のような荒野のような、道なき道をずんずん進む。よそ者ならば五十歩も
あれば方角を失うだろうが、彼にとっては我が家も同然である。目をつぶっていたとして
もつまずくことなくウォーキングを楽しめる。
程なくして島の最果て、すなわち海に辿り着いた。特に目的はない。
「船は出ていないようだな」
海辺に佇むゲバル。本当ならばこんな暇はない。すぐにでも街に戻り、大統領としての
執務をこなさねばならない。
踵を返そうとするゲバルだったが、
「……あの」
「君は……ッ!」
立っていたのは、祖国を発つ時に出会った少年だった。
ゲバルは少年の名を知らない。ただ、彼が島一番の弱虫だということは知っていた。
いじめっ子の暴力に立ち向かえない。海は深く潜れず、木は高く登れず、家畜を怖がる。
この国で生活するために必要なスキルを、まるで持たない少年だった。知人はもちろん肉
親にすら見放されていた。
だが、突如島に襲った記録的な特大ハリケーン。島中が避難を始める中、ただ一人この
少年は“逆走”した。これには、本来彼を保護する義務がある両親も呆れた。「弱虫は恐
怖で逃げ道すら誤る」と、他の兄弟を連れて安全な場所に逃げ去った。
少年は誤ってなどいなかった。
立ち向かったのだ。
アメリカに挑まんとする戦士、ゲバルに雨と風と雷を届けるために。
ハリケーンをたっぷりと詰めた小瓶をゲバルに手渡した時、二人の間には深い絆が生ま
れていた。
「そういえば戻ってから君には会ってなかったな。会いたかったよ」
「………」
「ところで、何か用かな。島一番の勇者よ」
「これ……」
少年は小瓶を取り出した。おそらく、口数の少ない彼からゲバルへのメッセージが封印
されているのだろう。ゲバルはそれを快く受け取る。
「今ここで開けていいのかな?」
少年は首を縦にも横にも振らなかった。
ゲバルは瓶の蓋を取り外す。
すると、中から──。
「なんで負けたんだッ!」
鼓膜を突き破るような怒声が轟いた。
「国中、あなたの最強を信じていたのにッ! アメリカに勝ったあなたは素手でも地上を
制すると信じて疑わなかったのにッ! あなたは戦士(ウォリアー)として、みんなの期
待を裏切ったんだッ!」
ここでメッセージは終わった。
オリバの拳以上に強烈な一撃だった。ゲバルは正常な思考を取り戻すのにコンマ数秒を
費やした。
ゲバルが我に返るのを待っていたかのように、少年は口を開く。
「死ぬ……には……いい日……です」
以前、ゲバルが好んで使った言葉。死を我が身に受け入れるための呪文。
少年はすでに死を覚悟していた。ゲバルにこの場で屠られても悔いはない、と。それだ
けのことを自分はしてしまったのだから、と。
まったく人気のない海辺、死体は海に捨てればよい。もしここで自分が殺されてもゲバ
ルに島民殺しの汚名はつかない。少年はそこまで計算して、この地点でゲバルを待ってい
たのだ。
だが、ゲバルは少年の頭に優しく手を置いた。
「勇者よ、それは生きるための言葉さ」
「え……」
「ありがとう。おかげで目が覚めた」
ゲバルに対し島は温かかった。彼の敗北を詰る者など一人もいなかった。未練はあった
が、ゲバルもまた島民の優しさに甘えつつあった。
そんな矢先、目の前の少年は自分を正々堂々と否定してくれた。
側近ですらいえなかったことを、国民が心の奥底で思っていたことを、代弁してくれた。
この世でもっとも尊敬する人間を罵倒する勇気。少年はやはりゲバルが見込んだ通りの
勇者だった。その勇気を受け止めたゲバルも、再出発を誓う。
「船はないが、風はある。今から出航(ふなで)だ!」
「……はい!」
海風に身を委ね、二人の勇者は大海原に目をやった。
「ヤイサホー!」
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