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「過去編 第003話 (1-5)」(2012/11/25 (日) 15:45:03) の最新版変更点
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手を振りかざした戦士の足もとで地面が割れた。
割れた、というより罅(ヒビ)が入った。例えば鋭利なスコップを突き刺したよう……転瞬なり響く轟音の中、衝撃波が玉
城の両隣を通りすぎる。総ては一瞬。注視していた筈の玉城でさえ一瞬なにが起きたか分からない。
濛々たる土埃の中で振り返る。丸太の山がはじけ飛び質素な山小屋は倒壊中。ほぼ中央が大きくえぐれ木片や石くれが
舞い飛ぶ真っ最中。しかし玉城の心を決定的に砕いたのはその破壊力ではなく
「チワワさん……!?
無銘を飛ばした辺りがすでに巨大な地割れに見舞われているからだ。
幅およそ3メートルのそれが幾筋も幾筋も地平へ向かっているのを認めた瞬間、ただでさえ虚ろな玉城はみるみると血色
を失った。長大で凶悪な裂け目が4つ、広場を侵食している。むしろ罅(ひび)割れの中にたまたま切り立った地面が3つ残っ
ているとさえ形容すべき事態だった。丸太の破片や山小屋の残骸が闇へぱらぱら落ちていくのが見えた。落下音は聞こえ
ない。地割れは夜のように暗く、底も見えない。
「チワワ……さん」
これだけの一撃をあの小さな体で浴びたらどうなるだろう……想像は残酷な結末ばかりもたらし、闘争意欲を奪い、だから
玉城はとうとう力なくくず折れた。
……戦士がゆっくりと歩み寄る。鉤爪で無慈悲な星が瞬いた。
「無駄だ。これより放つ攻撃は全ての斬撃軌道を左腕に集約したもの……軌道は連続する。故に俺はこの山に入ってか
らずっと、斬撃を続けてきた。固定されたそれを総てかき集めれば……こうなる。左腕が万全なら、右手が使えさえすれば
今の一撃で終わっていた」
再びかざした鉤手甲からは黒い罅割れが立ち上っていた。それは塔のようにどこまでもどこまでも高くそびえ、青空さえ
斬り裂いているようだった。
(青空……お姉ちゃん……)
「ごめんね光ちゃん」
「ホムンクルスにしたせいで光ちゃんは普通の人より早く年をとるんだ」
「どれくらい? 5倍よ? 5年もしたらおばさんで15年後にはおばあさん」
「あーあ泣いちゃった。可哀相ね」
「でも大丈夫。お姉ちゃんがちゃんと解決法を見つけてあげるから──…」
「逆らったりしたらダメよ?」
「逆らったら、どうなるか……分かるよね?」
上げた視界のその先に広がるのは澄み渡った青の空間。
空を眺めるのは好きだった。奪われた何もかもがそこにあるような気がして、好きだった。
「戦ってね光ちゃん。大丈夫。光ちゃんは強いから」
初めて化け物の群れを見た玉城の肩を、姉はにこやかに押した。つんのめり、転んだ玉城に化け物が群がった。獲物
だとでも思っているのだろう。腕が裂かれる。足が潰される。悲鳴を上げる。何度も何度も。助けを求めて姉を見る。手を
伸ばす。彼女はただニコニコと微笑んでいる。ファイト。そんな言葉も聞こえた。
野牛の角に刺し貫かれた。海老ぞりで痙攣しあぶくを吐く。彼女を囲む色とりどりの化けものは容赦なく押し寄せる。
玉城はただしゃくりあげながら鼻水を垂らし、彼らと向き合った。
いつの間にか地割れの奥の深い闇に視線を移していた。
湿った地面。どこからかピチャピチャと水音がする薄暗い空間。床の黒い汚れは泥とカビらしかった。
鉄格子に四角く開いた出入り口をくぐるよう姉は促した。
「頑張ったわね光ちゃん。たった3日で共同体を10個潰すなんて。残り3日も同じコトしてね。してくれたら普通のお部屋に
入れてあげる。それが規則なの」
力なく頷く。素直にそこへ入る。羽毛で作った服は泥や血で汚れたのを差し引いてもすっかり艶が失われているようだった。
差し出されたのは正体不明の薬剤だが奪うように受け取り嚥下する。食事を選ぶ自由はなかった。せがんでも掠め取って
も腹が鳴っても銃弾を撃ち込まれた。大好きなドーナツの山にガソリンを撒かれそして焼かれたコトもある。
『空腹なら人間を食べなきゃダメよ。ここではそれがルールなの』。
姉は自分を教育してくれている。敢えて厳しい態度をとってくれている。自分を憎んではいない。憎んでは……。
撃たれた時は身を丸くしてうずくまっているのが一番良かった。痛みがどこか遠くへ去っていくまでじっとしていれば必ず
楽になれた。
牢獄のなか巻き添えを食らった虫たちがいた。
ピクリとも動かぬ彼らを眺めると……腹が鳴りそうな気配がした。鳴ればはしたないと撃たれる。恐怖と嫌悪と罪悪感の混じ
った薄暗い表情ですすり泣きながら、死骸に手を伸ばす。空腹の音は恐怖だった。それが鳴ると銃撃が来る。だが腹さえ
満たされていれば大丈夫だった。決して咀嚼できないキチン質や甲殻の無慈悲な感触を口腔粘膜になすりつける方がまだ
良かった。銃撃だけは嫌だった。怖かった。大好きな姉に拒絶されているようで嫌だった。
「無理をしなくてもいいわよ。だってもう光ちゃんは化け物さん。躊躇わなくていいじゃない」
にこやかな笑顔が鉄格子を占めた。耳障りな軋みが暗い牢屋に響き渡り、姉の足音が遠ざかっていく。
「……です」
口中に広がる苦味にえずきが漏れた。乳歯の間に多足類の足を挟む人生など想像していなかった。
「ドーナツが……食べたい……です」
その夜は苔むした床板に顔をこすりつけ、夜が明けるまで泣いていた。
砕けた節足動物たちがチワワに重なり、そんなコトを思い出した。
もう何もない。そんな気がした。
だから俯いて、小さく囁いた。
「……もう…………いいです。殺して……
「……我のおかげで笑えたから満足……だと?」
緩やかに歩を進めていた戦士の体がグラリと揺らめいた。
俯いていた玉城である。戦士の体勢の崩れはただ漠然と察知したにすぎない。だが不意の声に首をがばりと跳ねあげ
た彼女は二度三度の右顧左眄を経てようやく状況の総てを理解した。
「フザけるな!! 本当に貴様はそれで満足なのか?」
声の出元──地割れの淵から伸びる手が
「姉に両親を殺され、5倍速で年老いるホムンクルスへと変えられ、体よく使役されたあげく戦士に討たれて満足なのか!」
戦士の右足首を掴んでいる。
「死者を悼み敵にさえ情けを催す心を持ちあわせておきながら、それを誰にも聞かれず! 化け物のように駆除されて──…」
奈落のそこから小さな影が躍りあがった。
「貴様は本当に満足なのか!!?」
チワワが戦士の左腕に噛みついた。「貴様」。驚嘆する戦士が体を激しく揺する。その足を引いたのは地割れから伸びる
罅だらけの手。
本当に本当に罅だらけの手。踏みつけるだけで割れてしまいそうなボロボロ手。
それが。
戦士の足首を引く。玉城を死から……遠ざける。
地割れの中にいたのは……
身長2mを超える大型の…………兵馬俑。
自動人形? 動物型が何故?
そんな声を漏らす間にもナメクジの這ったような轍が奈落めがけ伸びていく。
「そうか! 地割れが起きる直前これを発動! すかさず乗り込み……地面の下から!」
「伝ってきた!!」
「味なマネを……! だがホムンクルスが何を言う!」
「黙れ!! 貴様に何が分かる!! 」
実に賢明な戦士だったと玉城は後々まで感心した。右足首を掴む手。それはすぐにほどけない──強烈な握力のもた
らす痛みからそう判断したのだろう。彼は右腕を動かした。むろん無傷でもなく、動きには脇付近の大量出血と激痛の呻き
が伴った。だが攻撃対象はそうするに値する戦略的価値を十分に秘めていた。
鉤爪が無銘の顔面を直撃した。自動人形は使い手本人を斃すのが手っ取り早い……そんな不文律を玉城が知ったのは
やや先のコトだが、戦士は歴戦の中で知悉し抜いているようだった。左腕にうるさく纏わりつくチワワさえ斃せば自動人形が
消える、奈落にも引きずり込まれない。傷ついた右腕がどう悲鳴を上げようが奈落に落ちるよりは軽傷だ。だが無銘もその
辺りは承知と見えた。首を動かし章印への一撃だけは避けている。そこにさえ当たらねば勝ち……戦士の体がまた奈落へ
と近づいた。両者ともまさに土俵際の戦い、無銘もまた無傷ではない。愛らしい顔に惨たらしい朱線が何本となく走り、耳が
斬り飛ばされ円らな瞳からは血涙が流れた
。
「誰彼の区別なく化け物を狩りさえすればいい貴様らに何が分かる!」
戦士は眼を剥いた。掴まれている部分。そこが燃え始めている。忍法赤不動……。肉の焼ける嫌な臭い、火傷特有のひ
りついた激痛が骨すらも蝕んでいるようだった。炎はもはや衣服を介し脛はおろか膝のあたりまで燃やしている。火の粉が
散り、左足に伝播する。無銘の額を狙う右腕が心持ち震えるのを禁じ得なかった。
「死骸の総てが望んでそうなった連中なのか! 己が欲で身を歪めた連中ばかりだと思っているのか!!」
戦士がいよいよ汗みずくになったのは燃えさかる足のせいだけではない。
奈落まであと3歩。右腕は失血と傷の悪化で思うように動かない。無銘の章印を狙えない。
「少なくてもこやつは違う! こやつは──…
戯言などはどうでもいい。
奈落まであと2歩、いよいよ危殆に瀕した戦士の唇から掠れた声が漏れた。
その表情が耐えがたい不快感を表しているのを玉城は見た。なぜ化け物に説教されなければならないのか、そういう苦渋
が思考判断をいささか乱暴な方へ導いているように見えた。
それは正解のようで……。
「悪夢に泣き姉へ悔い、死者を見つければ埋葬する! たとえ体が化け物に貶められているとしても! 5倍の速度で年老
いてゆくとしても! こやつは間違いなく人間だ!!」
(人……間……? 私が……?)
「黙れ!!」
戦士は狙いを変えた。左足を、罅割れた自動人形の腕へ叩きつけた。足を引く忌まわしい手を……砕くために。
しかし。
「そんな者を! こやつを!!」
自動人形の腕から破片が散った。罅が広がる。
「叫んでいる場合か? 奈落へ導く膂力……心持ち弱まったようだ。そのままそこに居れば……
「逃げろと? できるか!! 奴を、不当に歪められしただの少女を!!」
「見捨てるコトなどできるか!!!!」
踵が腕を砕く。気炎とは裏腹に迎えつつある自動人形の腕を。
できる。破壊できる。奈落には引きずり込まれない……
会心の笑みを浮かべる戦士。その横で無銘はなお声を上げる。
「なぜなら我は──…」
「人間だからだ!!」
左手首が噛み切られ鮮血が散るのも意に介さず 戦士は再び足を振り下ろした。
腕は、砕けた。
同時に。
「な──…」
戦士の足が滑った。
振り下ろし、腕を砕いた左足は勢いの赴くまま奈落に向かって水すましのように滑った。
彼は見た。
腕の破片の下でキラキラと輝く地面を。
それは青空や破片や、驚愕に歪みきる戦士の醜い表情さえ満遍なく映している。
「鏡!? いや、違う!」
秋口にそぐわぬゾッとした冷気が左の足裏に走る。
摩擦なき場所で滑る足は込めた力の分だけ安定を失っているようだった。
つま先が跳ね上がる。膝が飛ぶ。
股関節が軋むほどめいっぱい繰り出された足は、遂に加速の赴くまま体を宙に浮かせた。
「貴様は考えるべきだった。なぜ自動人形が地割れの縁に居るか、と」
空転する景色のなか響くのはチワワの声。
「足を刺していたからだ。崖にな。そしてそこから伝導せしは……」
「忍法薄氷(うすらい)──…」
(氷……? まさか腕の下を…………地面の水分を…………!?)
(凍らせていたのか! 俺が腕を砕くのを見越して──)
「古人に云う。忍びに三病あり。恐怖、敵を軽んず、思案過ごす」
鳩尾無銘の眼光が青く波打ったのは確信ゆえか。
「奈落めがけ引かれる恐怖。足が燃え盛る恐怖。貴様はそれに耐えかね下手を打った……」
「鉤手甲は忍びの武器。なら貴様も忍びだろう」
噛み破った肉片と血管を吐き捨てながら、チワワが笑う。
(や先にこちらを斃すべきだった。本体さえ片付けておけば)
後悔とともに繰り出された戦士の右腕の先で小柄な影がぱっと飛びのいた。剽疾とは正にこの事、残影を薙ぎ切った鉤
爪が血まみれの手首をガリリと裂いた。神経を直撃したらしい。蘇る激痛にさしもの戦士も絶叫を漏らした。
「そして、だ」
無様に両足を投げ出し体をひん曲げる戦士めがけて
「云うまでもないと思うが」
砕けた右腕の上をすり抜け
「腕は……2本ある」
一気に伸びた左腕が、燃え盛る戦士の右足を引いた。
赤々と燃焼する炎。腰のあたりまで侵食したそれが扇型の綺麗な残影を奈落に向かって走らせる頃。
戦士は自らが作りだした亀裂の最奥めがけ落ちはじめていた。
「フン。2メートル近い兵馬俑だ。貴様の足首を掴んだ瞬間奈落へ落とせば、まあ諸共に叩き落とすコトぐらいできた……。
もっとも他に戦士がいる以上、核鉄を手放す訳にもいかんがな」
腕もみねじり奈落を見下ろす無銘の姿を見た瞬間、ようやく玉城光の時間は動き出す。
未来に向かって。
凍てついていた時間が、暖かな未来に向かって少しずつだが……動き始めた。
「…………この世には己が欲望のため他者を歪める者が確実に存在している」
見憶えのある姿が奈落を登ってきた。
「奴らが我に与えたのは名前のない傷ついた体一つ」
兵馬俑。先ほど玉城が斬り捨てた自動人形が無愛想に佇んでいる。手首や胴体が繋がっているのは再発動のせいだろう。
「与えられたのは人型にもなれずチワワにも成りきれぬ哀れな体」
凍って泥まみれの足の横、肩いからせつつズンズン突き進んでくるチワワに
「我だけではない。栴檀どもも、母上も……師父さえも奴らの勝手な都合によって生涯を歪められ、消えるコトのない欠如
を植え付けられた……。その点では皆、貴様と同じだ」
何かを呟いている無銘の姿に玉城光はただただ眼を丸くし──…
そして一言。
「チワワ……さん?」
「なんだ」
「……今のはハメです……汚い……です……」
「うぐっ!?」
「人間のやることでは……ありません……」
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