「戦闘神話10-2」(2007/03/04 (日) 12:58:18) の最新版変更点
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part.10act2
閃光の鉄拳が驟雨となって海皇へと襲い掛かる。
天馬星座の神聖闘士の代名詞たる流星拳であるが、
その拳速はもはや音の域を遥かに飛び越え、光の域すら超え、神の域に達していた。
光速を越えた光速、神速というべきその領域は、まさしく彼ら神々が独占していた領域だった。
だが、其処へ人間の到達を許した。
所詮人間、たかが人間、人間如き、そう見下した連中が如何にして苦杯を舐めたかは彼の記憶に新しい。
何せ、その連中の一人が他ならぬ彼自身なのだから。
天馬星座の彼は、彼らは、神へ挑み、神から勝利と栄光を簒奪する為に己を練磨し、
ついにはその無謀を現実のものとするに至った。
神聖闘士。
かつて神と巨人とがその生存をかけて合い争ったギガントマキアにおいて、オリンポスの神々が纏い、
巨人とその雌雄を決した鎧にもっとも近づいた神聖衣をまとった彼らは、
英雄たちの栄光の残照すら消え果た、
この哀しく虚しい鋼鉄の時代における、至高の英雄だ。
巨人も、神も、後から来たもの達に打倒され、
その栄華を蹂躙されて神話の彼方へと消えて果てて来た。
巨人はオリンポスの神々に打倒された。では、オリンポスの神々は誰に打倒されるべきなのだろう。
天馬星座の神聖闘士たちの故国には、栄える者は尽く枯れ、盛るものはすべからく衰える、
栄枯盛衰。
そんな言葉が伝わっている。
巨人を打倒した神々は故に、神は打倒されなければならない。
神話の昔から、この一柱の神は只一つの敗北の為にその小宇宙を燃やし続けてきた。
同族たるオリンポスの神々でも、巨人の群れでもなく、只の人間が己を滅ぼすという、夢想。
権勢に固執するがあまり、己の本道を見失い、
挙句の果てに意思すら喪いエネルギーへと成り果てた天主ゼウス。
彼の姿に絶望した海皇は、以来その夢想にとりつかれていた。
故に、戦い。故に、敗れた。
去れども未だ、その夢想は果たされていない。
神を打倒し、栄光を世に示す人間は、未だ彼の前には現れてはいない。
ようやく、今、天馬星座の男がそこへと手をかけた。
ならば、その男に倒されるために、海皇自身もまた切磋せねばならない。
神速の鉄拳の群れを往(い)なし、交わし、
裁いて間合いを取るべく離れようとするが、間際に蹴りを喰らう。
拳撃と同時の突撃を許していたのだ。
天馬星座の聖闘士の踵が海皇の爪先を踏みしめると、
彼は海皇に向かって渾身の力を込めた正拳突きを放つ。
皮膚を、脂肪を、腹筋を、臓腑を貫いて彼の拳が海皇の肉体を打ち抜いていた。
「負け、か…」
気が付けば、ジュリアン・ソロは汗みずくになっていた。
ソロ家の邸宅の一つに、広大な運動施設を備えたものがある。
これは己の肉体を筋肉の塊へと変換することに妄執した挙句、
ステロイドの過剰摂取によって死亡した彼の叔父のものだ。
彼の死後、ジュリアン・ソロが使用している。
己を海皇の肉体へと変質させる術は、膨大な運動であった。
それも只の運動ではない。戦闘である。
格闘家のトレーニングコーチから拳法の達人まで呼び寄せられたが、
彼らは海皇の本質にまったく気が付くことなくその職を解かれていた。
「残念ながら」
フルートの演奏を終え、簡潔に堪えるのは、
海皇最後の供回りとなってしまった「海魔女・セイレーン」の海将軍・ソレントだ。
嘗ての戦いの際、アルデバランに致命傷を与え、
瞬相手に互角に渡り合った海将軍屈指の実力者である彼は
ジュリアン・ソロの裏も表も知悉した唯一の人間として、ジュリアン・ソロ個人に仕えている。
海将軍として覚醒した直後、であった為あのような結果に終ったが、
今の己ならば瞬と再び見えたとしても遅れを取ることはないと確信している。
傲慢ではない、それが海皇に侍る七つの海の覇王である証だ。
今や、ソレントの魔曲によって幻想の中で再現される戦闘のみが、
海皇の肉体をこの世に顕現させうる唯一の儀式であった。
海皇とジュリアン・ソロの精神の混淆(こんこう)を明かされたソレントは
はじめ困惑し、次に歓喜し、そして従属を誓った。
そして、こうして戦闘を繰り返している。
先ほどまで彼が闘っていた天馬星座の聖闘士の姿は、その力の一端である。
一種の幻覚だ。
「まだ、足りない…。
フ…。せめて神の力なくとも星矢と全力で戦いたいと思っているのだが…」
ソレントからタオルを受け取り、顔の汗を拭って、ジュリアン・ソロは続ける。
人間として星矢に挑みたいという、ジュリアン・ソロの本音と、
神として星矢に挑みたいという、海皇の本音とが、そこで初めてソレントに突きつけられた。
「私はまだ弱い」
あの黄金の小僧共に吐いた手前、星矢と並ばねばならないからな、と続ける。
敗北に屈する者に英雄の資質はない、真実の英雄とは敗北を食い殺し、
その骨で勝利の塔を築き上げる者を英雄というのだ。
だから、きっと、あの小僧どもも再起してくれるに違いない。
「完敗だ…」
アドニスの目から涙が流れた。
何が最強か、何が敗北は無い、だ…。
無様に負けた。圧倒的に負けた。お情けで生かしてもらった。
挙句の果てに、海皇は聖衣に傷一つつけては居なかったのだ。
敗北だった。
「勝ちの途中だ!」という声にアドニスは貴鬼をみると、血の涙を流しながら彼は叫んでいた。
屈辱に身を焦がすのはアドニスだけではない。
正統な聖闘士の血統の貴種。聖域でそう呼ばれる貴鬼だからこそ、という面もあるのだろう。
そんな風に穿って見てしまう自分を、アドニスは恥じた。
叔父にアフロディーテをもつ彼にとって、教皇シオンの最も新しい孫である貴鬼は、眩しく思うこともある。
大好きだった叔父がその実聖域の裏切り者であり、挙句の果てに死後の栄誉すら穢した背信者。
自分がそんな男の甥であるのに対し、貴鬼は、聖域史上屈指の名教皇であり、
聖戦において壊滅状態に陥った聖域を見事に再建してみせた中興の祖・シオンの孫だ。
貴鬼の母はシオンの十三人いた子供の中で最後の娘であり、
聖域ではなくシオンの郷里であるジャミールで育ったので
生涯の大半を聖域で過ごしてきたアドニスはその正確なところは知らないが、
それでもその血統のよさはアドニスに暗い影を落とすこともあった。
正直、貴鬼より早く聖闘士の位を得たのは彼の意地だった。
突っかかっていったのも、八つ当たりに等しい。
自分の中の薄暗い心があることを、アドニスは否定したいが為、飄々とした風情を装うのだ。
それこそが師匠の前でのみ彼があらわす固い表情の正体であり、
アドニスという聖闘士の根幹を苛むものだ。
己は一体何者なのか、何処から来て何処へ行くのか。
アイデンティティは揺らぎ、小宇宙は乱れ、魂は穢れる。
そう思って自ら封じた問いが、再び重苦しい音を立てて廻りだす。
だがアドニスは知らない。彼を狂騒に駆り立てるその問いを彼の親友もまた抱いていることを。
聖闘士、業深きこの生き様こそがアドニスにも、貴鬼にも相応しいのかもしれない。
「…、ふぅ」
そんな少年たちの慟哭を、水銀燈は哀しげに見ていた。
他者に、人間に対して彼女は感情を傾けることは基本的にない。
人間より優れた存在である「お父様」が創り出した自動人形、
ローゼンメイデンの最初にして至高の一体であることを誇りに抱く彼女にしてみれば、
「人間」でしかない彼らに助けられた事は決して好ましい事実ではない。
負け狗にかけてやる言葉を持たない彼女だが、
彼らの真っ直ぐさが彼女自身の心を抉るのを感じてもいる。
まるで己自身の映し鏡のような慟哭に、ただ彼女は悲しいと思った。
だからこそ、彼女らしくも無い声をかけたのかもしれない。
「…ありがとう」
呟くような一言だったが、貴鬼もアドニスも弾かれるように彼女を見た。
泣きっ面で凝視されては流石の水銀燈も引かざるを得なかったが。
そうだ、一体何を捉え間違いしていたのだ。
護るべき者を護れたのだ。
たとえ試合に負けたとしても、どんなに矮小であったとしても、勝利は勝利なのだ。
地上の守護者たる聖闘士にとって、勝利の意味は果てしなく重く、護るという言葉は何よりも尊い。
偉大な敗北よりも卑小な勝利を選ばねばならないのだ。
少なくとも、そう思えるだけの価値ある言葉を、知らず水銀燈は彼らに与えていた。
「ど、どうってことないさ」と貴鬼。
「僕らは聖闘士だからな!」とはアドニス。
彼らが立ち上がれるだけの言葉だったのだ、それは。
惨酷で美しい銀髪の美しい乙女の言葉は、故に少年たちを再起させた。
そうして立ち上がった彼らの姿に、彼女は、すこし微笑んだ。
それは、哀しく冷たい銀の乙女が、心を溶かした瞬間でもあった。
微笑んだ瞬間、彼女は倒れ、アドニスが駆け寄ると同時に、
彼らの居る世界が崩壊を始めた。
海皇の存在にこの「水銀燈のフィールド」が耐え切れなくなったのだろう。
いや、耐え切れなくなったのは水銀燈の心かもしれない。
人間よりも細微かつ機微な心をもつローゼンメイデンなのだ、
海皇と聖闘士の戦闘によって気を失わなかっただけでも奇跡に近しい。
アドニスが水銀燈を抱き寄せ、貴鬼もそれに駆け寄ろうとすると、
空間がまるでガラスのように爆ぜた。
地に落ちる水滴のように、風に舞う羽毛のように、彼らは翻弄される。
どこへ消えるのか、どこへ落ちるのか、どこへ行くのか、知る術はない。
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