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走っていた。シグバールは走っていた。ただひたすら距離を縮めようと
必死だった。速く。ひたすら速く。それだけを一念する。
彼の戦いは、すなわち時間との戦いだった。接近戦、それに持ち込めば、
勝てる自信はある。だが、そのまえに、あの誘導式の銃弾が発射されれば。
シグバールの聴覚は、つんざくような音を捉えていた。一直線にこちら
に向かっている音だ。それはシグバールに戦慄を覚えさせた。殺気が肌を
通り、全身に伝播する。全細胞が警鐘を鳴らしている。
あれは、とても恐ろしいものだ。
「おいでなすったな」
両手のガンアローを一回転=リロード。そして牽制に銃撃銃撃銃撃銃撃。
標的はかくん、と軌道を変え、ジグザグに移動しながらそれを回避。その
まま向かってくる。死を引き連れて。死を撒き散らすために。それはやっ
てくるのだ。
「ケッ! あたらねーとは思ってたけどよ!」
シグバールはそのまま走る。魔弾を撃墜しようとは思っていない。敵の
位置にこちらが到達するまで、足止め出来れば御の字だ。だから必要最
低限の射撃しかしない。
それでもあれは、あらゆる障害を踏破し、獲物を追い、殺すだろう。
それは一人の女性が死に抗い続けた抵抗の証だった。彼女の生きる意志が
為しえる奇跡だった。その意思を打ち砕くほどの力がなければ、それを
打倒することはできまい。それも、生き延びたい、という強い感情にだ。
感情が生み出す力は数多くあるが、これを凌駕するものはあるまい。
そして、自分にはそのような感情からくる強さ絶対にない、とシグバール
は静かに自嘲した。ノーバディなのだ。心がないのだ。まがい物の自分達
には絶対にまねできない強さだった。それをうらやましい、悲しいと思う
こともない。心がないのだから。
「いらだたしい奴、ってハナシだ!」
感情の発露は演技でいくらでもごまかすことができた。人間だった頃の記憶を
機械のようにサルベージし、自分がどう笑っていたのか、怒っていたのか、悲し
んでいたのかを再現する。
だからこれも模倣に過ぎない。どんなに感情豊かに笑って見せても、大声で
激昂して見せても、涙を流して悲しんで見せても、彼らの中は冷えきってい
る。彼らがノーバディとなったあの日から、どうしようもない空洞が空いている。
そしてそれは癒しようがない。いつまでも虚無に蝕まれ続けるしかない。
リロード。同時に牽制のため射撃。またしても魔弾には当たらず。それが
シグバールに若干の焦りを与えていた。後もう少しでたどりつける程に、距離は
つめた。もはや王手詰みの段階に来ている。頭ではそうわかっている。
が……もっと深いところで、いうなれば猟師としての経験が彼の内に変化を
生じさせていた。それは波だった。シグバールの深層から表層に一気に吹き出
してくる。そしてそれはいつも彼の全身を、雷撃のように震わせる。
波が来た。そう感じたと同時に、全身が総毛だった。
魔弾が消えた。波はこれを予期していたのか。
これが本当の魔弾。肉眼では捉えられないほどの速さ。
周囲から音が消え、ただ心音だけが強く響いていた。
右だ。
本能が訴えてくるこの感覚を、シグバールは大事にしている。
いつも彼の命を救ってくれるのだから。
だが、かわすことができるのか。
かわしきることが無理ならば。
シグバールはわずかに重心を左へ移動させた。彼の心臓を狙っていた魔弾は、
標的の急な体勢の変化に対応できなかった。それでも、その右腕をとることには
成功した。シグバールの身体から引き剥がされたものは、空間制御の恩恵をあずかれない。
重力に引きずられるがまま、彼の右腕は落下していった。
あまりの激痛に思わず膝を突きそうになるのを寸でのところで踏みとどまる。
右腕周りに干渉し、重力を制御、出血を止める。
歯を食いしばる。裂帛の気合を呼気とともに吐き出す。そして、右足を前へ。
ひたすら前へ。それだけが彼に残された必勝の手段だ。己のすべてをそれに賭
けるしか、他に道はない。
その姿がどれだけ惨めだろうとも、彼は歩みを止めない。前へ進むことを止めない。
それは生きるための行為だった。自分の存在価値を勝ち取るための行為だった。
ノーバディは、その存在を否定された者たちだ。彼らは希薄な存在であり、時間がたてば
いずれ消えてしまう。それは人間の一生よりも遥かに短い。上級のノーバディである彼も、
その必滅の運命からは逃れられない。
彼はその運命に抗っている。自分を否定するものに打ち勝ち、自己を確立するために。
だから彼は戦いを続ける。だから歩みを止められない。逃げることが出来ない。
ひゅるっ、と魔弾が軌道を変えた。今度こそ急所を貫き、彼を死に至らしめるために。
シグバールは残った片手を意識を集中させた。痛みを意志の力で押さえつける。残った左腕。
この腕さえあれば、まだ窮地を脱することができる。
――勝とう。まだ自分は死ねない。未練がある。ゼムナス――あの友人がどこまで
いけるのか、ノーバディはどこに行くのか、その先を知りたかった。どんな結末に終わるのか
はわからないが、それを見届けることは、賢者の目を欺き、人間を実験台にして心の研究
を始めてしまった自分達の責務だと思えたから。
そのためにはなんだってしよう。四肢を捧げてもかまわない。
目を凝らした。視神経が焼ききれるほど凝視した。魔弾の軌道を読むために。
目が熱かった。意識が何度も断絶しかけた。
鼻から血が流れ出た。血涙が頬を濡らした。あまりの処理速度に脳髄が悲鳴をあげていた。
それでもシグバールは止めなかった。
うっすらと、白い線が見えた。それは心臓のある位置から伸びて、魔弾とつながっていた。
それは魔弾がシグバールの身体を撃ち抜く軌跡がイメージされたものだった。軌道を読むこと
はできた。後にやることは。
シグバールはガンアローを撃った。魔弾の芯を狙って。白い線をなぞるだけでよかったので、
思いのほか楽だった。次々と命中していくガンアローの光弾。だが魔弾は止まらなかった。
彼女の牙は大きく、鋭かった。止めることは不可能だった。ただ、勢いは大幅にそがれて
はいた。それが狙いだった。
シグバールは、魔弾に向かって左手を差し出した。そして、魔弾が着弾するのを待った。
程なくして、魔弾は牙を突きたてた。痛みは不思議となかった。ただ異物が侵入してくる
不快感があった。ずぶずぶと肉をえぐり、骨を砕いた。シグバールはその感触に悲鳴を上
げそうになった。だが、必死に歯を食いしばって耐えた。
魔弾は心臓を目指していた。それは魔弾にとってなんでもないことだった。人体を破
壊することはたやすいことだった。人間に近い構造を持つノーバディを破壊することもわ
けはなかった。
だが。このときは勝手が違った。いつもより切り裂くのに勢いがない。
何故だ――何故何故何故。
天恵の閃き。この射撃のせいか! この正確にこちらの芯を捉える射撃は、すべて魔弾
を無力化する布石だったのだ!
気づいたときにはもう遅い。距離をとろうとも、もはや魔弾に肉を切り裂き離脱する
力はない。魔弾は肉の檻に閉じ込められていた。魔弾は心臓に達する前に、シグバール
の体内で動くのを止めた。
シグバールは絶叫した。
リップヴァーンは、自分の異能を退けた者を見て、恐怖していた。
シグバールは彼女の死そのものだった。
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