「狂った世界で 序章 46-1」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「狂った世界で 序章 46-1」(2007/03/12 (月) 13:47:56) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
緩やかに降り注ぐ雨の音色だけが、耳朶に吸い込まれては消えていく。
先ほどから体の震えが止まらないのは、単純に、雨で冷えたせいだけではないだろう。
私はおそらく、不安なのだ。でも、その不安を、例え心の中だとしても、言葉にはしたくなかった。
不安の正体を言語化した瞬間、言葉が力持つ言霊となって、現実に干渉してしまう……そんな、根拠のない妄想に苛まれる。
私は顔を上げて、首を振った。まるで雨上がりの犬みたいに、髪の毛に付いた水滴を、四方八方へと飛び散らせる。
父様も、母様も、とびっきり強くて優秀な忍びだ。
私は、二人を間近で見ていて、それを誰よりも実感している。
今までだって、何人もの追っ手を返り討ちにしてきた。
だから……すぐに戻ってくる。
父様は、大丈夫だ、と言って、頭を撫でてくれた。
母様は、すぐ戻るから、と言って、抱き締めてくれた。
頭に、父様の大きな手の感触が。体に、母様の柔らかな温もりが。まだ残っている。
それを失いたくなくて、私は膝を抱え、その間に頭を埋めて、時が過ぎるのを待った。
そうしてから、どの位の時間が経っただろうか。
がさり、と音がした。私が背を預けている古木の上から、気配を感じる。
「父様!? 母様!?」
私は思わず叫んで立ち上がり、頭上を見上げる。
次の瞬間、三つの影が、私の周りを囲むようにして、音も無く地上に降り立った。
三人……? 頭を掠める小さな疑問。
でも、すぐに気付く。彼等が、父様でも母様でもないことに。
彼等は、全員追い忍の仮面をつけていて、衣服は鮮血で真っ赤に染まっていた。
「奴等の子供か」
仮面の向こうで、感情の無い声がした。私から見て右側に立っている男だった。
「どうする? 母親から血継限界を受け継いでいるなら、利用価値はあるかも知れんぞ」
正面の男が言う。しかし、右側の男は手を軽く挙げて首を振った。
「落ちこぼれと交わった血継限界など使い物にならん。それに、任務は『関係者の抹殺』それ以外ない」
唇を噛み締める。話を聞く内、恐怖よりも憤怒が上回りつつあるのが、自分でもわかった。
勇気を振り絞って、三人を睨みつける。その冷たい仮面の奥にまで、私の敵意が伝わるように。
「父様を、母様を、どこへやった!」
そして、震える声で、言葉を叩き付けた。
「血継限界の女は、向こうに転がっている。回収はお前を始末した後になる。『父様』とやらは――」
正面の男はそこで言葉を切り、左側に立つ男の方に顔を向けた。
「『これ』か」
左側に立っている男は、背負った大きな袋を探ると、中身を取り出して、私に向かって放った。
投げられたそれは、小さな放物線を描いて飛び……ばしゃりと。私の足元、水溜りに落ちた。
「あ……」
視線を落として、私は戦慄した。
水溜りに打ち捨てられたそれは――引き千切られた腕だった。
見間違う筈もない。ついさっき、私の頭を撫でてくれた、父様の腕。
許せない……こんなの、許せるわけがない……!
感情が爆発した。後先なんて、考えなかった。憎悪を胸に、泣き叫びながら、印を結ぶ。
未熟な私の唯一の武器は、母様から受け継いだ血継限界。土塊を自らの手足のように自在に操る、土遁系忍術の素質。
勿論、私のそれは二人には遠く及ばない。父様、母様、二人がかりでも敵わなかったこいつらに勝てる道理などない。
だけど、このまま黙って殺されるくらいなら、せめて。父様と母様への手向けとして、掠り傷の一つも負わせてやる。
「土遁、泥人形……!」
果たして、絶叫は言葉になっていただろうか。それでも、私の想いに呼応するようにして、術は発動した。
瞬く間に周囲の地面が隆起、盛り上がった土砂が、四体の人形(ヒトガタ)に姿を変える。
人形の数は想像していたよりも少なかったが、私のチャクラ量では、全力を振り絞ってもこれが限界らしかった。
「……くだらん」
肩を竦め、正面の男が嘲る。
無駄な抵抗と、笑いたければ笑えばいい。私はもとより、死ぬ覚悟なのだから。
「行け!」
私は殺意を込めて、左の男を指差す。四体の泥人形が一斉に、男に襲いかかった。
これが通常の戦闘であれば、私はこんな無茶な真似はしない。残る二人の攻撃を警戒して、泥人形二体を手元に残しておく位はしただろう。
だが、今は身を守る事なんて頭になかった。そもそも、そんな小細工で戦況に影響を及ぼせる程、優しい相手でもない。
私の望みはたった一つ。憎むべき仇に手傷を……!
「水遁、水鉄砲」
心なしか、余裕が感じられる声だった。見ていて腹立たしいくらい流麗な動作で、印が結ばれていく。
そして、左の男が翳し、振るった腕全体から、水流が砲撃の如く凄まじい勢いで射出される。
今まさに男に掴みかからんとしていた泥人形たちは、水流の直撃を受けて、粉々に砕け散った。
「く……!」
不快な音を立て、泥人形の残骸が私の頬に貼り付く。
「終わりか?」
左の男が、わざとらしく首を傾げた。
「だから使い物にならんと言ったのだ。わざわざ試してやるまでもない。折角の血継限界を、こんな屑に貶めよって」
言いながら、正面の男は鞘から忍者刀を抜き、構えた。
私は、硬く目を瞑る。三人が距離を詰めてくるのが、気配でわかった。
父様、母様、ごめんなさい。私、何もできなかった……
直後、風を切る音。続いて、肉が切り裂かれる音がした。
でも、おかしい。何がおかしいって、私の体に、痛みが……ない。
「何だと!?」
狼狽した男の声で我に返り、私は瞑っていた目を開いた。
正面で刀を構えていた男は、私の足元でうつ伏せに倒れていた。背には、深い刀傷。
「ぐあうっ」
呻き声。と同時に、倒れている男の上に、折り重なるようにしてもう一人が崩れ落ちた。
そこでようやく私は視線を上げて、状況を把握する。
目の前に、異形がいた。
ろくろ首のように伸びた首。生気を感じさせない白い肌。狂気を孕んだ鋭い眼光。
そして、全身から発散される、とてつもない威圧感。
懇切丁寧に説明されなくてもわかる。こいつが、追い忍たちをいとも容易く骸に変えた張本人だ。
「ククク……誰かと思えば。追い忍風情が、私の縄張りで一体何をやっているのかしら……?」
「おのれ……ば、化け物めが……!」
仲間を二人失い、一人取り残された追い忍は、先程の自信に満ちた様子が嘘みたいに動揺していた。
眼球は落ち着きなくあちらこちらへと泳いでいて、倒すべき敵の姿を映してはいない。
まるでその姿は――蛇に見込まれた蛙のようで。傍目から見ていても、殆ど戦意を喪失しているのは明らかだった。
構わず異形は、伸びた首を鞭のように振るう。いつの間にか、その口腔内からは大振りの剣が生えていた。
追い忍の頭部が、血飛沫を撒き散らしながら、宙に舞った。
それは無造作に投じられた賽のようにころころと転がり、木の根元にぶつかって止まる。
一拍遅れて、思考を奪われた胴体が足を折り、軟体動物を想起させる滑稽な動作で地に這い蹲った。
異形は気色の悪い異音を発しながら、再び胃袋の中に剣を収めてしまうと、呆然と立ち尽くす私へと歩を進めた。
私は、一切の抵抗を止めていた。最早いかなる行動を起こそうと無駄だと、本能で理解していたから。
結局のところ、こいつの胸三寸で全てが決まるのだ。しかし今となっては、それならそれで構わない、と思う。
期せずしてとはいえ、唯一の心残りであった仇は、私の眼前で無惨な死を遂げたのだから。
「希少性はそれほどでもないようだけれど……なかなか興味深い素材ね」
異形は、無遠慮に私の顔を覗き込むと、背筋の寒くなるような微笑を浮かべる。
「私の住処はすぐ近くにある……もし、強くなりたいのなら来なさい。衣食住だけは保証してあげるわ」
それだけ言うと、さっさと背を向けて歩き出す。強制はしない、と言いたいのだろう。
どうやら、私を殺すつもりではなかったらしい。それどころか『強くなりたいのなら来なさい』だ。
安堵と同時に、抑制していた種々雑多な感情が押し寄せて、ともすればその場に膝をついて嗚咽を漏らしそうになる。
俯いて歯を食い縛り、暫くの間、自己意識すら呑み込んでしまいそうな感情の激流に耐えた。
少し落ち着いてから、頬を伝った涙を衣服の袖で拭い、森の奥へと消えようとしている、名前も知らない異形の背を追った。
勿論、こいつが人助けをしようなんて殊勝な輩ではないことは、言われなくとも、その禍々しい雰囲気から察している。
それでも。これは私なりに考えた末の結論で、決意表明だった。心残りは一つだけではなかったのだと、たった今、気付かされたから。
表示オプション
横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: