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「シュガーハート&ヴァニラソウル 52-7」(2007/12/24 (月) 10:33:40) の最新版変更点
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『液状と透明 ⑧』
視界が開けた。
星が天を埋め尽くす夜空の下で、そいつはひっそりと立っていた。
決して届かぬ虚空に思いを馳せるように、煌く空を眺めていたそいつは、今しがた校舎屋上に飛び出してきた少年に振り返る。
「あら、ユージン。私とお茶をしに来た──ってわけじゃなさそうね」
そいつ──星火の微笑みを無視し、ユージンはつかつかと歩み寄る。
膝を沈めて跳躍、回転が加えられた態勢から横薙ぎに胴を狙う蹴り。
するりと後退し、難なく避ける星火の顔には、いまだ笑みが浮かんだまま。
「言わなかったかしら? 私は未来が『見える』のよ? 無駄だって分からない?」
やはりユージンは答えない。
答えの代わりというわけか、冷たい視線を真正面から送る。
「怖い目……なにをそんなに苛立っているのかしら」
無言。
「やれやれ……少し、痛い目を見てもらうしかないのかしら? ねえ?」
星火の微笑が微妙な変化をみせる。手頃な獲物を見つけた猫科肉食獣の笑み。
ユージンは思い出す。
かつて自分が、世界を裏から支配する巨大なシステム『統和機構』のエージェントだった頃のことを。
中枢(アクシズ)の指令を受け、数多くの『進化しすぎた人間』たるMPLS、合成人間、そして普通人を殺害してきた。
その頃は、自分がこういう状況に陥ることなど考えもしなかった。
まず自分が統和機構を『裏切る』という発想すら存在しなかった。
世界を回すシステムの、「あったら使うけどなくても別に困らない」歯車の一部──だいたいそんな風に自分を認識していた。
そして今になって思い出す──ユージンの元『同僚』にして元『相棒』の、『最強』の名を冠する男の言葉を。
『お前、考えたことはねーか?』
「なんのことだ?」と問い返すユージンに、そいつは言った。
『世界が裏返ってしまって、全てが自分に牙を向くときのことを、よ──』
ひときわ大きな音を立て、ユージンの細い身体がフェンスに叩きつけられた。
夜風が緩やかに、前のめりに倒れた彼の身体を撫でて通り過ぎてゆく。
その風に乗って、歌うような囁き声。
「ふふ、いいザマね。どんな気分? 単式戦闘タイプの合成人間にしてB9にランクしていたあなたが、
こうして無様にも地面に転がっているってのは」
傷付いた手足を無理に動かし、おぼつかなくも立ち上がる。
「……どうということもない。これは単なる『過程』だ。貴様を足止めし、あの少女の元へ行かせないためのな」
「ふん、あの子を守る王子様ってわけ? でも残念ね。それはまるきりの無駄と言うものよ。
今は私が『遊んで』やってるだけで、実際のところ足止めにもなっていないのだし、
それに……あの子、きっと貴方を怖がっているわ。そんな貴方があの子の役に立てるつもりなの?」
「関係ない。僕は自分の目的のためにこうしているだけだ」
思い出す。
『僕は誰かの役に立ったりするなんて一生ないだろう』
ユージンの投げやりな言葉に、そいつはこう返してきた。
『だがお前はそんなことを言っているが、結局はお前の内部で鳴っている音楽に導かれて、結局はなにかをする羽目になる』
思い返すに、そいつはとても奇妙な男だった。
勝手にこちらを友達扱いし、暑苦しいくらいに馴れ馴れしい『そいつ』──。
彼の視線はどこか遠くを見通していたような気がする。
自分が所属している統和機構のことなどまるで眼中にないような──。
助走を付けて加速し、そのスピードを腕に乗せて星火へ向ける。
(フォルテッシモ……君は僕がいつかこうなることを見通していたのか?)
だが……。
満身創痍のユージンの繰り出す拳は、もはや誰の目にも捉えられるほどの速度しか出し得なかった。
それこそ『予知』の力など必要ともせず、星火はそれを受け止めて無造作に足を払う。
つんのめって膝をつくユージン。数瞬後に、肩から床に落ちる。
(音楽なんて……聞こえないさ)
182 名前: シュガーハート&ヴァニラソウル [sage] 投稿日: 2007/11/13(火) 14:56:53 ID:BnJqkpgy0
頭上から降り注ぐ楽しげな声。
「不思議ね……なんで貴方はそんなにもムキになっているのかしら。
そろそろ行かなきゃいけないのだけれど……どうして貴方は統和機構を『裏切っ』たの?
裏切り者同士のよしみでこっそり教えてくれないかしら? そしたら命だけは助けてあげてもいいわよ? んん?」
心の中で、なにか風の音が鳴いたような気がした。
その風の細い響きは、次第に大きく膨れ上がっていく。
『ごお……ごおおお……』
聞こえる──。
かつて聞いた『未来』の声が。
天色優こと合成人間ユージンを、数奇な運命の果てに『ここ』まで連れてきた、そのメカニズムの発端が。
ごうごうと鳴る風は、やがてか細い少女の声へと移り変わった。
『もしも……世界をその手にしたいのなら……わたしを殺せば……それが出来る』
ユージンは今こそ思い出す。
自分が統和機構を裏切ったその理由を。
その時のユージンの任務はMPLS──『進化しすぎた人間』を探索して抹殺することだった。
そうした人種を炙り出すために仕掛けた罠は、ビルの屋上に放置した札束入りのバッグ。
その誰も知らないはずの『それ』に辿り着く者こそが、見えないはずのものを見、出来ないはずのことをことをする『MPLS』だと信じて。
そして現れたのは、五人の少年少女。
それが抹殺対象。
だったのだが──。
『あなた、名前は?』
なにを勘違いしたのか、彼らはそこにいたユージンに手を差し伸べた。
きっと、自分たちの『同類』だと思ったのだろう。
しかし、それでも──、
『天色優……です』
誰かに心からの笑顔を向けられるなど、彼にとって初めての体験だった。
床に伏しながらもがくように伸ばされた手が、星火の足首をつかむ。
「なに──」
全身を走る狼狽がユージンにも伝わる。
「は、放しなさい!」
放すはずがなかった。
たとえこの身がばらばらになろうとも──、
「ここまで接近していては貴様の『予知』とやらも用を為すまい!」
残る死力を振り絞り、腕を思い切り振る。
その勢いに流され、宙に舞う星火の身体。
それを追って跳ね起き、腰から抱きとめる。そのまま疾走。
「な、なにを──」
「未来が『見える』んだろう? そうすればいい」
だがもちろん、そんな余裕を与えるつもりはなかった。
屋上を囲むフェンスに開いていた、人ひとり通るのがやっとといった穴に無理やり身体を押し込み、
「ま──」
星火もろとも、ユージンは夏の夜空に躍り出た。
廊下に横たわる、文字通りの死屍累々。その中に立つ黒い影と白い影。
「くそったれ、これで全部ノしたのか?」
「みたいだねー」
朗らかに笑うファイをジト目で睨み、不服そうに唾を吐く黒鋼。
「しかしなんなんだ、こいつらは。どう見ても死んでるくせに動くってのは尋常じゃねえぞ」
「あのお姉さんは『墓守』って言ってたけどー?」
そのとき、廊下の窓の外を『なにか』が上から下へ横切る。
それは人間の輪郭をしているように見えた。
たった一瞬のその影を、驚くべき動体視力で見定めた黒鋼の叫び。
「優!」
珍しく真面目な口調でファイが言う。
「表だね。行こう、黒さま」
校舎脇の花壇に落下した二人のうち、先に立ち上がったのは星火だった。
「く……」
落下の衝撃で損傷したのか、右腕をかばいながらよろよろと校舎の壁に背を預ける。
「なんなの、こいつ……イカれてるわ……」
信じがたいものを見るような、かすかに恐怖の混じった視線で動かないユージンを見下ろす。
「こんなことをしてなんになると言うの……こんな捨て身のやりかたで、未来が『見える』この私に勝てるつもりなの……?
無駄に決まってるじゃない。ちゃあんと私には『見え』たわ。落下の瞬間がね。だから──」
「──『だから受身を取ってダメージを最小限に抑えた』とでも言いたいのか?」
ぴくりとも動かなかったユージンが、おもむろに顔を上げた。
そこに浮かぶのは──どこまでも静かで、どこまでも涼やかな表情。
「いや、実際さすがと言うべきだ……。僕は貴様の身体をクッションにしようとしていたが、
貴様はその『能力』でそれを察知したのだろう。見事に逆手に取られてしまったようだ」
星火とは比べ物にならないボロボロな状態で、それでも、なにか得体の知れない不敵さを漂わせて立つ。
「だが、これではっきりした。貴様は『予知能力者』ではないと」
その言葉に、星火は心底不可解な顔でユージンを見つめる。
本当に、彼がなにを言っているのか理解できていない、という風に。
「もしも貴様が未来のヴィジョンが見える能力を持っていて、しかもそれを比較的自在に発現できるのなら──この状況をどう説明する?
屋上から敵と心中する、なんて危機はなんとしてでも事前に回避すべきことではないのか?」
おぼろげながら理解しつつある──ユージンが言わんとするその意味を。
「おそらく貴様の『能力』は……貴様の危機意識と連動した、認識拡大能力なのだろう。
走馬燈とか衝突事故のスローモーションとかいうアレの強化ヴァージョンさ。
そして、貴様はそれを『能力』発現時の集中による時間感覚の消失に惑わされ、『予め見えていた風景』だと錯覚していたんだ。
実生活でよくあるだろう? 『電話のベルが鳴る直前にそれを察知した』とか『信号機の変わるタイミングが分かる』とかいう類と同レベルの話だ」
「ば、馬鹿な……」
星火のまとう『余裕』の仮面が、いつしか綻んでいた。
「生憎だが、僕は『予知』というものに一家言があってね。貴様の言動はどう見ても『予知』を知る者のそれではないと、最初から思っていた」
「だったら……だったら何だと言うの? それでも私のほうが圧倒的に有利なのは変わらないわ」
押し付けていた壁から背を離し、まだ力の残っている足取りで一歩ずつユージンに接近する。
優雅な動作で掲げられた掌が、びしっ、という硬質な音とともに張り詰める。
「今の貴方じゃ私に攻撃を当てられないでしょう?
貴方の忠告はありがたく拝聴させていただいたわ。自分を知るということは大事よね、確かに」
「どんな気分だ?」
「……え?」
「貴様が得意がっていた『能力』が、自意識過剰も甚だしい勘違いだって分かったときの気持ちさ」
「その毒舌が貴方の最後のプライドなの? ……哀れね」
「プライドじゃないさ……貴様の似非能力を目の当たりにするのは、僕の思い出を土足で踏みにじられるのに等しいからな」
星火の目つきが一変する。余裕も笑みもない、苛立ちと険しさだけに彩られたものへ。
「楽にしてあげるわ。統和機構の『元』殺し屋さん」
闇夜に振り上げられた、人を殺せる硬度を持つ手がユージンに差し向けられたその時、
「天色くん!」
『なにか』が両者の間をさっと横切り、ユージンの身体を突き飛ばした。
虚しく宙を薙ぐ星火の貫手、その闖入者を探す彼女の瞳にはなにも映らない。
──ありえない。たとえ『予知』の瞳が勘違いだったとしても、今現在起こっていることが見えないということがあるものか。
半ば焦りつつ、目を凝らして探知できるレンジを拡大。
赤外線探査能力が最大限に開放された白黒の世界で──見えた。
しがみつくようにしてユージンの身体を押し倒している、小柄な少女。
星火よりもさらに呆気に取られた声音で、ユージンがつぶやく。
「静・ジョースター……なのか?」
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