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「シュガーハート&ヴァニラソウル 53-3」(2008/01/12 (土) 12:41:17) の最新版変更点
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ニューヨーク・マンハッタン島──カリヨンタワー。
その情報管理セクションの一室で、ひっそりと端末を操作するハイティーンの少女がいた。
照明の消された室内、ディスプレイの発する光だけが彼女の頬を青白く照らしている。
ふと、キーボードを叩く手を休め、傍らに置かれたティーカップに口をつける。
「……やはり、エグリゴリのデータバンクが外部からの侵入を受けた形跡はないか。
ESP能力者を殺して回っている『犯人』は……エグリゴリ内部の者ということかしら」
少女──バイオレットは誰に言うでもなく、その推論を口に上らせた。
やがて疲れたように首を振り、瞳を閉じて椅子の背もたれに体重を預ける。
掌で包み込むようにカップを持ち、その熱に浸る。
「わたしは……わたしたちは、いったいなにをやっているのだろうな……」
ある一つの目的のために、世界中のすべてを巻き込んで不気味な回転を続ける組織──『エグリゴリ』。
その活動の全体を把握しているのは、バイオレットの兄にしてエグリゴリ最高責任者であるキース・ブラックのみで、
その他の全ての構成員は、それぞれ断片的な情報しか与えられていない。
「ブラック兄さん……あなたはなにを考えているの……?」
今、バイオレットがこうして任務に従事していても、それが本当はどんな意味を持っているのか、
エグリゴリの最重要計画『プログラム・ジャバウォック』に対してどんな影響を与えるのか、
自分はエグリゴリの中でどんな役割を演じることになっているのか──少しも想像できない。
その途方も無く巨大な機構に身を置いていると、自分の価値というものがまるで無意味なように思えてくる。
まるで自分が、取替えのつく部品のようで──。
バイオレットは今でも夢に見る。
ナノマシン群体兵器である『ARMS』を身体に移植するため、各種クローニング処理を施された上で生まれたキース・バイオレットが──
その身に宿したARMS『マーチ・ヘア』の機能を発現させたときのことを。
そこには、途方もない虚無があった。
ほんの数秒前までは『人間だった』研究員たちの肉塊の山──半壊した施設──燃え盛る火炎の海。
(ワタシハダレ?)
この状況をもたらしのが自分ならば──この虚無をこの世界に押し広げるのが自分の生きる意味であるのなら──、
自分はいったい何者であるのか。
エグリゴリという一個の運動装置は、自分をどこに連れて行こうというのか。
(ワタシハダレ? アナタハダレ?)
バイオレットは、目の前に立つ自分とそっくりな──虚無の世界の中に平然と立つ、まさしく虚無の権化のような少年へ、思わず訊ねていた。
(あの時……ブラック兄さんはなんと答えたのだったかしら)
紅茶を再び口に含むが、まるで味を感じなかった。なにか喉に引っかかるような感じがして、つい眉をしかめる。
「この紅茶も不味いわね……」
溜め息とともに、ティーカップをソーサーに置く。
これからしなければならないこと──任務に思いを馳せるが、なぜか行動に移る気が起こらず、
椅子に深く腰掛けたままで別のことを考える。
それは弟と妹のことだった。
レッド、グリーン、セピアたち……キースシリーズの次兄であるシルバーが『出来損ない』と評した子ら。
バイオレットから見ても、確かに彼らはどこかが違っていた。
感情過多で、失敗を犯しやすく……それこそ、『人間』のような子供たち。
バイオレットを含む「上の」キースシリーズたちの冷淡な態度とは似ても似つかない言動。
彼らの持つキースらしからぬ欠陥性こそが……いわゆる『心』というものではないだろうか。
だとしたら──その「欠陥」を持ちえぬ自分には、やはり……。
ふと、バイオレットは端末のキーを叩き、あるファイルを呼び出す。
そこに記されている個人情報をじっと見つめる。
『ママ・マリア』──ブラックハーレムに住む老婆。
『リーディング』と呼ばれる接触観応能力の持ち主で……人の『心』を読む女性。
バイオレットは、これから彼女を護りにいかなければならない。
ESP能力者を狩る『犯人』お特定するためにも。だが──。
なんとなく気が進まないことをバイオレットは自覚していた。
それはきっと、彼女に会うことで「自分には心が無い」ことを看破されるのを怖れているからだろう。
「……なにを考えているんだ、わたしは。──馬鹿馬鹿しい」
苛立たしげにファイルを閉じる。
すっかりぬるくなった紅茶を飲み干し、再び端末に向かったとき、室内の照明が点けられた。
「こんなところでなにをしておいでですか? サー・バイオレット?」
振り返ると、戸口に二人の男が立っていた。
一人は情報官らしき白衣の男で、もう一人は黒服のエージェントだった。
おどおどとした感じの情報官とは対照的に、黒服の男は鋭い視線でバイオレットを見ていた。
「……任務に必要な情報照会だ。お前たちには関係ない」
根拠のない不穏な空気を感じ取ったバイオレットは冷たい声音で応え、顔はそちらに向けたままで端末を操作して全てのファイルを閉じる。
その動作を見咎めるように、黒服の男が一歩近づく。
「今、なにを? 見られてまずいものでもあったのですか?」
「関係ないと言っている。貴様の所属はどこだ? なんの権限があって、シークレットエージェントであるわたしの行動に干渉する?」
奇妙な場の緊張が、徐々に高まっていく。
なにかがおかしかった。
黒服の男の態度は、まるでバイオレットがなにかの「悪いこと」に手を染めているとでも言いたげで──、
「関係はありますよ」
「……なに?」
「貴女に機密漏洩の嫌疑が掛けられています、サー・バイオレット。
貴女のIDで超心理学部門の監視リストが外部に流出された形跡のあることを、彼が発見しました」
「なにを言っている? わたしが……なにをしたって?」
「どうか大人しく事情聴取を受けていただけませんか?」
と、歩み寄る黒服がバイオレットの腕を掴んだ。
「気安くわたしに触るな!」
反射的に振り払った手が黒服の頬を打ち、彼はわずかに後ろに仰け反った。
しまった、という悔恨がバイオレットを襲う。ここで強硬な態度に出る必要は少しも無かった。
だが──、
「……ククク」
黒服がにやりと笑ったことで、それとはまったく別の……戦慄が取って代わってバイオレットを打つ。
「貴女たちキースシリーズはいつもそうだ……いつだって傲慢で、自己中心的で……自分だけが正しいと思っている」
そう言いながら懐に手を差し込み、
「だから……死ぬべきだ」
そんな唐突な言葉を吐いて、次の瞬間には右手に握った拳銃をバイオレットに向けて撃っていた。
ぱん、と乾いた音がする。
銃口から放たれた銃弾は、バイオレットの耳元を掠って端末のディスプレイにめり込んだ。
「貴様……なんのつもりだ!?」
咄嗟の判断で相手の銃身をつかみ、その狙いを乱したバイオレットが敵意も露わに相手を睨む。
黒服は無言。もう片方の手で懐からもう一丁の拳銃を取り出す。
それよりも先にバイオレットが動く。つかんだままだった銃身をもぎ取り、黒服を思い切り蹴り飛ばした。
床にもんどりうった黒服は、それでも膝立ちの態勢をとり、取り出した拳銃の照準をバイオレットに固定する。
再び、銃声。
数拍の間を置いて、黒服が構えた拳銃を取り落とす。そのまま──うつ伏せに倒れ、絶命。
心臓から流れ出す血がじわじわと周囲に広がっていく。
微かに硝煙の立ち昇る銃を手に、バイオレットが低くつぶやく。
「愚か者が……」
ひいっ、という小さな悲鳴を聞き、そちらを見ると──白衣の情報官が恐怖に歪んだ瞳でバイオレットを見ていた。
「おい……」
この状況の説明をしようとし、或いはこの状況の説明を求めて彼に声をかけるが──
なにを勘違いしたのか、情報官はさらに大きな悲鳴をあげて戸口へと駆け出す。
「待て──!」
それを追いかけようとするバイオレットだったが、
「ククク……」
死んだはずの黒服が顔を持ち上げて笑っているのを見、身体が強張る。
「馬鹿な……心臓を撃ち抜いたはず……」
「キースシリーズもESP能力者も、全て人類の敵に他ならない」
口の端から血を垂れ流し、明らかな死相を顔に浮かべながらも、そいつは異様なまでに明瞭な口調で述べていた。
「だから私は貴様たちを殺すのだ。そう、我が名は──」
ぱん。
バイオレットの二度目の銃撃が男の脳幹を破壊し、そこでようやく沈黙が訪れた。
注意深く経過を見守るが、再び声を発する気配はなし。
「……こいつが『犯人』ということか? だが、心臓を破壊されても活動できるとは……新型のサイボーグなのか?」
しばらく不気味なものでも見るように、その男の死体を眺めていたバイオレットは、ふと我に返る。
情報官はとっくにどこかへ逃げてしまっていた。
とにもかくにも、『犯人』がこの男だというのであれば、それを裏付けるための情報を集めなければならないだろう。
まずは逃げ去った情報官を捕まえ、事情を聞かなければならない。
彼はバイオレットが能力者のリストを外部に流出させたと思っているようだが、
それは彼女を陥れるための何者か(多分、今しがた射殺した男)による工作だろう。
その改竄された情報を発見した経緯を辿ることが、現時点で唯一の『犯人』の手掛かりだろう。
或いは、他にも『犯人』がいるのかも知れない。その全てを排除せねば、任務は終わらない。
端末室から足を踏み出したところで、銃声を聞きつけたと思しき警備兵がバイオレットへと駆け寄ってくる。
「どうしました、サー・バイオレット」
「叛乱分子を確認。わたしが射殺した。至急、このエリアを封鎖し、わたしの言う人物を確保しろ」
「了解しました」
そう言って、警備兵は手にした自動小銃のセーフティを解除する。
「その人物は本件の重要参考人だ。外見特徴は三十代半ばのユダヤ人で──おい、なにをしている!?」
異常に気付いたバイオレットが飛びのいた空間を、自動小銃の弾幕が薙いだ。
弾痕で穴だらけになった廊下に立つ警備兵がにやりと笑う。
その形相に、バイオレットは思わず息を呑んだ。
「ククク……」
先ほどの黒服とは人種も年齢もまったく違うのに──その貼り付いたようなにやにや笑いは、驚くほどそっくりだった。
「いけませんな、サー・バイオレット。人が話しているときに、銃弾を脳天に撃ち込むような真似は無礼ですぞ」
と、警備兵はまるでその現場を見ていたかのようなことを言う。
だが、その場にいたものは、バイオレットと射殺した黒服しかいなかったはずで……、
「どこまで話しましたかな……ああっと、そうそう、我が名は──」
わけの分からない焦燥に駆られ、バイオレットの二連射撃。
二発の銃弾がそれぞれ警備兵の眉間と口元に着弾した。
それこそ逃げるように、その場から離れる。背後で警備兵の倒れる音が聞こえたが、振り返りもしなかった。
(なんだ、これは……? なにが起こっているの?)
シルバーかブラックに連絡を取ろうと、上着のポケットから携帯電話を取り出しかけ、
「────!」
廊下の突き当たりで、女性研究員がこちらへ銃を向けていることに気付く。
「我が名はシモンズ……複数形のシモンズ。『熱心党』のシモンズ」
女性研究員の顔に貼り付く──さっきとまったく同じ、にやにや笑い。
夏の爽やかな朝にかすれた歌声が響き渡る。
“彼女は殺し屋ァ──、女王ゥゥ──、火薬ゥ寒天爆弾──”
そんな、初夏らしい爽やかさなど微塵もない代物を熱唱するのは、航の『スタンド』──『メタル・グゥルー』。
『スタンド』の存在は『スタンド使い』にしか知覚できない。
ために、航は一人でその調子っぱずれな歌を聞かなければならなく──それがなんとも腹立たしかった。
“上手な光線銃でェ──、男をいちころォォ──”
思わず知らず、溜め息が漏れる。
「朝っぱらから変なの歌ってんじゃねーよ……」
“いやー、歌って本当にいいものですねぇ。けけけ”
とかなんとか、どこまでも能天気な物言いに突っ込みを入れる。
「……渚カヲルかよ」
“淀川長治だ、このオタク野郎。ネタ元くらい正確に特定しろ”
「知らねえよ、そんなの……」
航には以前からある『願望』があった。
それはひとつの変身願望であり、「全体に埋没する無個性な自分から、特別な『なにか』になりたい」という一種の超人願望でもあった。
その願望は、謎めく転校生である李小狼と木之本桜と友人になり、おまけに『スタンド能力』に目覚めることで十分に叶ったと言っていい。
だが──本当にそうなのだろうか?
特別なのはこの傲慢な背後霊『メタル・グゥルー』だけで、自身は昨日までの自分と何一つ変わっていないのではないだろうか。
そんな航の懊悩などとは無関係そうに、『メタル・グゥルー』が話しかけてくる。
“どーしたよ、馬鹿弟子。こんな気分のいい朝にシケたツラしてんじゃねー”
「気分がいいのはお前だけだっつの。大事にしてたプラモ壊されりゃ誰だって気分悪くなるよ」
昨夜のことを根に持ち、そんな恨み言を口にする、と、
“──いや、あれはあれでお前の意思だぜ。俺様はただてめえの気分を代行してやっただけだ”
などと、およそ意味不明のことをのたまいだした。
「ふざけんなよ。大事にしてたって言ってるだろ」
“そりゃ分かるがな……いくら俺様でもてめーの意思に反することなんざしねえよ。
お前は、本当はあれを壊したかったんだ──こいつを見てみろ。これをどう思う?”
『メタル・グゥルー』の蟹鋏のような手が航の鞄の中に突っ込まれ、そこから数冊の参考書が取り出される。
それは昨日、例のプラモとともに両断された物だった。
いや──『両断された』というは錯覚だったのだろう。
なぜなら、目の前のそれは、両断どころか引っかき傷ひとつない状態で買ったばかりの小奇麗さを保っていたからだ。
だが、しかし……、
「これ……昨日、お前がちょん切ってなかったか?」
“いーや、今の俺様じゃあこいつを叩き斬ることなんざぁできないぜ”
「でもプラモはブッ壊したじゃんよ」
航の不可思議そうな返答に、『メタル・グゥルー』は意を得たりと頷き返す。
“そこよ。そこが俺様の『能力』のキモだ。てめーはあのクソくだらねープラモを後生大事にしてた。
が、その半面でこんな風にも思ってたんだろーよ。『来年は受験だし、そろそろプラモも卒業かも』、ってな。
なのに意志薄弱なてめーはその考えを惰性で押し流して、真面目に勉強に取り組もうとしていなかった。
それが、プラモを破壊できて参考書を破壊できなかった理由だ”
そんなの憶測の決め付けだ、と喉まで出掛かるが、どうしてもそう言ってやることができなかった。
それどころか、まるで「図星を指された」かのような後ろめたさに見舞われる。
「……結局、お前の『能力』ってのはなんなんだよ。『大事なものを壊す』ってのが『能力』なのか?」
“ある面では、その解釈は正しいぜ。──俺様の『能力』は、物体の『限界』を見極める『能力』だ。
どんなものも等しく内包する、ちょっと突っついたら全てがおじゃんになってしまうギリギリの……『限界』だ。
『死』とか『運命』とか言い換えてもいい。永遠に存在するものなんてこの世にゃねーよ。
いつかは必ず壊れちまうんだが……じゃあ、その『いつか』ってのは『いつ』だ? 誰が決めている?”
この辺で、航の理解力は振り切られた。
『メタル・グゥルー』がなにを言っているのか、本気で分からなくなる。
“そう、誰もそんなこと決めてはくれねーんだ。ただ『いつかは限界が来る』ってことだけが厳然と決定しているだけでな。
その『時期』が来たら勝手に壊れるなんてこたぁ全然なくて、『誰か』が『限界』に至る一撃を加えなけりゃ、それはずっとそのままさ。
逆を言えば、この世のあらゆる物は常に待っている──ありとあらゆる『可能性』の試行錯誤の果てに、『限界』が世界の表面に浮かぶそのときを、な。
『限界』を迎えることで、そいつは存在を初めてまっとう出来るっつー理屈だ。
『いつか』なんて曖昧な概念じゃなく、『なにか』っていう明確な『力』が自分自身を破壊してくれるのを、この世界はいつだって待っているんだぜ”
『メタル・グゥルー』の話はいよいよ韜晦を極めてきて、いったいなんの話をしているのかすら航にとっては怪しくなる。
“そして、この俺様……つうか、てめーの『能力』は、この世に千の具象あればそこに潜む千の『限界』を直視できる。
そして、『最後の一撃』を加えることで、そいつを問答無用で破壊できる、っつー最悪の『能力』だ。
ただ、そいつにゃぁ一つ『条件』がある──他ならぬてめー自身が、そいつの『価値』を理解することだ。
かの天才ミケランジェロは石塊に隠された『運命の姿』を知ることで超一級の彫刻を幾つも創ったというが──、
てめーにも、それに近いものが要求されれるだろーよ。頭でなく、心でなく、魂で対象の『価値』を『理解』しなけりゃ、『限界』は見出せねえ。
チョコレート・ケーキの最後の一焼きを加えるには、チョコレート・ケーキの『真実の姿』を知ってなきゃいけねーのさ”
──ここまで述べつくして、『メタル・グゥルー』はやっと長広舌を終わらせた。
航はなにも言えなかった。言えるはずがなかった。
“……おい、俺様の言ったこと、理解できたか?”
力いっぱい左右に首を振る。
「だはぁ」という、心底から呆れたような、軽蔑を隠そうともしない、銀紙をこすり合わせたような声。
“ったくよ、俺もとんだ馬鹿弟子を持っちまったもんだよな。仕方ねえ……今から俺様が言うことだけ、良く心に刻んでおけ。
──『メタリック』なものを求めろ。それが、てめーの目に見える『限界』の表現だ。
これからてめーがどんな『道』を選び、どんな方法で『世界の終わり』に臨むとしても、それだけは変わらない。
カラスが銀ピカものを集めるのと同じさ。やつらは『なんだか知らないけどこいつは素晴らしいものだ』って知ってやがる。
今はプラモとかある意味くだらねーものしか『メタリック』に見えないだろーが、てめーの『能力』……『魂』が生長するに従って、
『巨大なもの』『形のないもの』すらもメタリックに見えてくるはずだ。
そーして、いつかてめーの『世界』が『メタリック』なものに満たされたとき……それが、『世界の終わる合図』だ”
「──ふーん、なるほど。あんたの『スタンド』、『メタル・グゥルー』はそう言ったワケね?」
私立ぶどうヶ丘学園──その高等部校舎の保健室。
『メタル・グゥルー』の電波過ぎる話の持っていく先として南方航が選んだのは、
先日のとある騒動をきっかけに知り合った女子高生、遠野十和子だった。
実を言うと、同じ『スタンド使い』である静・ジョースターに相談しようとしたのだったが、
彼女を探して保健室を訪れた際に十和子に捕まり、
「あ、静なら今日は遅刻よ。いやなに、ちょっと警察にね。話ならあたしが聞いてあげるわ。
──え? 『なんで警察に』? そんなことはあんたに関係ないでしょーが。それともなに?
あんた、あの子と『関係』持ちたいわけ? ……おっと、ちょっとおっさん臭かったかな。こりゃ失敬。
まー、いいから話してみなよ」
……などと、半ば強引に白状させられ、今に至る。
「しっかし……『スタンド』が『精神の才能』だってんなら、あんたってば相当の危険人物なのねえ。
そんな冴えねーツラしといて世界征服とか企んでんのかよ」
「いや、別に世界征服は。つーか、冴えねーって……」
「どっちだっていいけどさ。あんた、もっと危機意識持ったほうがいいんじゃないの?
だってそうでしょ? 本人の『意思』から外れて、いわば『暴走』してる『スタンド』なんて極めつけに危険だわ」
「まあ、そうですけど」
プラモデルを壊したことに関して言えば、『メタル・グゥルー』は「航自身もそう望んでいた」というようなことを仄めかしていたが、
それを伝えると話がややこしくなりそうだったので、あえて黙っておくことにする。
「でも、僕はロマンのある話だと思うけどな」
古ぼけたテーブルに差し向かいで座る十和子と航に茶を出してそう言ったのは、秋月貴也という男子生徒で、
どうやら彼は十和子の同級生のようだった。
「はあぁ? 今のどこにロマンがあるっての?」
わざとらしくしかめっ面をしながら番茶をすする十和子。
そのぶっきらぼうな態度を軽くいなすように貴也は笑ってみせ、自分の湯飲みを持って航の隣に腰掛けた。
「その『スタンド能力』というのは僕には眉唾ものだけどさ……要するに、君は物事の『一番美しい姿』を見ることができるんだろ?
それは良いことだと思うけど。『壊したくない』って思うなら壊さなきゃいいわけだし」
「はっ、お気楽だわね、秋月ちゃん。あんた長生きするわ」
「だといいけどね。……あ、南方くん。遠慮しないでお茶どうぞ。初佳さ……五十嵐先生は用事だけど、代わりに僕が留守を預かってるから」
彼の人懐っこそうで柔和な笑みに勧められるまま、航は彼の淹れた茶を口に運ぶ。
「なんにせよ、南方。あんた、しばらくはこまめに保健室に顔を出しなさいよ。あたしか静か……そうじゃなくても誰かしらが待ってるから。
そいつが大法螺吹いてるうちはともかく、実際に『世界の終わり』とやらに向けてアクション取るなら、こっちだって対策を練らなきゃでしょ」
特に反対する理由も思いつかず、航は湯飲みに口をつけながら首肯する。
というか……むしろ十和子の言い草はなんか『秘密基地』めいていて、航の好奇心を刺激していた。
「やれやれだわ。『炎の魔女』に『羽』に『メタル・グゥルー』、か……あーぁ、世界ってばどーしてこんなに危機一髪なんでしょーね」
十和子は「ふわぁ」と欠伸交じりに伸びをして立ち上がる。
その仕草が航にはなぜだか眩しく見えて、つい目を逸らした。
「あー……ダメだわ。昨日完徹したからもう限界。秋月、ベッド借りるわよ」
言うなり、返事も待たずにもそもそとシーツの隙間に潜り込んでいった。
「夜遊びか、遠野さん」
「うるせーわよ。あんたにだきゃあ言われたくないわ」
「は?」
「いーの。おやすみ。五秒で寝るけど──イタズラしたら殺すからね」
ふらふら振った手がぱたりと落ちた数秒後には、宣言どおりにすうすうと安らかな寝息を立て始めた。
器用な人だな、のび太みたいだ──と、航はちょっと感心してしまう。
この部屋で一番騒がしかった人物が急に沈黙したことで、あたりは驚くほどの静寂に包まれる。
なんとなくの居心地の悪さを感じる航だったが、隣の貴也という先輩は特に気にするでもなく、のんびりと茶を飲んでいた。
「──黙っていれば、可愛いのにな」
いきなりの発言に、航が飲みかけの湯飲みを取り落としそうになる。
「え? な、なにがすか」
「遠野さんだよ。彼女、うちの学年では有名人でね──遠からんは『とんでもない美人』、近くば『とんでもない変人』、ってさ」
「秋月先輩は……遠野先輩のこと、好きなんですか」
航の質問に、貴也は一瞬きょとんとし、ややあってから「ぷっ」と吹き出した。
「まさか。いや、別に彼女に魅力がないとは言わないけど、僕には付き合ってる人、いるから」
その何気ない一言に、なぜか航は「負けた」という感想を抱いてしまう。
「……いるんすか」
「うん、まあ」
気を使っているのか、貴也が「じゃあ君は?」とかその類の質問をせず、それもそれでちょっと悔しいと思う。
その空気をも察したのだろう、彼は「あ、そうだ」と席を立ち、デスクの上の引き出しから数枚のプリントを持ってきた。
「君……確か、二年B組だったよね? この人の住所、知ってるかな? 君と同じクラスのはずなんだけど。
渡さなきゃいけないプリントがあるんだけど、この人、ここしばらく学校に来てないみたいだから」
プリントに貼られた付箋に記された名前は、航の記憶には無かった。いや──字面には見覚えがあるような気がする。
そういえばこんな名前のようなやつがいたかも──だが、どこかで頻繁にこの名前を耳にしたような……。
そこまで考えて、航の脳裏に思い当たるものがある。
「こいつ……登校拒否してるやつじゃないすか?」
頻繁に耳に入ってるのは、出欠確認時に欠席者として名が挙がるから──。
「うん……まあ、以前はいわゆる保健室登校をしてたんだけど、ここ数日は学校自体に来てないみたいだ。
もし良かったら、このプリントを届けてあげてくれないかな? 郵便受けに入れてくれるだけでもいいんだ」
(うぜえ……)
というのが、航の率直な所感だった。
だが、馬鹿正直にそう言って断るものも大人げないような気がして、返答に詰まる。
「ダメかな?」
意を決して断ろうとしたそのとき、昼休みの終了を告げる予鈴が校内に響き渡る。
その騒音に出鼻を挫かれた航は、うやむやのままにプリントを受け取る。もとより釈然とはしてなかった。
「ありがとう。よろしくな」
「はあ、分かりました」
ちょっと不満そうに答えつつも、仕方なくプリントを手に保健室を後にする。
冷房の効いた室内から急に表に出たので、無性に空気が暑苦しく感じられる。
十和子はまだベッドで寝たままだが授業に出なくていいのだろうかと、どうでもいいことが思考に浮かぶ。
「南方くん」
十数メートルほど歩いたところで呼び止められる。
振り返ると、保健室の戸口に貴也が立っていた。
「君の『メタル・グゥルー』……遠野十和子はあんな風に君の『才能』を評したが、それに引きずられてはいけない。
彼女の言っていることは『正しい』。だが、君の『才能』は未だ発展途上だ。そうならない『可能性』だってあると思わないかね?
いくら危険な『能力』だからとて、君自身が『可能性』の幅を狭める必要はないはずだ」
さっきとは異なる硬質な声の響きや、まるで明治の書生かなんかのような時代掛かった口ぶりに、航はわずかに面食らう。
この距離からでは表情がよく読めないので、彼が本気なのか冗談で言ってるのかすら分からない。
「もちろん、楽観的に君の『才能』を捉えるのもよくないがね。『崩壊のビート』はいつだって全ての者の目の前に口を開けて待ち構えている。
君がその陥穽に足を取られ、取り返しのつかない『ビート』の『向こう側』へと行ってしまわないことを──祈っているよ」
言い終えると、彼はすぐさま保健室に引っ込んでしまう。
呆気に取られた航はしばし廊下に立ち尽くす──まもなく開始される授業のために、生徒も教師も慌しく廊下を行き来していた。
窓からは目の眩むような日光が差し込んでいた。じわりと汗が背中ににじむ。
そろそろ本格的に夏が始まるのだと、徐々に茹りつつある脳味噌で思った。
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