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「ヴィクティム・レッド 53-3」(2008/01/06 (日) 11:01:26) の最新版変更点
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ニューヨーク・マンハッタン島──カリヨンタワー。
その情報管理セクションの一室で、ひっそりと端末を操作するハイティーンの少女がいた。
照明の消された室内、ディスプレイの発する光だけが彼女の頬を青白く照らしている。
ふと、キーボードを叩く手を休め、傍らに置かれたティーカップに口をつける。
「……やはり、エグリゴリのデータバンクが外部からの侵入を受けた形跡はないか。
ESP能力者を殺して回っている『犯人』は……エグリゴリ内部の者ということかしら」
少女──バイオレットは誰に言うでもなく、その推論を口に上らせた。
やがて疲れたように首を振り、瞳を閉じて椅子の背もたれに体重を預ける。
掌で包み込むようにカップを持ち、その熱に浸る。
「わたしは……わたしたちは、いったいなにをやっているのだろうな……」
ある一つの目的のために、世界中のすべてを巻き込んで不気味な回転を続ける組織──『エグリゴリ』。
その活動の全体を把握しているのは、バイオレットの兄にしてエグリゴリ最高責任者であるキース・ブラックのみで、
その他の全ての構成員は、それぞれ断片的な情報しか与えられていない。
「ブラック兄さん……あなたはなにを考えているの……?」
今、バイオレットがこうして任務に従事していても、それが本当はどんな意味を持っているのか、
エグリゴリの最重要計画『プログラム・ジャバウォック』に対してどんな影響を与えるのか、
自分はエグリゴリの中でどんな役割を演じることになっているのか──少しも想像できない。
その途方も無く巨大な機構に身を置いていると、自分の価値というものがまるで無意味なように思えてくる。
まるで自分が、取替えのつく部品のようで──。
バイオレットは今でも夢に見る。
ナノマシン群体兵器である『ARMS』を身体に移植するため、各種クローニング処理を施された上で生まれたキース・バイオレットが──
その身に宿したARMS『マーチ・ヘア』の機能を発現させたときのことを。
そこには、途方もない虚無があった。
ほんの数秒前までは『人間だった』研究員たちの肉塊の山──半壊した施設──燃え盛る火炎の海。
(ワタシハダレ?)
この状況をもたらしのが自分ならば──この虚無をこの世界に押し広げるのが自分の生きる意味であるのなら──、
自分はいったい何者であるのか。
エグリゴリという一個の運動装置は、自分をどこに連れて行こうというのか。
(ワタシハダレ? アナタハダレ?)
バイオレットは、目の前に立つ自分とそっくりな──虚無の世界の中に平然と立つ、まさしく虚無の権化のような少年へ、思わず訊ねていた。
(あの時……ブラック兄さんはなんと答えたのだったかしら)
紅茶を再び口に含むが、まるで味を感じなかった。なにか喉に引っかかるような感じがして、つい眉をしかめる。
「この紅茶も不味いわね……」
溜め息とともに、ティーカップをソーサーに置く。
これからしなければならないこと──任務に思いを馳せるが、なぜか行動に移る気が起こらず、
椅子に深く腰掛けたままで別のことを考える。
それは弟と妹のことだった。
レッド、グリーン、セピアたち……キースシリーズの次兄であるシルバーが『出来損ない』と評した子ら。
バイオレットから見ても、確かに彼らはどこかが違っていた。
感情過多で、失敗を犯しやすく……それこそ、『人間』のような子供たち。
バイオレットを含む「上の」キースシリーズたちの冷淡な態度とは似ても似つかない言動。
彼らの持つキースらしからぬ欠陥性こそが……いわゆる『心』というものではないだろうか。
だとしたら──その「欠陥」を持ちえぬ自分には、やはり……。
ふと、バイオレットは端末のキーを叩き、あるファイルを呼び出す。
そこに記されている個人情報をじっと見つめる。
『ママ・マリア』──ブラックハーレムに住む老婆。
『リーディング』と呼ばれる接触観応能力の持ち主で……人の『心』を読む女性。
バイオレットは、これから彼女を護りにいかなければならない。
ESP能力者を狩る『犯人』お特定するためにも。だが──。
なんとなく気が進まないことをバイオレットは自覚していた。
それはきっと、彼女に会うことで「自分には心が無い」ことを看破されるのを怖れているからだろう。
「……なにを考えているんだ、わたしは。──馬鹿馬鹿しい」
苛立たしげにファイルを閉じる。
すっかりぬるくなった紅茶を飲み干し、再び端末に向かったとき、室内の照明が点けられた。
「こんなところでなにをしておいでですか? サー・バイオレット?」
振り返ると、戸口に二人の男が立っていた。
一人は情報官らしき白衣の男で、もう一人は黒服のエージェントだった。
おどおどとした感じの情報官とは対照的に、黒服の男は鋭い視線でバイオレットを見ていた。
「……任務に必要な情報照会だ。お前たちには関係ない」
根拠のない不穏な空気を感じ取ったバイオレットは冷たい声音で応え、顔はそちらに向けたままで端末を操作して全てのファイルを閉じる。
その動作を見咎めるように、黒服の男が一歩近づく。
「今、なにを? 見られてまずいものでもあったのですか?」
「関係ないと言っている。貴様の所属はどこだ? なんの権限があって、シークレットエージェントであるわたしの行動に干渉する?」
奇妙な場の緊張が、徐々に高まっていく。
なにかがおかしかった。
黒服の男の態度は、まるでバイオレットがなにかの「悪いこと」に手を染めているとでも言いたげで──、
「関係はありますよ」
「……なに?」
「貴女に機密漏洩の嫌疑が掛けられています、サー・バイオレット。
貴女のIDで超心理学部門の監視リストが外部に流出された形跡のあることを、彼が発見しました」
「なにを言っている? わたしが……なにをしたって?」
「どうか大人しく事情聴取を受けていただけませんか?」
と、歩み寄る黒服がバイオレットの腕を掴んだ。
「気安くわたしに触るな!」
反射的に振り払った手が黒服の頬を打ち、彼はわずかに後ろに仰け反った。
しまった、という悔恨がバイオレットを襲う。ここで強硬な態度に出る必要は少しも無かった。
だが──、
「……ククク」
黒服がにやりと笑ったことで、それとはまったく別の……戦慄が取って代わってバイオレットを打つ。
「貴女たちキースシリーズはいつもそうだ……いつだって傲慢で、自己中心的で……自分だけが正しいと思っている」
そう言いながら懐に手を差し込み、
「だから……死ぬべきだ」
そんな唐突な言葉を吐いて、次の瞬間には右手に握った拳銃をバイオレットに向けて撃っていた。
ぱん、と乾いた音がする。
銃口から放たれた銃弾は、バイオレットの耳元を掠って端末のディスプレイにめり込んだ。
「貴様……なんのつもりだ!?」
咄嗟の判断で相手の銃身をつかみ、その狙いを乱したバイオレットが敵意も露わに相手を睨む。
黒服は無言。もう片方の手で懐からもう一丁の拳銃を取り出す。
それよりも先にバイオレットが動く。つかんだままだった銃身をもぎ取り、黒服を思い切り蹴り飛ばした。
床にもんどりうった黒服は、それでも膝立ちの態勢をとり、取り出した拳銃の照準をバイオレットに固定する。
再び、銃声。
数拍の間を置いて、黒服が構えた拳銃を取り落とす。そのまま──うつ伏せに倒れ、絶命。
心臓から流れ出す血がじわじわと周囲に広がっていく。
微かに硝煙の立ち昇る銃を手に、バイオレットが低くつぶやく。
「愚か者が……」
ひいっ、という小さな悲鳴を聞き、そちらを見ると──白衣の情報官が恐怖に歪んだ瞳でバイオレットを見ていた。
「おい……」
この状況の説明をしようとし、或いはこの状況の説明を求めて彼に声をかけるが──
なにを勘違いしたのか、情報官はさらに大きな悲鳴をあげて戸口へと駆け出す。
「待て──!」
それを追いかけようとするバイオレットだったが、
「ククク……」
死んだはずの黒服が顔を持ち上げて笑っているのを見、身体が強張る。
「馬鹿な……心臓を撃ち抜いたはず……」
「キースシリーズもESP能力者も、全て人類の敵に他ならない」
口の端から血を垂れ流し、明らかな死相を顔に浮かべながらも、そいつは異様なまでに明瞭な口調で述べていた。
「だから私は貴様たちを殺すのだ。そう、我が名は──」
ぱん。
バイオレットの二度目の銃撃が男の脳幹を破壊し、そこでようやく沈黙が訪れた。
注意深く経過を見守るが、再び声を発する気配はなし。
「……こいつが『犯人』ということか? だが、心臓を破壊されても活動できるとは……新型のサイボーグなのか?」
しばらく不気味なものでも見るように、その男の死体を眺めていたバイオレットは、ふと我に返る。
情報官はとっくにどこかへ逃げてしまっていた。
とにもかくにも、『犯人』がこの男だというのであれば、それを裏付けるための情報を集めなければならないだろう。
まずは逃げ去った情報官を捕まえ、事情を聞かなければならない。
彼はバイオレットが能力者のリストを外部に流出させたと思っているようだが、
それは彼女を陥れるための何者か(多分、今しがた射殺した男)による工作だろう。
その改竄された情報を発見した経緯を辿ることが、現時点で唯一の『犯人』の手掛かりだろう。
或いは、他にも『犯人』がいるのかも知れない。その全てを排除せねば、任務は終わらない。
端末室から足を踏み出したところで、銃声を聞きつけたと思しき警備兵がバイオレットへと駆け寄ってくる。
「どうしました、サー・バイオレット」
「叛乱分子を確認。わたしが射殺した。至急、このエリアを封鎖し、わたしの言う人物を確保しろ」
「了解しました」
そう言って、警備兵は手にした自動小銃のセーフティを解除する。
「その人物は本件の重要参考人だ。外見特徴は三十代半ばのユダヤ人で──おい、なにをしている!?」
異常に気付いたバイオレットが飛びのいた空間を、自動小銃の弾幕が薙いだ。
弾痕で穴だらけになった廊下に立つ警備兵がにやりと笑う。
その形相に、バイオレットは思わず息を呑んだ。
「ククク……」
先ほどの黒服とは人種も年齢もまったく違うのに──その貼り付いたようなにやにや笑いは、驚くほどそっくりだった。
「いけませんな、サー・バイオレット。人が話しているときに、銃弾を脳天に撃ち込むような真似は無礼ですぞ」
と、警備兵はまるでその現場を見ていたかのようなことを言う。
だが、その場にいたものは、バイオレットと射殺した黒服しかいなかったはずで……、
「どこまで話しましたかな……ああっと、そうそう、我が名は──」
わけの分からない焦燥に駆られ、バイオレットの二連射撃。
二発の銃弾がそれぞれ警備兵の眉間と口元に着弾した。
それこそ逃げるように、その場から離れる。背後で警備兵の倒れる音が聞こえたが、振り返りもしなかった。
(なんだ、これは……? なにが起こっているの?)
シルバーかブラックに連絡を取ろうと、上着のポケットから携帯電話を取り出しかけ、
「────!」
廊下の突き当たりで、女性研究員がこちらへ銃を向けていることに気付く。
「我が名はシモンズ……複数形のシモンズ。『熱心党』のシモンズ」
女性研究員の顔に貼り付く──さっきとまったく同じ、にやにや笑い。
エグリゴリの最高責任者であるキース・ブラックの執務室に、『そいつ』はいた。
「サー・ブラック。残念なお知らせがあります。貴方の妹君であるサー・バイオレットが、重大な機密漏洩を行っていることが発覚しました。
その上、彼女はエグリゴリの監視網にあるESP能力者を次々と殺害しています」
「ほう……」
その報告を受けるキース・ブラックは、どこか面白そうに口の端を歪ませる。
「事情聴取に向かった監査官を手に掛け、おまけに周囲に居合わせた職員・警備兵八人を殺害して逃走中です。
おそらく、次の犠牲者を求めてESP能力者の元へ向かったのでしょう。至急、彼女を追跡するための──」
「いや、その必要はないだろう」
中途で遮るブラックの声に、『そいつ』は怪訝そうに眉を寄せる。
「は? それは、どういう……」
「妹はそこにいる」
と、組んでいた手を解いて『そいつ』の背後を指差す。
それを追って振り返った『そいつ』の顔が、一瞬で驚愕の相を呈する。
腰に手を当て、辺り威風を払って立つ少女──セミロングのブロンド、エメラルド色の瞳、純血アーリア人種の彫像のような美貌──、
キース・バイオレットその人だった。
「……貴様が一連のESP能力者殺害の『犯人』だったというわけか──『熱心党』の『シモンズ』──その『本体』」
バイオレットの苛烈な瞳は、『そいつ』──白衣の研究者に向けられていた。
彼女が最初の『シモンズ』である黒服と接触したときに側にいた、あのユダヤ系の研究者へ。
「ば、馬鹿な……いったい、いつの間に……!?」
「わたしのARMS『マーチ・ヘア』にとっては容易いことよ。
そんなことより、貴様のことのほうが驚きだわ。まさか、エグリゴリの研究者の中にテレパシストがいたとはね」
「う、うう……」
「『熱心党』……イエス・キリスト時代に実在した、ユダヤ民族の被支配的構造からの脱却を目指した今で言うレジスタンス組織。
貴様はそれになぞらえて名乗っていたいたわけだな? そして重要な社会的地位にあるESP能力者を『支配階級』と看做して殺害していた」
鬱屈した笑みを浮かべて事態を見守るブラックの前で、バイオレットは淡々と語っている。
「だが……貴様それはただの被害(ヴィクティム)妄想だ。貴様が殺して回っていたESP能力者たち……
彼らは、普通人を『ESPを持たない』という理由で見下すことなどなかった」
『シモンズ』──いや、今は単数であるがゆえに──シモンは、わなわなと肩を震わせてバイオレットを凝視している。
そんな彼に、ゆっくりとだが着実に一歩一歩近づいていくバイオレット。
「このわたしをテレパシー能力で操作して、ママ・マリアの殺害を目論んでいたのか? わたしのヒトに対する劣等感を利用して?」
「フ……ククク……」
シモンが急に笑みを顔に浮かべる。
それはさんざん見た『シモンズ』とそっくりで、まさにその『オリジナル』だと実感できる、どうしようもなく下卑たにやにや笑いだった。
「それがどうした……! そうさ! 私は憎い! 『能力』を使って栄華を極める者たちが!
この私はこうして『能力』があることを押し殺して生きていかなければならなかったのに!
それもこれも、貴女たちキースのお陰だ! エグリゴリの非人道的実験を目の当たりしては、隠すしかないだろう!?」
開き直ってそんなことを述べるシモンを、やはりブラックは冷淡な微笑を浮かべて眺めている。
バイオレットもまた、顔色一つ変えずに彼へと歩み寄っている。
「私を殺すか? やれるものならやってみるといい!
だが──私のテレパシーによる催眠暗示能力には誰も抗えない! 貴方たちには兄妹同士で殺しあってもらうことにしましょうか!」
そんなシモンの雄叫びをあっという間に無意味なものに変える、ブラックのぼそりとした声。
「無駄だ。この部屋にはESP拮抗装置が作用している」
「なに──」
「私は最初から──お前がこの部屋に入る前から、お前を疑っていたということだ。サイモン・ゴールドバーグ研究員よ」
シモンは見る、ブラックの瞳に込められた明らかな侮蔑の色を、虫けらを見下すような容赦のない視線を。
「このキース・ブラックが、旧人類ごときの言葉を信じて、我が妹に咎を着せるはずがあるまい。違うか?」
「こ、この……ヒトの皮を被った怪物どもが……!」
顔面蒼白となって呟くシモンの前に、バイオレットが立つ。
そっと白い手を差し伸べ、彼の額に二指をあてがう。
そして、静かな声で、その言葉を肯定した。
「そうね……貴様の言うとおり、わたしはヒトではないのかも知れない。
だが……どれだけ滑稽でもいい。ごっこ遊びでもいい。ヒトになりきれぬ哀れな怪物で構わない。それでも……」
バチィッ、と爆ぜる音を立て、シモンの頭部が揺れる。
周囲に散布されたナノマシンが、微細だが人間の意識を奪うには十分な量の電撃を放った音だった。
「──わたしはヒトになりたい」
力なく倒れる哀れでちっぽけな人間へ、そっと呟いた。
ふと視線を外し、ブラックを見る。
初めて『マーチ・ヘア』を発動させたとき──あの途方もない虚無の中でなお、共に立ってくれた兄。
『感情』をこの手につかんだ今なら分かる。
あの時、手を差し伸べてくれたブラックに、例えようもない感謝の念を抱いていたことを。
「わたしは一人じゃない」と教えてくれたことが、嬉しかった。
これまで、彼女はブラックと、そしてシルバーと力を合わせ、エグリゴリを支えてきた。
それはこれからも変わらないだろう、でも──。
「ブラック兄さん。あなたと初めて会ったときのことを覚えていますか」
「無論だ。忘れるはずがない。私はお前を愛している。シルバーも、グリーンも、そしてレッドやセピアも、すべて愛すべき私の兄弟だ」
「わたしも、あなたを愛しています」
でも──わたしはあなたと違う道を進みます。
それが『アリス』の、キース・ブラックの定めたプログラムの中のものでしかないとしても。
もしかしたら、いつかは、その枠を乗り越えた『道』に辿り着けると信じて。
「あなたに言いつけられた任務は完了したわ、シルバー兄さん」
「……そうか」
街の雑踏の中の小さなオープンカフェで差し向かいに座る兄妹──バイオレットとシルバー。
アメリカ式ではない、まるで冗談かなんかのように濃いエスプレッソコーヒーを、シルバーは水でも飲むように口に運ぶ。
「それで? 『例の任務』を受ける覚悟は出来たのか?」
一方のバイオレットは、爽やかな香りを漂わせるハーブティーを、匂いそのものを食べるようにゆっくりと嗅いでいる。
「ええ。『エクスペリメンテーション・グリフォン』……その計画を第二段階へと移行させるトリガーは、このわたしの手で引きます」
「……フン。どうやら、前の腑抜けた状態からは回復したようだな」
つまらなさそうに鼻をならしてカップを置くシルバーへ、バイオレットはちょっと面白そうな口調で訊ねてみる。
「心配だったかしら?」
そこではじめて、シルバーはコーヒーのとんでもない苦さを感じたかのように顔をしかめる。
「馬鹿を言うな。オレがお前の心配をする必要がどこにある」
「あら、心配をしない必要もないんじゃなくて?」
「……そんな減らず口が叩けるのなら問題はないな」
そこで会話は途切れた。
だが、それも仕方ないだろう。意味のない茶飲み話に花を咲かせるような性格の持ち主ではない、お互いに。
これがレッドやセピア、グリーンなどだったら、歳相応の他愛ない話でもするのかも知れない、とバイオレットは少しだけ想像する。
「──は、──だ?」
いきなりのシルバーの発言を受け取り損ね、
「今、なんて?」
そう問い返すと、シルバーはますます苦いものでも飲んだように顔を歪ませた。
「茶の味はどうだ、と訊いている」
不覚にも、唖然とした。
こともあろうに、いや、人もあろうにキース・シルバーが茶飲み話そのものの話題を口にするとは──。
ここは笑うべきところなのだろうか?
笑いはこみ上げてはこなかったが、そうしたほうが良いと思って顔の筋肉を操作して微笑を浮かべる。
「良くわからないわ。少なくとも、美味いとは感じないわね。ハーブのレシピが悪いのかもしれないわ」
「そうか」
ぎこちない会話、ぎこちない微笑み。まるでマッド・ティー・パーティーごっこ。
だが、いつかは心からこうして、兄弟とお茶に興じることのできる日が来るのかも知れない。
それも、ママ・マリアから与えられたささやかな『希望』だった。
その思いとともにハーブティーを飲み干し、席を立つ。
再び、彼女に会いに行くために。彼女に話したいこと、聞いて欲しいことはまだまだあった。
「じゃあ、失礼するわ、シルバー兄さん」
そこでシルバーが物言いたげにバイオレットを見るが、結局なにも言わないので、彼女はそのまま街の雑踏へと姿を消した。
その後姿を見送りながら──誰にも聞こえぬシルバーの呟き。
「……自分の勘定を払わずに行くのか、バイオレットよ」
番外話 『紫』 了
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