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「脳噛ネウロは間違えない 53-2」(2008/02/15 (金) 14:29:27) の最新版変更点
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【域】─Our Battlefield─
時計を見ると、十四時を回ろうとしているところだった。
つまり、飛鳥井全死さんとの待ち合わせまであと一時間ということになる。
「はー、なんか気が重いなあ……」
飛鳥井全死という存在を知ってからまだ日は浅いが、それでも彼女からははっきりと異常なものを感じている。
それはきっと、今わたしの目の前にいる『こいつ』と似たような種類のものだろう。
「どうした、ヤコ。なにを見ている。我が輩の顔は食い物ではないぞ」
「知ってるよ」
「そうか? 食い意地の張った卑しい貴様のことだから、
そのうちこの事務所の建材も貴様の腹に消えるのではないかと、我が輩は心配のし通しなのだがな」
「食うか! ──いや、バターと醤油があればいけるかも知んないけど」
「フン。究極の雑食生物である貴様と違い、我が輩は食するのは『謎』のみだ。
我が輩の脳髄の『飢え』を満たすため、貴様には馬車馬三頭並みに働いてもらわねばなるまい」
「普通、そこは一頭で済ますだろ……三倍かよ」
「赤く塗るか?」
「やめて」
そう──ネウロと全死さんはどこかが『似ている』。
とんでもなくわがままで、相手の都合なんか知ったこっちゃないというドSの資質に恵まれた性格もそうだし、
それと──彼女の言動の端々からは、わたしや、他の人たちとは大きな隔たりのある『なにか』を感じさせる。
ネウロは基本、人間を『謎』の供給源としか見ていない。人間で言うところの『食材』の素──家畜扱いである。
わたしを含めた何人かに対してはまた微妙に違う評価を下しているようでもあるが──それだって結局、
人間の持つ『可能性』が良質の『謎』を生み出すのではという期待に基づいている。
魔人ゆえに決定的に異ならざるを得ない、その『人間』を捉える『視線』──そこが、わたしが感じたネウロと全死さんの類似点だった。
これは別に全死さんが人間を家畜のように見ているということではなく──彼女の視線は、わたしたちのそれと違うような気がするという意味だ。
わたしたちに見えない『なにか』を、彼女は見ている。確実に。
それを端的に示すのが、彼女が好んで使う『メタテキスト』という言い回しだろう。
彼女は『メタテキスト』を『読む』ことで、わたしやネウロの名前を言い当ててみせた。
わたしの名前それ自体を言うことは、さほどおかしいものじゃない。
表に立って『謎』を解く(くう)ことを望まないネウロのお陰で、
わたしは大変ありがたくないことに『名探偵』としての社会的地位を押し付けられているのだから。
だが、いや、だからこそ、ネウロの名前を言い当てたことは『普通』じゃありえないことなのだ。
『メタテキスト』とはいったいなんなのだろうか?
そして──飛鳥井全死とは、いったい何者なのだろうか。
ネウロと全死さんは『似ている』。だが同時に、両者には決定的な違いがある。
ネウロは魔人──しかも魔界でも稀有な、『謎』を食う突然変種だが、全死さんは人間である、ということだ。
ネウロがこの世界で生きていけ、あまつさえわたしに暴虐の限りを尽くせるのは、人間を超絶した能力を持っているからだ。
変な話だが、もしネウロがその辺のチンピラ並みの力しかない状態で「我が輩は『謎』を解く(くう)のだフハハ」とか言っても、誰にも相手にされないだろう。
もちろんネウロの持つ悪魔的な頭脳も充分に危険だけれど、それよりも──超人的な身体能力、『魔界777ツ能力(どうぐ)』こそが、
こいつをこの地上で生かし続けている。あらゆる意味で『魔人』であるから、『魔人』としてこの世界で生きてゆける。
では、全死さんは?
彼女にはいったいどんな能力があって、あんなにも奇妙奇天烈なマイウェイ爆走モードを可能にしているのだろうか。
かの『怪物強盗』X(サイ)のように、人間を『突破』した能力を秘めているのだろうか?
それとも、別の『なにか』が、『飛鳥井全死』を『飛鳥井全死』として生かしているのだろうか?
「──あ、クッキーなくなっちゃた」
うつらうつらと考え事をしていたわたしは、いきなり口がさみしくなったことで現実に引き戻された。
ソファーに預けていた背をよっこらしょと引き上げ、テーブルに山と積まれたクッキーの空き箱を片付ける。
買い置きしておいたクッキーは全部食べてしまったので──次はビスケットを食べよう。
そんな時だった。
コンコン、と事務所のドアがノックされる。
「はーい」
わたしが返事をすると、それにやや遅れ、向こう側からノブがひねられ、ドアが開かれた。
そこから顔を出したのは、ひょろりとした長身の、どこか眠そうな目をした男性だった。
それは、わたしの良く知っている人物だった。
「弥子ちゃん、元気かい?」
「笹塚さん」
それは、わたしの知り合いで、なにかと力になってくれる警視庁勤務の刑事さん──笹塚衛士さんだった。
自分の『正体』を隠すための外面の良さを発揮して、ネウロはにこやかに笹塚さんに話しかける。
「おお、刑事さん! よくこんなむさ苦しいところへお出でくださいました!
いやまったく、私も先生には常に事務所の整頓をお願いしているのですが、
汚ギャル志望の先生ときたら『事務所を片付けるくらいなら人間やめたる』、と、まあそんな具合でして」
──が、その一方でわたしの人格を貶めることも忘れない。なんというか、マメなやつである。
いつもの光景といえばいつもの光景だが、一応ツッコんでおこう。
「ねーよ!」
「あー……助手さんも相変わらずで。──あー、と、こないだ、弥子ちゃん電話くれただろ。あれ、何の用だった?」
「あ、それは……」
『実は殺人現場を目撃したんです』と答えそうになったわたしだったが、
どこからか沸いて出てきた見るからに魔界魔界しているグロテスクな蟲が「次でボケて」と、笹塚さんの死角からカンペで指示を出していた。
「……『今から手首切るところです』っていう構ってちゃんTELです……」
「あ、そ……マジで手首切ったらダメだぞ」
根っからのツッコミ体質であることは自覚しているので、どうしてもボケは苦手である。言おうと思って言えるものではない。
蟲がカンペをめくり、「リアルに寒い」との評価。
「うるせー! 昆虫ごときにダメ出しされる筋合い無いわ!」
──ま、それはそれとして。
半開きのドアから身体だけ覗かせてそこから出てこない笹塚さんに、わたしはちょっとだけ違和感を覚える。
「……? 入らないんですか、笹塚さん。──あ、今ちょうど食べようとしてたビスケットがあるんです。一緒にどうですか?」
「いや……俺、粉っぽいの苦手だから」
そして、笹塚さんはちら、とドアの外に視線を走らせ、
「……実は、今日は用事は他にあってさ。……会ってもらいたい人がいるんだ」
それはちょっと意外な言葉だった。
いつもダルそうで、刑事さんとして優秀なのだろうけど極端にテンションの低い笹塚さんが、
そういう「誰かを紹介する」という積極的なアクションを取るのは珍しいことだ。
──もしかして、彼女かなんか? だとしたら──是非、見てみたい。
「……いいかな?」
ちょっとわくわくしてきたわたしは、まだ全死さんとの待ち合わせには時間の余裕があることを確かめ、興味いっぱいに力強く頷く。
「はい!」
わたしの元気な返事に、笹塚さんはドアを全開にした。
ネウロも興味をわずかにそそられたらしく、わたしの隣に立って新たな訪問者を待ち受ける。
ドアの向こうに立つ人物は、わたしの期待通りに、笹塚さんとお似合いの年頃の綺麗な女性だった。
だが──。
メイドさんだった。
白のフリル付きシャツに黒のワンピースはまだいいとして、頭に乗っけられたヘッドドレスと紙一重の飾りつきカチューシャ、
豊麗な胸を強調するために引き絞られたウェスト、過剰なレースで装飾された目にも眩しい純白のエプロン、薄茶のお洒落な編み上げブーツ──。
頭の天辺から爪先まで、徹頭徹尾の完膚なきまでに、フリフリのメイドさんだった。
「……笹塚さんだけはそういう人じゃないと思ってたのに」
それがわたしの率直な感想だった。
「え、ちょっと……なにか勘違いしてないか」
「だって、こういうのはせめて石垣さんの守備範囲じゃないですか」
と、わたしは笹塚さんの後輩である新米刑事の名前を出す。それもそれで失礼な発言だが、なにしろ気が動転していた。
笹塚さんはちょっとめんどくさそうな顔をして、そのメイドな彼女の方を見、それから再びわたしを振り返った。
「いや……この人、これでも警察官なんだ。俺よりも階級が上の人だ」
「……またまた」
「冗談じゃねーんだ、これが」
と言われても……、信じろというほうが無理な話だろう、この場合。
どこの世界に、メイド服を着て街を歩く警察官がいるのだろうか。
「ほほう、警察機構もずいぶんと開放的になりましたね」
とは、人間社会に対して無責任なネウロの発言。
「あー……まー、こういう反応は予想してたけどさ……虚木警部補、後は自分で説明してください」
そのやる気なさそうな声に応じ、件の渦中にいるメイドさんが一歩前に進み出た。
なんというか……メイド服を差し引いて良く観察すると、見た目的に大人の魅力満載、って感じの人だった。
そんなわたしの所感を裏付けるように、彼女は本物のメイドもかくやという華麗な態度でお辞儀をした。
「はじめまして。虚木藍と申します。お目にかかれて光栄です。『名探偵』桂木弥子さん。
ああ、でも──お話に伺っていたより可愛いお方ですね。お世辞じゃありませんよ。実にお可愛くておいでです。
それでいて数々の難事件を解く頭脳をもお持ちでいらっしゃるのですから、本当、神様というのは不公平ですね。
わたくしは無神論者ではありますが、こういうときは神の不在について疑いを抱いてしまいます。
──あら、年甲斐もなくついはしゃいでしまいまったようですね。失礼いたしました」
なんか思いっきり背筋がむず痒くなるような賛辞を並べたて、彼女──虚木藍さんは莞爾と微笑む。
その微細な動作にもかかわらず、彼女の大きな胸がたぷんと上下に揺れる。
いやいや、不公平だと思うのはこっちの方です──とは言えず、ただ黙って自分のマッチ棒のような手足と、
ネウロに『洗濯板』などと揶揄される薄い胸板をちょっとだけ恨めしく思った。
そんなわたしの微妙な傷に塩をなすり込む──ネウロのお世辞返し。
「いえいえ、私も貴女のようなお美しい方が警察にいらっしゃるとは驚きです!
うちの先生は一部の希少マニアにしかストライクゾーンに判定されない、顔、身体、性格、ともに貧相な球種の持ち主でして!
先生の人生設計では、探偵業でがめつく金を荒稼ぎした後は改造人間すれすれの全身整形手術を受けることになっているんです」
そんなネウロの悪意たっぷりの中傷に、藍さんは「まあ」と目を丸くして口元に手を当てた。
その動作ひとつひとつが女性らしい色っぽさに満ち溢れていて、しかも少しも嫌味っぽくないのは驚嘆に値する。
「いけません。親御さんから頂いたせっかくの身体を根こそぎ作り変えてしまうなんて。
身体は大事にしてくださいね。せっかくお可愛く生まれてきたのですから」
「いや、そのネタはもういいですから。……ってゆーか、本当に刑事さんなんですか」
「正確には刑事ではありませんね。わたくしは警部補ですので。──警察手帳、お見せいたしましょうか?」
藍さんはそう言ってエプロンのポケットから上下開きの手帳を取り出してわたしの眼前に示す。
そこには警察のエンブレムと、彼女の身分を証明する書式が展開されていた。
──まだ半信半疑ではあるが、どうやら彼女は本物の警察官であるらしい。
「さて、社交場の手続きを全て済ませたところで……次は事務的なレヴェルに移行させていただいてもよろしいでしょうか?」
ここでやっと、藍さんはわたしになにか用があってここに来たのだということに思い至る。
そりゃそうだ。じゃなければ、わざわざ笹塚さんを仲介してまでわたしに会いに来たりはしないだろう。
「ずばり、本題から申し上げましょう──桂木弥子さん、わたくしは、貴女に公式かつ恒常的に警察の捜査に協力していただきたいのです。
今すぐにお答えいただく必要はありませんが、まずは『お試し』ということで、ある事件の解決をお願いしたいと思っております」
藍さんとわたしのやり取りを黙って聞いていた笹塚さんが、またも珍しく話に割ってくる。
「おい、虚木さん、あんたまさか──」
「ええ、ご想像の通りです、笹塚さん。──わたくしは、先日発生した女子高生殺害事件の解決を、『桂木弥子魔界探偵事務所』に依頼いたします。
正規の報酬をお支払いすることは当然ですが、今回は『お試し』なのでもう一つ報酬を用意致しました」
そして、藍さんはにっこりと微笑み、話の展開についていけないわたしの脳味噌に極めつけの一発を打ち込んだ。
「その報酬とは……かの傍若無人な電気娘(テスラガール)、域外者(アウトサイダー)飛鳥井全死についての情報です」
「──え? え、え? なんでそのことを? というか、あの人のことを知ってるんですか?」
「その二つの質問に対する回答は簡潔に提示できます。すなわち──わたくしと彼女はいわゆる『同窓』であり、わたくしもまた、域外者(アウトサイダー)なのです」
【域】─Our Battlefield─
時計を見ると、十四時を回ろうとしているところだった。
つまり、飛鳥井全死さんとの待ち合わせまであと一時間ということになる。
「はー、なんか気が重いなあ……」
飛鳥井全死という存在を知ってからまだ日は浅いが、それでも彼女からははっきりと異常なものを感じている。
それはきっと、今わたしの目の前にいる『こいつ』と似たような種類のものだろう。
「どうした、ヤコ。なにを見ている。我が輩の顔は食い物ではないぞ」
「知ってるよ」
「そうか? 食い意地の張った卑しい貴様のことだから、
そのうちこの事務所の建材も貴様の腹に消えるのではないかと、我が輩は心配のし通しなのだがな」
「食うか! ──いや、バターと醤油があればいけるかも知んないけど」
「フン。究極の雑食生物である貴様と違い、我が輩は食するのは『謎』のみだ。
我が輩の脳髄の『飢え』を満たすため、貴様には馬車馬三頭並みに働いてもらわねばなるまい」
「普通、そこは一頭で済ますだろ……三倍かよ」
「赤く塗るか?」
「やめて」
そう──ネウロと全死さんはどこかが『似ている』。
とんでもなくわがままで、相手の都合なんか知ったこっちゃないというドSの資質に恵まれた性格もそうだし、
それと──彼女の言動の端々からは、わたしや、他の人たちとは大きな隔たりのある『なにか』を感じさせる。
ネウロは基本、人間を『謎』の供給源としか見ていない。人間で言うところの『食材』の素──家畜扱いである。
わたしを含めた何人かに対してはまた微妙に違う評価を下しているようでもあるが──それだって結局、
人間の持つ『可能性』が良質の『謎』を生み出すのではという期待に基づいている。
魔人ゆえに決定的に異ならざるを得ない、その『人間』を捉える『視線』──そこが、わたしが感じたネウロと全死さんの類似点だった。
これは別に全死さんが人間を家畜のように見ているということではなく──彼女の視線は、わたしたちのそれと違うような気がするという意味だ。
わたしたちに見えない『なにか』を、彼女は見ている。確実に。
それを端的に示すのが、彼女が好んで使う『メタテキスト』という言い回しだろう。
彼女は『メタテキスト』を『読む』ことで、わたしやネウロの名前を言い当ててみせた。
わたしの名前それ自体を言うことは、さほどおかしいものじゃない。
表に立って『謎』を解く(くう)ことを望まないネウロのお陰で、
わたしは大変ありがたくないことに『名探偵』としての社会的地位を押し付けられているのだから。
だが、いや、だからこそ、ネウロの名前を言い当てたことは『普通』じゃありえないことなのだ。
『メタテキスト』とはいったいなんなのだろうか?
そして──飛鳥井全死とは、いったい何者なのだろうか。
ネウロと全死さんは『似ている』。だが同時に、両者には決定的な違いがある。
ネウロは魔人──しかも魔界でも稀有な、『謎』を食う突然変種だが、全死さんは人間である、ということだ。
ネウロがこの世界で生きていけ、あまつさえわたしに暴虐の限りを尽くせるのは、人間を超絶した能力を持っているからだ。
変な話だが、もしネウロがその辺のチンピラ並みの力しかない状態で「我が輩は『謎』を解く(くう)のだフハハ」とか言っても、誰にも相手にされないだろう。
もちろんネウロの持つ悪魔的な頭脳も充分に危険だけれど、それよりも──超人的な身体能力、『魔界777ツ能力(どうぐ)』こそが、
こいつをこの地上で生かし続けている。あらゆる意味で『魔人』であるから、『魔人』としてこの世界で生きてゆける。
では、全死さんは?
彼女にはいったいどんな能力があって、あんなにも奇妙奇天烈なマイウェイ爆走モードを可能にしているのだろうか。
かの『怪物強盗』X(サイ)のように、人間を『突破』した能力を秘めているのだろうか?
それとも、別の『なにか』が、『飛鳥井全死』を『飛鳥井全死』として生かしているのだろうか?
「──あ、クッキーなくなっちゃた」
うつらうつらと考え事をしていたわたしは、いきなり口がさみしくなったことで現実に引き戻された。
ソファーに預けていた背をよっこらしょと引き上げ、テーブルに山と積まれたクッキーの空き箱を片付ける。
買い置きしておいたクッキーは全部食べてしまったので──次はビスケットを食べよう。
そんな時だった。
コンコン、と事務所のドアがノックされる。
「はーい」
わたしが返事をすると、それにやや遅れ、向こう側からノブがひねられ、ドアが開かれた。
そこから顔を出したのは、ひょろりとした長身の、どこか眠そうな目をした男性だった。
それは、わたしの良く知っている人物だった。
「弥子ちゃん、元気かい?」
「笹塚さん」
それは、わたしの知り合いで、なにかと力になってくれる警視庁勤務の刑事さん──笹塚衛士さんだった。
自分の『正体』を隠すための外面の良さを発揮して、ネウロはにこやかに笹塚さんに話しかける。
「おお、刑事さん! よくこんなむさ苦しいところへお出でくださいました!
いやまったく、私も先生には常に事務所の整頓をお願いしているのですが、
汚ギャル志望の先生ときたら『事務所を片付けるくらいなら人間やめたる』、と、まあそんな具合でして」
──が、その一方でわたしの人格を貶めることも忘れない。なんというか、マメなやつである。
いつもの光景といえばいつもの光景だが、一応ツッコんでおこう。
「ねーよ!」
「あー……助手さんも相変わらずで。──あー、と、こないだ、弥子ちゃん電話くれただろ。あれ、何の用だった?」
「あ、それは……」
『実は殺人現場を目撃したんです』と答えそうになったわたしだったが、
どこからか沸いて出てきた見るからに魔界魔界しているグロテスクな蟲が「次でボケて」と、笹塚さんの死角からカンペで指示を出していた。
「……『今から手首切るところです』っていう構ってちゃんTELです……」
「あ、そ……マジで手首切ったらダメだぞ」
根っからのツッコミ体質であることは自覚しているので、どうしてもボケは苦手である。言おうと思って言えるものではない。
蟲がカンペをめくり、「リアルに寒い」との評価。
「うるせー! 昆虫ごときにダメ出しされる筋合い無いわ!」
──ま、それはそれとして。
半開きのドアから身体だけ覗かせてそこから出てこない笹塚さんに、わたしはちょっとだけ違和感を覚える。
「……? 入らないんですか、笹塚さん。──あ、今ちょうど食べようとしてたビスケットがあるんです。一緒にどうですか?」
「いや……俺、粉っぽいの苦手だから」
そして、笹塚さんはちら、とドアの外に視線を走らせ、
「……実は、今日は用事は他にあってさ。……会ってもらいたい人がいるんだ」
それはちょっと意外な言葉だった。
いつもダルそうで、刑事さんとして優秀なのだろうけど極端にテンションの低い笹塚さんが、
そういう「誰かを紹介する」という積極的なアクションを取るのは珍しいことだ。
──もしかして、彼女かなんか? だとしたら──是非、見てみたい。
「……いいかな?」
ちょっとわくわくしてきたわたしは、まだ全死さんとの待ち合わせには時間の余裕があることを確かめ、興味いっぱいに力強く頷く。
「はい!」
わたしの元気な返事に、笹塚さんはドアを全開にした。
ネウロも興味をわずかにそそられたらしく、わたしの隣に立って新たな訪問者を待ち受ける。
ドアの向こうに立つ人物は、わたしの期待通りに、笹塚さんとお似合いの年頃の綺麗な女性だった。
だが──。
メイドさんだった。
白のフリル付きシャツに黒のワンピースはまだいいとして、頭に乗っけられたヘッドドレスと紙一重の飾りつきカチューシャ、
豊麗な胸を強調するために引き絞られたウェスト、過剰なレースで装飾された目にも眩しい純白のエプロン、薄茶のお洒落な編み上げブーツ──。
頭の天辺から爪先まで、徹頭徹尾の完膚なきまでに、フリフリのメイドさんだった。
「……笹塚さんだけはそういう人じゃないと思ってたのに」
それがわたしの率直な感想だった。
「え、ちょっと……なにか勘違いしてないか」
「だって、こういうのはせめて石垣さんの守備範囲じゃないですか」
と、わたしは笹塚さんの後輩である新米刑事の名前を出す。それもそれで失礼な発言だが、なにしろ気が動転していた。
笹塚さんはちょっとめんどくさそうな顔をして、そのメイドな彼女の方を見、それから再びわたしを振り返った。
「いや……この人、これでも警察官なんだ。俺よりも階級が上の人だ」
「……またまた」
「冗談じゃねーんだ、これが」
と言われても……、信じろというほうが無理な話だろう、この場合。
どこの世界に、メイド服を着て街を歩く警察官がいるのだろうか。
「ほほう、警察機構もずいぶんと開放的になりましたね」
とは、人間社会に対して無責任なネウロの発言。
「あー……まー、こういう反応は予想してたけどさ……虚木警部補、後は自分で説明してください」
そのやる気なさそうな声に応じ、件の渦中にいるメイドさんが一歩前に進み出た。
なんというか……メイド服を差し引いて良く観察すると、見た目的に大人の魅力満載、って感じの人だった。
そんなわたしの所感を裏付けるように、彼女は本物のメイドもかくやという華麗な態度でお辞儀をした。
「はじめまして。虚木藍と申します。お目にかかれて光栄です。『名探偵』桂木弥子さん。
ああ、でも──お話に伺っていたより可愛いお方ですね。お世辞じゃありませんよ。実にお可愛くておいでです。
それでいて数々の難事件を解く頭脳をもお持ちでいらっしゃるのですから、本当、神様というのは不公平ですね。
わたくしは無神論者ではありますが、こういうときは神の不在について疑いを抱いてしまいます。
──あら、年甲斐もなくついはしゃいでしまいまったようですね。失礼いたしました」
なんか思いっきり背筋がむず痒くなるような賛辞を並べたて、彼女──虚木藍さんは莞爾と微笑む。
その微細な動作にもかかわらず、彼女の大きな胸がたぷんと上下に揺れる。
いやいや、不公平だと思うのはこっちの方です──とは言えず、ただ黙って自分のマッチ棒のような手足と、
ネウロに『洗濯板』などと揶揄される薄い胸板をちょっとだけ恨めしく思った。
そんなわたしの微妙な傷に塩をなすり込む──ネウロのお世辞返し。
「いえいえ、私も貴女のようなお美しい方が警察にいらっしゃるとは驚きです!
うちの先生は一部の希少マニアにしかストライクゾーンに判定されない、顔、身体、性格、ともに貧相な球種の持ち主でして!
先生の人生設計では、探偵業でがめつく金を荒稼ぎした後は改造人間すれすれの全身整形手術を受けることになっているんです」
そんなネウロの悪意たっぷりの中傷に、藍さんは「まあ」と目を丸くして口元に手を当てた。
その動作ひとつひとつが女性らしい色っぽさに満ち溢れていて、しかも少しも嫌味っぽくないのは驚嘆に値する。
「いけません。親御さんから頂いたせっかくの身体を根こそぎ作り変えてしまうなんて。
身体は大事にしてくださいね。せっかくお可愛く生まれてきたのですから」
「いや、そのネタはもういいですから。……ってゆーか、本当に刑事さんなんですか」
「正確には刑事ではありませんね。わたくしは警部補ですので。──警察手帳、お見せいたしましょうか?」
藍さんはそう言ってエプロンのポケットから上下開きの手帳を取り出してわたしの眼前に示す。
そこには警察のエンブレムと、彼女の身分を証明する書式が展開されていた。
──まだ半信半疑ではあるが、どうやら彼女は本物の警察官であるらしい。
「さて、社交場の手続きを全て済ませたところで……次は事務的なレヴェルに移行させていただいてもよろしいでしょうか?」
ここでやっと、藍さんはわたしになにか用があってここに来たのだということに思い至る。
そりゃそうだ。じゃなければ、わざわざ笹塚さんを仲介してまでわたしに会いに来たりはしないだろう。
「ずばり、本題から申し上げましょう──桂木弥子さん、わたくしは、貴女に公式かつ恒常的に警察の捜査に協力していただきたいのです。
今すぐにお答えいただく必要はありませんが、まずは『お試し』ということで、ある事件の解決をお願いしたいと思っております」
藍さんとわたしのやり取りを黙って聞いていた笹塚さんが、またも珍しく話に割ってくる。
「おい、虚木さん、あんたまさか──」
「ええ、ご想像の通りです、笹塚さん。──わたくしは、先日発生した女子高生殺害事件の解決を、『桂木弥子魔界探偵事務所』に依頼いたします。
正規の報酬をお支払いすることは当然ですが、今回は『お試し』なのでもう一つ報酬を用意致しました」
そして、藍さんはにっこりと微笑み、話の展開についていけないわたしの脳味噌に極めつけの一発を打ち込んだ。
「その報酬とは……かの傍若無人な電気娘(テスラガール)、域外者(アウトサイダー)飛鳥井全死についての情報です」
「──え? え、え? なんでそのことを? というか、あの人のことを知ってるんですか?」
「その二つの質問に対する回答は簡潔に提示できます。すなわち──わたくしと彼女はいわゆる『同窓』であり、わたくしもまた、域外者(アウトサイダー)なのです」
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