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「ヴィクティム・レッド 49-1」(2007/12/24 (月) 11:19:46) の最新版変更点
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多かれ少なかれ、どこか俗世間とはかけ離れた人間性の持ち主揃いであるキース・シリーズの中でも、
キース・ブラックのそれはバイオレットにとって極めて不可解なものであった。
「妹よ……ドクター・ティリングハーストに『エクスペリメンテーション・グリフォン』の概要を漏らしたそうだな」
「──ええ。その通りです、ブラック兄さん」
どこの組織でも、機密情報の漏洩といえば重大な背信行為であり、それを犯したものには厳重な処罰が下される。
それはその者の組織における地位によって左右されるものではない──それが正しい組織のあり方であり、最高責任者のとるべき態度だ。
「だが私はお前たちの意志を尊重している……このことは不問にしようと思っているのだよ」
しかし、『エグリゴリ』のトップである彼は、そうした常識などまるで意に介さずにこの問題をその一言で片付けてしまった。
(意思を尊重している、か──)
バイオレットは目の前の兄を見つめながら、胸に沸き起こる疑念を抑えることが出来ないでいた。
彼は、本当にわたしたちに『意思』が存在していることを認めているのだろうか、と。
エグリゴリのあらゆる活動は、『ARMS計画(プロジェクト・アームズ)』を中心にして動いている。
この世の全てはその為の実験計画(エクスペリメンテーション)であり、実験場(エクスペリメント)であり──実験材料(ヴィクティム)なのだ。
その絶対的に無慈悲なスタンスの前に、バイオレットは途方もない無力感を覚えずにはいられない。
(わたしたちは皆、運命の歯車なのだ──そこに『意思』が介在する余地があると、ブラック兄さんは本気で信じているのだろうか?)
生まれる前から、自分の本質は決定していた。
ナノマシン群体『ARMS』を移植されるべく調整された人造人間……殺戮兵器を身に宿す怪物……マザーARMS『アリス』の執行機関。
それが、キース・バイオレットという存在の定義だ。
彼女がまだ幼かった頃、彼女の所属してたラボの研究員はよくこう言っていた。
「お前は人間ではない──人間の心が無い」、と。
幼心に「酷いことを言うんだな」という感想を抱いたものだったが……今なら分かる。
自分には、『心』が無いのかもしれない──ということが。
バイオレットは泣いたことが一度も無い。
ヒトは悲しいとき涙を流す──バイオレットにだって涙を流した経験くらいはある。
だがそれは、ARMSの共振や物理的な痛みに対して流された、ただの肉体的な反応に過ぎない。
心から涙を流したことが無い理由……それは単純明白に、心がないから──。
エグリゴリのシークレットエージェントとして、バイオレットは幾多の生命をその手に掛けてきた。
だが、涙は無い。それはきっと、生命が失われることに対してなんの感情も抱いていないからだろう。
考えてみればそれも当然の話で、造られた生命である自分が、どうして他人の命を惜しむことが出来るのだろうか。
『生命』の概念を理解できない、壊れた人形──それがキース・シリーズだ。
感情の無い一個の殺人機械として、『アリス』の望む理想郷を体現させる。
それが、唯一にして逃れがたい自分の存在理由なのだ。
「──ともあれ、レッドは最終形態を発現させた。計画は次の段階へ進めなければならない」
ブラックのそう宣言する声で、バイオレットは現実に引き戻される。
頭の切り替えが追いつかないバイオレットは、ややうろたえた口調で問い返していた。
「次の、段階……ですか?」
「そうだ。レッドに必要なものは──『敵』だ」
組んだ手の隙間から、彼の口元が見える。それは、微妙に吊り上っているようにも見えた。
「バイオレットよ、次なる任務を与えよう──」
「らしくないな、バイオレットよ」
ふと気がつくと、傍らにキース・シルバーが直立していた。
改めて周囲を見渡すと、そこはブラックの執務室ではなく、バイオレットの自室だった。
いつ、どうやってここまで戻ってきたのか、まるで記憶に無かった。
籐の長椅子にもたれ掛けていた背を伸ばし、シルバーへと向きなおる。
我ながらもどかしいくらいにその動作は緩慢だった。
「シルバー兄さん……なにか用?」
シルバーは忌々しげに顔を歪ませ、吐き捨てるように言う。
「オレがここまで接近していることに気がつかず、あまつさえ侵入を許すとは無防備に過ぎるぞ、バイオレット。
これがオレではなく、エグリゴリの敵性存在だったならお前は今頃死んでいる」
相も変わらず徹底的に戦闘本位な考え方だった。
貴方は敵ではなく兄だ、と言ってやろうと思ったが、そうした論理をこのキース・シルバーともあろう男が認めたりはしないだろう。
「……グリーンが、お前の様子がおかしいと言っていた」
その顔は、先ほどよりもいっそう苦々しく引き攣れていた。
「まったく……あいつの甘さには腹が立つ。オレたちはそれぞれ対立するプログラムを与えられた、兄弟とは言っても決して相容れない存在なのだ」
「ですが、あなたは現にわたしの様子を見に来てくれたのですよね。それからセピアの元へも」
「ふん、勘違いするなよ。たまたま用件があったからだ。そうでなければ、誰があんな出来損ないなど。
グリーンにも言っておけ。その甘さを捨てきれないようであれば、貴様もレッドやセピアと同じ、出来損ないの仲間入りだとな」
「──そうかしら」
「なんだと?」
「レッド……グリーン……そしてセピア……あの子たちは、本当に『出来損ない』なのかしら。
もしかして、わたしたちこそが『出来損ない』なのではなくて?」
「下らん。オレたちこそがキース・シリーズの純正なモデルタイプだ。やつらはその複製……しかも欠陥の多い初期生産型に過ぎない」
「欠陥、とはなにを指しているの? あの子たちを見ていると、とてもそうは思えないわ。
むしろ、シルバー兄さんの言う『欠陥』こそが、ヒトとして欠くことのできない──」
バイオレットの言を、シルバーは手を振って打ち切った。
「バイオレットよ。愚かなことを言うな。オレたちは人間ではない」
「では、なに?」
「──『キース』だ」
わずかに気詰まりな沈黙に満たされる二人だったが、気を取り直すようにシルバーが軽く咳払いをする。
「……ブラックに任務を言い渡されたそうだな」
その一言に、バイオレットの身体が硬直した。
それはほとんど露骨ともいえる反応で、びくんと背筋が仰け反る。瞳孔が異常なまでに収縮していた。
「やる気がないのなら降りろ。オレが引き継ぐ」
「い、いいえ……そういう訳には……」
「すでにブラックの許可は得てある」
「いいえ! やります!」
反射的に叫んでいた。
バイオレットにそうさせたその原動力とは──やはり、「自分はこの世界を支配する機構の歯車に過ぎない」という思いだった。
任務を遂行できなければ──歯車らしく振舞えないなら──自分は世界から取り残される。
心無いスピードで回る世界に追いつくためには、心無い歯車に徹するしか、道はない。
「やる、わ……」
無意識のうちに掴んでいたシルバーの腕から手を離し、バイオレットは力無く呻いた。
「その状態で満足に任務が行えるとも思えないがな」
「でも……」
いつもの落ち着きをどこかに置き忘れたような妹に、シルバーは舌打ちした。
「まあいい──それとは別件でお前に話がある」
「え……?」
訝しげに眉を寄せるバイオレットの前で、シルバーは乱暴な仕草で空いている椅子に腰掛けた。
「何をしている。飲み物の一つでも出せ」
バイオレットの差し出した紅茶を一口すすり、シルバーはつまらなそうに呟く。
「ふん……どいつもこいつも似たような味だ。こんなものに目の色を変える人間の気が知れん」
だったら飲まなければいいのに、と思うバイオレットをよそに、シルバーは何枚かの書類をテーブルの上に置いた。
「これは元々オレに回ってきた任務なのだが……オレだって暇ではない。他にこなすべき仕事がある。
だからお前かグリーンに回そうと思っている案件だ。超心理学部門の再編成の動きがあるのは知っているな?」
「ええ。わたしもその一部に携わったわ」
「その再編の情報が漏洩している。そして……エグリゴリの監視下に置かれているESP能力者が次々と殺害されている」
「なんですって?」
「犯人の正体、所属、目的は不明だ。複数犯であること、サイボーグなどの強化人間ではないこと、くらいしか判明していない。
だが、その被害対象には共通点がある。強力な能力の持ち主であることと、社会的に知名度の高い者──能力が社会に認知されているかどうかは無関係だ。
そして、これが次のターゲットとして予測される人物だ」
シルバーの寄越したプロフィールに目を通して、バイオレットは奇妙な既視感に襲われた。
それは、どこかで見た写真だった。
高齢の黒人女性で、ニューヨーク在住、そして能力は──。
「『リーディング』と呼ばれる一種の接触感応能力者だ。『ハーレムの聖母』として高いカリスマ性を獲得している。名は──」
「『ママ・マリア』」
先回りしてその名を告げたバイオレットに、シルバーは意外そうな眼差しを向ける。
「……知っているのなら話は早い。任務は彼女を護衛……というよりは、囮として犯人グループをおびき出し、抹消することだ。
背後関係があるようなら聞き出してから殺せ。詳細はレポートに書いてある」
それだけを言うと、シルバーはまだ熱いであろう紅茶を一息で飲み干し、席を立った。
「この任務にすら不手際があるようだったら、例の任務はやはりオレが引き受けるからな。心しておけ」
部屋を立ち去りかけたシルバーの背中に、バイオレットは問う。
「シルバー兄さん。紅茶の味はどうだった?」
その答えは簡潔にして明瞭だった。
「渋い」
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