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「シュガーハート&ヴァニラソウル 53-4」(2008/01/12 (土) 12:45:12) の最新版変更点
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南方航は考える。
自分は選ばれた人間なのだと──『スタンド能力』を身につけた超能力者なのだと。
ただひとつ問題があるとするなら、肝心要の自分自身が、その事実を信じきれていない点だった。
「……なあ、小狼。俺の『スタンド』、見えるか?」
放課後、清掃当番として教室に残る航は、同じように当番を割り当てられた李小狼にそんなことを訊いた。
問われた小狼は、持ち前の実直さを存分に発揮してきっぱり首を横に振る。
「うーん……やっぱ見えないか。『スタンド』は『スタンド使い』にしか見えない、ってのは分かってるけどさ……」
「どうしたんですか? 困りごとなら、俺でよければ力になり──」
「……敬語」
ジト目で指摘すると、小狼は「しまった」という感じで口元を覆ってみせた。
「すみま……じゃなくて、ごめん。ずっと大人の人たちの中で過ごしてきたから、つい癖になってて」
「木之本にも敬語じゃん」
航が目線で示す先には、同級生の女子ときゃいきゃい言いながら掃除に奮闘する少女の姿がある。
小狼もつられてそっちを見る。二人の視線に気付いた少女──木之本桜──サクラは、にっこり笑って手を振ってきた。
それに控え目に手を振って応える小狼は、航だけにしか聞こえない声でつぶやく。
「あの人は……姫だから」
(姫、ねえ……)
つまり、小狼はサクラの『家臣』かなんかということなのだろうか。
この二人も謎だよな、としみじみ思う。
二人の関係も謎だが、それを取り巻くあらゆるもの──サクラの『記憶』そのものである『羽』のことや、
それを求めて『異世界』を旅するだとか(最近赴任してきた二人の教師も、この二人の仲間らしい)……。
「『理解』、か……」
『メタル・グゥルー』は航に『メタリック』なものを求めろと言った。
それは『理解』によって成されることだとも。
だが……この世界には理解不可能なことが多すぎた。
なにをどうすれば、この奇妙な友人を理解できるというのだろうか。
小狼とサクラはこの後、『羽』の手掛かり──以前に彼等を襲った『仮面の少年』の痕跡を求めて校内を探索するのだと言う。
その『羽』がどれほど大事なものなのか、航には理解できない。所詮は他人事でしかないのだ。
それはちょうど、この二人には『メタル・グゥルー』が見えないのだというのと同じくらいに。
(ここにいるやつら全員、この『世界』がどうなろうと誰も気にしちゃいないんだろーな……)
航は漠然と教室を眺める。
それはいつもの風景だった。いつもの風景でしかなかった。
『異世界人』と友人になり、彼らを巡る騒動に巻き込まれ、それをきっかけに『スタンド能力』というものまで目覚めた。
しかしそれでも──世界は何一つ変わっていない。
『メタリック』なものなどどこにも見えない、どうしようもないくらいの退屈な『いつも』。
ふと、秋月貴也から渡されたプリントのことを思い出す。
このクラスには、少なくとも半月以上顔を見せていないやつがいる。
だが、誰もそんなことを気にしてはいない。
当たり前だ。そいつがなんで学校に来ないのか、なんてことは日々繰り返される問題──
「宿題はどうしよう」「今日の晩御飯はなんだろう」というものよりも些細なことでしかない。
世界は猛スピードで流れてゆく。取り残されたものを置き去りにして。
この世界には『素晴らしいもの』なんてない。『メタリック』なもので満たされるときなど永遠に来ない。
──だから、世界は安泰だ。
“はーん。それがてめーの結論かよ”
掃除を済ませた後、小狼とサクラの二人と別れた航が歩いているのは、杜王町の住宅街の一角だった。
秋月貴也の依頼を果たすために、不本意ながらも不登校中のやつにプリントを届けに行く中途である。
「そうだよ。だからお前がどれだけ世界を滅ぼしたがってても、無駄ってこと」
“ふん、間抜けなてめーの割には、よくそこまで考えられたじゃねーか。褒めてやんぜ。
だが『安泰』は良かったな、さすが俺様の『本体』だ。言うことが違うぜ。けけけけ”
「……なんだそれ。どういう意味だ?」
“いんや、深い意味はねーよ。お前がそう思ってるなら、俺にゃなにも言うことはないぜ。
世界崩壊はすっぱり諦めて──とりあえずネトゲ廃人にでもなるか”
「なんでそうなるんだよ。しかも『とりあえず』ってなんだ?」
“てめー、何度言わせれば分かるんだ? 『銀ぴか導師(メタル・グゥルー)』たる俺様の使命はたった一つだけ──
馬鹿で間抜けでちんちくりんなてめーを善導することだっつってんだろーが。
そんで、てめーの行き着く先は二つだけ──世界の王になるか、世を捨てて隠者になるかだ。中間なんてないのさ”
「勝手に決めんなよ。ネトゲ廃人にも引きこもりにもならねーよ、俺は」
“へえ? なんで? 世捨て人ってのは、歴史上にも稀有な覇者アレキサンダー大王に
『もし俺が王様じゃなかったら、樽に住む物乞いになりたかった』とまで言わしめた高潔な身分だぜ?”
「嘘つけ。あんなの、負け犬じゃねえか」
“俺ぁ嘘なんかつかねーし……それに、お前、考え違いしてねーか?”
ぴたりと航の足が止まる。振り返って背後に引っ付く『メタル・グゥルー』を仰ぎ見た。
「考え違いって……なに」
“てめーの言う『負け犬』ってのあ、ヒッキーとかのことを指してんだろーがよ……あいつら、『負けて』ないぜ。
てめーや、他の人間と同じように『現実』と戦ってる真っ最中さ。勝負はついてねーよ”
「実際に負けてるじゃん。だから閉じこもってるんだろ」
“あいつらは他所に居場所がないから『そう』してるだけだ。
その裏には『少しでも状況を良くしよう』っつー発想があって、それ自体には良いも悪いもねーよ。
『社会』とかいうよく分からん代物と、たまたま上手く噛み合いませんでしたっつーアホみてーな理由で『負け組』のレッテル貼られてるけどな”
また例によって分かるような分からないような『メタル・グゥルー』の言葉だが、
なぜだか今度のは──そうおかしなことを言ってるのではないような気がした。
“よくどこかの偉そうなやつは『現実逃避』だとかなんとか言ってるがよ、これは質の悪い印象操作だよな。
『逃避』なんてのは本来一時的なものであり、その限りではおおむねにおいて非常に有効な『戦術』だ。
誰もが知っていることだぜ……永遠に逃げ続けることなんて不可能で、この世に本当の逃げ場なんてない、ってことはな”
学校から徒歩にして二十分のところに、そいつの家はあった。
数年前に売り出された庭付き建売住宅の一軒で、周囲との整合性を意識したデザインの外装だった。
さっさと郵便受けにプリント入れて帰ろう──と考えるが、その思惑は間もなく崩れ去る。
「おいおい……」
そいつの家の郵便受けには、新聞らやチラシやらその他の郵便物が、これ以上なにも入らないくらいぱんぱんに詰め込まれていた。
事実、入りきらない新聞がその足元にいくつも転がっている。
“おーおー、鮨詰めとはまさにこのことだな”
まさかこの紙の山にプリントを放って帰るわけにもいかず、航は途方に暮れる。
「登校拒否とかじゃなくて、まさか旅行とかに行ってんじゃねえだろうな……」
新聞の山を見つめる航が呟くのへ、
“いや……どうやら違うみてーだぜ。見な”
『メタル・グゥルー』が玄関口を指し示す。
ドアがほんのわずかに開かれていて、そこから小さな人影がのぞいていた。
それは航よりもやや背の低い少女で、長く伸びた髪に隠れてよく見えなかったが、どこかで見たような印象だった。
「あ、おい──」
航がそちらへ足を踏み出した瞬間、
バタン。
勢いよくドアが閉められた。続けて、がちゃがちゃと三重に施錠される金属音。
「──んだよ」
鼻白みながらもドアの前に立つ。
門扉のところに郵便受けがあるから当然なのだが、玄関ドアには郵便物などを差し入れることのできる小窓は備え付けられていない。
仕方なくインターフォンを押そうとすると、
「……なにしに来たの」
ドアの向こう側から、そんなくぐもった声が聞こえてきた。
「なにって、いや、プリント届けに来ただけだけど」
航の返答に、しばらくの沈黙を経てさっきと同じ声が返ってくる。
「嘘」
「嘘? ……ってなにが」
“あれじゃね? なんつーかこう、『友情ごっこ』でもしに来たと思われてんじゃねーの、お前”
「なんだ、それ」
小声で問い返す。
“察しの悪いやつだな。ほら、青春ドラマとかでありがちなアレだよ。『学校来いよ』的な”
「マジかよ……」
なんでこんな面倒なことに……と思う。
だが、ここまで来て「やっぱやーめた」と帰るわけにもいかなかった。
ドアを通しても伝わるように、やや大きめに声を出す。
「あー、じゃあ、分かった。プリントは玄関のとこに重石して置いておくから。それでいいだろ」
228 名前: シュガーハート&ヴァニラソウル [sage] 投稿日: 2008/01/08(火) 17:25:51 ID:0qYRQ74u0
航としてはかなり冴えた考えだったのだが、扉の向こうの少女はそれすらも冷たく突き放した。
「嘘。そうやってドアが開くの待ち構えてる。本当でもプリントなんか読まない。その場で破く」
(……なんだあ、そりゃあ)
「帰って」
これが最終宣告だとでも言うように、一方的に言い放たれれた。
登校拒否してるやつのためにプリントを届けるなんて、元々、気が進まないものだった。
帰れというなら喜んで帰ってやる。だが──、
「……『メタル・グゥルー』」
“なんだよ、馬鹿弟子”
「この鍵を壊せ」
“俺様に命令してんじゃねー。だがしかし……俺の言ったこと、覚えてるか? つまり、よ──見えてんのか?”
傲慢で横柄で耳障りなその声に、航は深く頷く。
「ああ……見えてるぜ。このドアの鍵のところが──『銀ピカ(メタリック)』によ」
“OK──”
さっき、『メタル・グゥルー』は言った。
「自分の殻に閉じこもったりすることも『世界』と向き合う術の一つで、そこに善悪はない」というような意味のことを。
おそらく、こいつにとってはこうすることが『世界』との戦い方なんだろう。
このにべもない方法で、『世界』の一部たる航と懸命に戦っているのだろう。
それはそれで構わない。ただ、
「それなら、こっちだって容赦はしねーよ……!」
“うけけけけけけけっっ!!”
脳に響く不協和音を発しながら、『メタル・グゥルー』の振りかぶる腕がドアの隙間へと直進していく。
明確な言葉には出来ないけれど、航は理解していた。
自分と少女を隔てるものを、そして隔てないものを。
根っこのところで、自分と彼女は『似ている』。
価値観を引っ繰り返すような出来事を連続して目の辺りにしておきながら、「世界は変わってない」と言い放った自分。
だがそれは、ただ変えようとしなかっただけの話だ。『世界』と向き合うべき──『自分』を。
そんな自分と彼女の違いは、ただ「外をうろつき回ってるか」「家に閉じこもっているか」でしかない。
そう、だから──航は理解していた。その違いはすべて、極めて現実的な一点──この『鍵』の有無に集約されていると。
ゆえに、『理解』した。その『鍵』の意味を、その『限界』を──それが、壊されるべきものであることを。
ぱきぱき、という奇妙な音の後、見計らってゆっくりとドアノブに触れる。
それをひねると、抵抗なくドアは開かれた。そのまま、航はドアの『向こう側』に足を踏み入れる。
照明がついていないために薄暗いなか、三和土のところに少女が座り込んでいた。
まるで信じがたいものでも見るように、航の顔と開かれたドアを見比べている。
しばらくの間、両者は無言で見つめ合っていたが──、
「……これ」
航が手を差し出すと、少女は一瞬、怯えるように身を竦ませたが、間もなく差し出されたプリントに気付く。
「確かに渡したからな」
「──え?」
「じゃーな。……あ、鍵壊れてたみたいだから直したほうがいいぞ」
それだけ告げると、航は「?」って感じで目を丸くしてる少女に背を向けて外に出ていった。
表に出るなり、『メタル・グゥルー』の大絶叫が響き渡る。
“つまんねえええええ! 鍵壊せっていうから押し込み強盗でもやらかしてくれんのか思ったらプリント渡すだけかよ!!”
「別にいいだろ。それが目的だったんだから。──いや、でも、ものは使いようだな。『スタンド』ってのはこういう使い方もできるわけだ」
航は秋月貴也に保健室前の廊下で言われたことを思い出す。
確かに彼の言うとおりだ──『メタル・グゥルー』が世界の滅亡を志向していたとしても、
『本体』である自分がそこから目を逸らしていては、いたずらに『可能性』の幅を狭めるだけであると。
この不気味な背後霊をよく知り、『理解』することで、もしかしたら誰も思いつかないような『使い道』に辿り着けるのかも知れない。
“てめーなあ……将来、鍵屋にでもなるつもりなのか? 許さねーぞ、俺様は”
「まあいいじゃん」
“だが……マジでプリント渡すだけとはな。話の流れ的に『学校来いよ』とか言うもんじゃねーのか?”
「本人がその気になってないのに無理矢理来させたってしょーがねーだろ。外に出たくなったら自分で来るさ」
“ふん……知ったふうなこと言うじゃねーか。だがまあ、その通りかもな。
『鳥は卵から出るために戦う。卵は世界である。生まれようとするものは世界を破壊しなければならない』──ってな”
「……こんどはなんのネタだ?」
“ネタじゃねーよ。世界を滅ぼすつもりならヘッセくらい知っとけ、間抜け”
「……だから滅ぼすつもりねーってば」
などと、どうでもいい話をしながら夕暮れ近い帰途につく航だった。
翌日の昼休み──私立ぶどうヶ丘学園の校庭を、航は横切るようにして歩いていた。
目指すは高等部の校舎──その壁面に張り付いている非常階段を見つけ、そこから屋上目指して登ってゆく。
「いいか、『メタル・グゥルー』……今から、静先輩にお前を会わせるわけだけど、絶対に余計なこと言うなよ」
“『余計なこと』ってのぁ、なんだよ? 『なんでその静とやらだけ下の名前で呼ぶんだ』とかそんなのか?”
「いや、ジョースター先輩じゃ呼びにくいだろ……って、お前、分かってんじゃねーか。そういうのをやめろって言ってんだよ」
“セクハラしてもいいか?”
「ダメに決まってんだろーが!」
昨日はうやむやのうちに十和子に捕まってしまったが、今日はちゃんと「屋上にいる」という情報を保健の先生から聞いていた。
先日、小狼を襲撃した『スタンド使い』である『仮面の少年』に対抗するためにも、『スタンド』についての知識を集めなくてはならない。
その意味では、味方の『スタンド使い』は静・ジョースターその人以外にはいない。
それに、なんというか……『スタンド』の見える彼女に、自分が『スタンド使い』であることを認めて欲しかった。
もう、自分は昨日までの自分ではないことを──『メタル・グゥルー』の『本体』であると言える自分を。
……それが、どうしても静・ジョースターでければならない理由はどこにもなかったが、
(だって他に『スタンド』見えるやついないし……)
という論理を思いついたことで、その件に関してそれ以上考えるのはやめた。
「変なことしか言えないなら黙ってろよ」
“へいへい。分かりましたよ。ったく、なにを張り切ってるんだか”
こいつの口約束などなんの保証にもならないことは知っていたが、とにかく同意してくれたとう事実でわずかに安心する。
そうこうしているうちに、階段を登りきって屋上に辿り着いていた。
容赦なく日差しの降り注ぐ屋上敷地を見渡し、静・ジョースターの姿を探す──いた。
航のいる場所とはちょうど正反対の、校舎内から連なる階段を塞ぐ塔屋の屋根に腰掛けているのが見える。
声を上げて呼ぼうとして──その声は呆気なく萎んでしまう。
静・ジョースターの隣に、『誰か』がいた。いや、それは『誰か』などという曖昧なものではなく、はっきりと見知った人物だった。
なぜかこのクソ暑いのに黒尽くめの扮装をしているが(演劇部かなにかなのだろうか)、その顔は見間違えようもなく──
つい昨日、保健室で十和子と一緒にいた上級生──秋月貴也だった。
二人は友達だったのだろうか、という解釈が航の脳裏に閃くが、そんなのよりも遥かに『それっぽい』解答がすぐさま取って代わる。
「秋月先輩の付き合ってる人って……静先輩だったのか……」
そんなふうな視点から見れば、確かにそうとしか見えない。
ここからだと内容までは分からないが、時折笑いながら隣の少年へしきりに何かを話しかけている静・ジョースターと、
物静かな佇まいを保ちつつ神妙な顔つきで少女の話に耳を傾ける、黒マントを着込んだ秋月貴也。
傍目には奇妙であるかも知れないが、そこにはただの友達ではなさそうな睦まじさがあるように、航には思える。
そして、なんかその空間に割って入るのはとても勇気のいるような気がして──
自分の存在がまだ気付かれていないのを幸いに、航は今登ってきたばかりの階段を、そのままそっと降りて行った。
“なにやってんだ、てめーは。ん? 俺様を紹介するんじゃなかったのか?”
腹が立つくらいに物凄く嬉しそうな声で、『メタル・グゥルー』は航の顔を覗き込む。
確かに「なにやってんだろう」と自分でも思う。航が今しがた目にしたもので、こんなにもがっくりくる要素など、どこにもない。
──どこにもない、はずだったのだが。
「いや……別になにかを期待してたわけじゃねーんだどよ」
“馬鹿だな、てめーは。同族意識と恋愛感情をごっちゃにするからそんなわけの分からんことになんだよ。
さすが発情期。なんでも恋愛に置換して考えやがる。ホント、恥ずかしいやつだな”
まったくその通りで、反論のしようがなかった。
なんか微妙にやるせない気持ちで空を仰ぐ。
ぽつりと口から漏れる言葉は。
「あー、さっさと世界終わんねーかな……」
その声に触発されたように、耳障りな金属音が炸裂する。
“うけけけけけけけけけけっっ!!”
──話は遡る。
少女は、自宅の二階の角部屋──自室の窓から、『そいつら』が帰っていくのを見つめていた。
片方の名前は知っていた。南方航。
そしてもう片方も、さっき知った──『メタル・グゥルー』。
“『鳥は卵から出るために戦う。卵は世界である。生まれようとするものは世界を破壊しなければならない』”
少女は『スタンド使い』にしか聞こえぬはずのその言葉を引き取って、その先を続ける。
「……『鳥は神へと向かって飛ぶ。神の名は“アブラクサス”という──』」
ぽつり、とまるで大切な言葉を口にするようにそれを声にする少女だったが、
「────っ!」
なにかに弾き飛ばされるような勢いで窓から離れた。
「う、うう……」
ぶるぶると震えながら、少女はベッドの枕元に置かれた携帯電話を手に取る。
キーを操作し──メモリからある電話番号を呼び出す。
そこに表示されているのは10ケタの電話番号と、『華氏』と登録された名前欄。
細い指で発信ボタンを押す──しばしのコール音の後に、回線の接続音。
「もしもし?」
回線の向こうから聞こえてくる声に、少女は救助信号をキャッチした遭難者の勢いでまくし立てる。
「ああ──聞いてください、『Mr.ファーレンハイト』! あいつが……あいつが家まで来たんです!」
切羽詰った口調で叫ぶ少女は、その勢いに引きずられて床に膝を着く。
その振動で、部屋の壁にハンガーで吊るされている衣服が小さく左右に揺れる。
それは私立ぶどうヶ丘学園中等部指定のセーラー服と──学ラン。
ややあって、涙声交じりの嗚咽が少女の口から漏れ出る。
「……落ち着きなさい。『誰』が来たって? それに、女言葉を使っているということは……『仮面』はどうしたのかな、『ダーク・フューネラル』」
「壊されました! 壊されたんです! それなのに、今度は家まで来て鍵を壊して行ったんです!!」
少女は怯える瞳で机の上を見る。
そこには、ひび割れて欠けた仮面が放置されていた。
「なるほど……『鍵』を壊された、ねえ。──警察に通報することをお勧めするよ」
「そうじゃないんです……! あいつが、私の『スタンド』をつかんだあいつが、家まで来て鍵を壊していったんです!
あいつら、私から『仮面』だけじゃなく『鍵』まで奪うつもりなんです!」
誰がどう聞いても支離滅裂な話だったが、電話の向こうで息づく声の主は
その破綻した内容に隠された真実の言葉を汲み取っているかのように、規則正しく冷静な息遣いを伝えていた。
「……つまりあなたは、『仮面』と『鍵』を壊されたことが──許せない?」
「はい! そう、そうなんです!」
振り子人形のように少女は幾度も首を振る。
電話の主の言うことこそが、自身の全てだとでも言うような切実さで。
「ならば──まずは、失ったものを取り戻すことから始めなさい、『ダーク・フューネラル』。
あなたは『羽』の守護者……『羽』は我々のもの……違うかな?」
「その通りです、『Mr.ファーレンハイト』──!」
「なにも思い悩むことはない……大丈夫……誰にもあなたを止めることなどできない」
──その言葉を最後に、回線は切断された。
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