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「あひゃひゃひゃひゃ、あ~いい湯だな。」
大柄な、米軍服を着た男が歌うように叫んでいる。
ちなみにここは北海道は札幌市、雪祭りで有名な大通り公園である。
もちろん彼は風呂になどは入っていないし、そもそも温泉などはない。
もうそろそろ冬である。
肌寒いのに半そでの軍服を着たマッチョに絡まれたい奴などごく一部の特殊な方々だけだ。
「何を見てるんだね君たち?見世物じゃねぇんだよ?」
目を合わせないように避けている人々に向かってこの台詞である。
「まったく何を考えているんだかわかんねぇんだよ、ジャップはよ」
胸ポケットから葉巻を取り出し一服する。
「このキャプテン☆ストライダムを何だと思ってやがるんだ?」
大きく葉巻を吸い込んで、むせた。
「ゲホっ、ゲホッ、くそ、タバコまで俺に逆らいやがる」
なぜ俺はこんなところまできているんだろう?
心底ストライダム将軍は思った。
どれもこれもあの勇次郎のせいなのだが、最近は頭の中にさえ「勇次郎のせいだ」という単語が浮かんでこない。
なるべく勇次郎のことは考えないようにしているうちにそれが習慣になってしまった。
379 :ある昼休み :2006/10/26(木) 12:42:11 ID:21t77lbg0
実は空気を読むのがうまい勇次郎である。
下手なことを考えていると即座に当てられ、非常に怖い顔を見せられる。
「ババアゾーンのババアに匹敵するんだよ、あの表情はよぉぉぉ」
ちなみに独り言である。
もう随分独り言を喋っていたので喉がからからだ。
駅前にスターバックスを見かけた。
アメリカでもポピュラーな店だ。
ストライダムの故郷の味というには余りに新しいが、CMをたくさん見ているとなんだか故郷の味に思えてこなくもないのだ。
ストライダムも久しぶりに故郷の味が恋しくなっていた。
カランとドアベルを鳴らしながら中に入る。
落ち着いた店だ。
レジに並び、順番が来た。
「いらっしゃいませ」
カウンターの女性が笑顔で「どちらになさいますか?」と聞いてくる。
ああ、日本人の笑顔はいい、仕事への誠意にあふれている。
そう思ったストライダムは嬉しくなった。
レジを打つ、美人ではないがかわいらしい女性にコーヒーをブラックで頼むと笑顔で
「ああ、熱くて寒い、ここはいい、ベトナムの戦場に匹敵するよ。いい雰囲気だ。」
と流暢な日本語で礼をいい。
「ステキな笑顔をサンキュー、ハニー」
と軍学校時代の若かりしころの習慣までサービスした。
レジの女性の顔は引きつっていたが、見えてはいないらしい。
要するに脳が捉えなければ見えているとはいえないのだ
(馬鹿の壁にそんな文章はあっただろうか?)
まったりと外を眺めながらコーヒーを飲む。
秋の北海道の風景は美しい。
心底そう思う。
もっとも駅前にはビルしかない。
普段からコーヒーは飲むが、専ら自分を落ち着けたり、目覚ましのために飲む。
静かにコーヒーの香りを楽しむなど久しくしていない。
「ふぅ、いいものだな、こういう時間も」
せわしなく道行く人を見ながら、自分が持っている特権的な気分を楽しむというのも、いたずらをしているようで楽しい。
装いが秋から冬に移ろうとしている町もいい。
ストライダムは雪の降る町の出身なのだ。
冬が近づいてくると、冬の匂いというのを感じることがある。
それがなんなのかはよくわからない。
ひょっとすると排気ガスなのかもしれないが、それはそれでかまわない。
「冬か」
故郷の冬は長らく見ていない。
今年は帰れるだろうか?
月並みではあったが、青春を過ごした街である。
たまには帰ってみたい。
少し寂しげな笑みを浮かべると、もう一杯コーヒーを注文した。
どれだけ帰っていなかったか…
指折り数えてみる。
長いな。
これというのも…ゆ○○○○のせいだ。
あれ?誰のせいだったか。
思い出せないというか、思い出したくないような…。
まぁいい、今は勇次郎との待ち合わせの最中だ。
街中をきれいな赤髪の女性が歩いていた。
道行く男は皆、彼女を見て振り返っていく。
喉が渇いた女性がスタバに入ってきた。
彼女は近くの敏腕OLで、ここの常連さんである。
彼女は店に入ってくると、初老の米兵が自分に向かって敬礼しながら走ってくるのを見た。
最早何がなんだかわからない。
何故自分が敬礼されねばならないのか?
仲のいい店の女の子も自分をいつもとは違う眼で見てくる。
軽蔑でも、哀れみでも、好奇の眼でもない。
畏れの混じった視線である。
一体私が何をした?というかこの兵士は何?中年というか壮年。
何でわたしに敬礼しながら走りこんできたの?
新手のセクハラ?そういえば今日もあのハゲいやらしい眼をしながら肩に手をかけてきたわ。
何なのよ一体?
そして、大男はいきなり大声で叫んだ。
「すまない、勇次郎!!!!!悪気はなかったんだぁ!!!!!」
もはや美人OLに事態を把握することなど不可能である。
店内にいる人々も同様である。
てか勇次郎って誰よ?
まさか奈津子さんって本名は勇次郎?
転換済みってこと?
あの米兵何?
お相手?
などなど皆が行間を埋めるのに最大限の想像力を発揮していた。
OL奈津子には人々の心が聞こえてくるようだった。
日頃の激務でたまったストレスが、この一件で一気に沸点を超えた。
主に上司のセクハラが原因であるのだが…
「ざけんじゃねぇよ、誰が勇次郎よ!ああ?でかいなりして何を言ってんだよ、ぉのカス。何?あなた?新手のセクハラ?わたしは奈津子よ、もぉ、勇次郎なんかじゃないわ」
この迫力に多くの人は彼女の背後に獅子か鬼が吼えているような影を見た。
「ひぃぃ、すまない、勇次郎!」
「誰が勇次郎よ、誰が!」
余談だが、息継ぎの関係上で変な位置で入った「もぉ」の一音で後に以下のような噂:
奈津子、本名は勇次郎は性転換をしにアメリカに渡り、そこで知り合った米兵と駆け落ちした。
だが、彼の両親の反対に合い、頼りない彼に絶望して北海道までやってきたのだ。
が流れ戸籍証明まで取りにいってデマであることを証明する羽目になるのだが、それは置いておこう。
キャプテン☆ストライダムは我に返った。
赤い長髪の日本人を見たのでつい勇次郎だと思ってしまったのだ。
よく見ると、勇次郎と比べるとはるかに体格も小さいし、髪もしっとりと整っているし、美しい。
「すまなかった、君は勇次郎ではないな」
「当たり前でしょ」
当然である。眼がどうかしているとしか思えない。
よかった。
ストライダム将軍は安堵の笑みを浮かべた。
だが表情というものは周りの状況、シチュエーション、空気、見る側の精神状況でまったく別のもののに見えるものである。
脳が捉えなければ人はものを見ているとは思わないものだ。
奈津子の眼にはストライダムの安堵は、寂しさをこらえる初老の男の表情に映った。
おそらくこの男は戦場で共に戦い、恋に落ちた女兵士を探しているのだろう。
看護兵だった心優しい彼女は戦場の悲惨さに耐え切れず、逃げ出して平和な日本にやってきたのだ。
日本人にしては彫りの深い顔のわたしを見てその女性と勘違いをしたのだろう。
ちなみに勇次郎と呼ばれたことはこの時点で完全に頭から消えている。
脳が(略)
ストライダムが見せたあまりに寂しそうな顔に、奈津子は少し可哀想に思った。
「何があったの?」
「すまない、(仕事柄)言えないんだ」
あー疲れているな俺は。
おかしくなってきている自分に気づいたショックに、呆然としたが、戦士たるものそこで自失するわけには行かない。
絞り出すように笑顔を見せて、
「語ることなど何もないさ、ぼけた老兵は消え去るのみだよ、お若いレディー」
ストライダムが何とか見せた笑顔はひどく寂しげで、今にも壊れそうに見えた。
BSEじゃあるまいな?
まったく変な肉を喰わせるなよ農林水産省。
焼肉はともかくハンバーガーはシグルイではないのだよ?
庶民にだって陳腐でチープなプライドはあるのだぜ。
など、政府の悪口をあたまの中で並べつつ。「すまなかった」
まずは奈津子に誤り。
「スミマセン、オサワガセシマシタ」
店の人にも謝ってストライダムは店を後にした。
もう冬の空模様である。
ドアを開けると冷たい風が入り込んできた。
枯れ葉が踊っている。
「まって」
後ろから声が聞こえた。
振り返ると先ほど人違いをした女性が自分を呼び止めていた。
「あのさ、よくわからないけど、人は自分の道を生きなきゃいけないと思うんだ。つらくても、平凡でも。」
ストライダムは、ぐっ、と親指を上げ、奈津子も親指を上げた。
互いにふっと微笑むと、ストライダムは店の前から去っていった。
奈津子はしばらく彼の行った先を見ていたが、寒いので店内に戻った。
まだコーヒーも注文していなかった。
早くしないと昼休みも終わってしまう。
まだ顔を引きつらせている仲の良い(かった)店員にコーヒーを注文して、一息ついた。
人生いろいろあるものだ。
大通り公園に戻ったストライダムはすぐに勇次郎を見つけた。
「なにやってたんだよストライダム?おせぇじゃねぇか」
「スマナイ、ユウジロウ。トイレに行っていたものでね」
「なんだか嬉しそうだな?」
「イヤ、ちょっとねカワイイ女の子がいたのだよ」
「そうか、それはいいが、ストライダム、今日俺がお前をここに呼び出した用件がわからねぇんじゃあるまいな?」
勇次郎のオーラが秋の空を盛大に歪めた。
ストライダム将軍の苦労は続きそうである。
将軍の未来に幸あれ。
完
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