「不殺50-1」(2007/07/08 (日) 01:44:24) の最新版変更点
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緋村剣心、三十五歳。
たった今、人を殺してしまった。
道場に押し入った強盗を、近くにあった木刀で一撃。打ち所が悪かった。
飛天御剣流を封印し肉体も衰えたとはいえ、かつては日本最強とも謳われた剣客。賊一
人を打ち殺すなど訳はない。長らく戦いと無縁の生活を送っていたため、格下に対する力
加減を誤ってしまった。
事件が発覚すれば人斬り抜刀斎の雷名をちらつかせるまでもなく、正当防衛で無罪放免
は間違いない。
だが、剣心にとってそんなことはどうでもよかった。
真夜中。うつ伏せに沈む強盗を見下ろしながら、剣心はある思いに打ちひしがれていた。
“不殺(ころさず)”を破ってしまった──。
「しまったでござる」
軽いパニックのためかまるで他人事のように呟く剣心。
深夜にあるまじき物音と気配。まもなく妻と息子が布団から出てきた。
「ちょっと剣心、何があったの!?」
「どうしたの、こんな夜中に」
「拙者、人を殺めてしまったでござる」
またしても他人事のように呟く。
彼の足もとでぐったりしている男を一瞥し、全てを察した薫は励ますように言った。
「諦めないで剣心! まだ死んだって決まったわけじゃないわ!」
緋村一家は一致団結し、あらゆる蘇生処置を試みた。
耳元に大声を浴びせ、心臓をマッサージし、薫特製の味噌汁を口に流し込む。
途中、人工呼吸を決行しようとする薫を剣心が男心から「拙者がやる!」と突き飛ばす
などのハプニングも起こった。
彼らは夜通しで力を尽くしたが、残念ながら男は生き返らなかった。
暁光は強盗の色彩を残酷なほど鮮やかに描き出す。血の気は全くなく、肌は雨が近い空
のように白んでいる。
がっくりと肩を落とす剣心。
「やはり拙者は不殺を破ってしまったのか」
「いいえ、まだよ! そうよ剣心、恵さんを呼べば──」
「今、恵殿は会津にいる。いかに彼女が名医といっても、とても間に合わぬよ」
男は明らかに息絶えている。たとえ恵がこの場にいたとしても、医師として彼の死亡を
宣告することしかできなかったにちがいない。
いよいよ不殺破りが固まりつつあり、ますます沈み込む剣心と薫。
まだ幼い剣路も、両親から放たれる暗雲からこの事件が持つ意味を彼なりに感じ取って
いた。
「じゃあどうするの、剣心? 警察に届ける?」
「………」
剣心は頭をフル回転させていた。
不殺の誓いは剣心が“抜刀斎”から脱却するための絶対条件。たとえ過失とはいえこん
なところで破ってしまっては、剣と心を賭してまで成し遂げようとした彼の人生は全て無
に帰す。
かといって、ここから不殺を貫くのはもはや不可能に近い。人を生かすのは、人を殺す
よりはるかに難しい。妖術使いでもなければとても──。
「……妖術使い」
ふと、剣心は過去に戦ったある男の存在を閃いた。そしてそれを神速で名案へと昇華さ
せる。
「薫殿! 今から拙者の言うとおりに葵屋に手紙を書いてくれ!」
「どうしちゃったの剣心。いくら御庭番衆でも死者を生き返らせる方法は知らないと思う
けど……」
「百も承知。蒼紫には人探しをしてもらうでござる」
「人探し?」
「剣路は眠っている彼を物置まで案内してやってくれ」
「うん、分かった!」
あくまでも強盗を生きている人間として扱うところからも、剣心の不殺に対する並々な
らぬ執念が分かる。
それから妻と子は大黒柱の指示に従い、きびきびと働いた。
一週間後、神谷道場を二人の男が訪れた。
一人は御庭番衆御頭、四乃森蒼紫。そしてもう一人。
剣心と蒼紫は二度も剣を交えた戦友。ましてや久方ぶりの再会である。にもかかわらず、
蒼紫の言動は普段と変わらず事務的かつ無感動。さすがは現実主義の隠密、といったとこ
ろか。
「すまん、遅くなった。少々手こずってな」
「いやご苦労でござった、蒼紫。で、そちらの青年が──」
「あぁ。あのいまわしき外法の機巧(からくり)師、外印と同じ流れを汲む機巧師だ。さ
すがに腕は奴に劣るが、貴様の望みを叶えるくらいは可能だろう」
剣心を戦闘で苦しめ、さらには落人群へと陥れた外印の機巧術。知らぬ者が見れば妖術
としか表現しようがない魔技。外法とはいえあれほどの技術がひとつの流れだけに収まっ
ているわけがないという剣心の読みは当たっていた。
「よろしくお願いします」
青年が口を開く。
見た目はひ弱で頼りないが、蒼紫によれば外法機巧を身につけている数少ない人物。も
っとも今は片田舎で機巧人形を作り平和に暮らしているという。鬼才新井赤空の息子、青
空を思い起こさせる生い立ちだ。
とにかく事態は一刻を争う。さっそく剣心は来客たちを物置に案内した。
鼻をこじ開け、侵入し、蹂躙する悪臭。
剣心に成敗された強盗はとうに腐り果てていた。まとわりつく蝿、ドロドロに溶けてふ
やけた皮膚、転げ落ちそうな眼球。今にも崩れてしまいそうだ。
「これは、まさか……」
驚く青年に剣心が説明する。
「拙者が打ち倒した男でござる。おぬしを呼んだのは他でもない。おぬしの機巧技術で、
彼を治療して頂きたい」
「なんですって!」
「できぬでござるか」
「いや、彼を機巧人形にすることはできますが、果たしてそれを治療と呼ぶかどうか……」
「治療でござるッ!」
往年の気迫が込められた剣心の眼光に、青年は瞬時に屈服した。
「ヒッ! ……は、はいっ! 分かりました、治療しましょう!」
緋村一家、蒼紫、弥彦と燕。彼らが見守る中、青年の“治療”が開始された。
まず防腐処理が施され、体の中に詰まっている異物、つまり内臓が全て摘出された。
次にがらんどうとなった男の体内に、内臓の役割を果たす機巧が次々に組み込まれる。
剣心たちは外法機巧の製作現場を見るのは初めてだが、青年の手さばきはまさに妖術を髣
髴とさせるものであった。
仕上げに腐敗で醜くなった外観を細工や化粧で整え、治療は完了した。
全工程に要した時間、およそ半日。青年は額の汗を拭い、達成感に満ちた笑顔を振りま
いた。
「終わりました。ねじを巻けばちゃんと動きますよ」
「ご苦労だった」
「では、ぼくはこれで……」
「いや」すでに蒼紫は両手に小太刀二刀を構えていた。「そうはいかん」
「え?」
「あの手際の良さ、過去に死体を弄んだ経験が数多くあるはずだ。外法の悪は外法の力を
もってさらなる闇へと葬り去る。これが俺の使命だ!」
──回天剣舞六連、発動。
カタカタカタカタカタカタ……。
ねじ動力で、ぎこちなく歩き回るツギハギだらけの強盗。
庭の隅で細切れの肉片になっている青年をよそに、仲間は歓声を上げた。
「これで万事解決ね、剣心!」夫に抱きつく薫。
「やったね!」バンザイする剣路。
「口封じは済ませておいたから安心しろ」小太刀の血を拭き取る蒼紫。
「やっぱり剣心に不可能なんかないぜ!」拳を振り上げ、喜ぶ弥彦。
「おめでとうございます。剣心さん!」拍手する燕。
見事不殺を貫き通した剣客は、照れ臭そうにしながらも誇らしげに笑っていた。
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