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「ヴィクティム・レッド 45-3」(2007/12/24 (月) 11:22:51) の最新版変更点
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それは、不思議な感覚だった。ここではない、どこか別の世界、不思議の国にでも迷い込んでしまったような。
戦場の真っ只中であることが嘘のような、煌びやかな装飾の部屋。
そしてその内装の一部でもあるかのように、白い籐の長椅子に腰掛ける人形のごとき少女。
白のワンピースに黒のカチューシャという簡素な服装の彼女は、キース・セピアと名乗った。
それはつまり、彼女がキースシリーズであることと、もう一つ、カラーネームを与えられているということをも意味していた。
「あんたもまた……ARMSを……?」
キース・レッドが疑わしそうにそう言うと、セピアはぷっと頬を膨らませた。
「あのー? レディが握手を求めてるんだから応えてくれてもいいんじゃないの?」
差し向けたままの手をわざとらしくぶらぶらと振る。
「あ、ああ」
なんとなく彼女に気圧される形で、レッドはその手を握った。すべすべした手触りとその冷たさは、作り物のような感じだった。
「お名前は?」
「……レッド」
セピアはにぱっと晴れやかな笑みを見せた。その屈託というものがまるでない表情は、レッドにはとても作れぬものだった。
「あ、そ。じゃあレッド。わたしをここから連れ出して? アリスをいざなう白兎のように、ね」
当初のレッドの脱出プランとしては、正面出口までの最短ルートを、レッドが先頭に立ち敵を排撃しながら突破する、
という強攻策だった。だが、セピアはそれに異論を唱える。
「戦い続けて『そこ』に辿り着くのもアリだけど、戦わずに辿り着けるならそれが最上だと思わない?」
「そんなわけにもいかねーだろ」
「なあに? そんなに戦いたいの?」
なにか言い返してやろうかと思ったが、上手く言葉が出てこない。シルバーや他の兄弟を相手にするときとは、どうも勝手が違っていた。
「……じゃあ、あんたのプランを聞かせろよ」
レッドは苦し紛れにそう言うのがやっとだった。
「うふ、聞きたい? プランは単純明快よう」
そのもったいぶった口ぶりに、レッドはなんとはなしの嫌な予感を覚えた。
「わたしのプランはね、『わたしに任せて』」
「…………」
レッドの予感はわずか二秒で実り、しかしこれっぽちも嬉しくはなく、軽い頭痛がした。
──そして、今、レッドはセピアとともに施設から脱出しようとしている。
『M-107』、マテリアル107。それがキースシリーズを指していると気が付かなかったのは迂闊だった。
言われてみれば、レッドにもマテリアルナンバーで呼ばれている時代があった。
カラーネームで呼ばれることに慣れてしまい、そのときのことはすっかり忘れてしまっていたのだ。
(オレと連番のキースたちは今どうしてんだろーな……)
廊下の壁にもたれかかりながらそんなことを考えていると、前方の様子を窺っていたセピアがレッドへと振り返る。
「こっちの通路には誰もいないみたい。行きましょ」
「……ああ」
レッドは努めて無表情を装い、それに頷いた。
「アリスをいざなう白兎のように、ね──」
「ん? なにか言ったかな?」
「なにも言ってない」
そう言いつつ、レッドは内心で嘆息した。
(……役がまるっきり逆じゃねーか)
しかし、コンテナからこれまでただの一度も敵と接触していない。
セピアの先導に従って進むコースはてんでばらばらだったが、巧みに敵の追撃を回避しているようだった。
どうやら、目に見えぬ敵の動きすら見通す『なにか』を、セピアは備えているらしい。
そして、そんなことを可能にするファクターと言えば──。
「……それがあんたのARMSか?」
レッドがそう聞くと、セピアは素直に首肯する。
「そうよ。この建物は入り組んでるからよく分からないけど、平原とかだったら半径十キロ圏内は余裕で把握できるわ」
(その超感覚……眼球にでも移植されているのか?)
レッドがその疑問を口にしようとしたとき、
「あ痛っ」
セピアが急に床に倒れた。しかし、なにか躓くようなものはそこに見当たらなかった。
「お、おい」
戸惑いがちに差し出したレッドの腕にすがり、セピアはふらふらと立ち上がる。
「あ、ご、ごめんね。実は近眼で、メガネも今持ってなかったから、ちょっと距離感つかみ損ねちゃった。
ARMSのほうは意識を広範囲に広げてたから、逆に足元はお留守だったし」
などと、かなり間の抜けた言い訳を口にする。
「待て。近眼だって? あんたのARMSは……目じゃないのか?」
「え? 違うよ? わたしのARMSはねえ、ここよ」
と、セピアは自分の薄い胸に手を置く。
「心臓か?」
「ちっがーう」
今度は手を上にずらし、鎖骨の辺りをぴたぴた叩いてみせた。
「肌よ。情報制御用ARMS『モックタートル』は、皮膚に移植されているの。驚いた?」
そう言って、セピアは「えへへ」と歯を見せて笑った。
「……ね、待っ……て、よ。そん、な……速す、ぎるから」
はるか後方から息も絶え絶えに訴えるセピアに、レッドはしぶしぶ走る足を止めて彼女を待った。
結局、誰とも接触しないままに施設を脱出したレッドは、セピアを連れてキース・シルバーの指定したポイントへと急行していた。
追っ手はなし。待ち伏せもなし。それはセピアによって確認されている。
密林の中を進んでいるため、発見される恐れも低い。任務達成は目前だった。
ただ、問題があるとすれば──。
「ったく。あんた、それでもキースシリーズなのかよ?」
「そ、な、こと……言ったっ、て」
セピアは常人を基準にしてもはるかに虚弱である、という点だった。
たかだか五キロも進まない間に、三度も休憩を取らされている。これで四度目だ。
「このペースで行くなら夜が明けちまうぜ」
「……わたし、出来損ない、だから」
地面にへたり込み、顔を俯かせながらセピアはつぶやいた。
(そういやシルバーもそんなこと言ってたっけな)
出来損ない、失敗作、選ばれなかったもの、キースシリーズ、不完全、第二形態止まり……。レッドがそんな面白くない連想をしていると、
「ごめんなさい」
「ああ?」
「わたし、あなたの邪魔してるね。あなたにとって、きっと大切な仕事なのにね」
「謝ることでもねーだろ」
「でも、ごめんなさい」
萎れたようにうなだれるセピアを見ていると、レッドは無性にイライラしてきた。
それはセピアの態度が気に食わないというのではなく、じゃあなんで怒っているのかと聞かれても、
レッドには答えようがなかった。ただ、なにかムカつくのだ。心の奥のなにかが、彼の神経を尖らせていた。
そうした悪感情を振り払うように、レッドは山の中腹から盆地を見下ろす。
そこには燃える建築物があった。それはもはや原型を保っておらず、奇怪なオブジェのように成り果てていた。
レッドはその戦場に立つ二人の兄弟のことを思った。
キース・シルバー。荷電粒子砲『ブリューナクの槍』を放つ『マッドハッター』のARMS適性者。
キース・グリーン。空間を操り、空間の断裂を刃とする『魔剣アンサラー』を使う『チェシャキャット』のARMS適性者。
たった二人で、この破壊をもたらしたのだ。
レッドはその目で見たことはないが、兄のキース・ブラック、姉のキース・バイオレットも、これに比類する能力を備えているのだろう。
自分にはそれがない。ただ、両腕を変形させた刃を振り回すだけだ。
(オレには力が無い……力があれば、なんでも出来る……力さえあれば)
力が無いのなら、それを得ることが出来ないのなら、いったい自分はなんのために生まれてきたのか。
(力が欲しい)
「怖い顔」
我に返ると、セピアが悲しそうに顔を覗き込んでいた。まるで心の奥まで覗き込むように。
「……んだよ」
気まずげに横を向くレッドに、セピアはなにかを言おうとしたが、突如として身体を硬直させる。
ただならぬ雰囲気に、レッドはセピアの肩をつかんだ。
「どうした?」
「誰かが、いえ、複数の……機械化された兵隊が、こちらへ向かってきているわ。数は……二十、と、四」
それに一瞬遅れて、レッドの耳に収められたインカムがひび割れた音を発した。
「レッド──」
「シルバーか?」
「グリーンがミスを犯した。『魔剣アンサラー』の耐久限界を見誤り、ARMSが一時的な活動不能に陥った。
最終形態での戦闘はまだ無理があったようだ。足止めが外れ、お前のところへ追撃部隊が向かっているはずだ。迎撃しろ」
「なんだと──」
「オレはグリーンを回収し、撤退する。作戦目的は果たした。所定のポイントで待つ」
「おい、待てよシルバー! シル──」
がりっ、という耳障りな音と共に、一方的に通信が途絶える。
「くそ、なんだってんだ!」
「レッド、サイボーグ部隊が接近しているわ」
「分かってるよ!」
「違うの、聞いて。移動のスピードが普通じゃないの。どんどん距離が狭まってくる」
それを聞いてレッドの脳裏に浮かび上がったのは、
「高機動型サイボーグか!」
レッドはほとんど反射的にセピアを腕に抱え上げ、駆け出した。すこしでも距離を稼ぐために。反撃の時間を得るために。
だが、どこまで逃げればいいのだろうか──。
鬱蒼と繁る木々をかき分け、地面を蹴り、レッドは走る。奇妙な雄叫びを上げて野鳥が羽ばたく。どこかで獣が鳴いている。
腕に抱えられたセピアは、不安げにレッドを見上げていた。
「向こうの人たち、あの、フォーメーションっていうの? それがほとんど崩れてないわ。
ものすごく正確に、こっちへ近づいている。ダメ、もうすぐ追いつかれるわ」
藪を抜けた次の瞬間、谷を飛び越えて向こう側へ着地する。その衝撃でバランスを失い、膝をついた。
「くそ──」
高度に連携された高機動型サイボーグ部隊を、たった一人で迎え撃たなければならないのか。
しかも、このセピアを守りながら。
だが、やらなければならない。自分にはそれが出来るのだと、見せ付けなければならない。
そうすることでしか、この苛立ちを、常に感じているやり場のない怒りを晴らすことはできないのだから。
「来る」
セピアが言った。
夜の闇を切り裂くように、三つの影がレッドへ襲い掛かった。
「速い!」
『グリフォン』を開放し、一瞬で刃へと変形する右腕で一つの影を切りつける。
低い呻き声を挙げ、その影は墜落した。だが、その背後からもう一つの影が飛び出し、レッドを突き飛ばす。
地面にもんどりうったレッドの首を狙い、二体のサイボーグが風を切って接近してくる。
辛うじて体勢を整えたレッドは、一呼吸で両腕を振るって二体とも切り捨てた。
「ぅあっ!」
セピアのか細い叫びがレッドの耳を打つ。
レッドが自分のことに気を取られている隙に、三体の新たなサイボーグがセピアに迫っていた。
だが、亜音速での活動か可能な高機動型サイボーグの攻撃は、彼女に届いていない。
驚異的な身のこなしでアタックをかわすセピアの体表面には、幾何学的な紋様が浮かび上がっていた。
皮膚表面に分布するARMS『モックタートル』の感覚能力が、サイボーグの攻撃を明敏に察知しているためだった。
しかし、それにも限度がある。身体のほうが追いつかなくなってきたセピアの動きが徐々に怪しくなり、
「あ──」
動きの止まった瞬間を狙われ、三方向からセピアへ高振動ブレードが伸ばされる。
だが、それがセピアに届くよりも早く、レッドが庇うようにセピアの前に立ちふさがった。
竜巻のごとく両腕を振り回して三体のサイボーグを切り捨てるが、
同時に受けた高振動ブレードのために、その突き刺さった部分からナノマシンが壊死してゆく。
まるでガラス細工のように、グリフォンのブレードは砕け折れた。
「セピア、オレの後ろに下がれ!」
言いながら、自分も近くの大樹を背にする。少しでも攻撃可能な空間を狭めるためである。
だが、それも気休めでしかない。折れたブレードで、後どれだけ戦えるのか。
一目では把握しきれない数のサイボーグが現われ、一斉にこちらへ突進してくる。
大樹と自分とにセピアを挟んだ格好で、レッドは死を覚悟した。
(力が……オレに力があれば)
「──が、──い?」
狭窄したレッドの意識は、そのセピアの声を聞き逃した。
そっと、セピアがその身体をレッドの背に密着させる。柔らかく、冷たい肌の感触が背中越しに伝わってきた。
「力が欲しい? 力が欲しいのなら……貸してあげる」
その言葉を理解するより早く、怒涛のような共振現象がレッドの両腕を襲った。
「がぁっ……!」
びりびりと震えるような感触が背筋を駆け上る。両腕が熱い。
そして、ある名状しがたい力が、レッドを支配した。
レッドの足元では木の葉が舞い、波紋状を描き出している。気味の悪い音を立て、木々がうねる。
そして、そして──。
レッドの両腕、『グリフォン』が、これまでにない力を発現させていた。
(これは音波……超々高周波、か……?)
両腕から発せられるその破壊的な振動は空気を撹拌し、指向性の音波を真正面から受けたサイボーグが次々とその身を崩れさせてゆく。
慌てて退避しようと宙に飛び上がる者たちも、その影響から逃れることはできず、死んだ小鳥のようにぼとぼとと地面に墜落する。
虫も植物も、鳥類も爬虫類も、その場にいる全ての生命を掻き乱し、そのARMSは、幻獣の名に相応しくあらゆる生き物を蹂躙していた。
やがて一切の音が周囲から消え去り、耳に刺さるような痛みだけが、この空間を支配した。
動くものがなにもなくなった二人だけの世界で、レッドとセピアは夜空を見上げていた。
「さっきのが……わたしのARMSの能力なの。『ニーベルングの指輪』。戦闘能力の無いARMS。
その力は、他のARMSのナノマシンに干渉して、それが持つ力を加速させる」
レッドは自分の両腕を見た。急な能力の発現による過負荷に耐えられず、その腕はぼろぼろだった。
ナノマシンによる修復も追いつかないので、もうしばらくは動かせそうになかった。
シルバーとグリーンの待つ合流地点に辿り着くのは、もう少し先になるだろう。
「ふ、くく」
喉から漏れるその声が、笑いだと気づくのに数秒を要した。気が付くと、それはいっそう激しくなった。
レッドは、妙にさっぱりした気分で、底の抜けたような笑いに身をゆだねていた。
箍が外れたように笑い転げるレッドを見て、セピアは引き吊り気味の苦笑を浮かべる。
「なんで傷だらけなのに笑ってるのかなあ」
それに答えず、収まりかけた笑いを噛み殺そうと背をくの字に曲げるレッド。
「さっき、初めて会ったときにも思ったけど、レッド、あなたってそうとう変な男の子だね?」
第三話『肌』 了
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