「ヴィクティム・レッド 48-1」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「ヴィクティム・レッド 48-1」(2007/12/24 (月) 11:20:31) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
キース・バイオレットの予想に反して、寝台の上のセピアは元気そうだった。
あくまで予想に反して、というレベルの話ではあるが。
セピアの収容されている個人病室の、過剰に豪奢な装飾はバイオレットの趣味だ。
同じく彼女の趣味のコレクションであるマイセンのティーカップに深紅色の液体を二人分注ぎながら、呟くように言う。
「急に倒れたと聞いたから驚いたわ」
「ごめんなさい……お姉さま」
「『お姉さま』はやめなさいと言うのに」
「でも、お姉さまはお姉さまですから」
ぎこちない笑みを浮かべるセピアの顔は蒼ざめていた。
その細腕には点滴のチューブが二本接続されている。鎖骨の辺りにさらに一本。
管を通して彼女の身体に注がれる薬液の名を、バイオレットは知らない。
カップを載せたソーサーを一つセピアに差出し、もう一つを自分に引き寄せる。
一口だけすすり、バイオレットは苦虫を噛み潰した顔になる。
「……そんなに、悪いのか」
「え、違いますよう。これはドクターが大げさなだけです。それに、この内の一つはただの栄養ですよ。
ご飯食べなくていいからダイエットにちょうどいいかなー」
冗談めかして言うセピアだったが、バイオレットは笑わなかった。「なんちゃって……」という声だけが空しく宙に浮かぶ。
「つまり、食事を摂る体力も無いということなの?」
「あの、本当にそんな騒ぐほどのことじゃないです。年に一、二回はこんな感じにちょっと疲れちゃうだけですから」
「セピア」
「いえ、本当に本当の本当です」
そのなんでもないふうを装う態度の裏に、頑ななまでの意固地さを感じ取ったバイオレットは諦めて息をついた。
このまま押し問答を続けたところで、セピアは決して「はい、実は心臓発作で死に掛けました」などとは言わないだろう。
それこそ、たとえ心臓が止まっても。
仕方なく、話題を変える。
「他に誰かが見舞いに来たかしら?」
「えー、とですね。一番最初に来てくれたのはグリーン兄さまでした。
いきなりヒュパって病室に。看護師の人が凄いびっくりしてました。わたしも口あんぐりでした。
それからシルバーお兄さまも。──あの、これはシルバーお兄さまには内緒にして欲しいんですけど」
「なに?」
「シルバーお兄さまが来たのは病室に入るかなり前から分かってたんですけど、
でもなんか顔合わせ辛くて、寝たふりしちゃったんです」
「なるほど、それは秘密にしておこう」
「それからブラックお兄さまにも来ていただきました」
その言葉に、バイオレットはわずかに違う反応を見せる。
「……どんな話をしたの?」
「どんなって……『体調はどうだ』とか『ARMSの拒否反応は出ていないか』とか、そういうことです」
さして期待はしていなかったが、やはり長兄の意図を探る手掛かりは残されていなかった。
「あ、それと、IMCセンターの人──任務のないときに詰めている職場の人、が何人か」
と、セピアはサイドボードに置かれた果物籠を指し示す。
「まあ……」
バイオレットは驚嘆半分、羨み半分の気持ちで溜息をつき、飲みかけのカップを皿に戻す。
かつてレッドにも言ったことだが、彼女は警戒心が強い。そのようにバイオレットには感じられる。
表面上は常に快活さを失わないセピアではあるが、それが彼女の本心からのものだとはバイオレットには信じられなかった。
彼女もまたキースシリーズなのだ。その仮面の下には埋めようのない孤独感や虚無感が付きまとっているのだろう。
セピアがこうして他のキースシリーズには類を見ない良好で微温的な人間関係を築けているのは、
彼女がその血を流す思いで外の世界に切り込んでいるからに他ならない。
『モックタートル』の機能を用いて、人の感情の変化やその場の空気などといったものを読み取り、
たとえ表面的に過ぎなくとも上手に合わせているのだろう。
そうしたベクトルでの努力は、ブラックやシルバーはおろかバイオレットですらおざなりであった。
セピアだけが、ARMSを実生活の役に立てようという知的勇気を持っていた。
「そう言えば、レッドはどうしたの? 見舞いに来なかったのか?」
バイオレットとしてはなんの気なしの質問だった。
見舞いに誰が来た、という話にレッドが出てこなかったことを踏まえての発言だったが、
そんなことは聞くまでもないことで、質問の意図的には「レッドは今どこにいる?」といった意味に近かった。
だが、そのバイオレットの目の前でとんでもないことが起こった。
ぼっ、とそれこそ火のつくように、セピアの顔が一瞬で耳まで紅潮したのだ。
「────っ」
「……ど、どうした」
その突然の変調にうろたえたバイオレットが腰を浮かしかける。
セピアは彼女の凝視線を防ぐように両手を突き出し、ふいっと顔が胸につく角度で俯いた。
「いえ、あ、あの──いかえ──ました」
「なんですって?」
「お、おい、追い返し……ました。来て、は、くれたんですけど」
「なぜ」
「はず、恥ずかしくて」
その意味が把握できず、バイオレットは眉を寄せた。
「それこそ、なぜ? レッドと喧嘩でもしたのか?」
「いえ、あの、ケンカとかじゃないんですけど、ある意味それ以上というか」
セピアは困ったように、いや、困っているとかそういうのとは切り離された、バイオレットには理解できない感情のために、
ぶんぶんと何度も首を横に振って執拗なまでに拒否の意志を明示した。
「む、無理です」
なにが無理なのかさっぱりだったが、やはり問い質したところで詮のないことなのだろう。
バイオレットは再度諦めて、冷めたティーカップに口を付けた。
セピアがなにを考えているか分からないのは、自分が人の心を理解できないからではないだろうか。
そう思うと、口の中の紅茶はひどく渋く感じた。
突拍子もないバイオレットの質問に、キース・グリーンはさすがにキナ臭そうな顔をした。
「──心?」
「ああ。あなたはどうだ。なにかを恥ずかしがったり、なにかに泣いたりすることはあるか?」
「はあ? なんで僕がそんな女々しいことをしなければいけないんだよ」
「ならば、なにかに怒ったり、なにかに苛立ったりすることは?」
「やめてよバイオレット姉さん。レッドじゃあるまいし」
相変わらず屈託のない返答であった。彼女が欲しかったのはそういう答ではなく、
そもそも質問が微妙にズレたかたちで受け取られている。話が噛みあっていないと言っても良かった。
さすがにこれは予想していたバイオレットだったが、それでも予想と期待は違う。
胸に沸き起こるなんとも言えない虚脱感を呼気に変えて、身体の外へ逃がす。
「はあ……だからあなたは『坊や』だというのよ、グリーン」
「な、なんだよ、それ」
「──ヒトには心がある。私たち作られた『キース』にも『それ』はあるのか、という話よ」
「ああ、そういうことか。それならそうと言ってくれれば良かったんだ」
「本当に分かっているのかしら」というバイオレットの疑わしげな視線などどこ吹く風で、
グリーンはふむふむと思案深げに何度もうなずいた。
そして、やおら顔を上げる。
「でも、なんでそんなことを? 普通人の尺度なんてどうでもいいじゃないか。
あいつらは僕ら優良人種たるキースシリーズを憎んでいるのさ。いずれ滅ぼされるべき僕らの敵だよ。
僕たち兄弟だけが世界で唯一つの味方なんだ。心だなんだなんて下らないよ」
バイオレットはしばらく答えなかった。
黙して自分の爪先に目を落とす姉を眺めて、グリーンは肩をすくめる。
「──紅茶」
「……え?」
「ヒトはよく美味しそうに紅茶を飲むわ。そして笑い、語らう。だから私もよく紅茶を飲むのだが……」
「そんな理由で飲んでいるのかい?」
呆れたようにグリーンが漏らす。
バイオレットの美貌は、その時だけは歪んでいた。
己の喜劇的なまでの稚気を嘲笑っているのか、それともまったく別の痛みをその身に受けているのか、
それはグリーンに分かるはずもなかった。。
「──だが私は、紅茶を美味いと感じたことが一度もないの。……だから、笑えないのだろうか」
答える言葉を持たないグリーンが沈黙を保ち、そのまま数秒が過ぎる。
「……変な話をしたわね。悪かったわ」
その無言の空気を振り払うように、バイオレットが話を脱線させたことを詫びる。
そして、二人は本線の話──、クリフ・ギルバートの引き起こしたサイコハザード『クリフ・ショック』の後始末であるところの、
エグリゴリの超心理学部門の再編成についてに議題を戻した。
といっても、大まかな変更案はすでにブラックの筋から提出されており、彼女らのやることはその細部を詰めることであった。
危険度レベルの再評価、外部監視対象者の監視体制の効率化、第三者的な審問期間の設立、研究報告の徹底告示……。
右から左と書類を捌いていくバイオレットの手が、ぴたりと止まった。
「どうかしたのかい、バイオレット姉さん」
「……この監視対象者」
どれどれ、とグリーンが横から覗き込む。
「ああ、ESP能力者か。僕も話だけは聞いたことがあるよ。
彼女は対象に接触することでその人の心を読み取ることのできる、『リーディング』と呼ばれる能力の持ち主だよ。
ハーレム住まいで……確か、名前は」
バイオレットはすでにグリーンの言葉など聞いていなかった。
ただ、穴の空くほどの鋭い目つきでその書類に添付された写真を見続けていた。
「あ、そうそう。『ママ・マリア』だ」
表示オプション
横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: