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「ヴィクティム・レッド 47-8」(2007/12/24 (月) 11:51:38) の最新版変更点
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現在、カリヨンタワーの下層階で行われている惨劇とは切り離されたような静謐な病室で、ユーゴー・ギルバートは眠りに就いていた。
だがそれは安らかと言えるようなものとは程遠く、じっとりと脂汗を額に滲ませて時折うなされたように声を上げる。
「にいさん……」
天使の表情に憂いの色を詰め込ませ、ユーゴーはその悪夢の覚めるときを待っていた。
それはまるで悪夢だった。
クリフ・ギルバートの悪意は壊滅的な広がりを見せ、カリヨンタワーの下層部分を蹂躙していた。
キース・シルバーの『ブリューナクの槍』の刻んだ傷跡は建築構造物の強度を大いに弱め、
キース・レッドとキース・セピアが放った超震動がそこに情け容赦ない揺さぶりを掛けていた。
これらの状況が示す帰結点は一つ、基礎部分に致命的な損壊を受けたカリヨンタワーの崩壊である。
徴はすでに顕れていた。
医療セクションのあったフロアの床が粉微塵になり、ありとあらゆるものが階下へ、そしてさらに階下へ──
全てが奈落に落ちようとしていた。
それは『マッドハッター』も例外ではなく、むしろその重量と放熱量ゆえに他のなによりも強く、
階層ごとの遮蔽物を突き破って真っ逆さまに消えていってしまった。
「『ロンドン橋落ちた』……?」
キース・バイオレットが呆然と呟くのへ、キース・グリーンが宙を見つめていた視線を彼女へ移す。
「どうかしたのかい、バイオレット姉さん」
「『アリス』が……歌っている」
バイオレットは低く細く口ずさむ。
「『ロンドン橋 落ちた 落ちた 落ちた ロンドン橋 落ちた マイ フェア レディ』」
「『マイ フェア レディ』ってのはなんなんだい?」
その言葉で現実に引き戻されたバイオレットは、む、と眉をひそめた。
「──ロンドン橋には、橋の上に幾つもの商店が並んでいた。ロンドン橋自体が小さな町だったんだ。
そして、建物の重みに耐え切れず、ロンドン橋はしばしば崩落(ブレイクダウン)した。考えてみれば当然の結果でしょうね。
そうした事故を鎮めるために捧げられたのが、乙女(マイ フェア レディ)なのさ。
彼女は人柱なんだ……起こるべくして起こる『世界の終わり』を食い止めるための、
どこまでも不条理で理不尽な『犠牲の仔牛(ヴィクティム)』……」
キース・レッドの眼下には、深淵が広がっていた。
ぽっかりと口を開ける空洞の中心から、濃密な気流が渦を巻いていた。
その感覚はすっかり御馴染みになった、クリフ・ギルバートのサイコキネシスだった。
シルバーはもうこの場にいない。クリフの精神フィールドすら届かぬ地の底から、彼の共振反応がおぼろげに感じられた。
そして、セピアは──。
「セピア! どこにいる!?」
セピアの共振は、クリフの獰猛な領域の真っ只中に感じられていた。
それも非常に弱く、途切れ途切れで、位置までは特定できないでいる。
「セピア!」
身を動かすと激痛が走る。シルバーとの戦闘で酷使した超震動が、レッド自身にも深刻な悪影響を及ぼしていた。
今すぐにでも身体がばらばらになってしまいそうだった。
だが、今度こそ躊躇する時間も迷う時間もなかった。
『モックタートル』の反応はこうしている間にも徐々に弱くなっていき、クリフの際限の無い憎悪に飲み込まれて泡と消えてしまいそうだった。
レッドはセピアの手の温もりを思い出す。彼女と直に触れ合ったことを。
彼女がいなくなってしまうことは、なによりも『嫌なこと』のような気がした──。
キース・レッドの身体が宙に踊る。
時を経れば経るほど彼のサイコキネシスは強大さを増してゆき、
『グリフォン』の超震動など比べ物にならない破壊力をこの世に顕現させている。
機能の弱まっていたレッドのARMSは、その身を切り裂く衝撃を防ぎきることが出来ない。
まず生身の部分から、そしてナノマシンで構成されている両腕が、分子レベルで破壊されていく。
彼の最後のときは間近にあった。断末魔というものをこの世に叫ぶなら、今がその時だろう。
そんなことにはお構いなく、構うほどのものではないと言いたげに、レッドはまったく別のことを叫ぶ。
「どこだ……セピア!」
次の瞬間には、あらゆる異物を排撃するクリフの精神フィールドの中に突入していた。
レッドの耳に、セピアの声がこだまする。
『どうしてそんなムキになってるのよ!』
そう、レッドはムキになっていた。
『分かんないよ、どうして!?』
それに答える言葉があるはずだった。
だがそれは声になる前に消えてしまった。レッドはまだ、セピアの問いに答えていない。
もしも叶うなら、レッドは彼女に『それ』を伝えたい。言葉にならなかったその心を、確かな言葉に変えて。
それは言葉にすると、つまりこういうことだった。
レッドは──クリフ・ギルバートが羨ましかったのだ。
クリフは今、文字通りの手当たり次第に暴れまわっている。それこそ世界を滅ぼしかねない勢いで。
その後先の考えなさは、たとえ勘違いであれ、ユーゴーを目の前で失っていることに起因しているようにレッドには感じられた。
「妹のいない世界には意味が無い」と、そういう絶望に満ちていた。
だが、あのとき、シルバーの『ブリューナクの槍』がセピアとユーゴーを襲ったとき、レッドはなにも出来なかった。
二人を、セピアを救うことどころか、世界を滅ぼすことも出来なかったのだ。
二人を撃ったシルバーよりも、ただ突っ立てるだけの自分が許せなかった。
シルバーとの対決に拘り、結果的にクリフとの激突を避けたのは、そういうことだったのだ。
要するに八つ当たりの相手として、良心……というかレッド自身の美意識の呵責なしに
怒りをぶつける相手として、キース・シルバーを選んだのだった。
シルバーが『自律された暴走』を止め、レッドとの接触を避けるつもりなら、それはそれで構わなかった。
クリフやユーゴーのことが心に深く突き刺さっていたのもまた事実だったから。
だが、もしも……シルバーが「任務を阻害する敵」として目の前に現れたらなら、その時は──。
その結果が、これだった。
どこまで行っても自分は馬鹿なのだ、と思う。
だがそれでも、いや、だからこそ、今ここでその帳尻を合わせなければならない。
機械でもなく、獣でもなく、この世に唯一のキース・レッドとして、セピアの手を、今一度──。
「答えろ、セピア! どこにいる!?」
声を嗄らして叫んでも、それはコンクリートや鉄骨と一緒くたに飲み込まれ、原型も留めないほどに噛み砕かれる。
その中で、粉々に分解してゆく『グリフォン』が、微かに疼いた。
『ここにいる』
『わたしは ここにいる』
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