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「シュガーハート&ヴァニラソウル 49-3」(2007/12/24 (月) 09:59:48) の最新版変更点
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『赤ん坊を待ちながら ④』
静は校庭を見た。
眼下に広がるそこには、帰途に着く生徒たちの群れ、日陰にたむろして間近に迫る期末考査に備えてヤマを確認しあう者たち、
来たる地方大会へ向けて最後の特訓を行う野球部員──なんということのない、ごくごくのどかな学園風景しか見えなかった。
ブギーポップの言うような『怪物』の影など、どこにも見当たらない。
「君はこの世界をどう思う?」
黒帽子の怪人はいきなりそんなことを聞いてきた。
「ど、どうって……」
「よく分からないかい?」
「……うん、まあ」
訳もなく、静は恥ずかしく思う。なにか気の利いたことでも言えれば良かったのだが、なにも思い浮かばなかった。
考えなしの浅薄なやつだと思われただろうか。十和子ならどう答えただろう。
そんな静の考えを読み取ったのか、ブギーポップは肩をすくめてさらに言う。
「なにも恥じることはない。『よく分からない』、つまりこの世界に対する態度が決定していないということは、それだけ多くの可能性を残しているということだ。
もちろん、いつまでも態度を保留し続けることは誰にも出来ない。いつかは必ず、自分と世界のありようを整理する必要に迫られるときが来る。
問題なのは、『そのとき』になって自分がどういう立場を取るか──全てを諦めてしまって『世界の敵』になるか、
それとも『生きていく能力』を絶えず試されるような過酷な試練(ディシプリン)に身を置き続けるか、
或いは、いまだこの世に顕れていない、名も無き『可能性』に全身全霊をかけて挑むか──ということなんだと私は思うね」
そのやや難解な言い方に、静は眉根を寄せる。
さっぱりと言っていいほど理解できていなかったが、それでも──その言葉にはひとつの『正しさ』が込められているような気がした。
「まあ、結局は、自分に出来ることをするしかないのさ。失敗や挫折を繰り返し、そうしたものを通じて己の可能性を試していく──
自分になにが出来るか、なにが出来ないかを見極めながらね。みんなそうやって生きているんだ。ただ待っているだけじゃ、なにも変わらない」
「あなたは──」
「うん?」
「あなたは『自分の出来ること』ってやつを分かってるの?」
「私かね? 私の使命はただひとつ──『世界の敵』を倒し、『崩壊のビート』を止めることさ。その他にはなにも出来ない」
風が静の首筋を撫ぜ、わずかな冷涼感がもたらされる。
ブギーポップのマントがばたばたとはためいていた。
その格好は暑くないのだろうか、と心配になるが、黒のルージュが映える白い顔には汗ひとつ浮かんでいない。
「世界はとんでもなく微妙なバランスの上に成り立っている。それは一昔前の東西冷戦のようなダイナミズムに限ったものではないんだ。
それどころか、『崩壊のビート』は常に身近にこそ潜んでいるものだ。
何気ない日常の会話の中、ささやかな躓き、街の片隅、学校の屋上──
『それ』を越えたら二度と後戻りできないような、そういう一線が、この世には満ち溢れているんだよ。
だから、私のような『泡』が存在を許されているのだろう。『世界の敵』の敵として、それを打ち倒すためにね」
「倒すって……戦っているの? その、世界の敵、っていうのと」
「暴力に頼ることもしばしばある。どうしようもなく歪んだビートを停止させるには、時として必要なやり方だ」
「誰かに頼まれてやってるの?」
「まさか」
「頼まれもしないのに、世界の敵と戦ってるの? なんで?」
「なんでとは随分だな。そうしないと世界の破滅だからだよ」
「じゃあ、その、つまり、いわゆる人類のため、とか?」
「そうさ。我ながら損な役回りだとは思うがね」
「……うーん」
要領を得ない問答の末、静は悟った。
これは自分の手には余る、と。
仕方ないので、静はそれ以上考えるのを止め、そっくりそのまま受け入れることにした。
秋月貴也が『世界の敵』と戦う『ブギーポップ』だと主張するなら、それでいいのではないかと思う。
その認識を改める必要が生じたなら、それはそのときに考えればいいことである。
それに──。
(なんかそういうの、ちょっと素敵かも)
世界を救うために人知れず戦う孤独のヒーローというのは、とてもロマンチックなように思えた。
そんな甘ったるい思考を、ブギーポップの涼やかな声が打ち破る。
「今度は私のほうから聞いてもいいかな?」
「あ、ど、どうぞ」
「君はどうしてここに来たんだい?」
「それは──」
痛いところを突かれたと思う。
あの時見た黒い影を追って屋上まで昇ってきたのは、ただの好奇心とかそういうのでは全然なかった。
「──待ってるの」
「なにをだね?」
ブギーポップの目的を静が問いただしていたさっきとは、まるで真逆の構図だった。
だがもちろん、静が待っているのは『世界の敵』ではない。
そんな、世のため人のためといったものとは大きくかけ離れた、極めて個人的な目的だった。
「赤ん坊」
「ふむ?」
「昔、この街に捨てられた赤ん坊がいたの。どうして自分は捨てられたのか、彼女はずっと考えていた」
後を続けるかどうか、一瞬迷った。だが、ここまで来たら全部話してしまいたかった。
「その赤ん坊は奇妙な能力を持っていたわ。──『だから』、だから捨てられたんじゃないかって、彼女は考えている。
普通じゃなかったから。他の人と同じような赤ん坊じゃなかったから。だから、捨てられた」
うつむき加減だった顔を持ち上げ、真正面からブギーポップを見据える。
「──これ、笑えるかな?」
ブギーポップはそれに首を振った。
その仕草はどこか悲しそうな感じだった。
なんでもないことのように笑い飛ばしてくれるのを心のどこかで期待していた静だったか、
「──世界は誤りに満ちている、私はそう思う」
ブギーポップは笑わない。
「人間が生まれて最初に出会う『敵』とは他でもない『親』だ、という見解がある。
親は自分の思い通りに子供を処し、子供は親の庇護を得るためにそれを受け入れなければならない、と。
簡単に言えば親の躾に適応できない子供は死に至るということさ。だがそれは──究極的に底のない発想だ。
この世界に蔓延する悪意を赤子にまで背負わせる、情け容赦のないその考え方を、私は認めない」
声音や表情からはまったく伺えないが、その言葉は非常に苛烈なものだった。
「も、もしかして怒ってるの……?」
「私はなにかに対して怒ることは出来ない。決まりでね」
そうは言うものの、言葉の端々から『許せない』という雰囲気を漲らせているような気もするのだが、
ブギーポップにとってそれは『怒った』うちには入らないのだろうか。
「話の腰を折って悪かったね──それで?」
促されるままに続ける。
「……成長した彼女は、わずかな手がかりを頼りに再び街に戻ってきたの。そのことを確かめるために。
本当の両親に会うために。捨てられたその理由を、捨てられた赤ん坊の面影を探すために。
だから……だから、彼女は待ってる。捨てられた過去が浮かび上がってくるときを」
「だから、自ら怪奇に首を突っ込むというわけだね。
平穏でなんの変哲のない世界に身を置いていては、その見失った運命の糸を手繰り寄せることは出来ない、ということかな?」
「──うん」
ブギーポップは深く、長く息を吐いた。それは吐息というよりはむしろ「フーッ」と口で言ってしまっているのに等しかった。
「なるほど──君にとっての避けがたい『戦い』とは、自分自身が相手のようだね。それはそう、まるで『カーメン』に挑む者のように、ね──」
文脈的に意味不明の単語を吐かれ、静は目を丸くする。
「……ラーメンが、どうしたの?」
「いや、なんでもない。ただの戯言さ」
静が理解できなかっただけで、それはもしかしたらブギーポップ流のジョークで、自分の気持ちを和ませてくれようとしたのだろうか。
その可能性はとても低い気がするが、それでもそう思うと少しおかしかった。
「──こんなこと話したの、あなたが初めて」
「それは光栄だね。君は友人にそうしたことを話したりしないのかい?」
またしても痛いところを突かれる。
「い、言えないよ」
「なぜ」
「だって……こんな話しても、きっと負担にしかならないと思うから。その人、とても優しくて、つい甘えたくなっちゃうような人だから」
そう言うと、ブギーポップは大仰に肩をすくめてみせた。
「ははあ、なるほど。私は優しそうには見えなかったわけだね。君の言うことなど思い切り聞き流す奴だと」
「え……そういうわけじゃ、ないんだけど」
こいつは拗ねてるのか? と静は思うが、ブギーポップはどこまでも真面目な顔をしていた。
「いや、おそらくその通りだ。私は『世界の敵の敵』だからね。君の個人的な悩みに対して他人事であることには自信がある」
「そんなこときっぱり断言されても困るよ……」
半眼でそう呟く静だった。
その時、奇妙な音が周囲に響き渡った。
それは学園施設の至るところに設置されているスピーカーの共鳴音だった。
きぃぃん、という甲高い音の後に「ばしゅ」というなんか気の抜けた感じの、回線の接続音がした。
『あ、あー、テステス。五十嵐先生、これもうしゃべっていいの?』
割れたその声を聞いて、どこか夢心地だった静は我に返る。
『お、繋がってるわ』
「……十和子?」
『えーと、中等部の李小狼くん、木之本桜さん、これを聞いたら今すぐ放送室まで来なさい。
繰り返します。中等部の李小狼くん、木之本桜さん、これを聞いたら今すぐダッシュで三分以内に放送室まで来い。以上』
なんとも倣岸不遜な内容を一方的に流し、マイクの向こうの声は途切れた。
「な、なにやってるの十和子……」
誰にとなく訊いてみるが、その場にいない十和子に答えられるわけもなく、またブギーポップが答える道理もない。
ために、静の疑問は沈黙を以て返された。
「わ、わたし、もう行くね」
「今のが君の『優しい』友達かい?」
「う、うん」
「私がよろしくと言っていたと伝えておいてくれないか」
朴念仁丸出しのブギーポップにしては、分かりやすくて気の利いた冗談だと思う。
「分かった」
一度は塔屋のドアに向かいかけた静だが、
「……また、会える?」
そう聞くと、素っ気無い首肯で応えられた。
「しばらくは、放課後ここで見張りを続けるつもりだ」
「じゃあ、またね。世界を救うお仕事、頑張ってね」
今度こそドアをくぐった背後から、声がかけられた。
「静・ジョースター」
「え?」
「私は『世界の敵』と戦うことが出来る。だが、世界を救うことなど決して出来ない」
予想外の告白に、静は後ずさって塔屋から首を出す。
世界の滅びを食い止めることが世界を救うこととイコールでないのなら、いったいなにが『救い』なのだろうか。
「なぜなら、私は怒りも喜びもない、自動的な泡だからだ」
振り仰ぐ給水タンクの上には、もはや誰もいなかった。
「──世界を救うこと、それは君たちの仕事だ」
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